悠斗と一夏、そして箒が晴れて小学校に上がった。それまで二人とは別の幼稚園で離れ離れだったが、同じ小学校になれた事に箒は内心喜びを隠せない。今度からは学校でも一緒になれるのだから。
「俺と悠斗は同じクラスだったな」
「箒だけ別のクラスかー……」
「む、むぅ……!」
しかし、現実は非情だった。箒はウキウキ気分でクラス分けの内容を確認すれば悠斗や一夏の言う通り、自分だけが別のクラスという現実を突き付けられる。何故かは分からないが、楽しげに悠斗と一緒のクラスになった事を話す一夏を恨めしく思ったのは口が裂けても言えない。
「さぁて、また一番で上がらせてもらうぜぇ……」
「やってみろ。今度はお前にババ引かせてやる」
「悠斗、今度こそ阻止するんだ!」
小学校から帰って来た三人は道場でババ抜きをやっていた。所詮は稽古の時間までの暇潰しだが、意外と白熱しているのは否めない。
順番は大体が一夏が一位で、二位と三位を悠斗と箒が争っていた。しかし、これにも法則があり、悠斗からじゃなく、箒からカードを引くとなると一夏は途端にその順位を落としている。
「これがババなのか?」
「おう、そうそう、それだよ。それ引いてくれよ」
「ふーん……」
「(…………む?)」
一夏が指し示したカードに悠斗は不敵な笑みを浮かべて応える。箒もそれまで楽しんでいて気付かなかったが、一夏がカードではなく、じっくりと悠斗の顔を見ているのに漸く気付いた。それに違和感を感じるものの、そのまま続ける。すると――――
「……じゃあこっち」
「ぬぐっ!?」
「いぇーい! また俺がいっちばーん!」
引いたカードは一夏が待ち望んでいたものだったらしく、持っていた唯一の自分の手札と合わせて棄てて、今日何度目になるか分からない一位を宣言。
「ぐぅ……! また一夏か……!」
「むぅ、ならば二位は譲らんぞ悠斗!」
「よっしゃ、来い!」
「二人とも頑張れよー」
そうしてこれまた今日何度目になるか分からない悠斗と箒の一対一が始まった。お互い向き合い、真剣に残り少ないカードを見つめる。
と、ふと悠斗からカードを引こうとしていた箒が顔を逸らした。恥ずかしそうにその顔を赤くして。
「ゆ、悠斗……その、あまり顔を見るな……」
「……うぇ!? わ、悪い、そんなつもりは……!」
「う、うむ……」
何も考えずぼーっと箒を眺めていた悠斗は当の本人から指摘され、はっとしてその顔を赤く染める。そのまま二人とも俯いてしまい、何とも言えない空気が流れていた。この展開も先程からずっとである。箒がずっと眺めていたりする事もあるが、結果は同じになるのだ。
「あ、あー、俺ちょっとトイレ行ってくる」
「お、おう。ってまたか? 今日何度目だよ?」
「大丈夫なのか?」
「お、お腹の調子がな……じゃ!」
「何だ、あいつ……?」
「ふむ……?」
千冬の教育の賜物か、一夏は空気を読んでそそくさと出ていってしまった。こうなると終わる頃まで戻って来ないのを知っていた二人は待っていても仕方ないのでババ抜きを再開。
「これならどうだ!」
「わははっ、それはババだ!」
「むぅ……ならお前にババを引かせてやる。来い悠斗!」
ババを引いてしまった事で現在箒は手札二枚に対して悠斗が一枚となっている。今度は悠斗がシャッフルされた箒の手札を真剣に見つめる。二人の戦いは白熱していくばかり。
「箒」
「な、何だ!?」
「その、そんなに顔を見ないでくれ。何か照れる」
「そ、それはすまなかった……」
「(早く終わらないかな……)」
……白熱していくばかり、のはず。二人が織り成す空間を物陰から見つめながら一夏は自分が入っていくタイミングを見計らっていた。早期決着をただひたすらに願って。
「……これだ!」
「そ、それは!」
遂にどれを引くか決めた悠斗は勢い良く引き抜き、カードを見て小さく笑った。
「残った札はいらないぜ。俺自身が、ジョーカーだからな……上がりぃ!」
「く、くぅ……! 私の負けか……」
「お、悠斗の勝ちか」
得意気にそう言い放つとカードを棄てて勝ちを宣言する悠斗。がっくりと項垂れる箒を余所に漸く自分が戻っても良さそうな空気になった事に一夏は喜びつつ戻る。
