某所、IS委員会の招集で薄暗がりの中に千冬はいた。その表情は彼女を知らない人だとしても、一目で分かるほど険しい。
彼女の目の前にある空間ディスプレイには先日行われたクラス代表決定戦の様子が流されていた。
その向こう、新しく空間ディスプレイが開かれるとより一層千冬の表情が険しくなる。
「《ブリュンヒルデ》、気分はどうかな?」
「貴様のおかげで最悪だ」
「それは残念」
軽い口調の男の声。それに対して敵意を一切隠さずにいる。それどころか惜しみ無く敵意を向けていた。
それもそのはず、千冬の視線の先には世界がこうなった原因が、《財団》の、IS委員会の会長であるアイザックがいるのだから。
幾ら直接ではないとは言え、元世界最強の千冬の殺気を受けても平然としていられるのはさすがと言うべきか。肩を竦めて適当に受け流す。
「で、この試合を見せて何を聞きたい? こんなところ、一刻も早く立ち去りたいんだがな」
「あはっ、嫌われてるねぇ。まぁいいや、単刀直入に聞くよ……彼は何者だい?」
聞いてきた彼とはディスプレイに映る、代表候補生二人を圧倒している悠斗の事だろう。
この瞬間、アイザックの表情から笑みが消えた。
「……どういう意味だ?」
「そのまんまさ。僕が調べていた限りでは白井悠斗は落ちこぼれだったはずだよ。それがたった一週間でこんなに強くなるはずがない。まるで別人のようだ」
そう思うのも無理もない。言ってしまえばあれはまさに別人なのだから。だがシステムの事を言えば、アイザックは嬉々としてその事を公表するだろう。世界の男性の希望を打ち砕くため。
「そして、これも気になる」
言葉と共に変えられた画面には悠斗と一夏の戦いも映し出されていた。システムを使わない、ありのままの悠斗の姿が。
「不思議だよねぇ。あれだけ強かったのに、今度は同じ素人である君の弟と互角なんだから」
「っ」
確かに不自然だと誰もが思うだろう。何故今度は圧倒出来ないのか、と。
別に一夏が特別強い訳ではない。素人にしては良くやっているが、それだけだ。
手加減している訳でもない。無傷で勝ったのに、やられる時はやられている。
「君の後任であるアリーシャに見せたらこう言ってたよ。『最弱と最強が同居している』って」
「私も同意見だ」
強くて弱い。相反する二つが同時に存在している。正しい評価だ。事情を知らない者からしたらそう思ってしまってもしょうがないだろう。
かつて世界大会で千冬と優勝を争ったアリーシャ・ジョゼスターフ。近接戦闘において千冬と互角に渡り合えた唯一の存在。現在の世界ランク一が言うのだから説得力がある。
「もう一つ、彼女に聞いた事があるんだ」
「……何だ?」
問われてアイザックがニヤリと笑みを浮かべた。相変わらずこの男の笑みほど薄気味悪いものはない。
「君ならその最強に勝てるのかって」
「っ!!」
浮かべる笑みに相応しい、嫌らしい質問だった。
「……で、アリーシャは何て答えたんだ?」
「勝てるってさ。だけど今の彼には興味がない。国家代表の一人でも倒したら考えるらしいよ」
恐れていた答えだった。考える、とは戦うに値するという事だろう。きっとそう遠くない内に、アリーシャは悠斗を倒すべくやって来る。そうしたら、今のままでは確実に負けてしまう。
「アリーシャが勝てるって事は《ブリュンヒルデ》も勝てるんだよね?」
「……それはどうだろうな」
ここで勝てると言えば間違いなく千冬を当てようとするだろう。それだけは避けねばならない。せっかく結ばれたのだから、これ以上邪魔するのは。
「あはっ、あははははっ!!」
それを聞いてアイザックは笑う。無邪気な子供のように。そして残酷に告げた。
「嘘はいけないなぁ!」
「ふん、何がだ?」
「君とアリーシャが! 世界でたった二人の《ドミナント》が、負けるはずがないだろう!?」
「っ……」
《ドミナント》とは何らかの先天的因子により、常人よりも遥かに高い戦闘能力を持つとされる仮説である。現在、これに当たるのが世界最強と評される千冬とアリーシャの二人のみ。
同じ国家代表という枠にいながらもこの二人だけは特別だった。言ってしまえば委員会の切り札に近い。
「ははは、でもまぁそういう事にしておくよ。今日はこれまでだ。また、頼むよ」
その言葉を最後に通信が切れた。アイザックの笑い声が室内に響いて不愉快にさせる。いつか、またこの時が来るのかと思うだけで頭を抱えさせた。
