鉄火の銘   作:属物

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第二話【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#3

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#3

 

「……ッ!?」白、真っ白。突然降り注いだ白光がイーヒコの目を焼いた。反射的に閉じた瞼の裏で極彩色の暗闇が踊り狂う。無理矢理に目を開けば、ボヤけた視界に映る無数の顔、顔、顔。どれもこれも誰も彼も、タングステンボンボリに照らされるイーヒコへと顔を向けている。

 

どの顔にも悪意はない。善意もない。ましてや慈悲などあるはずもない。儀式に捧げられる供物に一体誰が慈悲をくれると言うのか。僅かながらの憐れみと罪悪感がせいぜいだろう。

 

「イーヒコ=サン、選べ」違う顔は一つだけ。この場の主役であるパニッシュメントだ。もう一つの白光に照らされる顔には、加圧された憤怒に加えて明白な不快感がある。「メンバーとして大望に参加するのか。裏切者として断罪されるのか」そして明確な殺意がイーヒコへと向けられている。

 

……オスモウバー『タニマチ』放火への参加を拒否したイーヒコは、熟考の末に暴走するクラブを制止することに決めた。そのために顔見知りに声をかけ、スペースモンキーズに反感を抱く人間を集めた。その結果が今だ。

 

イーヒコに同意してくれた筈のメンバーたちは皆、目を逸らし人影に隠れている。ブルシットだ。歯がぎりぎりと鳴る。「選べ、イーヒコ=サン」従えば裏切者の裏切者と肩を並べて犯罪に参加することになるだろう。ブルシットだ。拳をぎりぎりと握る。

 

「選べ」「え、選ぶ!」イーヒコは胸と虚勢を張った。歯がカチカチと鳴る。「参加はしない!」「クラブを裏切るか」「裏切りもしない! アンタらみたいにオスモウを裏切りもしてない!」パニッシュメントの目に怒りが脈打った。破裂せんばかりに憎悪の内圧が上がる。

 

「イ、イッゾコラーッ!」そのツラ目掛けてイーヒコはキツネサインを突きつける。ヤバレカバレだ。鋼鉄をまとう影絵のキツネが小さな牙を剥く。纏ったガントレットの重さが僅かばかりの安心をくれた。

 

自分一人が暴れたところで勝ち目はほぼ皆無。だが、0に等しいが可能性はある。暴力(ツヨイ)権力(エライ)。最強であるパニッシュメントを打ち倒せたならメンバーは従う、筈だ、多分。

 

だが……いや、だからなのか。パニッシュメントはイーヒコに近づきもしない。「お前たち、カワイガリだ。大罪を濯げ」「「「ハ、ハイヨロコンデー!」」」代わりにやってきたのはイーヒコが声をかけた顔見知り達だった。誰もが恐怖で引き攣ったへつらいの笑みを浮かべている。

 

……カワイガリとはオスモウ界におけるイジメ・リンチを指す隠語である。一般社会でのイジメ・リンチより格段に激しく、しばしば死者を伴うのが特徴だ。死者は栄養補給の豚足を食べ損ねた窒息死として隠蔽される。

 

つまり裏切者同士で処刑しろということだ。イーヒコはキツネサインを握り拳に組み替えた。パイプ椅子、栓抜き、バット、竹刀。オスモウ武器を構えて、二乗の裏切者が間合いを詰める。その中には初めて殴り合った巨漢の姿もあった。

 

人の輪(リング)土俵(リング)を形作る。この不公平なコロセウムからはすぐに出る事になるだろう。死体として、或いは勝者として。どちらがどちらになるかは、互いのカラテとオスモウのみが知っている。

 

「ドッソイ! 「イヤーッ!」グワーッ!」一人目のバットをガントレットで受け止めて殴り返す。鉄腕(テッカイナ)はフルスイングに小揺ぎもしない。反撃のカラテフックで一人目の顔面が跳ね飛んだ。

 

「ドッソイ! 「イヤーッ!」グワーッ!」すぐさまパイプ椅子を振りかざす二人目の顔面へ鋼鉄製のジャブを振るう。腰の入ってない目眩しでも振るわれるのは鉄塊な(テッカイナ)拳だ。鼻血を噴いてたたらを踏む二人目に追撃を狙って踏み込む。

 

