あるいは語られたかもしれない、彼と彼女の青春ラブコメ。   作:きよきば

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こんにちは、きよきばです。
書くこともないので、どうぞ。


それでも、比企谷八幡はぶれることなく卑屈である。

まだ、俺が自ら他人とコミュニケーションを取ろうとしていた頃。たとえその挙動や仕草、発言がキモいと言われるものであろうとそれでも努力をしていた頃。あとに残ったものは黒歴史だったが、そこにあった頑張りを俺は否定しない。むしろ褒めてやりたい。

俺はただ側にいてくれる、そんな存在に純粋に憧れていたのだろうと思う。

しょうもない話でも聞いてくれる、困ってたら見返りも求めないで助ける、助けてくれる。ぐずぐずしてたら背中を押してくれて、辛いことがあれば手を握ってくれる、そんな存在に。けれど現実は優しい女子に勘違いしたり、友達だと俺は思っていても相手はそうじゃなかったり。俺がどんなにもがこうが、なけなしの勇気をふるって声をかけてみようが、俺が差し出した手を握ってくれる人なんていなかった。いやもちろん自業自得な部分はある。けれど、目が腐るまでの仕打ちを受けなければならないほどの悪行はしていない。

あの頃は、誰でもいい、手を握ってほしくて。でもそんな人はいなかったから手は宙ぶらりんなまま、握った手には何の感触もなくて。

だから環境さえ違えばと総武を受けた。だから浮かれて朝早くに家を出た。

しかし現実は事故に遭って入院。その間に冷静に考えればあのままではやはり中学時代の二の舞になっていただろうことがわかってしまった。

宙ぶらりんなままだった手は、入院している間に少しずつ下げられていって。

やがて完全に下ろそうと、諦めようとした時、俺のものじゃない小さな手が弱々しく俺の手を握った。その手は徐々に握る力を強めていき、やがて俺を引っ張り始めた。

驚いた。

困惑した。

でも、嬉しかった。

だから、俺もその手を握った。

その小さな手の持ち主は、心底嬉しそうに笑った。そしてやはり俺を引っ張ったまま、早足で歩いていく。お団子がひょこひょこと揺れ、まだ履き慣れていないローファーは歩きづらそうで、いつ躓いてもおかしくない。

どう解決するのかまだ何も案が出ていないのに。

どこの店に行くかなんて話も一切していないのに。

 

それでも、由比ヶ浜結衣は足を止めない。

 

ならば、比企谷八幡が足を止める理由はない。

 

 

 

 

手を繋いだまま、4駅。

さすがに恥ずかしくなってきた。いや、ほら、アツイいねえ!的な視線が。

だったら振りほどけばいいのだが、ちょっとそれは八幡的にポイント低いというか。というか別に嫌じゃないですね、ええ。

10分ほど電車に揺られて駅から歩くこと数分。複合型商業施設ららぽーとに到着した。

 

「で、どうすんの?」

 

「うーん…目、なら眼鏡とかかなって思うんだけど…」

 

眼鏡は確かに人の印象を変える。しかしそれは普通の人間の話であって俺にはあてはまらないだろう。ミュータントが眼鏡をかけたところで所詮ミュータントだ。

そんなことを由比ヶ浜でもわかるように伝えたところ、頬を膨らませて怒り始めた。

 

「ヒッキーはみゅう…たんと?なんかじゃないもん…」

 

ミュータントがどんなものかわからないもののとりあえず違うらしい。元々目が腐ってたわけじゃないからあながち間違いでもない気がするが。

 

「…まあ、由比ヶ浜に任せる」

 

「へ?…あ、う、うん!任せてっ!」

 

頼られたことが嬉しいのか、緩みっぱなしの顔で由比ヶ浜は雑貨売り場へと早足で歩きはじめた。うん、それはいいんだけど、そろそろ手は離してもいいと思うんです。

 

