四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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其ノ一・裏

――最近、真澄の様子が変だ……。

仕事を終え、家路へと向かう俺――清一郎は、そんなことを思い、悩んでいた。

様子がおかしいのは()()()()()()()()()のだが……。ここ一週間、それに輪をかけて奇行が目立つようになった。

最初に様子がおかしいと感じたのはそう……確か、真澄が趣味の読書のために鈴奈庵から本を借りてきて直ぐだったか……。

突然、奥の間の出入りを禁止され、真澄はそこに長い時間篭るようになってしまったのだ。どうしてか問いただしても、「大丈夫、ちょっとの間だけだから」と言って笑ってはぐらかされてしまうのだ。

おかしいのはそれだけではなかった。家に帰る度に鼻につく微かな異臭が漂っており、それが日に日に濃くなっているような気がする。雨戸や障子なども一日中閉まりきりにしていると近所の人たちから聞いたこともあった。

一体真澄は何を考えているのだろう……?

俺は深いため息をついて、歩きながら夜の空を仰ぎ見た。

 

(ああ、真澄……俺は一体お前にどうしてやるべきだったのだろうな……)

 

そんなことを思いながら、俺は過去を振り返っていた――。

 

 

 

 

 

清一郎と真澄との付き合いは、二人がまだ慧音が教師を勤める寺子屋の生徒の時から続いていた――。

その頃から二人は傍目から見ていても思想相愛の仲で、近い将来夫婦になるだろうと周りの者たちはそう噂していたほどであった――。

寺子屋を卒業した後も二人の交流は続き、時がたつに連れ二人の距離も次第に近づき、より深いものになっていた。

そろそろ自分と夫婦(めおと)になってほしいことを真澄に伝えようかと、清一郎がそんなことを考え始めていた時、事件は起こった――。

 

金貸し半兵衛の息子――庄三の手によって、十七になったばかりの真澄がかどわかされてしまったのだ――。

 

清一郎と真澄の両親がそれに気付いた時には全てが遅すぎた。

失踪して二日後の朝に庄三の手によって身も心もボロボロにされた真澄が両親の元に帰って来たのだ。

見るに痛ましい真澄のその姿を見て、真澄の両親は泣き崩れ、清一郎は怒りのあまり、庄三の元に殴りこみをかけていた。

だが庄三の屋敷に着くなり、清一郎は庄三の配下の者たちに阻まれ、庄三本人に会うこともできず、その配下の者たちに酷い暴行を受けて医者の世話になる羽目になってしまったのだった。

結局、庄三の事に対しては泣き寝入りするしかなく、傷が癒えた清一郎はやむなく真澄の治療に全力を注ぐ事を決めた。

心に深い傷を負った真澄は寝食などの最低限の生活行動以外は何もすることはなく、ただ自室に篭ってぼんやりとした目で塞ぎ込むようになってしまった。

何とか外に連れ出そうと彼女の両親はいろいろと手を尽くすも、その度に彼女は強く拒絶し、酷い時は周りの目も気にせず暴れる始末であった。

特にあれほど仲の良かった清一郎にでさえ、『異性』だという理由だけで強い拒絶反応を見せ、手当たり次第に物を投げつけてくるほどであった。

重傷と言っていいほど心を病んでしまった彼女であるが、それでも清一郎や真澄の両親はできうる限りの手を尽くして彼女と接してきた。

そのかいあって、彼女の症状は時間がたつと共に次第に緩和されていき、回復の兆しが見えるまでになった。

そしてついには、普通に会話ができるまでに改善され、清一郎たちは大いに喜んだのだった。

これを機に乗じ、清一郎は真澄に自分と夫婦になってもらえないかと告げる。

最初こそ躊躇っていた真澄だったが、清一郎の必死の説得で、最後には首を縦に振って了承の意を伝えた。

 

それから直ぐ、二人は祝言を挙げ、夫婦となって暮らすようになった。

 

その頃にはもう、心に深い傷を負って病んでいた彼女は鳴りを潜め、以前のような笑顔を見せるようにまでなったのである。

裕福とは言えずとも、ささやかな幸せをかみ締めていく清一郎と真澄。

そんな二人の間に子供ができることとなった――。それが清太である。

清太が生まれたことで、真澄の顔により一層の笑顔が浮かぶようになった。そんな彼女の様子を見て、清一郎ももう大丈夫だろうと心底安心したのだった。

そしてそんな日々が数年の間、なんら変わりも無く穏やかに過ぎって行った。

だが……再び、清一郎と真澄に悲劇が降りかかる事となる――。

 

