鉄火の銘   作:属物

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第四話【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2

 

ドクロの月が天頂を越えた。

 

時刻は深夜プラスワン。一般的な社会人にとってはフートンにくるまれてないと明日が辛くなる時間帯だ。ハイウェイにはゴテゴテと飾り付けた異形の改造バイクが一台、二台、三台。どんどん増えていく。

 

クラッシック・ボーソ・クランはこのハイウェイを支配する暴力的バイカークランだ。いにしえのモーターギャングに準え、ポンパドールを膨らませた異様な髪型がずらりと並ぶ。ロード・総長が羽織る伝統的難読漢字コートはその画数だけで敵対者を震え上がらせるだろう。

 

「あ、あれとやるのかよ……」「ナンデ、ナンデこんなことに!?」事実、ネオンサイタマのメンバーは恐怖に包まれていた。彼らは暴走行為を好むが暴力行為には否定的だ。善良なネオサイタマ市民からすればどちらも等しく迷惑だが、彼らは暴力的モーターギャングと一線を画しているつもりであった。

 

ならば何故ここで、ネオンサイタマは地獄天使めいた暴走族と対峙しているのか。それにメンバーの手元には角材、鉄パイプ、自転車チェーン、釘バットと言ったDIY凶器が握られている。『暴力的でない』がネオンサイタマのモットーだったはず。暴力方面に方針転換でもしたのか? 

 

それは正しい。より正確には暴力方面に方針転換『させられた』のだが。最前列で腕組みをする影がその理由だ。夜光塗料で無数のネオンモチーフが刻まれたライダースーツ。鉄のマスクにネオンサイタマのロゴが光る。頭髪すら夜光塗料で染め上げられ、もはや人型のネオンサインめいてすらいる。

 

恐怖、嫌悪、諦念、失望。その背中に向ける視線は様々だが概ね否定的な色だ。当然だろう。彼の意向でネオンサイタマはモーターギャング相手に抗争する羽目になったのだ。だが”ネオンサイタマリーダー”へ反対の声を上げる者はいない。向こうのモーターギャングより、彼の方が恐ろしいからだ。

 

……数週間前。ネオンサイタマのメンバー間に無数のIRCが走った。大事故により意識不明となっていたリーダーの意識が回復したのだ。大恩人の復活にネオンサイタマの誰もが歓喜の声を上げた。居場所のないハーフガイジン達にネオンの夢を見せたのは彼だった。

 

だからメンバーは次々に病室を訪れリーダーの回復を祝った。だがその目を見たとき、誰もが一瞬言葉に詰まった。まるで瞳孔の奥で稲妻が走るような異様な目に、遺伝子の半分に刻まれた本能的恐怖を抱いたのだ。

 

その恐怖は間違いではなかった。異常な速度で回復を見せたリーダーはこれまた異常なカラテを見せ、ネオンサイタマに恐怖政治を強いた。暴力を知らないネオンサイタマメンバーが逆らえるはずもなかった。

 

そして今、メンバーはモーターギャング相手に無意味で無謀な抗争をしかけている。誰も彼も絶望的心境で、しかしながら唯々諾々と従うしかできない。その原因であるリーダーは腕組みを解き、インカムに向けて告げた。

 

「新しい世界を見せてやる。今のまま終わりたくない奴だけついてこい」ネオンサイタマ結成時の伝説的演説を唱い、リーダーはアクセルを捻った。夜光塗料で染め上げられた頭髪がイオン風に揺らめき、背負ったネオンサイタマのロゴが残光の尾を引く。疾駆する姿はまさしく人型のネオンサインか。

 

そしてネオンの人型が駆るのもまたネオンの徒花だ。オナタカミ・エレキ製の競技用電動二輪(レーサーモーター)に電飾を纏った逸品。最速のみを求めた恐竜的進化の産物は、場違いなイクサ場をネオンの色彩と共に駆ける。

 

「ヤッゾコラーッ!」「「「スッゾコラーッ!」」」単騎で飛びかかる無謀なリーダーに、モーターギャング達はいきり立つ。一対十以上。数の差は圧倒的ですらない。多勢に無勢のラットイナバッグ。ネズミ袋は囲んでボーで殴られ死ぬ。実際死ぬ。その筈だ。

 

だがしかし! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動チェーンソーで切りつけたリーゼント構成員が真横に吹き飛ぶ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動ドリルで突き込んだブリーチ構成員が真上に吹き飛ぶ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動グラインダーで殴りつけたスキンヘッド構成員が斜めに吹き飛ぶ! 

