四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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前回のあらすじ。
四ツ谷たちはアリスから肉塊の正体についていろいろと聞き出した。


其ノ五・裏

「……何故私はここにいるのかしら?」

「その台詞(せりふ)、もう三十五回目だぞアリス。いい加減諦めてはくれないか」

「そっちから他人(ひと)を巻き込んでおいてそう言いますか慧音先生?……帰っちゃっても良いんですよ、私」

 

深夜を回った夜の人里。真澄の家のすぐそばにある民家の物陰で、慧音とアリスはそんな会話を交わしていた。

困り顔の慧音とは対照的にアリスは満面の笑みを浮かべている。ただし、アリスの方はこめかみに蒼い筋の血管が浮き出てはいたが。

二人の会話をすぐそばで聞いていた四ツ谷はシッシ!と笑い、彼女たちの間に入り込む。

 

「いやだが、今の台詞はとても哲学的だったと思うぞアリス。……何故ここに自分がいるのか。それは誰にも分からない事だ。分からない事はそれすなわち『未知』だ。人は未知なるモノに恐怖し、そして悲鳴を上げる!それこそが真理であり、人が最後に行き着くカタストロフィだ!!」

「……わけ分からない事言って茶化さないでくれるかしら?四ツ谷さん」

 

アリスの怒りの矛先が慧音から四ツ谷に変わる。

しかし四ツ谷はそれでもシッシッシ!と笑みを漏らし、その視線を受け流す。

今日の昼間に、アリスから肉塊の話を聞き、肉塊が術者――すなわち真澄を襲うという話を聞いた四ツ谷たちは急遽アリスを引っ張って真澄の家に張り込む計画を立てたのだった。

その理由は簡単。アリスが肉塊を生み出していた体験者だからであった。

今現在、真澄は例の肉塊と暮らしてはいるが、彼女が肉塊に襲われている様子はない。それはつまり、肉塊が彼女を襲うようになるのには、まだ時間に有余が残っているという事だと四ツ谷たちは推察した。

事実、アリスも肉塊を生み出してしばらくしてから襲われたと証言している。

だが、有余が残っているといってもそれがいつまでなのか皆目見当もつかない。それ故四ツ谷たちは唯一、例の儀式の経験があるアリスに意見と、ついでにその肉塊を見てもらいタイムリミットがいつ頃になるか、見定めてもらうと言う事を決めたのだった。

しかし巻き込まれた当の本人は都合や拒否権など完璧に無視で話が進められたものだから、彼女(アリス)にして見ればたまったものではない。

いろいろと文句を並べ立ててはいたが、慧音の必死の説得で結局最後にはアリスの方が折れてしまい、しぶしぶ承諾するという形になってしまった。

クールな性格ではあれど結構根負けしやすく、かつお人好しなアリスの意外な一面であった。

そんなこともあって現在アリスは、慧音と四ツ谷と共に真澄の家を張り込んでいる状況になっていたのである。

ちなみに、この場には今この三人以外の者はいない。

もう寝静まる時刻とは言え、集団で行動するのは何かと目立つため、小傘や薊、清一郎は慧音の家で待機中なのである。

アリスは四ツ谷に棘のある視線を投げるのを止めて、深いため息を吐くと、真澄の家へと眼を向ける。

 

「……それで?私はあの家にいるその肉塊の様子を見ればいいのかしら?」

「ああ。だが真正面から向かって真澄がそれに会わせてくれる訳がない。どうすれば……」

 

そう言って思案顔になる慧音に四ツ谷が横から声をかける。

 

「折り畳み入道を呼んで、『箱』を通じて進入するか?」

「……そんな必要はないわ。この子がいれば十分よ。――上海(シャンハイ)

 

そう響いたアリスは、右手をしなやかに動かす。その指にはいつの間にか細長い糸が結び付けられており、その糸に惹かれるようにして、どこからか金色の髪をなびかせた小さな可愛らしい西洋人形が空中を飛びながら現れたのだ。

人形はアリスに近づくと、彼女の肩にちょこんと乗っかった。

それを見た四ツ谷はアリスに問いかける。

 

「こいつは?」

「私の最高傑作、上海よ」

「上海に侵入してもらうって言うのか?」

 

