君のためなら俺は   作:アナイアレイター

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第19話

 代表候補生二人を相手にノーダメージで勝つという偉業を成し遂げた悠斗は静かに自分が出撃してきたピットへ戻っていく。

 自らが地上に叩き落としたセシリアとシャルロットなど最早興味はない。そう言っているかのように。残るは一夏との戦いだ。

 

「……っ」

「……箒ちゃん、何処に行くの?」

 

 管制室を後にしようとした箒に束が待ったを掛ける。その声からはいつもの陽気さはすっかり消えていた。

 

「悠斗のところに。何か、嫌な予感がして……」

 

 振り返る箒の顔は戦いに無事に勝利したというのに未だ不安そうにしていた。箒の嫌な予感は止まる事なく、それどころか段々と強くなっていく。

 本当なら今すぐこの場を後にして悠斗の元へ行きたい。こうして話しているこの僅かな時間でさえ今は惜しく感じていた。

 

「ダメだよ。絶対に行っちゃダメ」

「な、何でですか?」

「……その、箒ちゃん行ったら集中切れちゃうかもしれない。ゆーくんも今だけは箒ちゃんと会いたくないと思ってるはずだから」

「姉さん?」

「束……?」

 

 必死に箒を止めようとする束の態度に違和感を覚える箒と千冬。二人の仲を応援している束なら自分から率先して迎えに行かせようとするはずなのに、何故か頑なに行かせようとしない。

 

「黒耀の調子確認ついでに束さんが見てくるから、ね? お願い」

「……分かり、ました」

 

 本当に仕方なくといった風に箒は断念した。束がお願いと言ってくる事なんて初めての事だったのだ。嫌な予感がより強くなるが、引き下がるしかない。

 

「束、私は行くぞ。悠斗には色々言いたい事も、聞きたい事もあるからな」

「……うん、分かった」

「篠ノ之博士、私もいいでしょうか?」

「ああ、そっか。君も……。まぁ、君ならいいよ」

「ありがとうございます」

「……っ」

 

 千冬と楯無が行くのには渋々了承した辺り、出来れば本当に一人で行きたかったようだ。

 箒も何故その二人は良くて、自分はダメなのかと言いたくもなるが、それでも束は行かせてはくれないだろう。

 

「楯無、さん……」

「なぁに?」

「……悠斗をお願いします」

 

 頭を下げて楯無に頼み込む箒の手は握り締める力が強く、皮膚が白くなっていた。自分が行けない代わりに見てきて欲しいという思うがありありと見てとれる。自分と同じ男を好きになった人だからこそ出来るお願いだった。

 

「うん、任せて」

 

 それに報いるべく、楯無も快く返事した。素よりお願いされるまでもない、楯無自身もそのつもりで悠斗の元へ行くのだ。

 以前までなら苦しむ悠斗を見てきたのもあって、少なからず箒の事を良く思ってなかった。だが一週間、一緒に暮らしてきたのもあって多少改善されている。どういうつもりか分からないが箒が楯無を気にして、色々悠斗に言っているからだろう。楯無も悠斗が箒を好きになった理由が分かったのかもしれない。

 

「(まぁ気になる事もあるしね)」

 

 不安に思っていたのは箒だけではない。楯無も悠斗の戦いを見て違和感を感じていた。一週間指導していた身としては喜ぶべき戦果なのだろうが、それにしてもおかしい。出来すぎている。

 確かに悠斗は訓練機を動かしていた時、国家代表の楯無が驚く程の早さで操縦を覚えていったが、瞬時加速(イグニッションブースト)なんて技術は教えていない。独学でやったのかもしれないが、ぶっつけ本番にしては上手くいきすぎていた。それだけではない、聞きたい事は山程ある。

 

「……先に言っておくね」

「何をですか?」

 

 ピットへ歩いている途中、束がその歩みを止めて二人に切り出した。その声はここに来たばかりの明るいのと比べればやはり暗い。

 

「何があってもゆーくんの意志を尊重してあげて」

「何があっても? どういう事だ」

「悠斗くんに何かあったんですか?」

「……もう少し行けば分かるよ。だからお願い」

 

 詳しくは言わないが、それでも念入りに言ってくる姿にいよいよきな臭くなってくる。

 二人は確信した。悠斗の身に何かが起きているのだと。

 