しっかり手を繋いで売り場に到着。

眼鏡を選ぶ段階でようやく由比ヶ浜は手を離した。べつにちょっと寂しいとか思ってない。

由比ヶ浜はというと、離してようやくずっと手を握っていたことを認識したのか、

 

「……あ、…えへへ…」

 

緩んだ顔をして……見なかったことにした。

 

眼鏡売り場で買うと高いし雑貨屋とか服屋で買おうという由比ヶ浜の提案で来てみたが、なるほどお手頃価格である。

しばらく眼鏡を物色していると、赤縁眼鏡をかけた由比ヶ浜がポーズを決めながら話しかけてきた。

 

「ヒッキー、どう?なんか頭良さそうじゃない?」

 

「その発想がもう頭悪そうだ」

 

「うえっ!?…もう、すぐそーいうこと言う…」

 

またしても頬を膨らませながら由比ヶ浜は眼鏡を元の場所に置いた。

しかしさっき由比ヶ浜に言ったように眼鏡かけたくらいで変わるものなのだろうか。

 

「はい、ヒッキー!かけてみて!」

 

差し出された眼鏡をつける。鏡を見れば目がどうとか以前に似合ってなかった。

自分でも選ぶものの、センスの欠片もない俺が選んだものではモノボケみたいになってしまう。

 

「どれがいっかなぁ…」

 

由比ヶ浜は割と真面目に俺に似合う眼鏡を探している。そのくらい頑張って勉強しなさいよう!もう!

と、母ちゃんのように脳内で説教していると、どう形容していいかわからないが落ち着いたデザインの眼鏡を選んだ由比ヶ浜が振り向いた。

 

「これっ!絶対これっ!」

 

「お、おう…」

 

由比ヶ浜はものすごい圧をかけつつ俺に眼鏡を手渡す。その圧に圧倒されながら受け取り、眼鏡をかけた。

 

「これでいいのか?」

 

鏡を振り返るのが面倒で目の前の由比ヶ浜に感想を求めたが、由比ヶ浜は口をポカンと開けて固まり、やがて顔を赤くし始めた。大丈夫かしら、この子…

 

「………あ、う、うん……似合ってる……」

 

「そ、そうか…」

 

ちょっと、さっきまでのハイテンションどこ行ったの。急にそんなしおらしくされちゃうとどうしていいかわからなくなるんだけど。

まあ、せっかくだし由比ヶ浜が似合うと言うのなら買おう。

 

「じゃ、これ買ってくるわ」

 

フリーズした由比ヶ浜に届いているかはわからないが一応声をかけてレジへと歩き始めた。

が、数歩歩いたところで呼び止められる。

 

「あ、待ってヒッキー!」

 

「え?」

 

少しだけ空いた距離をあっさりと詰め、眼鏡を指差しながら小声で呟いた。

 

「それ、あたしがヒッキーにプレゼントしたいかな、とか…」

 

「いや、それは悪いだろ。記念日とかそういうわけでもないし」

 

「と、友達になった記念!ってことで、どう、かな…」

 

由比ヶ浜がなぜそこまでプレゼントしたがるのかはよくわからないが、本人がそうしたいと言うなら、まあ。男としてどうかとは思うけど。

ただ、貰いっぱなしだと悪いし。

 

「わかった。なら俺からも何かさせてくれ」

 

「へ?…え、でも…」

 

「…友達になった記念なんだろ?」

 

「…そっか、えへへ…うんっ!プレゼント交換しようっ!」

 

「…おう。何がいい?」

 

「うーん…ちょっと考える。それよりさ、早く眼鏡買おう?」

 

とりあえず由比ヶ浜へのプレゼントは後にして、会計を済ませる。店の外で待っていると、袋を手にご機嫌な様子で出てきた。

 

「はい、ヒッキー」

 

そして由比ヶ浜はそのまま袋を差し出す。受け取った袋は既に中身を知っているというのにやたらと俺の心を躍らせた。

そりゃ無理もない。誕生日ですら現金しか受け取ることはないしそれ以外でプレゼントなんて貰ったことがない。ましてや他人、いや友達からなんて論外。そりゃ嬉しくもなる。

眼鏡程度で何かが劇的に変わるとは思えない。けれど友達に、由比ヶ浜に貰ったものだ。大切に使わせてもらおう。

 

