君のためなら俺は   作:アナイアレイター

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第21話

 廊下に保健室の文字が見えた時、一夏はほっと胸を撫で下ろした。漸く目的地に着いたからだ。

 

「おお、着いた着いた。ここまで案内してくれてありがとうな」

「いえいえ、お気になさらず」

「もう迷子にならないよね?」

 

 セシリアとシャルロットがアリーナへの道を歩いている途中だった。今日の反省を踏まえての練習をしようとしていたところ、外で一人きょろきょろしている一夏を見つけたのだ。

 訊いてみれば保健室に行きたいらしい。だが二人が幾ら教えても要領を得ない顔をしているので、仕方なくここまで一緒に来たのだ。

 

「大丈夫だ。元々俺は迷子じゃなかったからな」

『えぇ……?』

 

 どう見ても迷子だったのにその自信は何処からやってくるのか。任せとけと言わんばかりの笑顔は二人を唖然とさせるのに充分過ぎた。

 と、その時。保健室の扉が勢い良く開かれて一人飛び出してきた。一夏の幼馴染の一人で、もう一人の幼馴染の恋人である箒だ。

 

「おっ、ほう――――」

「っ……!」

 

 だが箒は無視して目の前を走り去る。セシリアやシャルロットはおろか、呼び掛けた一夏さえも。

 

「篠ノ之さんはどうされたんでしょうか?」

「何か……様子おかしかったね」

 

 お世辞にも社交的とは言えないが、それでもされた挨拶等は必ず返すのが箒だ。ましてや見知った仲に対して返事をしないなんてあり得ない。そして見てしまった。

 

「あいつ……泣いてた」

「織斑さん?」

 

 そう、確かに一夏は見たのだ。俯いて走り去る頬に流れる一筋の涙を。この一週間、そんな素振りすら見せなかったのに。

 当然だ、箒が泣かなくて済むように悠斗が側にいたのだから。だというのに泣いていたのはどうにも気に掛かる。

 

「悪い! 俺ちょっと行ってくる!」

 

 走り去った幼馴染を追うべく、一夏は二人に別れを告げた。

 

「お、織斑くん!? 保健室はいいの!?」

「後で行く! 今はこっちが優先だ!」

 

 呼び止める声もそこそこに一夏は駆ける。

 何故追い掛けようかと思ったかなんて、理由なんてない。ただそうしなくちゃいけないと思ったからだ。

 

「箒!」

「い、一夏」

「漸く気付いたか……はぁ、疲れた」

 

 気付けば人気のない外まで走っていた。何度呼び掛けても聞こえていなかったようで、こうして一夏が腕を掴んで初めて気付いたらしい。

 箒が振り向くとやはりというべきか、その瞳から大粒の涙が流れていた。こんな姿を見るのは別れる前を含めても一回しかない。

 

「泣いたりしてどうしたんだ? 悠斗は?」

「悠斗は……私のせいで……!」

「……どういう事だ? 何かあったのか!?」

 

 問い掛ける声はいつになく真面目なもの。自分のせいだと、まるで悪い事があったかのように言うのだから当然だろう。

 しかし、よくよく考えればそうだった。前に泣いていたのも悠斗が関係していたのだ。

 しゃくり上げながらゆっくりと何があったのかを話していく箒。全てを聞いた時、一夏の表情が憤怒に染まった。

 

「あの馬鹿……!!」

 

 思わず口にした言葉が全てを物語っていた。

 悠斗は目的を間違えてしまっているのだ。きっと、中学一年のあの時からずっと。ここ一週間の様子からもう吹っ切れたのだと思っていたが、そうではなかったらしい。

 苛立ちが募る。箒との約束を破った悠斗に。そして何より、ずっと一緒にいたのにそれを見抜けなかった一夏自身に。

 

「ちょっと俺、悠斗のところに行ってくるから。箒は部屋で待っててくれ」

「い、一夏……」

「大丈夫。昔あいつに言った事をやるだけだから」

 

 それだけ言うと一夏は箒を置いて来た道を戻っていく。もう迷ってる時間もない。

 

「……悠斗」

 

