ヤマメが赤糸の協力者の一人を捕らえ、四ツ谷は囚われていた子供たちと共に赤糸への反撃を開始する。
「――はい、これで処置は完了。安心しなさい、二人とももう大丈夫よ。古明地さとりさん」
「ありがとうございます。永琳先生」
地霊殿の一室――恐らくは客室と思われる部屋で、
そのすぐそばには、永琳の助手をしている鈴仙も一緒におり二人のやり取りを見つめている。
そんな彼女たちの
にとり製作のトランシーバーによってイトハたちからの救援要請が四ツ谷たちの元に届いた直後、四ツ谷はすぐさま折り畳み入道に永琳を地霊殿に連れて来るように早急に命じていた。
そして、その一報を受け取った永琳は、鈴仙を連れて折り畳み入道の能力を借りてすぐに地霊殿へとやって来たのである。
また、赤糸の屋敷からイトハとこいしを運び出したさとりの方も、二人を運んでいる自警団の者たちに、
――
今、旧都にはこの一件の首謀者である赤糸がいる。
彼女が働いている店を避けて運ぶようにしても、旧都にはたくさんの住人がおり、もし誰かが地霊殿に運び込まれるこいしとイトハを目撃して、それがもしふとしたきっかけで赤糸の耳にでも入ったりでもしたら、どんなことになるのか分かったモノではないからだ。
最悪、
また、二人を旧都の診療施設にではなく、わざわざ地霊殿に運んだのにもそれなりの理由があった。
そもそもロクに掃除がされておらず、埃まみれで衛生面的に悪環境だった赤糸の屋敷で重傷だったイトハとこいしの二人をそのままそこで治療するわけにもいかなかったため、衛生面が良好でちゃんと治療できる場所へと二人を運ぼうという流れになったのだが……いかんせん、赤糸の屋敷から旧都の病院まではそれなり離れており、そのまま運ぼうとすれば旧都の住人の多くにそれが見られる確率が高く、目立ってしまうため、赤糸に
前述のとおり、赤糸の屋敷から地霊殿までの距離は旧都の診療施設と比べると短く、その分人目を抑えることが出来、尚且つ地霊殿の主であるさとりは、地底に住む危険度の高い妖怪たちからもその性格や能力故か旧都の住人達との親交も低く、自らの意思で地霊殿に近づこうとする者もほとんどおらず、その周囲は閑散としている事が多かった。
近場で人目を気にせず、かつ二人を安全安静に匿える場所としては、まさに最適と言えた。
そうして、さとりたちの手によって人目を出来うる限り避けながら地霊殿に運び込まれたイトハとこいしは、地霊殿でようやく永琳と出会う事となる。
自警団たちの手によってベッドに寝かされたイトハとこいしを一目見た永琳は一瞬息を呑んでいた。
イトハは片腕に大穴を空けられた上、そこを中心に猛毒が身体を蝕んでおり、全身から脂汗を噴出させていたのだ。その顔は紙のように真っ白に血の気が引いており、蚊のように細い呼吸はいつ止まってもおかしくはなかった。
そしてこいしの方もまた酷く、ミイラのようにやせ細った全身に無数の傷が刻まれ、思わず目を背けてしまいそうになるほど見ていて痛ましいものであった。
しかし、そこは元『月の賢者』であり現『永遠亭のプロの薬師』である。
そんな動揺など一瞬のうちに理性でねじ伏せると、すぐさま永琳は『自身の仕事』に取り掛かり、見事一時間もしない内にイトハとこいしの二人を死の淵から救い出したのであった。
「二人ともしばらくは絶対安静。でも、数日もすれば歩けるようにはなるはずだからそれまで栄養豊富な食事をとらせて行く事。分かった?」
「はい、分かりました。……何から何までありがとうございます」
一通りの治療を済ませ、鈴仙と帰り支度をしながらそう言う永琳に、さとりは再び深く頭を下げてそう答えた。
そうして準備を終えて帰ろうとする前に、永琳は先程まで治療していたイトハとこいしの二人をチラリと見やる。
治療前にさとりから赤糸がアカボシゴケグモの妖怪だと聞かされていた永琳は、即行で解毒薬を調合し、毒が回ったイトハの体にそれを注入。同時進行で腕の穴やその他の傷も処置することで、イトハの顔色は治療前とは打って変わって血色が良くなっていた。
まあ、彼女の場合。種族が妖精であるため、何もせずに放置していたとしても最終的には自己回復して復活していただろうが、薬師であり医師でもある永琳とって、ボロボロで今にも事切れてしまいそうだったイトハをあのままにしてほっとくというのは、その肩書故なためか出来なかった。
