四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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あらすじ、再開です。

前回のあらすじ。
四ツ谷たちは、路地で一人泣く慧音を見つける。


其ノ三・裏

四ツ谷たちが一人すすり泣く慧音を見つけたのは、全くの偶然だった――。

たまたまその日、薊の母親である椿の祝言の為の必要な道具や、今日の昼食の買出しのために四ツ谷は小傘と薊の手伝いに同行していたのだ。

ひとしきり必要なものを買い込んだ四ツ谷たちは帰路に着くため、近道でその路地に入ったのだが、そこで運よく慧音を見つけたというのが事の顛末であった――。

四ツ谷たちの手を借りて自宅へと戻った慧音は、服や身体についた血や汚物を洗い落とすため、一度風呂に入った。

そして長襦袢に着替え、心身ともにさっぱりした所で手ぬぐいで髪を拭きながら、慧音は四ツ谷たちの待つ居間へと戻って来たのだ。

しかし、居間に戻ってきた慧音は目を丸くする。

風呂に入る前よりも明らかに居間にいる人数が一人増えていたからだ。

慧音に気付いた四ツ谷が口を開く。

 

「おお、出たか慧音先生。ついさっき、この男――清一郎つったっけ?……がここにやってきたんだが、どうも先生が今関わっている一件の重要人物らしいって言うんで、ちょっと話を聞かせてもらったぞ?」

 

四ツ谷のその言葉に清一郎は慧音に軽く会釈する。

その清一郎はどこか落ち着きがないように見える。それは最近人里で()()になっている四ツ谷や小傘がいるせいだろう。

赤染傘としての小傘の噂は清一郎の耳にも入っており、その彼女を連れまわす四ツ谷の存在もそれと同時に知っていたのだ。

だが、自宅であの肉塊の異形を見てしまっていたためか、まだ人間の姿を取っている四ツ谷や小傘に対してはまだ親しくとまでは行かないが接する事はできたのである。

そんな四ツ谷たちに慧音は小さくため息をつく。

 

「……そうか。それじゃあもう大体の説明をする必要はなさそうだな」

 

そう言って慧音は四ツ谷たちのそばに歩み寄り、彼ら四人の輪の中に自らも加わった。

薊の横に腰を下ろし、「ふぅ……」と小さく息を吐く慧音。そんな慧音を他の四人がジッと見ていた。

 

「?……何だ?」

 

その視線に気付いて首を傾げる慧音。それと同時に四ツ谷たちはそれぞれ明後日の方へそっぽを向いた。

四ツ谷と清一郎にいたってはそっぽを向くだけでなく、頬にわずかに赤みが差しているように見える。

眉根を寄せる慧音に、苦笑しながら小傘が口を開いた。

 

「あーそのー、慧音先生の今の姿がちょっと目の毒なんじゃないかと……」

「え、ま、まさか、見えてるのか!?」

 

慧音は慌てて自分の身体を見下ろし、確認する。

しかし、分厚めの長襦袢は女性として肝心な所は完全に隠しており、生地が濡れて薄っすらと透けているという様子でもない。

別にどこもはだけている訳でも、露出しているわけでもないというのに妙な反応を見せる四人に慧音は再び首をかしげた。

 

「何だ?別にどこもおかしい所はないのだが?」

「あーはい。確かにそうなんですけど。そのー、湯上りの慧音先生ってどうにも色っぽくて、ちゃんと隠してても同性の私でもちょっとドキドキしてるっていうか……」

 

そう言って小傘は再び苦笑した。

美人の湯上り姿とはどうにも目に付いてしまう。どんなに面積の広い服を着ていても、そこから溢れる色香はそうそう隠し切れないものもある。

特に里一番の美女と歌われる慧音はその素材も上物であった。

長襦袢の間からのぞく湯の熱で火照った肌や顔、まだ乾ききっていないしっとりとした銀髪、そして長襦袢の上からでも隠しきれない慧音の均整の取れた身体の曲線。

それぞれが慧音の『美』を高め合い、周囲の意識を惹き付けていたのである。

女性経験のない四ツ谷はおろか、既婚者の清一郎、そして同性である小傘と薊でもこれである。

その破壊力は想像を絶すると言っていいだろう。

だが慧音本人にして見れは四ツ谷たち四人に呆れた目を向けざるおえない。

たった今、風呂に入ってきたばかりなのだから、こうなってしまうのは当たり前だ。

もっと分厚い生地の着物をこの長襦袢の上から着ればいいのかもしれないが、残暑が残るこの季節、風呂上りだというのにすぐに汗をかいてしまう行為は些か抵抗があった。

さっきよりも深いため息をついた慧音はこの妙な空気を払拭するかのように「コホン」と大きく咳払いをした。

 

