鉄火の銘   作:属物

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第二部【物語る糸は絡み合う】
序章【ハーベスト・ニューカマー】


【ハーベスト・ニューカマー】

 

眠りを忘れた背徳の大都会ネオサイタマ。だが、PM8のトミモト・ストリートは死を思わせる静寂に包まれていた。旧シナガワ繁華街のように街そのものが死んだわけではない。シャッターの降りた店々の上階を見れば、分厚い遮光カーテンの隙間から僅かに漏れる生活の明かりが見て取れる。

 

戦時下の灯火管制めいた光景の原因は、一人空き缶を探して歩く浮浪者の背後から近づいてきていた。風邪に捕まったせいで僅かな蓄えを失い、本来は出歩かない落日後の時間帯まで空き缶拾いを続ける初老の浮浪者。だがリスクを覚悟しての行いは、リターンに見合わない多大な危機を呼び込んだ。

 

浮浪者の背後に迫る二つの影が街灯に照らされ露わとなる。片方は錆びて曲がった金属バットを握り、もう一方は両手で粗悪手製火炎放射器を弄ぶ。そしてその両方が伝統的オマツリ衣装であるはずの、ヒョットコ・オメーンを被っていた。

 

伝統と歴史を汚すこのヨタモノこそ、トミモト・ストリートの夜に沈黙を強いた残虐集団『ヒョットコ・クラン』なのだ。ヒョットコは過酷なセンタ試験の圧力に押し潰されたドロップアウト受験生からなるヨタモノだ。人生のレールから外れた彼らは、未来無き現状を誤魔化すように無軌道暴力へとひた走る。

 

そんなヒョットコの最新モードは、浮浪者ハンティングである。ヒョットコの時間に出歩く不用意な浮浪者を狩り殺し、シューティングゲームめいてキルカウントを競い合うのだ。最近は浮浪者も学んだのか、危険な時間帯は安全な遠方に移動するか、余裕があるなら二四時間マンガ喫茶で夜を過ごしている。

 

ヒョットコを率いるキングは、無料炊き出しの噂を餌にする新しい手法を考えているという。偏差値の高い作戦だとヒョットコ達はキングを賞賛しているが、噂を流し始めてから浮浪者不足が解消されるまで暫くかかる。今日はヒョットコにとって幸運なことに、警戒の足りない浮浪者が発見された。

 

「ヒッヒッヒッ」下卑た笑いと共に金属バットヒョットコは武器を素振りする。素振り音で気づかせて浮浪者の驚愕と恐怖を楽しむ予定だ。だが、空き缶探しに極度集中する浮浪者は危険行為の自覚が逆に視界を狭めているのか、素振り音に反応する様子はない。

 

「クックックッ」相方と浮浪者の両方への嘲笑をこぼしながら、火炎放射器ヒョットコは武器をポンピングする。可燃性廃液を利用した粗悪手製火炎放射器は、お値段手頃で効果抜群の偏差値の高い武装である。先端部に取り付けられた種火代わりの使い捨てライターに着火して、これで準備は完了。

 

後は浮浪者をケミカル火炎でバーベキューにするだけ。だが恐怖を楽しむのが高偏差値ヒョットコの嗜みだ。あえて直撃しない角度に狙いを定め、火炎放射器ヒョットコは武器のトリガーを引いた。「アイェッ!?」浮浪者は腰を屈めた頭上を通る極彩色の火炎に驚愕し、転がる様に逃げ出そうとする。

 

「ヒッヒッヒ!」だが、金属バットが浮浪者の移動経路に振り下ろされた。下手人の金属バットヒョットコはオメーンの奥から暴力の快楽にゆがんだ視線を投げかける。「アイェェェ!」逃げ場を失った浮浪者は腰を抜かして後ずさる。その背中が閉じたシャッターにぶつかった。

 

夜間シャッター街の上には、生活の明かりが漏れる窓が見て取れる。誰かが居ることは間違いない。浮浪者は喉よ嗄れよと助けを叫んだ。「タスケテ! 誰か!」だが応える者はいない。岩場の隙間に隠れる小動物めいて、シャッターの降りた商店街の誰もが耳をふさいで夜が過ぎるのを待っている。

 

ましてや無関係の浮浪者のためにシャッターを上げる男気の持ち主などいない。助けはこない、死ぬしかない。「アイェェェ……」絶望の声が口から漏れ出た。「ヒィーッヒッヒッヒッ!」「クゥーックックックッ!」獲物の絶望の様に一層の興奮を覚えたヒョットコ達は、下品な笑いの不協和音を奏でる。