 再び一人になった箒は先程の事を思い出し、そっと名前を呟いた。胸が苦しくなるが、これは悠斗のためなのだ。もう辛い目に遭わせないためにも。

 ぼやける視界でふらふらしながらも、何とか部屋に辿り着くとベッドに倒れ込んだ。誰もいない、孤独な部屋。

 

「ふ、ぅ……」

 

 防音の部屋は最初に来た時と何ら変わりないのに、来たばかりの時よりも寂しく思わせる。暖かさを知ったからだろう。

 隣に愛しい人がいて、寂しくなると言わなくてもそっと抱き締めてくれる。同じ男を好きになった人がいて、好きな男の事で愚痴を溢したりもして。三人での生活は楽しかったと心から言える。

 

「う、ぅぅぅ……!」

 

 しかし、それももう叶わない。知ってしまったのだ。自分は悠斗の傍にいてはいけないのだと。

 他の誰でもない、箒が悠斗を傷付ける。とても耐えられる話ではない。

 

「あぁぁぁ……!!」

 

 この部屋が防音で良かったと初めて箒は心から思った。周りを気にする事なく泣けるから。

 たとえ、世界の全てが箒の敵になったとしても悠斗だけは味方でいてくれる。そう信じているし、今までそうだった。

 でも箒は戦って傷付いた後に得られる安全よりも、二人で怯えながら逃げたかったのだ。傷付く事なく、二人で今日も無事にいられたと笑い合う。それで良かった。

 だが悠斗はその道を選ばない。自分がどれだけ傷付いても箒の安全を確保しようとする。

 

「……やっほー」

「たて、なしさん」

「うん……」

 

 暫く泣いていると、鍵を掛けたはずのドアが開いて声が掛かる。目を向けるとこの部屋の住人である楯無が立っていた。

 先程の一件から申し訳なさそうにしている彼女を無視して再び枕に顔を押し付けようとした時。

 

「ごめんなさい!」

「えっ……?」

 

 部屋に響き渡る楯無の謝罪の言葉。見ると箒に向かって頭を下げたままでいた。

 

「私、どうかしてた……。箒ちゃんがいなければいいなんて言っちゃうなんて……箒ちゃんがいなければ私は悠斗くんと会う事もなかったのに」

「いえ……本当の事ですから……それに」

「それに?」

「楯無さんが本当に悠斗の事を想っていると分かりますから。おかげで悠斗を任せられます」

 

 起き上がるとそう返す。乾いた笑みを浮かべて。それを見た楯無は更に罪悪感を増していく。

 

「……ねぇ、本当に悠斗くんと別れるの?」

「……私がいたら悠斗が傷付きますから」

 

 隣に座った楯無の言葉に箒は枕を抱き締めて、絞り出すように話す。別れたくはない。でも別れなければならないのだ。

 

「ああ……やっぱり」

「何がですか?」

「箒ちゃんは本当に悠斗くんが大切なんだなって思って」

 

 優しげな瞳で見てくる楯無に少し唖然としてしまう。そっくりそのまま返された。今さっき自分が言った事を。

 

「……何でそうなるんですか?」

「私だったら箒ちゃんと同じ事言える自信ないもの」

 

 せっかく出会えたのだ。五年も会えなかったのに、自分から会わないようにするなんて楯無には出来そうにない。

 

「私ね、箒ちゃんが悠斗くんとどれだけ会いたかったかは想像は出来るけど、はっきりとは分からない」

「……はい」

「でもね、悠斗くんがどれだけ箒ちゃんと会いたかったかは分かってるわ」

「悠斗が、ですか?」

「五年も一緒にいて、ずっと見てきたのよ? 当たり前じゃない」

 

 箒がいなくなってからの五年間、それは悠斗にどれだけ訊いてみても教えてくれなかった空白の期間だった。なんでも恥ずかしいから、らしい。

 

「悠斗くんね、あなたに会うのが遅くなるからって泣いた事もあるのよ?」

「えっ? 悠斗が泣いたんですか?」

「んふふー。知らないでしょ?」

 

 得意気に楯無が微笑む。俄には信じがたい話だった。あの悠斗がたったそれだけの理由で泣くなんて箒には想像も出来ない。

 好きな女の子の前ではいつだって格好付けていたいのだ。情けない姿なんてとてもじゃないが見せられない。そういう考えの男だった。

 