「私ばかりに意識してても仕方ないだろう。今話さなきゃならないのは真澄の事だ」

 

慧音のその言葉にようやく四ツ谷たちはそっぽを向いていた顔を元に戻した。

それぞれが真剣な様子を見せていることを確認すると慧音は清一郎の知らない、自分が真澄と接触した時の状況を四ツ谷たちに語り始めた。

ひとしきり慧音が語り終えると、薊が口を開いた。

 

「その……肉塊の異形は危険なモノなのですか?そうでないのなら別に今すぐにどうこうする必要はないんじゃ……」

「いや、ほっとくわけにはいかない。……あの部屋の惨状……とても友好的な怪異が潜む所じゃない。それに――」

 

そこまで言って、慧音はゆっくりと目を閉じ、再び開けると続けて口を開いた。

 

「……ひと目見て分かった。アレは危険な存在だと……。アレを知ってるわけでも、ましてやそれ相応の理由があるわけでもない。ただ、私の中の本能が激しく警鐘を鳴らしていた。このまま放置していたら周囲の人たちにも危害が及ぶかもしれないと……」

「俺も……そう思う……」

 

慧音の言葉に、清一郎はポツリとそう同意する。そして続けて言った。

 

「先生の言うとおり、俺もひと目見てアレがヤバイモノだってことが否応にも分かった。……どこから現れたかは知らないが、真澄がアレを「清太」と呼んで今も身を寄せ合って生活していると思うと、とても耐えられない……!」

 

ひねり出すようにそう響いた清一郎は、次の瞬間、うずくまる様にして頭を抱え、そして叫んだ。

 

「だが、それ以上に怖い!あの家に戻るのが!!今すぐアレから真澄を引き離したいのに、体が言う事聞かない!!アレを初めて見た時だって、自分可愛さに真澄を置いて一人だけ逃げちまった!!真澄(あいつ)の夫だって言うのに、なんて情けねーんだよ、俺はッ!!」

「清一郎……」

 

悲痛な清一郎の叫びに、慧音もどう声をかければ良いか分からないといった様子だ。

そこへ小傘が声を上げる。

 

「なら、霊……博麗の巫女様に頼むというのは?彼女ならすぐに退治してくれるはず――」

「――いや、止めとけ小傘」

 

そこまで言った小傘に、今まで黙っていた四ツ谷が待ったをかけた。

「何故?」と言いたげな小傘に四ツ谷は続けて言う。

 

「その化物を奥さんが『自分の息子』だと思い込んでるんだろ?今、あの巫女に頼んで化物を殺して見ろ、それは奥さんにとって『自分の息子』を殺されたのも同義だ。奥さんの今の『容態』でそれをやって見ろ、どうなるかくらい……容易く想像つくだろ?」

 

四ツ谷のその言葉にその場にいる全員がハッとなる。

おそらく今の真澄は自分の中の幻想の「清太」をその異形に重ね合わせて見ている状態なのだ。

そんな彼女から異形を引き離し、それを殺すという事は、同時に彼女の中の幻想(清太)までも壊すという事になる。

そうなったらもう、彼女自身も完全に現実の前に壊れてしまい、下手をすれば()()()()()にまでなってしまうかもしれない。

 

「じゃあ……じゃあ、どうすればいいんだ!?」

 

そう叫ぶ清一郎を前に、四ツ谷はしばし沈黙するも、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「……事は繊細(デリケート)な問題だ。これを解決するには慎重に事を進めていかなければならない。……そのためにはもっと情報が必要だな……」

 

そう言って四ツ谷は清一郎を見つめて、問いかけた。

 

「……その奥さんの様子がおかしくなったのはいつからだ?何も昨日、突然ってわけじゃないんだろ?」

「あ、ああ……。確か一週間ほど前からか……あのバケモノがいる奥の間を独占し始めて、俺をその部屋に入らせようとしなくなったんだ。その頃から微かに異臭も漂ってきてはいたが、まさかあんなのがいるなんて……」

「一週間ほど前?……その時何か変わったことはなかったのか?」

 

再びの四ツ谷の問いかけに、清一郎は眉根を寄せて考える。

そして直ぐにハッとなった。

 

「そうだ。鈴奈庵だ……!」

「鈴奈庵?」

 

首をかしげる薊に清一郎は強く頷く。

 

