四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

60 / 150
前回のあらすじ。
『表』と『裏』が合わさり、四ツ谷の『最恐の怪談』の幕が上がる――。


其ノ一・結

人里のとある雑木林の中――。

そばにある繁華街の喧騒が、どこか遠くにあるかのように聞こえてくる。

隔離された幻想郷のそのまた中に、また別の切り離された空間ができたのではないかと思えるほど、その場は異様な雰囲気に満ち満ちていた。

薄暗い雑木林の中に一人と一組の存在が対峙する。

片方は黒髪に着物の上から腹巻をした四ツ谷文太郎――。

もう片方は、人里の一角に住まうごく普通の主婦()()()真澄と『清太』――。

真澄は目の前に立つ四ツ谷に警戒の目を向けながら、手に持った包丁の切っ先を四ツ谷へと向ける。

しかし、四ツ谷はそれに臆することなく、静かに、それでいてはっきりとした声で語り始めた。

 

「……『とーりゃんせー、とーりゃんせー、こーこはどーこのほそみちじゃー?』……どこから、ともなく、風に乗って歌声が響いてきます……。それは誰もが知っている童謡(どうよう)……。誰もが一度は聞くであろう童歌(わらべうた)……。それが夜の闇の中から木霊するのです……。ほら……この歌声、ですよ……」

 

そう言って四ツ谷は耳を澄ませる仕草をする。すると、雑木林に入る前まで真澄たちを追いかけていた『とおりゃんせ』の歌声が、またどこからか響いてきたのだ。

それを耳にした真澄が「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げるも、すぐにキッと目を鋭くし、四ツ谷に包丁を突きつけながら叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと貴方邪魔よ!!どきなさいよッ!!!」

「……何を焦っているのです?それ程までにこの歌声が怖いですか?神隠しを(いざな)う、この『とおりゃんせ』の歌声が……」

「あ、貴方ね!あんなおかしな怪談を人里に流して、こんな手の込んだ事をしでかしたのは!!よくもこんな酷い事を――」

 

半狂乱になって叫ぶ真澄に、四ツ谷はスッと人差し指を突きつけ、その言葉を途中で止めさせる。

 

「酷い事?これはまた異な事をおっしゃられる。()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

「っ!!?」

 

何でそれを知っている!?とばかりに真澄の顔は驚愕に染まる。

それに構わず、四ツ谷は語りを続けていく――。

 

「……それに、もはやどうこう言った所で、もう遅いのですよ……。この『とおりゃんせ』が聞こえてしまったら最後。……必ず、神隠しは起こるのです」

「い、嫌よ!清太は誰にも渡さない!!神隠しなんて起きはしない!!!」

 

『清太』を背中にかばいながら、真澄はそう叫ぶ。

しかし四ツ谷はそんな真澄に言い聞かせるようにして口を開く。

 

「『とおりゃんせ』は七歳の子供がいる家にしか現れない。……アナタが背中にかばっているその『清太』君も、七歳なのでしょう?……なら、『とおりゃんせ』の神隠しに会うのは――」

「――違うッ!!」

 

真澄の一際大きな拒絶の叫びが、雑木林の中に木霊する。

髪を振り乱し、必死な形相で強く否定し続ける。

 

「違う!違う違う違うッ!!清太は神隠しに会いはしない!!()()()()()()()!!」

「……『会うわけがない』?何故、そう断言できるのですか?」

 

四ツ谷は首をかしげて真澄にそう問いかける。それと同時に、真澄の言葉が一時的に詰まり、俯いてしまう。

何故だかは彼女自身にも分からない。だがこれ以上、目の前にいるこの男に言葉を投げかけると、後戻りのできない()()まで口走ってしまいそうで、彼女の中の本能がそれに歯止めをかけたのだった。

しかし、そんなことをしている間にも、辺りに響き渡る『とおりゃんせ』が次第に大きくなっていき、真澄の中の焦りもそれと同時に高まっていく。

もはや限界間近となり、真澄は目の前にいる四ツ谷を傷つけてでも押し通ることを決意し、再び顔を上げ……そして固まってしまった――。

 

「……何故、なのですか……?」

 

いつの間に近づかれたのか、すぐ目の前に四ツ谷の顔があったからだ――。

無表情ながらも得体の知れない迫力で覗き込まれ、真澄は尻込みする。

しかし、逃がさないとばかりに四ツ谷の眼力に射抜かれた真澄は思うように動けなくなっていたのである。

そんな真澄に四ツ谷は再び問いかける。

 

「……『何故』、なのですか……?」

「……そ、それ、は……だって……だって……!」

 

目の前の四ツ谷と周りから響く『とおりゃんせ』の歌声から真澄は次第に追い詰められ、その恐怖とこの状況に対する理不尽からなる苛立ちから、半ば無意識にその言葉を口から解き放っていた――。

 

「――だって、清太は()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

その瞬間、『とおりゃんせ』の歌声がピタリと止み、辺りは静寂に満ちた。

 

「……え?」

 

真澄は今しがた自分が言った言葉が信じられず呆然となる。

 

