鉄火の銘   作:属物

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第一部【転生者、大地に立つ】
序章【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】


【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。足下に01の水が右から左へ流れる。ここはどこだろうか。どうにもわからない。顔を上げれば金色の立方体が緩やかに回転している。見覚えのない代物だ。あれはなんだろう。

 

左右を見渡すと呆けた顔が数人見える。皆、寝間着のような格好だ。視線を下ろせば似たような姿をしている。たぶん夢だろう。布団に入ったのは何時だっけ。姉ちゃんに早く寝ろと急かされたんだ。

 

ぼんやりと立方体を眺める。単純な金一色なのに吸い込まれそうなグラデーションを描いているように見える。濃淡がざわめきこちらを見つめる。

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。波のない静かな海。いや波と違うが流れている。川だろうか? しかし向こう岸は見えない。ならば河だろう。二進数で描かれるデジタルの流れが時に渦を描き、時に淀みで沈む。特に考えることなく流れを追う。ふとそこから足が生えているのに気がついた。

 

蛍光緑のモノトーンで描かれた足の上にはこれまた緑単色モノクロームの人影がある。顔立ちはよくわからない。ネガ写真めいた緑の塗りつぶしの中に、虚めいた口と瞳があるだけだ。ただし目は三つあった。誰だろう?

 

「ドーモ、初めまして。▲▼▲・▲▼▲▼です」影は合掌礼と共に丁寧にお辞儀をした。「……どうも、■■■■です」お辞儀に思わず頭を下げた。特に考えることなく名前を言われたのだから、名前を返して返答した。

 

それにつられたのか、何人かが自己紹介を返し始めた。横の一人が小さな目礼と共に返礼する。「ええっと、私は※※※※※※です」聞き覚えのある名前だ。顔をよく見ればクラスメイトの一人と一致した。ああ、後ろの方でよく本を読んでいる奴だ。そいつに話しかけようと口を開く。

 

「あの「イヤーッ!」絶叫めいた気合いの声と共に衝撃波が宙を走った。最初の音を出そうとしたタイミングで、見えざる拳で打ち据えられたかのように吹き飛ばされる。眠気を堪えるために頬を張った瞬間めいて鮮烈な痛みが全身を走る。

 

「グワーッ!?」それはどこか呆けたままの自我を強制的にたたき起こした。冷水をかけられて跳ね起きたように、居場所も時間も理由も一瞬の間失う。実際、01水の中にたたき込まれた。混乱する思考の中、目の前で衝撃波に打たれた人が人でなくなった。

 

「「「「「「アバーッ!?」」」」」」さっきまで呆けていた人々が、滑り落ちたガラス板めいて粉みじんに砕け散った。地面の代わりに不可視の衝撃波に叩きつけられ、小指の爪よりも小さく砕ける。頭上から血霧の雨が降り注ぐが、次の瞬間には空中で01の微粒子に解けて消える。

 

もし冷静に周囲を見る目があれば、クラスメイトを含む生き残りの存在に気がついただろう。そして生存者の共通項にも。だが、真っ白になった頭の中にはあまりの異常に疑問符が溢れるばかりだ。

 

「ナンデ!?」困惑に返答はない。その代わり下手人は目の前に現れてくれた。蛍光ドットの人影、ネガポジ反転した三眼の異貌。人ならざるその姿に修学旅行の寺社見学で見た魔羅の絵図が浮かぶ。

 

「ア、アィェェェ!?」何を口走っているのか分からない絶叫がほとばしる。それと同時に股間からも液体がほとばしった。失禁を気にしている余裕もないし、01に浸かっているから気にする必要もない。そもそもびしょ濡れだから当人以外誰もわからない。

 

そのはずなのに、眼前の異形は口腔を嘲笑の形に歪めた。それは自分に出会った常人が恐怖に押しつぶされ小便を漏らして泣き叫ぶのをよく知っているからか。

 

「イヤーッ!」再びの発気と共に01で出来た化け物の右手が胸の中に突き込まれた。衝撃も痛みもない。まるで水に手を突っ込んだときのように、01の波紋が表れた。人体の80%は水分と聞くが、残り20%は固体のはずだ。しかし目の前の光景はその科学的事実を真っ向から否定していた。

 

「アィェェェ!?」再びの絶叫をまき散らす。混乱と困惑、恐怖と狂乱に溺れる姿を後目に、蛍光グリーンに輝く右手は何かを胸の内から引きずり出した。胸が高鳴る。胸が騒ぐ。胸が躍る。胸が痛む。胸が詰まる。胸の働きが心の働きと同一視されるように、胸部は脳に次ぐ人体の最重要部の一つだ。

 

胸から引きずり出された異形の右手に握られていたのは、心臓でもなく肺腑でもなく脊椎でもなかった。しかし、それ以上に致命的な文字列だった。それは自分を明示するものだった。それは自己を規定するものだった。それは自身を記述するものだった。

 

だがそれは今やデジタルな怪人の手の内にあった。返せと泣き叫ぶように手を伸ばす。その手の先が見る間に01に崩れ始めた。先の衝撃波に粉みじんとなった人々とまるで同じだった。あれを取られたからだ。返してもらわなければ! 

 

「か、返してくれ! それは俺の、俺の大事な……アイェェェ!」「イヤーッ!」情けない哀願に答えてくれたのか、返答代わりに左腕がねじ込まれた。三度目の絶叫が溢れる。何かを胸に押し込まれた、だが何を胸に押し込まれた?

 

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア」挿入された何かに何かしらの意味はあったのか、指先の01分解は収まりだした。しかし額の中央が酷く痛み、目の間が燃えるようだ。口から痙攣めいた断続的な悲鳴が漏れている。実際、全身もショック症状めいた痙攣発作状態にある。

 

だが、蛍光色の魔人にとってはそんなことはどうでもいいらしく、首根っこを掴むとデジタルの大河に投げ込んだ。1で彩られた黄金立方体から遠く、0で描かれた闇の底に沈む。暗闇を背景に過去が泡と共に浮かんでは消える。

 

『■■、もう遅いからいい加減寝なさいよ』『そうだぞ■■、明日は早いんだから』『お母さん先に寝るわね、■■お休み』(((助けて! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 助けて!)))

 

思い出と記憶は助けを求める声に答えてくれない。そもそも誰が答えるというのか。自分を呼ぶ言葉すら思い出せないと言うのに。それでも家族を呼ぶ。それだけが自らを確かめる方法だと言うかの如く、何度も何度も、繰り返し繰り返し。

 

(((姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃ……)))

 

 

【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】終わり


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