四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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前回のあらすじ。
四ツ谷は蕎麦屋で庄三を含んだ店内の人間全員に、『折り畳み入道』に関係するエピソードを語って聞かせた。


其ノ六

(やっとだ……あの小娘(ガキ)、やっと一人になりやがった……!!)

 

提灯を片手に家路へと急ぐ薊の背中を物陰から見ながら、庄三は歓喜に震えた。

今日の昼間、蕎麦屋で不快な思いをした庄三だったが、待ちに待った機会を前にその不満は一気に吹っ飛んだのである。

そして無意識に自分の懐に手を入れると、そこにあった小瓶を握り締める。

それは永遠亭へ父親の見舞いと称して訪れ、そこの薬師から自分が不眠症だと偽ってもらった睡眠薬であった。

しかもその薬は即効性で、一粒服用すれば朝まで()()()()()()起きないという強力なものであった――。

 

(ククククッ……ようやくこれを使う時が来たようだなぁ)

 

舌なめずりをして笑いながら、庄三は小瓶から薬を一錠だけ汗ばんだ手のひらに乗せ、それを握り込む。

そしてはやる気持ちを抑えながら、今か今かと好機を見計らった。

やがて薊が人気の少ない通りに入った時、腹を空かせたオオカミの如く、庄三は薊の背後から襲い掛かった――。

 

「……え?むぐっ!!?」

 

いきなり背後――と言うよりは横から抱きつかれた薊は突然の事に一瞬自体が飲み込めず呆然となる。

その隙を突いて庄三は手のひらに隠していた錠剤を、半開きになっている薊の小さな口の中へ放り込んだ。

 

「……ッ!?」

 

そして同時に薊の口と鼻を錠剤を放り込んだほうの手で塞ぎ、もう片方の手を薊の腰に回し羽交い絞めにする。

そこに来てようやく自体を飲み込んだ薊がなりふり構わず庄三の腕の中で必死にもがいた。

手にしていた提灯は地面に落ち、燃え始める。

着物もズレて乱れ、真っ白い太ももが着物の間からチラチラと見え始めた。

だがそれを気にする余裕は今の薊には毛頭無かった。必死に襲撃者の腕の中から抜け出そうとするも、痩せてしまっているとは言え、大の男である庄三の力の前に非力な薊にはどうする事もできなかった。

そして鼻と口を塞がれてしまっているため、当然呼吸する事ができず、息苦しさから薊は無意識に口の中に入れたままになっていた睡眠薬の錠剤を喉の奥にごくりと飲んでしまったのである。

そして一分もしないうちに薊に変化がおき始める。

唐突に強烈な睡魔が薊を襲い、急速に意識が遠のき始める。

必死に動かしていた身体も力を失い、やがて薊の意識が完全に闇に飲み込まれると、己が意思に関係なくその身を庄三に預ける形となってしまったのである。

 

「……は、ははははっ!やっと大人しくなったか……!」

 

暴れたせいで髪は乱れ、顔を紅くして眠る薊の顔を庄三は覗き込む。

 

(なんとも()()()寝顔じゃないか……)

 

貧困暮らしになってからというもの、庄三は一度も風呂には入っていなかった。そのため浮浪者姿なのはもちろんの事、肌も黒く汚れ、体臭なんて鼻が曲がりそうなほど強く発していたのである。

そんな穢れの塊とも言える自分の腕の中に、一点の穢れも知らない純粋な娘が抱かれていると思うと庄三は異様に興奮した。

生唾をゴクリと飲んで、その薄い桜色の唇に今すぐ接吻したい欲望に駆られるも、それを庄三はグッと我慢する。

ここにはまだ人気がある。いつ誰がやってくるかわからない。もっと人気の無い所へ連れて行ってゆっくり楽しもう……。

 

(こりゃ()()じゃ終わりそうにねぇな……クククククッ……!)

