君のためなら俺は   作:アナイアレイター

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第3話

 白井家と織斑家の付き合いは五年前、快斗と深雪が二六歳の時からだった。高給取りだった快斗は早々にローンを組んで夢のマイホームを購入。引っ越し前日に近所を挨拶回りで回っていた所、二人を笑顔で迎え入れてくれたのが織斑家だった。

 

 家が隣という事もあり、二つの家族が打ち解けるのに然程時間は掛からなかった。快斗と深雪が慣れない初めての子育てに四苦八苦していたのも関係していたかもしれない。また、織斑家の第二子と白井家の第一子が同い年というのもあったのだろう。既に小学生だった千冬を育てていた先輩夫婦である織斑家に何かと相談していた。

 気付けばたまの休みの日には家族でどちらかの家にお邪魔し、酒を飲み交わし、互いの妻の手料理を楽しむ。そんな家族間の交流をしていたある日、突如として織斑家の夫婦は滅多に姿を見せなくなった。

 

「織斑さん達、どうしたのかしら……」

「千冬ちゃんも分からないみたいだし……何かあったのかな……?」

 

 まだ小学六年生の千冬と三歳になったばかりの一夏がいるというのにも関わらず、子供の世話を子供に任せて不規則な生活を送っているらしく、家族の千冬ですら満足に会うことも叶わない。

 

 勿論、千冬も近くにいる親戚には連絡をしたらしいが、誰も面倒事は嫌だと聞かない振りをした。直ぐに元に戻るよとありもしない根拠を押し付けて。

 その時の千冬は子供だというのに渇いた笑みを顔に張り付けて快斗と深雪に説明していた。抱き抱えている弟が不安を感じないよう、決して泣かないように。それが快斗には凄く嫌だった。まだ中学生にもなっていない子供がそんな何処かの大人のようにしなくちゃいけない現実が。

 だから快斗は最早自身の中で決定事項になっている件を妻に相談した。さすがにいきなり実行に移すのは気が引けたのだ。

 

「深雪、子供が二人増えるけどいいかな?」

「あらあら。私、子育てって大変だとは思うけど、とても遣り甲斐のある事だと思ってるのよ? 喜んで頑張るわ」

「……やっぱり僕の奥さんは君しかいないな」

 

 子供が増えたこれからの事を想像したのか、本当に嬉しそうに話す深雪を見て快斗は心の底から安堵した。

 その日から千冬と一夏を白井家で面倒を見るようになったのは言うまでもない。一応、その事は織斑家の夫婦にはメールやら書き置きやらで伝えておいた。

 返事は直ぐには来なかったが、暫くして短く、よろしくお願いしますとだけ来た。その日を境に決して少なくない金額が白井家に振り込まれるようになる。元々裕福だった白井家にとって金銭は問題ではなかった。こんな事よりも子供の傍にいてあげるべきだと声を荒げそうになったのは秘密である。

 

 そうして二年の月日が経ち、千冬が中学二年生の終わり、悠斗と一夏が幼稚園を卒園する年。事態は動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきます!」

「行ってらっしゃーい、車に気を付けてねー」

「行ってらっしゃい、柳韻さんによろしくね」

「はーいって、あれ?」

 

 年が明けて暫くして、今日も今日とて悠斗が道場へ向かおうと家を出ようとした時だった。何故か家の前に一夏が立っていて、しかもいつもからは想像出来ない程にやたらとおどおどしている。こうして悠斗が目の前にいるのに気付けない程には様子がおかしい。

 

「一夏? どうしたんだ?」

「っ! ゆ、悠斗!」

「お、おう?」

「あの……えっと……!」

 

 声を掛けると漸く悠斗に気付いた一夏が彼に掴み掛かるようにしてその腕を取る。突然の事態に訳も分からず困惑するが、これまで見た事もない一夏の必死の表情にただ事ではないのを感じ取った悠斗は思わず声を荒げて問い質した。

 

「どうした!? 何があったんだ!?」

「ち、千冬姉、千冬姉が……!」

「千冬さん? 千冬さんに何かあったのか!?」

「ゆーくん、どうしたのー?」

「悠斗? そんな大声出してどうしたんだい?」

 

