あるいは語られたかもしれない、彼と彼女の青春ラブコメ。   作:きよきば

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そして、由比ヶ浜結衣は。

全ての問題の答えを写し終えて、問題集を閉じる。

夏休み。総武は進学校ではあるが、夏期講習を受けるものへの配慮なのか、課題はそう多くない。小学生と違ってほっといても勉強する奴はするからわざわざたっぷり課題を出す必要が無いのだろう。

俺も進学校の一員という自覚を持ち、たった今数学の課題を全問正解で終了させたところだ。中間試験9点はダテじゃない。

とにもかくにも、夏休みである。

1学期はおそらく俺の人生で最も充実した時間だったと言えるだろう。

あれから、戸塚の誕生日を祝い、由比ヶ浜の誕生日を祝い、それなりの成績を残し(文系科目限定で)、夏休みを向かえ、課題に手をつけ2日で終わらせた。

そして残りの期間の全ては徹底的に堕落しようというわけである。

大人になればこんなまとまった休みなどない。

俺の両親を見ればわかる。盆と正月が一緒に来たところでどっちも仕事だから何も嬉しくない。むしろ同時に来ると仕事量が倍になってよけい忙しくなるだけだ。やっぱ社会ってクソだわ。

そんなわけで、俺は朝からリビングのソファにてゴロゴロダラダラしている。

小町の飯を食い、ダラダラして小町の飯を食い、ゴロゴロして小町の飯を食う。ありがとう夏休み。愛してる。

ところで、現在、比企谷家にはカマクラ以外にも動物がいる。

それはさっきから俺に服従の姿勢を見せている犬っころ、サブレである。

というのも、由比ヶ浜家が家族で旅行に行くということらしいのだが、さすがにサブレは連れて行けず、やたら懐いている俺に白羽の矢が立ったというわけだ。

カマクラと喧嘩しはしないかと思っていたが特に問題なく過ごしており、今日あと数時間もすれば由比ヶ浜が来る予定になっている。

あと数時間、サブレと遊んでやるか。何故か超俺に懐いてるし。本当になんでなんだろう。

 

「サブレ」

 

ひと声呼べばバッ、と立ち上がり俺を見上げるサブレ。餌が貰えるか遊んで貰えるか楽しみにしているような顔に見える。尻尾とか超振ってるし。

ふと、俺を見上げ期待するようなその顔が、飼い主である由比ヶ浜の顔と重なる。

…まぁ、犬は飼い主に似るっていうしな。サブレが由比ヶ浜に懐いているのかは別にして多少の影響は受けているのだろう。

 

「……お手」

 

右手をサブレの顔の前に持っていくと、ぽんと前足が置かれる。こいつ俺に懐き過ぎだろ。事故以来会ってなかったはずなんだけど。

よくできました的な意味を込めて空いている方の手で優しく頭を撫でてやる。

サブレは片目を閉じて尻尾を激しく振り、撫でられるままになっていた。

その様が、照れ笑いをする由比ヶ浜の姿に重なり……俺何言ってるんだろう。これは病気かな?病気だな。

サブレから手を離し、ソファに座り直す。

しばらくのんびりと俺から離れる様子を見せないサブレを眺めていると携帯が震えた。メールが来たらしい。

開いてみればAmazonからだったため読まずに消去し、ホーム画面に戻る。

俺は高校に入るまでは携帯は暇つぶし機能付き目覚まし時計として扱っていた。その名残でけっこうな数のアプリがインストールされているのだが、今日はふと写真が保存されているアプリに目を留めた。

アプリを開けば、40枚ほどの画像が表示される。内訳としては由比ヶ浜と、戸塚、それぞれの誕生日に由比ヶ浜が撮った写真が合計30ちょっと。7つは戸塚とラーメンを食った時のものである。

そして、残りのうちの1枚。

土砂降りの土曜日にパセラで撮った、由比ヶ浜と2人の写真。

距離はゼロ、驚く俺と笑顔の由比ヶ浜が写っている。

よく考えなくても女子とのツーショットなど今まで一度もなかった。クラスで撮る写真で女子と隣になれば間に1人入れるんじゃねえのってくらい距離を開けられ、フォークダンスでは手を握ることを拒否られ、文化祭の作業の写真を撮るときには同じ写真に映ることも拒否られた。泣きたい。

しかしこの写真の由比ヶ浜は俺の肩に軽く頭を傾けて、眩しいほどの笑顔を見せている。

それが、たまらなく嬉しい。

俺といてここまで笑顔になってくれる人など居なかったから。からかって大爆笑する奴はいたけど。

 

とくり、と心臓の音が頭に響く。

もう何度も考えようとしては無理やり押さえつけてきた思考。

人は、何にでも名前をつけたがる。

それは心に対しても適用され、愛だ、恋だ、好きだ嫌いだとラベリングしたがる。

けれど、一度名前をつけてしまえばもう元には戻れない。確定したものの名前は消えない。例え上書きしても、痕跡が完全に消えることはない。

だからこそ、俺は。

 

 

「およ、ツーショット?結衣さん可愛いなぁ…ね、お兄ちゃん!」

 

「うぉい!?」

 

思考は突然の小町によって停止した。

俺との見た目の唯一の共通点であるアホ毛をぷらぷらさせながらソファを飛び越えた小町は俺の隣に座り、開きっぱなしにしていた携帯の写真をまじまじと見つめている。

恥ずかしいので閉じようとするものの小町の両手がそれを許さない。なんで女子っていらんところで馬鹿力発揮するのん?もっとピンチの時にとっとけばいいんじゃないの?

 

「いやー、1人でファッションショーしてたお兄ちゃんを見た時は小町育て方間違えたかと思ったもんだよ…」

 

「お前に育てられた覚えはない。つーか見てたのかよ…」

 

ええ…超恥ずかしいじゃん…

というかやめて!見てたとしても言わないで!

 

「ドア全開だったのに気づかないお兄ちゃんが悪いんだよ。それで?」

 

「あ?」

 

小町は珍しく、本当に珍しく真面目な様子だ。

だいたい小町がこんな顔をするのは怒る時と相場が決まっているのだが、今日は怒られるようなことはしていないはずだ。

ならば、考えられるのはふざけて誤魔化すのは禁止、といったところだろうか。

 

「結衣さんのこと、どう思ってるの?」

 

「直球だな…」

 

直球すぎて受け止めるのに少々苦労したものの、さっきまでの俺を見られた時点でその手の質問が来ることはわかっていたのでなんとか平静を装う。

返答に困り、適当な言葉で応戦しようとしたが、小町は俺の妹だ。ヘタな誤魔化しも、嘘もすぐにバレる。

つまりここは正直に答えない限り終わらない。

 

「…まぁ、よくわからんっていうのが正直なところだな」

 

「そっか…ならしょうがないね」

 

何がしょうがないのかはよくわからないが、嘘はついていないことがわかったらしく小町は俺の顔を見るのをやめた。

そして携帯を俺に返すと、こてんと俺の右肩にもたれかかった。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

「…なんだ?」

 

「小町はお兄ちゃんに幸せになってほしいと思ってるよ?」

 

「…そりゃありがとよ」

 

言うまでもなく、俺も小町には幸せになってほしいと思っている。いや、シスコン的な考えはないよ?

