四ツ谷は『聞き手』に裏をかかれて椿を連れ去られてしまう。
「…………ぅ、ん……?」
暗闇から意識がゆっくりと浮上し、椿はゆっくりと眼を見開いた――。
目に入ったのはランタンの吊るされた
「えっ!?」
慌てて起き上がろうとするも、手足が動かない。
首を動かして自分の手を見ると、手首に枷がつけられていた。
どうやら椿は木製の台に仰向けに寝かされた上、両手足を枷で固定され身動きが取れないようにされているようだった。
「えっ?ええっ!??」
自分の今の状況に動揺し、四肢を動かして枷を解こうと椿はもがく。
しかし、がっちりと取り付けられた枷は椿の身体を少しも放そうとしなかった。
「……おや?もう起きてしまったのかい?薬の効き目が薄かったのかのぅ……?」
そんな声が当たり響き、その
そこには予想通りの人物が今まで見た事がないニヤニヤとした気持ち悪い笑みを浮かべてそこに立っているのを眼にする。
その姿を見たと同時に椿は意識を失う直前の記憶がフラッシュバックする。
自分の部屋で寝ていた所へ、誰かが
唐突に起こったその事態に椿は眼を見開き、その襲撃者の顔を間近で見た。いや、見てしまったのだ。
自分を実の娘のように大切にしてもらっていた者の顔を――。
「……大家、さ……ん……?」
呆然とそう響いた椿の声に、大家と呼ばれたその老人――義兵の歪んだ笑みが一層深まった。
「気分はどうかね、椿ちゃん?」
「……ど、どうして……どうして大家さんが……?」
「ふふっ、女性とは言え老体であるこの身で君をここまで運ぶのはさすがに苦労したよ……」
義兵のその言葉で、椿は自分の記憶が間違い出ないことを自覚し愕然となった。
そんな彼女にお構いなしといったふうで、義兵は彼女を覗き込むように顔を近づける。
そして囁くように口を開いた。
「……君がいけないんだよ?あのような
「……え?」
害虫?駆除?……それに、結婚って……。
義兵が並べた言葉の数々が、椿を一つの残酷な結論へと導いた。
「……ま、まさか、大家さん……」
「ようやく気付いたようじゃのう……」
椿が浮かべた推測が事実だと言わんばかりに義兵は口を歪める。
そして誇らしげに椿に向かって語り始めた。
「本当に苦労したんじゃよ?……最初に君に
「そ、そんな……!」
「二人目の害虫は簡単じゃった。奴に向かって材木を倒したらあっさりと死によったわ。……三人目もそうじゃったのぅ。背後から包丁で刺したらぽっくり……いやはや、人とはもろい生き物じゃのぅ」
「――ッ!??」
さも何でもない事のようにしみじみと響く義兵に対し、椿は絶望に染まった顔を浮かべる。
そして悲鳴じみた声で義兵に叫んだ。
「ど、どうして、どうしてこんな事を……!!」
「『どうして』?……全て椿ちゃん、
「……え?」
義兵の答えに呆けたような声を上げる椿。
そして、過去を振り返るように義兵がポツポツと語り始めた。
「椿ちゃん。恥ずかしい話じゃが、ワシは若い頃に病気で生殖機能が使い物にならなくなってしまってのぅ……。それが原因で当時結婚したばかりじゃった女房に見限られ、見捨てられたんじゃ……。それから数十年は本当に灰色一色の人生じゃったよ。自分でも生きているのか死んでいるのかわからんほどのぅ……。じゃがある日、団子屋で一人の娘と出会った事で世界が一変したんじゃ。……君じゃよ、椿ちゃん」
「わ、たし……?」
「……一目見て惚れたよ。団子屋で一生懸命働く君は、さながら野を自由に舞う蝶のように美しかった。その生き生きとした姿にワシは虜になったのじゃ。……毎日のように団子屋に通っては笑顔で働く君の姿を見ているだけで心が安らいだよ。本当に幸せな時間じゃった……」
しみじみと至福の時の過去を思い出し、義兵は顔をほころばせる。
しかし次の瞬間、その顔が般若の形相へと一変する。
「じゃが君は堕落した!どこの馬の骨ともわからぬ男に
「そ、そんな……そんな理由であの人を殺したのですか!?」
「『そんな理由』とは何じゃ!!君をあのおぞましい『虫かご』から解放するためなら何でもするよワシは!!……じゃが君は最初の男が死んで『虫かご』から開放され、自由になったのにも関わらず、また新しい害虫と一緒になって再び『虫かご』の中へと戻っていった……!!」
「私は幸せでした!あの人たちと夫婦になって、子供もできて、家族が増えて嬉しかった!!なのにどうして……!?」
「結婚など、所詮『人生の牢獄』にすぎん!!君は騙されておるのじゃよ椿ちゃん!そんな中に幸せなどあり得るものか!!真なる幸福は広く美しい野の中にこそあるのじゃよ!!」
義兵の一方的な『幸福』の押し付けに、椿は激しく動揺する。
会話が成立しなくなってきた義兵の目は曇りに曇っていた。父親のように慕っていた者が自分をそんな歪んだ目で見ていたのかと思うと椿はさらに絶望を感じずにはいられなかった。