 

欲望を必死に抑えながら、庄三は気を失った薊を引きずって人里の闇の中へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、長屋にいる四ツ谷は()()お茶をすすっていた――。

小傘と金小僧は薊の身辺警護につかせており、()()()()()が起こった場合の保険でもあった。

そして残った折り畳み入道だが、彼にはまた()()()()を担ってもらっていた。

シンと静まり返る部屋の中でズズッと四ツ谷がお茶を飲む音だけが聞こえる。と、その時そばに置かれていた着物をしまっている葛篭がガサガサと音を立てて震えたのだ。

それが三回ほど続き、それ以降動く様子は無かった。

しかし四ツ谷はそれを見届けると、自分が今もっている湯飲みに目を落とす。

そして今日の昼間に蕎麦屋で語った怪談の内容を思い出しながら、誰に聞かせるわけでもなく、小さく独り言を響かせた――。

 

「動いたか……。さぁて、()()が虚構のまま終わるか、否か……。始めるとしようか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気の全く無い薄暗い林を見つけると、庄三はその中へ薊を引っ張り込んだ。

 

『――業を煮やしたは男は、深夜帰宅途中の彼女を襲い人気の無い場所へと連れ去った……』

 

「……?」

 

その瞬間、妙な違和感を覚え、庄三は辺りをきょろきょろと見回した。

しかし周りには誰もおらず、ただ虫の鳴き声だけが響いていた。

小首を傾げるも、今はこの娘のほうが先だと自分の腕の中にいる薊に目を落とす。

よく眠っている薊の顔を見てほくそ笑むも、直ぐに不機嫌な顔へと変わる。

それというのも、彼女が長屋を出てから今までの間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が移動の際、どうにも邪魔になってしょうがなかったのだ。

そんなもの、連れ去る際に先に取っとけば良かっただけの話だったのだが、その時の庄三の頭の中では薊を人気の無い所に連れて行く事が優先されていたため、それが後回しになっていたのである。

 

「ったく、邪魔だ」

 

苛立たしげに庄三は、薊からその木箱を背負子ごとひっぺがし、それを適当に投げ捨てた。

 

『……人気の無い場所へ娘を連れてくると、彼女が持っていた荷物を剥ぎ取り、それを無造作に捨てる――』

 

「!?」

 

ガタリと木箱が地面に落ちる音と共に、先程よりも強い違和感を感じた庄三はまた辺りを見回す――。

だがやはり周りには何もおらず、庄三は得体の知れない胸騒ぎに襲われる。

 

(な、なんだっていうんだ……?)

 

庄三はこの違和感の正体に薄々とだが気付き始めていた。

 

――それは、既視感(デジャヴ)

 

今、自分が行っている出来事と同じ事を前に聞いたような気がしたからだ――。

そしてそれをいつ、どこで、誰に聞いたかも庄三は薄っすらと思い出していたのだが、直ぐに首を振って()()を否定する。

 

(馬鹿な、偶然だ!……それよりも今は目の前の生娘に執着すべきだ…!)

 

そう考えながら、木箱と捨てたと同時に地面に無造作に転がした薊に眼を向ける。

仰向けに地面に寝転がった薊は少々あられもない姿を庄三にさらけ出していた。

暴れて着物が乱れてしまい、その瑞々しい両素足を太ももまで露にしており、帯も少し解けているようだった。

胸元も肩口までさらされており、そこに実る二つの山脈はいまだ大半が着物の中に隠れてはいるものの、仰向けに寝ていているのにもかかわらずその美しい曲線が崩れる事は無く、薊が呼吸をする度にゆったりとした動きで上下していた。

その純粋ながらも妖艶な薊の姿は、庄三には誘っているとしか思えず、何度目かの生唾を飲み込むと、誰かに操られるかのようにふらりと薊に近づくと、荒く息を吐きながら緩んだ帯を解こうと右手を伸ばし――。

 

『――そして気絶した少女の衣服に手を掛けようとしたその時――』

 

 

 

 

 

 

 

            ……カタ……カタ……カタタッ……!

 

 

 

 

 

「!!???」

 

()()()()()()()()()響き渡り、反射的に庄三は捨てたばかりの木箱のほうへと振り返った。それと同時に木箱の蓋がカタカタとなり始め、庄三は戦慄する。

それと同時にまた脳内にあの男――四ツ谷文太郎の声が木霊した。

 

『――木箱の蓋がカタカタと動いている光景が飛び込んできました……』

「ヒッ!??」

 

庄三は腰を抜かし、未だカタカタと動く木箱を凝視する。

もう疑いようが無かった――。

 

 

 

――今日の昼間に蕎麦屋で四ツ谷が語った怪談と同じ事が、()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 

 

(う、嘘だ……そんなわけあるかぁ!!あいつはこうなる事が最初から分かっていたとでもいうのか!?……在り得ねぇッ!!……あれだって『きっと小動物か何かだ』、ろ……ヒィッ!!!???)