「……状況次第だ」

「うん……」

 

 短く答えた千冬の返事に止めていた歩を進める。そうしてもう少しでピットに辿り着くというところで異変は起き始めた。

 

「何か、聞こえませんか?」

「私の気のせいではなかったらしいな」

「……急ごう」

 

 最初は気のせいだと思っていたが、徐々にはっきりと聞こえてくる何かの声。何とも言い難いその声はまるで獣の雄叫びのようにも聞こえる。

 何も言わなかったが、反応を見る限り束にも聞こえていたようだ。何かに急かされるように歩く速度を上げた。

 途切れ途切れだが、目的のピットへ向かうにつれて大きくなっていく。やがて少し歩いたところで、その正体が分かった。分かってしまった。

 

「ぎああああああっ!!!」

 

 獣の雄叫びの正体は誰でもない、これから会いに行くはずの悠斗の悲鳴だったのだ。

 

「っ、悠斗くん!!」

「悠斗!」

 

 尋常ではない叫びに先頭を歩く束を追い抜いて二人がピットへと走る。束は悲鳴を聞いてぽつりと呟いた。

 

「やっぱり、だね」

 

 そんな束の呟きなど今の二人に聞こえるはずもなく、漸く辿り着いたピットの自動ドアが開くとそこには頭を抱えて床に這いつくばる悠斗の姿があった。

 

「これ、は……!」

「悠斗くん!」

「あああ、あああっ!!」

 

 周りには吐瀉物で溢れかえっており、その上を転がっていた。気にする余裕なんてないのだろう。実際、二人が来たというのに悠斗は目もくれずただひたすら痛みに耐える事しかしていない。

 

「ゆう、痛っ……!!」

「うぎぃぃぃ、あああっ!!!」

「大丈夫、大丈夫だから……!」

 

 吐瀉物にまみれた悠斗を気にせず、楯無が抱え上げると万力のような力で細腕を握られた。加減なんて一切ない、楯無の腕を潰そうと激しい痛みが襲う。

 それでも絶えずやってくる痛みを少しでも誤魔化そうと暴れる悠斗を抑えるべく、楯無は優しく語りかけながら頭を胸元に抱き寄せる。それで痛みが和らぐかなんて分からないが、そうするしか知らなかった。

 

「あーあ。辛そうだね、ゆーくん」

「うぅ、うぅぅぅ!!」

「束さんの忠告を無視するからそうなるんだよ? 自業自得ってやつかな」

「束、貴様ぁ……!!」

 

 遅れてやってきた束は悠斗を認める前のような冷たい声色で語り掛ける。

 言い方から束がこの事態の根源であると見抜いた千冬は激情に任せて、束の胸ぐらを掴むと壁に叩き付けた。睨み付けるその瞳に激しい怒りの炎を宿らせて。

 

「言えっ! 悠斗に何をした!? お前が原因なんだろう!?」

「何をしたか、だって? 何もかもだよ」

「何だとっ!?」

 

 胸ぐらを掴まれたまま、不敵な笑みを浮かべて束は話を続ける。

 

「世界で見つかった一人目の男性IS操縦者。そしてその後、直ぐに見つかった二人目の男性操縦者は『たまたま』一人目と同い年で、『偶然』にも同じ日本人で、『奇跡的』な確率でその二人は私と知り合いだった……おかしいと思わない?」

「…………」

「分かってたんでしょ? ゆーくんは私が作り上げた紛い物だよ。ISを動かす才能なんてなかったのさ」

 

 淡々と話していく束に何も言えないでいた。千冬にも、楯無もおかしいなんて事は分かっていたのだ。束が気に入った人物が、世界でたった二人の男性操縦者なんて話が出来すぎている。どちらか、あるいは両方が偽物だと分かっていた。

 

「ゆーくんはね、最低中の最低。辛うじて動かせる程度しか適性を持ってない。それも一切成長しない、ね」

「何っ……」

「そん、な……」

「驚いてるようだけど、君は見てきたから知ってるはずだよ。ゆーくんの才能のなさを」

 

 残酷な真実を告げる束の口は止まらない。二人が唖然とするのも放置して話を続ける。

 

「量子変換が苦手って話じゃなかったでしょ? それはそうだよ。Cランクって言ってるけど、枠組みがそれまでしかないからそこに収まってるだけで、もっと下があるのなら下にいるんだから」