 

アワレな標的に止めを刺すべく、金属バットヒョットコが武器を振りかざした。幾人もの浮浪者の血をすって錆び曲がった金属バット。これで本日も頭蓋骨と魂をアノヨまでホームランするのだ。さあメインディッシュ!「イヤーッ!……あれぇ?」だが、フルスイングしたのに浮浪者は無事なままだった。

 

手元を見直してみれば、握っていたはずの武器は何処にもない。「おかしいぞ?」消えた武器をヒョットコは不思議がる。テキストにもない事態だ。「ドーゾ」「ドーモ」その目の前に金属バットの握りがアイサツと共に突き出された。反射的にアイサツとお礼を返し、ヒョットコは武器を握ろうとする。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」握る寸前に金属バットがシャウトと共に突き立てられた。金属バットの握りにヒョットコオメーンごと顔面を砕かれる。元金属バットヒョットコは、受験ドロップアウト、ヒョットコクラン加入に続く人生のスリーアウトを捕られ、アノヨのベンチ席へとたたき込まれた。

 

「テストに出ないぞ!?」自身の偏差値を遙かに超える現状に混乱した火炎放射器ヒョットコは、ヒョットコ特有の戯れ言を思わず漏らす。それでも相方を現世からドロップアウトさせた下手人をローストすべく武器を向けトリガーを引こうとする。しかし、下手人のカラテはそれよりも遙かに速かった。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」引き金を引く寸前に拳がシャウトと共に振り抜かれた。裏拳に火炎放射器を握る両腕を砕かれる。火炎放射器は宙を舞い、火炎放射器ヒョットコの体に衝突。その拍子に粗悪手製火炎放射器は空中分解し、可燃性廃液がまき散らされた。なんたる粗製か! 作成者の偏差値は低い!

 

強毒性で反応性の高い可燃性廃液を全身で浴びて、火炎放射器ヒョットコがのたうち回る。更に種火代わりの使い捨てライターが廃液に引火し、ヒョットコ・オメーンの伝承通りに燃え上がる!「アツイ! イタイ! ママーッ!」濃縮バリキのオーバードーズをかき消すほどの苦しみに絶叫するヒョットコ。

 

受験を強いられる余り焼き殺した母親に向けて、火だるまヒョットコは助けを求める。だが、今の彼を助ける人間はいない。相棒はアノヨで、浮浪者は助ける手段も理由も持たない。そして下手人は醒めた目でミノ・ダンスめいたロースト・ヒョットコを眺めるだけ。

 

それでも一抹の情けは存在したのか、下手人は生き地獄のブレイクダンスを続けるヒョットコへ近づくとカイシャクを加えた。「イヤーッ!」「グワーッ!」慈悲の踏みつけで頭蓋骨粉砕され、ようやくヒョットコは生き地獄から解き放たれた。尤も、行いを鑑みれば行き先はジゴクと決まっているが。

 

「アイェェェ……アリガトゴザイマス」情け容赦ないカラテに恐れを覚えつつも、浮浪者は下手人へ救いの礼を返した。礼ついでに浮浪者は改めて下手人の姿を眺める。小柄な体格を耐酸PVCコートで包み、静電場防御帽子を深く被っている。顔立ちは帽子の影の中で胡乱気な輪郭しか見えない。

 

意図的に特徴を消した姿は、ネオサイタマの雑踏では背景の一つに容易くとけ込むだろう。だが、そのカラテは武装ヨタモノを容易く殺せるワザマエだった。流しのカラテマンか、それともヨタモノ専門の通り魔か。

 

恐怖と疑問を覚える浮浪者にオジギを返し、下手人は浮浪者へと警告する。「ドーモ、私はヨージンボーですのでお気になさらず。この時間帯は連中が多いですよ。流石にアブナイ」その声は驚くほど若くそれでいて丁寧。声音は変声期を過ぎたティーンエイジャーのそれだ。

 

「ハイ、判っていました。でも蓄えが厳しくて……」受けた教育の質を感じさせる礼儀、先ほど見せたカラテのワザマエとヨージンボーの自称、そして声から感じる若さ。チグハグな組み合わせに返答をしつつも首をひねる浮浪者。その姿にヨージンボーはなにやら誤解したのか、誘いの声をかける。

 

「もし行き先がないなら、キャンプに来ませんか? 炊き出しもありますよ」炊き出しの単語に浮浪者が反応するより速く、胃袋が要求の声を上げた。思わず顔を伏せて恥じいる浮浪者へ、ヨージンボーは優しげに手を差し出した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーゾ、こっちです」「ドーモ、アリガト」二人は迷路めいて複雑な路地裏を抜け、行き止まりの片隅に隠れたマンホールを降りる。さらに汚水インフラの作業通路をしばらく歩くと、そこに『お先です』と手書きの文字が書き込まれた場違いな扉があった。