 

ネオンの残像が棚引く度にモーターギャングがスマートボールめいて弾け飛ぶ異常。「アィィィ……」「……ゥゥゥ」尋常ならざる光景を前にしてネオンサイタマメンバーの歯は鳴り、骨が震える。

 

このジゴク絵図は初見ではない。つい先日、知っている首がピンボールの球になった。メンバーの脳裏に浮かぶのは、リーダーに反旗を翻した気骨ある数人の顔。そして……彼らの余りに残虐なデスマスクであった! 

 

「「「アイヤァァァァッ!!」」」悲鳴と雄叫びの合いの子が迸しる。絶叫に任せてメンバーは次々にアクセルを捻った。ネオンサインをストロボ明滅させDIY凶器を振り回す。「ゥゥゥワァァァア!」「ス、スッゾコラーッ!」ネオンを纏った狂気がモーターギャングへと躍り掛かった! 

 

BANG!! 「アィヤーッ!」「グワーッ!」

BIFF!! 「シャッコラーッ!」「グワーッ!」

BUMP!! 「ェイヤーッ!」「グワーッ!」

BEEOW! 「シネッコラーッ!」「グワーッ!」

BONK!! 「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」チンピラと一般市民に力の差はない。双方の捕食関係を決めるのは暴力への抵抗力と抵抗感だ。「グワーッ!? グワーッ! グワーッ!! アバーッ!?」暴力に逆らえなければ一方的に殴られる。暴力を振るえなければこれまた一方的に殴られる。

 

そして狂人に抵抗があるはずもない。狂人に抵抗できるはずもない。「ヤメロー! 「イヤーッ!」グワーッ!」「オタスケ! 「イヤーッ!」グワーッ!」「ニゲロー! 「イヤーッ!」グワーッ!」ネオン色の狂気が振るう捨て身の暴力を前に、モーターギャング達は抵抗すらできず踏みつぶされていく。

 

「ドスンスカ!?」「総長!」「ロード!」恐慌状態のモーターギャング達は本能的に総長へとすがりついた。「ザッケンナ!」「グワーッ!」「ザッケンナ!」「グワーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「グワーッ!」そして総長は本能的にモータギャング達を殴りつけた。暴力と恐怖が統制を生むのだ。

 

だが統制を取り直した処で負け戦に違いはない。「ザッケナテメシネヤコラーーーッッ!!」ならばと起死回生を狙い、総長はチョッパーめいた異形バイクで突貫する。「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」標的はモーターギャングの攪拌に忙しいリーダーだ。

 

リーダーが駆る電動二輪は競技用であり強度限界まで軽量化を施されている。改造バイクが衝突すれば一溜まりもあるまい。そして二輪がなければ囲むのもボーで殴るのも容易い。リーダーをフクロにすれば暴力と恐怖を失ったネオンサイタマは簡単に崩れるだろう。

 

「……!」近づく影に気がついたのか、小回りにものを言わせてリーダーは瞬時に迎撃態勢を整える。だが遅い。WHIZZ! 「ヤッコラーッ!」風を切りながら総長は勝利を確信した。すでに速度は十分。触れただけで電動二輪は壊れる。触れた。

 

瞬間、総長に電流走る。ZZZTTT! 「アババーッ!?」比喩ではない。文字通り大電流が彼を焼いたのだ。電動二輪のバッテリーから流したのか? だがどうやって? ケーブルを延ばすそぶりすらなかった筈だ。

 

総長は痛みの出所を反射的に辿る。そこには雷めいた意匠の鉄片が突き立っていた。それはまるでフィクションの住人が使う超常の武器のように見える。それはまるで……スリケンのように見えた。

 

「アィェーッ!? アィェーッ! アィェェェ!!」理解外の暴力と恐怖に総長の精神はついに統制を失った。「「「アィェェェーーーッ!!」」」総長の悲鳴がトドメになり、追いつめられていたモーターギャングたちの精神がへし折れる。

 

「アィェーッ!? 「イヤーッ!」アバーッ!」「アィェーッ! 「イヤーッ!」アバーッ!」「アィェェェ!! 「イヤーッ!」アバーッ!」泣き叫びながら逃げまどうモーターギャングと、狂い叫びながら追い回すネオンサイタマ。