五歳になった清太が友達と遊んでいる最中に、誤って井戸に落ちてしまい、()()()()()()()――。

 

井戸から引き上げられたときには、清太は既に事切れており、それを見た真澄は気が触れたかのようにその場で絶叫した。

清太の亡骸を見た清一郎もその場で呆然とし、周りの者たちも誰も真澄を落ち着かせようとする者はいなかった。

この瞬間、真澄の塞がれていた心の傷が再び開くこととなる――。

 

それから清太の葬式の後、以後彼女は何も無い空間に清太の名を呼ぶようになったのである。

 

誰もいない空間に笑いかけ、話し掛け、食事時には()()()のお膳を用意するまでに彼女の奇行は目立つようになった。

まるでそこに、死んだ清太がいるかのように――。

近所の者たちも気味悪がり始め、清一郎は何度も真澄に清太が死んだ事を伝えたが、彼女はがんなりと聞き入れようとしなかった。

意を決し、清一郎は永遠亭に真澄を連れて診て貰うことにした。

だがひとしきり診断した後、そこの薬師、八意永琳の口から出た言葉は「治療拒否」の意だった――。

何故か、と動揺しながらそう問い詰める清一郎に永琳は落ち着いた口調で、清一郎に言い聞かせるようにして言った。

 

『いくら私の薬でも、心を治すなんて事はできはしないわ。なにかしらの術を使って記憶操作や精神操作をすれば一時期は改善されるでしょう。でも後々、自分の記憶や周りの状況、言動に決定的な齟齬(そご)があることに気付き、彼女は今以上に病んでしまう危険性があるの。私が言えるのは唯一つ、何もせずにただ時間が解決してくれる事を願って彼女を見守る事のみよ』

 

無情なその言葉に清一郎は愕然となる。そんな彼に永琳は『そもそもよ』と続けて口を開く。

 

『彼女のあれはね、一種の()()()()()()なのよ。ああいう言動を取る事で彼女は自分の心を無意識に守ろうとしているの。自分の息子はまだ生きている。そう思い込むことで平静を保とうとしているのよ。……もし、それでも彼女をその幻想世界から現実世界に引き戻そうと思うのなら、覚悟なさい。それは心の防衛措置が外れた時、彼女の心が無情な現実に押しつぶされる時なの。……そうなってしまってはもう、取り返しはつかない。彼女は前回のような……いえ、前回以上の傷をその心に受けることになるわ。……もう二度と、ろくな会話もできないほどに、壊れてしまうから……』

 

以来、清一郎は永琳のその言葉を守り、真澄に何もせずただ時間が解決してくれるのをひたすらに待ち続けた。

それからもう二年は経った。真澄は未だに回復の兆しは見えていない。

彼女に対して何もしてやる事ができない清一郎はただただ、己の不甲斐なさに苛立ちをつのらせるだけであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら清一郎は自宅の玄関前に立っていた――。

真澄との過去を振り返っている間にいつの間にか自宅へと着いていたらしい。

思考を一端止め、今は真澄に帰って来た事を伝えよう。清一郎はそう思い、目の前の玄関の戸を開けた。

 

「ただいまー!」

「あら、清一郎さん。おかえりなさい!」

 

清一郎の声に、すぐに真澄が出迎えてきた。そして、清一郎を居間へと連れ、そこに用意されていた()()()の夕飯のお膳の一つ、その前に真澄は清一郎を座らせる。

清一郎は自分の目の前にある夕飯を見て目を丸くする。

いつもよりも豪華な料理が、お膳一杯に所狭しと並べられていたからである。

 

「お、今日は偉く豪勢だな」

「そりゃそうよ。何てったって私たちの最愛の息子の誕生日ですもの。財布の紐も緩むわ」

 

真澄のその言葉に清一郎の顔に一瞬暗い影を落とす。

そうだった。と清一郎は思い出していた。

今日は清太の誕生日だ。生きていれば七歳になっているはずのあの子の誕生日。清一郎はそのことをすっかり忘れていたのである。

 

「……そうだな」

 

上機嫌な真澄の声に清一郎はそっけなくそう返してしまっていた。

思えば清太関連となるといつもこうなってしまう。もういない清太に向かって真澄が一人で話し掛け、笑いかけるのはまだいい。

だが、それを自分にまで振ってくるとどう答えていいかわからない。

そのため()()()()()()()()()清太に愛想の無い言葉をかけてしまう自分がいたのだ。

しかし、何もいないとわかっているとは言え、自分にとっても最愛の息子だった清太に冷たい態度を取ってしまうのは清一郎としても胸が少し痛む思いだったのである。

そんな清一郎の気持ちに気付いていない様子で、真澄はウキウキとした口調で口を開いた。

 