「…ありがとな」

 

だから、今度は面と向かって礼を伝えた。

由比ヶ浜は照れくさそうに頷くと俺の横に立つ。この空間に会話は無いが、気まずさもまた無かった。

体感的には2、3分ほどそのままだっただろうか、横から俺の全身を眺めた由比ヶ浜が首を傾げ始めた。

 

「なんだよ」

 

「ヒッキー、猫背だよね?」

 

「ああ」

 

由比ヶ浜の言う通り、俺は猫背だ。猫背でポケットに手を入れて歩くスタイルが染みついている。猫と同じように気ままで、気づいたらいなかったりする。つまり俺は4割がた猫。誰か養ってくれ。

 

「もっとこう…ドーンとしたらいいんじゃないの?」

 

ドーンとするってなんだよ。知らないの?猫背の染みついた人が無理やり背筋伸ばして胸張って歩こうとしたら人類の進化の過程みたいになるよ?甘いもの大好きなあの名探偵のラストシーンみたいになるよ?

とは言えないので試しに背筋を伸ばしてみる。由比ヶ浜は「もっと!ほら、ぴーん、って!」とか言いながら背中をばんばん叩いている。もう少し加減してください。あと恥ずかしいのでやめてください。

 

「そう!それで胸張って!」

 

お手本を見せるように由比ヶ浜自らも背筋を伸ばして胸を張りながら注文をつけてくる。おいやめろ、お前は胸はるな。目のやり場に困るだろ。

とりあえず由比ヶ浜の言う通りの姿勢をとると、正しい姿勢のはずなのに長年の猫背のせいで逆に違和感を感じた。

由比ヶ浜はというと袋をゴソゴソと開いて眼鏡を取り出し、俺に手渡した。

間違っても落としたりしないよう注意しながら受け取り、かけて、由比ヶ浜と向かい合う。

 

「こんな感じか」

 

「………」

 

無視は辛いなぁ…もう猫背どころか丸くなってとじこもりたい。いっそ貝になりたい。貝になってそのまま引きこもりたい。やっぱり俺ってヒッキーなんだなぁ…

 

「…やっぱりだ!かっこいいよヒッキー!」

 

ヒッキーのヒッキーによるヒッキーのためのヒッキー宣言をしようとしていると由比ヶ浜の大きな声がそれを遮った。さて今何回ヒッキーと言っただろう?

やめよう、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

 

「え、なにそんなに違うの…」

 

「うん!あ、あたしは別に眼鏡とか関係ないけどさ、ほら、えとー…3割増しだよ!」

 

「ちょっと待て、3割増しのミュータントってキモすぎだろ」

 

「だからヒッキーはに、にゅーたんとなんかじゃないってば!」

 

そりゃ俺は軽自動車じゃあない。燃費悪いし。あとさすがに人の形はとどめている。…とどめてるよね?誰かそうだと言って!

 

「最初は慣れないかもしんないけど絶対そうしてた方がいいよ!」

 

うんうんと頷きながら由比ヶ浜は満足そうな顔をした。本当にこんなんで大丈夫なのかしら…

とはいえ、俺1人ではどうせどうにもならないのだから、由比ヶ浜を信じよう。

もしも本当にこれだけで何かが変わるのならそれでいいしそうじゃなくてもやっぱりなで済む。なんてローリスクハイリターン。

まあ、そんなことよりも。

俺なんぞと買い物をして疲れただろうに、由比ヶ浜が楽しそうにしてるし。

それだけでも、今日ここに来た意味はあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

立ちっぱなしで少し疲れた俺達はカフェで休憩することにした。言われた通りに眼鏡をかけ背筋を伸ばす。こうした方が身長が高く見えるという話は聞いたことがあるが、そもそも身長以前の問題だろうと無視してきたのがたたって意識してないと体が猫背になろうとしてしまう。

まあ、それはいずれ慣れるだろう。

砂糖をたっぷり入れたコーヒーをひと口啜り、ふうと息を吐く。由比ヶ浜もカフェオレを飲むと一息ついてこちらを見た。

 

「今からどうする?時間遅くなってきたけど」

 

「だね。でもさ、なんか夜ってテンション上がらない?」

 

ええ…何その夜遊び好きみたいな口ぶり。お父さんそんな子に育てた覚えはありませんよ?