 

「だからお兄ちゃんが困ってたら話は聞いたげる。お兄ちゃんじゃどうせどうにもならないし?」

 

「否定できねぇ…」

 

「ま、最悪どうしてもダメだったら小町が面倒見てあげるよ。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

「そのひと言が無けりゃなぁ…」

 

千葉の兄妹は今日も仲が良い。

直接的な言葉にしなくとも、なんだか分かり合えているような気がする。

まぁ、分かり合えているようでそうじゃなかったりもするのだが、その時はその時ということで。

 

会話を終え、お昼作るねーと言いながら小町はキッチンへ向かった。

リビングに残された俺は、小町の言葉を思い出しながら、どんなに撫でてもくすぐったそうにしながらも抵抗しないサブレを撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

玄関のチャイムが来客を告げる。

俺は一度サブレを床におろし、玄関に向かいドアを開けた。

すると、ドアが完全に開く前に、目の前にものすごい勢いで箱が突き出された。

 

「こ、これっ!お、お土産っ!」

 

「いや待て早い、早いから」

 

危なく目をやられるところだったがなんとかかわしてその箱を受け取る。

改めて視線を前にやるとそこには見覚えのある服を着た由比ヶ浜が立っていた。

 

「えっと…ひ、久しぶりだね、ヒッキー」

 

「お、おう……その服、着てくれてんだな」

 

それは以前出かけた時に眼鏡の礼としてプレゼントしたものだ。

別に俺が選んだわけではないし、なんなら適当にとったものだから由比ヶ浜も選んでいないのだが、私服として、しかも旅行に行くのに着てくれたというのは八幡的にポイント高い。

というか適当に選んだくせにやたら似合っているから目のやりどころに困る。

 

「う、うん…せっかくだし」

 

「…そうか」

 

どうもうまく会話することが出来ず、それきり無言になってしまう。そう言えば何しに来たんだったか。

…ああそうだ、サブレだ。

 

「サブレ、連れてくるわ。暑いだろうし中入っててくれ」

 

初対面の日以来の比企谷家というせいなのか緊張ぎみの由比ヶ浜を残し俺はリビングに戻り、すぐさま駆けてきたサブレを抱えて玄関に向かう。

 

「わ、サブレ超ヒッキーに懐いてる…」

 

「え、こいついつもこんな感じじゃねえの?」

 

「あたしがそんなふうに抱っこしても暴れるよ?」

 

いやそれお前あんまり懐かれてないしむしろ舐められてるんじゃないですかねぇ…

とはいえ俺もカマクラには舐められてるので人のことは言えない。

サブレを由比ヶ浜に渡そうとすると大人しかったサブレはバタバタと抵抗した。

 

「うぅ…ヒッキーに抱っこされるときはあんなに大人しいのに…」

 

由比ヶ浜は割と本気でショックを受けていた。

フォローしてやろうかと思ったがサブレの様子を見るに不可能なので無理矢理話題を変える。

 

「まぁ、餌もしっかり食ってたし散歩もしたし大丈夫だと思うぞ」

 

「みたいだね、ありがと」

 

「……」

 

「……」

 

…どうにも、明らかに何かしらの用事とか、しなければいけない話がある時は普通に話せるのだが、それが終わってしまうと何も話せない。

無理もない、元々ぼっちの俺と、ぼっちとまでは言わないにしても周りに合わせていた由比ヶ浜だ。この沈黙は必然と言える。

先にその沈黙を破ったのは由比ヶ浜だった。

 

「あ、あのさヒッキー」

 

「どうした?」

 

「えっとー…また、勉強会しない?ゆきのんとさいちゃんにもお土産、買ってきたし」

 

「俺は大丈夫だけど、あいつらの予定聞いてるのか?」

 

「んー…後で聞いとくよ」

 

「そうか。まぁ、また適当に連絡くれ」

 

「うん!」

 

 

車で親が待っているという由比ヶ浜はそろそろかえるらしい。

俺はサブレをケージに入れて由比ヶ浜に渡し、玄関先まで見送る。

 

「じゃあヒッキー、またね!」

 

「おお」

 

名残惜しそうに鳴きながら俺を見るサブレと、楽しそうに笑う由比ヶ浜が見えなくなってから、俺は家の中に入った。

外まで行こうとしたものの、男の友達がいるとパパがめんどいという理由で中途半端な見送りになった。まぁいいんだけど。

俺にやたら懐いていたせいか、サブレがいなくなった家は妙に広い。ひゃんひゃん鳴く声も聞こえなければリビングに入るなり俺に駆け寄る姿もない。カマクラが面倒くさそうにちらっと見るだけだ。

仕方ない、ちょっと散歩にでも行くか。サブレもういないけど。

そういえば猫は散歩とかしないよな、などと思いながらカマクラを見ると、舐めきった顔で面倒くさそうに鳴くだけだった。

 

 

 

 

適当に連絡くれと言ってから24時間も経っていない、翌日の昼過ぎ。

俺はサイゼの前にいた。

部活帰りの戸塚と体力の無いせいなのかサイゼに来る段階で暑さにやられたのか疲労困憊の雪ノ下も既に来ているらしい。

まさか翌日とはなぁ…圧倒的なスピードだなぁ…

とはいえ別に嫌なわけではないので階段を上がり、サイゼのドアを開けた。

すぐに奥の方に3人の姿を見つけ、空いていた戸塚の横に座る。

 

「八幡、久しぶりだね!」

 

「おう」

 

「こんにちは、比企谷くん」

 

「よう」

 

「ヒッキー昨日ぶり!」

 

「おう」

 

3人合計で6文字という省エネな返事をしてバッグをおろす。

勉強会とはいうものの誰もノートを広げている様子はない。授業のない夏休みだから無理もないが。

俺の到着を待ってからの注文にしたらしく、全員が注文をし、小一時間ほど食事をしたり由比ヶ浜がお土産を渡したりといった時間を過ごした。

いつもなら、この後すぐに勉強が始まるのだが、今日は長期休み中で緩んでいるためか雪ノ下でさえ勉強を始める様子はない。

かくいう俺もコーヒーを呷るだけであまり勉強をする気にはなっていなかった。

 

「旅行かぁ、いいなぁ…八幡と雪ノ下さんは夏休みどうしてるの?」

 

「ダラダラしてるな」

 

「読書をしていることが多いかしら」

 

そう言うと雪ノ下は勝ち誇ったような顔を見せた。

いやいや、本を読んでるか読んでないかの違いであってカテゴリで言えば君も引きこもりだからね?

