ですがまだまだ行きます!
足利将軍家。一度は没落寸前までに追い込まれていったが、剣丞との婚姻や鬼との戦いを経て再び力を取り戻しつつあった。その後ろには間違いなく久遠や葵の力があったことも窺い知れる。
「おぉ、これはこれは徳川のおふた方!よくぞ参られましたな!」
二条館の前で待ち構えていたのは細川幽藤孝、長きに渡って将軍家を、いや一葉と双葉を支え続けた忠臣である。彼女がいなければ久遠と繋ぎを持つ前に一葉は謀殺された可能性すらあると思われている。
「幽どのか。ふむ、相も変わらず胡散臭いな」
「なんと!それがしほど明瞭な人間、そうはおりますまい!」
「ぬかしおる。まさか直接お前が迎えに出てくるとはな」
「藤十郎どのはまだご自身の重要性がお分かりでないので?いやはや、剣丞どのと同じですか」
「……」
「ふふ、藤十郎の負けね」
「葵どのもご健勝そうで何よりですな。お子様は?」
「元気に成長しているわ。数年したら一葉さまにご挨拶申し上げることになると思います」
「楽しみにしておりますぞ。……ささ、おふた方の立場でしたら直接お会いできますからな」
幽の先導に従い部屋へと通される。幽はそのまま部屋に残り、小姓が茶を運んでくる。
「ささ、文字通り粗茶ですがお飲みくだされ。毒見が必要であればそれがしが先に」
幽の言葉を待たずに藤十郎が一気に飲み干す。
「どうですかな?以前よりはマシになりましたが」
「陰謀の味はせんな。どうだ、以前に比べて住み易くなったか」
「そうですなぁ。獅子身中の虫は減りました故、仕事を任せられる相手は増えましたな。……ですが、不思議と私の仕事量は増えていく一方で」
「それはどういうことなのですか?」
幽の言葉に葵が首を傾げる。
「いやはや、お恥ずかしい話なのですが公方さまは剣丞どのや藤十郎どのと同じくご自身の立場が分かっておらぬようで。二言目には『双葉が居る故余はいらぬだろう?余は剣丞の元へ行くぞ!』とばかり。愛しの君にお会いしたいのは分かりますが……」
「ほぅ、幽は余が自分の立場を理解しておらぬと?」
じと目で入ってくる一葉とそれに付き従うように微笑みを浮かべて入ってくる双葉。
「これはこれは!聞かれてしまうとは一生の不覚!」
「ふん、聞かせようとわざと言うておったのだろう。……で、藤十郎。戦のとき以来か」
「いや、同盟の場にも居ただろう?」
「藤十郎」
「……おりましたが?」
葵が一言嗜めると藤十郎が言葉を改める。
「よい。余は堅苦しいのは好かん」
「ですが、一葉さま」
「余がよいと言うておるのだ。余も双葉も、久遠や剣丞、そしておぬしらが居らねば此処に居らんかったであろう。……三好や松永にでも殺されておっただろう」
「お姉さま……」
「こほん。葵、一葉どのもこう言っているのだ」
「……そうね」
「と、言うわけでだ。藤十郎よ」
「ん」
「余とし合え」
「……なんだ、槍は使わんのか?」
「俺は元々あらゆる武具を使う。いい刀も持っているのだ。剣豪将軍と殺り合うのならやはり刀だろう?」
「はっ、舐めているのか、それとも余裕か?」
刀をすらりと抜き放つ一葉。あわせるように藤十郎も刀を抜く。
「そうだな……どちらと取ってもらっても構わんが……決まりはどうする」
「必要ないだろう。全力でやるほうが楽しいだろう」
「いやいや、一葉さま、何を仰っているかご理解されておりますか?藤十郎どのはあの東国無双の綾那どのを超えるとまで言われている化け物ですぞ?」
「だから楽しいのだろう?」
「一葉さま、本当にご自身のことを……」
「幽どの、安心しろ」
「む?」
「無傷で終わらせる」
「……ほう?面白いことを言うではないか」
にやりと一葉が笑う。
「それ程に力の差がある、ということだ」
藤十郎が返す。
「いつつ……」
「もう、無理するからよ」
一葉とのし合いの後、身体中ぼろぼろの藤十郎が葵から手当てを受けていた。
「むぅ、いけると思ったんだがなぁ。……っつ!」
「我慢しなさい。……一葉さま相手にあんな戦い方して」
「お、おい、葵。もう少し優しくだな」
「たまにはいい薬でしょ。……でも、本当に無傷で倒したわね」
「一葉どのを傷つけるわけにもいかんだろう。人の嫁だしな」
「だからって貴方が傷だらけじゃ意味がないでしょ。もう」
「失礼します」
丁寧な礼の後、部屋に入ってきたのは双葉だった。
「藤十郎さま、先程はお姉さまと戦ってくださって本当にありがとうございます」
正座で綺麗な礼をした双葉に二人が一瞬驚く。
「双葉さま、頭を上げてください。私としては藤十郎が変に煽ったせいでことを大きくしてしまったのではと思ったくらいです」
「そんなことはありません。お姉さまは戦のあと、ずっと旦那様に会いに行きたいのを我慢されていて……戦にも参加できず不満を溜めておられましたから」
「それは双葉どのとて同じであろうに。……夫婦は共にあるのが一番だと思うぞ。いっそのこと、剣丞を将軍にしてしまえば早い話だろうに」
「藤十郎」
「……」
「ふふ、藤十郎さまは面白いことを仰るのですね。ですが、皆が平穏に過ごせる世を作るため、皆で戦っているのです。微力ではありますが、私もそれに協力したいと思っております」