 

「お前もう少し夜の危険性理解しろよ…」

 

「わ、わかってるってば!……ヒッキーがいっしょだからこんな時間までいるんじゃん…」

 

「………」

 

ぽしょりと紡がれた言葉は店内の賑やかさの中でもはっきりと俺の耳に届いた。

失言だったと思う。でも俺も男なんだからもう少し警戒した方がいいと思うなぁ…

既に時刻は8時を回っている。あまり遅くなると由比ヶ浜の両親が心配するだろうし、今からまた電車に乗って帰ることを考えればそろそろ出た方がいいだろう。

ただまあ、やり残したことはあるのだけれど。

 

「で、欲しいもの決まったか?」

 

「え?あ、いやそれはまだ、というかなんというか…」

 

プレゼントされた眼鏡の礼をまだしていない。

お手頃な価格とはいえ、自分がつけるわけでもない眼鏡を買うなんてのは無駄な出費もいいところだろう。貰いっぱなしなのも嫌だし。

由比ヶ浜は何かあったかなぁとぶつぶつ呟きながらカフェオレの氷をストローでつんつんといじっている。どうでもいいけど俺今いくらもってたかしら…どうでもよくねえよ死活問題だよ。

 

「ね、ヒッキー」

 

「なんだ?」

 

何か思いついたのか、由比ヶ浜が俺を呼ぶ。お財布の中が気になるがいったんそのことは置いておこう。うん、困った時は後回し。

 

「やっぱすぐには思いつかないからさ、えっと、でも意外とすぐ見つかるかもー、みたいな感じだからさ」

 

「…?おう」

 

うまく言葉が出てこずしっちゃかめっちゃかになっているが、とりあえず最後まで聞こう。

由比ヶ浜はもじもじと指をこねると俺と目を合わせた。

 

「だからさ、また…いっしょに遊ぼ?」

 

それは友達同士なら別に改めてすることなどないであろう会話。

「また遊ぼうね」なんて、同じ学校で頻繁に顔を合わせる者同士なら確認するまでもなくまた遊ぶのだろう。

けれど、俺達はまだそんな段階にいないから。距離感がわからないし、お互い相手のことなんて知らないことの方が多い。

それは今日ここまで俺の手を引っ張ってきた由比ヶ浜が立ち止まった瞬間で。

由比ヶ浜結衣が足を止めるのなら、比企谷八幡も足を止める。けれど、そこに留まりはしない。

まあ、プレゼントまだしてないし。今日の放課後は楽しかったし。

 

「…まあ、暇な時なら、いつでも」

 

「ヒッキー、いつも暇じゃん」

 

仰る通りで。

 

 

 

 

翌日、顔を洗って眼鏡をかけた俺を見て小町が固まった。そんなに意外か眼鏡。

とっくに道交法で禁止されてる2人乗りで小町を中学まで送ると、小町の友達だろうか、3人ほどの女子が俺を見ると小町の元へ走り、何やら騒いでいた。帰ったら文句言われそうだなぁ…ゴミぃちゃん呼ばわりくらいで済めばいいなぁ…

 

