鉄火の銘   作:属物

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第二話【メイク・アリアドネズ・クルー】#1

【メイク・アリアドネズ・クルー】#1

 

朝早く、不意にシンヤは目が覚めた。闇夜めいた天井……否、天幕に押しつぶされそうな錯覚を覚える。息も僅かに苦しい。夢の中で胸が潰れそうな別れを再体験したためだろうか。だが、全ては過去だ。とにかく落ち着こうと胸に手をやった。柔らかく滑らかな何かに触れた。

 

首だけを起こして見ると、毛も薄い少年の足があった。四方を夜闇めいた黒錆色で包まれた中で、くっきりと浮かび上がる生白い二本足。隣のテントで寝ている幼いオタロウ辺りが見たら、オバケだと大声を上げて泣きわめくことだろう。だが明かりのない天幕の中でも、ニンジャ暗視力は正体を見いだした。

 

シンヤの胸に乗っかっているのは……弟のイーヒコの足だ。家族にはウキチの寝相について散々に文句をこぼしておいて、一番寝相が悪いのがイーヒコだったりする。イーヒコは自分を棚に上げるのが得意だが、そのお陰で文句をばらまく度にアキコからの鉄拳制裁を浴びている。

 

今日の天気予報だと夜半まで雨が降る様子はないが、先日寝相をからかわれたアキコにツゲグチしたら、イーヒコの頭に鉄拳の雨が降るだろう。まあ寝相が悪いのはいつものことだし、棚上げした文句を垂れ流さない限りは黙っておいてやろう。そう決めてシンヤは優しく胸からイーヒコの両足をどけた。

 

子供たちとコーゾを起こさないように、シンヤは影めいた静かで滑らかな動きで寝間着から着替える。耐酸コートを羽織りジュー・ウェアを担いでテントの入り口を潜った。死人めいた静けさの中、常夜灯のナトリウムボンボリと安定器の音だけが響いている。

 

早朝のトミモト・ストリート浮浪者キャンプにまだ人の気配はない。中央広場のヤグラ時計を見ればウシミツアワーを過ぎたばかりだ。夜行性腐肉食獣めいたヨタモノもそろそろ寝に入る時間だろう。連中とて眠るのだ。薬物でニューロンを叩き起こしたところで疲労が消え失せるわけではない。

 

ニンジャもそこは同じ。眠らねば弱り、スシを食わねば飢え、鍛錬せねばカラテが衰える。だからこうしてシンヤは毎朝早起きしているのだ。今日は予定より随分早いがまあいいか。そう独り言ちると、シンヤはキャンプが何らかの施設であった頃の、メンテナンス梯子に手をかけた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イヤーッ!」廃ビルの無人ドージョーにカラテシャウトが響く。打ち捨てられたドージョーはネオサイタマに数多い。カラテは銃火器より合法で、極めればそれよりも強い。故にネオサイタマのどこでも求められている。それにタタミ、カンバン、そして必要なだけのスペースがあればどこでも始められる。

 

だから粗製濫造のカラテドージョーは雨後のキノコめいて生まれては、瞬く間に経営悪化し枯れ果てて消えていく。シンヤがトレーニング場としているこの無人ドージョーもその一つだろう。変色した『華麗な』のショドーと金メッキの剥がれたカケジクは、虚栄の末路を容易く想像させる。

 

しかし日課のカラテトレーニングに打ち込むジュー・ウェア姿のシンヤには何の関係もない。一声ごとに虚空に打ち込まれるカラテ・パンチは、タングステンボンボリに照らされた埃に緩やかな風の渦を作る……緩やかな? そう、モータルでも受け止められそうな程、シンヤが放つカラテパンチの速度は遅い。

 

しかし、それは同時にスロー再生めいて滑らかでもある。シンヤが放つこのカラテパンチは、一発一発を通して行う肉体のチューンナップなのだ。筋肉の動き、血液の流れ、ニューロンのパルス信号。それら全てをニンジャ身体感覚で認識し、カラテパンチを一繋がりの淀みない完全な流れへと整えていく。

 

(((考えなさい。無思考で打たれた百発のカラテパンチより、考え抜いた一発のカラテパンチは尊いのです)))耳の奥に響くのはかつてオールドセンセイから伝えられたインストラクションだ。ニューロンの奥から掘り出した記憶を、カラテトレーニングを以て血肉へと変えていく。

 