 

 確かに悠斗は量子格納領域から武器を取り出すなんて誰よりも出来ないだろう。どれだけ訓練しても十数秒は掛かるのだから。

 

「君がどうやってゆーくんを飛べるようにしたのか知らないけど、普通のISじゃこの一週間まともに歩く事さえ出来なかったはずだよ」

「え……?」

「黒耀を小型にしたのは他でもない、ゆーくんでもまともに動かせるようにするためなんだから」

 

 しかし、ここで話が食い違う。まともに歩けないなんてとんでもない、悠斗は一夏やかつての楯無と比べて誰よりも上手く動かせていた。

 だがこの中でそれを知っているのは楯無だけで二人は知らない。悠斗は痛みで話をまともに聞けやしないのだ。

 

「じゃあ、何故悠斗はあれだけ動かせた? 明らかに国家代表レベルだった。いや、もしかしたらそれ以上――――」

 

 あれだけの戦いを見て当然の疑問が沸き上がる。どうしたって束の話通りとは思えない。

 

「NBSシステム」

 

 千冬の言葉を遮るようにして束が聞いた事もないある単語を口にした。楯無は勿論、千冬さえも分からないといった風にしている。

 

「NBSシステム……? 何だ、それは?」

「正式名称、NoBorderSeraph。国境なき熾天使は全ての国家代表の動きを再現出来る。更にはそれぞれの動きの良いところだけを集めて独自の動きを作り出して搭乗者に実行させるんだよ」

「ヴァルキリートレースシステムじゃないですか! 何でそんな危険なものを!?」

 

 説明を聞いた楯無が真っ先に思い浮かべたのは、過去IS世界大会において各部門で優勝した者達の戦闘方法を再現する違法のシステムだった。

 再現するためには乗り手に能力以上のスペックを要求する、謂わば動きを再現するためには搭乗者の負担を一切考慮しない恐ろしいものだったのだ。下手をすれば命すら危うい。

 

「たしかに危険だね。でもNBSシステムはそれだけじゃない」

「何があるんだ」

「搭乗者の適性を一時的に最高ランクのSにまで上げられる。たとえ誰であろうと」

 

 ランキング上位しか持たないとされるSランク。それがどんなに適性が低かろうとそこまで到達出来るのだから、悠斗からすれば喉から手が出るほどだろう。

 

「だから悠斗くんは試合中あんな簡単に量子変換出来てたんだ……」

 

 また一つ謎が解けた。試合中に悠斗はライフルを囮にしていたが、その変換がスムーズだったのに違和感を感じていたのだ。適性がSランクだったのなら話は別である。

 

「で、システムの代償がこの状況か……!」

「あぁぁぁ……!!」

 

 それで話が終わりとは到底思えない。千冬が向けた視線の先には幾分か落ち着いたとは言え、未だ楯無の腕の中で呻く悠斗の姿。メリットだけなんて、そんな甘い話あるはずがなかった。

 

「半分正解。半分外れ」

「勿体振らずに言え」

「分かってるよ。怖いなぁ、ちーちゃんは」

 

 言葉とは裏腹に束の態度は決して変わらない。千冬の殺気に正面から耐えられる数少ない人物だ。

 

「確かにNBSシステムはリスクはある。でも制限時間内ならそこまでじゃないんだよ。せいぜい筋肉痛ぐらいかな? まぁかなり辛いだろうけどね」

「制限時間を越えたのか」

「その通り。適性を上げるために少し頭の中を弄くったりしてるからね。時間内なら大丈夫だけど、時間外になると途端に危険は加速度的に増していく」

「……制限時間は?」

「二十分だよ」

 

 たった二十分だけ。時間限定の強さは圧倒的であり、最強と言っても誰も反論しないだろう。その身の危険と引き換えに。

 

「何故止めなかった!」

「勿論止めたよ。でもゆーくんは止まらなかった。あんな二人くらい直ぐに倒せたのに」

 

 制限時間を越えてまで悠斗が戦っていた理由は力を示すため。開始して直ぐに倒してしまえば、まぐれや偶然で片付けられてしまう可能性がある。どちらが強いか分かりやすく、誰もが納得出来る方法で勝つ必要があったのだ。

 

「もういい、試合は中止だ。こんな状態で戦える訳が――――」

「たたかえ、ます……」

 