「ご立派です、双葉さま。ですが、ちゃんと甘えられるときには甘える、それも妻としての勤めですよ」
「葵さま……ふふ、はい」
「……俺はお邪魔か?」
「あら、藤十郎居たの?」
「ずっと居たんだがな」
「ふふ、お二人は本当に仲良しなのですね」
「満足ですかな、一葉さま?」
「うむ。本当に無傷で終わらせおって……余を馬鹿にしているのか、と言いたいところではあるが」
「本当に『本気』を出されていては、流石に骨が折れそうでしたな」
「寿命が縮む、とは言っておったが余の御家流も使えるそうではないか。……ふふ、しかし久々に心躍る戦いであった」
「一葉さまは藤十郎どのをなかなか気に入られておりますな」
「うむ。アレほどまでに武に秀でた武者もなかなかおるまい。戦場であったとき、確信したわ」
「ですなぁ。あれも全て剣丞どのを成長させるための一手だったようで。いやはや、恐ろしい御仁ですな」
二人で茶をすすりながらそんな会話をする。
「で、幽はどうなのだ」
「と、申しますと?」
「幽は主様の嫁ではなかろう。誰がしか、よい相手はおらんのか?」
「むぅ、まさか一葉さまからそのようなことを聞かれる日が来るとは思ってもおりませんでした」
「気になっている相手がおるのであれば余が一言言ってやっても良いぞ?勿論、余が認めた相手で、尚且つこの場所から離れろと言わぬ奴でなければならんがな」
「……それでは唯の我侭でしょう」
「ふん、で。どうだ、誰かおらんのか?」
「そうですなぁ。と、言いましても私の周囲の男衆は誰も彼も魅力のみの字も感じませぬからなぁ」
「分からぬでもない。幕府にはおらんだろう。で、好みの男はどのような奴だ」
「考えたこともありませぬが……そうですな、せめて風雅に通じて尚且つ苦労を分かち合えるような方が良いかも知れませぬな」
「聞いておいてなんだが、全く分からぬ」
「そう仰ると思っておりましたよ」
そんな話をしたからだろうか。普段ならそこまで意識をしないであろう相手に、試すような気持ちで接近する。
一人月を眺めながら酒を呑む藤十郎。手元には二つの杯があるが一人で飲んでいた。
「おやおや、このような善き夜に一人酒とは勿体無いですぞ、藤十郎どの?」
「ん、幽どのか。一人では味気ないと思っていたところだ。どうだ、一杯」
「それでは頂きましょう」
藤十郎から差し出された酒を呑む。
「おぉ、これはなかなかに良い酒ですな」
「だろう?京に来たときには必ずこの酒を呑むことにしている。……葵には内緒だぞ」
「ふふ、きっとばれておりますぞ。葵どのは鋭いですからなぁ」
「ははは、それでも俺が隠しておれば何も言わんよ」
「分かり合っておりますなぁ」
「それが夫婦であろう」
無くなった杯の中に再び藤十郎が酒を注ぐ。
「……そういえば、藤十郎どのも着実に嫁を増やしていると聞き及んでおりますぞ」
「……着実にと言うのが引っかかるが増えておるのは否定せんよ」
苦笑いを浮かべて藤十郎が酒を飲み干す。それを見て幽が逆に酒を注ぎ返す。
「少し風が出てきたな。幽どのは寒くは無いか?」
「大丈夫ですぞ。それがしは剣丞どのに柳のようだといわれておりますれば」
おどけてそんな返しをした幽。月が朧になり、遠くで雷が鳴るのが聞こえる。
「雨が降るか?」
「さぁ、どうでしょうなぁ。ですが、折角の善き月が隠れてしまいましたなぁ」
「だな。まぁ、屋敷の中だ。降り始めれば部屋に入ればよかろう。俺の目にはしっかりと月は見えておるからな」
「ふむ。……」
そんな藤十郎を見て幽がポツリと呟く。
「……鳴る神の 少し
「どうしたのだ、急に」
「いやはや、雷の音を聞いてふと思い出しただけですれば。お気になさらず……」
「……鳴る神の 少し響みて 降らずとも
幽の言葉を切るように藤十郎の口から紡がれた歌に幽は固まる。
「ははは、まさか幽どのに口説かれるとは思わなかったぞ」
「い、いや、それがしは」
「からかっただけだろう?だからこちらも返したまでさ。さぁ、冷え込む前に中に戻るとしよう。折角酒で火照った身体を冷やすのは勿体無い」
「ですな。そういえば葵どのは?」
「なにやら双葉どのと話がしたいとのことでな。今晩は一人で寝ろと言われたわ」
「それはそれは。どうしてもと仰るのでしたら不肖ながらお伴しますが?」
「そんなことをしては一葉どのに殺されてしまう。『余の幽に手を出したのは貴様か!』、とな。あまり男をからかい過ぎぬようにせねば、剣丞のような男に蕩らされてしまうぞ?」
冗談めかして笑いながら立ち去る藤十郎。それを見送った後、幽はため息をつく。
「いやはや、試した私が試されたような形になってしまうとは……」
藤十郎に対して呟いた歌。そして藤十郎からの返歌。万葉集に残された作者の分からない歌である。
「ふふ、きっとそうなのでしょうな。藤十郎どのであれば」
恐らく、意味もしっかりと理解したうえで返したのだろう。
「ふむ、これは……一葉さまにご相談申し上げねばならぬかもしれませんなぁ」
一人呟く。再び月は顔を出し、幽を照らしていた。
万葉集に残されたこの歌は有名……だと思います。
凄くちなみにですが、昔の歌では男性には「君」、女性には「妹」と呼びかけるようになっています。
興味があったら調べてみてくださいね!