「イヤーッ!」もう一発、先ほどより速度を上げて放つ。左の引き手と右の突き手にズレがある。神経パルスのズレ、精神のブレだ。ズレればカラテ反作用は肉体を傷つけ、相手に十分なダメージが通らない。もう一度だ。「イヤーッ!」パルスのズレは修正されたが、踏み込みのリズムが狂った。もう一度。

 

「イヤーッ!」今度は狂い無く整った。カラテパンチのギアを上げる。(((考え抜いたカラテパンチを千発打ちなさい。それが上達の王道です)))「イヤーッ!」さらにカラテパンチが加速する。思い出せる記憶はまだあるか。記憶を頼りにカラテをさらに研ぎ澄ませる。

 

モータルの学習セオリーに対して、ニンジャのそれは大きく異なる。基本さえ覚えれば練習は時間の無駄。ニンジャ洞察力とニンジャ記憶力で十分応用が利く。カナメは実戦とインストラクションにこそある。故にシンヤはかつての日々から必死にオールドセンセイのインストラクションを想起する。

 

(((カラテパンチは脊髄で打ちます。逆の手で打ちます。足腰で打ちます。突き手は最後です)))「イヤーッ!」シンヤはオールドセンセイとの鍛錬を決しておろそかにはしなかった。指導の悉くを守り、身につけてきた。しかしモータルの少年に伝えられたことも、少年が覚えられたこともたかが知れている。

 

足りない、まだ足りない。「イヤーッ!」カラテが足りない、全く足りない。「イヤーッ!」もっと鍛えなければ、もっと強くならねば。「イヤーッ!」このままでは、家族を守りきれない! 「イヤーッ!……ッ!」急く心が狂いを生んだのか、カラテパンチの拍子にシンヤは大きくタタラを踏んだ。

 

すぐさまシンヤは体勢を立て直す。だが、あまりにも大きな隙だった。全身の力と一緒にデント・カラテ基本の構えを解いて、崩れるようにアグラ体勢となった。苦い後悔を顔に張り付け、頭を抱えて首を振る。何も考えずにパンチを振るった挙げ句の体たらく。カウントは一からやり直しだ。

 

「クソッタレ」自分しか知らないだろう悪態を付くと、シンヤは大の字になって転がった。焦りは禁物と判っていた。だがそう簡単に無くなってはくれない。「迷いはない」などと豪語しておきながらこの様とは、随分と笑える話だ。自嘲の苦い笑みを天井に向けるシンヤ。

 

彼が焦るのはこれから襲い来る危機と、それに対する自分の弱さだった。カラテを鍛えるニンジャが弱いなどと言えば、世の人間全てが弱者となるだろう。だが、これから対峙する『原作』という強敵を前にすれば余りに弱い。先のフラグメント相手のイクサを思い出せば、幾つもの失策が姿を見せる。

 

相手は片目と指六本無しのハンディマッチにも関わらず初戦の結果は完全に互角。専用フーリンカザンを用意した中盤戦でも押し切れずにワンインチ距離を詰められる。チェーンデスマッチめいた終盤戦ではダメージレースを追い抜かれ反撃でマウントを取られる始末。勝ちを拾えたのは幸運と覚悟の差だった。

 

無論、イクサに『もしも』はない。生き延びたのはブラックスミス、すなわちシンヤであり、死んだのはフラグメントだ。しかし、カラテが足りなけれは次のイクサで『もしも』を思う羽目になるのはこっちだ。そして、それを思うのはシンヤではない。遺された家族が死に際に思うこととなる。

 

だからこそ、シンヤはこうしてカラテを鍛えている。それでも、いつ来るか判らない相手に備え続けるのは精神をヤスリ掛けする作業と同じだった。せめて『原作』主人公であるニンジャスレイヤーの動きが判れば。だが、彼の動きを調べることは、彼と敵対するソウカイヤの尾を踏むことに等しい。

 

出来ることは『原作』に向けて備えられる限りを備えるのみだ。「イヤーッ!」シンヤは重苦しい息を吐き出すと、回転ジャンプで飛び上がり、デント・カラテを再び構えた。「イヤーッ!」もう一度、緩やかな風の渦が生まれた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

バウンサーとヨージンボーは似ているようで微妙に異なる。前者を警備員とするなら、後者は警察官に近しいものだ。トミモト・ストリート浮浪者キャンプのヨージンボーを現在の役割とするシンヤの活動もまた、警察官のそれと似通っている。

 

