四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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  おいで……

                         おいで……



             こっちへ、おいで……








荒れ果てた墓地の中、その墓石の下から誰かの呼ぶ声が聞こえます……。
誰も訪れる者がおらず、一人寂しく朽ちていく墓の下、その地下深くに眠る『その者』は――。




           ――一体誰を呼んでいるのでしょうか……?








第六幕 踊るしかばねと墓まねき
其ノ一


秋が深まり、人里を囲む周囲の山々が見事な紅葉に色づいた頃、とある山の中腹にある大きな岩の上に、大きな角を二本生やし、両手首と腰にジャラジャラと鎖を巻きつけた小柄な少女が大きな瓢箪を片手に座っていた。

彼女の名は伊吹萃香(いぶきすいか)――。

鬼の四天王の一角に立つ、この幻想郷でも上位の実力を持つ生粋の鬼である。

今日彼女は、いつも肌身離さず持ち歩いている瓢箪、『伊吹瓢(いぶきびょう)』片手に一人、紅葉狩りを楽しんでいた――。

伊吹瓢の中に入った『酒虫酒(しゅちゅうざけ)』をゴクゴクと飲みながら赤く色づく木々を萃香は眺める。

だがふいに、酒を飲むその手が止まり、萃香は瓢箪を凝視し、ポツリと一人呟く。

 

「ああ……そう言えば、もう数年が立つんだよね。()()()()()()()()……」

 

先程とは一転して、哀愁(あいしゅう)の漂う表情を顔に浮かべ、萃香は天を仰ぎ見る。

日は高く、空は晴れ渡っているというのに今の彼女の内心はどんよりと曇り始めていた。

 

「……大事にするって約束したのに、ごめんよ()()()……」

 

誰に対してかも知れぬ謝罪の言葉が、萃香の口から小さく漏れ、それは心地よくふく秋の風の中へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の晩、人里の近くに立てられた大きな寺、周囲の者たちから通称『妖怪寺』と呼ばれている『命蓮寺(みょうれんじ)』にて一つの騒動が起こった――。

 

その夜、命蓮寺では小さな葬式が行われていた。

人里に住んでいたとある老婆が寿命を向かえ、静かに息を引き取ったのだ。

その老婆の葬式が親族や近所の者たちの手によってこの寺で行われていたのである。

命蓮寺の住職である聖白蓮(ひじりびゃくれん)は、誰とでもわけ隔てなく接する博愛主義者な女性であり、その人当たりの良さに惹かれてか、妖怪人間など種族を問わず毎年のように入門者が集まってきていた。

いつもは寺で修行三昧、されど賑やかさを欠かさない彼女たちではあるが、今宵はそういうわけにはいかない。

白蓮本人は死者を弔うため、いつものゴスロリ調のドレスではなく、住職らしく黒の着物に袈裟を纏った姿で老婆の入った棺桶の前に座り経文を読んでおり、その後ろでは老婆の親族や親戚一同が喪服姿で静かに老婆を弔い続けている。

そして入門者のほとんどはその葬式では裏方に徹し、手伝いや準備で慌しく動いていた。

だが、命蓮寺に在籍していながらも、全く手伝いなどをしていない者たちも一握りながらいた――。

命蓮寺の裏手、そこに生える林の中でひっそりと酒盛りを楽しむ者たちがそうであった。

パチパチと燃える小さな焚き火を囲むように、何匹もの狸たちが寝転がっている。

その中に丸眼鏡をかけ、大きな狸の耳と尻尾を生やした女性が、地面にドカリと腰を下ろし、持参してきた瓢箪を杯に傾け、中に入っていた酒を注ぎ込む。

その杯を焚き火をはさんで正面に座っていた、見た目十代後半くらいの黒髪の少女に渡す。

少女は短い黒髪に、これまた黒いワンピースにニーソックスを纏い、背中には左右にそれぞれ、赤い鎌に蒼い矢印を表したかのような奇妙な翼が三枚ずつ生えていた。

丸眼鏡をかけた狸娘は二ッ岩マミゾウ(ふたついわまみぞう)。黒髪の奇妙な翼を持った少女は封獣ぬえ(ほうじゅうぬえ)と言った――。

幻想郷に来る前からの旧友である彼女たちは、命連寺に住んでいるにもかかわらず、葬式の手伝いなどを一切せず、人気のないこの林の中で隠れて酒を飲み交わしていたのであった。

 

「まったく、葬式っていうのは湿っぽくていけないよねぇ。こっちまでしんみりしちゃうよ」

「そう言うな。ワシら妖怪は関係ない事かもしれんが、人間たちにとっては大事な別れの儀じゃぞ?後数刻もすれば今夜の葬儀は終りじゃし、しばしの辛抱じゃよ」

 