 

「アィェーッ! アィェェェ!」自身の軍団が崩れていく光景に背後に、泣き叫ぶ総長はアクセルを捻る。そこにはロードとしての誇りも捕食者としての意地も何も無かった。有るのは恐怖だけだ。

 

そう、恐怖はある。彼の背後にある。ピッタリと背中に張り付いて離れない。「アィェーッ!?」ヒィィィン! ネオン光をした恐怖が追ってくる。

 

逃れようと限界までアクセルをふかし、焼き切れんばかりにエンジンを回す。焼き切れかけているのは総長も同じだ。「アーッ! アーッ! アーッ!」涙と洟と涎を棚引かせ、エンジン音よりも高らかに悲鳴を上げる。

 

グィン! グィン! 「アイェーッ!」総長は地面に触れんばかりに全身を振る。クランお得意のジグザグ蛇行運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたハイウェイ走行車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの影が! 

 

ギャリリ! ギャリリ! 「アイェーッ!」総長は併走車両の隙間に前輪をねじ込む。クランお得意の力ずく割り込み運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたトラック輸送車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの幽霊が! 

 

パラリラ! パラリラ! 「アイェーッ!」総長は前方車両へと騒音公害クラクションを鳴らす。クランお得意の挑戦的あおり運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたスポーツ遊技車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの死神が! 

 

「アイェェェェーーーッッッ!!」ネオンの執拗なる追跡に総長の精神は限界を超えた。ネオンのない方向へとチョッパー改造バイクは限界を超えて加速する! だが過剰広告が偏在するネオサイタマには、ネオンサインのない土地などない! 

 

ふわり。「アッ……」だから総長は空中へと飛び出した。引き延ばされた時間の中、地面へ向けて虚空をひた走る。意識が虚無に帰るまで数瞬、総長の脳裏にあったのはネオンから逃れた安堵だった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

ギュィィィン……! 過電流モーターが悲鳴めいた金切り声を上げ、耳元を通り抜ける銃声と不協和音を響かせる。流血、暴走族、企業広告塔、失望の目。無数の光景がマグロツェペリンに映るスライドショーめいて流れていく。きっと外から見た自分たちも同じような死んだマグロの目をしているのだろう。

 

血に塗れた街路が夜中のTVで見たB級モンスター映画のワンシーンと重なる。まるで現実から逃げだそうと、暴走するカイジュウの背にしがみついているかのようだ。今の自分はいずれ踏み潰されて死ぬ虫けらだ。ああ、これが悪い夢ならいいのに……

 

望み通りにそれは悪い夢だった。そして悪い夢は覚めても、最悪の現実は消えてくれない。「ウゥ……」リンはベッドの上で膝を抱いて震えが収まるのを待つ。必死に待つ。だがはちきれんばかりに味わった恐怖は一夜明けてもそう簡単に収まってはくれない。

 

リンには理解できない。強大なマンモス・レンゴウ・クランの戦闘部隊と殺し合う理由が理解できない。知恵を絞ったネオンモチーフを捨て、企業広告ネオンを強制される理由が理解できない。反抗的メンバーにイジメリンチで転向を強要した末、恐るべき暴力で物言わぬ死体にされる光景が理解できない。

 

そして、その全てを指示するリーダーがまるで理解できなかった。かつて憧れ、淡い思いを抱いたリーダー(ひと)が一片たりとも判らない。だが離れることもできなかった。家にも学校にもメガロシティのどこにも居場所がないリンにとって、ネオンサイタマだけが唯一の居場所だからだ。

 

それはメンバーであるハーフガイジン達の多くにとっても同じだった。だから誰もがネオンサイタマという名の暴走カイジュウにしがみつく。まるで破滅の崖にフルスロットルで迫るチキンゲームめいている。だがこのゲームにはサレンダーはない。最期の瞬間までシートに鎖で繋がれたままだ。

 

逃げようのない現実から逃げ出そうとリンはバイクに跨がる。登校の時間だが学校など最早どうでもよかった。そんなどうでもよいものを考えられる余裕など無かった。かつての憧れと尊敬が唯一の居場所をねじ曲げていくジゴク絵図。目を背けようとひたすらにアクセルを引き絞る。