慧音の問いかけにアリスは頷いた。

 

「ええ。上海ならあの家に容易く入れるわ。でも肝心の肉塊は私自身が直接見てみないと判断がつかない。そこで――」

 

そこまで言ったアリスはパチンと指を鳴らす。するとアリスの肩に乗っていた上海がふわりと浮き上がると、彼女の前に回り込んで向かい合わせとなる。

すると次にアリスは上海の顔――正確には両目の部分に右掌(みぎてのひら)をかざし、反対に左掌(ひだりてのひら)を自分の両目にかざした。

 

「――――」

 

一呼吸の後、アリスは何かしらの呪文を小さく響いた。

するとアリスの両掌(りょうてのひら)から小さな魔法陣が現れ、一瞬のうちに消えた。

 

「何をしたんだ?」

 

慧音の問いかけにアリスは何でもないかのように答えた。

 

「別に。ただ私の視界と上海の視界を一時的に接続(リンク)させただけよ。これで上海の目をかいしてその肉塊を見る事ができるわ」

 

そう響いたアリスは最後に上海に「行って」と指示を出す。

それと同時に上海は、ヒュンと空中を飛ぶと真澄の家に入って行った。

障子を僅かに開け、家の中に入った上海は居間に忍び込む。

そこに誰もいないことを確認すると、奥の間に続く襖へとゆっくりと近づき、襖に手を掛けるとゆっくりと開けた――。

そこには清一郎と慧音が見た時ととまったく変わっていない惨状が上海の目の前に広がっていた。

服が汚れる事を恐れ、上海はふわりと空中に浮き、部屋の中央にいる肉塊に近づいた。

生き物とは違う、無機物である上海に興味がないのか、肉塊は上海が部屋に入ってきても微動だにしない。ただ呼吸だけをしているだけでそこに存在していた。

 

「うぷっ。話では聞いていたけど酷い光景ね。私の時はここまで酷く散らかしはしなかったわよ」

「……それで?奴は今どうしてる?」

「大人しいものよ先生。生き物じゃない上海に見向きもしないわ。近づいても何の反応も無しね」

 

慧音にそう言いながらアリスは上海の目を通して肉塊を観察し始めた。

 

「これは……予想以上に()()()()()()……。この様子から見て、彼女が襲われるとすれば一週間以内って所かしら……?」

「育つ?あれがか……?」

 

慧音にそう問われ、アリスは再び頷いた。

 

「餌をあげれば、少しは、ね……。ひょっとしたら、餌をあげてそうやって育たせるから術者が食べられるのかもしれないけれど、はっきりとは断定できないわ」

 

そこへ四ツ谷がアリスに声をかける。

 

「さっき一週間以内といったが、もう少し正確な時期を割り出せないのか?」

「難しいわね。儀式を行っていた当時だったら、明確な時期を()()()()()かもしれないけど、今は全然……。だいたいこの儀式をやったのもだいぶ昔の話でね。細かい所はうろ覚えなのよ。当時記録していた研究資料も、自立人形開発の役に立たない事が証明されるとさっさと処分しちゃったしね。……こんな事なら処分しなきゃ良かったわよ」

 

深いため息を吐いたアリスは、もうここには用はないとばかりにさっさと上海を回収しにかかった。

しかし、その行動が途中で止まる。

 

「……あら?」

「ん?どうした?」

 

四ツ谷がアリスにそう声をかけたと同時に、ガラガラガラと唐突に真澄の家の玄関戸が開く音が響いた。

その音を聞いた四ツ谷、アリス、慧音の三人は反射的に音のした方へと眼を向ける。

するとそこには今まさに玄関から外に出ようとする真澄の姿があった。

真澄は家の中――正確には清太だと思っている肉塊へと向けて抑揚のない声を放つ。

 

「じゃあね清太……。すぐに戻ってくるから、いい子にして待っているのよ?」

 

そう一方的に言った真澄はゆっくりとした足取りで、夜の人里の中を歩き始めた。

その背中を四ツ谷たちは無言で見つめるも、すぐに慧音が口を開いた。

 

「……こんな夜更けにどこへ行こうというんだ真澄は?」

「さァな。……だが、なーんか胸騒ぎがするな。着いて行ってみるか」

「……あの肉塊の方はどうする?」

「放置だ。今下手に手を出したら、あの奥さんが帰ってきた時どうするんだよ」

 

