四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

97 / 150
前回のあらすじ。

四ツ谷が監禁された翌日、人里で梳がとある男と、慧音がとある女性と接触し、幻想郷の外からとある少女が来訪する。


其ノ八

「むー……」

「…………」

 

四ツ谷が監禁されている部屋の中、その虜囚である四ツ谷文太郎とそれに向かい合う形で頬を膨らませて不機嫌さを隠そうとしない少女――宇佐見菫子が座っていた。

眉根を寄せて睨んでくる少女を四ツ谷はジトリ目で見つめ返す。

しばしそうしている事数分、唐突に菫子の方から口を開く。

 

「……何で私がこんなヒョロイ男の監視なんてしなきゃならないのよ」

「いきなり失礼な奴だなオイ」

 

菫子のつっけんどんな態度に、四ツ谷はますます持って顔をしかめた。

そして続けて口を開く。

 

「っつーかいきなり部屋に入ってきて第一声がそれかよ。……自己紹介くらいできねーのか?こちとら()()()()()()()初対面だぞ?」

 

一応、四ツ谷は菫子の顔は知っていた。

人里でも度々見かけてたため、自然と覚えていたのである。

当初は気にも留めていなかったが、外界の服装、それもこうして人里の外にあるこの博麗神社にたった一人でやって来ている手前、ただの人間ではない事をこの時になって四ツ谷は気がついた。

それと同時に霊夢の知り合いなら、以前から参加している宴会に彼女の姿が無かった事にも疑問に思った。

まあ、その疑問対象である菫子は外の世界ではまだ未成年の歳故に、お酒が全く飲めない体質だったため宴会があっても毎回不参加であったという理由(わけ)なのだが。

 

「そりゃ悪かったわね。……宇佐見菫子、見た感じでわかると思うけど、これでも『外来人』ってヤツよ。それも『常連』の、ね。あ、一応名前は知ってるからそっちの自己紹介はいらないわよ、四ツ谷文太郎さん」

 

菫子の答えに四ツ谷は怪訝な眼を向ける。

 

「……常連の外来人だぁ?じゃあ何か、お前はこの外の世界と隔離された幻想郷を自由に行き来してるっつーのか?」

「ええ、そうよ。こう見えてただの人間じゃなく、俗に言う『超能力者』ってモンなのよねー私」

 

そう言って菫子は部屋の端においてある文机に右手の人差し指を向けると、クイッとその指を曲げてみせる。

途端に文机が宙に浮かび、フワフワと空中を漂い始めた。

それを見て口を開けてポカンとなる四ツ谷。そうこうしている間に菫子は浮かせていた文机を何事も無かったかのように元の場所へと戻していた。

しばしの静寂後、再び四ツ谷は菫子に向き直り、口を開いた。

 

「……つまり、お前のその能力のおかげで幻想郷への行き来ができるようになったわけか?」

「正確には違うけど、この能力がきっかけで幻想郷への行き来が可能になったと考えてもらって良いわ。……にしても全く、霊夢さんたら幻想郷(ここ)へ遊びに来た私にいきなり留守番押し付けるなんて、どういう神経してるのかしら?」

「さぁてねぇ、あの巫女の傍若無人ぶりは今に始まった事じゃないだろ?」

「……まぁね。って言うかアンタも霊夢さんの事知った風に言うけど、新参の妖怪じゃないの?」

 

ちなみに、四ツ谷は菫子の顔は知っていたが、菫子は四ツ谷の顔は知らなかった。

人里に行っても四ツ谷の顔はそこらへんを歩いている通行人Aくらいにしかとらえていなかったのである。

 

「まあ、新参って言えば新参かな?去年の夏からだが……。あと、妖怪じゃなくて怪異な」

 

そう言う四ツ谷に菫子は怪訝な顔を浮かべる。

 

「……アンタってそんなに危険な怪異なの?あの霊夢さんが監禁するくらいだから相当じゃない?」

 