「ドッソイ!」だがそれは巨漢な三人目の狙いでもあった。ドヒョー入りめいた超低空のかち上げが横合から迫る。追撃に前のめり過ぎたのだ。「イヤーッ!」だからイーヒコは更に前のめりに踏み込む。引き足が浮くほどの前傾姿勢で強引に軸脚を作った。浮いた引き足が大きな弧を描く。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」力ずくで捻り込んだ蹴り下ろしが三人目の太い脊椎に捩じ込まれた。「グワーッ!」CLINK! スクリューキックの一撃で巨漢の三人目が床と熱いキスを交わし、栓抜きが甲高い音を立てる。 

 

「ドッソイ!」「グワーッ!」だが無理のツケは即座に支払いを求められた。崩れた体勢を直す暇もなく四人目の竹刀が横っ面に叩き込まれる。快音と共にイーヒコの意識が明滅し星が瞬く。その隙を見逃すようならオスモウクラブのメンバーではない。

 

「ドッソイ!」折れた歯を吐き捨てて三人目がイーヒコに組み付きかかる。意識の間隙を狙った完璧なアンブッシュ。だが確かなカラテを刻んだイーヒコの肉体は隙間の一瞬にすら反応してみせた。「イヤーッ!」ズン! 踏み込みの抗力を起点に全身のカラテを練り上げ拳に乗せる。

 

それはデントカラテの基礎にして奥義であるカラテパンチだ。三人目はガントレットが膨れ上がったと錯覚した。そうとしか思えない威力とカラテだった。(((でっかいな(テッカイナ)……)))ニューロンから意識が殴り出される瞬間に抱いたのは、死闘にそぐわない素朴な感想であった。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」鼻血を垂れ流す二人目を殴り倒し、最後の四人目に顔を向ける。「アィェェェ……」上から殴られるのが嫌で従っていたのに、イーヒコから思い切り殴られるのだ。彼から既に戦意は消え失せていた。「マッタ! マッタ!」「待たない」だがイーヒコに従う気はない。

 

しかしその時! 「イヤーッ!」「アババーッ!?」ZZZTTT! 背後から致死級の高圧電流が流れる! 突然の過剰電気に全身の筋肉が異常収縮する。当然立っていられる筈もなく、繰り手を失ったジョルリ人形めいて崩れるイーヒコ。

 

「……ッ!?」その目に映ったのは違法改造スタンジュッテを握るアイダの姿であった。「イヤーッ!」「グワーッ!」アイダはフットボールめいてイーヒコを蹴り飛ばす。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」何度も、何度も、何度も。

 

「……なぁ、イーヒコくん。ナンデこんなことしたんだよ」感電の苦痛にみじろぎ一つ出来ぬイーヒコへとアイダが問いかける。浮かべる表情はタングステンボンボリの逆光に隠れて見えない。「なぁ、ナンデ逆らうんだよ。ナンデ楯突くんだよ。ナンデ立つんだよ」

 

「なぁ謝れよ。謝ってくれよ! なぁ! 頼むよ! なぁ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」アイダは蹴りながら懇願していた。振り下ろしながら哀願していた。踏み付けながら乞い願っていた。頼むから惨めに縋ってくれ。どうか卑屈にへつらってくれ。お願いだから情けなく屈してくれ。

 

ジュッテをイーヒコの手が弱々しく掴んだ。ジュッテを振るうアイダの手が止まる。「イーヒコくん……!」「アィ…………」穢らわしい安堵と仄かな失望がジュッテの鏡面に歪んで映る。惨めで、卑屈で、情けない顔だった。「……ィィィ……」瞬間、イーヒコの鋼鉄が強く握りしめられた! 

 

「……ヤァァァーーーッッッ!!!」背筋を床に叩きつけ上半身を跳ね上げる! 同時に腹筋を引き絞り鉄腕を捻り突く! なんたるデントカラテのカラテパンチ原理を血肉とした起き上がりコボシめいた一撃か! 「アバーッ!?」アイダの顔面は漫符めいて凹み、カトゥーンめいて吹き飛ぶ! 