現実から目を背けるようにして、椿を首を振る。しかし彼女の頭の中で更なる『絶望的な推測が』フッとよぎってしまった。
「……ま、まさか……おお、や、さん……
間違いであってほしいと願いながら、すがるような目で椿は義兵を見上げる。
しかし、現実はかくも冷酷非情であった――。
光を失った義兵の目が笑い、真実がつむがれる。
「
「……嫌っ……嫌ぁっ……!!」
聞きたくないとばかりに激しく首を振って椿は抵抗する。
耳も塞ぎたいのに四肢は枷で封じられそれは叶わない。そんな椿に言い聞かせるようにして義兵は彼女の耳元で口を開く。
「やはり十にも満たない子供とは大人の男を殺すよりも手軽で簡単じゃな。上の男子と下の女子は川岸で遊んでいた所を軽く突き飛ばし、二人目の男の子に至っては迷子になっていた故に
「いやああぁぁぁっ!!!どうして!?どうしてそんな酷い事を!?あの子たちには何も罪なんてなかったのにいぃぃっ!!!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で椿は義兵に非難の混じった眼で訴える。
そんな彼女を真顔で義兵は冷徹に答えた。
「……あの子たちは
「…………へ?」
義兵が何を言っているのか分からず、再び呆けたような声を漏らす椿。
それに構わず、義兵は真実を語り始めた。
「……ワシも幼い子供に手を掛けるつもりは最初はなかったのじゃがのぅ。成長するにあたってあまりにも
「……な、何を言って……」
「……おかしいとは思わなんだか椿ちゃん?何故ワシが
言われて初めて気付く。薊は義兵に狙われることなく十五年経った今でも生きている。瑞穂も同様だ。
そんな二人を義兵は狙う素振りすら見せない。それはその二人と他の子たちとでは
「双子であった瑞穂ちゃんと穂積ちゃんを引き合いに出せば、理由も分かるかもしれんのぅ。あの子たちは双子であったが、『二卵性』じゃった。……方や瑞穂ちゃんは母親である君に顔立ちが良く似ている。そしてもう一方である穂積ちゃんは――」
義兵がそこまで言った瞬間、椿は雷に打たれたかのように硬直する。
義兵が……彼が言おうとしている子供たちを襲った動機が否が応でもわかってしまったからだ。
でもそんな……
あまりにも受け入れがたい真実に椿は力なく首を振る。
「嘘……嘘……うそ、よ……」
「フフフフッ……ようやく気付いたようじゃのぅ椿ちゃん。そうとも――」
「――あの子たちが皆、
「あ、あぁぁ……」
「あの子たちが成長するにしたがって、殺した父親の面影がちらほらと見え隠れしてきおった!君を穢しつくした憎き害虫共の血を宿した『
頭の中が真っ白になる椿に向かって、義兵は容赦なく自分の腹の中に溜まった怨嗟の念を吐き出していく。
だが、その時にはもう椿には義兵の声は届かず、心ここにあらずといった状態であった。
その目は既に光を失っており、視線を何もない虚空へと彷徨わせるだけであった。
それに気付いた義兵はこれは良いとばかりに喜色満面の笑顔を見せる。
「おやおや……ショックで放心でもしたのかのぅ?まあ、大人しくなってワシも好都合じゃが。……ま、見たまえ」
そう言って義兵はシワだらけの手を椿の頬に添えて無理矢理視線を義兵の背後に向けるように顔を動かせた。
そこにはどうやって用意したのかガラス製の棺が床に置かれており、その中に
パッと見てその棺の大きさは
「……君にはこれからあの棺に入って
そう言って義兵は部屋に木霊するほど大きく笑って見せる。
しかし椿にはその笑い声も届かず、その棺をボンヤリと眺め続けているだけであった。
ひとしきり笑った後、義兵は懐から鞘の付いた包丁を取り出し、鞘を引き抜く。
銀色に輝く鋭利な刃物が椿の目の前にさらされた。
「……さて、まずはその邪魔な着物を剥ぎ取らせてもらおうかのぅ」
そう言って義兵は椿の纏っている襦袢を締める帯に手を掛け、着物と帯の隙間に包丁を滑り込ませると、一気に引き裂いた。
布が裂かれる音が部屋に響くも、椿はその光景をボンヤリと見続けるだけであった。
もはや彼女の中で抗う気力はすっかりと失っていたのである。
義兵は呼吸を荒げながら椿の着物を包丁で切り裂いていく。そうやって着物の中から彼女の肌が多く見えてくると、義兵の興奮も大きく高まっていった。
そうして包丁を動かす手が止まった時、そこには一糸纏わぬ椿の姿が露になっていた――。
その肢体を凝視しながら義兵は生唾をごくりと飲む。
それ程までに椿の身体は三十代に入ったとは思えないほど、その美しさを保っていたのである。
少しやせ細ってしまってはいるが均整の取れた体型とシミ一つない陶磁器のような滑らかで透き通るような白い肌は老人である義兵でも目を奪われるモノであった――。
