鉄火の銘   作:属物

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第一話【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1

 

「ハァーッ、ハァーッ」スイハンキ・ヘッドめいた角刈り短髪少年は、いつもの悪夢にニューロンをぶん殴られてフートンから跳ね起きた。心臓は早鐘めいて打ち、呼吸はモーターポンプめいて激しい。全身から冷たい汗が溢れるが、腹の底は煮えたぎるマグマ同様だ。

 

「ブッダム!」口の中で毒づくとフートンをはね飛ばし、少年は跳ね起きた。そのままカラテトレーニング用のソフトカワラをひっ掴むと、ジューウェアも着ずに部屋を飛び出し階段を駆け上がる。

 

熱い。黒い熱が脳味噌を煮詰めている。コールタールめいて煮えたぎる暗黒なエネルギが、圧力をあげて噴出先を求めている。額の中央が真っ二つに割れてドリルめいて何かが突き出す幻痛を覚える。全感覚が少年を急かす。

 

蹴破る勢いで屋上のドアを開くと、片隅のコンクリートブロックをもどかしく並べ、焦る手つきでその上に合成ゴムのソフトカワラを横たえる。「イヤーッ!」ソフトカワラを置くと同時に少年のカワラ割りが叩きつけられた。

 

ソフトカワラはケミカル合成ゴムの弾力をもってそれに答える。ベーシックなカラテトレーニング用途だけあって簡単には割れないのだ。「ヌゥーッ!」割れなければ作用反作用の法則に従い、衝撃は少年の拳に帰る。手首と指関節に走る激痛は盲目的な怒りに燃料を注ぎ、次なるカワラ割りを加速させた。

 

「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」

 

ただひたすらにカワラ割りをソフトカワラにたたき込み、反作用の激痛に涙する。だが少年の手は止まらず激しく上下する。それは若き日のブッダめいた苦行のための苦行だ。

 

だが少年はそれをせずにはいられない。思春期のやり場のない熱情というには、あまりにもどす黒く粘性を帯びた暗黒なエネルギが胸の内で溢れている。このカワラ割りだけがそれを、唯一真っ当に昇華するものだからだ。

 

「イヤーッ!」BREAAK! レインドロップ・ワッシュストーン。石の上で三年。コトワザにもあるように例え見た目に変化はなくとも、繰り返した行動は確かに表れる。繰り返される打撃に耐えきれず、鈍い音と共にソフトカワラが引きちぎれた。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」ドージョーのセンセイならば彼の努力を誉め称えると同時に休ませただろう。しかし少年は荒い呼吸と共に二枚目のソフトカワラを用意すると、続けてのカワラ割りトレーニング……否、カワラ割り苦行を始めるのであった。

 

「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……

 

どれだけの時間が過ぎただろうか。二枚目のソフトカワラがひしゃげ、限界を訴えたころ、ようやく少年は自分の内で煮えたぎる暗黒なエネルギが消え失せたことに気がついた。

 

途端に全身が鉛めいた疲労感を思い出す。体が求めるままに屋上のコンクリ床に大の字になって横たわる。コンクリ床が少年の体温を奪うが、カワラ割り苦行で火照った体には心地よい。

 

仰向けの視界にはネオン光に照り返る薄曇りの夜空が広がる。今夜は随分と天気がいいらしく重金属雲の向こうに白けた月が透けて見える。今更ながら少年は自分の幸運に感謝した。もし重金属酸性雨が降っていれば、明日は病院へ向かわなければならなかっただろう。当然保険は利かない。

 

そもそもカワラ割り苦行なんてやらなければいいという声もあるだろうが、少年にとってそれはナンセンスな話だ。確かに以前は暗黒なエネルギの解放圧力に耐えようと努力していた。

 

だが、少年はブッダのように無限の精神耐久力を持ってはいなかった。爆ぜた暗黒なエネルギは結果的に少年をムラハチめいた無視へと追い込んだ。何らかの形で暗黒なエネルギを吐き出す方法が必要だった。

 

そしてネオンに輝く歓楽街やUNIXの向こうに広がるIRCの沃野は若いエネルギを求めている。若さと情熱と時間を持て余した少年少女たちは吸い込まれるようにその中へと身を投じていく。

 

しかし、少年はその年齢にしては異常なほどオイランやドラッグ、IRCに警戒心を抱いていた。それらへ暗黒なエネルギを注いでしまえばどうなるか。それは自我科に通うサイコ患者たちが、あるいは大道を走り回る発狂マニアックが証明している。

