君のためなら俺は   作:アナイアレイター

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今後の投稿予定についてお話したい事があります。
詳しくは活動報告をご覧ください。


第20話

 アリーナの上空で待ち構える一夏の元へ悠斗が駆け付ける。

 

「お、来たか。遅いぞ」

「悪い、待たせたな」

 

 そう言うや否や一夏は慣れた手付きで右手に白式の唯一の武装である雪片弐型を呼び出した。あっさり具現化出来たのは千冬が使っていた刀というのもあるのだろう。

 悠斗もそれに対抗するべく、左の腰から刀を抜く。ISにある搭乗者保護機能のおかげで悠斗もある程度ちゃんと振る舞えるようになっていた。

 

「……なぁ、調子悪いのか?」

「……何でそう思ったんだ?」

「いや、何となく顔色悪そうだなって思ってさ」

 

 それでも見る人が見れば分かるらしい。一夏が不安そうに覗き込んで来るのを見て、悠斗は顔をバイザーで覆った。これ以上見られていたら自分の不調がバレそうだったからだ。

 

「大丈夫だよ。さっさとやろうぜ」

 

 距離を取って両手で刀を構える悠斗。搭乗者保護機能で収まっているはずの頭痛が悠斗を襲う。長い時間の戦闘は勿論、この後箒と会う事を考えるとシステムを使っての戦闘も出来れば避けたいところ。

 

「(まぁそう甘くはないよな……)」

 

 目の前にいる男は一度は勝った事があるとは言え、今も昔も悠斗の目標だ。実際、悠斗の悲願であった剣道大会での優勝もいとも簡単に成し遂げた男である。

 対して悠斗はISの挙動においては一夏の先に行っていたが、その他では劣っている。勝つためには一つ、二つの作戦でも考えなければならない。

 

「悠斗、お前がいる状況がどういう状態かは分かってる。でも手は抜かない!」

「ああ、それでいい!」

「試合開始」

 

 全力でなければ意味がない。二人の勝負はいつだってそうだった。一夏が構えると同時、ブザーと共にアリーナのスピーカーから音声が響く。

 

「ぜらあああ!!」

「おおお!!」

 

 開始と共にまるでロケットのようにお互い目掛けて飛び込んでいく二人。挨拶代わりに振りかぶった一撃で切り裂こうとする一夏の斬撃を寸前で体を捻って左へ避ける悠斗。

 

「なっ!?」

「遅い!」

「ぅぐっ!?」

 

 ハイパーセンサーで三六〇度の視界を得ているにも関わらず、目で追い掛けてしまう一夏。たった一週間でISに完全に慣れろというのが無理な話だ。

 驚くのも束の間、悠斗から左のハイキックが襲い掛かる。回避は勿論、防御も間に合わない。

 しかし、セシリアの時と違ってエネルギーを纏っていない。言ってしまえばただの蹴りだ。一夏のシールドエネルギーの減少も僅かで収まる。

 

「そこだぁ!!」

「っ!」

 

 だが体勢を崩すのは充分。続けて左下からやって来たのは刀。一夏を斜めに切り裂くべく迫り来る。これもまた防ぐも、避けるも間に合わない。

 迫り来るのはそれだけではない。久し振りに向けられた明確な敵意もだ。鋭い目付きで一夏を睨み付けているのが、バイザー越しでも伝わる。

 

「はっ……」

 

 《絶対防御》だって本当に安全という訳でもない。命は守るが、命に別状はないレベルの怪我は守らないのだ。簡単に言ってしまえば、手足の一本くらい無くなっても問題はないだろうという事である。

 

「はははっ!!」

 

 もしかしたら一大事になり得るかもしれないというのに一夏は笑った。嬉しくて。

 いつ以来だろうか、目の前の友人と喧嘩をするのは。中学一年の夏に剣道大会で負けてから一切本気で向き合う事はなかった。こっちが向いていても、向こうが本気で向き合ってなかったのだ。

 だが今は違う。勝つために本気で悠斗は一夏と向き合っている。それがどうにも嬉しくて笑う。しかし、いつまでも笑ってはいられない。目の前まで来ている斬撃をどうにかしなくてはならないのだ。

 

「オラァ!!」

「がっ……!?」

 