 自分達の子供の声に驚き、奥から快斗と深雪がやって来た。二人を見掛けると同時、一夏かその二人に駆け寄る。何事かと目をパチクリする二人に対して、一夏は涙を流して訴えた。

 

「千冬姉を助けて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分達の両親が蒸発した。これまでも姿を見る事はほぼなかったものの、仕事には出ていた二人が忽然と姿を消してしまった。

 それが発覚したのが今週の頭で、会社に顔を見せないと電話が来たのが切っ掛けで判明。学校に行っていた千冬には会社からの連絡に出れず、近くの親戚にまで連絡が行った事で休日の今日に親戚達がこぞってやって来たのだった。やって来た目的は残された財産をどうするかについてだけ。千冬や一夏の事など、二の次どころか厄介者としか見ていないのが現実だった。

 

「二人はそちらにやった方がいいのでは? 子供だって姉弟が欲しいでしょう?」

「いりませんよ、二人もなんて。お金や土地でしたら喜んで貰いますよ」

「……っ」

 

 見た事がなければ、会った事もない親戚達に囲まれ、千冬は疲弊していた。目の前で見せられる大人達の醜い腹の探り合い。何が面白いのか全く分からない話に、自分と一夏を物のように扱う親戚達。

 

「こんなの施設に預ければいいじゃない」

「これだけ親戚がいて、誰も預からないのはまずいだろう」

 

 結局この大人達は自分達の事しか考えていない。隠すつもりもない姿勢に最早怒りを通り越して呆れていた。それでも我慢してここにいるしかないのは千冬も分かっている。自分達は子供で、どれだけ強がろうとも大人に頼るしか生きてはいけない。何で自分は大人じゃないのかと千冬は思っていた。それなら目の前の奴等を無視して一夏と二人で生きていけるのに。離ればなれにならなくて済むのに。

 

「(快斗さんと深雪さんがこの場にいてくれたならどうしていただろう……)」

 

 自分と一夏を育ててくれた恩人の二人。実の親よりも親らしくいてくれた二人に思いを馳せる。もし、この場にいたのなら助けてくれる。そんなのは疑うまでもない事で。

 

「(甘えるな。これ以上二人に迷惑を掛けるなんて……)」

 

 だからこそ千冬は二人には何も相談しなかった。今まで散々迷惑を掛けてきたのだからと。一夏にもこの事は決して言うなと何度も伝えて。

 それでも気持ちとは裏腹に千冬は助けを求めていた。震える身体を抑え込み、弱さを見せぬように懸命に耐えているが、限界を迎えつつあった。視界がじわりと滲んできた時。

 

「失礼します」

「な、何だ、君は!?」

「快斗、さん……?」

「うん」

 

 勢い良くリビングの扉が開かれると、快斗がいつもの和やかな雰囲気ではなく、何処か怒気を孕ませて立っていた。

 千冬が震える声で名前を呼ぶといつもの雰囲気に戻り、彼女を安心させるように笑顔になる。

 

「初めまして、私は隣に住む白井快斗と申します。ああ、覚えて貰わなくて結構です。私も皆さんの事は直ぐに忘れるようにしますので」

 

 千冬の隣に座った快斗は彼にしては珍しく敵意のある言葉でその口火を切った。その態度に当然、親戚一同は険しい表情を浮かべ、鋭い視線を向ける。余所者がなんだと。関係ないのだから黙っていろと。

 

「で、その隣に住む無関係の白井さんは何だと言うんだ?」

「この醜くて不毛な会話を終わらせに来ました」

「何ですって!?」

「静かにしてください」

 

 快斗の言い分に親戚達は何とか抑えていた怒りを噴出させようと騒ぎ立て始めるが、彼が燃え上がるような怒りと共に放たれた言葉にまるで波紋一つない水面のように静かに黙り込む。まだ三十代前半の彼に皆呑み込まれていた。

 

「子供二人は私が引き取ります。良いよね、千冬ちゃん?」

「えっ……? は、はい」

「決まりだね。じゃ、行こうか」

 