 

WHIRRR!! 「ウゥゥゥ……!」徹夜明けのメガロシティは夜と違って随分と静かだ。そんな時間帯にフルスロットルで駆ければ否応なしに目を引いてしまう。それも紅毛碧眼のハーフガイジンとくれば尚更だ。

 

「ハイ! ガイジンちゃん、どこいくの!? お家? いっしょしていい? いいよね!」甘味に集るハエめいて、すぐさま余計な連中が寄って来る。併走するのは外観のみに拘ったナンパ専用スタイリッシュバイク。サイバーヘルメットには『実際安全』『楽しい時間』の欺瞞的文字列が朝の風景とともに流れる。

 

「……ッッッ!」だがリンに答える気はない。そもそも応える余裕などない。騒音源から距離を取ろうと、顔を伏せたままバイクを加速させる。その姿がナンパバイカーに火をつけた。

 

「ザッケンナコラーッ! 上下スッゾコラーッ!」人間、他人より大きい車に乗ると気が大きくなるものだ。肥大化した自尊心を見せつけるべく護身用チャカ・ガンを抜き放ち……「ハイ、そこまで」「「え?」」あっさり奪い取られた。

 

拳銃を取り上げた腕は、バイクとは言い難い鉄の塊から延びている。「ハートを撃ち抜くのに鉛弾使っちゃダメでしょ」「アッハイ」人間、自分より大きい車に寄られると気が引けるものだ。併走するナンパバイカーは大人しく首を上下させる。

 

「オ、オタッシャデー!」「ハイ、オタッシャデ」先までの勢いは何処へやら。急ハンドルで逃げ去る影に手を振り、拳銃を投げ捨てる。「ドーモ、ゴブサタしてます」「あ……」ようやくリンは顔を上げた。鉄塊を駆る顔に見覚えがあった。小麦色したカチグミの顔。

 

前にもこんな風に助けられた。「ナンデ……?」「気になってる子が襲われかけてたら助けるでしょ?」巨大バイクに跨がるセイジは子供のように笑っていた。その顔を見てリンは子供のように泣き出した。「アブナイよ。とりあえず止まってからね」セイジの声に従いゆっくりとアクセルをゆるめながら。

 

――――

 

……リンは正直、このままセイジに退廃モーテルへと誘われるものと思っていた。それでもかまわないとも思っていた。緊張と恐怖の毎日に心の底から疲れ切り、自暴自棄で投げ遣りになっていた。だがセイジは紳士だった。それ以前に子供(ガキ)だった。

 

「……れでさ、このバイクを『切火(セッカ)』て名付けたんだ! アイツの『撃鉄(ウチガネ)』ってネーミングも悪くないんだけどさ、敢えてソリッドにキメたいじゃない? ゴツいにゴツいをかけてもモッサリ野暮天になるけどさ、そこでエッジを利かせればそのギャップが涼しくなるんだ!」「ソーダネ」

 

正直、幼い弟の新しいオモチャ自慢を聴かされてる姉の心地だ。弟を持った覚えはないが多分こんな気分だろう。「でしょ! ノダチ・カタナっていえばわかりやすいかな? 巨大に鋭さをプラスすることで存在の質量感が切れ味を増して……」「ソーナノ」バカバカしくて、ウンザリで、どこか微笑ましい。

 

「そこ右に曲がって」「アイアイ……それでリアル系メックめいたエッジ感と質量感のバランスをコンセプトにヘンケイモーションをリデザインさせたんだ。やっぱりアイツいい仕事してるよ。センスはないけどね!」ささくれだった重苦しい気持ちが穏やかに軽くなっていく。不思議な心地だ。

 

「今回の『切火(セッカ)』に問題点があるとすれば機能を詰め込みすぎて小型化に「ウンウン、ついたよ」……ここが目的地かい?」「うん」視線の先には高架地下鉄に蓋されたコンクリートの枯れ谷が広がる。ここは若者の聖地シブタニ・ストリート、その一角。

 

そこにはまだ朝早いにも関わらず「ネ」「オ」「ン」、そして「や」「す」「い」の暖簾が無数にはためいている。シブタニといえば百八ビルが有名だが、共に語られる名物がネオンタトゥー屋台長屋だ。109を優に越える色とりどりのネオンテキヤは、日本中の女子高生から憧憬を集めて止まない。