「また、私が障害になるのか……」
昔も今も、悠斗にとっての最大の障害足り得るのは他の誰でもない千冬自身だった。
先程までの険しい顔付きは何処へ行ったのか、今にも泣いてしまいそうな表情で千冬は俯く。
幕はもう開けられたのだ。この劇が終わるまでもう降りる事など出来ない。
ある朝、悠斗は唇に柔らかい感触があるのに気付いて目が覚めた。
「ん、ちゅ……」
「ちゅ、んん……ちゅ……」
正確には唇だけではない。目蓋や頬、額といった顔のありとあらゆる場所でそれを感じる。ゆっくりと重い目蓋を開くと――――
「おはよう、悠斗」
「ああ。おはよう、箒」
何よりも大切な人が見惚れるような笑みで目の前にいる。右手で箒の髪を撫でるとくすぐったそうな声を出した。
さらさらと流れる髪は箒の自慢だ。寝る前にも手入れは丹念にしている。それを愛しい人が愛でてくれるのだからこれ程嬉しい事はない。この気持ちを悠斗に伝えたくて自然と顔が近付いていく。
『ん……』
「はぁ……悠斗、ん、ちゅ、ちゅっ」
一度だけのキスでは伝えきれなかった。寝ている時と同じように悠斗の目蓋や頬へとキスの雨を降らせていく。
「むー。ねぇ、私には何もないの?」
すると今度は悠斗から見て左側から寂しがっているような、怒っているような、そんな声がしてきた。
声がする方へ向けば、そこには先程まで箒と一緒にキスの雨を降らせていた、頬を膨らませて不満そうにしている二人目の大切な人。
「悪いな。おはよう、刀奈」
「おはよ、悠斗くんっ」
そう呼んでキスをすれば楯無は微笑んで悠斗の首元に顔を埋めた。足を悠斗の両足に挟み込んで融け合うように抱き付く。
刀奈という本当の名前を好きな人が言ってくれる幸福。そして何よりも何年にも渡って想ってきた相手を思う存分愛せるのだ。楯無の幸せは衰える事のない絶頂期にある。
「あの、時間だから起こしてくれたんじゃないのか?」
右から箒、左から楯無に愛されているにも関わらず、この男は他を気にする余裕があった。というよりは気にしなければ学校があるというのに朝から何かが始まってしまいそうだから気にしなければならないというのが正しい。
「大丈夫だ。いつも起きてる時間よりも十分は早いからな」
「そっ。だから後十分、まったりこうしてましょっ」
「果たして本当にまったりなんですかねぇ……?」
一つのベッドに三人と本来手狭のはずだが、ぴったりとくっついていれば悠斗が劣情を催す以外は何も問題はなかった。
このまま三人で幸せを噛み締めながらゴロゴロとしていたいが、そういう訳にもいかない。悠斗は強くならなくてはならないのだ。
「じゃあ行ってくるよ」
甘い誘惑に打ち勝ち、朝のランニングに行くべく悠斗が振り返って二人に言うと両頬に柔らかい感触が。見れば二人の顔がこれでもかと言うくらい近い。
『いってらっしゃいっ』
「……おう、行ってきます!」
愛する二人の応援を受けて悠斗は部屋を出た。朝からやる気全開だ。
「よしっ、じゃあこっちも頑張りましょうか」
「はい!」
見送った箒と楯無も準備を始める。手早く制服に着替えると、エプロンを着用して台所に立った。二人の戦いは朝食から始まる。
「ひぃ……ひぃ……!」
「お前、くっそ情けない声出してどうしたんだよ」
一方その頃、グラウンドで一夏と走っていた悠斗は地獄を見ていた。
端から見ていると走っているフォームも滅茶苦茶で、何かを庇っているようだ。
「……もしかして腰悪いのか?」
「や、やんごとなき事情がありまして……」
「ふーん(爆発しねぇかなぁ……)」
やんごとなき事情と誤魔化しているのと、腰が痛いという点で何があったのか察した一夏。ひぃひぃ言って走ってる悠斗に願いつつ、ふざける事に。
「――――顔は良いのに?」
「いや、そうなんだよ。顔は良いんだよ! でも腰が悪くてな! 顔は良いんだけどね!」
「えっ? 何だって?」
「ちょっと、何でそこで難聴になったの? 今まで聞こえてたよね?」
そんなやり取りをしながら何とかノルマを達成した悠斗は痛む腰を押さえながら部屋に戻る。
「ただい――――おわっ」
「お帰り、悠斗くんっ!」
「お帰り、もう直ぐ朝御飯出来るぞ」
「おお、サンキュー」
扉を開ければエプロン姿の恋人二人が待ち構えていた。楯無は悠斗の姿が見えるや否や勢い良く抱き付いて出迎える。箒はその後ろでやんわりと微笑んで。対照的だと悠斗は思った。
