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「剣丞、風呂へ行くぞ!」
夕餉を終え、しばらく経ったあとに剣丞の部屋の襖を開ける。どうやら詩乃と歓談中だったようで、少し驚いた様子だった。
「藤十郎、いきなりだね……いいけどさ。じゃあ詩乃、俺は藤十郎と風呂にいってくるよ」
「はい。いってらっしゃいませ」
「う……藤十郎、ちょっとトイレ……」
「ん、といれ……?」
「あ、厠のこと」
一瞬聞いたこともない言葉に首を傾げたが、厠と聞いて理解する。しかしといれ、とは……砥入?……ふぅむ。
「早くいけ。俺はその辺りにいるから声をかけろ」
「ごめん、行って来る」
そういって剣丞は小走りで厠へ向かう。我慢していたのだろうか。
「しかし……今日は雲も厚く、月が見えんな」
この状況で鬼が襲ってきたら……などと想像してしまうのも、昼間に見た鬼のせいか。周囲には梟の鳴き声と……微かに草の揺れる音。チラと草むらへと視線を向けると、ふと棒切れのようなものが目に入る。
「うん?……あれは……」
視線を棒の先へと向ける小柄な人影、薄らと布のようなものも見えることから人が倒れていると判断する。藤十郎がゆっくりと、しかし軽く警戒をしながら近づいていく。
「っ!!」
瞬間、恐ろしい速度で飛び掛ってくる小柄な影は、微かに二つの瞳と視線が交差する。
「ほぅ……!」
昼に会った鬼よりは遥かに格上であろう、強烈な気迫とその素早い動きのまま、棒切れのようなものを
「うにゅぅ……」
気の抜ける声と、藤十郎の身体に倒れこむのは桃色の髪の少女。
「おなか……すいたの……」
カランと音を立てて落ちた太刀。少女の崩れ落ちそうな身体を藤十郎は太刀から手を離し、慌てて抱える。
「……厄介事の気配がするな……」
「おーい、藤十郎ー!」
厠から出てきた剣丞が探す声が聞こえてくる。藤十郎は軽く応えながら少女を抱え剣丞の元へと歩いていった。
「……というわけなんだ」
「……何が、というわけなのかは分かりませんが……剣丞さま、藤十郎どの。普通であれば風呂へいくと言って人を拾ってくるなどありませぬ」
「それは俺もそう思う」
「ちょ、藤十郎が拾ったんでしょ!?」
つい詩乃の言葉に同意した藤十郎に慌てて剣丞が突っ込みを入れる。
「しかし、俺の部屋には俺を含めて既に三人。剣丞の部屋ならば剣丞と詩乃どの。この少女を含めてもちょうど良かろう」
「……はぁ、何がちょうどいいのかはわかりませぬが、織田の客人としてお誘いしている以上は私たちで預かるのは間違いではありませんね」
詩乃が軽く頭を振りながら言うことに藤十郎は頷く。
「藤十郎ー!宿の人が一回この部屋に来るようにって言ってきたですー……って、誰です、この子?」
「知らん。さっき拾った」
「……藤十郎さん?人は拾うものではありませんが……」
先ほどの詩乃と同じような会話になる歌夜に軽く手を振って少女を見る。
「う~む。どこかで見たことがあるような気がするんだが」
「そういわれて見ると私もどこかで……綾那は?」
「うーん……あるようなないようなないような……」
「ないんだね」
剣丞が苦笑いをしながら少女の頭をなでる。そうか、あれが詩乃どのの言う蕩しの本領か。
「うにゅぅ……」
「そういえば、腹が減ったと言っていた気がする。歌夜、宿の者に言って何か作ってもらってきてくれるか?」
「はい」
少しして、歌夜が食事を持ってきてくれたところで少女が薄らと目を開ける。
「ふぁ……いいにおい……」
「お、目を覚ましたか」
目を開けた少女は目前にある膳から目が離せなくなっていた。