四ツ谷と慧音がそういう会話をしている間に、アリスは上海を回収し、二人の会話に混ざってきた。

横で上海をふよふよと浮かせながら、アリスは欠伸をかみ殺し口を開く。

 

「行くならさっさと行きましょうよ。私もさっさと終わらせて速く帰って寝たいわ」

「……一緒に来てくれるのか?」

「乗りかかった船よ」

 

本来なら肉塊の観察だけで終わるはずだった役目だというのに、慧音の問いかけにアリスはきっぱりとそう返して見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の人里の闇の中を、提灯も持たずゆっくりとした足取りで真澄は歩く。

少し距離を置きながら、四ツ谷たちも真澄の後を追った。

しばらくして、真澄は寝静まったある一件の民家の前にたどり着く。そしておもむろに自分の着物の袖から手ぬぐいを取り出すと、それで頭を覆って『ほっかむり』にし、静かにその民家に敷地へと足を踏み入れていった。

それを見た四ツ谷たちは眉根を寄せる。

 

「ん~?こんな時間にこの家に用があるのか?」

「わからない……」

 

四ツ谷がそう言って首をかしげ、慧音も理解できないとばかりにそうポツリと呟く。

そこへ民家の玄関付近をじっと見ていたアリスが二人に問いかけた。

 

「ねぇ、何か変じゃない?」

「?何がだアリス」

「先生。普通他人の家を訪問した際は、玄関戸をノックするか、中にいる家人に聞こえるように声を上げるとかするんじゃないかしら?……でもそんな音も声も全然しないわよ?」

 

そう言えば、とばかりに四ツ谷と慧音は真顔で民家の方へと再び眼を向けた。

そしてしばらくして真澄が民家からゆっくりと出てきた際、三人は驚きで目を丸くする。

 

「「「!?」」」

 

真澄の腕の中には、まだ幼い寝巻き姿の小さな少女が抱えられていた――。

恐らくこの民家に住んでいるのだろうその少女は、熟睡しているのか真澄に抱きかかえられているのにも気付かずに、スゥスゥと静かに気持ちよさそうな寝息を立てていた。

真澄はその少女を起こさないように慎重な足取りで再び夜の人里の中を歩き出す。

そんな真澄の姿を半ば呆然としながら見つめる四ツ谷たち。

数秒の静寂後、最初に四ツ谷が口を開いた。

 

「オイ、あれってどう見ても拉致じゃ――」

「馬鹿な!真澄がそんなことするわけないだろう!!」

 

そう叫んで四ツ谷にくってかかる慧音を押しとどめるようにして、アリスが静かに声を響かせる。

 

「落ち着いて先生。……とにかく後を着けて見ましょう」

 

アリスの言葉に慧音も渋々頷いて同意する。

それを見届けたアリスはチラリと真澄を――正確には真澄に抱えられている少女へと眼を向ける。

 

「あの女の子……まさか……」

 

小さく響かれた声であったが、そばにいた四ツ谷はアリスのその声を敏感に聞き取っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばしの間、少女を抱える真澄を距離を置いて四ツ谷たちが後を着ける状態が続いていたが、やがてそれも終りを迎える事となる――。

人里の人気の無い開けた土地があり、そこへ真澄が向かおうとしている事を慧音とアリスはほぼ同時に気付いた時、怪訝な顔をして四ツ谷は二人に声をかけていた。

 

「なぁ、さっきからあの奥さん何かブツブツ言ってねえか?」

「何?……確かに何か言っているようだが……」

 

四ツ谷にそう問われ、慧音も耳を済ませてそう同意する。

運がいいのか、今真澄は四ツ谷たちから見て風上に立って歩いており、その独り言のような小さな声が、風に乗って風下を歩いている四ツ谷たちの耳にかろうじて届いていたのだ。

しかし、あまりにも小さな呟き声なため、四ツ谷たちは真澄が何を言ってるのかわからない。

そこで再びアリスが行動を起こす。

 

「ちょっと待ってて、もう一度上海を使うわ。今度は聴覚を接続(リンク)させて、彼女が何を言ってるのか聞き取ってみる」

 