 

扉の隙間からは、周囲のアンモニア臭とは異なる香りが漂っている。ゴミと戯れる生活で半ば麻痺した浮浪者の鼻にも、香ばしいショーユの香りが感じ取れた。軋む扉を開くとその香りは一層強まった。加えてサケ、ミリン、オダシ、そして茹で揚がったソバと、唾の沸き立つ種々の臭いが二人を包み込む。

 

「これは……」「ここがキャンプです。村長に紹介しますよ」高台からの光景に声を失う浮浪者。元はコケシマートの巨大倉庫かそれとも雨水流量調整池か。パルテノンめいて無数の巨柱が並び立つコンクリートの広大な空間を、街灯めいて行儀良く並べられた電気ボンボリがオレンジの光で照らしている。

 

電気ボンボリの整列する通りを挟んで、段ボールハウスや継ぎ接ぎテントの住宅が土嚢に囲われてブロックごとに整然と並ぶ。浮浪者キャンプと言う単語からは想像もできない、被災者向け仮設住宅街を思わせる風景だ。だがそれ以上に浮浪者の目を引いたのは、中央の交流スペースの光景だった。

 

「ズーッズルッ! アッツ! でもオイシイ!」「急ぎすぎですよ! ハハッ!」交流スペースには無数の人々が集まり、出来立てのカケソバをすすっている。食べ終わると満足した者は、満ちたりる喜びに浸りながら談笑の花を咲かせ、食べ足りない者はソバツユスープを煮込む寸胴鍋前に並び直す。

 

「ハイ、ドーゾ」「ドーモ、アリガト」寸胴鍋向こうではカッポギ・エプロン姿の女性が差し出された空椀に、新しいカケソバを入れている。浮浪者キャンプには似つかわしくない若々しい女性だ。元々、女性浮浪者は少数派である。セックスビズに参加すれば、容易く遙かに多い金銭が得られるからだ。

 

だが、セミロングを頭巾でまとめた女性の目には、セックスビズを生業とする者特有の捨て鉢な光はない。また、日々の生活に磨耗した浮浪者やマケグミの死んだマグロの目でもない。生き生きとしたしなやかなエネルギを全身に帯びている。

 

彼女だけではない。カケソバを食べる誰もが、その目に確かな生命力の輝きを宿している。住居だけではなく住民もまた、復興を信じて毎日を力強く生きる被災者の姿を思わせる。敗北感と諦念が蔓延するキャンプを見てきた浮浪者にとって、笑顔と希望が広がる情景は、古い伝承の理想郷を想像させた。

 

「ここは、トーゲンキョ?」「いえ、普通のキャンプです。皆、優しみを持って前向きに生きているだけですよ。さ、行きましょう」高台から階段を下り、二人は交流スペースの輪の仲に入る。お目当ての人物は直ぐに見つかった。食べ終えた椀を片づける、特徴的なサイバネ義手が目に入ったからだ。

 

「ドーモ、タジモ=サン。新しい方をお連れしました」ヨージンボーーが声をかけると、『ここに片す』と記されたスペースに椀を並べ終えたふくよかな老人が振り向いた。「ドーモ、お帰り。手間をかけさせるな。初めまして、タジモです。あんたの名前は?」

 

「ドーモ、ヒエダです。ヨタモノに襲われかかっていた処を、ヨージンボーの方に助けていただきました」ヒエダも深くオジギを返す。「それは大変な思いをしたね。新しい椀が向こうにあるから、それでカケソバを食べるといい。それと『O-5-3』のテントが空いているから、今晩はそこで過ごしなさい」

 

指さされた『新しい』の棚と村長自身を、ヒエダは呆然とした顔で繰り返し眺める。「い、いいんですか!?」信じられぬと震える声で発した確認は、当然の笑みで肯定された。「空腹は辛いし、夜出歩くのはアブナイだからね。イチゴ・イチエの教えだよ。ここの住人になるなら仕事をしてもらうがね」

 

「アイェェェ……こんなにしていただけるなんて! アリガトゴザイマス!」「感謝の前に食事をしなさい。体に悪いよ」望み以上の救いの手に、ヒエダは涙をこぼしながら村長とヨージンボーにドゲザの勢いで何度もオジギをする。それを村長は手で制すると、食事に行くよう寸胴鍋を指さし促した。