そしてこいしの方もまた、永琳は全力で治療を行っていた。
全身の傷を一つ残らず治療し、体内に残った毒も完全除去。イトハ同様、顔色が格段に良くなり、今は栄養剤の入った点滴を数本打たれながらベットの中で安らかな顔を浮かべている。
身体のあちこちに包帯やガーゼ、絆創膏、点滴を付けられた痛々しい姿ながらも安らかな眠りにつくイトハとこいしを見つめながら、永琳はさとりに向けてポツリと問いかける。
「……今回の一件、四ツ谷さんも絡んでいるのなら……彼の事だからまた『例の怪談』をやるのかしら?」
「ええ、たぶん……そうだと思います」
そう答えるさとりに永琳は「そう」と呟くと、更に口を開いた。
「ならいつにも増して容赦しないでしょうね彼は。自身の受け持つ会館の住人を傷つけられてるわけだし。……まあ、その赤糸って毒蜘蛛妖怪が今までやって来た所業からしてみれば同情なんて欠片も出来ないけど」
「……当たり前です。こいしをこんな目に合わせて……許せない」
永琳の言葉にさとりはギュッと握り
実の妹に非道を行ったのだからさとりのその憤りは当然と言えば当然であった。
だがそんなさとりを永琳は横目でジッと見つめると、
(……いい機会だから、この際この子と面と向かって話し合ってはどう?……貴女もいい加減、いつ帰って来るか分からないこの子を待ち続けるのも嫌でしょうに)
「…………」
(……私は覚り妖怪じゃないから、貴女たち姉妹の気持ちなんて分かりはしないわ……だけど、だからこそこの子の気持ちを一番よく理解出来るのは、他ならない貴女自身。この子の心の一番の拠り所になれるのは、貴女しかいないのよ?)
「…………」
永琳の『心の声』がさとりに向けてかけられる。
しかし、さとりは俯いたまま沈黙し続けていた。
それを見た永琳は小さく肩をすくめ、
「――まぁ、私が口出しできる立場でもないけどね。……それじゃ、失礼するわ」
そう言い残して早々に鈴仙と共に部屋を後にして行った――。
部屋に残されたさとりはしばらくそのまま何かを考えるように俯きながらただ立ち尽くす。
しかし、やがてこいしの眠るベッドの横に歩み寄りそこにしゃがむと、静かに眠るこいしの手をそっと手に取った。
「こいし……」
憂いを帯びた表情で最愛の
名前を呼びかけられた主は、それに答えることは無く、声は虚空へと静かに消えて行く――。
――かに見えた。
「――怪談って……何……?」
「……!!」
小さく、弱々しいながらも、
さとりが顔を上げた先――そこにはさっきまで眠っていたはずの『妹』の目がはっきりと見開かれており、不思議そうな顔を浮かべながらさとりを見つめていたのだった。
――それからしばらく後……夜が更け、日付が変わり、やがて夜が明ける数時間前となった頃……事態は終息へと向かい始める。
赤糸は店の仕事が終わる時を今か今かとソワソワとしながらも、表面上は落ち着いて役目をこなしていた。
その理由は他でもない、屋敷に置いて来たイトハだった。
あの忌々しい小娘妖精を仕事に行く前にちゃんととどめを刺しておけば良かったと赤糸は今になって後悔し始めていたのだ。だが、そんな心境になった所で今となってはもう後の祭りである。
(ええい、クソッ!やけに落ち着かないねぇ……!仕方ない、女将さんに頼んで早上がりさせてもらおうかねぇ……)
新たな客の相手を終えた赤糸は、身なりの整えと部屋の後片付けを行いながらそう思案する。
少し前にやって来た『お得意様』からの忠告もあり、弱腰な方向に意識が傾いていた赤糸は、
ギシギシと木製の廊下を鳴らしながら、赤糸は女将がいるであろう部屋へと向かう。
そうしてもうすぐ、女将の部屋に辿り着こうかという矢先、赤糸はおもむろに足を止めていた。
廊下の先……そこに自分と同じ遊女の同僚が二人立って会話をしており、その会話内容が耳に入って来たことで反射的に歩みを止めてしまっていたのだ――。
「……ねぇ、聞いた?さっき、女将さんから聞いたばかりの噂なんだけど、何でも人気のない何も無い場所で何処からともなく
「私も休憩がてらに店を出ていた時に聞いたわ。……なんか