程よく盛り上がった二つの双丘とは対称的に驚くほど締まった腰のくびれ、その腹部は複数の子供を出産したとは思えないほどたるみが殆ど見て取れることはなかった。
そしてそこから腰下へと続くラインは美しい曲線を描いてゆったりと脚部へと向かっており、薊の母親であるという納得のいく『美』がそこに現れていた。
「美しい……」
その惚れ惚れする肢体に自然と義兵の口からそう漏れていた。
しかしすぐにハッとなり首を振る。
「いかんのぅ、呆けている場合ではなかったわい。あの妙な若造と唐傘娘らが何時ここを嗅ぎつけてくるかわからんからのぅ。事を急がねば……!」
そう言いながら、義兵は椿の肌の上に包丁の側面を乗せるとそれを無造作に滑らせるように動かし始めた。
包丁の刃が彼女の肌に当たらないようにゆっくりと――。
「……さて、椿ちゃん。どう言う風にして楽になりたいかのぅ?老いてしまったが故か
そういやらしい笑みを浮かべながら義兵はそう響き、包丁を椿の鎖骨から胸、腹、腰、そして脚のほうへと向かって滑らせて行く――。
冷たい鉄の包丁による愛撫に椿の身体はビクリと反応する。
それは官能から来るモノなどではなく、恐怖から来るモノであった。
包丁の感触を通じて彼女瞳に僅かながら光が戻ってくる。
そして空っぽになってしまった頭の中で一人の女性の姿が浮かび上がった。
彼岸花を思わせる赤い髪と等身大の大きな鎌を持ったその女性はいつも自分を助けてくれた。一緒にいてくれた。笑い会ってくれた――。
祝言の約束を破られた時、すごく落ち込んだ。でもその反面、
彼女の事だから自分の存在のせいで祝言をぶち壊すような事はしたくなかったのだろう、と……。
――そんな事……気にする必要なかったのに……。
今あの人はどこで何をしているのだろう……?
元気にしているのだろうか?体調は崩してはいないだろうか?……今も私を……妹だと思ってくれているのだろうか……?
――家族だと……想っていてくれているのだろうか……?
「よしよし、一気に首の頚動脈でいかせてもらうよ?……じっとしているんじゃよ?手元が狂って顔を切り裂いてしまっては元も子もないからのぅ」
目の前にいる大家……いや、
それを視界に映した椿は、その眼からはらりと大粒の涙を一滴こぼし――。
「――助けて……小町おねえちゃんッ……!!」
――そう
「!?」
突然の事に義兵は驚きで目を丸くする。
椿に近づけていた包丁を持った手が
慌てて自分の腕をつかむその腕の持ち主のほうへと目を向ける。
眼が合った――。
彼岸花を思わせる真っ赤な髪を揺らし、同じく深紅の色を持った瞳の中に怒りの炎をたぎらせて、その女死神は呆然とする義兵を眼光で射抜く。
「――触るな」
「ヒッ!??」
「……その汚い手で椿に触るな。――殺すぞ」
あまりの迫力に、義兵は一瞬気圧された。その時、天井に吊るされたランタンの火がふいにフッと消え、部屋が真っ暗になる。
「……ッ!??」
それと同時に掴まれていた手が離れ、義兵は尻餅をつく。
そして暗闇の中、侵入者に向かって慌てて包丁を振り回すも、包丁は空振りするばかりで何も当たる様子はない。
それを理解した義兵は次に手探りで棚においてある蝋燭を掴み取ろうとする。
暗闇の中故、多少時間はかかったが何とか手に蝋燭を持つ事ができた。そして懐にあった火打石で火をつけ、辺りを照らし出す。
だが蝋燭で照らし出された台には、既に椿の姿も侵入者の姿もなく、枷も全て外されていた。
「なっ!?……くそっ!!」
逃げられた事をすぐさま理解すると、義兵は蝋燭と包丁を持って、今いる部屋――
外は真っ暗。椿も襲撃者もとこへ行ったかも分からず、義兵は焦りと苛立ちから顔を真っ赤にする。
(畜生!!……一体なんだったんだあの女は!?……いや、なんだっていい!!直ぐに椿共々見つけて殺してやる――)
「……変態な上に老害とは……醜悪極まったな、大家さん」
怒りを含んだ思考の海に入っていた義兵の耳に静かながらも冷たい声が届き、義兵は思考を途中停止させ、声のした方へと眼を向けた。
その瞬間、カラコロと下駄の音を響かせて、夜の暗闇から一人の男が姿を現す。
黒髪に着物の上から腹巻をした長身の男を視界に納めた義兵は驚きで目を見開く――。
「き、貴様は……!!」
「……老体に鞭打つ趣味は俺にはないんだが、あんた相手なら容赦なくやれそうだ。それじゃあ――」
「――怪談を、始めましょうか」
不気味に笑みを顔に貼り付けながらも冷たい視線で義兵を見下ろすその長身の男――四ツ谷文太郎は死刑宣告がごとき口調で義兵に向かって静かにそう響いた。
おまたせしました。
今回はR-18ギリギリと思われる表現が含まれていますので、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。