「……わ、私、今……なん、で……?」

 

狼狽する真澄に対し、四ツ谷は静かに目を閉じると、ゆっくりと真澄から距離をとり、静かに声を響かせた――。

 

「……そう。アナタの息子は七歳になどなってはいない。なりはしない。それは()()()()()()分かっている事なのです」

「な、何を言って――」

「――神隠しに会ったのは、『清太』君ではない」

「……え?」

「本当に神隠しに会ったのは――」

 

静かに、それでいてはっきりとした口調で、四ツ谷はゆっくりと指をさす――。

 

 

 

 

 

 

 

「――アナタですよ。真澄さん……」

 

 

 

 

 

 

 

「……は?え?わ、私が……?い、一体何を言ってるのよ!?ふざけるのもいい加減にしなさいよッ!!!」

 

ヒステリックに叫ぶ真澄とは対照的に、四ツ谷は冷静に語り続ける。

特異といえるその声は、真澄の耳から脳内へと入り、浸透していく――。

 

「……アナタは心のどこかでは()()()()()()。自分の息子が、七歳の子供ではないことを……。永遠に七歳の子供になど()()()()()()事を……」

「ち、ちが……違、う……」

「だが……()()を受け止める事はアナタにはできなかった。それ故、アナタは代わりとなる(モノ)を作り出し、それを愛でる事でいなくなった我が子の影を追いかけたのです……。そのために自らが『現実』から『幻想』の世界へ閉じこもる(神隠しに会う)結果になるとは知らずに……」

「違うッ!!!」

 

再び大きく首を振って、真澄はまた強く否定する。

 

「清太は!私の息子はここにいるッ!!話しもできるし触れられる!!幻なんかじゃない、れっきとした本物――」

「――ならば。今一度、アナタの息子をしっかりと見ておあげなさい。……先ほど清太君が七歳の子だという、『幻想』を否定した今のアナタになら、はっきりと見えるはずです。……そこにいる、アナタが自分の息子だと言い張るモノの、本当の姿が……!」

 

四ツ谷が真澄の言葉に重ねるようにしてそう響き、辺りに静寂が下りる――。

数秒後、真澄は歯をカチカチと鳴らしながら、身体を震わせてゆっくりと背後に眼を動かしながら、呟く。

 

「……せ、清太……?そこに、いるのよね……?幻な、分けないもんね……?今も、生きてるんだもんね……?」

 

そうして、視界に映った愛しの息子の姿は――。

 

「お母さん……オかあサン……おカあ、さン………オ、ガァ、ざ……ン……アァ、あアあァァ、アアァ……――……ア゛アァァ……――……ア゛アアァァ……――……ア゛ア゛ア゛ァァァァァァーーーーーーッッッ!!!

 

醜く奇声を上げる、大きな肉塊の姿であった――。

 

「あ、あああぁぁぁぁ……!!!」

 

『幻』という名のフィルターが外れ、今まで自分が愛でていた存在の正体を目の当たりにし、絶望に染まった真澄は絶叫する。

そんな真澄に肉塊は大きく口を開き、食らい着こうとするかの如く、真澄に覆いかぶさってきた。

 

「ヒィィィッ!!」

 

反射的に真澄は両腕で自分を庇う構えを取る。

その瞬間、真澄が包丁を持っているのとは反対の手、そこに握った()()()退()()()が強い光を放った。

光を浴びた肉塊は、まるで壁に突き当たったかのように大きく弾かれた。

 

――ア゛アアァァァ……!!――ア゛ア゛アアアァァァァ……!!!――

 

肉塊はそのまま地面に身体をしたたか打ちつけ、苦しそうにのた打ち回る。

そう、肉塊は『とおりゃんせ』の歌声に苦しんでいたわけではなかった。真澄が霊夢からもらい、家を飛び出してから今の今まで身に着けていた退魔札の浄化の力によって苦しんでいたのだ。

苦しみ、身悶えながら、地面を転げまわる肉塊を見て、真澄は呆然としたままカシャンと両手に持った包丁と退魔札を取り落とした。

そして、乱れた髪をさらに両手でガシャガシャと掻き乱し、双眸からボロボロと涙を流しながら叫ぶ。

 

「嫌ッ!!嫌アアァァァッ!!どうして、ねぇ、どうしてどうしてどうしてなのォ!?私は、清太さえそばにいてくれればそれで良かった!!何で、どうして私たちをそっとしてくれなかったのよおぉぉぉッ!!!」

 

慟哭ともいえる真澄のその叫びに、そばで見ていた四ツ谷が答えた。

 

「……そう。確かにアナタの為を想うのであれば、我々もアナタに干渉なんかせず、距離を置いて見守っているべきだったのでしょう。……ですが、アナタが鈴奈庵で()()()を手にしてしまった時、その状況が一変してしまった……!アナタ自身も、()()を何の躊躇いもなく手を掛けようとしてしまう程にまで……!」

 

四ツ谷のその言葉に今度は真澄は両手で頭を抱え響く――。

 