 

「そこ?」「ここ」セイジの手を引きリンは屋台へと足を踏み入れる。勝手知るといわんばかりにその足取りに迷いはない。リンの顔を見た店主もまた迷い無くタトゥーデザインのカタログを差し出した。

 

「どれ?」「これ」だがリンは手渡されたカタログから選ばなかった。代わりにリンが差し出されたのは手書きのタトゥーデザイン。ハイウェイを駆けるネオンの影が戯画めいた線で描かれている。

 

「これを?」「これを」店主の顔に困惑と不快感が浮かんだ。シブタニのネオンタトゥー屋台は、タトゥーイストの人生すごろくで言えば『あがり』だ。それだけに屋台長屋のタトゥーイストは皆自分のデザインに自負と自信を抱いている。客持ち込みのデザインは好まれない。

 

「オネガイシマス」「……」当然リンはそれを理解している。だが敢えて自分のデザインで頼み込んだ。店主の視線は深く下げたリンの頭から隣のセイジへと移る。「オネガイシマス」「…………」そしてセイジがオジギと共に差し出したブラックなカードへと移った。それは彼の自負心より高価だった。

 

WHIRRR……! 滑らかなモーター音と共に生分解性ネオンインクが白い肌に刻まれていく。「私、ネオンタトゥーイストになりたいんだ」モーター音にかき消されそうな小さな声でリンは呟いた。

 

――――

 

……リン・マーガレットはハーフガイジンだ。

 

ガイジンとは外国人(フォーリナー)の略称であり、海『外』の『人』を指す。つまりリンは日本人ではなく、ネオサイタマの人間でもない。だが彼女は鎖国日本のネオサイタマで産まれた混血児だ。だから帰るべき国も故郷もない。だからこの国に居場所がない。だからこの街(ネオサイタマ)が大嫌いだ。

 

だけどネオサイタマの夜を彩るネオンは美しかった。その美しさを肌に刻んだとき、少しだけこの街を好きになれた気がした。その美しさを纏って夜を走るとき、一瞬だけこの街の一部に成れた気がした。

 

だからネオンを描く人間に、ネオンタトゥーイストになりたかった。そうなればきっと、この街が自分の居場所になると思えた。家族にも、学校にも、誰にも彼にも笑われた夢。

 

その夢を笑わずに聴いてくれたのはリーダーが初めてだった。そしてリーダーも初めて夢を話してくれた。『コウモリの国』という自身の夢を。

 

「コウモリ?」「うん、イソップのコウモリ」寓話のコウモリは、鳥の前では鳥の真似をして、獣の前では獣の振りをして、最後には誰からも信用されずに洞窟へと逃げ込んだ。「もし初めから最後までどっちかに属していたら、コウモリは獣か鳥の仲間に成れたと思う?」

 

「……多分、無理だね。最後は群から蹴り出される」鳥からすれば卵を産まずクチバシも無い獣の仲間で、獣からすれば翼で空を飛ぶ鳥の仲間だ。甲斐甲斐しく尽くしても結局は異物(フォーリナー)でしかない。冷めた白い目が追い出す機会を待っている。

 

「だからコウモリの国が要るんだってリーダーは話してた」彫りかけのネオンタトゥーにそっと触れる。戯画化した夜を駆けるネオンサイタマの図案。先頭を走る背中はリーダーのそれだ。「コウモリの国があれば、獣でも鳥でもない『コウモリ』として胸を張れる、生きていけるって」

 

「その第一歩がネオンサイタマなんだね」「……うん、そうだった」過去形だ。ネオンの篝火めいてネオンサイタマを導いていたリーダーはいない。今、ネオンサイタマを駆り立てているのはリーダーの姿をした恐ろしいオバケだ。オバケに追われるまま、戻れない場所まで連れて行かれてしまう。

 

「わたし、怖いの」俯いたまま絞り出した微かな声。声と同じく震えた肩をセイジがやさしく抱きしめた。「僕が止める。リーダーを止めるよ」文字だけ見れば何の保証もない口先だけのナンパ台詞だ。だがその奥には確かな熱があった。その熱を信じ、リンは肩に頭を預けた。

 

「…………」ネオンをタトゥーを刻む店長は胡乱げに二人だけの世界を見ていた。

 

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2終わり。#3に続く。


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