 

それらの事実と『前』の知識から少年が唯一選べた回答がカラテだったのだ。こうして暗黒なエネルギが暴走めいて溢れ出す度に少年は屋上でのカワラ割り苦行にてこれを鎮めていた。

 

「フゥー、ハァー」呼吸も落ち着きゆっくりと身を起こす。屋上の入り口に目を向ければ、見覚えのある顔がずらりと縦に並んでいる。トモダチ園の子供達と世話役のキヨミだ。どうやら皆を起こしてしまったらしい。少年の顔が歪んだ。

 

「シンちゃん?」集団を代表してキヨミが声をかけた。少年こと、カナコ・シンヤは俯いた顔で謝罪した。「キヨ姉、うるさくしてゴメンナサイ」皆に迷惑をかけたという胸の痛みと同時に、繰り返しのカワラ割りの痛みが拳からこみ上げた。

 

「そーよそーよ」シンヤの謝罪に嵩に掛かって責め立てるのはシンヤに次いで年上のアキコだ。その後ろでタイコモチのウキチが首を縦に振ってゴマスリしている。「キヨ兄が謝罪してるんだからこれ以上……イテッ!」唯一反論を口にするのは反抗期のイーヒコだがアキコの裏拳で即座に黙った。

 

残りの子供達であるエミとオタロウは半分夢の中で、それぞれキヨミとウキチに負ぶわれている。シンヤのシャウトで起こされて、さんざん泣きわめいた後、置いていかれることにも起きて歩くことにもワガママした結果こうなった。

 

これで後は園長であるコーゾが居れば、トモダチ園の全員が揃う。トモダチ園は零細孤児院だ。零細らしく経営はカツカツでいつも自転車操業気味。コーゾが先代から受け継いだローカルソバチェーンからの入金がなければ何時解散してもおかしくはない。

 

それでも何とか助け合いながら、トモダチ園の皆はこの大都会の片隅で奥ゆかしく毎日を生きている。ここにいられる幸運を感謝しなければならないだろう。胸の中でシンヤは呟く。(((でも誰に? ブッダ、神様、それとも?)))額の中央が疼いた。

 

「ちょっと、聞いてるの?」アキコの甲高い声が響く。「ゴメン」シンヤは軽く謝罪するが思春期の暴君はお気に召さない様子だ。それを制してキヨミが前に出る。「シンちゃん、手を出して」シンヤは大人しく従った。シンヤの拳から血が滴る。

 

シンヤにとっては抉れた拳の痛みより、それを見たキヨミの表情の方がずっと辛かった。消毒液、ガーゼ、包帯、テープ。キヨミの慣れた手つきで応急処置はすぐに完了した。だが、キヨミの悲しい顔にはシンヤは未だ慣れない。慣れたくもない。

 

「シンちゃん。お願いだから、自分を傷つけるような真似はヤメテ」「ゴメンナサイ」いつものやりとり。いつも守れない約束。お互いに解ってはいるがそれでも口にせずにはいられない。

 

KICK! シンヤのスネを蹴る衝撃が二人の世界を終了させた。無視されて続けて女王様はお冠だ。そうでなくとも子供達はいつものこれにいい加減飽き飽きしている。それでも見に来るのは家族の絆故だろうか。

 

家族。シンヤの脳裏に『過去』が映った。食卓を囲む日常の光景だ。くだらない冗談を呟く父に笑う母とあきれ顔の姉がいる。『シンヤである前』を呼ぶ声も聞こえる。アパートの窓に映る金色の満月でウサギが餅つきしている。十五夜だっただろうか? お団子を姉と一緒に……

 

KICK! 二度目の衝撃が回想を強制終了させた。無視されて続けて家族全員がお冠の様だ。「ゴメンナサイ」もう一度シンヤは頭を下げる。キヨミは諦めと悲しみを足した顔を、ほかの家族は諦めのみの表情をしている。シンヤは小さく重いため息を吐いた。ふと視界に月が入る。白い月はインガオホーと嘲う様だ。

 

(((何に?)))生まれたことか、生きていることか、それともここにいることか。歯ぎしりの音が頭蓋骨を通じて鼓膜に響いた。「クソッタレ」この世でシンヤしか知らないだろう悪態をこぼす。それを聞くドクロの月は嗤う。「生まれる前」のような、ウサギの餅つき姿はここでは見れない。