「えっと、その……」
「うー。愛しの彼女達が出迎えてくれたんだから何かあるんじゃないのー?」
それぞれ対応は違うが、そわそわしているのは一緒だ。楯無みたいに素直に言ってくれればいいが、箒は少し奥手らしい。だがやって欲しい事は分かった。
「はいはい。ただいま、と」
「ちゅ。えへへ、お帰り!」
「箒も。ただいま」
「ぅん……お帰り、悠斗」
今日だけで既に二桁は越えているキスをすると朝食を取る。料理上手の二人が作り上げた朝食を味わう、何度口にしても絶品だった。
料理は愛情というし、二人分の愛情を悠斗は一身に受けているのだから、美味しいのは当たり前なのかもしれない。
「さて、教室に行きますか」
「うむ」
「そうねぇ」
制服に着替えた悠斗の言葉に従い、二人とも鞄を持つ。寮の廊下に出ると箒が代表として部屋の鍵を閉めた。
『戸締まり確認!』
三人で一斉に指を刺して声を揃えて言う。たったそれだけの事が楽しくて仕方がない。
「さ、行きましょ」
「そうですね」
「あいあい、と」
左腕を楯無に、右腕を箒に取られると抱き付かれて教室へ向かう。あまり横に幅を取らないようという建前上、ぴったりと密着しているのもあって歩きにくい事この上ない。
「ふふっ」
「にへへー」
しかし、左右にいる二人のにやけた顔を見るとこれもいいかと思ってしまう悠斗だった。
「今日もお弁当あるから、教室で待っててね」
「あいよ。天気良いし今日も屋上だな」
「うむ、あそこは人もいないしな」
屋上は今や悠斗達の絶好の昼食スポットとなりつつあった。理由として利用する人が少ないのではなく、全くいないからだ。バカップルの空気に当てられたのだとは三人は全く知らない。
箒の言葉に楯無がにやにやしながら見ていた。からかう気満々である。
「んふふー。箒ちゃんは人がいないと何をするのかなー?」
「えっ!? いや、そ、それは……」
楯無の指摘に顔を真っ赤にさせて口ごもってしまう。公の場では言えない、その反応こそが答え。何とも弄りがいのある反応だった。
「箒ちゃん、やっらすぃー」
「た、楯無さん!」
「箒、やっらすぃー」
「悠斗まで! むむむ……!」
悠斗まで加わってからかい始める。二対一では圧倒的に不利だ。元々箒は口喧嘩は苦手であるため、事態により拍車を掛けている。
からかいは楯無と別れるまで続き、その後箒の機嫌取りに悠斗が苦労したのは言うまでもない。
「あなた方は本当に目の毒ですわね……」
「ずっと一緒にいるもんね……」
『?』
休み時間、セシリアとシャルロットがげんなりした表情で悠斗と箒に話し掛けてきた。
これはクラスメイトの声でもある。本人達にその気はないが、教室内でもくっついているため目の毒でしかない。今も窓際に寄り掛かって悠斗が後ろから箒を抱き締めている。独り身の者達全員に甚大な被害を出していた。
「良く分からないが、ずっと一緒にいるのはこれまでの反動かな」
「そうだな。五年は長かった……」
「漸く会えたんだ。もう二度と離さないさ」
「悠斗……」
「箒……」
「はいはい。ご馳走さま」
「熱々ですのね」
見つめ合う二人に呆れがちに言い出すセシリアとシャルロット。
悠斗と箒の過去なんて全く知らない二人だが、漸く会えたと言った時の嬉しそうな顔でどれだけ相手を想っているかが伝わってきた。バカップルもバカップルたる所以があるのだ。
その時、勢い良く扉が開かれた。もう一人の恋人の登場だ。
「悠斗くん! 箒ちゃん! お昼行きましょ!」
「今行きます」
「あいよー」
箒も弁当を取り出し、朝のように悠斗の左から楯無、右から箒が抱き付く。 それが当然のように振る舞う悠斗。
「えっ、二股ですか……?」
「うわぁ……」
一年一組のクラス代表の他に悠斗がクズの称号を得た瞬間だった。
「さぁビシバシ行くわよ! 来なさい!」
「シッ!」
水を纏った槍、蒼流旋を構える楯無。彼女の専用機ミステリアス・レイディの主武装だ。
剣道三倍段なんてなんその。更に言うなら相手の方が格上だが、悠斗は手に刀一つで立ち向かう。
今だけは恋人ではなく、師弟関係の二人は幾度となく激突。
「ほらほら、その翼は飾りじゃないんでしょ!? もっと有効に使いなさい!」
「ぐぅ!? こんの……!」