 

庄三の思考の一部が四ツ谷の怪談と重なり、庄三は得体の知れない不気味さに凍りついた。

もはや彼の頭の中には薊に対する執着は完全に消えうせ、代わりに人差し指を口元に立てて不気味に笑いかける四ツ谷の姿が現れていたのである。

だが脳内に現れた四ツ谷はそれ以上語ろうとはしない。彼は庄三が期待通りに動いてくれるかどうか、今か今かと楽しそうに待つかのように気味の悪い笑顔を貼り付けたまま微動だにしない。

いくら自分が頭の中に作り出した虚像とはいえ、静かにたたずんだまま自分をあざ笑う四ツ谷の姿に庄三はふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 

(……ふ、ふざけるなよ下郎が!!これからという所で俺の楽しみを邪魔しやがって!!見てろ、今すぐお前のそのふざけた怪談なんかぶっ壊してやる!!!)

 

心の中でそう叫ぶと、庄三はそばに転がっていた大きめの石を掴み、木箱へと歩み寄る。

そして石を持った手を頭上に高く持ち上げ、反対の手を乱暴に木箱の蓋へ掛ける。

それと同時に、再び脳内の四ツ谷が怪談をリピートし始めた。

 

『――呼吸は大きく乱れ……蓋にかかる両手も震え始める……』

 

 

 

 

「ハア……ハア……ハア……ハア……!!」

 

――ブルブルブルブル……!!

 

 

 

 

『――何か得体の知れない空気がその場を支配し、それと同時に蓋の動きも激しくなっていく……!――蓋の動きが激しくなってくると今度は箱全体も暴れ始める……!!』

 

 

 

 

――……カタカタカタカタガタガタガタガタ!ガタッガタッガタッガタッ!!ガタッ!!!ガタッ!!!!ガタッ!!!!!

 

 

 

 

『――同時に男の呼吸も心臓の拍動も激しくなっていく……!!』

 

 

 

 

――ドクン、ドクン、ドクン……!ドクッ!!ドクッ!!!ドクン……!!!!

 

 

 

 

鬼の形相ではあったが、庄三の全身は既に恐怖に飲まれていた。体全体がガタガタと震え、ブワッと冷や汗があふれ出し、両目はむき出しになって激しく揺れる木箱を睨んでいたものの、その瞳の奥に現れたのは間違いなく『恐怖』の色であった――。

 

(ふ、ざけるな……ふざけるな!ふざけるな!!ふざけるなふざけるなふざけるなアアァァァ!!!……俺は!俺は金貸し半兵衛の息子だぞ!!この人里で……いや、この幻想郷で一番偉い男なんだぞぅ!!!人間だろうが妖怪だろうが神だろうが誰も俺にたてついていいはずが無い!!!)

『――恐怖が男を支配するも、それを振り払うようにして男は意を決して――』

 

 

 

 

 

 

 

「……良い訳が無いんだアアアァァァァーーーーーーー!!!!!」

 

 

 

 

 

 

『――……箱の蓋を……開けた……!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ……開けて……

 

 

 

                       ……しまった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あ?」

 

慟哭とも呼べる庄三の怒声と共に蓋が開かれ、その中を見た庄三は呆けた声を漏らした。

 

 

 

――闇だった。

――闇一色の世界が箱の中に広がっていた――。

 

 

 

そしてその闇の遥か底――深淵とも呼べるそこに()()()()()()()、庄三を見上げていた。

その眼と自分の眼が合った瞬間、庄三は理解する――。

 

 

 

 

――自分は選択を……()()()ということに……。

 

 

 

 

だがもう後の祭りであった――。

一瞬のうちに、庄三と金色の目との距離が縮まり、闇の中から巨大な蒼い腕が現れ、箱から飛び出すと、庄三の頭部を覆うようにしてガッシと掴んでいた。

その瞬間、庄三の中でナニカが決壊する――。

 

「---------------ッ!!!!!」

 

腹の底から庄三は悲鳴を上げるも、それは自分の頭を掴む蒼い手の手のひらに遮られ、そばで眠っている薊はおろか、周囲の者たちの誰にもその悲鳴が届く事は無かった――。




次が『折り畳み入道』の最終話です。
加筆:少し文章を追加しました。

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