マミゾウから受け取った杯の酒を飲みながら、ぬえはそう愚痴り、そんなぬえをマミゾウはたしなめた。

頬を小さく膨らませるぬえであったが、何かひらめいたかのようにポンと手を打つ。

 

「そうだ!なら私の能力を使ってしんみりとした葬式のムードを賑やかで派手なものに――」

「――やめておけ。周囲から反感を買うどころか、聖から『南無三!』を食らうぞ?」

「う゛ッ!?」

「やれやれ……葬式の手伝いがしたくないのなら、ワシと一緒にここで大人しく酒を飲んでおれ。今宵は雲一つない月の明るい夜じゃ。こんな夜に月見酒というのも(おつ)なものじゃぞ?」

 

そう言いながらマミゾウは自分が持つ杯に酒を注ぎ込み、それに口をつけようとする。

しかし、その動きが途中で止まり、代わりにマミゾウの耳がぴくぴくと動き出した。

そして次の瞬間、マミゾウは険しい顔で命蓮寺の方へ眼を向ける。

ただならぬマミゾウのその行動に、ぬえは首を傾げて問いかける。

 

「?どうしたのさ?」

「……妙じゃな。ご本堂の方から『祭囃子(まつりばやし)』が聞こえる……」

「祭囃子?今日って何かお祭りとかあったっけ?って言うか葬式の最中なのに祭囃子って場違いすぎ――」

 

ぬえがそこまで言った瞬間だった――。

 

「-----------ッッッ!!!!」

「「!?」」

 

唐突に命蓮寺の方から女性の声にならない悲鳴が響き渡り、それを合図にマミゾウとぬえは、寝転がる狸たちと酒、焚き火をそのままにして一目散に命蓮寺へと駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少しさかのぼり、事件はご本堂での葬式の最中に起こった――。

 

「ん?何だこの音?」

 

葬式に参加していた親戚の一人である男性のその第一声をかわぎりに、そこにいた全員が顔を上げ訝しげにキョロキョロと周りを見渡し始める。

どこからか竜笛(りゅうてき)、太鼓、鈴の音などの祭囃子の音が鳴り響いてきたのである。

 

「祭囃子……?でもなぜ……?」

「聖……」

 

突然響いてきた祭囃子に、白蓮もお経を読むのを止め、周りを見渡し始める。

そんな彼女に、そばで待機していた毘沙門天の代理にして虎の化身たる虎丸星(とらまるしょう)が歩み寄る。

白蓮は星に声をかける。

 

「ああ、星。一体何が……?」

「わかりません。ですがこの音、段々と近づいてきています。ご本堂(こちら)に……!」

 

そう言って星はご本堂の出入り口付近を睨みつけた。その場にいるほとんどのものに動揺が走り始める。

すると今度は――。

 

「……そ、そんな!この音、ご本堂(この中)から聞こえ始めてきたぞ!!?」

 

親族の誰かがそう叫び、いよいよ持ってその場がパニックになった。

何せ、楽器など演奏している者はおろか持っている者さえいないこの場に、大きく祭囃子の音が木霊しているのだから――。

間違いなく祭囃子の音はこの本堂の中から鳴り響いている。しかし、そんな音を出している者は誰一人として見当たらない事に葬儀の参加者たちは次第に顔から血の気が引き始めた。

しかし、これらはまだ序の口であった。彼らにとっての恐怖はこの直後から始まる――。

 

 

 

 

 

 

……ギ、ギギッ……ギギギギッ……ギギギギギィィィ~~~~ッ!!

 

 

 

 

 

突然鳴り響く、木製の何かが()()()()音。何事かと全員がその音のした方へ目を向け――。

 

「-----------ッッッ!!!!」

 

次の瞬間その場に参加していた女性の悲鳴が大きく響き渡った。

皆の目の前にあった棺桶の蓋が()()()()にゆっくりと開かれて、その下の畳みの上に落ちたのである。

そしてそこで眠っている老婆の遺体、その上半身が()()()()にムクリと起き上がったのだ。

 

「ひいぃぃぃっ!!??」

 

ありえないその光景に葬式に参加していた誰かが悲鳴を上げて腰を抜かした。

周りの参加者たちも同じように悲鳴を上げて腰を抜かすものや、呆然となって立ち尽くす者、腰を抜かしながらもその場から逃げ出すものなどが続出する。

そして白蓮本人も呆気に取られてその光景を見つめる。

 

「これは……!」

「聖!」

 