キャンプ外では、ヨタモノが現れかねない危険地域のパトロール、空き缶拾いに精を出すあまり注意散漫となった浮浪者への呼びかけ、通報を受けての急行とカラテ現場対応等々。キャンプ内では、争いごとの仲裁、侵入バイオ生物の駆除、落とし物の預かり、日誌作成etc.と実に多忙だ。

 

そして今日もシンヤは浮浪者が迷い込まないよう、ついさっきまで危険地域をパトロールしていた。そして現在は全く別の仕事に従事している。「カチカチ! カチカチ!」「キルメル! キルメル!」「アイェェェ……」背後で力ない悲鳴を上げる浮浪者の保護と、目の前のヨタモノ2集団へのカラテ対応だ。

 

トミモト・ストリートのヨタモノ最大勢力は『ヒョットコ・クラン』だが、それ以外にも中小規模のヨタモノ集団は多数存在している。例えば目の前で重合金製の歯を打ち鳴らすシシマイ姿の『オシシ・クラン』や、その隣で甲高く男性殺戮を叫ぶオカメ・オメーンの『オカメ・クラン』がその一例だ。

 

げんなり顔のシンヤがこれに関わる羽目になった理由は簡単だ。浮浪者の悲鳴を聞きつけ特徴のない薬中ヨタモノを処理したら、その音を聞きつけたオシシ・クランとオカメ・クランが登場。不倶戴天の敵と獲物2匹を見つけた両グループは威嚇とパフォーマンスを開始し、不安定な拮抗状態が完成したのだ。

 

「「「カッチカチカチ! カッチカチカチ!」」」「「「キル! マン! キル! マン!」」」LAN直結サイバーオタクダンスめいた非人間的同期8の字運動で、統一感アッピールする十数体のオシシ群隊。一方、同数のオカメ集団はアフリカ部族民めいてリズミカルに地面を踏みならしスローガンを歌い上げる。

 

路地裏の空き地で繰り広げられるカルティスト・ヨタモノ集団の狂った競演に、一般市民なら泣きながらブッダに救いを求めるしかないだろう。事実、背後の浮浪者は恐怖で涙をこぼしながら、ひたすらネンブツチャントを繰り返している。しかし、シンヤは泣きもしなければ救いも乞わない。

 

ただひたすらに面倒ごとに絡まれたと嫌気を顔に浮かべるだけだ。何せシンヤはニンジャ『ブラックスミス』だ。ネズミには狂った猫は恐ろしいが、ドラゴンには邪魔以外の感想はない。その態度が気にくわなかったのか、ヨタモノ2集団は不遜な獲物めがけて実力行使に動いた。

 

「ガチガチ! ガチガチ!」高速クルミ割り器めいた開閉動作と共に、市松模様のシシマイが頭部めがけて襲いかかる! 「イヤーッ!」「ピグワーッ!」半月めいた円弧を描くケリアゲ・キックで市松シシマイ頭部粉砕! 悲鳴と故障音の間の子をオイルと共に漏らしながら、市松シシマイは空中回転した。

 

「キルマン! キルマン!」続いてバイオタラバーカニめいた開閉動作と共に、高枝切り鋏を構えるオカメが下半身めがけて襲いかかる! 「イヤーッ!」「ンアーッ!」稲妻めいた直線を描く前方ケリ・キックで高枝切りオカメ下半身粉砕! 甲高い悲鳴を上げながら、高枝切りオカメは壁まで吹き飛んだ。

 

矢継ぎ早に二体のヨタモノを処理したシンヤを危険視したのか、ヨタモノ2集団は距離をとり再びパフォーマンス合戦に移る。「「「カチカッチン! カチカッチン!」」」「「「キルボーイ! キルボーイ!」」」何らかの違和感を感じ取ったのか、シンヤはデント・カラテを構え警戒を強める。

 

するとヨタモノ2集団が半分ずつに割れた。「「「カッカカ! カッカカ!」」」「「「キルガイ! キルガイ!」」」割れた集団からモーゼめいて姿を現すのは、異形のオシシと異様のオカメだ。片やジゴク絵図を背負う三首のケルベロス・シシマイ。片や鋼鉄ゴリラの下半身を少女のそれと置換した重サイバネ・オカメ。

 

恐らくはヨタモノ2集団の頭なのだろう。姿を見せた途端、それぞれのパフォーマンスが勢いを増した。ケルベロス・シシマイは三首を使った火噴き芸で火力を見せつけ、重サイバネ・オカメはオメーンより大きな拳でノダチ・ケンを振り回す。ミセモノ・サーカスならば恐怖の声とオヒネリが飛び交うだろう。