「腹が減っているんだろう?俺に襲い掛かってきた後、そう呟いていた気がしたから準備させたが……減ってないのか?」
「……すいてるの」
「なら食べるといいよ。君のために準備してもらったお膳だから」
剣丞が藤十郎の言葉を継いで伝える。
「いただきますっ!!」
よほど腹が減っていたのだろうか、凄い勢いで食べ始める。
「ふむ……やはりどこかで見た気がするんだが」
思案する藤十郎。その前で剣丞となにやらやり取りがあったのか、突然丁寧な食事の食べ方に変化する。
「どこか、良家の出のようですね」
「あぁ。あの食べ方は確か御所やらに出入りする侍の作法だろう」
「綾那、あんなに綺麗な食べ方できないのです」
「代わりに全部綺麗に食べるからな、綾那は」
松平勢が話をしている間に、再び剣丞がなにやら語りかけると嬉しそうに膳を書き込み始める。
「うぅ~、見てたら綾那、お腹すいてきたです……歌夜ー!」
「奇遇だな、俺もだ。歌夜ー!」
「はいはい。藤十郎さんも綾那の分のご飯も貰ってきます。……貴女もどうですか?」
「いいの?」
優しく歌夜が頷くとパァッと花が開くような笑顔で椀を差し出す。
「……藤十郎も食べるんだ」
「ん?見てたら腹が減らんか?」
「むしろお腹いっぱいになりそうなんだけど」
「ごちそうさまなの」
「ごちそうさまなのです!」
「ごちそうさん」
食べ終わってそのまま綾那がごろりとその場に転がる。
「綾那、お行儀悪いわよ」
「いいのです、剣丞さまがさっき礼儀作法で文句言う人はいないって言ってたです」
「程度を考えてよ……」
藤十郎としては、会話をしながらもしっかりと剣丞たちの話を聞いていたことに感心していたりする。
「さて、お腹いっぱいになったところで……ちょっとお話をさせてもらっていいかな?」
「お話?」
どう切り出すか考えていたところで、剣丞が少女に問いかける。藤十郎は、口を開くのをやめ、様子を見守ることにする。
「うん。まずは名前を聞かせて欲しいんだけど……」
その言葉に少女が固まり、口を閉ざす。
「名前が分からないと、君のことをなんて呼んでいいのか分かんないだろ?」
「えっと……鞠なの」
明らかに間があったことに気づき、歌夜をちらりと見ると軽く頷く。
「じゃあ鞠ちゃんでいいのかな?」
「鞠でいいの」
「それじゃ、鞠。通称じゃない、お名前は?」
「っ!」
黙りこくる鞠。
「ふむ、警戒しているわけではないようだな」
「はい、どちらかというと躊躇っている……そんな感じですか?」
互いに聞こえるかどうかの声で歌夜と話す藤十郎。
「鞠、誰かに言ってはならぬといわれているんだな?」
会話に割ってはいる藤十郎。鞠はそわそわしながら視線を藤十郎に向ける。出会ったときの視線とはまったく違うソレであったが、少しの沈黙の後、こくりと小さく頷く。
「そうか、ならば仕方ないな」
「そうだね」
藤十郎と剣丞の二人がうんうんと頷く。歌夜と詩乃が若干唖然としているのは無視する。
「……いいの?」
「約束なら仕方あるまい」
「鞠が約束を守ってるなら、それを破らせるわけにはいかないよ」
「ありがと……なの」
「そうだ、鞠が名乗ってくれたんだから、次はこっちの番だね。俺の名前は新田剣丞。剣丞でいいよ」
「……しかし、驚いた」
「何が?」
場所は変わって風呂。男二人水入らずで入っている。とはいえ、先ほど入れなかったから時間が変わっただけなのだが。
「まさか、あの鞠が今川彦五郎氏真だとはな。流石に忘れていた自分を叱責せねばならんところだ」
「はは、仕方ないだろ。まさかこんな場所にいるとは思わないだろうし」
言ってしまえば以前の主君にあたる今川家の現当主だ。元々、藤十郎にとっては主君とは思っていなかったから、尚のこと記憶から抜け落ちていたのだろう。