いや、だとしたら霊夢さんがこの男を人里で放置しておくのはおかしいか。と、内心考えを改めていた菫子の前で、四ツ谷は肩をすくめる。

 

「さぁね。俺はただ怪談が大好きなだけだ……。ただそれが条件で発動を生じる俺の『能力』の方を危惧してんだよあの巫女は」

「ふぅん……。じゃあしなきゃいいじゃない、怪談」

「ハハッ!俺に死ねと言うのか?」

「それほど!?」

 

四ツ谷の返答に菫子は呆れと驚愕を混ぜたかのような顔を浮かべる。

そんな菫子の前で四ツ谷は「俺の怪談から生まれる婦女子の悲鳴こそ生き甲斐♪」と叫びながらウシャシャシャ!と笑って見せた。

それを見た菫子は今度は呆れと疲れを混ぜたかのような顔で大きなため息をつくと、自身のスカートのポケットからスマホを取り出すとそれをいじり始めた。

その時になって菫子の興味は四ツ谷からスマホの中身へと移行していたのだが、四ツ谷の方はまだ菫子に興味が向いたままであった。いや、正確には少し変わって菫子の持つスマホへと視線が行っていたが。

 

「……何よ?」

「いや~、久しぶりに見たと思ってな。それ」

 

四ツ谷の視線が気になったのか菫子がそう聞き、聞かれた四ツ谷は人差し指でチョイチョイとスマホを指差して答えた。

それを聞いた菫子はキョトンとした顔でスマホを掲げてみせる。

 

「え、なに?あんたスマホ(コレ)見た事あんの?」

「当たり前だ。今じゃ怪異だが、コレでも元は外の世界で生きていた人間だぞ?」

 

あぐらを掻いて座ったまま、四ツ谷は両手を腰に当てて威張るように胸を張ってみせる。

それを聞いた菫子は、興味がスマホから四ツ谷に戻ったのか、やや身を乗り出して目を見開く。

 

「え、ウソ……。あんた元は人間の怪異だったの!?」

「ああ、そうだ。前世じゃいろいろとやらかして今世じゃこんな存在になっちまったがな」

「へぇ~。そんな存在(ヤツ)、始めて見た」

 

目を爛々と輝かせて四ツ谷をジロジロと眺める菫子。

そんな視線に少し居心地が悪くなったのか、四ツ谷はやや強引に菫子に言葉を続けて投げかける。

 

「そ、それよりもお前、スマホ(そいつ)で何してんだ?ネットサーフィンか?」

「え?……ああ、ちょい違うかな?私、ブログ作っててさ。今日あった事なんかも日記にしてそのブログに書き込んでんのよねぇ~」

「へぇ……ん?ちょい待ち。『今日あった事』?それってこの()()()()()での事か?」

「そだよ?こっちで言う『幻想郷縁起』も記載したりしてるんだよ。ただし、個人名とかは伏せてあるけどね。何ならちょっと見てみる?――」

 

 

 

 

 

 

 

「――名前は『幻想郷現代録(げんそうきょうげんだいろく)』。結構自信作なんだよね~」

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

そのブログの名前を聞いた瞬間、四ツ谷はまるで雷にうたれたかのような衝撃を受ける。

それに気づいていない菫子はニコニコ顔でスマホの画面を四ツ谷の目の前に掲げて見せた。

しばしの沈黙が場を支配する。

 

「…………」

「……ん?どうしたの?」

 

まるでピンで縫い付けられたかのように固まる四ツ谷の様子に菫子は怪訝な目を向ける。

すると次の瞬間、四ツ谷の両手が菫子のスマホをそれを持つ手ごとがっしりと掴んだ。

 

「ひゃあっ!?ちょ、ちょっと何すん――」

 

いきなりの事に菫子は座ったまま身構えるも、それに構わず四ツ谷はスマホをガン見したまま菫子に問いかけた。

 