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」倒れたアイダへ目を伏せて、震えながら立ち上がるイーヒコ。過剰感電の影響か、息をするだけで喉も肺も焼けるように痛む。立っているだけで意識が飛びそうだ。足元の壊れた眼鏡を拾うのも難しいだろう。だがイーヒコは立った。そしてパニッシュメントを睨んだ。

 

「……そうか」パニッシュメントの両眼から憎悪が噴き出た。「アィェェェーッ!?」溢れる憎悪に曝されて誰かが尿と共に意識を排泄した。余波だけで屈強なオスモウ戦士が失禁して失神するほどの圧力だ。それを直射されたら恐怖で文字通り心臓が止まりかねない。

 

ドック! ドドクン! ドッ、ドクン! 「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」事実イーヒコの心臓は今にも不整脈で心停止しそうだ。突き付けられたのは確定した死で、確実な死で、確実に死ぬ。かつて見たジゴクと現実が重なる。

 

『燃え盛るヒョットコ達が迫り来る』怖い。

『身を顧みずヨージンボへ妹が走る』恐い。

『発狂ヨージンボへ立ちはだかる兄』コワイ。

『何一つできないまま震えてる自分』コワイ! 

『泣き喚いて漏らしてるだけの自分』コワイ!! コワイ!! コワイ!! 

 

 

『コワイに、勝ちたい』

 

 

だから学び、鍛え、振るい……挑むのだ! 「来いッ!!」イーヒコは震えるキツネサインを突き上げて、震える手足でカラテを構える。その目は小揺ぎもしていなかった。

 

「そうか。死ね」パニッシュメントが腰を落とし、拳を床につける。バッファロー轢殺特急鉄道のエンジンに火が入った。パニッシュメントの視線上に死のレールが敷かれる。運命のオスモウ車輪はゼロコンマ数秒でイーヒコを轢き潰すだろう。

 

「…………!」その視線が分岐器めいて向きを変えた。新たに敷かれたレール上にあるのは、置き石というにはあまりにも巨大なカラテの巌。産まれては崩れ、伸びては砕ける前衛的オブジェを引き連れながら、東の方角より黒錆びた殺意がゆっくりと歩み寄る。

 

発する殺意からは想像もつかぬほど優しく、黒錆の影はイーヒコを抱きしめた。「よくやったな。自慢の弟だ。俺の誇りだ」「へへ」年相応した無邪気な笑みがこぼれた。兄に身体を預ける安堵と共に、イーヒコの意識は虚空に溶けた。彼を黒錆のフートンで包むと影はパニッシュメントへと向き直る。

 

「選べ。スモトリとして潔くセプクするか。テロリストとして見苦しく殺されるか」そこに慈悲はない。家族の敵に慈悲などない。ただ殺意のみがある。影はスリケンめいて写真を投げつけた。

 

「……そうか」そこに写るのは刑場の罪人めいて縛り上げられた男たち。パニッシュメントは全員に見覚えがあった。リョウゴクコロシアム爆破殺戮作戦の準備要員だ。それがお縄を頂戴している。つまり全てが終わったということだ。

 

「選ぶ。死ね」堕落オスモウ界断罪計画の望みは潰えた。つまりパニッシュメントの最後のタガが外れた。抑えなき怒りが熱となって溢れ出す。「そうか。殺す」陽炎と共に噴き上がる憤怒に、黒錆の影から純粋なる殺意が返された。

 

「ドーモ、パニッシュメント=サン。“ブラックスミス”です」

「ドーモ、ブラックスミス=サン。パニッシュメントです」

 

立ち会うのは漢が二忍。怯える人々で輪っか(リング)を描けば、そこが土俵(リング)だ。「イヤーッ!」「ドッソイ!」BOOOM! 発揮揚揚の掛け声もなく、シャウトのみを合図に怒れる二柱の半神は衝突した。

 

ーーー

 

ガチンコ。それは現在のオスモウ界から縁遠い、ヤオチョやブックがない本気のぶつかり合いを示すオスモウ用語だ。その由来はこのような……「イヤーッ!」「ドッソイ!」BAAAMG!! ……二人の雄がぶつかり合う轟音に由来する。

 

立ち合いの次は手四つに組んで制し合うのが一般的なオスモウの流れだ。だがこれはオスモウvsカラテの変則マッチ。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ドッソイ! ドッソイ! ドッソイ! ドッソイ!」チョップとハリテ、パンチとテッポウが飛び交う打撃戦が続く! 

 

「イヤーッ!」「ドッソイ!」断頭を狙うチョップをハリテが弾く! 「ドッソイ!」「イヤーッ!」頚椎狙いのテッポウをカラテパンチが迎え撃つ! チョーチョー・ハッシ! 「イヤーッ!」「ヌゥッ!」当身の打ち合いならばブラックスミスのデントカラテに有利がつくか? 