 防御も回避も間に合わないのなら、と一夏が選択したのは踏み込んでからの攻撃。しかも持っていた雪片弐型でも、殴る訳でもなく、頭突きというこの場において最速の攻撃で。

 予期せぬ一撃に攻撃を中断して、後方へ退く悠斗へ今度は一夏が攻め立てる。脇腹に僅かに刀が当たったが、この絶好の機会に痛みなんて気にしてはいられない。

 

「シッ!!」

 

 踏み込んで繰り出したのは最短距離を行く突き。本来なら避けやすいものだが、後ろに仰け反っている今なら容易に当てられるだろう。

 

「っ、この野郎!!」

「嘘だろ!?」

 

 対して悠斗が繰り出したのも突き。突きと突きがぶつかり合い、金属音がアリーナに響き渡る。

 最小面積の突きに突きを合わせて防ぐなんて時点で驚きだったが、それだけでは終わらなかった。

 

「は――――?」

 

 一夏自身も間抜けだと思えるような声が自分の耳に入る。聞こえてから気付いた辺り、本当に思わずなのだろう。

 二人の刀が接触した瞬間、悠斗は腕を曲げて一夏の突きを後方へ受け流す。そのまま更に踏み込んで肘打ちの要領で胸を強打した。

 

「ぐぅぅぅ!!?」

 

 ISを使った普通の人体ならあり得ない速度でのカウンターを貰った一夏はその勢いを利用して後ろに飛ぶ。体勢を整えたかったのだ。

 

「あー、くっそ……久し振りに鼻やられたな……」

 

 追撃しない悠斗も体勢を整えたかった。バイザーを開き、頭突きで鼻を打たれて潤んだ目を軽く擦る。

 

「いってぇ……! 何だよ、今の……初めて見たぞ」

「いやー、やってみるもんだな。えぇ? おい」

「思い付きかよ。お前は相変わらず喧嘩だとデタラメだな……」

 

 問い掛けにニヤリと笑みを浮かべる悠斗。得意気にどうだと言わんばかりの態度を見て、何処か安心した一夏は戦闘を一時中断して話し掛ける。

 

「それにしてもこっちの方がお前らしいな。さっきまでの小綺麗な戦い方よりもさ」

「っ……」

 

 何気なく言った言葉が悠斗の胸に突き刺さる。まるで本当は何もかも知っているかのような言い方に目を伏せた。また隠すためにバイザーを展開する。

 

「……さぁ、続けようぜ。時間掛けたくないんだよ。愛しの彼女が待ってるんでな」

「ぅん? まぁいいぜ、こっちも痛みが引いてきたところだし……それに――――」

 

 今度は一夏がニヤリと笑みを浮かべた。自信満々なのか、左手が閉じたり開いたりを繰り返している。一夏の昔からの癖だ。

 

「今のやつの破り方、分かったしな」

「へぇ……だったら――――」

 

 言葉と共に悠斗は右半身を引き、構えた刀の上に左手を置いた。見るからに突きの体勢だ。対する一夏も鏡写しのように同じ構え。

 

「――――試してみるか!!」

「やってやるよ!!」

 

 お互い突きの構えを取ると、合図した訳でもないのに同時に飛び出した。二人が激突するのに時間は掛からない。

 

「へっ!」

「っ!?」

 

 二つの刀が再びぶつかる瞬間、一夏が笑った。と、同時に展開していた雪片弐型を量子化させて右手で悠斗が持っていた刀を払い除ける。

 そのまま速度を緩めずに刀の代わりに振りかぶった右拳を悠斗へ叩き付けた。

 

「甘いぜ……!」

 

 だが咄嗟に悠斗も顔の前に叩き付けられる寸前で受け止める。今のに反応出来たのは素直に称賛せざるを得ない。

 せっかく思い付いた破り方もあっさり防がれて悔しがるかと思えばまだ一夏は笑みを浮かべている。

 

「甘いのはどっちだ!」

「何!?」

「推せよ、白式ィ!!」

「ぐ、おおお!!?」

 

 叫びに応えるかのように白式のウィングスラスターに灯る火が強くなった。

 一夏が乗る白式は近接特化で、ISの中でもトップクラスの機動力を持つ部類だ。推進力も当然高い。

 言ってしまえば、一夏が最後に選択したのはゴリ押しだった。単純ながらここまで来るとその強さは際立つもの。

 