「――つかぬ事を聞くが、お前さ……『飲むおしるこ』って名前のユーザー、知ってる?」

「……へ?確か前に私のブログの常連だった人がそんな名前だったけど…………………え゛ッ!?」

 

記憶を掘り起こしながらそう響く菫子が途中でハッとなり、プルプルと震える手で四ツ谷を指差す。

 

「ま……まさかぁ……!?」

「……どうも、始めまして『秘封倶楽部会長』さん。『飲むおしるこ』こと四ツ谷文太郎です。以後お見知りおきを。……あ、オフ会開きますか?」

 

おどけた調子ながらも、やや複雑そうな笑みを浮かべて四ツ谷は菫子にそう声をかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いやぁ、驚いた。こんな所で『飲むおしるこ』さんに会うなんてねぇ」

「いやこっちも驚いたわ。まさか幻想郷(ここ)でこのブログの創作者に出会うなんて夢にも思わなかったぞ」

 

一旦落ち着きを取り戻した四ツ谷と菫子は座りなおして向き合い、改めて会話を始めた。

 

「……そう言えば、去年の初夏ぐらいからだったわよねぇ。『飲むおしるこ』さんが私のブログにぱったりと来なくなったのって……。毎日のように感想欄に書き込みをしてくれてたのに……」

「その頃に俺はくたばってこっちに流れて来たからなぁ。当時はもう寝たきり老人だったからお前のブログの日記更新を毎日のように心待ちにしてたんだぞ?何せその日記に書かれた幻想郷の出来事を読むのが、怪談ができなくなったその頃の俺の唯一の生き甲斐だったからな」

 

菫子は過去を振り返りながらそう呟き、四ツ谷も当時の事を思い出しながらため息混じりにそう答えていた。

そして続けて口を開く。

 

「……あの頃、あのブログを何度も読み返しては色々と物思いにふけった。当時は半信半疑だったが、本当にこんな世界があって実際に行ける事ができたなら、怪談のネタには事欠かなかっただろうってなぁ。だがまさか実際に俺自身が怪異になって幻想郷に来ることになろうとは思いもしなかったが」

「でしょうね……。って言うかあなた本当に怪談の事しか頭にないんだね。私のブログを見ててもっと他に思う事は無かったの?魔法とか異質な能力が使えるかも~、とか」

「ヒッヒッヒ。そりゃちょびっとは考えた事はあったがな。だがやっぱ俺にとって一番なのは『怪談創作』とそれから生まれる『悲鳴』なんだよ」

「筋金入りだねあなた」

 

深いため息を一つ吐く菫子。そして今度は幾分か真面目さが含まれたかのようにトーンがやや下がった口調で四ツ谷に問いかけた。

 

「『飲むおしるこ』さん……いや、四ツ谷さん。私の能力でここから出してあげよっか?」

「あン?急にどうした?」

「私こう見えてもファンは大事にする(たち)なのよ。私のブログを終生愛読してくれたあなたをこのまま虜囚として見ているのはどうもね……。それに、こっちの都合も気にせず無理矢理私に番兵を押し付けた霊夢さんにも思うところがあるし……」

 

霊夢にここの見張りを押し付けられた時の事を思い出したのか、少しむくれて言う菫子に四ツ谷は苦笑を浮かべる。

 

「……せっかくの提案だが遠慮しとく。今ここを離れれば間違いなくあの紅白巫女は血眼になって俺を探すことになるだろうからな。……それよりも――」

 

菫子の提案をやんわりと断りながら、四ツ谷は身を乗り出して続けて口を開いた。

 

「――……あんたに頼みたいことがある。人里の俺の会館にいる奴らにちょいと言伝を頼んじゃくれないか?」

「何?あなたまで私を使いっぱしりにするつもりなの?」

 

ジト目で口を尖らせながら文句を言う菫子に対し、四ツ谷は不気味な笑みを浮かべながら彼女に『提案』した。

 