 

今や路地裏の空き地は薬物中毒回復者が即座にフラッシュバックする程の狂気に満ちている。しかしヨタモノ・フリークスショー唯一の観客であるシンヤは、構えを解いて面倒そうに眺めるだけだ。背後の浮浪者はとうの昔に泡を吹いて気を失っているというのに。

 

薬物中毒者の脳内を映し出したが如き狂えるアトモスフィアの最中、ただ一人シンヤだけが正気という異質の空気を纏っている。ホラー映画に突如出現したカンフーヒーローめいた不純物コンタミネーションを、恐怖の作り手が許せるはずもない。遂にヨタモノヘッド二体はシンヤへと襲いかかった!

 

「カカカカカカカカ!」業務用クルミ割り器めいた高速開閉動作と共に、ケルベロス・シシマイが頭部・腹部・股間の三点めがけて噛み千切りにかかる!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ピグワーッ! ピグワーッ! ピグワーッ!」パンチ・パンチ・キック! 三連コンボでケルベロス頭部が一つ首に!

 

「キルキルキルキル!」バイオゴリラめいたナックルウォーク疾走と共に、重サイバネ・オカメがサシミに変えるべく胴体めがけてノダチ・ケンを振るう! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ンアーッ! ンアーッ! ンアーッ!」フック・フック・ストレート! 三連コンボで重サイバネ両腕がスクラップに!

 

数瞬のカラテで二体のサイバネ怪物は機能停止寸前に追い込まれた。「カッカ!」「キル!」だが、双方とも全く諦めていない。一首ケルベロス・シシマイが口を開くと、原色の火種が燃え上がる。さらに無腕サイバネ・オカメが上半身を反らすと、両胸からせり出した重金属の丸鋸が唸りを上げる。

 

しかも偶然にも二体はクロスファイアの立ち位置にいる。これはミヤモト・マサシ詠んだコトワザ『前門のタイガー、後門のバッファロー』そのものではないか! 「カカカカァーッ!」「キルユーッ!」恐ろしいシャウトと共に前方からケミカル火炎放射が、後方から重合金バズソーが放たれた!

 

このままでは浮浪者共々、焼き上げられて切り裂かれステーキに最適な調理をされてしまう! 「イヤーッ!」だが、シンヤに一切の焦りはない。瞬時に気を失った浮浪者を打ち上げロケットめいて投げ上げる。「え……アィェェェ!?」浮浪者はその拍子に意識を取り戻し、空中で再び泡を吹いて失神した。

 

更にシンヤは人間蜘蛛めいて屈み込み、火炎とバズソーの十字砲火を回避する。極彩色の炎と暗い虹色の丸鋸が頭上を通り抜ける。だが攻撃は終わってない! 「カァーッ!」「キールッ!」ケルベロス・シシマイは口腔角度を、サイバネ・オカメは胸部角度を調整して、次弾をシンヤへと命中させんとする。

 

「イヤーッ!」しかしその動きよりシンヤは遙かに速かった。シシマイの頸部とオカメの肩部に一本ずつ黒錆色のテープが絡みつく。これはシンヤ、すなわちブラックスミスのユニーク・ジツである『タタラ・ジツ』で生成したロクシャクベルトだ! しかも先端のスリケン錘で強固に固定されている!

 

「イヤーッ!」そしてニンジャ腕力でロクシャクベルトが引っ張られる! そうなれば、その先にある二体も引っ張られバランスを崩す。シンヤのニンジャ器用さにより、崩れる角度は狙い通りに調整されている。「「!?」」それは互いが正対する角度、すなわち双方の攻撃が直撃する角度である!

 

「ピガバーッ!?」ケルベロス・シシマイが重合金バズソーでブツギリに! ナイスカッティング! 「アババーッ!?」サイバネ・オカメがケミカル火炎でテリヤキに! グッドロースト! 「「「アイェェェ!」」」怪物ヘッドがステーキ調理される姿にカルティスト・ヨタモノ2集団も恐慌状態に陥った。

 

バイオゴキブリめいてブザマに逃げまどうヨタモノ達を眺めながら、シンヤはようやく面倒事が去ったと大きく息を吐いた。声もなく気を失ったまま落ちてくる浮浪者を軽く受け止めると、丁寧に壁にもたれさせる。そして浮浪者を起こすべきか考えながらシンヤは空き地の出口に目をやった。

 