「おおお、らぁっ!!」

 

 手で防いでようが関係ない、その手ごと顔面を殴り、押し勝った一夏は地面へと振り抜いた。まるで野球の投球後のような体勢のまま、吹き飛んだ悠斗を見つめる。

 吹き飛ばされた悠斗はくるんと後方へ宙返りをすると地面に着地した。殺しきれなかった勢いを地面に残して。

 

「くっそ、最後ゴリ押しじゃねぇか!」

「それでも一発は一発だ。まぁすっきりしない一発だったけど」

 

 不満はお互い様のようだ。一夏はその手に再び雪片弐型を呼び出すと切っ先を悠斗に向けて宣言した。

 

「次はすっきりするのぶちかます……!!」

「はっ、やって――――っ!」

 

 それに応えようとした時だった。悠斗の頭にやって来た激しい痛み。思わず頭を抱えると何か水音がするのに気付いた。

 

「(色々と限界が来てるっぽいな……)」

 

 ボタボタと地面に流れるのは血で、鼻からだった。強引に拭うも、代わりに頭痛が段々と強くなっていく。

 

「悠斗?」

「(辛いし、痛いし、怖くて仕方ない……)」

 

 このまま戦うとどうなるのか、考えたくもない。更には目の前にいる白い騎士に勝つには恐らく、いや確実にシステムの助けが必要だ。

 制限時間なんてとっくに越えている状態で使えばどうなるのか。もう開発者の束でさえ分からないだろう。

 

「でもまだやれる!!」

 

 地面を蹴り、空中へと飛び出すと悠斗は上段に刀を構えた。振り上げられた刀は中心からやや左寄りに振り下ろされる。これを避けるなんて造作もない。

 

「隙だらけ……っ!」

 

 悠斗の左側に避けるとお返しに刀を構えたところで気付いた。正確には思い出したのだ。

 そう、これは敢えて避けやすい一撃を繰り出す事で回避方向を限定し、避けた先に刀を振り上げてカウンターで相手を切り裂く。避けられるのを最初から織り込み済みの二連撃。篠ノ之流剣術――――

 

「影の太刀、か。そんな技使ってくるとかあっぶねぇな……!」

「くそっ!」

 

 振り上げられた刀は咄嗟に滑り込ませるようにして間に入った雪片弐型によって防がれる。

 同じ剣術を習っていたのだから防ぎ方だって分かって当然だ。長年一緒にいたのもあって、お互い手の内は知り尽くしている。

 この状況を直ぐ打破するためには二人以外の何かしか出来ない。何もかもを台無しにする、ご都合主義でもなければ。

 

「(悪い、楯無、箒……!)」

「いっただきぃ!! うおらぁ!!」

 

 棒立ちのところへ一夏が切り込む。何故突然棒立ちになったのかと考えもするが、戦いの最中に呆ける方が悪いと戦いに集中した。

 

「あぐっ!?」

 

 刀が当たる寸前、何かが一夏の顔を打ち抜き攻撃を中断。何事かと相手を見れば、左腕を胸の高さでボクサーのように畳んでいた。

 見えなかったがジャブだったと遅れて理解した一夏の目の前には――――

 

「ターゲット確認。排除開始」

 

 再臨した熾天使の姿があった。

 

「な、何だ?」

 

 自分がよく知る人物から違う何かへと変わった事を感じ取った一夏は訝しげに見る。右手の刀を鞘に納める姿は別段変わったところはないが、やはり何かが違う。

 

「うお!? っんのぉ!!」

「…………」

「なっ!?」

 

 しかし、今それを考えるべきではなかった。そんな隙を熾天使が見逃すはずがない。驚くべき速度で目の前に来た相手に拳を繰り出すも、そっと手を添えられ、軌道を僅かに逸らされるだけであっさりかわされる。

 

「うおおお!?」

 

 そのまま左腕を掴まれて急降下。地表ギリギリまで降りたところで、背負い投げの要領で思いっきり地面に投げ付けられる。

 

「かはっ……!」

 

 地面に激突した衝撃で肺から空気が押し出されてしまう。更にバウンドしたところへ回し蹴りで彼方へ飛ばされてしまった。地面を転がる一夏を見て、悠斗もゆっくり地上へと降りる。

 

「げほっげほっ! こいつ……!」

 