 

ここは日本であって日本ではない。ここはエンペラー無き日本の首都、悪徳と退廃の大都会ネオサイタマ。Twitter小説『ニンジャスレイヤー』のメインとなる舞台だ。そしてシンヤは現実世界からそこにたたき落とされた、前世持つ転生者であった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

DinーDon! 授業終了を知らせる鐘の音が教室に響いた。「今日はここまでです」「起立! オジギ! 着席!」学級委員長のアイサツと共にクラス全員が軍隊めいて集団動作する。マスゲームめいて全員の動きは一致している。礼儀作法とレンタイカンを心身に染み込ませる学校伝統の一つだ。

 

「今日何処行こうか?」「タラバーカニなんてどう?」それが終われば、年相応の騒がしさが教室を満たす。しかし鞄に教科書を詰めるシンヤの周囲だけは、押し殺したような静けさに包まれていた。騒音の代わりをするのは、檻の中で暴れるバイオパンダを見るような好奇と嫌悪の視線の群だ。

 

「まだいる」「コワイネー」「シッ、聞こえるよ」押し殺された空気の隙間から陰口が漏れる。シンヤが怒りを込めた視線を向ければ、陰口の元はマッポに睨まれた小市民めいて即座に視線を反らす。「あいつキモイ」「あれアブナイ」だが、シンヤの背後から再びの陰口だ。

 

ムラハチめいた無視とクロスファイアめいた四方からの陰口。これがシンヤの日常であった。(((囲んで棒で叩くコンジョすらないカスが!))))いっそイジメ・リンチを始めてくれた方が楽だ。それなら鍛え上げたカラテを正当防衛暴力として思う存分に振るえる。それはさぞかしタノシイだろう。

 

シンヤは怒りと苛立ちを込めて堅く拳を握り、そして胸のオマモリ・タリズマンに触れると深い息と共に緩めた。(((誰かを憎んだりしない。キヨ姉と約束したはずだ)))現状の原因である暴力事件の後、涙目のキヨミと傷だらけのシンヤは約束したのだ。

 

だが、だからといってシンヤの気分は晴れない。このまま教室にいても腹が立つだけだと、乱雑な手つきで鞄にテキストを詰め込む。不格好に膨らんだ鞄を無理矢理閉じると、ジューウェアと一緒に肩に掛けた。「オタッシャデー!」投げ捨てるようなアイサツと共に教室の扉をくぐる。

 

その背中に声が届いた。「あいつが暴力孤児院のヨタモノかぁ」声を聞いたシンヤが飛びかからなかったのは、単にスゴイ級に幸運だったからだ。肩のジューウェアが扉に引っかかり、一歩目の踏み込みを阻害したのだ。代わりに視線という形で、爆発的な殺意と敵意が蛇めいた両目から飛び出した。

 

「アイェェェ!?」恐ろしい視線にさらされた声の主は、ドラゴンに睨まれた村人めいて腰を抜かした。今にも噛み殺しに来そうなシンヤから、這いずるようにして距離をとる。「コワイ!」「やっぱり」余計なことを口走りかけたクラスメイトにも、慈悲のない視線が突き刺さる。「アイェェェ……」

 

「何が起きたのですか!?」「あいつが睨みつけてきたんです!」クラスメイトの悲鳴を聞きつけたのか、教師が姿を現した。すがりつくクラスメイトがシンヤを指さす。彼らにとって自分が何をしていたか、責任の所在は何処かなどどうでもいい。重要なのは自分が被害を被ったか否かだ。

 

「それはよくありません」「家族のワルクチを言われたからです!」(((憎まない! 傷つけない!)))シンヤは震える握り拳で胸を抑えながら、絞り出す声でに説明を試みる。

 

シンヤの脳がコールタールめいて煮えたぎる。燃え上がる怒りとわき上がる暗黒なエネルギを、自制力を総動員して押さえ込む。「それはよくありません。しかしアナタもよくありません、謝罪が必要です」「ハイ、ゴメンナサイ」額の中心が割れる幻痛を堪える。

 

「皆さんも謝罪が必要です」「「ゴメンナサイ」」何で自分がしなきゃならないのかと書かれた顔で、不承不承に謝罪するクラスメイト。それを血走った目で見るシンヤは、砕けかねないほど歯を噛みしめて、血が滴るほどに拳を握りしめる。

 