だが、次の瞬間! 「イヤーッ!」突然のシャウトと共に回転ジャンプ! その姿は一瞬の間に黒錆色の繊維に覆われ、ニンジャそのものの姿へと転じている。ブラックスミスは空き地の出口へと油断なくデント・カラテを構える。全身には先ほどとは比べものにならない緊張とカラテが張りつめている。

 

「誰だっ!?」赤錆めいたメンポの下から、焦燥と警戒を帯びた声が放たれる。見つめる先の出口には暗闇があるだけだ。余人には虚空に向けて怯え竦む被害妄想狂にしか見えない。だがニンジャであるブラックスミスには、回転ジャンプの一瞬前に出口から静かにこちらを見つめる人影が見えていた。

 

薄曇りの昼光に照らされる赤を帯びた影が、ビルの谷間の陰に隠れて黒く染まった影が。赤と黒、その色から想像する者は一人しかいない。「赤黒の殺戮者」「ネオサイタマの死神」「ニンジャ殺す者」「twitter小説『ニンジャスレイヤー』主人公」……すなわち、ニンジャスレイヤーその人である!

 

(((ニンジャスレイヤー=サン、ナンデ!? 偶然か!? 状況判断か!?)))トレーニングを欠かした事のないデント・カラテは、恐怖し困惑する思考より速く構えを形作りカラテ迎撃の体勢を整える。だが、影はブラックスミスが回転ジャンプで着地した瞬間には既に姿を消していた。

 

最早、出口には人影はない。ニンジャ感覚にも壁にもたれる気絶浮浪者以外に触れる者はない。だがブラックスミスはカラテ警戒を解かずジリジリとスリアシで出口へと近づく。『原作』という名をした運命の女神に、脊髄を氷の手で撫で回された気分だ。冷たい汗が頬を伝う。

 

もし、想像通りに相手がニンジャスレイヤーならば、どれだけ警戒しても十分ということはない。何故ならば、ブラックスミスが恐れ逃げ回るソウカイヤを滅ぼし、『ベイン・オブ・ソウカイヤ(ソウカイヤ殺し)』と呼ばれるのが彼なのだ。そして彼は一切の悪しきニンジャを許さない。

 

ブラックスミスはニンジャとしてはかなり控えめで邪悪でない方だと自負している。だが、誰を殺し誰を生かすかはニンジャスレイヤーが決める。『原作』を通じてそれを知るブラックスミスには、先ほどまで害虫防除めいてヨタモノを処理していた自分が殺忍対象にされないとは到底思えなかった。

 

空転する思考と共に、ブラックスミスはミミズが這うような速度で入り口へと近づく。「イヤーッ!」唐突な回転ジャンプ! ブラックスミスは先ほどの影の位置めがけて、カカト落としでアンブッシュを仕掛けたのだ! 「イヤーッ!」カカト落としは空を切った。空気を裂く鞭めいた破裂音が路地裏に響く。

 

「イヤーッ!」ブラックスミスは再びの回転ジャンプで反撃のアンブッシュを回避する。だが、反撃はない。全方位に向けてニンジャ感覚を研ぎ澄ませる。だが、反応もない。「見間違い、だったのか?」最も高い可能性を口にして見るも、ブラックスミス自身全くそうは思えなかった。

 

事実、全身には破裂寸前のカラテが張りつめ続けている。警戒を解く様子もない。殺意を帯びたカラテを全方位に向けている。空気が歪む程のニンジャ圧力を浴びせられ、路地裏はノイズキャンセリングめいた不自然な静寂に塗りつぶされる。

 

それを破ったのは後ろからの叫び声だった。「アイェェェ!」不意に目を覚ました浮浪者が、ブラックスミスを直視してNRSで再度気絶したのだ。哀れな浮浪者は本日三度目の意識喪失である。しかも最後は本気のニンジャ圧力が直撃してのNRS失神だ。

 

急ぎロン先生に診せないと後遺症が残るかもしれない。「ヤッベ!」シンヤは年相応の台詞をこぼしながら、ニンジャ装束を脱ぎ捨て浮浪者へと急ぎ駆け寄る。脱ぎ捨てたニンジャ装束は、黒錆色の繊維片となって路地裏の暗闇へと溶けた。

 

「ヤッベ! ヤッベ! どーしよ!? ロン先生テントにいるかな!?」周囲への警戒をしつつも、焦り顔で浮浪者を背負うシンヤ。浮浪者キャンプへ向けて急ぎ駆け出す、その背中を見つめる者はいない。今はいない。

 

【メイク・アリアドネズ・クルー】#1終わり。#2に続く


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