 突然話を振られた千冬は困惑しながらも何とか返事をする。その答えに満足そうに微笑み立ち上がるも、親戚達は黙っていられない。

 

「ふ、ふざけるな! ではこの家と金はお前が持っていくのか!?」

「そんな事、許されるはずがないだろう!」

 

 確かに何の関係もない快斗にそんな権利はない。失踪した二人からの指定があったならともかく、ない現状においては土台無理な話だ。

 欲に目が眩んだ情けない親戚達に本当に鬱陶しそうに溜め息を吐くと快斗は振り向いた。

 

「……話をちゃんと聞きましたか? 子供二人は、と私は言いました。この家とお金に関してはそちらで決めてください」

「おお……!」

「詳しい話は後で弁護士が来ますのでそちらと。ではこれで」

 

 それだけ告げると今度こそ快斗と千冬はリビングから出た。最後の財産はいらないと話した時の安堵した表情が気に食わない。が、ここで怒っても仕方ないので快斗はまた一つ溜め息を吐く。行き場のない怒りを乗せて。

 雇った弁護士は快斗の昔からの知り合いで、口が上手い。損な役割を押し付けたかなと、その分報酬は弾むつもりだった。

 リビングを出ると千冬と一夏の私物を纏めていた深雪とばったり出くわす。その後ろには深雪の手伝いをしていた悠斗と一夏もいた。不安そうに一夏が訊ねる。

 

「……どうなったんですか?」

「ふっふっふっ、喜んでくれ! 今日から千冬ちゃんと一夏くんはうちの子だ!」

「本当に!?」

「おー!」

「あらあら! じゃあ今日はうんとお祝いしなきゃ!」

 

 家族が増える事に大喜びの四人を尻目に千冬だけはまだ沈んだ表情を浮かべていた。

 これで良かったのか。また迷惑を掛けてるじゃないか。でも助けて欲しかった。

 ぐちゃぐちゃと肯定と否定の意見が頭の中を駆け巡り、どうしていいか分からないまま立ち尽くす。

 

「千冬ちゃん」

「っ、はい」

 

 ふと暖かな手のひらが千冬の頭に置かれた。それで漸く意識を外に向けた彼女に親代わりから本当の親となった快斗は微笑んだ。

 柔らかくて暖かい笑み。自分には出来ないものだと考えて。

 

「頑張ったね。お疲れ様」

「あ、――――」

 

 その一言で余計な事は全て吹き飛んだ。助けて貰った。助けてくれた。一夏と離ればなれにならなくて済む。今までギリギリの所で耐えてきたのが遂に決壊した。

 

「うぅああああ……!」

「はいはい……もう大丈夫だよ」

 

 すがるように泣く千冬を落ち着かせるようにして快斗が慰める。本当の親子の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、予てよりの希望で一夏も篠ノ之道場に来ていた。勿論、悠斗も千冬も一緒である。

 

「織斑一夏です! よろしくお願いします!」

「はい、よろしく。こっちが私の娘の箒、君や悠斗くんと同じくここの門下生だ。仲良くしてやってほしい」

「はい!」

「では私は少し用があるから席を外す。千冬くん、後は頼む」

「はい」

 

 師範である柳韻に元気良く挨拶すると一夏はたった今紹介された箒と向き合った。

 

「篠ノ之箒だ。お前が一夏か、悠斗から話は聞いてる」

「俺は織斑一夏。俺も悠斗から箒の話は聞かされてる。これからよろしくな!」

「うむ。こちらこそよろしく頼む」

 

 初対面ながらも共通の友人である悠斗から話を聞かされていた事もあって、お互いの人となりが分かっていたのか、二人はあっさりと友達となった。交わされる握手。

 

「うー……」

 

 それを見て何故か分からないが面白くないのが悠斗である。本来なら二人が仲良くしているのは悠斗としても喜ぶべき所なのだが、これまでにない苛つきを感じていた。

 別に箒と千冬が仲良くしているのは何とも思わないのに、一夏と箒が仲良くしているのは我慢ならない。

 