「おうよ。箒がビリだからシャッフルする番だぞ」
「分かってるっ。それにしても勝つ度にあの台詞を言っているが何なのだ?」
「ああ、あれは悠斗が良く見てる番組で言ってたんだよ。まぁ俺も好きなんだけど」
「ふむふむ」
シャッフルしながら先程から思っていた疑問をぶつけると代わりに一夏が答えた。元々好きなものが似通っていた二人は同じ家で暮らすようになってから更に似るようになっている。
「う……今度は俺がトイレ行ってくるわ」
「あいよー」
「早く戻って来るんだぞ。次こそは勝つのだからな」
「へっ、やってみろ」
悠斗がトイレに立ち、残された箒は待っている間にカードを配り終えてしまい、先程感じた違和感を一夏本人に訊ねてみる事に。
「先程悠斗からカードを引く時、熱心に顔を見ていたが何かあるのか?」
「……ああ、バレてたか。まぁ箒だからいっかな」
あいつには秘密な。そう小さな声で言うと一夏はその秘密をこっそり教えた。
「悠斗はな、嘘を吐く時に絶対やる癖があるんだよ。それを見てたんだ」
「だから質問してたのか。そんなの卑怯ではないかっ!」
「そうでもしないと悠斗に勝てないからな。まぁ使う使わないは箒次第だ」
一夏も普段は飄々としているが、悠斗との勝負に関してだけは真面目に勝ちを狙いに行く男だった。今もこうしてそれまで浮かべていた人懐っこい笑みを消して真剣な表情で箒と話している。
実は悠斗だけがライバル視している訳ではなく、一夏も悠斗の事を昔からライバルとして見ていた。お互いがお互い負けたくない相手。それが二人の共通認識だった。
「……い、一度だけ使う。こ、これはあくまで確認のためだからな! 一夏はもう使っちゃダメだぞ!」
「分かったよ。箒も一度だけだぞ?」
「うむ、分かっている」
「あのな――――」
嘘を吐く時の癖を教えて貰った箒は今か今かと悠斗の到着を待ち望んでいた。最早勝負よりもその癖を確認したくてしょうがないのは気のせいではないだろう。
そして一夏に教えて貰った悠斗の癖は本当だった。最後の一枚になった時に一夏と同じように質問しながらやってみれば本当にその反応をし、箒はあっさりと一位を取ってしまった。
これが三人が過ごす稽古前の楽しい一時。
小学校に上がっても箒の周りの人間は幼稚園の時とあまり変わらない。それはつまり学校での箒の孤独を意味していた。それで終われば良かったのだが、子供の意地悪は拍車が掛かり苛めに発展していく。
「やーい、男女ー」
「喋り方も変だもんな、こいつ」
「時代劇の見すぎなんじゃねぇの?」
「…………はぁ」
入学してから二ヶ月も経った頃、相も変わらずに自分にそう言ってくる男達を見て箒は溜め息を吐いた。はっきり言ってしまえば疲れるのだ。こういうのは無視するのに限るが、無視し続けるのにも限度はある。
「(早く悠斗に会いたい)」
自然とそう思った。そうすればこんな雑音なんて聞かなくて済むのに。何故悠斗なのかとは考えもしない事に箒は何も疑問を抱かない。
「おーい、箒帰ろう――――っ!!」
「ゆう――――」
「無視してんじゃ……ねぇよ!」
「っ!!」
早く道場へ行こうと箒がランドセルを背負った時だった。苛めていた一人が掃除道具でもって殴り掛かろうとしたのは。珍しく悠斗が迎えに来てた事で完全に油断していた箒に木の柄が襲い掛かる。
これから来る痛みに固く目を閉じるも一向にやって来ない。何かを叩くような鈍い音はしたものの、痛くも痒くもなかった。その事を不思議に思い、ゆっくりと目を開けると左腕を犠牲にして自分の前に立つ人がいた。心から会いたかったその人。
「な、何だこいつ?」
「ゆ、悠斗……?」
「おう」
「お、お前、うぎゃ!」
呟くように言った言葉に短く返事すると箒の方を見る事もなく、襲い掛かってきた男子の襟元を掴み上げ、その顔面を殴り抜いた。
「お前ら……何してたんだよ?」
「ひっ……!」
「何してたのかって聞いてんだよ!!」
初めて見る悠斗の怒りにいじめていた男子達だけでなく、箒自身も驚いてしまう。