「貸本屋『鈴奈庵』。あいつ週に一度、そこで本を借りて読書するのが趣味だったんだが、奥の間を独占し始めた日も、その鈴奈庵に行く日で……そう言えばそこから帰ってきた時のあいつ、妙にウキウキしてたな……。何か()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って感じの、そんな嬉しそうな顔だった……」

 

清一郎がそこまで言った途端、すっくと四ツ谷が立ち上がった。そして全員を見下ろして静かに響く――。

 

「行ってみる必要がありそうだな……鈴奈庵に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一週間前、ですか……?ええ、来ましたよ真澄さん」

 

長襦袢から私服に着替えた慧音と清一郎、そして四ツ谷、小傘、薊の五人は全員で鈴奈庵を訪れていた。

突然団体で来た四ツ谷たちに看板娘である本居小鈴は一瞬目を丸くするも、直ぐに客として迎え入れ、慧音の「真澄が一週間前にここに来たか?」という質問に、そう答えていた。

「やっぱり、そうか……」と響く慧音に代わり、今度は四ツ谷が小鈴に問いかける。

 

「それで?奥さんはその日、一体どんな本を借りてったんだ?」

「あ、はい。昨日返されてきたばかりなので、まだ本の内容は覚えていますよ?ちょっと待っててください、今持って来ますので」

 

そう言って小鈴はパタパタと陳列する本棚の中へと入っていき、五分もしないうちに問題の本、四冊を持って四ツ谷たちの元に戻ってきた。

机に広げられたその四冊の本の()()()()が、裁縫や料理に関する教本であったが、一冊だけそれらとは全く関係のない異質な本が混ざっている事に四ツ谷は気付いた。

四ツ谷はその本を手に取り、眉根を寄せてその本のタイトルを独り言のように呟いた――。

 

 

 

 

 

「『世界の魔術図鑑』……?」

 

 

 

 

 

「あー、その本ですか?私も随分変わった本を借りていくなーってその時思いました」

「……奥さんがコレを借りてったのか?」

 

四ツ谷の問いかけに、小鈴は頷く。

 

「何でも子供向けに書かれた()()()みたいなんですけれど、(イラスト)や漢字を控えめにした大きな文字を使って分かりやすく魔術が書かれているんですよ?」

「なっ!?そんな魔導書めいた本を一般向けに出しているのかお前は!?」

 

小鈴の説明に驚いた慧音はそう小鈴に食ってかかった。

しかし小鈴はいたって涼しい顔で答える。

 

「大丈夫ですよ。例えその本の内容を見て実験しようとする人がいたとしても、()()()()()()()()()

「何?どう言うことだ?」

「いやだって……その本に書かれている魔術、()()()()()()()()()()

「何だと……?」

 

目を丸くする慧音をよそに小鈴は四ツ谷の持つ問題の本を指差して説明する。

 

「先ほど言ったでしょ?『子供向け』だって……。おそらくこの本を書いた著者は子供たちに魔術に興味を持たせる『戯作本』としてこれを書いたんじゃないかと思います。よくよく内容を見れば『嘘っぱちだ』、と分かる部分があちこちにありますしね。……実を言うと昔私もこの本の内容に沿って、いくつか魔術の実験をした時があったんですよ」

「……え!?大丈夫、だったの……?何か起こったりなんかは――」

 

薊が心配そうに小鈴にそう問いかけるも当の小鈴本人は肩をすくめて首を振った。

 

「ぜーんぜん!なーんにも起こらなかったですよ?だから私も一般向けに出してもいいと判断して本棚に入れてたんですから」

 

小鈴が薊にそう説明している間も、四ツ谷はその本をじっと見つめていた。

そんな四ツ谷に慧音が声をかける。

 

「……気になるのか?その本が」

「ああ……。だが俺は()()()じゃないから、この本に奥さんが変わってしまった要因があるのかどうか分からないがな」

「専門家、か……。ん、まてよ?もしかしたら明日ならその専門家に会う機会があるかもしれない」

「何?本当か?」

 

慧音の言葉に、四ツ谷は顔を慧音に向ける。

それに頷いた慧音は続けて口を開いた。

 

「ああ、毎週決まった日の決まった時間に、人里を訪れて子供たちに人形劇を披露してくれる魔女がいるんだ。……と言うか、お前も前に宴会で顔ぐらいは見ているはずだ――」

 

 

 

 

 

 

「――彼女の名は、アリス・マーガトロイド。『七色の人形遣い』という二つ名を持つ、れっきとした魔法使いだ」




次回、アリスが本格的にこの話しに関わってきます。

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