「うふふ!それじゃあ三人で一緒に食べましょう!待ってて、今清太呼んでくるから!」

 

そう言って真澄は立ち上がり、隣の――()()()へ続く襖の前に立つと、それを大きく開けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

襖が開いた途端、そこからむわり、とした吐きそうなほど鼻の曲がる異臭が奥の間から溢れ出て、あっという間に居間全体に蔓延した――。

 

だが、今の清一郎はそれを気にしている余裕など微塵も無かった――。

文字通り、()()()()()()()()()()見てしまい。恐怖で頭を真っ白にしてその場で固まってしまっていたのだ――。

 

何も飾り気の無かったはずの奥の間のそこかしこに大量の血がべっとりとついており、部屋全体を赤い斑模様に染めていたのである。

壁には血だけでなく、何かしらの呪文が書かれた紙が何枚も部屋のあちこちにベタベタと張られており、畳が敷いてある床には、大量の血液に混じって、鶏の羽や猫の尻尾、さらには犬の首らしきモノまで転がっていた。また、排泄物を思わせる汚物や残飯らしき物体もあちこちに落ちて、奥の間の畳のほとんどがそれらで穢され、異臭の原因となっていたのである。

 

そして、その奥の間の中心に、()()は居た――。

 

奥の間の中心に立てられた、蝋燭の火に照らされたソレは、子牛ほどの大きさをした()()()()()()だった――。

ブヨブヨの胴体に手足のような大きく太い突起が生えており、それらを使ってバランスを取って立っているのが分かる。そしてその肉塊の頭部は胴体と融合しているのか、首といえる部分が何処にも無く、ただその部分に両目と口だとおもしき大きな『くぼみ』が空いているだけであった。その『くぼみ』の中は何も無く、ただそこから黒い闇が広がっているだけであった。

また、口だと思える『くぼみ』からは、白い泡のようなものを吐きながら、鴉の鳴き声にも似た奇声をそこから発せられていた――。

あまりにも唐突に見せられたその光景に、清一郎は顔を真っ青にして、歯をカチカチと鳴らしていた。

そんな清一郎の様子に気付かず、真澄は奥の間へと足を踏み入れる。

クチャリ、クチャリと、血だまりや汚物などを踏みつけても真澄はまるで気にする様子も無く、中央にいる肉塊へと歩み寄った。

そして、目線を合わせるかのようにして真澄はその肉塊の前にしゃがむと愛しげにその肉塊へと声をかけた。

 

「さぁ清太。晩御飯よ、一緒に食べましょう?」

――……ア゛ァーー……

「ふふふっ、清太その着物、すっごく似合うわよ?」

――……ア゛ァーー……――……ア゛ァーー……

 

真澄はその肉塊にかぶせられた着物を見てそう言葉を肉塊に投げかける。

今日買ってきたばかりの子供の着物であったが、肉塊の体表からにじみ出る体液や周囲の汚物で、新品とは思えないほど汚れきってしまっていた。

清一郎は未だ目の前で起こっている光景が信じられずにいた。

真澄は肉塊と会話しているように見えるが、その実、肉塊が勝手に奇声を発しているだけで真澄との会話がまるでかみ合ってない。つまり、真澄は一方的に肉塊に語りかけているだけだという事に清一郎は真っ白になった頭の片隅で何となくそれだけは理解した。

だが到底受け入れられなかったのは、その肉塊を真澄が「清太」と呼んでいる事だった。

自分たちの愛した一人息子があんな肉塊などと――。

そのとき不意に肉塊の顔が真澄の肩越しに清一郎(こちら)を見たような気がした。

 

「ッ!!!」

 

息を呑む清一郎。その瞬間、肉塊がわずかに顔を歪め、清一郎に向かって薄っすらと笑いかけた。

少なくとも清一郎にはそう見えてしまった。

その瞬間、清一郎の中で何かが弾け、後ろに向かって尻餅をつく。その途端脚が前にあったお膳を盛大に蹴ってしまい。食器と料理が一瞬、(ちゅう)を舞った――。

 

 

ガシャアンッ!!!

 

 

その大きな音と共に、清一郎の中の恐怖心が一気に爆発した。

考える間もなく清一郎の身体が勝手に動く。這うようにして玄関へと向かい、戸を乱暴に開け放つと、全速力で夜の人里の中を裸足で駆け出していた――。




裏編の始まりです。
最初は真澄の夫、清一郎の視点から入りました。

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