立ち尽くす白蓮を庇うように星は一歩前に出て老婆の遺体を睨みつけた。

そんな視線を気にしないと言わんばかりに、白装束に白の三角の布を頭に巻いたその老婆の遺体はゆっくりと棺桶の中から外に出ると皆が見ている目の前で両腕をゆっくりと持ち上げ、周りで響く祭囃子に合わせるが如く踊り始めたのであった――。

その光景に本堂内は再び悲鳴に包まれる。

お世辞にも上手いとは思えない踊りを祭囃子の中で踊りながら、阿鼻叫喚が響き渡る本堂内を出入り口に向かって進み始める。それと同時に祭囃子も老婆について行くように移動していく。

やがて、本堂を出て境内に老婆の遺体が出たのを見た白蓮はようやくハッとなり、慌てて星を連れて境内へと飛び出す。

境内も本堂と同じように悲鳴の渦が巻き起こっていた。

人間は腰を抜かし、妖怪たちは呆然と踊る老婆を見つめている。

白蓮はどうにかして老婆を止めようとするも、死者の体を無闇に傷つけるわけにもいかず、その場でオロオロとしだす。

そこへ――。

 

「聖!一体何があったの!?」

「う、うわっ!?何だこれ!??」

 

騒ぎを聞きつけて命蓮寺の修行者である、入道を連れ、両手に大きな輪を持った雲居一輪(くもいいちりん)と白い水兵服を纏った船幽霊の村紗水蜜(むらさみなみつ)が駆けつけて来る。

二人も周りの者たち同様、どこからか響いてくる祭囃子の中で踊る老婆の遺体を見て絶句する。

そうこうしている間に老婆の遺体は、踊りながらも寺の門近くへと到達する。

すると老婆の進行方向には獣耳と青緑色の髪を持った少女の姿があった――。

 

「!!響子、今すぐそこから離れなさい!!」

 

それを見た星はその獣耳の少女――幽谷響子(かそだにきょうこ)に向かってそう叫ぶ。

しかし響子は脚がすくんでしまって動けないのか、その場から動けずにいた。

その間にも老婆と響子の距離は縮まっていく。

 

「あ、あぁぁ……!」

 

涙眼になり、踊りながら迫り来る老婆を見つめる響子。

しかし突然、響子の視界の端から二つの影が躍り出て老婆と響子の間に割って入る。

 

「あ……親分さん、ぬえさん……!」

 

その影の正体を見た響子は安心と共にそう呟いていた。

そんな響子を庇うように立ったマミゾウは、未だ目の前で踊り続ける老婆の遺体に愉快そうに声を上げる。

 

「これはこれは……!幻想郷という所は本当に退屈せん所じゃわい。まさか『踊るしかばね』とは……!この老婆は生前悪行でも重ねていたのかのう?」

「んな事言ってないでさっさと退治しちゃおうよ!」

 

そう言いながらぬえはどこからか三又の槍を取り出すと、その切っ先を踊り続ける老婆に向ける。

それを見た白蓮は慌てて叫ぶ。

 

「いけませんぬえ!ほとけ様を傷つけるような事はしてはダメです!!」

「え!?でもさぁ……」

 

ぬえが白蓮に反論しようとしたその時、老婆の身体が急に大きく方向転換する。

そして今度は墓地の方向へ踊りながら向かおうとしている事に気付いた村紗が老婆の遺体に向かって叫ぶ。

 

「ちょっと!墓場(そっち)に行くにはまだちょっと速いよ!?」

「……これ以上はいけません!一輪、村紗。ほとけ様をお止めするのです!」

「はい、分かりました聖!」

「うぇぇ……」

 

白蓮からそう指示され、一輪は生真面目に返事をし、村紗は嫌々ながら、未だ踊り続ける老婆へと駆け寄る。

そして、村紗が老婆の腕を掴もうとしたその時――。

 

 

 

……バタッ……!

 

 

 

「……へ?」

 

まるで糸の切れた人形のように老婆の身体が唐突に崩れ落ち、それを見た村紗は間抜けな声を漏らした。

それと同時に今までうるさいほど響いていた祭囃子の音もピタリと止んでしまう。

その場を何とも言えない静寂が包み込み、誰も何も口を開くものはいなかった。

ただ一人、マミゾウとぬえの背に隠れていた響子だけが――。

 

「……一体、何が起こったって言うの……?」

 

誰にも聞こえないほどの小さな声でそう響き、その声は誰に届く事もなく夜の闇の中へと消えていった――。




新章開幕です。
お盆の時期にこの内容は少々不謹慎だと思ったのですが、ここはあえて投稿させていただきます。ごめんなさい。
命蓮寺組と伊吹萃香、初登場回です。

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