「……俺がこれから行う計画に乗ってくれりゃあ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うまくすりゃあ、あの貪欲紅白巫女の鼻を明かせられるんだが、どうだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷のその言葉に鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔を浮かべる菫子。そして数秒後には――。

 

「へぇ~……」

 

――興味深げに口を三日月形に歪め、不気味に笑い返す彼女の姿があった。

それから十数分後、神社に帰ってきた霊夢に一言、「ちゃんと見張っていた」事を伝えると菫子は彼女と入れ替わりに人里へと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「運松さん、大丈夫ですか!?」

「……なぁに、これくらい平気じゃよ。自分で言うのも何じゃが、歳を食ってるように見えて意外と丈夫なんじゃよわしは」

 

四ツ谷と菫子が会話をしている頃、梳は()()()()()()()()()の運松を介抱していた。

河童の秘薬を塗って楽になったとばかりに気分良く腕をグルグルと回していた男に向かって、運松が『治療費』について話しかけた所、男はいきなり運松を強くぶん殴ると、倒れる運松にも目もくれず、さっさと運松の家を出て行ったのだ。鼻歌混じりに。

その光景を一部始終見ていた梳は、男が去った後、慌てて運松の元へと駆けつけたのだった。

 

「やれやれ()()()()()()()()()()()お嬢さん。あの男に気づかれるんじゃないかと内心冷や冷やしておったぞ?」

 

運松のその発言に、梳は眼を丸くして驚く。

 

「気づかれていたんですか運松さん……。それにしてもあの男の人酷すぎます!運松さんに無理矢理治療を迫っておいて、治った途端運松さんにこんな事して帰っちゃうなんて!!」

「うぅむ、わしもダメもとで聞いてみただけじゃったが、それが奴の癪にでも障ってしまったのかもしれんのぅ」

「でも、だからってこんな……!」

 

憤る梳をやんわりと運松が宥める。

そして、今度は男が出て行った玄関口を見つめながら一人ポツリと響く。

 

「……それにしてもあの男、あの様子からして昔とまるで変わらずみたいじゃのぅ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、皆大人しゅう過ごしているものとばかり思うておったが……どうやらそうでもない者もおったようじゃのぅ」

「……え?運松さん、一体何の話を……?あの男の人、運松さんの知っている人なんですか?」

 

首を傾げて問いかける梳に、運松は眼を向ける。

 

「……ん?おお、そうか。お嬢さんは最近、幻想郷(ここ)に来たばかりじゃったから、知らぬのも無理はなかったかのぅ」

 

そう言って運松は再び玄関口に視線を戻し、続けて口を開いた。

 

「いやのぅ、わしも直接話すのは今回が初めてじゃったが、あの男は一年前までこの人里を好き勝手しておった()()()()()()のもとにおってのぅ――」

 

 

 

 

「――金貸しの名は『半兵衛』と言うて、あの男は半兵衛の元取り巻き用心棒連中の一人だったのじゃよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(柚葉……あの時見た彼女の腕の痣は一体……?)

 

一方、教師陣を家路へと帰し、寺子屋の戸締りをしていた慧音は、先ほどの柚葉の様子が気になって仕方なかった。

あの痣はとてもちょっとした不注意なんかでできるような代物とは思えなかった。明らかに人為的にできた痣だと慧音にはそう思えて仕方なかったのである。

 

(……まさか、身内の誰かから折檻(せっかん)を……?いや、彼女の家族は皆、温厚な人ばかりだ……。そんな事をするとはとても思えない……。じゃあ、一体誰が……?)