「あとね、箒ちゃんと会った時の事を考えてデートの練習したりとかもしてたのよ」

「私のために……」

「そう、箒ちゃんのためにね」

 

 それまでの箒のためという言葉とはまるで違う。凍えるような冷たさではなく、陽だまりにいるような暖かさを感じる。素直に嬉しかった。

 

「……箒ちゃんと別れてからの五年間を教えてあげる。悠斗くんが何をして、どれだけ箒ちゃんと会いたがっていたかも」

「楯無さん……」

「それを聞いてから本当に別れるかどうか決めて。お願い」

「……分かりました」

 

 笑顔から一転、真剣な表情で懇願してくる楯無に箒も頷いた。知らなくてはならない。少なくとも箒にはその権利と義務がある。

 五年間にも渡る悠斗の物語は気付けば朝方まで掛かっていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 絶対安静だと言われて保健室で一夜を過ごし、次の日の授業にも出ずにいた悠斗は丸一日経った夕方に漸く解放され、その身で廊下を歩く。

 宛もなく足をただひたすら前へと動かしていた。歩くのも覚束ないその姿はまるでゾンビや幽霊のようで。

 

「俺は……間違えてたのか……? でも何を間違えて……」

 

 ふらふらと左右の壁にぶつかりながら呟く。考える時間は幾らあっても足りなかった。間違えていたのは分かるが、何を間違えていたのかは悠斗には分からない。

 

「おい」

「…………?」

 

 その時、俯いていたところに声が掛けられる。どうやら目の前に誰かが立っているらしい。声を掛けられるまで気付かない辺り、本当に参っているようだ。

 

「一夏……?」

「ちょっと、こっち来いよ……!」

 

 悠斗が顔を上げるとそこにはいつになく怒っている親友の姿。胸ぐらを掴まれるとそのまま屋上まで連れていかれる。逆らう気も、力もなかった。

 されるがまま、人気のない屋上に着くとゴミ袋を捨てるように悠斗は投げ捨てられた。

 

「うぐっ……!」

「何やってんだよ、お前……!!」

 

 沸き上がる怒りを必死に抑え付けているかのように、一夏は声を押し殺して睨み付ける。

 

「昨日、保健室に行く途中で箒に会ったぞ」

「…………」

「あいつが泣いてたから何でかって聞いてみれば、お前の事でじゃねぇか……!」

 

 ついには一夏も怒りを抑えきれず、叫ぶようにして言い放った。

 

「箒を泣かせないようにするんじゃなかったのかよ!? 寂しくしないようにするんじゃなかったのか!?」

「っ……!!」

 

 何も言い返せない。一夏の言葉は悠斗が感じた思いそのものだったからだ。相変わらず一夏は正しい事を言っている。

 

「何のために今まで頑張ってきたんだ!?」

「……るさい」

「箒と会って、ずっと一緒にいるためなんだろ!?」

「五月蝿い!」

 

 本当の事を言われているからだろう。分かっている事を言われているからだろう。悠斗の苛立ちが募っていく。それが声として現れていた。

 誰も好きで泣かせた訳じゃない。悠斗なりの泣かせないように、泣かなくて済むように考えての行動だった。

 

「五年前の約束はなんだったんだ!? お前が泣かせてどうするんだよ!!」

「黙れぇ!!」

「ぐっ!!?」

「お前に……お前に何が分かる!?」

 

 拳が一夏の頬に当たり、後ろに退かせる。振り抜いた拳から体全体に凄まじい不快感が襲った。正しい事を力で捩じ伏せようとしているのだから当然だろう。

 自分のやった事に吐き気すら覚えつつ、悠斗はもう一度右腕を引き絞る。

 

「側に行くのに最短でも十年は掛かる予定だった!」

「がっ!?」

「十年だ、十年もだぞ!? 俺は十年もあいつの側にいてやれなかったんだ!」

 

 その十年というのも何もかもが上手く行って初めて生まれる細い道筋だった。少しでも脇道に逸れたら終わるような、そもそも生まれるかどうかすらも分からない、蜘蛛の糸を掴むような話だったのだ。