そう言って手早く自身の耳と上海の耳を接続させたアリスは、素早く上海を真澄へと飛ばす。

何か思いつめるような顔で一人ブツブツ呟く真澄は、上海が自身の真後ろに来ていることも気付いていないようだった。だが上海の方はこれ幸いにと、真澄が何を言っているのか聞き取るため、耳を傾けた――。

そして、その声の内容がはっきりとアリスの耳に届いた時――。

 

「え……?」

 

アリスは一瞬面食らった表情を作った。

 

「どうした?」

 

慧音の問いかけにアリスは半ば呆然としながら、言葉の内容を四ツ谷と慧音に聞こえるように響かせた。

 

「……『これも清太の、ため』……?」

 

そうアリスが響いたほぼ同時に、真澄は空き地の中へ入っていた。

そして近くの木の根元に少女の背を預けさせるようにして寝かせると、右手を自身の背後――自身の着物の結び目の中に手を突っ込むと、そこから()()()()()()()()()()を取り出して見せたのだ。

 

「え……?」

 

その光景に慧音は呆然となり、四ツ谷とアリスは瞬時に顔をこわばらせる。

真澄は出刃包丁に巻かれた布を無造作に解くと、包丁を頭上高く掲げ、今もなお静かに眠っている無垢な少女の心臓へと狙いを定めるようにして振り下ろさんとし――。

 

「何やってるの!!」

 

唐突に響き渡ったその声に、真澄はビクリと大きく反応し、同時に眠っていた少女もゆっくりと眼を開け始める。

それを見た真澄は慌てて空き地から走り去っていく――。

先ほど叫んだ声の持ち主は意外な事にアリスであった。アリスは逃げていく真澄に向かって上海を放つ。捕まえるためではない。彼女がこの後どう行動するのか監視するためだ。

そうしてアリス自身は上半身を起こして小さな手で目を擦る少女に駆け寄った。

少し遅れて四ツ谷もそれに続く。

 

「あなた、大丈夫!?」

 

少女の両肩に手を置いて、怪我がないか確認するアリス。

そんな突然現れたアリスに少女は最初、キョトンとした表情を向けるも、自分が今家ではなく見知らぬ空き地にいることや、本能的に何か怖い目に会いそうになったのを周りの様子から察したのだろう。

 

「……う、うわぁ~~~ん!!!」

 

瞬く間に少女の顔が歪み、泣きじゃくりながらアリスに抱きついてきた。

そんな少女をアリスは抱きしめ返し、優しく背中をさする。

その様子を見た四ツ谷はアリスに問いかけた。

 

「なぁ、ひょっとしてその子は……」

「ええ、人形劇(うち)の常連よ。さっき見たときまさかと思ったけど……こんな事になるなんて……」

「……やっぱりな、どうりで見たことあるような顔だと思った」

 

アリスの答えに、四ツ谷も納得する。

今日の昼間にアリスの人形劇を見に来た子供たちの中に、この少女もいたことを四ツ谷はわずかながらに覚えていたのだ。

そこへ唐突にジャリッと四ツ谷の背後から足音が聞こえた。

四ツ谷が振り向くと、そこには放心状態の慧音が立ちすくんでいた。

慧音は今しがた起こった出来事が未だ信じられないようで、何かにすがるような面持ちで四ツ谷に声をかける。

 

「……よ、四ツ谷。今、真澄は一体……。み、見間違いだよな……?」

 

慧音のその様子から四ツ谷は彼女の心中を察する。

無理もない。かつての教え子が、犬猫だけでは飽き足らず、今度は()()にまで手を出そうとしていたなど――。

だが四ツ谷はあえて慧音のそのささやかな懇願を突き放すかのように首を横に振った。

 

「……残念だがな慧音先生。俺にもこいつ(アリス)にも、先生が見間違いだと思っているモノがはっきりと見えていたよ」

 

四ツ谷のその言葉に、アリスは少女を抱いたまま小さく頷いて同意し、それと同時に慧音はまるで糸が切れたかのようにその場にペタンと崩れ落ちた――。




二、三週間ほど間を空けてしまい申し訳ありません。
話の細かい所を考えるのに少々難航してしまいました。
投稿をお待ちしている皆々様には頭が下がる思いです。

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