 

高校生の夏休みは存外暇だ。

学生の本分は勉強だなどと言っても、高校1年の夏から毎日毎日勉強漬けなんていう現代の二宮金次郎はそういないだろう。

そして俺達4人は極端に交友関係が狭い。

引きこもりになるのも仕方ないのだ。

そんな益体のないことをどのくらい話した頃だろうか、由比ヶ浜が新たな話題を提供した。

 

「皆は残りの夏休み予定ある?」

 

当然無い。隣、そして前を見ると全員が首を横に振った。なんて残念な集まりだ。

とは思わない。

家にいてクーラーをつけていれば熱中症の心配は無いし、クラゲの被害も関係無い。渋滞のニュース見て「大変ねぇ」とか言ってればいいのだ。

 

「じゃ、じゃあさ…」

 

遠慮がちに由比ヶ浜が話を続ける。

ちらちらと俺を伺っているのが気になるが、安心しろ、ちゃんと聞いてる。

 

「花火大会、行かない?」

 

花火大会。小学生の頃家族で行ったきりのイベントだ。日本の夏の風物詩であり、一般的なリア充が毎年楽しみにしている。

由比ヶ浜はそれに行こうと言う。

祭りや花火と聞いて血が騒ぐのは日本人の、男の本能だろうか。まぁ、どうせ予定のない俺は特に断る理由もないだろう。

 

「まぁ、俺は大丈夫だ」

 

「う、うん!行こうっ!」

 

由比ヶ浜はほっと息を吐き、安心したように笑った。

戸塚と雪ノ下はどうなのだろうかと2人の様子を見るとどちらも問題はないらしい。

雪ノ下はしばらく考えるような仕草を見せたのち、「空けておくわ」と呟いた。

アイコンタクトで頷き合っていたのが気にはなるのだが、以外とこの2人は仲が良いんだろうな。見た目はどっちも美少女だし。

こうして、俺は人生で初めて、家族以外の人間と花火大会に行くことが決まった。

 

 

 

 

結局、勉強はしなかった。

サイゼを出て、今日は男同士、女同士のペアで解散する。雪ノ下の家に由比ヶ浜が泊まる時はだいたいこのパターンになる。

 

「じゃ、またな」

 

「ええ、また」

 

「また連絡するね!」

 

「じゃあね、2人とも」

 

別れの挨拶を交わし、戸塚と2人歩く。

こうして歩くのは久しぶりだ。しかし戸塚はテニスやってるとは思えないほどの肌の白さだ。

…そういえばいつからだろうか、戸塚を普通に男として見るようになったのは。

 

「八幡、どうかした?」

 

「いや、なんでもない」

 

まだまだ空は明るく、しばらく陽が落ちる気配はない。

ゆっくり歩いていると、戸塚がにっこりと笑いながら口を開く。

 

「八幡、花火大会楽しみだね!ぼく、友達と言ったことないから…」

 

「そうだな。俺も初めてだ」

 

「…ねえ、八幡?」

 

戸塚はラケットを握る手に力を入れて俺の顔を見る。

驚いて思わず顔を逸らしてしまったが、どうにか言葉を絞り出した。

 

「…なんだ?」

 

「もっと、かっこよくなってみない?」

 

「……は?」

 

 

 

 

 

2日後。俺は小町と共に駅前にいた。

おそらくもうすぐ戸塚がやってくるだろう。

戸塚の言ったもっとかっこよくなろうというのはつまり服を買いに行こうということらしい。

そして前日の夜、小町がお兄ちゃんと友達になろうなんて珍しい人と会ってみたいと言うので戸塚に聞いてみるとぼくも会ってみたいということで2人で集合場所に来ている。

 

「お兄ちゃん、戸塚さんってどんな人?」

 

「あー、そうだな…とりあえず男だ」

 

先に言ったところで初見だと信じてもらえないかもしれないが、戸塚は男だ。いや、別にちょっと残念がってなんかないよ?

小町と2人ぼんやりと立っていると待ち合わせの時間の2分前になった。

そろそろかと思っていると、案の定私服姿の戸塚がこちらに走ってくるのが見えた。

 

「はちまーん!」

 

戸塚は俺に気づくと大きく手を振りながら走ってきた。

俺は片手を上げて応えると小町に呟く。

 

「あれが戸塚だ」

 

「いやいや、あれは女の子でしょ…」

 

それが男なんだよなぁ…女だったら俺もあんなに普通に接していない。

俺達に合流した戸塚は呼吸を整えると軽く微笑んだ。

 

「どうも、妹の小町です!兄がお世話になってます!」

 

「あ、君が小町ちゃん?ぼく、戸塚彩加。よろしくね」

 

戸塚と小町がひと通りの挨拶を済ませると、3人で電車に乗る。

どこに行くかは任せてあるから知らないが、上りに乗ったということはららぽだろうか。

今日は天気も良く、車内は多少混雑している。

座ることを諦めて反対側のドアの前に立つことにして、戸塚と小町の一見ガールズトークにしか見えない会話を眺めることにした。

 

南船橋で電車を降りた。

ということはららぽで間違いないだろう。

軽い足取りで俺の前を歩く戸塚と小町はどうやら意気投合したらしく、仲良さげだ。

時折「あとは八幡が…」とか、「ほんとあの兄は…」とか聞こえてくるが、そこだけ聞こえても何もわからない。ていうか小町ちゃん?何お兄ちゃんの目の前で人にお兄ちゃんの悪口言っちゃってんの?さすがに傷つくよ?

