四ツ谷の自室、その中央にその部屋の主が正座をさせられ、対面には鬼の形相で仁王立ちで見下ろす人里の女教師の姿があった――。
そしてそのそばには、戦々恐々とした面持ちで二人を見守る少女が二人。小傘と薊である。
慧音に強制的に正座をさせられた部屋の主、もといこの会館の館長である四ツ谷文太郎は目の前に立つ女教師、慧音におずおずと反論する。
「……いや俺、一応この会館の館長だから。リーダーとして威厳のある生活しなきゃならないから」
「それが、真昼間から薊を
慧音の的確な返答に四ツ谷はぐうの音も出ない。
それに構わず慧音は続けて言う。
「とにかくお前も働け。館長であるお前がその様じゃあ、それこそ示しがつかない」
「えー……」
明らかに嫌そうな顔を隠そうとしない四ツ谷に、慧音はますます顔をしかめる。
と、そこへ横から小傘が助け舟を出してくる。
「あ、あの慧音先生?私たちなら大丈夫ですよ?私と薊ちゃんと金小僧と折り畳み入道の四人でも、十分館内の管理ならできますし……」
「小傘、いくら恩人とは言えこいつを甘やかしてたら近いうち必ずダメ人間……もとい、ダメ怪異になってしまうぞ?」
慧音の鋭い指摘に小傘もあえなく撃沈してしまう。
しばしの沈黙のあと、慧音は深いため息をついて両手を腰に当てて四ツ谷を覗き込むようにして問いかける。
「全く、お前には他にやる事は無いのか?」
「あるぞ?時折外に出て人里のガキ共に怪談を聞かせたり、広間の舞台で客相手にたまに怪談を行ったり……」
「怪談ばかりじゃないか。しかもそれは仕事とは言えん」
四ツ谷のきっぱりとした返答に慧音は頭を抱えながら天を仰いだ。
「全く、本当に全く。ただでさえ『問題』を抱えている状況だと言うのに、お前って奴は……」
ついつい愚痴っぽく慧音の口から出た言葉ではあったが、四ツ谷はそこ言葉のある部分に耳ざとく食いついてきた。
「ん?『問題』?……そっちでも何かあったのか?」
「え?あ、いや……。別にお前が気にするような事じゃない。さすがにこれは怪談では解決できる話じゃないからな」
無意識的に口を滑らせたことに慧音は一瞬「しまった」と言う顔をするも、すぐにそう言いつくろった。
だがそれに構わず、今度は四ツ谷の方が慧音にぐいぐいと突っ込んで来る。
「そこまで言っといて何でもないと切られたんじゃ余計に気になるなぁ?いいからいいから、話してみ?相談ぐらいなら乗ってやるから」
「な、何なんだお前は?……はぁ、全く……」
何故かニヤニヤ顔で詰め寄ってくる四ツ谷に慧音は一瞬たじろくも、直ぐに観念したとばかりに再びため息を吐いて「別に聞いても意味無いと思うぞ」と前置きしてからそれを話し始めた。
「……実はうちの寺子屋に長年勤めていた教師の一人が高齢を理由に退職する事になったんだが、代わりの教師となる者が今どこを探しても見つからんのだ。……まあ、教育者というその役職上、この範囲が限られてくる人里内でそういった事ができる者を探すとなればさすがに困難である事は理解はしているが、かと言ってその退職する教師の穴埋めを私たち他の教師でカバーしようにも手が足りない状況なんだ。やはり、もう一人代わりの教師となりえる者が欲しい所でな……」
慧音がそう簡潔に説明し終え、しばしの静寂が訪れる。
そこへ今度は薊がおずおずと慧音に声をかけた。
「大変そう、ですね先生……」
「だろ……?はぁ……」
そう言ってまたもや短くため息をつく慧音であったが、次の瞬間目の前に座る男の口から信じられない言葉が飛んでくる。
「……なぁ、慧音先生?その教師の代役、
「「「………………………、えぇっ!!?」」」
四ツ谷の予想外の返答に、慧音のみならず、傍から状況を見守っていた小傘と薊も驚愕の顔で四ツ谷を凝視する。
そんな視線を受け、「何だよ、そんなに意外か?」とばかりに心外な顔をしながら、口を開く。
「そんなに驚く事か?」
「え?あ、いや……って言うかできるのか四ツ谷?教師なんて仕事……」
動揺しながら問いかける慧音に四ツ谷は問題ないとばかりに胸を張る。
「実を言うとな、俺こう見えて人間だった頃に教師資格の免許を取った事があるんだよ。……
「本当か?お前が!?信じられん……!!」
未だに信じられずそう言う慧音に、四ツ谷はこめかみに血管を浮き立たせてジト目で慧音を見上げる。
「いやに否定的だな。……教師になるの辞めよっかなぁ~?」