相手は四人もいるというのに数の差に決して臆せず立ち向かって行く様は箒の目には格好良く見えた。
「(こんなにも怒っているのは何でだろう?)」
悠斗は幼稚園の頃から一夏に負けてめげる事はあっても、それで馬鹿にされて怒る事は決してなかったのだ。それから考えると箒とは言え、他人の事でこんなに怒るのは悠斗本人としても不思議でしょうがなかった。目の前の相手がどうしようもなく許せない。そんな初めての黒い感情が渦巻いていた。
「(悠斗が来てくれた……!)」
一方、箒はこの場に悠斗が来てくれた事をこれ以上ない程嬉しく感じていた。迷惑を掛けたくなくて誰にも言っていなかったのに、実際こうして助けてくれた事が申し訳ない以上に嬉しい。自分を庇って腕を怪我したかもしれないのに、だ。
「「(この気持ちは何だろう?)」」
二人が抱いた感情は違えど、その根源は同じもの。されど二人にはその感情が理解出来ない。それを二人に理解させてくれたのは箒を苛めていた四人だった。
「何だよお前、この男女の味方するのか?」
「こいつ、この男女が好きなんじゃねぇの?」
「好……き……?」
「あ……!」
何とはなしに一人の男子が言った好きという単語にまるで雷にでも打たれたかのような衝撃が二人に走る。
同時に今までずっとお互いに感じていた憑き物がすとん、と落ちた。そこから熱が広がり、暖めていく。ああ、そうだったのかと理解した。
「(俺は箒の事が――――)」
「(私は悠斗の事が――――)」
「「(好きなんだ)」」
一度理解してしまえばなんて事はない。不思議だ、不思議だと思っていた疑問も全て解決した悠斗は少しだけ笑って答えた。
「――――ああ、そうだよ。俺は箒が好きだ。それが何か悪いのか?」
「ゆ、悠斗!?」
「は、はははっ! 何だ、お前ら夫婦なのか!」
「やーい、夫婦、夫婦!」
まさかの肯定に真っ赤にして驚く箒。苛めていた四人もあまりにあっさり認めた事に少しだけ狼狽えるも、直ぐに持ち直しからかう。だがそれも続く悠斗の言葉に押し黙ってしまる事になる。
「で、その箒を苛めてたんだから俺はお前らを殴ってもいいんだよな?」
「ぐっ……」
「はっ、四対一で勝てるわけないだろ!」
「悠斗、私も……」
「箒は後ろにいろ」
先程殴られた痛みを思い出し、一人が僅かに退いたが他の三人が鼻で笑い、悠斗を睨み付ける。それぞれが掃除道具を武器代わりに武装して。
それでも左手で制して前に行こうとした箒を背中で守るようにしたその時、悠斗と箒には聞き慣れた声が聞こえてきた。
「――――いいや、四対二だ」
「は? あぐっ!?」
影から飛び出してきた声の主は通りすがりに四人の内の一人に飛び蹴りすると、悠斗に並ぶように立つ。悠斗も突然の乱入者に別段驚きもせずに正面にいる四人を見据えたまま、話し掛けた。
「これだと一人で二人相手にする計算だな。行けるか、一夏」
「まぁ俺達なら行けるだろ」
「だな。じゃあ、行くぞ!」
その後、大暴れした二人は見事苛めていた四人に勝利したとだけ記しておく。しかも圧勝で。
「――――」
自分のために戦ってくれている悠斗の背中を箒は見つめていた。
「なぁ、一夏くん」
「何だい、悠斗くん」
「相手は武器を持ってた上に四人いましたよね?」
「いましたねぇ」
「それに対して僕達は二人で、素手でしたよね?」
「そうでしたねぇ」
「何で僕達怒られたんですかね?」
「やっぱり泣かせたのは不味かったんじゃないですかね?」
帰り道、勝利の余韻に浸りながら堂々と凱旋とはいかなかった。最終的に出てきた先生によって怒られた二人は不服そうにしている。やり過ぎだと叱られた二人の後ろを申し訳なさそうに箒が付いてきていた。
「すまない、私のために……」
「箒は悪くないだろ。悪いのは箒を苛めてたあいつらだ」
確かにそうかもしれない。だがそうは言うものの、喧嘩した二人が少しだけボロボロになった姿を見ると箒はどうしようもなく胸を締め付けられた。
「ああ、箒ってあいつらに苛められてたのか。それで悠斗があんだけ怒ってたのか、納得した」
「「えぇ……」」