歩くこと数分、久しぶりのららぽーとに到着した。

 

「行こっか、八幡」

 

「ああ」

 

3人でやってきたのは、とあるメンズのショップだった。

俺は自分の服を自分で選ぶという習慣が無いためよくわからないのだが、どうやら普通の男子なら知ってて当然な店らしい。

いいじゃない普通じゃなくたって。英語で言ったらスペシャルだろ?なんか特別な存在みたいだろ。

 

店に入るなり、戸塚と小町はあれやこれやと持ってきては俺を鏡の前に立たせ、合わせては盛り上がっていた。君たち人の服買うのによくそこまで盛り上がれるね、凄いです。

本人の俺は適当にハンガーを取ってはまた元の場所に戻すという、服を選ぶふりに興じていた。

 

「戸塚さーん、これとかどうですか?」

 

「あ、それかっこいいね!はちまーん!」

 

「…はいよ」

 

まぁ、2人が楽しそうだから別にいいんだけど。

俺はしばらくの間、着せかせ人形の気持ちをなんとなく理解しながら、両隣から次々と出てくる服を合わせる時間を過ごした。

 

 

ようやく決まったらしい服を持たされ、半ば連行されるように試着室に放り込まれた俺は着替えを済ませ、眼鏡をかけて、カーテンを開く前に鏡を見た。

そこに立つのはいつもの俺だ。特別かっこいいとは思えない。

というか、何故いきなりかっこよくなろうなんて展開になったんだろう。

まあいい。とりあえず外から急かす声がするしカーテンを開けよう。

 

「おお、お兄ちゃんいいじゃん!」

 

「うん、似合ってるよ八幡!」

 

鏡で見る自分と他人が見る自分は違うと言う。

ならばたぶんここでは戸塚と小町が正しいのだろう。

 

「…そうか」

 

「あ、お兄ちゃんお金なら心配いらないよ?」

 

「え?お兄ちゃんさすがに妹に出してもらうつもりはないんだけど…」

 

「小町だってお兄ちゃんの服なんか買いたくないよ。お母さんに言って貰ってるだけ」

 

まさかのスポンサー母親…どんな言い方したら上から下までコーディネートできる額の金が貰えるんだよ。貰えるもんなら貰っとくけど。

 

結局全額母親の提供で服を買い、軽く飯を食ってその日は解散になった。

何故か別れ際に戸塚が「八幡、頑張ってね!」と言っていたが、一体何を頑張れと…

ともあれ、それから後には何の予定も入ることなく、夏休みは順調に消化されていった。

 

 

 

 

 

 

千葉市民花火大会は、数年前にその会場をポートタワーから幕張海浜公園に移し、名前も幕張ビーチ花火フェスタというファッショナブルなものに改められた。

したがって、今まで千葉みなとに向かっていたところを海浜幕張に行くことになる。

毎年8月の第一土曜日は千葉における三大リア充の祭典の1つと決まっており、中学以降俺とは縁がなかったのだが、赤信号、皆で渡れば怖くない的な流れで今年は4人で行くことになっている。ちなみに残りの2つはポートタワーのクリスマスイルミネーションと、ディスティニーのクリスマスイルミネーションだ。イルミネーションばっかりじゃねえか。

赤信号を皆で渡ると事故って死者が増えるだけだと思うんだけどなぁ…

 

そして今日がその当日。小町がカレンダーにマーキングをしていたその日がやってきた。

待ち合わせは稲毛海岸に5時。今はまだ昼の1時だからずいぶん時間がある。

俺は寝間着のまま、ダラダラと朽ち果てていた。

中途半端に時間が空くと妙にそわそわしてしまって落ち着かない。3時間ちょっとあればラノベの1冊くらいは読めるのだろうが、あいにく今はまだ読んでない本がない。

外は雲ひとつない晴れ。絶好の花火日和と言えるだろう。

俺は昼寝をして時間を潰すことにした。

 

 

次に時計を見たのは4時前だった。

そろそろ準備をするかと顔を洗って部屋に戻り、この前買った服に袖を通す。

小町は友達と行くのだろう、浴衣の着付けをしてもらうから先に出るというメールが来ていた。

ゆっくりと準備を終えて、家を出る。

駅までの道のりを歩いていると、浴衣を着た女性やそんな女性を見つめるモテない男子が大勢目に入った。ああそれそれ、そういうところがモテない原因なんじゃねえの?俺もモテないからよくわかる。

電車の中にも家族連れ、カップル、友達同士の集まりの集団が大勢いて、花火大会に行く予定もないただ乗ってるだけの大学生が気の毒でならない。

まともに身動きもとれない電車に乗ったまま、数分。数駅過ぎて電車は目的の駅に停車する。

すでに海浜幕張は過ぎており、比較的のんびりと降りることができたのだが、今からまたあれに乗るのか…乗車率120パーセントくらいなんじゃねえの、あれ?

おっかねぇおっかねぇと思いながら電車に背を向け、改札まで歩いて行った。

待ち合わせ時間までは10分ほどある。

周囲を見渡してみるがまだ誰も来ていない。

俺は浴衣や甚平を着た男女の間をすり抜けるようにコンコースの柱に寄りかかった。

この日を待ちわびたとばかりに浮かれた様子で改札を抜けていく人たちを眺めていると、こちらに歩いてくる戸塚を見つけた。

甚平などは着ておらず、人の間をするすると通って俺の前までやってきた。

 

「八幡、早いね」

 

「まぁ、俺の家ちょっと遠いからな」

 

早く来た答えにはなっていないのだが、まあいいだろう。後は女子2人を待つだけだ。

戸塚は俺の横に立ち、俺同様に改札を抜ける人々を眺めている。

蘇我に行きたいのに流されて上り方面に連れて行かれるおっさんが目に入るが、おもしろいので放っておくことした。

そんなことをしていると待ち合わせの時間を1分ほどオーバーしていた。

花火そのものは7時半からだし少々の遅刻は気にならない。俺もよく学校を1時間単位で遅刻してるし。

部活が終わってから出かけたのだろう、見覚えのある顔がいくつか俺と戸塚の前を通っていく。

 

「あっ、来たよ!」

 

少し離れた場所を指さす戸塚につられて前を見ると、浴衣姿の雪ノ下と由比ヶ浜が歩いてきていた。

雪ノ下は慣れた様子だが、由比ヶ浜は慣れない下駄のせいか足元がおぼつかない。今日はアップにした髪が不安定に揺れている。

 

「ごめんなさい、少し着付けに手間取ってしまって」

 

「1分ちょいくらい気にすんな。じゃ、行くか」

 

「ええ」

 

無事に集合し、エスカレーターに乗ってホームへ上がる。その途中、戸塚が俺の袖をくいっと引っ張った。

振り向くと、自分の服を指差した後、由比ヶ浜を指差した。

…ああ、なるほど。さすが戸塚は細かいところに気が回る。というか女心がわかってらっしゃる。

ホームに着くと、比較的人の少ない場所を選び、並んだ。隣に由比ヶ浜、後ろに戸塚と雪ノ下が並んでいる。なぜ2人とも俺をじっと見てるんだろう。

ともかく、改めて由比ヶ浜の着ている浴衣を見る。

雪ノ下が選んだのだろうか、薄桃色の浴衣はところどころに小さく花が咲いている。

普段と違う髪型、そして浴衣を着た由比ヶ浜は、いくらか大人びて見えた。

 