 残る一夏との試合を中止すべく、千冬がこの場を後にしようとした時だった。今も尚死に体の悠斗から掠れているが声が聞こえてきたのは。

 

「悠斗くん、無理よ……」

「更識の言う通りだ。出来ると思っているのはお前だけだ」

「たた、かえます……!」

 

 地面に這いつくばり、立ち上がる事すら出来ず、見るからに満身創痍。だがその目に映る闘志はまだ衰えたりしていなかった。僅かに語気を強くし、千冬を見つめる。

 

「分かった。だが今日はもう無理だ。後日アリーナでやろう」

「い、やだ……!」

「っ、いい加減しろ! もうやらない訳じゃない、別日で決めようと言っているんだぞ!? 万全の体勢で挑めるのに、何処に不満がある!?」

 

 本音を言うのならもう戦わせたくなかった。家族がこれ以上苦しむ姿なんて見たくない。

 もし、このまま戦わせれば悠斗はシステムを使うだろう。これだけ痛い目にあっても必ず。

 だから千冬は分からなかった。何故悠斗がまだ戦おうとするのかを。

 

「あい、つが、箒が、心配する、から……」

 

 ここで千冬の言う通りにすれば楽なのだろう。まともに立ち上がれないのだから引き下がるのが賢い選択なのだろう。

 でもそれは悠斗の一時の休息と引き換えに、かけがえのない人に不安を押し付ける事になる。断じて、やって良い事ではない。

 

「それ、だけか……? たったそれだけの理由で戦うつもりか!?」

「は、い」

「っ……!」

「馬鹿だな……馬鹿だ、馬鹿だと思ってはいたが、ここまで馬鹿だったとはな……!」

 

 少し考えてみれば分かる事だった。悠斗が戦う理由なんて、箒のためなのだから。さっきまで今にも噴火しそうだった怒りを通り越して呆れが生まれる。

 苦い顔をする楯無も分かっていた。悠斗がこれまで何のために頑張っていたのかを見てきたし、散々聞かされていたからだ。

 

「(こんなの、呪いと変わらないじゃない……!)」

 

 こうして悠斗が世界を敵にして戦いをするのも、苦しむのも、それでも戦おうとするのも全ては箒のため。

 昔交わした約束かもしれないが、楯無からしてみれば悠斗を縛り付ける呪いとなんら変わらないものだった。

 

「ちーちゃん」

「分かってる! 一時間だ。休憩として一時間くれてやる。後は勝手にしろ!」

 

 下したのはアリーナの限界使用時間まで休憩という目一杯の譲歩。少しでも休ませてやるのが今の千冬に出来るせめてもの行いだった。

 

「あり、がとう……ござ、いま、す……」

「落ち着いたのならシャワーでも浴びてこい。多少は楽になるだろう。更識、お前も汚れただろう、一緒に流してこい」

「はい」

「……悠斗を頼んだ」

「……はい」

 

 肩を借りてどうにか立てる悠斗を楯無が連れていく。ふらつく足で何とか出口へ向かうと途中で止まった。

 

「た、ばね……さ、ん……」

「何かな? 私は謝らないよ?」

「束……!」

 

 話し掛けてきた悠斗に束は依然変わらぬ態度を取り続ける。自分は悪くないのだと。言葉だけじゃなく、態度でもそう語っていた。それに対して何かしらの罵倒でも飛んで来るのだろうと身構える束。

 

「あり、がとう、ござい、ます……」

「――――」

「おか、げで、戦え、ます……」

 

 だが悠斗から送られたのは心からの感謝の言葉だった。自分の強さに自信が持てない悠斗にとって、束がした事に感謝こそすれど罵倒する事はない。

 それだけ言うと悠斗は楯無と共にピットを出ていってしまった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 備え付けのシャワーをスーツを着用したまま浴びる。傍らにはやはり同じく制服を着たままシャワーを浴びる楯無の姿があった。お互いシャワーで衣服に付着した吐瀉物を流していく。

 

「はい、綺麗になったわよ」

「ありが、と、う……」

「っ……」

 

 途切れ途切れだが話す悠斗。叫ぶだけだった先程と比べれば喋られるだけましなのだろう。だがまたこれから傷付くと分かっていると楯無の胸は締め付けられていく。

 

