四ツ谷たちは真澄が幼い少女をその手にかけようとしている所を目撃する。
泣き疲れた少女は再び深い眠りについた――。
その間にアリスは彼女を自宅へと送り届けた。幸いにも少女の家族全員が熟睡していたため、誰も少女が寝ている間にさらわれていた事など、気付いていない様子であった。
未だ寝静まりかえるその家に、アリスは忍び込むと少女の布団にその持ち主を寝かしつけ、何事もなかったようにその場を立ち去ったのだった――。
そしておよそ一時間後、上海を回収し、四ツ谷と慧音と合流したアリスは慧音の家にいた。
どうやら真澄は先の一件のあと、すぐに自宅へと逃げ帰っていたらしく、しばらく出てくる様子がなかったため、アリスは上海を自分の所へ呼び戻したのだった――。
時刻はもうすぐ夜明けを迎える。
だがそこにいる者たちは皆、葬式の通夜のように静かであった。
慧音の家に待機していた小傘、薊、清一郎も四ツ谷たちから事のあらましを聞いて呆然となっていた。
しばらくの静寂の後、それを破ったのは清一郎の声であった。
顔面蒼白となった清一郎は俯く慧音に声をかける。
「……ほ、本当なんですか慧音先生?嘘ですよね?真澄が人様の子供を殺そうとしただなんて、そんな……」
「…………」
だが、慧音は答えない。
代わりにアリスがそれに答えた。
「残念だけど本当よ。慧音先生だけじゃない、私も四ツ谷もそれを見ている」
「嘘だ!!……真澄が、そんなことするなんて……!第一、何で真澄がそんなことをする必要が……!」
叫び声のような清一郎のその問いに、誰も何も答えなかった。
清一郎本人も含め皆、声には出さずともその答えが大体想像がついていたからだ。
肉塊のいる部屋の惨状から察するに、真澄は近所で飼われている動物たちを肉塊の餌にしていた節がある。
……もし、もし真澄がそれらの動物たちだけでは飽き足らず、もっと
そこまで考えた時、その場にいた全員の背中に何やら薄ら寒いものが走ったような気がした――。
このままでは本当にマズイ。
肉塊が真澄を襲うまでまだ一週間近くはあるとは言え、今回の事からそれよりも前に真澄が人の道から大きく外れる可能性が出てきてしまったのだ。
「……慧音先生?最近この人里内で誰かが行方不明になったとか、変死した人間がいたとかの話はなかった?」
「……え?い、いや。私が知る限り、そんな報告は来ていない」
アリスの問いかけに慧音は力なく顔を上げてそう答え、それを聞いたアリスは「そう」と短く呟く。
「……なら、あの奥さんが人間を殺そうとしたのは恐らくこれが『初犯』ね……。だとしたら、まだ彼女を引き止められる事ができるんじゃない?」
そう言うアリスの言葉に、その場にいた
そうだ、今回が人間を殺そうとした初めてのケースなら、それは未遂になったため、まだ彼女を
希望が見えて来たと思える慧音たちであったが、それに水をさすかのように先ほどとは打って変わって冷たい口調でアリスが言う。
「……でも、いつまでも足踏みしている余裕はないと思うわよ?今回は防げたけど、また彼女が同じ事をしないとは限らないしね。彼女が再犯するのが先か、肉塊が彼女を食うのが先か……どちらにしても最悪な結末しか待ってないわ」
全員が押し黙り、その場に再び沈黙が降りる。
その沈黙の間、アリスは思考をめぐらせていた。
元々、この一件はアリスには関係ない事であったが、自分の常連客が危険にさらされた事で見てみぬ振りができなくなったのだった。
最悪、
慧音の家に戻ってきてから一言も話さず終始思案顔の四ツ谷に、アリスは少々気になって四ツ谷に声をかける。