「由比ヶ浜」

 

「ん、なに?」

 

「あー、その…」

 

頬をかきながら言うべき言葉を探すものの何も出てこない。

落ち着け俺。こういう時は見たままの感想を言えばいいだけだ。

 

「その浴衣、…似合ってる、と思う…」

 

「あ、ああありがと」

 

お互い視線を泳がせつつの会話は端から見ればずいぶん滑稽だっただろう。

訪れた沈黙に困っていると、幸いなことにすぐに電車がやってきた。

 

当然、車内は混雑していた。

たった2駅、5、6分程度のはずだがずいぶん長く感じる。

さらに、ただでさえ人でごった返しているのに次の駅でさらに乗車率は上がった。

後ろからの人波に押されるように、戸塚と雪ノ下がこちらに距離を詰め、バランスを崩した由比ヶ浜がよろけた。下駄ということもあり踏ん張りがきかなかったのだろう。転倒しかけた由比ヶ浜を両手で支えた。

 

「ありがと、ヒッキ…うわっ!」

 

支えたまでは良かったのだが、何も掴まないまま発車したため、由比ヶ浜は支えている俺の胸のあたりに思いっきり飛びこんでしまった。

体勢を立て直そうにも混みすぎていて動けそうにない。海浜幕張までの3分はこのままになりそうだ。

 

「ご、ごめんヒッキー…」

 

「まぁ、混んでるしな…」

 

思わぬ事態に動揺を隠しきれない。

由比ヶ浜が俺に抱きつくような形になっているせいで体の密着度が…って近い近い。いいから、顔上げなくていいから。

俺が並の男子だったら何これ運命?とか言ってるところだが、これはそんなものじゃない。

より正確に言えば、そうでも言ってないと勘違いしそうでいっぱいいっぱいです。

ようやく駅に着き、ある程度人がはけるのを待ってから外に出た。

まだ会場に着いてもいないのだが、既に俺のライフはゼロに近い。

先に歩き始めていた戸塚と雪ノ下を追うように俺と由比ヶ浜は改札へ向かった。

 

花火が始まるのは19時半。俺達が会場に着いたのは6時前だった。

こうなるとしばらくはすることがなく、当然視線は屋台へと向かう。

広場を見やれば多くの店が軒を連ね、定番の焼きそばやかき氷の店などは特に大盛況だった。

何もこんなところで買わなくても食べられるし、特別美味しいというわけでもないのにこの盛況ぶり、まだまだ日本人は日本人の心を忘れていないと言える。

由比ヶ浜も目を輝かせて俺の袖をくいくいと引く。

 

「ヒッキー、何から食べる?りんご飴?りんご飴かな?」

 

「あー…買いに行くか?」

 

「うん!ヒッキーにも半分あげる!」

 

「いらんわ…」

 

飴の半分こってなんだよ。聞いたことねえよ。

やるならせめて半分にしてから食ってくれ。

一方、戸塚と雪ノ下もこの独特の雰囲気を楽しんでいた。

 

「わぁ、久しぶりだなぁ…」

 

「人混みはあまり好きではないけれど、たまにはこういうのもいいわね」

 

ここにいる全員が祭りや花火大会などと縁のない人生を送ってきたこともあり、俺を除く全員がいつもよりテンションが高めになっていた。

そして楽しげに広場を見つめる2人が俺に視線を向ける。

その目が言っている。こっちはいいから由比ヶ浜を見てろ、と。

その由比ヶ浜はりんご飴をご機嫌な様子で舐めており、放っておくとはぐれて迷子になりかねない。小学生じゃないんだから…

 

「おい由比ヶ浜。りんご飴もいいけどちゃんと前見ろ」

 

「へ?あ、うん。ヒッキーも食べる?」

 

「だからいらんっつーの。お前俺が舐めたりんご飴食えるのかよ…」

 

俺の言葉に由比ヶ浜はりんご飴をじっと見て、その後俺を見ると顔を真っ赤にして慌て始めた。

 

「や、やー、だよね!りんご飴半分ことかありえない、よね…」

 

「言いながら照れるなら最初から言うな…」

 

ところどころ事故はありながらも、時間は過ぎていった。

こういう場所に来ると特に何もしなくても時間が経つのは早く感じるものだ。

陽はもうすぐ沈む。周囲では場所取りをしてビールを飲むおっちゃんの笑い声が、仲良く騒ぐ中高生の声が響いている。

ああ、楽しいなぁと口の中で呟いた。

隣を綿あめを頬張りながらからんころんと歩く由比ヶ浜が、反対側には買ったばかりの焼きそばの香りを楽しむ戸塚と少々歩き疲れながらも楽しんでいる様子の雪ノ下が、それぞれに笑顔を浮かべている。

こんな時間は永遠には続かないのだろう。それぞれにそれぞれの人生があって、いつまでもこうして一緒にいることは出来ない。いつかは別々の道を歩み、だんだんと顔を合わせることもなくなっていくのだろう。

けれど、今日見たこの景色を俺は忘れない。

いつか、久しぶりに会った時にきっと話題に上がるだろうこの景色を、俺は忘れない。

だからずっと、俺達の時間は終わらない。

 

 

 

 

 

 

日は完全に落ち、夜空が辺りを覆った。雲ひとつない空には月が昇り、それに合わせるように人々はそれぞれ取った場所に向かっていく。

既に屋台の周辺も広場も人でごった返しており、とても4人が座れそうなスペースはない。

俺1人なら適当に座るし、なんなら帰っちゃったりもするのだが今日は事情が違う。立ちっぱなしで見るのも疲れるだろう。

俺達は座る場所を探すことにした。

しかし人が多すぎる。4人だとまっすぐ前に進むのも一苦労だ。

 

「混んでるねぇ」

 

きょろきょろと座れる場所を探しながら由比ヶ浜が言う。本当に混んでいる。

近くのベンチは既に埋まり、少し離れないと難しそうだ。

 

「比企谷くん」

 

いよいよ困っていると、雪ノ下が思い出したように言う。

 

「なんだ?」

 

「確認はしてみないといけないけれど、座れる場所があるかもしれないわ」

 

「マジ?この状況で?」

 

