後日談こそ本編……。
「と、藤十郎どの」
あくる日の昼前。朧が恐る恐るといった様子で藤十郎に声を掛ける。
「朧、どうかしたか?」
「あ、あの、昼餉はまだですか?」
「あぁ。ちょうど今から向かおうかと思っていたのだが。よかったら一緒に行くか?」
「そ、その……ご迷惑でなければ、私の屋敷で……いかがですか?」
突然の誘いに少しだけ驚いたような藤十郎に慌てて朧は。
「無理にとは言いません!」
「はは、何を力んでいるのかは知らんが迷惑なわけがなかろう。むしろ、俺のほうが迷惑じゃないか?」
「そんなことは!」
「ならば邪魔させてもらおう」
「はい!」
嬉しそうに微笑んだ朧に連れられて、城下にある朧の屋敷へと藤十郎は向かう。
「しかし、小田原はよい地だな。鬼による傷跡も残っていないし、人々はいい笑顔を浮かべている。……これもお前の妹たちの頑張りのおかげか」
「ふふ、そうですね。十六夜たちはしっかりとやれています。……姉として妹たちの力になれることが少なくなって寂しくもありますが」
朧はそういいながら微笑む。
「ふ、気持ちは分からんでもないな。……だが、後事を託せる者が居るというのは幸せなことだろう。勿論、まだまだ朧や朔夜の力は天下に必要だから仕事は大量にあるぞ」
「藤十郎どのなりの励ましですか?……ふふ、ありがとうございます」
「励まし、というよりは事実なんだがなぁ」
屋敷へと招かれた藤十郎は部屋で待つように言われ、茶を勧められた。
「ふむ……昼の支度は家の者がやるんじゃないのか」
一瞬そんなことを考え一人呟くが、結婚してから葵が食事の準備をしてくれることを考えると特におかしなことでもないと気付く。
「しかし……」
出された茶を啜りながら庭を眺める。
「……暇だな」
そんなことを呟いた瞬間、屋敷の何処かから爆発音が聞こえてくる。
「敵襲、って感じじゃないな」
周囲の雰囲気からそう察した藤十郎であったが、爆発に興味が湧いてくる。
「……む、むぅ。意外と難しいものですね。ですが、次は外しませんよ」
「……何してるんだ、朧」
藤十郎が音の発信源である朧に声を掛ける。
「ひゃ……藤十郎どの!?」
少し呆れたように藤十郎は言うが、手に包丁を持っている姿から考えれば間違いなく料理をしているのだろう。……あの音からは想像も出来ないが。
「料理、しているんだよな?」
「そ、それは……私とて、料理くらい……します」
少し目を逸らしながらそう言う朧。
「ふむ、ならば暇だから此処で見ていていいか?」
「えっ……それは、その……見ていられるというのも、あの……」
「気が散るか?ならばおとなしく部屋で待っているが」
「せ、せっかく来ていただいたお客人に退屈などと……そのような思いをさせるのは、北条の恥」
「なら見てるとしよう」
藤十郎は実は料理が出来たりする。勿論、結菜や修行済みの葵や天才的な才能を発揮した姫野ほどの腕はなく野営などの簡略的なものであればさくっと作ってしまうくらいには器用だった。本人は面倒だと肉を焼くだけで済ませることも多いが。
そんな藤十郎が見ている中、朧はまな板の上に大根を置くと包丁を構えて真剣な表情になる。……むしろ、武術の立ち合いの際のような張り詰めた空気に藤十郎は苦笑いを浮かべる。
「朧」
「はい」
藤十郎の言葉に答える朧は真剣そのものだ。
「一応確認だが、何をしようとしている?」
「……急所を読んでいます」
「ほう、急所」
「ご存知ですよね?そこを突けば、相手を一撃で死に至らしめる……」
「まぁ、知っているぞ。自分で言うのもなんだが、そのあたりの奴らよりは圧倒的に詳しい自負もある」
「ですよね。料理も武術も基本は同じ。いかに刃を入れて断ち切れるか……」
間違えてはいないが、圧倒的に間違っているような気もする。朧は包丁の先を、まるで相手の動きに合わせているかのように角度を変えて一撃を打ち込む隙を探しているようだった。相手が大根でなければ、せめて生き物であればその動きはおかしくないのだろうが、今の状況で考えるとおかしい。
「ふむ、大筋間違ってはいないが……」
「はぁっ!」
そんな藤十郎の呟きをかき消すように、裂帛の気合と共に振り下ろされる包丁。その一撃は藤十郎から見ても見事なものであった。ただし、先ほどから言っている通り相手は大根だ。激しい斬撃音の後、作業台の上にあるのは無惨な姿になった大根の姿だった。
「おかしい……。どう見ても、家人がしているのと違う気がします……」
「うむ、違うな」