「姫さんに怒られるな、こりゃ」
「姫さんって……元康さんだよね?」
「そうだ。松平元康。俺たち三河者が従う唯一の相手だ」
「はは、でも昔は水野の家は織田についたり松平についたりで大変だったらしいね」
「詳しいな」
久遠から聞いたよ、という剣丞の言葉を聞きながらもう一つの情報を頭の中で整理する。今は既に葵の元へ小波が向かって、この情報を伝えているはずだ。
駿府屋形が落ちた。武田……晴信ではなく信虎によって少しずつ家中を掌握され、気がついたときには既に手遅れ。鞠を慕う家臣たちの手によって逃げ落ちた……これが今回の鞠との出会いのきっかけである。
「それに、文は松平でなく織田にというのがまた、なぁ?」
「お、俺に言われても」
剣丞が苦笑いで返すが、文を書いたのが泰能だというのが藤十郎にとっては答えだと考えていた。今川を支えた支柱でもある雪斎や、泰能が松平を頼れと言うとは正直考えづらかった。
「ま、深くは聞かんよ。大体の内容は予想もつく。家中の者が見れば同盟がご破算になる可能性すらあるからな」
「こ、怖いこというなよ」
冗談ですまないのが三河武士だ。藤十郎はともかく、ほかの三河武士の元康への忠誠は異常だ。
「それに、客人としたのであれば、俺たちと立場は同じということになる。あと数日もすれば姫さんたちとも合流する。面白くなりそうだな」
「……それ、ほんとに面白いことなのか……?」
それから、数日後。葵たちとの合流を果たし織田へと向かうことになった。
「して、藤十郎どの。剣丞どのとは如何なる存在でしたかな?」
「うむ、一言で言うなら分からん。だが、面白い存在ではあるな」
「ほうほう、藤十郎どのにしては高評価、といったところですか。……将来的に松平の敵となる可能性やいかに?」
少し鋭い視線を向ける悠季に無言で返す。
「……分からん、としか言えんな。出来ることなら仲間にしておきたいと思わせるだけの何かはある。まぁ、天の知識なのか何なのか。俺たちの考え付かないことをやってのけるだけの技量もある」
「……厄介ですなぁ。草でも放って暗殺したほうがよろしいのでは?」
「今は待て。正直に言って、俺はあいつのことを気に入っている」
藤十郎の言葉に側で聞いていた悠季は目を丸くする。
「おやおや、藤十郎どのまで蕩されたので?」
「どうなのだろうな。だが、もし奴と俺たちの道が違え相対することになれば」
言葉を切った藤十郎であったが、その様子を見て悠季が満足気に頷く。
「ならば、今は様子を見るとしましょう。葵さまにもそのように伝えておきますれば」
「あぁ、頼む。日の沈む頃には美濃に着くそうだ。……大戦が始まるな」
「おやおや、三河の鬼は早くも血が滾っているようですなぁ」
くすくすと楽しそうに笑う悠季に、うなずきを返す。
「これからの世がどうなるかは分からんが、今、この瞬間に俺たち武辺者が出来るのは槍働きだ。なればこそ、この戦こそ死地にも相応しいだろう」
「……ほかの武者はともかく、藤十郎どのには葵さまを支えていただかなければ困るのですが」
「ん、何か言ったか悠季」
「いえいえ、朴念仁の相手は疲れると思っておりましただけです故」
はぁ、と軽くため息をついて前方で馬を走らせている葵を見る悠季。彼女の目に映る未来はどのようなものなのだろうか、藤十郎は少しそんなことを考えていた。
もうすぐ……もうすぐ激戦が始まります!(ぉぃ
藤十郎の御家流も含め、物語の最後までプロットは完成しております。
感想であったハーレム?入りなどは閑話などでフラグ回収しますのでお楽しみに♪
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