 

「アリガトゴザイマス、アリガトゴザイマス!」しかし、ヒエダの水飲み鳥めいた頭部上下運動はさらに加速するばかり。苦笑を浮かべた村長は、ヨージンボーを振り返る。「ヒエダ=サンを食事に連れて行ってくれ。それと君も食事を取るように。夕飯はまだなんだろう?」「ハイ、ヨロコンデー」

 

ヨージンボーは軽く頷くと、バイオコメツキバッタの真似を続けるヒエダを、米俵めいて肩に乗せて持ち上げる。「アイェッ!?」やせ細り体重を落としたとはいえ、成人男性一人を軽く担ぐ腕力に驚くヒエダ。だが、ヨージンボーは頓着なく二人分の椀を取り、寸胴鍋前の列へと並んでヒエダを降ろす。

 

幸い住民は皆十分にソバを堪能したのか列の人数は少なく、二人の順番はすぐに回ってきた。「ハイ、ドーゾ」「ドーモ、アリガトゴザイマス!」湯気を立てるカケソバを掲げて、再びメトロノームめいた連続オジギ動作を始めたヒエダを横に除けると、ヨージンボーも椀を差し出した。

 

「キヨ姉、ただいま。バイオネギとジンジャースライス多めでお願い、あれ好きなんだ」ヨージンボーことカナコ・シンヤは自分の格好を思い出したのか、片手で被ったままの静電場防御帽子を外して、耐酸PVCコートのポケットに突っ込む。

 

その姿を見て、カッポギ・エプロン女性ことトモノ・キヨミはそっと微笑むと、表面だけ厳めしい表情を作った。「シンちゃん、お帰りなさい。皆平等です、エコヒイキはしません」キヨミの言葉の通り、シンヤの椀には他の皆と同じバイオネギ一振りとジンジャースライス一切れしか入ってない。

 

シンヤも顔だけで拗ねた表情を作ると、肩を竦めて列から離れた。灯油管や木箱など椅子代わりになりそうな物を探すが、どれもこれも使用中だ。しょうがないと息を吐いた拍子に、ソバツユ・スープの香りが鼻をくすぐった。出来立てのカケソバの熱さが、椀を通じて掌に広がる。さて、どうしたものか。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イタダキマス。ズルズルッ!」結局、シンヤは広場から外れて一人巨大柱に背を預けながらソバを手繰っていた。育ての親でもあるコーゾが作ったカケソバは、少ない具材でもバイオソバの美味しさを最大限に引き出していた。過去の話とはいえ、複数店舗を経営したソバシェフのウデマエは確かなものだ。

 

「ズルッズルッ! ズーッズルッ!」バイオネギの香りがソバヌードルを引き立て、ジンジャースライスの辛味が全身に薄く汗をかかせる。ソバツユも飲もうと、シンヤは椀に口を付けた。だが、取りやめて広場の方角へと目を向ける。視線の先には、巨体をボロけたテックコートで包む、全てが四角い男がいた。

 

まずは顔立ちが角張っている。バッファローを想像させる屈強な顎と、ブッダエンジェル岩石像めいた荒々しい彫りは、カケソバと談笑を楽しむ住民たちとは別物だった。体つきも丸みという言葉からほど遠い。四足獣並みに太い首とコートの上からでも判る盛り上がった肩もまた、単なる浮浪者と区別している。

 

それらが総合して作るソリッドな影は、荒事に長けた背景を容易く想像させた。「お帰り、シンヤ=クン。聞いたぞ、大立ち回りだったそうじゃないか」四角い男は親愛を示すように片手をあげて声をかける。外観から想像できるように重く低く、そして枯れ錆びた声音だった。

 

「向こうがケンカ慣れてないだけですよ、ワタナベ=サン。弱い者虐めだけの連中だから、一発カマセばそれで勝てます」ワタナベと呼ばれた四角い男はシンヤの謙遜を太い笑みで退ける。「いやいや、武装ヨタモノを一撃で倒すなんて並大抵のカラテじゃできることじゃない……ニンジャでもなければ、な」

 

太い眼光が警戒と疑念の色を帯びる。体勢も一見そのままだが、踵を数cm浮かせ、腰を僅かに落としている。如何なる攻撃にも即応可能な、張りつめたカラテを秘める構えだ。まるでシンヤがニンジャだと疑うような態度である。

 

目の前の相手をフィクションモンスターもしくはコミックスヒーローだと疑うならば、まずは質問者の自我を疑った方がいい。だが、ワタナベの視線に狂気の色はない。「……俺程度のカラテでニンジャなら、ワタナベ=サンは何になるんですか? ニンジャ以上のモンスター?」