「あ、いや、す、すまなかった四ツ谷、ただあまりにも予想外だったためについ、な……」
しどろもどろになりながらも慧音は四ツ谷に謝罪をし、一端はその場の一件が落ち着いた。
そして改めて慧音は四ツ谷に向けて口を開く。
「それじゃあ……頼めるか四ツ谷?寺子屋の教師を」
「おう、任せろ……♪」
胸を拳でドンと叩き、自信たっぷりに四ツ谷がそう答える。
こうして、新たな寺子屋教師が誕生したのであった――。
「……ちなみに四ツ谷。私からこの教師の内容が出なかった場合、お前は私の話を聞いた後、どうするつもりだった?」
「そりゃもちろん。適当に相づちを打って、お茶を濁して、先生にはさっさと帰ってもらうつもりだった」
「……四ツ谷、もう一度正座をしろ。これからたっぷり三時間、お説教コースだ」
数日後の朝、人里の寺子屋その一教室にてやって来たばかりの子供たちがそれぞれ思い思いにワイワイと騒いでいた。
姦しく子供たちの声が響く教室内、とそこへドンドンと教室へ向かってくる足音が響きだし、やがてその足音の持ち主が教室の戸をガラリと開け放った。
子供たちは最初、先生が来たのかな?と、騒ぐのを止めて視線を教室の出入り口へと向け、すぐに全員が首をかしげた。
そこに立っていたのは子供たち見知った先生ではなかったからだ。
出席簿を片手に立つその男は、着物の上から腹巻をし、そのさらに上に何故か丈の長い白衣を纏っていた。
そして短い黒髪を無理矢理束ねて輪ゴムでとめ、小さなポニーテールを作り、レンズの入っていない黒縁の伊達眼鏡をかけたその男は驚く子供たちを尻目にズカズカと教壇へと上がっていく。
と、そこに来てようやくその場にいた子供たちの何人かがその男の正体に気づいた。
「……あれ?もしかして、四ツ谷のおにいちゃん?」
「え?あ!本当だ!四ツ谷のおにいちゃんだ!」
その声を聞いた壇上の男――四ツ谷もその子供たちの方へを目を向ける。
そこにいた子供たちは四ツ谷の見知った者たちであった。それは毎日のように四ツ谷の怪談を聞きにせがみに来る、おなじみの少年少女五人組、太一、千草、佐助、蛍、育汰であったのだ。
彼らの姿を確認した四ツ谷も驚きで目を丸くする。
「おお、お前ら!何だお前たちのいるクラスだったのか?」
「四ツ谷のおにいちゃん、何でおにいちゃんがここにいるの?」
太一にそう問われ、四ツ谷は「おお、そうだった」とばかりに自身の頭をペシリと軽く叩くと、背後にある古ぼけた黒板に持ったチョークを走らせた。
黒板に大きく『四ツ谷文太郎』と縦に書いた四ツ谷は再び教室全体にいる子供たちを一瞥すると、大きな声をその場に響かせた。
「えー、私を知らない子もいるでしょうから一応自己紹介をしておきますね。今日からこの寺子屋で教鞭を振るうことになりました四ツ谷文太郎と言います。
先程までとはガラリと態度が変わり、懇切丁寧な四ツ谷の自己紹介を聞いた子供たちは皆思い思いに口を開き始める。
「あたらしい先生だって!」
「若い先生だね。一体どんな人なんだろう?」
「せんせー、今何歳ですか?」
「人里のどこに住んでますか?」
「好きな食べ物とかありますか?」
「嫌いな物は?」
「座右の銘とかあります?」
「趣味は?」
「好きな人とかは?」
矢継ぎ早に子供たちは四ツ谷に質問を浴びせるも、四ツ谷はマイペースにパンパンと両手を叩き、その場を沈める。
「はいはいはーい。私への質問は順番に受け付けますよ?その後、授業を行いますが……私の授業は毎回最後にちょっとした催し物を行う予定ですので、皆さん期待して待っててくださいね?」
四ツ谷のその言葉にその場にいた大半の子供たちは何だろうと首を傾げるも、四ツ谷と関わりのある太一たちは、すぐにそれが何なのか気がついた。
「催し物?四ツ谷のおにいちゃん、それってもしかして……?」
「ヒヒッ、そう君たちの想像通り、毎日にように君たちに語って聞かせている
ウィンクしながら四ツ谷がそう答えた瞬間、太一を始めとした五人全員が目をキラキラと輝かせた。
そんな彼らを一瞥して、四ツ谷は再び教室内に声を響かせる。
「――さァ、始めて行きましょう!君たちの為のかいだ(ゲフン!ゲフン!)……
いつもの調子でつい『怪談』と言いそうになったのを慌てて咳払いで誤魔化した四ツ谷は、イマイチ締まりの無い形で教師生活をスタートさせたのであった――。
ちなみに、四ツ谷の教師時の姿は、原作読み切り版『詭弁学派、四ツ谷先生の怪談』の四ツ谷の服装を基にしています。