一夏の今更すぎる理解に二人は思わず声を揃えてしまう。さすがにこれは突っ込まざるを得ない。
「お前、何であんな事になってたのか知らないで喧嘩したのか?」
「おう。今知った」
「分からないなら喧嘩するなよ……」
自信満々に答える親友の姿にがっくり肩を落とす悠斗はその次の言葉に耳を傾ける。
「友達がっていうか、悠斗があんな状況で喧嘩する雰囲気になってて見過ごす訳にはいかないだろ。一対一ならともかくな」
「いや、俺が悪かったかもしれないだろ」
「それはねぇよ。お前に限ってそんな事はない。仮にそうだったとしても俺はお前の味方に付く。んで、その後で正せばいいんだ」
簡単だろ? と屈託のない笑みを向けてくる一夏に呆れつつも、悠斗は内心嬉しく思っていた。やっぱり一夏は良い奴だ。自分もこの男に応えられる男になろうと。
「その、悠斗……先程の事なんだが……」
「どうした?」
「わ、私が好きだという事だ」
「ほ、ほあ!? あ、あれは……その!」
「お、俺先に行ってるわ!」
先程の好きだと言われた事を思い出して顔を真っ赤にする箒と、まさかそれについて言及されるとは思ってもいなかったため、変な声を出した挙げ句、同じく真っ赤になる悠斗。
お互い立ち止まって向き合う姿を見て一夏は一目散に逃げ出した。空気を良く読む小学生である。
「ど、どうなんだ……?」
「あ、あれはその場の勢いで言っただけで……!」
「じゃあ嫌いなのか……?」
「き、嫌いじゃない!」
「では好きなのか……?」
「うっ……」
ついさっき自覚したばかりの心を問い詰められる悠斗は狼狽えまくっていた。正直に言ってしまえばどれだけ楽なのだろうか。でも何故かさっきはあっさりと言えた好きだという言葉が出ない。それどころか、子供特有の見栄っ張りがその真逆を口にしていた。
「す、好き……でもない」
「(あっ……)」
しかし、まじまじと悠斗の顔を見ていた箒は視線が右の方へ行くのを見逃さなかった。一夏に教えて貰った、悠斗が嘘を吐く際のサイン。つまり、今言ったのは嘘で本当は――――。
「ふふっ、そうかっ」
「な、何で笑ってるんだ?」
「さて、何でだろうな」
急に上機嫌になった箒に首を傾げる悠斗には分からない。実は両思いだと分かっているのは箒だけだった。
夏休みに入った頃、遂に悠斗が恐れていた事が起きた。剣道で一夏が悠斗を越えたのだ。いつかは来るだろうと予測していたが、まさかたった半年で抜かれるとは思ってもいなかった悠斗は道場の隅でいじけている。やはり悠斗にとって、一夏は空に浮かぶ雲のような存在なのだ。そんな悠斗を慰めるべく、その側には箒が寄り添っていた。
「悠斗は何故そんなに落ち込んでいるのだ?」
「ああ……俺、一夏に勝った事なくってさ……剣道ならと思ってたんだけど……」
「何言ってんだ。喧嘩なら俺は悠斗に勝った事ないだろ、うおっ」
「? 喧嘩なんかで勝ったって誇れないだろ……俺は才能がないんだな……」
後ろで聞いていた一夏が即座に突っ込みを入れるが、千冬に二人の邪魔をするなと鋭い眼光で睨まれてしまい黙り混む。
また溜め息を吐いて項垂れる想い人を見て、箒はどうするか考え、日頃から感じていた思いを口にした。
「確かに悠斗は才能がないかもしれない」
「うぐっ!?」
「そして一夏には才能があるんだろう」
自覚はしているが、好きな人から才能がないと言われるのは一層ショックが強い。しかし、それも次の言葉でどうでも良くなってしまった。
「でも私はそんな悠斗の剣が好きだ」
「えっ?」
「宝石のように綺麗な一夏の剣よりも、泥だらけでも真面目で、直向きな悠斗の剣が……好きだ」
あくまで剣が好きだと言ってくれているのに悠斗は自身の事を好きだと言われてる気がして、胸の高鳴りを抑えられない。
箒も狙ってやったのもあって心臓が五月蝿く騒いでいた。少し前に好きだと言ってくれた悠斗に、自分も好きだと言いたかったのだ。勿論、悠斗の剣が好きというのは嘘ではない。
穏やかで暖かい日常。いつまでもこうしていたいという二人の願いは無惨にも引き裂かれる事になる。
世界が変わろうとしていた。