「四ツ谷さん。さっきから考え事をしているみたいだけど、何か妙案があるなら言ってみてくれないかしら?見たところ、あなた何か策を思いついているのではなくて?」
アリスのその言葉にその場にいた全員が四ツ谷に視線を向ける。
同時に四ツ谷の口元が小さくニヤリと歪んだ。それを見たアリスは自分の予想は正しかったと理解する。
しかし、その直後に四ツ谷が発した言葉は全くの予想外のモノであった――。
四ツ谷はあぐらを掻いた両膝に両肘をつき、両手の指を組んで静かに
「……『とおりゃんせ』……」
「「「…………………ハァ?」」」
唐突にそう響いた四ツ谷のその言葉に、アリス、慧音、清一郎はポカンとなってそう声を漏らした。
声こそ出さなかったものの、薊もポカンとした表情で四ツ谷を見る。唯一小傘だけが何かに気付いたらしくピクリと眉を動かしただけであった。
そんな周りの反応を無視するかのように、四ツ谷は続けて語り始めた――。
「……とある小さな集落に伝わるお噺です。その集落に住む人たちの間で
「何の話をしている!?」と慧音が叫ぼうとするも、その言葉は口から放たれる事なく途中で止まる。四ツ谷の言の葉の力なのか、彼の声が慧音の耳から脳内に反響し、自然と彼女の言葉を止めさせたのだ。それはアリスも清一郎も同じであった。
呆然としている間にも慧音たちの前で四ツ谷の噺が続く――。
「……どこから、ともなく、聞こえてくる……
『とーりゃんせー……
とーりゃんせー……
こーこはどーこの……
ほそみちじゃー……?』
……その歌声を決して聴いてはいけません。一度聞いてしまったら最後、毎夜のように『とおりゃんせ』が現れます……」
噺が進むに連れ、四ツ谷の声のトーンが次第に下がっていく。同時に誰かが固唾をゴクリと飲んだ。
「……そしてそれを聞き続けたら最後、その家の七歳の子供はどこへともなく姿を消してしまうのです……。そう――」
「――そのモノの手によってええエエエェェェーーーーーッ!!!!」
「キャアアアアアァァァァーーーー!!??」
薊の背後に指をさして突然そう叫ぶ四ツ谷に反応して、薊も悲鳴を上げて身を硬くする。
反射的に四ツ谷以外の全員が薊の背後へ目を向けるも、そこには
ポカンとなる慧音たち、そこへ四ツ谷の笑い声が響き渡った。
「ひゃーっはっはっはぁっ!!良い悲鳴だったぞ薊!ナイス絶叫イタダキマシタ☆」
「……は?いや、あの、ええと……ありがとう、ございます……?」
唐突に四ツ谷に褒められ、薊は何がなんだかわからず、そうトンチンカンな言葉を返していた。
そこで慧音がいち早くハッとなり、険しい顔で四ツ谷に詰め寄る。
「……な、何をいきなり話し始めているのだお前は!?」
「あん?聞いてて分からなかったか?俺は怪談を語っただけだぞ?」
「か、怪談って……馬鹿者が!今はそんなことをしている場合じゃ――」
そこまで言った慧音だったがすぐに何かに気付いたかのようにハッとなる。そして目を大きく見開いて四ツ谷に問いただした。
「……待て、ひょっとして……まさか、お前……!」
「……ああ、そのとおりだ……」
慧音の予想が正しいと言わんばかりに、四ツ谷は顔を不気味に歪める――。
「……今回のお題目は『とおりゃんせ』。……そして聞き手はあの奥さんだ……!」
「……な、何を考えているんだお前はああぁぁぁーーー!!??」
「グエッ!?」
半狂乱で四ツ谷の胸倉を掴む慧音。それに悲鳴を上げる四ツ谷を無視してたたみかける様に慧音は四ツ谷に怒声を浴びせる。
「分かって言っているのか!?真澄は半兵衛たちの時とは違い、まだ間に合う可能性があるんだ!!それなのに『最恐の怪談』を行おうとするなんて、本末転倒だろ!!お前は真澄を廃人にする気かぁ!!?」