 

『四隅の怪』の一件に引き続いて厄介そうな事が再び重なり、慧音は頭を悩ませる。

ウンウンと唸りながらも寺子屋の正門を閉めようとした時――。

 

――ガラガラガラ……。

 

「!」

 

唐突に隣の民家――柚葉の家の玄関戸が開く音が響いた。

その音に反射的に慧音は、チラリと柚葉の家の方へと目を向け、そして僅かに目を見開く。

そこにはまるで誰かに見られるのを恐れるかのように、おずおずと家から出てくる柚葉の姿があった。

それを見た慧音は正門の影から柚葉の様子をうかがう。

柚葉は慧音に気づく事無くその場を早足で去っていった。

 

「柚葉……?」

 

一人そう響いた慧音は柚葉の様子が気になり後を追うために歩き出す――。

柚葉は人目を避けるように、裏路地を入って奥へ奥へと進んでいく。

慧音もその後を柚葉に気づかれぬ距離を保って追って行った。

――そうして辿り着いたのは、柚葉の自宅からそう遠くない所にある、小さな空き地であった。

木々に囲まれ、近くに家々の建物も見えるも、聞こえるのは鳥のさえずりくらいで辺りはシンと静まり返っていた。

慧音は茂みの影から先に到着していた柚葉の様子を見た。

柚葉の目の前には、一本の木に背中を預けた見るからに苛立たしげな表情を浮かべている男がおり、どうやらこの男に柚葉は呼び出されたようであった。

機嫌が悪そうな口調で男が口を開く。

 

「遅いぞ」

「……ご、ごめんなさい」

 

対する柚葉は今にも消え入りそうな声でそう答えた。

そんな彼女の身体が僅かにカタカタと震えているのを慧音の目はしっかりととらえていた。

まるで肉食獣に食べられかけている小さな動物のように怯える柚葉を見ながら、男はフンッと鼻を鳴らすと。

右手をぶらぶらと振りながら、柚葉に差し出した。

 

「ほら、()()()()()()。さっさと出せよ」

「……はい」

 

柚葉は着物の袖から小さな袋を取り出すとそれを男に差し出した。

男はその袋を乱暴に手に取ると中身を確認する。

 

「……チッ、こんだけかよ。もっと持ってこれなかったのか?あ゛ッ?」

「……ごめんなさい」

 

ドスのきいた声で男が怒鳴り、それに柚葉は身をちぢ込ませながら小さな声で謝罪する。

そんな柚葉の頬に、唐突に男の張り手が飛んできた。

 

「きゃあっ!」

「なっ……!?」

 

バチンという音がその場に響き渡り、直後に柚葉は叩かれた頬を押さえる。

それを唐突に見せられた慧音も同時に絶句した。

そして今すぐその場に飛び出そうと慧音が身構えた瞬間、それよりも先に男が柚葉の胸倉を掴みあげて声を上げた。

 

「いいか?次来る時はこれよりも倍の金を持って来いよ!?最近は賭場にもロクに行けてねぇんだからよ!!」

「……わ、わがり、ました……」

 

胸倉を掴まれた男の手でゆさゆさと揺さぶられながら、柚葉は涙眼になりながら声を震わせてそう響いた。

それを見て再び鼻を鳴らした男は、次の瞬間に柚葉の身体をジロジロと眺めると、あろう事かとんでもない言葉を柚葉に投げかけた。

 

「フン、まあいいや。足りねぇ分は体で楽しませてもらうからな」

「……え?な、何を……!?」

 

柚葉が動揺する声を上げる間に、男は柚葉の胸倉を掴んでいた手を放し、今度は柚葉の身体に抱きつくように羽交い絞めにする。

そして、柚葉の着物の上から両腕を蛇のように這わせ始めたのだ。

怖気の走る感覚に悲鳴にも似た柚葉の声が上がる。

 

「ッ!や、やめてくださいッ!」

「何言ってやがる。()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

そう言いながら男が柚葉の(ふところ)、その内側に右手を滑り込ませようとした瞬間――。

 

「やめろッ!!」

 

最早我慢ならないといった形相で慧音が茂みの中から飛び出し、男に向けて声を荒げた。

 

「……け、慧音先生……」

「……チッ!」

 

いきなり慧音が現れたことで、柚葉は涙眼で目を丸くし、対して男は「これからだったのに」とばかりに明らかな苛立ちを含んだ舌打ちを慧音の耳にも届くほどに大きく響かせた。