 

「イヤーッ!」「ヌゥッ! ドッソイ!」故にパニッシュメントは覚悟の被弾で接近を試みる。一度捕まえればオスモウの圧倒的優位が確定するだろう。「イヤヤヤヤヤヤヤヤァーッ!!」「ヌゥゥゥーーーッッッ!! ドッソイ!」一撃必倒の連打でも損害無視のバッファロー戦車戦列めいた突貫は止まらぬ! 

 

ならば一撃にさらなる威力を! 「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」「グワーッ!」ドッォオオンッ! 喉輪を狙うパニッシュメントの体内だけに致死の轟音が響く! これぞデントカラテ奥義『セイケン・ツキ』である! これで倒れぬニンジャはいなかった……今までは! 

 

「ナニィーッ!?」「ヌゥゥゥッッッ!!」苦痛の声を上げにじり下がるが、深手こそあれどパニッシュメントに致命傷はない! なんたる中空装甲と流体装甲の性質を併せ持つスモトリ戦士の脂肪・筋肉複合装甲か! スモトリニンジャの分厚い肉弾防御はセイケンツキ爆心点を遠ざけ衝撃力を受け止めたのだ! 

 

……大小サンシタ実力者の差はあれど、対峙した幾多のニンジャをブラックスミスは降してきた。『原作』上位層には未だ遠く及ばずとも、マスター位階に爪の端くらいは引っかかったと思っていた。いや、思い上がっていた。

 

(((実際はこのザマか)))確かなオスモウ強者とは言え、対ニンジャ経験もさほどないだろうパニッシュメント=サンを押し切れない。純粋なカラテ、頼れる切り札の数、コトダマ空間知覚能力。足りないものが山ほど見える。それを補う時間も足りない。ネオサイタマ市長選まで約一年しかない。

 

だから、この程度でつまづいてる暇はない! パニッシュメント『ごとき』倒せなければソウカイヤを打ち倒せる訳も、家族を守れるはずもなし! 「来いっ!」ZING! 赤銅色のガントレットを打合せ、たぎる殺意の純度を高める! 

 

「死ね」蒸気を噴き上げ赤熱する肉体が告げる。バッファロー絶滅暴走超特急全力のぶちかましだ。最早セイケンツキでも止まるまい。カラテ衝撃波が炸裂するより先に轢殺されるだろう。ならばどうする? 「ドォォォッソイッッッ!!」「ヌゥゥゥーーーッ!!」真正面から受け止める! 

 

胸郭をジツ製のスリケン外骨格で補強し、カラテパンチ原理の踏み込みでベクトルを逸らした。「オゴッ」にも関わらず内臓はひっくり返り、人の輪ごとタタミ十枚は押し出された。「ドッソイ!?」それでもブラックスミスは倒れることなくぶちかましを受け切った! 

 

「ドッソイ!」故にパニッシュメントはそのままがっぷり四つに組んで投げ飛ばしにかかる。組み・極め・投げにおいてオスモウが負ける筈はなし! だが殺人技術としてならデントカラテも負けず劣らず! 「イィィィ……」そしてデントカラテのゼロ距離殺人奥義こそがセイケン・ツキなのだ! 

 

故に腰を引き込むパニッシュメントへと今度こそセイケン・ツキ……ではない!? 「ドッソイ!?」伝説のチャドー暗殺奥義『ジキ・ツキ』めいて弓引くが如くに引き絞られたこの構えは一体!? 

 

……敵体内にカラテ衝撃波を残すセイケン・ツキでは分厚い肉弾装甲スモトリ戦士に効果は薄い。なればその肉弾装甲そのものを撃ち抜くべし! 圧縮されたカラテ衝撃力を残すのではなく、押し込み、突き込み、突き抜ける! 骨肉の向こう側まで!! 

 

「……ヤァァァーーーッッッ!!」「アバーッ!?」ドヒョーを形作る人々は円柱の衝撃波とくり抜かれた心臓を見た。そこに音は無い……否! BAAANG!! 遅れてカラテ砲撃音が響き渡る! (ブラックスミス)のカラテ、(インディペンデント)のヒサツワザ、殺戮者(ニンジャスレイヤー)のチャドー。三位一体の一撃は音を置き去りにしたのだ! ゴウランガ! 