言われて黒曜の翡翠色の翼から同色の羽が無数に放たれる。しかし、楯無は隙間を縫うようにしてあっさり回避すると左手に呼び出した蛇腹剣、ラスティーネイルで切りつけた。
「がふっ!」
「狙いが甘過ぎ。弾幕でダメージを与えるのにその隙間を縫われるってどういう事? 撃てば良いってもんじゃないのよ?」
「ぐぬぬ……」
これまで射撃なんてした事のない悠斗にしてみれば、国家代表に当てろという方が無理難題だ。まだ悠斗は訓練するようになって二週間も経っていないのだから。
「あと、黒曜の持ち味を生かしなさい。それは現存するどのISよりも機動力があるんだから速さで撹乱しなさい」
「……ちなみに刀奈から見てどれくらい使いこなせてる?」
「三割くらい?」
「全然ダメじゃん……」
恋人からの容赦ない言葉に項垂れる。せっかくの最強のISも担い手がこれでは宝の持ち腐れでしかない。
「でもやるしかないんだ」
しかし、泣き言は言えない。こうして愚痴を溢さず付き合ってくれているのだから。目指すところは遥か先にある。その先にも道はあるのだから。
「こんなところで行く道引いてられるかよ」
「そうよ。私と箒ちゃんのためにも頑張れ男の子!」
「分かってるよ! 一々茶化すな!」
怒鳴り付けるように言うが、楯無と箒のためというのには否定しない辺り、愚直さが垣間見える。
「さて、じゃあまた使ってみましょうか」
「おう。また回避に専念してればいいんだな?」
「まずは無事に生きて帰れるようにしないとね」
「愛されてるねぇ、悠斗くんは」
「勿論、これ以上ないくらいに愛してるわよ」
からかうつもりで言ったのに恥ずかしがるどころか、何処か誇らしげに言う姿に悠斗は赤面した。素晴らしいカウンターがクリーンヒット。顔を隠すようにバイザーを展開させた。
「あ、照れてるんだ。かわいー!」
「…………」
「ちょっと、何でそこで使うのよ!」
システムを起動させると纏う空気が変わる。あれだけ恥ずかしそうに赤面していた顔も普段通りに。
現在システムは束が言っていた使用限界の二十分。そこに安全装置を付けて、最大十五分までしか使えない。更にそれから悠斗が一日十分までと決めているため、時間を無駄には出来ないのだ。
「むぅ、あとでいっぱい言ってやるんだからっ!」
言い終えると同時に蒼流旋で突き。放たれた突きを刀の柄尻で受け止めると、その勢いを利用してぐるりと回転する。本来ならここから回転を利用した斬撃が放たれるが、今は回避と防御に専念。
楯無もシステムが相手だからと悠斗には出さなかった本気を出す。凄まじい勢いで繰り出される攻撃を全て避けて、防いでいく。
「(なるほど、ここはこうやって避けるのか)」
その様子を悠斗は第三者のように見ていた。システムを使っても意識がなくなる訳じゃなく、体にも感覚はある。操り人形をイメージして貰えればいいだろうか。だからシステムが今何をしているのか頭でも体でも分かるのだ。
つまり悠斗は世界最高の技術をその身でもって体験している。しかも受ける側でもあり、する側でもある立場で。
「じゃあ今度は悠斗くんよ」
「おう」
「まず、ここはね――――」
二分後、システムを解除した悠斗は今度は自身で楯無に立ち向かう。今の動きを忘れない内に解説してもらいながら。
システムを使った学習にも弱点はある。何故そうしたのかが分からないのだ。致命的な問題である。どれだけ凄い技術を学んでも使いどころが分からなければ意味がない。
そのため、攻防の後に誰かに解説してもらう必要があった。それが楯無なのだ。国家代表である彼女はどうしてそうしたのかは見れば分かる。更にシステムの相手としても最適であるため、至れり尽くせりなのだ。
「はぁー……疲れた……」
「今日もお疲れ様っ」
「おおー……身体中いてぇ……」
訓練も終えて引き摺るようにして部屋に戻る。システムの副作用だった。使用限界を超えた時を知っているからまだましかもしれない。
痛くても楯無に掴まったりはしないのは悠斗の意地だ。楯無も察してか、普段通りに左腕に抱き付いて倒れないように支える。どうにかして部屋の前まで行くと――――
「お帰り、悠斗、楯無さん。ちょうど晩御飯出来たから先に食べよう」
扉を開ければ暖かい空間があった。箒が作ってくれた悠斗が休める場所。いや、三人で過ごす場所だ。自然と笑みが溢れる。
「ああ、ただいま」
その後、食事を取った悠斗にタイトルマッチが待ち構えているとは思いもよらなかった。
何やこれ