「ふんっ!」

「いてっ!? 何すんだよ、悠斗!」

「悠斗?」

「ほ、ほら、稽古するぞ箒」

「う、うむ???」

「な、何だ、あいつ?」

「くっ、くくく……!」

 

 いつまでも箒と握手している一夏の腕にチョップして無理矢理離すと箒の手を取り、一夏から離れた。

 チョップされた一夏も、手を取られた箒も、それらを実行した当の本人でさえも何故そうしたのか分からない。

 そんな状況でただ一人、千冬だけが全てを分かっていて笑いを堪えるのに必死だった。

 

 一日の稽古が終わり、悠斗の箒のいつものやり取りも終えると悠斗と一夏は千冬と帰ろうとした時だった。

 

「やぁやぁ! ちーちゃん、今日もお疲れ!」

「束か。何の用だ?」

「つれないなぁ。折角ちーちゃんが話してたいっくんを見に来たのに」

『いっくん?』

 

 聞き慣れない呼び名に悠斗と一夏は声を揃えて首を傾げる。そうすると束は一夏の方へ顔を向け、笑い掛けた。まるで宝物を見つけた子供のように。

 

「一夏だからいっくんだよ! よろしくね、いっくん!」

「は、はぁ……?」

「一夏、あまり考えるな。こいつはこういう奴なんだ」

「酷いよ、ちーちゃん!」

 

 呆れたように言う千冬に束が文句を言う。置いてきぼりを食らっている悠斗と一夏だったが、次の瞬間に悠斗を見た時、一切の表情がなくなった。

 

「……君は誰?」

「し、白井悠斗です」

「ふーん。君が、ねぇ……」

 

 じっくりと観察するように色んな方向から悠斗を品定めする束。それも直ぐに終わり、興味なさげにぼやいた。

 

「うーん……箒ちゃんの事は何でも分かってた気でいたんだけどなぁ。こんな凡人の何処がいいんだろ?」

「っ!」

 

 凡人、才能がない。悠斗自身分かりきっていた事だが、改めて他人から言われて平然とはしていられなかった。悔しさに俯き、唇を噛んでいると抱き寄せられて。

 

「束、それ以上悠斗に何か言うのならお前を許すつもりはない」

「千冬さん……」

 

 見上げると千冬が怒りを露にして束を睨んでいた。たとえ親友であろうと、もう一人の弟を馬鹿にされて大人しくしていられないのは当たり前で。

 

「はーい、分かってまーす」

「ふん。それとな、人を幸せにするのに特別な才能なんていらない。誰にだって幸せに出来る」

 

 箒を幸せにするという点ではこいつは誰よりも優れている。そう言外に込めて。

 千冬が言ったからだろうか、束は本来なら聞き流す所を真面目に聞いている。言外に込められた意味もちゃんと理解していた。その上で悠斗を再度観察し出した。こんな男が出来るのか、と。

 

「そうかなー……?」

「いつか分かるさ」

「ふーん……ま、いいか。じゃあね、ちーちゃん、いっくん! えっと、そこの男の子!」

 

 嵐のように現れた束は嵐のように去っていった。悠斗と一夏は呆然とし、千冬は最後の悠斗への言葉に明日説教してやろうと固く誓う。遅れて一夏もふつふつと怒りが沸いてきた。

 

「千冬姉、あの人何? 凄い失礼だったな」

「ん? ああ、あいつは篠ノ之束。箒の姉だ」

「箒のお姉ちゃんなの!?」

 

 まさかの事実。先程まで一緒にいた箒とは似ても似つかぬ姉に驚かざるを得ない。

 束に言われたのを未だ引き摺っていた悠斗の頭を千冬が少し乱暴に撫で回した。

 

「悠斗。前途多難だが、頑張れよ」

「う、うん? 何を?」

「ふっ、何をだろうな」

「???」

 

 何を頑張ればいいのか。それについては何も教えてはくれなかった。何も分からず、ただただ首を傾げるのみ。

 いきなり答えを教えても面白くないとした千冬は、悩みに悩むもう一人の弟の姿を見て破顔した。


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