 地面に伏して咳き込む一夏を無視して構えた。刀を鞘から抜かずにいるその姿は抜刀術のそれだろう。

 しかも近付かずにいるところを見ると一夏が立ち上がるのを待っているようだ。黙して語らないが、正面から決着を望んでいるらしい。

 

「いいぜ……お前が何か分からないけど、勝ってみせる!」

 

 そう言って構えると雪片弐型の刀身が展開され、光の刃が現れた。

 零落白夜。世界大会を制した時に使っていた千冬のみの《単一仕様能力(ワンオフアビリティー)》。自身のシールドエネルギーを犠牲にして攻撃力に変換する最強の刃。

 

「…………」

 

 当たれば逆転も充分あり得る切り札の登場にも動じず、悠斗は構えたまま待ち続ける。

 

「うおおお!!」

「…………」

 

 掛け声と共に一夏が飛び出す。白く輝く刃を手に目の前にいる友人の姿をした何かに向かって。対象的に何も喋らず、悠斗も遅れて飛び出した。

 さて、NBSシステムはその場における最適な動きを再現する。真っ直ぐ行って切り裂くという行為においてシステムが選んだ人物以上に最適なのはいなかった。

 

「っ、この、剣は……!」

 

 脳裏に過るのは一夏が今も憧れる姉の姿。それが今の悠斗と被る。勘違いでも見間違いでもない。ずっと憧れて見てきた姉の剣を間違えるはずがなかった。

 動揺し、動きが鈍る。そこへ振り上げられた状態でがら空きの胸部に、鞘から抜き放たれた刀が見舞われた。

 

「ぐぅっ!」

「織斑一夏、シールドエネルギーゼロ。勝者、白井悠斗」

 

 交差し、すれ違う二人に決着を知らせるアナウンスが流れる。だがそれよりも気に掛かる事が出来てしまった。一朝一夕で出来るような動きではない。

 

「……悠斗、今のはって、おい!?」

 

 一夏が振り返り、問い掛ける間もなく悠斗は膝から崩れ落ちた。

 戦いで高揚していたのが一気に青ざめてしまう。理解していたのだ。あれはまずい倒れ方だと。

 

「千冬姉! 担架を!」

「もう手配している!」

 

 通信越しに怒号が響く中、クラス代表決定戦は幕を閉じた。勝者が担架に乗せられるという異常事態で。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 夕暮れ時の保健室。ベッドで死んでいるように眠る悠斗を見て、箒が目に涙を浮かべてぽつりと呟いた。

 

「何で……どうしてこんな事に……」

 

 聞いた話では少し疲れていただけで何も問題はないはずだった。だが実際は試合が終わると同時に悠斗は倒れていて、いつ目が覚めるかも分からない状況だ。

 本当はもう目が覚めないんじゃないか。そう思うだけで震えが止まらない。怖くて仕方がなかった。

 

「何で、どうして、ですって……?」

「楯無さん?」

「更識、落ち着け」

 

 そんな箒に苛立ち、遂に楯無の我慢が限界を越えた。ありったけの怒りを込めて睨み付ける。落ち着いてなんていられるはずがない。

 

「あなたのせいよ……あなたのせいで悠斗くんはこうなってるのよ!」

「私の、せい……?」

 

 それを皮切りに楯無は箒に全てを話した。

 本当は悠斗に適性なんてない事。代表候補生二人を相手に圧勝出来たのはシステムのおかげである事。そのシステムの制限時間を越えて使った反動で今こうして倒れている事。

 

「悠斗くんは言ってた……本当は強くなりたくなんかなかったって。平和が一番だって」

 

 出会った日に言っていた悠斗の言葉。穏やかな日々を願っていたが、それは脆くも崩れ去る事になる。箒のために。箒のせいで。

 

「あなたがいなければ、あなたと出会わなければ悠斗くんは平和に暮らせたのに!」

「楯無、さん……」

「何であなたなの……!? 私だってずっと悠斗くんを側で見てきたのに何で……!?」

 

 気付けば楯無はその瞳から大粒の涙を流していた。悔しかったのだ。悠斗を好きだという気持ちなら目の前の少女にだって負けていない。だが好きなのに、愛しているのに自分ではどうする事も出来ない。

 戦うなと言っても戦うし、心配させるなと言っても心配させる。無事を願った結果もこの状況だ。

 