「ちょっ!く、首が絞まって……!まて、まてまて、くるぐるぐる゛じい゛ぃぃーーーー!?」
「お、落ち着いてください慧音先生!」
胸倉を掴む慧音の両手が首までも圧迫する形となり、四ツ谷はその息苦しさに身悶える。
それを見た小傘が慌てて慧音を羽交い絞めにし、四ツ谷から引き離した。
ゲホ、ゲホッと咳き込んでうずくまる四ツ谷に慧音は未だ般若のような形相を向ける。
「事は真澄の精神を壊さず、あいつからどうやって肉塊を引き離すかなんだぞ!?もう少し真面目に考えられないのかお前は!!」
「はぁ……はぁ……し、失敬な。俺だって真面目だ!!悲鳴を聞くことに関しては誰よりもな!!!」
「お前っ……!!」
あんまりな四ツ谷の言い分に慧音は顔を真っ赤にし、小傘に羽交い絞めにされているのにもかかわらず、再び四ツ谷に食って掛かろうとする。
今まで黙って聞いていた清一郎も険しい顔で腰を浮かした。
そんな二人に対して四ツ谷はやや強めの声で言葉を投げかける。
「――それに……この怪談を行わない限り、
「何……?」
唐突な四ツ谷のその言葉に、一転して鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする慧音。
同時に清一郎も同じような顔で動きを止める。
それを見た四ツ谷は、自分の考えている事をその場にいる全員に打ち明け始めた。
「……いいか?事の一番の課題が、どうやってあの奥さんの精神を壊さず肉塊から引き離すかだろ?……だが、あの奥さんは肉塊を自分の息子だと思い込んで離れようとしない。自分の中の幻想を肉塊に重ねてな。彼女の中の狂気がその幻想を生み出し、肉塊に合わせていると言ってもいい……。なら、どうすればいいか。答えは一つだ――」
「――奥さんを支配している心の狂気を、
四ツ谷のその言葉にアリスがハッとなる。
「四ツ谷さん。まさかそのために?」
「ああ」
「……それで真澄を
頷いた四ツ谷に怒りを静めた慧音が再び問いかける。
それにニヤリと笑って四ツ谷が答える。
「ああ……。でなきゃ、最初っから言っちゃいねーよ。……で、お前たちはどうするんだ?俺の案に乗るのか?乗らないのか?」
今度は四ツ谷が皆に問いかけ、その場に沈黙が流れる。
だが、すぐにそれが終りを迎える。
「師匠がやるならわちきはやるよ!」
「わ、私も!四ツ谷さんを信じます!」
「……他にいい案は浮かばないし、仕方ないわね」
小傘、薊、アリスが四ツ谷に賛同する。
数秒置いて、今度は清一郎が重たい口を開く。
「……わかった。俺もそれに従おう」
「清一郎……」
苦渋の表情で頷く清一郎に慧音は眼を向ける。
その清一郎は顔を上げ、真剣な目で静かながらも迫力のある声で、言葉をつむいだ。
「……だが、分かってるな?もし失敗して真澄に何かあったら……俺は一生お前を許さない……!」
「シッシッシ!ああ……煮るなり焼くなり好きにするといい。……で?慧音先生は?」
四ツ谷にそう問われ、慧音は数秒の沈黙後、大きくため息を吐いた。
「清一郎が了承したのなら。私から言う事は何もあるまい?」
「決まりだな」
すっくと立ち上がった四ツ谷はいつもどおり不気味な笑みを顔に貼り付けながら、玄関戸へとゆっくりと歩み始める。
「俺の命と『最恐の怪談』の全てをかけて、必ずやこの怪談は成功させて見せる……!!」
そして、玄関戸を大きく開け放ち、『最恐の怪談』創り、その第一歩のために、外へと足を踏み出した――。
「さぁ行くぞ……いざ、新たな怪談を創りに……!」
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