聞けば、雪ノ下の実家はこういう自治体系のイベントは強いらしく、今日は名代として雪ノ下の姉が来ているらしい。

繋がりにくく、何度か電話をかけ直した後、姉とやらと通話しているのだろう、苦々しい顔をした後、雪ノ下は通話を終了して顔を上げた。

 

「大丈夫だそうよ。行きましょう」

 

おお、と雪ノ下を除く3人で感嘆の声をあげて歩き始める。

名代が入るような場所だ。わかりやすく言えば貴賓席。そんなところにこんな目の腐った高校生が入ってもいいのだろうか…

 

雪ノ下に促されやってきたのはロープで囲われたスペースだった。

有料エリアなのだろう。バイトと思しき男が見回っており、俺1人だったら捕まって警察に引き渡されていたところだ。

雪ノ下は少し離れた場所に座っていた女性のところへ歩き、二言三言会話を交わすとその人を連れて戻ってきた。

 

「これが姉よ」

 

「どうもー、雪乃ちゃんの姉の陽乃でーす!よろしくね!」

 

それは雪ノ下の姉というだけあってたいそうな美人だった。挨拶からも分かるように人当たりも良く、恐らく誰もが憧れるような、クラスの中心的人物だっただろうことがわかる。

女子からも男子からも憧れの対象として見られるタイプだろう。まさに理想的な容姿、そして接し方だ。

だが理想は理想だ。現実じゃない。だからどこか嘘くさい。

俺は無意識のうちに警戒レベルを数段上げていた。

とは言え、招待してもらった身で無礼をする訳にはいかない。それは雪ノ下にも悪いしだいたいこの人は俺に何もしてないし。

 

「…比企谷八幡です」

 

俺が名乗り返すと、我に返ったように戸塚と由比ヶ浜が自己紹介をする。

雪ノ下さんは俺達3人をじっくりと吟味するように見ると、しばらく考えてから口を開いた。

 

「それで、どの子が比企谷くんの彼女?」

 

前言を撤回する。この人俺に何かする気満々だ。警戒レベルを最高度まで上げることにしよう。

 

「姉さん、やめて」

 

「ありゃ、いいの?雪乃ちゃん。こーんなイケメンが近くにいるのに」

 

「彼は私の友達よ。あまり困らせないで」

 

ほう、お世辞も言えるのか、雪ノ下の姉は。

ますます恐ろしい。

この人といると寿命が縮みそうだ。

 

「ふーん?…ま、いいや。このエリアは好きに出たり入ったりしていいから」

 

俺をいじるのに飽きたのか、ひらひらと手を振りながら雪ノ下さんは元いた場所に戻っていった。

 

「…姉がごめんなさい」

 

「いや、別に。しかしあの外面はすげえな…」

 

「だねー…なんか仮面あるっていうか…」

 

「うん…」

 

「それをひと目で見抜くあなた達もどうかと思うのだけれど…」

 

まったくだ。俺もどうかと思う。

人の裏を読む癖がついているからわかってしまうのだ。それは過剰に周囲を伺いながら生きてきた戸塚や由比ヶ浜も同じなのだろう。

まあそれはいい。せっかく花火大会に来たのに人の仮面など気にしても仕方あるまい。

 

「とりあえずどうする?花火始まるまでちょっと時間あるけど」

 

「あ、かき氷食べたい!」

 

「食ってばっかだなお前…」

 

しかし戸塚も食べたいとのことなので1度有料エリアを出て屋台に向かう。

まだまだ人は多いが、幸いエリアを出て少し歩いたところにかき氷の屋台を見つけた。

その近くにある行列はトイレのものだ。いや、屋台開く場所考えた方がいいだろ。

ちょうど行きたくなってきたからいいけど。

 

「由比ヶ浜、ちょっとトイレ行ってくるから悪いけど俺の分も買ってきてくれるか?」

 

「あ、うん、わかった」

 

「悪い、割り込むのもアレだしこの辺にいるわ」

 

断りを入れて俺は3人から離れトイレの列に並んだ。

 

 

男のトイレはそう時間はかからない。

手を洗い元の場所に戻るが、屋台に並んだ由比ヶ浜達の姿は見えない。

となるとここで待っていた方がいいだろう。俺は腕を組んで人混みを眺めることにした。

 

「あれ、比企谷?」

 

聞き覚えのある声が耳に届いたのはその直後だった。

右側から聞こえた声の主を見ると、そこには女子が2人立っていた。

そのうちの1人を俺は知っている。

折本かおり。中学時代に俺が作った黒歴史のうちの1つに関わっている。

まぁ、勘違いした俺は気持ち悪かっただろうし、別に自分が被害者だなどとは考えていない。

しかし、確実に心の温度が下がっていくのを俺は感じていた。

できればそれ以上近づいてほしくない。

しかしそんな俺の事情など知らない折本はどんどんと俺との距離を詰めてきた。

何故かはわからないが、俺は眼鏡を外して数歩後ずさった。

 

「比企谷超久しぶりじゃん。元気?」

 

「あ、ああ、まあ」

 

口が上手く回らない。

これはどう考えても昔好きだった子に再開したからとかそういう類の緊張ではない。

冷静になれば中学を卒業して半年も経っていないのだ、当然だろう。

首筋を汗がつたう。出来れば早く終わらせて欲しいのだが、そうはいかないらしい。

 

「今日誰と来てんの?彼女?」

 

「…いや、友達」

 

「だよね、比企谷に彼女とかできてたら超ウケるし」

 

ああウケるな。ウケるから早くどこかへ行って貰えませんかねぇ…

俺が返答に困っていると、後ろから由比ヶ浜の声がした。

 

「ヒッキー?」

 

声のした方を向くと、両手にかき氷を持った由比ヶ浜がきょとんとした顔で俺を見ていた。

隣には同じくかき氷を持つ戸塚と雪ノ下の姿もある。

 

「あ、ああ…悪いな」

 

「どうかした?すっごい汗かいてるけど…あれ、その人は?」

 

当然、俺のすぐ近くにいる折本も由比ヶ浜の目にとまる。

俺は何も起こりませんようにと祈ることしか出来ない。

 

「あ、比企谷の中学の同級生で折本かおりです。こっちは友達の千佳」

 

「ゆ、由比ヶ浜結衣です…」

 

中学の同級生と聞いて由比ヶ浜の、そして戸塚と雪ノ下の顔がぴくりと動いた。

 

「え、超可愛いじゃん比企谷!彼女じゃないの?」

 

「…違う」

 

「…ヒッキー?」

 

最低限の言葉しか発しない俺を由比ヶ浜が不安そうに見つめている。

ポーカーフェイスでいられたら良いのだが、俺はそこまで精神的に成長していない。

嫌な汗は次々と首から背中へ流れていった。

 