かつての暴力が脳裏をよぎる。(((こいつら全員を、あのヤンクどもみたいにできたなら!)))血塗れの拳。振るわれるバットとブラスナックル。怒声と罵声。泣き声と悲鳴。

 

かつてシンヤは持て余す暗黒なエネルギを、ひたすら堪えて抑えることで耐えていた。それは生徒間のツキアイに割ける余力すら削っての苦行だった。当然、それはシンヤのクラス内立場は最底辺のものとなり、イジメ・リンチの対象ともなった。

 

イジメ・リンチとはムラハチの過程で頻繁に行われるカジュアルな私的制裁行為である。大抵ムラハチの標的となった事実そのものを理由として、娯楽目的のために行われる。その実行者となるのは暴力行為に親しみのあるヤンクが主だ。

 

毎日のように校舎裏に呼び出され気軽な暴力を振るわれる中、ヤンクの一人が呟いた一言がシンヤのカンニンブクロを点火した。「こいつの孤児院に女いるんだけどさ、皆で前後しちゃわない?」他のヤンクが同意の声を上げるより早く、シンヤは躍り掛かっていた。

 

ヤンクにとってそれは二重の意味で驚きだった。イジメ・リンチの対象者は暴力に心折られ反抗の気力を持てない。だが、シンヤはカンニンブクロを爆発させた。しかも、シンヤはバットでフルスイングされても、ブラスナックルで頭部打撃されても、怯みも竦みもせずにヤンクに襲いかかった。

 

その時、シンヤは額からほとばしる暗黒なエネルギに酔いしれ溺れていた。圧倒的な暴力衝動に身を任せ、武器を振るうヤンクに殴りかかる。殴り返された痛みすら暴力の快感に吹き飛び、次なる暴力を引きずり出す。弱者をいたぶるだけのヤンク達を、泣きわめくまで繰り返し殴りつける。

 

苛立たしい敵を思うがままに踏みにじる、何とタノシイ! 腹立たしい相手を望むがままに殴り倒す、何とキモチイイ! ALAS! 暴力の悦びよ! ALAS! 遙かにいい! 心折れすすり泣くヤンクをマウントで繰り返し殴りながら、シンヤは下着の中に達していた。

 

その快感は学校からマッポに連れ出されても、留置所の中で面会を待つ間も全身を浸していた。だが、ガラス越しに泣き顔のキヨミと暗い顔のコーゾを目にした瞬間、シンヤから全ての快楽が吹き飛んだ。

 

幸運なことにシンヤが犯罪者となることはなかった。武器を持っていたのはヤンクで、ヤンクの数が圧倒的に多く、ヤンクもシンヤもマケグミ。何よりコーゾが貯金を崩してツケ・トドケをマッポに手渡したのが大きかった。

 

その夜、シンヤはキヨミと約束をした。『誰かを憎まない、傷つけない』二枚の起請文に互いのハンコを押し、互いのオマモリ・タリズマンに納めた。それから、コーゾのコネを頼って現在通っているドージョーへとたどり着き、カラテトレーニングによる暗黒なエネルギの昇華を行うようになった。

 

だが、キヨミとの約束で暴力を抑え、カラテトレーニングで昇華してなお、暗黒なエネルギはシンヤの奥底で爆発の瞬間を待っている。シンヤもまた心の何処かでそれを望んでいた。あの日の悦びはそれほどまでに強烈だった。

 

それ故に、不服そうな顔で陰口を謝罪するクラスメイトを相手に、シンヤは歯を食いしばって感情を抑えつけなければならなかった。「ハァーッ、ハァーッ」弾けそうな暴力衝動を深呼吸を繰り返し無理矢理鎮める。

 

「ダイジョブですか?」「ダイジョブです!」異様なアトモスフィアに気づいた教師がシンヤに声をかける。だが、シンヤはそれを制すると足早にそのまま教室を後にした。(((ファック! ファック! ブッダミット!)))繰り返し胸の内で悪態をこぼしながら。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「オジャマシマス!」「「「イヤーッ!」」」一礼と共に共に扉を開くと、キアイの乗ったシャウトがシンヤの耳朶を叩いた。途端に全身に満ちていた無意識の緊張がゆるむ。学校での一件はシンヤの精神に無視できないストレスを与えていた。

 

しかしドージョーでのカラテトレーニングはそのストレスの特効薬だ。「オジャマシマス!」シンヤは他の門下生にアイサツする。しかし門下生は眉をしかめて一瞥するのみ。これはカナリ・シツレイだ! 