 

それに気づいているシンヤは敢えて動かない。質問の意味もその『背景』も理解している。だからワタナベと戦うつもりはないし、戦ったとしても勝利は難しい相手だ。しかし、シンヤの反応を見てもワタナベが警戒を解く様子はない。

 

「それは、なんと呼ぶのかね?」双方のニューロンに特異なアドレナリンが放射され、互いの時間が粘性を帯びる。加速した脳髄は僅かな前兆動作からイマジナリーカラテを作り上げ、超高速のシミュレーション戦闘を繰り返していく。

 

「ナンジャ!」それを突き破ったのは甲高く幼い声だった。思考の回転数を落としながら二人が声の出所を振り返れば、自信満々顔の幼女が目に入る。シンヤには見覚えがあるどころではない。同じ児童養護施設トモダチ園に属する妹のエノモト・エミだ。半ば呆然とかかれた表情が二人の顔に浮かぶ。

 

仮想イクサを唐突に中断させられて、現実とのクロック同期に難儀しているのだ。その様子を別の意味にとらえたのか、エミは両手を振り回して説明を続けた。「ニンジャの上だから『ニ』の前で『ナ』! だからナンジャだよ! アタシ勉強してるから判るよ、シン兄ちゃん! オジチャン!」

 

「……そうだね、エミちゃん」「えへへ」誉めて誉めてと言外に込めるエミの頭を、ワタナベはおっかなびっくりと撫でる。最早そこには数秒前に満ちていたイクサ寸前のアトモスフィアはどこにもない。二人を見るシンヤの全身からも、張りつめたカラテが抜け落ちていく。

 

「心配しなくてもダイジョブよ、シンちゃん」「だと、いいんだけど」カケソバを持ってきたキヨミに肩を竦めると、シンヤは残りのソバツユ・スープを飲み干した。その目の前にキヨミが手持ちのカケソバを片手で差し出す。「余り分だからダイジョブよ。エミちゃんはもう食べたわ」

 

シンヤが可否を問う前に、微笑んだキヨミが答えた。事実、一杯の量にしてはソバ・ヌードルがずいぶん少ない。その代わり、これまた余ったバイオネギとジンジャースライスがふんだんに入っている。キヨミが気を利かしてくれたのだろう。好物のシンヤとしては実にありがたい。

 

「ドーゾ」「ドーモ」イチミ・ペッパーの瓶を受け取り、手渡されたカケソバに軽くかける。合法バイオトウガラシの刺激臭がソバツユの香りと混ざり合い、半ば満たされたはずの胃袋を刺激する。貪欲な胃袋に逆らわず、シンヤはソバを手繰り始めた。隣のキヨミは柔らかな表情でそれを見る。

 

ふと、キヨミの視線が動いた。シンヤが視線の先をあわせてみれば、困り顔のワタナベに向けて、エミが身振り手振りで今日あったことを伝えている。文字通りに全身全霊で説明を試みる小さなエミの勢いに、巨漢のワタナベはどうしていいやら途方に暮れていた。

 

二人を端から見ていると、侵入者を気軽に噛み殺す大型犬が、小型犬の子犬に集られて怯えている様にも見える。(((あながち、間違いでもないな)))生命力に満ちあふれていながらも、ほんの僅かな力と悪意で容易く手折られてしまう幼子の脆さに、ワタナベは恐怖を覚えているのかもしれない。

 

それがどれだけ簡単に壊れるか、それがどれだけ取り返しのつかない事か、ワタナベは『知っている』からなおさらだろう。そんなワタナベの過去をシンヤは『知っている』。ソウカイ・シンジケート最強のニンジャ「インターラプター」を、前世持つ転生者のニンジャ「ブラックスミス」は知っている。

 

苦笑を浮かべるキヨミの横で、シンヤは異なる意味合いで目を細めた。加工用レーザーめいた目線の先は、ワタナベのコートからはみ出たタッパー、その中身。「心配するのは判るけど……」「判ってる」目つきの意味に気づいたキヨミは表情を変えてシンヤを見つめる。

 

言葉とは裏腹に心配を深めるキヨミを安心させようと、シンヤは被せた台詞で牽制する。「今は、ダイジョブさ」「うん」心中の不安を否認するように頷くキヨミ。その顔を横目に見ながら、少しさめたカケソバを手繰りつつ、シンヤはここに来るまでの経緯をニューロンの奥からたぐり寄せていた。

 

【ハーベスト・ニューカマー】終わり


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