平塚先生による鉄拳制裁を避けるべく遅刻しないように学校に到着した。あんなのくらったら朝飯とか全部出てきちゃう。

おっと、背筋は伸ばして胸は張る、と。ポケットに手を入れるのは諦めるか。

靴を履き替えて教室へ歩く。朝から元気なリア充による騒音被害の中を進んで…いるのだが、今日は何かがおかしい。具体的に言うと、ステルスヒッキーが発動していない。気のせいで片付けるのには無理があるくらいに視線を感じる。なに?さっそくイジメのターゲット見つけちゃったの?怖いからやめてほしい。平塚先生と災害とトマトと数学くらいしか怖いもののないくらい怖いもの知らずの俺でも皆でネタにされるのは怖いから。

特にそこの、名前も知らない女子。顔真っ赤にして手をぶんぶんしてんじゃねえよ。タコ殴りにするなら脳内でのみにしてくれ。

 

教室に入るとやはりステルスヒッキーが発動しない。居づらいことこの上ない。登校初日ですら全く反応しなかったのになんで急に注目してくんの?時間差攻撃なの?連携とれすぎてて怖えよ。あと怖い。

かと言って俺が何か行動を起こすべきじゃない。「見せもんじゃねえぞ!」なんて暴れだしたら平塚先生来ちゃうし。なんなのあれ言っちゃうヤンキーって。結果的に見せもんになってることに気づいてないの?バカなの?

まあどうせ良い意味での注目ではないだろうし、本でも読んで比企谷八幡ですが、何か?みたいな態度をとるのが一番だろう。

…ふえぇ…視線が痛いよぉ…嫌だなぁ…帰りたいなぁ…

 

 

 

 

授業は滞りなく消化される。

由比ヶ浜にノートを借りたことが幸いして文系科目については問題なくついていけそうである。数学?知らない名前だな。

昼休み前最後の授業も残り10分ほどになり、健全な男子高校生らしく空腹に苦しみながら来る昼休みのパンとマッ缶の共演を楽しみにしていると、ふと由比ヶ浜はどうするのだろうかと気になった。たしかふだんは同じクラスの女子と食べているって話だったはずだ。だったら無理して俺に合わせる必要もない。

とりあえず例の場所に行くことだけを決めて残り時間をぼんやりと過ごしていると、バッグから小さくブブっと音がした。

別に今チェックする必要はないのだが、なんとなく開いてみた。

 

 

From ☆★ゆい★☆ 11:57

 

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ヒッキー、昼休みおべんと一緒に食べよう!

 

 

 

 

顔文字とかがないところを見ると授業中ということでこっそり手早く打ったのだろう。

いや、それよりお前クラスの女子とやらはいいのかよ。

とりあえず返事をして、見つかる前に携帯を隠そう。

 

 

 

 

授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室全体が騒がしくなる。弁当を広げるもの、購買に行くもの、それぞれの昼休みが始まった。

さて、俺も行くか。

パンの入った袋を取り出し、席を立った。歩き始めて教室を出る寸前にえらく綺麗なソプラノボイスで「ひっ、ひきがやくん…」と呼ばれたような気がするが、蚊の鳴くような声だったせいで確証がないのと由比ヶ浜以外に俺にコンタクトを取ろうとする人間がいるわけがないという確信を持った俺は気にせずに教室を出た。

 

購買の斜め後ろ。ベストプレイスと名づけたそこへ向かう俺は少しだけ早足になっていた。マッ缶を入手してからになったため少し遅くなったためだ。騒がしい購買を抜けてベストプレイスに着くと由比ヶ浜は既に来ていた。

 

「遅い!罰金!」

 

お前はどこの団長だ。毎回毎回支払いをするキョン君の身にもなりなさい。

 

「悪かったよ。ほれ」

 

自分のマッ缶と袋をそのへんに置き、急いで買ったせいで隣のお茶と間違えた男のカフェオレを由比ヶ浜に手渡した。

まあ、あれだよ。俺だけ何か飲んでるのもおかしいだろ。誰に言い訳してんだ俺。

 

「へ?え、いや冗談、なんだけど…」

 

さっきの顔見たらわかるわ。言ってみたかっただけだろ。そんなに気が利かないように見えますかね、俺…

 

「いや、ついでだから。マッ缶あるのにカフェオレなんか飲んだら糖尿病まっしぐらだろ」

 

「でも……うん、飲む。ありがと」

 

「おう」

 

俺が飲まない以上捨てるか飲むかしかないと気づいた由比ヶ浜は諦めた様子で俺の隣に座った。え、近くない?もうちょっと離れてなかったっけ?