 

(((こいつらを殴りつけて、マウントとって殴りつけたなら)))学校の一件が冷めやらぬシンヤの胸の内に、ドブめいた感情がわき上がる。額の中心が痛む。だがシンヤはオマモリ・タリズマンに触れ感情を抑えた。。それにこのドージョーは自分を受け入れてくれた場所だ。失いがたい。

 

「ドーゾ、シンヤ=サン!」何より自分にしっかり答えてくれる人がここにはいる。元気な声と快活な笑顔、そして確かなアイサツがシンヤに向けられた。シンヤ唯一の友人であり、ドージョー一番の門下生でもあるヒノだ。全身から心身の健康と育ちの良さがあふれ出ている。

 

「調子良さそうだな、カワラマン」「おう、元気一杯だぜ」ヒノはからかうようにシンヤをカワラ割り由来のあだ名で呼ぶ。実はシンヤはカワラ割り苦行と学校での一件であまり元気よくない。だからヒノはあえて逆の言葉でシンヤをからかった。元気を出してほしいからだ。

 

それを敏感に察したシンヤも歯を剥いて笑う。友人に心配をかけたくないからだ。互いの奥ゆかしいユウジョウである。「ドーモ、シンヤ=サン」不意にシンヤへアイサツが投げかけられた。視線を向ければサラリマンめいたアトモスフィアのメガネ男。彼はドージョーのヤングセンセイだ。

 

「オジャマシマス!」即座にシンヤはアイサツした。センセイに先にアイサツさせるのはスコシ・シツレイだ。できる限り目下の門下生がアイサツをすべきである。シンヤはドージョーのユウジョウに浮かれた自分を恥じた。

 

そんなシンヤを一瞬睨みつけると、ヤングセンセイはヒノに強く声をかけた。「ガンバレ!」「アリガトゴザイマス!」ドージョー一番のカラテ選手であるヒノはヤングセンセイのお気に入りだ。幾つものトロフィーと新たな門下生をドージョーにもたらしている。

 

一方のシンヤは他の門下生のみならず、ヤングセンセイから好かれていない。大会に出場したこともないし、シンヤも出る気はなかった。他の門下生のように大会での好成績と内申点の大幅プラスを狙っていない。シンヤはあくまでドージョーでのカラテトレーニングを求めている。

 

そんな態度がシンヤとヤングセンセイとの不仲につながっているのだろうか。いや、それ以上に大きな要因がある。「ドーモ、皆さん」「「「オジャマシマス!」」」ヤングセンセイの後から姿を見せた、小柄なボンズヘッドの老人であるオールドセンセイこそがそれだ。

 

ドージョーで教えるデント・カラテをショースポーツとして発展させ、ドージョーの拡大を狙うヤングセンセイ。対して殺人技術としてのデント・カラテを代々伝えてきたオールドセンセイ。ヤングセンセイに経営を譲った以上、オールドセンセイの口出しはないが、二人の不仲はドージョーでも有名だ。

 

そのオールドセンセイからシンヤはカワイガリを受けていた。ただ一人、シンヤだけがツケ・トドケでショートカットせず、一年間のカワラ割りをやり通したからだ。大会やパフォーマンスよりもストイックなカラテトレーニングを求める姿勢も、オールドセンセイの目に好意的に映った。

 

オールドセンセイが気に入れば、その分ヤングセンセイは気に入らない。また、お気に入りであるヒノがオールドセンセイをリスペクトしているのも、ヤングセンセイには気にくわない。殺人カラテではドージョーに未来はない。そう信じるだけにシンヤの存在はカンに障った。

 

そんな内心の不満を押し隠した営業サラリマンめいた顔で、門下生に向けてヤングセンセイが告げた。「みなさん、本日はオールドセンセイがケイコをつけてくれます」「「「アリガトゴザイマス!」」」ケイコ前の訓辞を終えてマスゲームめいて整列した門下生は、正座のまま一斉にオジギした。

 

その前に立つ優しげな表情のオールドセンセイがオジギを返した。「ではケイコを始めます。まずはカワラ割りパンチ百本から」「「「オネガイシマス!」」」次の瞬間、オールドセンセイの顔がオニめいた凶相へと姿を変えた。

 

「カマエッ!」「「「ハイッ!」」」かつて重サイバネヤクザアサシン複数人を素手でカラテ殺し、カラテオニとすら呼ばれたデント・カラテの化身がそこにいた。門下生全員の心身が引き締まる。全員が立て膝をつき拳を引き上げた。