「ねぇ、もうやめましょう? 今からでもまだ間に合うから、ね?」

「いや、だ……」

 

 楯無が何を言おうと悠斗の考えは決して覆らない。四肢のどれかが失おうとも戦いをやめる事はないのだろう。箒のためなら。箒のせいで。その答えに遂に楯無の不満が爆発した。

 

「……いい加減にしてよ」

「……た、て、なし?」

「いつも、いつも、いつも! 心配ばかり掛けて! 箒ちゃんにだけ心配させなければいいの!? 他の人はどうだっていいの!?」

 

 シャワー室に楯無の怒声が響く。俯いて表情が分からないまま、抑えきれない感情が溢れてくるかのように悠斗に叩き付けていった。

 

「心配してるのは箒ちゃんだけじゃない! 織斑先生だって、一夏くんだって……私だって心配してるんだから!」

 

 漸く顔を上げたかと思えば鋭い目付きで悠斗を睨み付けてくる楯無。だがそれも直ぐに今にも泣きそうな表情に変わる。

 

「苦しいの……。また悠斗くんが無茶するのかって考えるだけで胸がどうしようもなく苦しいの……!」

「たて、な、し」

「もう、やめてよ……。心配させないでよ……!」

 

 いや、泣いているのかもしれない。降り注ぐシャワーによって、涙は誤魔化されているが目は充血していた。それを悟られないように悠斗の胸に頭を押し付けて隠す。泣いているのだけじゃなく、自分の中にある恋心を悟られないように。

 

「(最低、だな……)」

 

 目の前で楯無が泣いているのはどう見ても自分のせいである。散々父親の快斗から女性を泣かせるのは最低だと教えられてきたのに。

 思えば楯無には心配ばかり掛けてきたと悠斗は考える。いつも側にいたからそれが当たり前のように感じていたが、楯無にとってはそうではないのだ。傷付いて、傷付いて――――

 

「……ごめん」

「っ!!」

 

 そしてこれからも悠斗は傷付ける。側にいるからこそ。

 分かりきっていた答えに楯無は悠斗の背に腕を回して抱き付き、静かにやめてくれと伝える。胸から聞こえてくる悠斗の鼓動がまた楯無の胸を締め付けた。

 返事として悠斗もただ黙って楯無の頭を撫でた。内容は変わらず謝るだけ。二人の意見は交わる事はなかった。

 

「……じゃあ頑張ってね」

「ああ……」

 

 どれだけシャワー室で抱き合っていたか分からないが、気付けば試合開始までもう間もなくとまでなっている。悠斗とピットで別れると楯無は一人、重い足取りで管制室へ。

 

「あ、楯無さん……ってびしょ濡れじゃないですか!? どうしたんですか」

 

 管制室に戻ると千冬と束はまだ戻ってきてないようで、悠斗とは反対側のピットから通信越しに一夏が出迎えてくれた。

 

「あ、うん……水も滴る良い女でしょ? ふっふっふっ、どうかしら?」

「いや、どうって言われても……」

 

 服を乾かす暇も着替える暇もなかったため、濡れたままで来てしまった。端から見れば明らかにおかしいのだが、楯無の持ち前の明るさで誤魔化す。 作り笑いは未だ悠斗にしかバレた事がないのだ。

 

「た、楯無さん。その、悠斗はどうでしたか……?」

「っ」

 

 不安そうに訊ねてきた箒に一瞬だけ作り笑いが凍り付いた。忌々しく箒を睨み付ける。

 

「(あなたのせいで悠斗くんは……!!)」

 

 この一週間で同じ男を好きになった同士、仲良くなれそうだった二人の間に決定的な亀裂が入ってしまった。

 渦巻く感情をそのままに言えたらどれだけ良いのだろう。でもそれは出来ない。箒が心配するからと今も戦う悠斗の努力を無駄にしてしまう。

 

「……慣れない試合もあって少し疲れてたみたいだけど、大丈夫よ」

「そうですか……。良かった……」

 

 箒も楯無の言葉を鵜呑みにした。他の誰でも信じられた訳じゃない。自分と同じく悠斗を思う楯無だからこそ信じられたのだ。たとえそれが嘘だったとしても。

 

「良く、ないわよ……!」

 

 怒りを抑えられずに呟いた楯無の言葉は誰にも聞かれずにすんだ。


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