「……だ、だって……清太がもう『このお肉飽きた』って言うから……!もう、犬猫や鶏なんかのお肉じゃ食べなくなってきたから……!」

 

真澄のその答えに、四ツ谷はやや哀れみを含んだ目を彼女に向ける。

 

「……アナタはもうそこまで正常な判断ができないほど人の道から外れようとしていたのですか……?考えても見てください。アナタの息子さんは『人間の肉が食べたい』などと言う子供だったのですか?」

 

四ツ谷のその言葉に真澄は虚空を見つめながら呆然と立ち尽くすしかなかった。

もはや何も考えられない。そんな表情を顔に貼り付けている真澄に向かって、四ツ谷は再び目を閉じるとゆっくりと告げた――。

 

「――だが、まだアナタは……()()()

 

四ツ谷がそう響いたと同時に、真澄はゆっくりと顔を上げ、四ツ谷を見た。

その両目から滂沱の涙を流しながら――。

真澄のその視線を受け止めながら、四ツ谷は続け響く。

 

「まだ引き返せるのです。手遅れになっていない今なら、いくらでもやり直すことだってできます。だからこそあなたは今一度、現実世界(こちら側へ)戻って来るべきだ……!」

 

そう言って四ツ谷はゆっくりと右手を真澄に向かって差し出す。

しかし、真澄はその手を取ろうとせず、呆然とした表情のまま力なく首を横に振った。

 

「いやぁ……いや、よぉ……戻りたくない……戻れるわけ、ない……だって、そんな事したら、私は……!」

 

そう。頭の中が真っ白になっている今の真澄でも、それがどう言うことなのかおぼろげながら分かっていた。

現実に戻ることは、それは同時に『清太の死』も受け止めなければならないという事――。

彼女にとって、清太が生きているという『幻想』は、自身の心を保ち続ける最後の生命線だった。

その『幻想』だけは、どうしても失うわけにはいかない。それが失ってしまったら、自分はもう、()()()

最愛の人がいなくなってしまっては、もう自分を支え続ける事はできなくなってしまう。

だが、目から光が消え、絶望の淵に佇むそんな真澄の内心を汲み取ったのか、四ツ谷は静かに語りだした――。

 

「アナタは、本当に自分が()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「え……?」

「アナタは一人ではない。忘れてはいけません。アナタにはもう一人、()()()()()がいるではありませんか」

「あ……」

 

四ツ谷の言おうとしている事に気づき、真澄の目に光が戻り始める。

それと同時にジャリッと地面を踏む足音が真澄の背後から聞こえ、真澄は無意識にそちらへと目を向ける――。

そこへ四ツ谷の語りが雑木林の中に静かに響いた。

 

「帰っておあげなさい。現実(そこ)には、アナタが幻想(むこう)へ行った後も、いつかアナタが帰ってきてくれる事を信じ、また二人で共に歩んで行こうと――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ただひたすらに願い、そして待ち続けている者が確かにいるのですから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

真澄の目に映ったのは自分が愛するもう一人の家族であった――。

小傘に連れられて現れたその者は、真澄同様、双眸に涙を流してジッと真澄を見続けていた。

 

「……あ、あな……た……?」

「真澄……すまんッ……!」

 

その謝罪の言葉は、何に対してのモノだったのかは、周囲の者たちには分からずじまいであった。

しかし、その『声』を聞いた瞬間、真澄の顔は先ほどまで同様、涙を流しての呆然としたモノであったが、それでもどこか憑き物が落ちたかのように晴れやかなモノへと変わっていた――。

まるでお互いが惹かれあうように清一郎と真澄の二人は少しずつ歩み寄っていく。それを四ツ谷や小傘。そしてやや離れた所から、少し前に到着していた薊に金小僧、折り畳み入道に慧音とアリス()()が見守っていた――。

 

 

 

だが、これで全てが一件落着……とまでにはいかなかった――。

 

 

 

――ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアァァァァァーーーーーッッッ!!!!

 

突如雑木林に轟く咆哮。その声の出元をほとんどの者が目で追った――。

見ると先程退魔札で吹き飛ばされた肉塊が身体を起こして、亀のような速度ではあるが、真澄に向かっていく姿が目に映ったのだ。

かつて『清太』と呼ばれていたソレは、まだかなり離れてはいるが、真澄とのその距離は次第に縮めて来ていた。

それを見た周囲の者たちは一斉に戦闘の構えを取るも、それよりも先に真澄と肉塊の間に立ちふさがる者がいた――。

意外な人物のその行動に周囲が目を丸くするも、そんな彼らの事などお構い無しと言わんばかりに、その者は不気味な笑みで口を開く――。

 

「おっと、待ちなよ()()()の肉塊クン?今宵は特別だ。最後にキミの為の怪談を語ってあげようじゃないか……!」

 

異形を目の前に恐れもせず、月明かりの下に照らされた四ツ谷の顔は、確固たる自信に満ちていた――。




四ツ谷の『最恐の怪談は』まだ終わりません。次の話まで続きます。
その後、後日談を少しした後、次の章に入っていきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。