「ヒッキーって…ぷふっ…」

 

ヒッキーというあだ名がおかしかったらしい。折本とその連れは吹き出した。

途端に、気持ちの悪い何かが腹のあたりを蠢いた。

俺はいくら笑われてもいい。けれど、俺のせいで由比ヶ浜が笑われるのは、はっきり言って不愉快だ。

基本的に言い返すことはしない俺だが、さすがに何か言ってやろうと口を開きかけたその時、

 

「それで、貴方達は比企谷くんに何か用?」

 

雪ノ下がぴしゃりと放った一言が場の全員を黙らせた。

雪ノ下は顔は静かだが、瞳には確かな怒りを滲ませている。それだけ由比ヶ浜と仲良くなったということなのだろう。

折本は1度固まった後、何が起きているのかわからないといった調子で口を開いた。

 

「用っていうか、同級生いたら気になるじゃん?しかも1回告られた相手だし」

 

今度は俺達4人が固まる番だった。

3人ははっ、と息をのみ、由比ヶ浜は俺の首筋をつたう大量の汗と、俺自身が気づかないうちに握りしめていた手を交互に見ると、俺の袖をぐいっと引っ張り折本と距離をとらせた。

 

「は、八幡…」

 

「…大丈夫だ、ちょっと暑さにやられただけだ」

 

相変わらず、折本は訳がわからないという表情で突然目の前に立った由比ヶ浜を見ている。

 

「え、ちょ、なに?」

 

「なんで…なんでそんなことができるの…?」

 

「そんなことって、え、なに?」

 

俺自身も訳がわからない。

わかるのは、由比ヶ浜の声が涙声になりつつあることだけだ。

止めた方がいい、そう判断した俺は由比ヶ浜に声をかけようとしたが、雪ノ下がそれを遮った。

 

「今だってそうだよ!告白された、なんて簡単に言いふらして!」

 

「いや、私だってあんなに広まるとは思ってなかったし…」

 

「だからって、好きって言ってくれたヒッキーにあんまりだよ…言いふらされて馬鹿にされたヒッキーの気持ち、考えたことあるの?」

 

「……」

 

由比ヶ浜の声は完全に涙声になっていた。

俺は、こんな人間を知らない。

俺のために怒ってくれるような人を。

俺なんぞの気持ちを考えろなんて言う人を。

腹のあたりを蠢いていた何かは霧散し、温かい何かだけが残った。

だから、もう充分だ。

今日は祭りだ、こんな所で口論して気分を台無しにするべきじゃない。

それに、せっかく浴衣を着ていつもと違う化粧もしているのだ。せっかくの化粧が落ちてしまうだろう。

 

「…由比ヶ浜、やめろ」

 

「……でも…」

 

「いいから。近しい人が…由比ヶ浜がわかってくれてたら、それでいい」

 

俺の言葉を受けても由比ヶ浜は納得のいかない様子だったが、諦めて頷いた。

もうじき花火も打ち上がる。さっきの場所に戻ろう。

 

「じゃあな」

 

一応折本にひと声かけて後ろを向く。

歩き始めようとしたところで、消え入るような声が聞こえた。

 

「比企谷…」

 

その声からはどうしていいのか全くわからないという戸惑いの色が感じられた。

俺も同じく戸惑っているのだが、これ以上ここにいても話すことはない。

 

「…別に俺は自分が被害者だとは思ってねえよ。実際キモかっただろうし。…すまん」

 

俺が何に謝ったのかはよくわからない。

キモくてごめんなさいといったところだろうか。卑屈だ。

全く予期せぬ形ではあったが、折本の件は終了した。

折本からしたら祭りの気分を害されていい迷惑かもしれない。それはすまんと言うほかない。

まぁ、俺の黒歴史と等価ってことにしておいてほしい。

せめてこれから誰かに告白された時、言いふらしたりしないで欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

気を取り直して座ってかき氷を食べ始めたころ、花火が夜空に打ち上げられた。

あちこちから歓声と拍手が巻き起こる。

溶けかけの氷をすくって口に運びながら次々と広がる花火を見上げる。

しかし、意識は隣に座る由比ヶ浜に向いていた。

由比ヶ浜はかき氷を食べる手を止めて花火に見入っている。

その横顔が花火の光によって照らされる。

可愛らしく、そしてどこか儚い。

俺は、手にしていたかき氷を足元に置いた。

 

「…ありがとな」

 

「……うん」

 

花火の音にかき消されそうなほどにか細い俺の声に小さく頷いた由比ヶ浜は、俺と同じようにかき氷を足元に置き、俺と目を合わせた。

その表情は真剣で優しい。

依然、上空には花火が打ち上げられ、その度にお互いの赤い顔が照らされる。

照れくさくなり、花火を見るふりをして視線を逸らした。

 

 

花火が打ち上げられ、散っていく。

その度に視界の端の由比ヶ浜の横顔が照らされる。

その繰り返し。

それを、俺は飽きることなくじっと見つめていた。

ずっと抑えてきた思考は止まることなく。

一緒にいたい、と思った。

一緒にいると楽しいからとか、気が楽だからとか、そういうものじゃない。

ただ、隣にいたい。

理由など突き詰めずに、また明日も。

由比ヶ浜の隣にいたい。

明言を避けてきた俺の思考回路はついに逃げ場を失い、1つの結論にたどり着いた。

そこに、もう1人の冷静な俺が警鐘を鳴らす。

そう思っているのはお前だけだ、と。

その結論を由比ヶ浜にぶつけた時、全てが壊れてしまう、と。

きっと雪ノ下ならそれで壊れるのならその程度のものだ、と言えるのだろう。

でも、今の俺にはそれができない。

壊したくない、失くしたくない。

だったら今のままをずっと続けていくのが正解なのかと自問するのなら、答えは否だ。そこにいるのは偽りの俺だ。

しかしすぐにでも伝えることが正解かと問えばそれもまた否。

花火を見上げながら、何度も自問を繰り返した。

 

 

 

 

全ての花火が打ち上げられると、終了、そして退場を促すアナウンスが行われる。

ぞろぞろと人の波が動き出すなか、俺はその場に固まったまま動けずにいた。

周囲の人が去ってゆくのをなんとなく感じながらも、根を張ったようにその場に留まる。

しかし、いつまでもここにいたら警備員に無理やり追い出されるのは時間の問題だろう。

ようやく重い腰を上げると由比ヶ浜も同じように立ち上がった。

 

「そろそろ帰ろっか」

 

「…ああ」

 