そんな男にも気にも留めず、慧音は柚葉から男を引き離し、柚葉を自分の背中に隠すようにして男を睨み付けた。

 

「一体何をやっているんだ貴様は!白昼堂々、金銭を巻き上げた上に乱暴狼藉に走るとは最低だぞ!!」

 

一喝する慧音。されど男は何処吹く風といった(てい)で軽く鼻で笑うと、これまた白々しいほどの軽い口調で慧音に言葉をかけた。

 

「何言ってるんですか慧音先生?誤解ですよ。俺じゃなくて()()()()()()()先に言い寄ってきたんですよ。『私と楽しい事しなぁい?』なんて言ってね」

「ふざけるなッ!彼女からお金まで奪っておいて、よくもいけしゃあしゃあと!」

「ああ、コレですか?」

 

そう言いながら男は先ほど柚葉から奪い取った金銭の入った小袋を掌の上で転がして見せながら、続けて口を開いた。

 

「これは()()()()()()?その女から奪ったなんて何か見間違ってません?」

「貴様、いい加減に――」

 

慧音がまた声を上げかけるも、それよりも先に男が慧音の背後にいる柚葉を覗き込むようにして、やや強めの口調で声をかけた。

 

「――なァ、そうだよなぁ?コレは元から俺の金だったよなぁ?」

 

男のその声に柚葉はビクリと大きく肩を震わせた。

そして数秒後、おずおずと呟く。

 

「………………はい、その通り、です」

「柚葉!?」

 

思わず柚葉へ振り向く慧音。そして絶句する。

柚葉は両手で自身の身体をかき抱きながら震えていた。

その双眸は光を失い、瞳孔が大きく揺れ動いていたのである。

あまりにも弱弱しい柚葉のその姿に、慧音も二の句が告げなくなる。

そんな彼女たちを嘲笑うかのように男が再度柚葉に言葉をかけた。

 

「あーそうそう、そんでもって誘って来たのもお前だったもんなぁ?ほーんと、日の高いうちから何考えてんだろうなぁ?」

「…………はい、私が……誘いました。……ごめん、なさい……」

 

目尻に涙をためて、今にも消え入りそうな声で柚葉はそう響いた。

「あ~嫌だ嫌だ」と肩をすくめて笑う男を背に、慧音は何とも言えない顔で柚葉を見つめた。

一体、彼女に何があったのか?一体、いつから彼女がこんな状況におちいっていたのか?……そんな疑問が慧音の頭の中でグルグルと渦を巻いていた。

 

「…………ッ!」

 

やがて、柚葉は男の笑い声か慧音の視線に耐えられなくなったのか、その場を脱兎の如く走りだした。

 

「柚葉!」

 

慧音は柚葉に声をかけて止めようとするも、柚葉はそれを振り切って去って行った。

思わず後を追おうとする慧音の背に、男の声がかかった。

 

「慧音先生?教師ならちゃんと状況をちゃんと読んでから行動しましょうよ?見た目若いですけど、もう何十年も生きてる見たいですし、中身耄碌(もうろく)しちゃってんじゃないですかぁ?」

「貴様ッ……!」

 

睨みつける慧音の視線をへらへらと笑って受け流しながら、男は踵を返す。

 

「そんじゃ、俺は失礼しますよ?これでも俺、ちょー忙しい身なーんで」

 

心底馬鹿にするかのように左手を振り、もう片方の右手で柚葉から奪った袋を弄びながら、男もその場から去っていった。

 

「…………」

 

一人取り残された慧音は悔しそうに唇を噛み締める。

男の言葉は一々腹が立つものばかりであったが、自分が耄碌してるという点については悔しいながら納得せざるを得なかった。

何せ毎日のように顔を合わせていた身近な元教え子、挨拶をすると笑って返してくれた彼女が、よもやこんな劣悪な境遇におちいっているとは夢にも思わなかったのだから。

慧音は彼女をそんな状況に追いやった男に、そして何よりも、そんな彼女の苦しみに気づいてやれなかった自分自身に酷く腹を立てた。

 

(どうすれば……、どうすれば彼女を救える……?)