「わ、たしは……」

 

 初めて聞いた楯無の本心に、事実に箒は何も言えなかった。辛い目に遭わせて来たのは想像に難くない。でも、辛い目に遭うのはこれまでだけじゃなく、これからもだったのだ。それを分かってしまった。

 

「う……」

「悠斗くん!」

「ゆう、と……」

 

 その時だった。微かな呻き声を出して悠斗が目を覚ましたのは。上半身だけ起き上がると辛そうに頭を抱えて踞る。まだ痛みが残っているのだろう。直ぐに側に楯無が近寄るも、箒は近寄らない。いや、近寄れなかった。

 

「お、おおー……箒、どうした? お通夜みたいな顔して」

 

 心配させまいと無理矢理笑顔を浮かべて悠斗が訊ねる。いつもは見る度に嬉しくなるのに、今に限っては見たくなかった。

 

「……私のせい、なんだろう……?」

「何がだ?」

「悠斗がこうして倒れているのは私のせいなんだろう……?」

「さっきから何を言って――――」

 

 俯いたまま確信に迫る箒に本当に分からないと首を傾げる悠斗。次の言葉で浮かべていた笑顔が凍り付いた。

 

「NBSシステム」

「っ!!」

「……本当、なんだな」

 

 嘘だと思いたかった。倒れたのは試合中に負った怪我か何かのせいなのだと。だが悠斗の反応が確信へと至らせた。

 

「私のせい、だ……私のせいで悠斗が……」

「ち、違う! 俺は箒のために頑張ってきた! でも箒のせいにするつもりは――――」

「私のせいなんだ!!」

「ほ、箒ちゃん……?」

 

 大声をあげて遮った箒は肩を震わせながら話し出す。

 

「私の、私のせいで幾つも無茶をしたんだろう? 今回だって限界を越えて使ったから……」

「だ、大丈夫だ。今回だけだから」

「……本当に今回だけだと約束出来るのか?」

 

 漸く顔を上げて悠斗の顔を見る。信じたかった。目の前にいる愛しい人が傷付く事なく、過ごせる日々が来ることを。

 

「――――ああ、約束する」

「っ!」

 

 だが箒の願いは無惨にも打ち砕かれた。悠斗の目が右へと泳いだのだ。昔からの嘘を吐くときの癖。

 

「次はもっと上手くやる。だから、俺と一緒に……!」

「っ……」

 

 そう言って手を差し出してくる。何と甘くて魅力的な誘いなのだろうか。正直に言えば乗ってしまいたい。昔なら、何も知らなければ箒はあっさりと乗っていただろう。

 ついつい伸びてしまった右手を左手で必死に抑え込むとはっきりと言った。

 

「い、嫌だ」

「えっ……?」

 

 だが今は違う。知ってしまった。大切な人が自分のせいで苦しんでいる事を。

 

「ここで手を取れば、悠斗はまた無茶をする。また苦しんでしまう……!」

「ほ、箒?」

「知らなかったんだ……守ってもらうってどういう事なのか、守られるってどういう事なのか!」

 

 後退りながら絞り出すように叫ぶ。箒は分かってしまったのだ。守られるという事は代わりに誰かが傷付くという事で、それがよりにもよって愛しい人だという事を。目の前で、自分のために。

 

「私のせいで悠斗が傷付くなら、私は一緒にいたくない……!」

「あっ……!!」

 

 一緒にいたくない。そう決めた箒の決断以上に悠斗に衝撃を与えたのは零れ落ちる涙だった。

 泣いているのを見たくないからと、泣かなくて済むようにすると誓ったのに、箒を泣かせたのは他でもない悠斗自身だったのだ。

 

「すまない……!」

 

 それだけ言うと箒は退室した。目元の涙を拭く事もなく、流れるままに。

 

「ご、ごめんなさい! わ、私が余計な事を言ったから!」

「俺が……箒を泣かせた……? 俺が……」

 

 慌てて楯無が謝罪する。誰もこんな風になるなんて予想していなかったのだからしょうがないだろう。

 それでも悠斗の耳には届かない。目を見開いてぶつぶつと呟く。襲っていた頭痛すら忘れて。それどころではなかったのだ。

 クラス代表にはなれたが、代わりに大切なものを失ってしまった。


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