断言する藤十郎。やはり料理の心得とまでは行かなくとも普通に出来るだけあって違和感を感じたのだろうか。
「大体、家人はお前ほどの腕はないだろう?」
的外れな意見を言う藤十郎も大概である。
「もう一撃っ!」
「……どうして……こうなった」
うずたかく積みあがっている歪な形に変わり果てた大根の山。原因は探るまでもなく自明の理であるのだが。
「朧」
「はい」
「料理したことあるのか?」
「あ、あるに決まっているではありませんか!いくら藤十郎どのとは言え、言っていいことと悪いことが……」
「ふむ。……ならば、一緒に料理をせんか」
そういいながら藤十郎が朧の側に歩み寄る。
「いえ、その……客人である藤十郎どののお手を煩わせるようなこと、させるわけには……」
「気にするな。朧と一緒に料理というのも楽しそうだしな」
「た……楽しい、ですか……?」
「あぁ。俺と朧の仲だろう。そんな気遣いは無用だ」
「……うむ、こんな感じか」
「で、出来ました……!」
料理と言っても大根の味噌汁だ。……大根の形が歪だったりするのは仕方がないだろう。
「な、簡単だろう?」
「は、はい!」
出来上がった料理……味噌汁だが、を二人で食す。
「どうだ」
「はい、美味しいです。とても」
朧は自分が作った味噌汁を食べて驚いたように藤十郎を見ると、穏やかに顔を綻ばせる。
「これを私と藤十郎どのが……」
「俺は少し手伝っただけだ。これが出来たのはお前の力だ、朧」
こっちの焼き物は俺が作ったがな、と笑いながら言う藤十郎を見る朧。
「実は……ですね、もうお察しかと思いますが、料理というものをしたのはこれが初めてで……」
「うむ」
「屋敷の者達は簡単にしていましたので、まさかこれほど難しいものだったとは……」
「初めてではな。……朧、人は生まれた瞬間から歩くことは出来ないように、自らがやったことがないことは簡単に出来るものではない。……まぁ、勿論出来ることもあるだろうが」
「藤十郎どの……」
「それで、どうして初めてなのにこんなことを?」
「そ、それは……」
少し頬を染め、俯く朧。
「藤十郎どのに、手料理を……振舞ってみたいと思いまして。……姫野が……料理をして、藤十郎どのと結婚したと聞いて」
「……あー」
確かに結果としてはそういう流れだ。何と言っていいものか、藤十郎は言いあぐねる。
「まぁ、概ね間違いではないな」
「……」
「……ん?姫野のように……?」
何かに違和感を感じた藤十郎が朧を見る。
「まさか、朧。お前は俺の嫁になりたいのか?」
「っ!?」
藤十郎以外にはバレバレなのだが、それでも本人に気付かれるのはやはり恥ずかしいのだろう、朧は先ほどまで以上に顔を真っ赤にする。
「ふむ、そうか……」
「あ、あの……お嫌、でしょうか?」
「何故そうなる?朧は好ましい女性だと思うぞ?」
自然と藤十郎はそんなことを言う。これで蕩らしていないと言うのだから、剣丞と同じといわれても仕方がないだろう。
「そうなると……む、俺が動くよりも前に葵は動いていそうだな……朧、その話誰かにしたか?」
「……既に姉上や十六夜には報告済みです」
「と、言うことは葵も?」
「はい、既にご存知かと」
またもや、外堀を埋められている感は否めないがそれは鈍感な藤十郎が悪い。ということは藤十郎も承知しているのだろう。
「朧、俺はどうやら鈍感らしくてな。お前が何かを思っていても、俺は気付かんかもしれん。俺もお前もいつ戦で死ぬかも分からん身だ。それに、俺にとっての一番は葵ということは一生涯変わることはない。……それでも」
「藤十郎どの。既に、私の覚悟は決まっています」
「……そうか」
ふぅ、と息をついた藤十郎は朧と向かい合う。
「色々といったが、俺に出来る限り朧のことを愛するのを誓おう。……俺に出来るのはそれくらいだからな」
「……ふふっ……私が緊張していたのが馬鹿みたいですね」
「おい、どういう意味だそれ」
微笑んだ朧が三つ指をついて綺麗なお辞儀をする。
「不束者ですが、末永くよろしくお願いします、藤十郎どの」
「……だが、朧」
「はい?」
「俺のことはまだどの付けなのか?お前がそうしたいのなら構わんが」
「え、えぇっと……ま、まだ少し恥ずかしいので」
「ふふ、そうか」
……そんな話をしているのは床だったりするのだが、それはまた別の話。
そういえば、三つ指って小笠原流の作法では無作法なんですよね(ぉぃ
知ってはいますが、今の常識でいえば伝わりやすいと思うのでこちらで表現してます。
武器を手に持ちません、という意志の表れとも言われてますので一概に否定も出来ませんしね!