 だが、それでも僅かな可能性に賭けて悠斗は頑張ってきた。しかし努力は結ばれない。だから力を求めた。自分にはない力を。

 

「それが半分の五年で済むかもしれないんだ! やるしかないだろ!? どんな犠牲を払ってでも!」

「だからって……無茶してたらお前が……!!」

「俺なんかどうでもいい! あいつの側に行く事の方が重要だ!」

「っ!!」

 

 本気だった。悠斗は本気で自分の事をどうでもいいと考えている。それが間違いだとも知らずに。

 その一言にただ殴られるばかりだった一夏が動き出した。間違えてたら正してやる。昔に言った事を守るため。

 

「この……馬鹿野郎がっ!!」

「ぐ、がぁぁぁ!!?」

 

 屋上に悠斗の悲鳴が上がった。一夏がやったのは殴ってきた腕を肘と膝で挟んだのだ。

 痛みに耐えるように左手で抑えると、それまでのお返しとばかりに殴られる。

 

「犠牲とか簡単に言いやがって……! それが間違いだってんだよ!」

「な、に……ぐっ!?」

 

 もう一度殴って、一夏が続ける。悠斗が抱える間違いを正すために。

 

「お前、いつから側に行くのが目的になってんだよ!?」

「そんなの最初からに決まって……」

「違う! お前の目的は側に行く事じゃなくて、側に行って一緒にいる事だったろ!! 側に行って、それで終わりにしてんじゃねぇよ!」

「っ!!」

 

 ただ側に行くのとその後も一緒にいるとでは決定的に違う。ここに来るまでの挫折と焦りから悠斗は目的を過程とすり替えてしまっていた。

 

「どうせ、また戦う必要があれば、限界越えてでもシステム使う気だったんだろ!」

「ぬぐっ……!」

「毎回あんなボロボロになるまで戦って! それで側に行けたとしても、その未来でお前は本当に箒と一緒にいるのか!?」

「――――」

 

 考えてもなかった。側に行けばそれでいいと思っていた悠斗にとってその後の事なんて。

 限界を越えてシステムを使っていたらいずれやってくるだろう体の限界など、所詮はそこまでだったのだと諦める事しか考えていなかった。

 

「でも俺はあの力に頼るしかないんだ! もう後には退けない! たとえ嘘だとしても!」

 

 しかし気付いてももう遅い。取り返しつかないところまで進んでしまったのだ。今更システムを使わないで初心者の悠斗が国家代表達に勝てというのも無理な話。

 

「別に使うななんて言ってねぇよ! 無茶するなって言ってるんだ! それに嘘だったとしても後で本当にしちまえばいいだろ!」

「本当に、する……?」

「偽物じゃなくて、本物の世界最強になればいい! それだけだ!」

 

 なんて単純な答えなのだろうか。一夏が示した答えはあまりにも単純なもので、強くなればいいというものだった。単純過ぎるが故に見逃していた答え。

 振りかぶっていた腕も止めて問い掛ける。聞かずにはいられなかった。

 

「……なれるのか? 俺が?」

「お前ならなれるさ」

「そう、か」

 

 最後にそう聞くと観念したかのように座り込んだ。それに応じるかのように一夏も座り込む。

 

「……俺も協力するからさ。もう勝手に一人で無茶するなよ」

「……ああ」

 

 何でもかんでも一人でやろうとしていた自分が恥ずかしい。どれだけ周りが見えていなかったのか。頼れる人間はたくさんいるのにも関わらず、見ようとしなかった。

 

「……俺って馬鹿だな」

「そうだな、お前はどうしようもない馬鹿だ」

「言ってくれるな、この野郎」

「事実だろ?」

「まぁな」

 

 言って一夏が今日初めて笑う。つられて悠斗も笑った。何年振りかの心からの笑顔は雲一つない青空のように清んでいる。

 

「さてと、んじゃあ行ってくるわ」

「箒のところにか?」

「当たり前だろ。色々間違えたりしたけどやっぱり俺がいるのはあいつの隣だ」

 

 少しふらつくがこの程度どうという事はない。立ち上がり、出口へ向かって歩き出そうとした時だった。

 

「箒……?」

「悠斗……」

 

 これから会いに行く予定だった愛しい人が目の前にいた。


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