 

そうして一人思考を始めた慧音は無意識に歩き出す。特に意味など無い。ただ動いているとより集中力が高まって思考できる感覚が慧音にはあったのだ。

そうして慧音は思考に没頭しながらいつの間にかその足は大通りの地面を踏みしめていた。

 

「……あれ?慧音先生?」

 

慧音が大通りに出た瞬間、唐突に彼女に声がかけられた。

一旦思考を停止し、慧音は声をかけた人物へ顔を向ける。

と、そこには肩に息を切らせて走ってくる梳の姿があった。

 

「梳?そんなに息を切らせてどうした?」

「ハァ、ハァ……丁度良かった先生……」

 

問いかける慧音の目の前に立ち止まった梳は、(ひざ)に両手をついて呼吸を整えながら口を開く。

 

「あの……すみません、慧音先生。こっちの方にガラの悪そうな男の人が来ませんでしたか?」

「……その表現だけだと少し判断に困るのだが……その男がどうしたというんだ?」

 

再びの慧音の問いかけに梳は肩を怒らせて声を上げた。

 

「酷いんですよその男!いきなり運松さんに怪我を治せって言ってきて、怪我を治した途端、運松さんを殴ってさっさと帰っちゃったんです!」

「なにっ!?運松さんは無事なのか?」

「はい。頬がちょっと腫れちゃっただけでしたけど、老人相手に許せません!見つけ次第、一発引っ叩いて運松さんに謝らせようと思って追っかけてきたんです!」

 

憤る梳を見て慧音は、この娘はこんな顔もできるのかと、内心少し驚いていた。

この幻想郷に来たばかりの梳を始めて見た慧音の当初の印象は、内向的で誰かと接する事が苦手な少女だと思っていた。

だが、それは外の世界とはまるで違う幻想郷の環境に右往左往していただけであり、数ヶ月たった今ではその生活にも慣れ、梳は徐々に本来の調子で人と接する事ができるようになっていたのである。

意外と真っ直ぐで押しの強い性格だった梳を見ながら、同時に慧音は彼女の言う男について気になった。

梳の語る男の言動は、先ほどまで柚葉に手を上げていた男と酷似しているように思えてならなかったのである。

もう少し、その男の特徴などを詳しく聞こうと慧音が梳に向けて口を開きかけた時――。

 

「――ありゃ?慧音先生と……初めて見る顔だね。こんにちは。こんな所で二人で何を話てるんですか?」

 

唐突に第三者の声が慧音と梳にかけられ、二人は同時に声の持ち主へと眼を向ける。

するとそこには、慧音には久しぶりで、梳にとっては初対面となる少女の顔があった。

 

「お前は……」

「えっと……誰ですか?」

 

慧音と梳の呟きが聞こえなかったのか、その少女は自身の『用件』を口にする。

 

「あ、そうそう慧音先生。この人里に『四ツ谷会館』って建物がある場所って知ってますか?……そこの住人たち(あて)に四ツ谷さんから言伝(ことづて)を預かっているんですよ」

 

屈託無く笑いかけながら、その少女――宇佐見菫子はそう声を響かせていた――。




また、一月経ってしまった……orz
ここ数ヶ月間、出筆が難航している自分がいます。
誠に申し訳ありません。
ですが、日に少しずつ書き進めているかいがあってか、今回一万字越えを達成することができました。

(何気に一万字越えは今回が初めてなんじゃなかろうか……?)

また次回の投稿も遅くなるかもしれませんが、心待ちにしてくださっている読者の皆々様には本当に申し訳ありませんが、もうしばしお待ちくださいますよう、心からよろしくお願い申し上げます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。