 

背中の大穴から血と髄液が溢れる。「アバッ……そう……か……」流れ落ちる命と共にソーマトリコールが流れだす。

 

オスモウ少年がいた。絶対のヨコヅナに憧れ鍛えに鍛え、チャンコ072無しにリキシリーグにまで上り詰めた。

リキシ・スモトリがいた。腐ったリーグから下野し、正しいオスモウを新たに築くのだと息巻いた。

 

元スモトリがいた。ヤクザと権力に膝を砕かれ腱を断たれて、二度とオスモウをとれない絶望に屈した。

スモトリニンジャがいた。変わらなかったオスモウ界、変えられなかったヨコヅナ、変わってしまった自分。絶え間ない怒りだけが残った。

 

そして今、全ては過去になった。クラブの真ん中でパニッシュメントが、絶対者が崩れ落ちる。「サヨナラ!」爆発四散の風が吹いた。勝者ブラックスミス、キマリテは……『真拳突き(シンケン・ツキ)』だ。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

イーヒコはそっと頬に触れる。オスモウクラブが終わってから随分と経った。方眼紙めいた傷の数々も随分と薄れた。青赤黄紫と多色刷りだった顔も概ね肌色一色に戻っている。

 

カワイガリのあの日。自分が気を失った後、どうなったかは細かく知らない。パニッシュメント=サンがニンジャだったこと、兄の手で爆発四散したこと、クラブは解散したこと。そのくらいだ。

 

廃地下倉庫も解体され、今やオスモウクラブは思い出と傷くらいしか残っていない。その傷も半ば癒えかけてる。一夜の夢かワサビの香りか。熱く燃えていたトリクミの日々は儚く遠い。

 

(((自分も意外とクラブが好きだったんだなぁ)))感傷的な自分を笑いながらイーヒコは今日も一人で帰路に着く。一人だ。よくよく連れ添っていたアイダとはクラブの解散以降、話もしてない。あの日のわだかまりは未だ解けていない。

 

いや、それ以前から溝はあった。それが明確に現れたのがカワイガリの時だったというだけだ。このまま縁もユウジョウも消えていくのだろうか。ショッギョ・ムッジョな青い春に思いを馳せる。

 

そうして遠い目をしていたイーヒコの足が止まった。曲がり角から僅かに覗かせた顔を見たからだ。当のアイダだった。無視すべきか、アイサツすべきか、先日のことを話すべきか。正解のない選択肢がニューロンで踊る。

 

だがイーヒコが選ぶより持ち時間切れの方が早かった。「な、なぁ!」アイダが引きつった顔で声をかけてきたのだ。「あ、あぁ」イーヒコも上ずった声で返す。「「…………」」初めて女の子を紹介された時よりも重い沈黙が流れる。

 

「………………その、あの、こないだは、その、ホント、悪かった。イーヒコ=サン、ゴメンナサイ!」先んじてヘドロめいたアトモスフィアを破ったのはアイダだった。90度直角に下げられた後頭部をじっと見るイーヒコ。

 

アンコシチューめいてぐちゃぐちゃの感情が混沌と煮えている。それは怒りか、ユウジョウか、哀れみか。イーヒコ自身にもどれがどれだかわからない。だが、それを正しく解き放つ方法を一つ知っている。それは兄から教わって、クラブで学んだ。

 

「アイダ=サン、顔上げて」「アッハイ」テッカイナはないがちょうどいい。「一発な」「ハイ?」自分も相手も痛い。それでいい。「イヤーッ!」「グワーッ!?」腰の入ったカラテフックがアイダのみぞおちにめり込んだ。

 

「…………ッ!」「これで終わりな」ハニワめいた顔でLの字に痙攣するアイダ。陸揚げマグロめいた呼吸困難が落ち着くのをしばし待つ。「……もう少し優しくしない?」「しない」恨めしそうな、でも何処かホッとしたような目でアイダが見上げる。それを見下ろすイーヒコの顔にもまたやさしみがあった。

 

「……なぁ、イーヒコくん。これからどーするよ」「美味いメシ食いに行こうよ」「お前の金で?」「お前の金で」半目でねめつけるアイダだが、イーヒコはどこ吹く風と笑うばかり。「さっきのでチャラじゃないの?」「それはそれ、これはこれ」「ひっでぇ」ケラケラと笑い合い、二人は家路を辿る。

 

『誇り高くオスモウ破壊者に挑んだビッグオゼキ……果敢な凶器攻撃を防がれ、残虐なシタテナゲにより惜しくも斃れ……ヨコヅナは111連勝。オスモウ人気は更なる低迷を……』通りの電気屋ではモデルTVがヨコヅナの勝利を不服げに伝えていた。

 

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】おわり。


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