「いやねぇ、怨霊の仕業かしら?……それとも最近、子供が変死する事件が続いてるじゃない?その子たちの霊が今もさ迷っているのかも……」
そんな会話を繰り広げていた遊女二人からしてみれば、自分たちにとっては無関係な話故、そう重くとらえる必要のない、ただの井戸端会議並みの気軽さの談笑だったのだが――。
「…………」
――それを盗み聞いてしまった赤糸にとっては、心臓を冷たい手で撫でられたかのような衝撃的な内容だった。
いつもなら、「くだらない」とさっさと切り捨てて通り過ぎるだけでよかった事も、会話の内容の中に『子供』や『隠れ鬼ごっこ』といった身に覚えのありすぎる単語がポンポンと飛び出して来れば、その心境も大きく一変してしまう。
瞬く間に血の気が引き、顔面蒼白になる赤糸。
気がつけば赤糸の意思とは無関係に、彼女は会話と続ける遊女二人の元へヅカヅカと歩み寄っていた。
「……あれ?赤糸
「……ッ!?」
二人のうち片方の遊女が赤糸の存在に気づいて声を上げるも、それが途中で短い悲鳴へと変貌する。
一足遅れてもう片方の遊女も、赤糸の顔を見た途端言葉を失っていた――。
二人の遊女の視線の先……そこにある赤糸の顔に浮かぶ表情は尋常では無かった。
何せ感情の一切が抜け落ちたような無表情。血の気が引いて紙のように白くなった表皮。それでいて二つの双眸はこれでもかと言うほどカッと大きく見開かれており、素人目から見てしてもその様子がとても異常である事を如実に表していたのだから。
「ね、姐さん……?一体どうしたんで――」
「――今の話は何だ?」
「へ?」
二人の遊女の内の片割れが赤糸に口を開きかけるもそれに重ねるようにして赤糸がそう問うて来たので、問われた遊女は呆けた声を漏らす。
そんな遊女の様子に苛立ったのか、赤糸は更にその遊女に詰め寄ると胸ぐらをつかみ上げた。
「ヒッ!?」
「誰にその話を聞いたのかと聞いた!?早く言え!!」
今にも殺されるのではないかという錯覚に陥るほどの迫力で赤糸にそう問い詰められ、掴まれた遊女は戦々恐々としながらも震える声で必死に言葉を絞り出す。
「……さ、さささささ、さっき、女将さんから、教えてもらったんです!!女将さんはひいきにしてもらっているお客さんから聞いたって言ってました……!!」
「お前は?」
赤糸はそう言って今度はもう一人の遊女にそう問いかける。
問われた遊女は一瞬ビクッとすると赤糸の異常な迫力に怯えながらも、言葉を絞り出す。
「わわ、私はたまたま店の外に出た時に知り合いの
「ガキの声がするって言ってたな!?何処でするとか聞いていないのか!?」
更に赤糸が二人に問い詰めると、二人の遊女は互いに顔を見合わせ口を開いた――。
「え、えぇっと確か――」
「場所は、確か――」
「「――旧都の外れにある断崖絶壁の渓谷の方から聞こえたって言ってました……!!」」
そこまで聞いた瞬間、赤糸は掴み上げていた遊女を突き飛ばすように放すと、一目散に踵を返して走り出し、店を飛び出していた。
背後で赤糸から解放された瞬間に、バランスを崩して床に強か尻を打った遊女が「きゃんっ!」と悲鳴を上げる声が赤糸の耳に届く。
しかし、その時には既に
行先は、先程遊女たちが言っていた子供の声が聞こえたという渓谷――。
――そこはイトハや他の子供たちを監禁している、赤糸の屋敷がある場所であった。
暴風のようにその場から去って行った赤糸をポカンとした表情で見送る遊女二人。
そしてその二人を、少し離れた部屋の中で襖の隙間から眺める者がいた。
この店の女将を任されているその女は、赤糸が去るまでの一部始終を眺め終えると、小さくため息をついて背後へと振り返る。
「……これで良かったのかい?」
「上出来♪」
女将の言葉に、部屋の奥に立つ
え~っと、お久しぶりです。
申し訳ありません。またもや前回の投稿からほぼ一年、間が開いてしまいました。
その上、今回の話はやや短めで話の展開もあまり進んでおりません。
次もいつになるかは分かりませんが、読者の皆々様には長い目で見守ってもらえると幸いです。
それでは、色々とグダグダになってしまいましたが、今年はこれで投稿収めとさせていただきます。
来年もまた、よろしくお願いいたします。