どのくらいの間ぼうっとしていたのかは定かではないが、駅へと続く道には多少人が少なくなっていた。

ということは今まさに海浜幕張周辺は激混みだろう。

 

「ゆきのんとさいちゃん、ヒッキーがぼーっとしてる間に陽乃さんの車で帰っちゃったよ?」

 

言われて気づけば2人がいない。

悪いことしたな、後で謝っておこう。

 

「なんで由比ヶ浜も乗らなかったんだ?」

 

「え、い、いやー、ヒッキー1人になっちゃうし、一緒に帰ろうと思ったんだけど…」

 

「…そうか、じゃあ帰るか」

 

「うん」

 

花火が終わってかなり時間が経ったような気がする。下手したら高校生は補導されかねない時間だ。

せめて人混みに紛れて補導は避けた方がいいだろう。

俺と由比ヶ浜は駅へと続く道を歩き始めた。

 

 

俺のせいで会場を出るのが遅れたため、駅の混雑ぶりは予想以上だった。

やや遅れ気味にホームに入ってきた電車には1度に乗車できるかわからないほどの人数がどっと押し寄せる。当然座ることもできず、俺と由比ヶ浜はドアの前に立つことになった。

由比ヶ浜の家の最寄駅まではたったの2駅だ。5分とかからない。

ドアが開くと、その目の前にいた俺達は後から降りる人のことを考えれば降りるしかない。

元々そのつもりだったこともあり、俺は素直に電車を降りて歩き始めた。

 

「ヒッキー、ここだっけ?」

 

「いや。…もう遅いし、近くまで送る」

 

「…ありがと」

 

ぽしょりと礼を言われたが、そもそもここまで遅くなったのは俺のせいなので反応に困る。

改札を抜けると、レストランやホテルの灯が周囲を明るく照らし、祭りの余韻そのままに大学生くらいのグループが大声で騒いでいる。

万が一にも絡まれると面倒なので道の端を通り、ようやく人気の少ない場所に出た。

同じ電車に乗っていた乗客達だろう。同じ方向に歩いてきていた人々に抜かされながら、のんびりと由比ヶ浜家へと歩く。

履き慣れていない下駄だとスピードが落ちるのか、由比ヶ浜の歩くペースはいつもよりいくらか遅い。

お互い無言のまま、歩き慣れた道へと入っていく。

 

「ヒッキー、さっきはごめん…」

 

唐突に、由比ヶ浜が謝罪を繰り出した。

俺としては謝られる謂れが無いため戸惑いを隠せない。

 

「何がだ?」

 

「勝手に怒っちゃったりして…」

 

後から冷静になれば「あの時なんであんなことしちまったんだろう…」となることは多々ある。そういったパターンのものだろう。

あの由比ヶ浜の行動が正しいかそうでないかはともかく、俺は嬉しかったのだから謝る必要はない。

 

「別に謝らなくていいだろ。……嬉しかった、しな」

 

「でもっ…」

 

何か言い返そうとして由比ヶ浜は俯いた。

それにあの時、おそらくあの場で誰よりも冷静だった雪ノ下も由比ヶ浜を止めなかったし、必要なことだと判断したのだろう。

 

「…今日は4人で行って良かった」

 

これまた唐突な俺の言葉に、今度は由比ヶ浜が反応に困ったような顔をする。

まぁ、これは偽らざる俺の本音だから言葉通りの意味に受け取ってくれて構わない。

 

「そう、だね…あの時ヒッキーに会いに行って、ほんとに良かった」

 

それは、全ての始まりの日だった。

もし、あの時家に誰も居なかったら。。

もし、由比ヶ浜に応対したのが小町だったら。

もし、友達になろうなんて言わなかったら。

もしもに意味はない。今ここにある現実が全てだ。そこに「もしも」が介入する余地はない。

けれど、俺達に起こった何かがズレていれば、俺達の関係性は全く違うものになっていたはずだ。

 

「だな。俺と由比ヶ浜が関わることもなかっただろ」

 

言いながら、それはどんな未来だったのだろうと考える。

たぶん、休み時間になれば本を読んだり寝たふりをしたりといったぼっちの道へ進んでいただろう。そんな俺と、由比ヶ浜が、あるいは戸塚や雪ノ下が友達になってくれるのだろうか。

仮に、あの事故が無かったとすれば、俺達の間には接点などありはしないのだから。

 

「あの日に会えなくてもあたしはヒッキーと出会ってたよ。初めて見た時からなんか違うなって思ってたから」

 

由比ヶ浜の瞳は潤んでおり、街灯の明かりでその表情ははっきりと見てとれた。

具体的なことは口にしないまでも、なんか違う、の意味はなんとなく理解することができた。

それはたぶん、俺も由比ヶ浜に抱いた感情だったからだ。

俺が中学までに出会ってきた誰とも違う表情と態度、そして何よりまっすぐに俺へと踏み込んできたのは由比ヶ浜が初めてだった。

そんな由比ヶ浜に、きっと俺は。

 

「あたしこんなだからうまく人と話せないし、だけどヒッキーはなんか違うから、平塚先生とか頼ってさ。で、ヒッキーに会うの」

 

もしかしたらあったのかもしれないその未来は想像に難くなかった。実際雪ノ下とはそうやって出会ったわけだし。

考えている間にも由比ヶ浜の言葉は続く。いつの間にか、歩く足は動きを止めていた。

 

「それで、勉強とか教えてもらって、ヒッキーの黒歴史聞いて、眼鏡買いに行ってさ。それでいっぱい遊ぶんだ、きっと。それでさ…」

 

起こる出来事は今とあまり変わらない、そんな夢物語は、妙に現実味を帯びている。

そして、そうであったらいいと考えている自分にも気づく。

 

ひと息ぶんの空白。

由比ヶ浜の持つ巾着からブブっと音がしているが、由比ヶ浜は気にも留めない。

俺もまた、その言葉の先を遮ることはせずに、ただ待つ。

ぬるい風が頬をなでる。その風が止んだのと同時、由比ヶ浜がきっとした顔を見せた。

 

「それで、きっとあたしは…」

 

その顔はすぐに戸惑い、迷い、怖れ、様々な感情の混じった表情に変わる。しかし、視線だけは俺を捉えて離さないままだった。

 

「……ヒッキーのこと、好きになるの」

 

 

交わした視線は依然ぶつかったまま。

確かにこの耳に届いたその言葉の意味を頭が理解するまでに、大した時間はかからなかった。

俺は口をぽかんと開けたまま、言葉を発することも、身動きをとることもできなくなった。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。
pixivにようやく追いつきました。

結衣が好き!という方に少しでも喜んでいただけると幸いです。

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