 

「ヒッキー、やっぱ眼鏡似合うね」

 

小ぶりな弁当をもごもごと食べながら由比ヶ浜は眼鏡を指差した。

 

「そうか?なんか今日じろじろ見られてはくすくす笑われてる気がするんだけど」

 

「…どんな中学時代過ごしたらこうなるのかなぁ……」

 

呆れ顔で呟いた声は全く聞こえなかった。はっきり喋れはっきり。

由比ヶ浜はこれ以上この会話をする気はないらしく、自分の弁当に集中し始めた。頬が膨れてるのは食べ物の詰めすぎかなにかだろう。

俺も自分の飯を片付けていく。特筆すべきような味も特徴もないパン。そしてコーヒー入りの練乳、マックスコーヒー。この染み渡る甘さ、最高。千葉愛してる。

 

「あ、そだ。ヒッキー、放課後ひま?」

 

弁当を片付けた由比ヶ浜はカフェオレを手に尋ねてきた。

ええ…言ったのが由比ヶ浜じゃなかったら俺の友達のいなさを抉る悪口なんじゃないかと深読みしてうっかり死にたくなるところだった。

 

「まあ、特に予定はないけど」

 

「じゃあさ、今度こそ勉強教えてくれない、かな?」

 

昨日堂々とサボった前科があるのを気にしてか遠慮がちにお願いする由比ヶ浜。いや、俺そんなに厳しい人間に見えますかね…

まあ、どうせ暇だしいいけど。

 

「別にいいぞ」

 

「ほんと!?」

 

「うぉっ…え、なに。いや、いいけど…」

 

え、なになんなのこの食いつき。

俺ってそんなに人のお願いに対して厳しい人間だと思われてんの?

 

「いやー、昨日あたし全然勉強してなかったから、断られるかと思っててさ」

 

「言っとくが今日はちゃんとやるぞ」

 

「うん、やる!」

 

「…そうか」

 

放課後の予定が決まったところで、風向きが変わった。

海へと帰っていくように吹く風が心地良い。

由比ヶ浜は髪を抑えながら遠くを見つめている。その横顔はどこか自虐的に微笑んでいて、思わず目が離せなくなる。とはいえずっと見てると気づかれるし気持ち悪いだろう。由比ヶ浜にならって遠くを見た。

その横顔を見て思うところがなかったわけじゃない。けれど、まだ俺にはそこまで踏み込むことは憚られた。由比ヶ浜がしてくれたように踏み込むことはまだできそうにない。もし俺がそこに踏み込むのが正解だと言うのなら申し訳ないと言うほかない。人に言いたくない部分だと言うのならこのままでいいのかもしれないが、そこの線引きは由比ヶ浜のさじ加減であって俺の管轄じゃない。

だから俺にとって人間関係は難しい。

 

「放課後、どこで待ち合わせる?」

 

けれど、いつか。

 

「んー…先にホームルーム終わった方が迎えに行けばよくない?」

 

由比ヶ浜が俺にしてくれたように今度は、俺が。

 

「適当すぎんだろ…まあ、いいけど」

 

多少強引にでも手を引っ張ってやれればと思う。

 

「えへへ…よろしくね、ヒッキー」

 

 

なんの見返りも求めずにそんなことができる存在が欲しくて、俺は総武に来たのだから。

昼休みはもう終わる。満腹から来る眠気に耐えながらの授業の時間がやってくる。

俺と由比ヶ浜は立ち上がり、各々の教室へ向かった。

 

 

 

 