 

「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!……

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「安い、安い、実際安い」頭上を通り過ぎるマグロツェペリンが合成マイコ音声に乗せて、ドンプリ・ポン社の広告を歌う。帰宅途中のシンヤは重金属雲に浮かぶ飛行船に一瞬だけ目をやった。巨大蛍光ディスプレイでは、昨年末のマルノウチスゴイタカイビルでの事件をコメンテーターが語っている。

 

(((ウルサイなぁ。ムカツクなぁ)))いつもなら気にもとめない欺瞞広告もニューロンに引っかかる。学校の一件が後を引いているのが自分でもわかった。オールドセンセイのケイコで全身が鉛かと錯覚するほどに疲れてなお、シンヤのカンニンブクロは熱いままだ。(((今日はタンキになっているんだ)))

 

ハンセイしなくてはならない。暴言を吐いたクラスメイトに、暴力を振るわずに済んだのは単なる幸運だった。「スゥー、ハァー」シンヤは深く息を吸って吐いた。肺一杯にネオンのイオン臭と排水溝の腐敗臭が広がる。イヤな臭いだ。気分が悪くなる。

 

「オーゥ!」「ハーッハハハ!」唐突に嬌声がシンヤの耳に飛び込む。声の元は自動販売機でたむろするドカタ労働者だ。足下には何本もバリキドリンクの瓶が転がっている。少なくともカタログ上では合法の、興奮成分入りバリキドリンクは、複数本をイッキすることで手軽にトリップできる。

 

サケよりも安価で強力なバリキトリップは下層労働者の日々の楽しみだ。たとえそれが数年後には、アビ・インフェルノめいたバリキ中毒という形で、高価な代償を取り立てられるとしても。そうでもしなければネオサイタマの過酷な暗黒労働に耐えることはできない。

 

(((ああなりたくない。けど、ああならないと言い切れるのか?)))ネオサイタマの暗黒労働環境においてマケグミのカロウシは珍しくない。シンヤはセンタ試験の勉強を欠かしていないが、ショウガク・ローンは射程外だ。それにカチグミとて将来安泰からほど遠いことは前世由来の知識で知っている。

 

暗い未来にシンヤは稚気じみた夢を思い浮かべた。(((もしもニンジャになれたなら)))ニンポを使いこなすカトゥーンヒーローになりたい。10を越えたなら子供でも笑うだろう。シンヤは前世の知恵でニンジャが夢物語でないと知っていたが、なれるかどうかは偶然だとも知っていた。

 

それになったとしても本当のニンジャはカトゥーンヒーローからあまりにもほど遠い邪悪な半神存在だ。暗黒なエネルギに振り回されるシンヤが、ニンジャ性をコントロールできるのか。まだ、マグロが空を飛び回る方が現実味があるだろう。

 

(((下らない夢を見るのはやめて、現実に足を付けるべきだ)))だが、シンヤの脳裏には不可能な『もしも』がソーダポップめいて次々に浮かんでは消えていく。もしも、カチグミ企業に入れたなら。もしもロト・クジが当たったなら。もしも……もしも『過去』に戻れたなら。

 

不意にシンヤのニューロンに映し出されたのは、抜けるような快晴の青空と天をつく入道雲。焼け付く8月の日差しが水面に照り返し、蝉時雨が河川敷を包み込む。振り返れば炭に火を点けようと悪戦苦闘する父に、野菜を切りながら呆れ顔でそれを眺める母と、■■手伝いなさいと声を張り上げる姉の姿。

 

(((帰りたい)))心臓が潰れたと錯覚するほどの郷愁に、シンヤは胸を押さえて軒下に転がり込んだ。家路を探して歩き疲れた迷子めいてうずくまり、痛みと等しいノスタルジアが過ぎ去るのを只待つ。堅く閉じたまぶたの裏には、二度と会えない家族の笑顔が映り、まぶたの隙間から漏れた涙が頬を伝った。

 

どれだけ経っただろうか。気づけば頭上のマグロツェペリンはビルの影に姿を消していた。シンヤは頬の滴を拳で拭い、重いアトモスフィアを深いため息と共に吐き出すと、猥雑なネオンの海に背を向ける。泥めいて重い足を引きずりながら、シンヤは家路を急いだ。

 

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1終わり。#2に続く


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