午後の授業は寝て過ごした。何故なら眠かったから。あと理系科目だから。

人は糖質をとると眠くなると言う。

俺の昼飯はパンが3つとマックスコーヒー。つまり糖質を3つと超糖質。そりゃ眠くもなる。

つまり俺は悪くない。糖質が悪い。ついでに面白くない授業をする教師が悪い。

授業が終われば掃除とホームルームを行う。

そのどちらでも終始あいつ誰?みたいな視線を感じつつ過ごした。超やりにくい。

 

 

ホームルームが終われば、昼休みの再現のごとく教室が騒がしくなる。授業という退屈さから解放され、部活前の僅かな時間を楽しむもの、帰宅部万歳でグループを作ってトークに興ずるもの。それぞれの放課後が始まった。微妙に内容が違うだけでほとんど昼休みの再放送みたいなもんだ。これが彼らの青春なのだろう。

 

ワイワイと盛り上がるクラスメイト達を背に教室のドアへと向かう途中、えらく綺麗なソプラノボイスで「ひっ、ひきがやくん…」と呼ばれた気がしたが、蚊の鳴くような声だったからたぶん気のせいだろう。なんだよ、ちょっと期待しちゃっただろ。もし本当に用があるなら聞こえるような声量でお願いします。つぶやくのはツイッターだけで間に合ってる。フォロワーゼロだからいっさい使ってないけど。

教室を出るとうちのクラス以外はどこもホームルームが終わっていないことに気づいた。どんだけ雑なホームルームだよ。

全クラスの先陣を切ってホームルームを終えてしまったため、約束通り由比ヶ浜のクラスへ向かうことにする。

壁にもたれて待機すること2、3分、教室内が騒がしくなりはじめた。

数人の生徒が教室を出て行くのを待ってから教室に入る。と、途端に主に女子の視線が突き刺さる。しまった、ステルスヒッキーが不調なの忘れてた。仕事しろよ。俺はする気ないけど。

今さらUターンもできないため、由比ヶ浜の元へ向かうしかない。由比ヶ浜が何故かドヤ顔でこっち見てるし。

 

「ふっふーん、どう!?ヒッキー!」

 

「何のドヤ顔だよそれは」

 

本当になんのドヤ顔だよ。なんかうまいこと思いついたのん?

 

「え、あれ…?ヒッキー、気づいてないの?」

 

「え、なにが…ああ、この何こいつ?死ねば?みたいな視線か」

 

「これそういうんじゃないからね!?」

 

え、違うんだ…あ、あの女子今朝俺をタコ殴りにする妄想で顔真っ赤にしてたやつだ。

今日2回目のタコ殴りしてらっしゃる。病院送りは間違いない。俺が。俺かよ。

 

「じゃあなんだよ…正直不愉快なんだけど…」

 

「え、じゃああたしは?」

 

「は?由比ヶ浜はそりゃ、別だろ…」

 

「ぅ…そ、そっか…えへへぇ…」

 

そりゃそもそもの関係性の違う由比ヶ浜は別だろう。やめなさいその顔。嬉しくなっちゃうだろ。

 

「はぁ…行くぞ、由比ヶ浜」

 

「え、ヒッキー本当に気づいてないの!?なんでそんな後ろ向きに前向きなの!?」

 

何それ超後ろ向き。堂々とコース逆走してるようなもんじゃねえか。せめて前に走れよ。

 

「いいだろもうなんでも。行くぞ」

 

「あ、待って待ってヒッキー!すぐ準備するから!」

 

 

由比ヶ浜の準備ができるのを待ってから教室を出る。出てすぐのあたりで女子の声で「だれ!?あのイケメン!」などという下手クソにもほどがあるお世辞が聞こえてきた。びっくりするくらい下手で本当にびっくりしちゃう。

 

 

そんなお世辞、あるいは高度な皮肉かもしれないがそんなものは心の底からどうでもいい。

最優先事項はこの隣にいるちょっと勉強が残念な子に勉強を教えることだ。

すんげえ大変そうだし。

 

「じゃあ行くか」

 

「うん、行こうっ!」

 

 

 


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