四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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前回のあらすじ。

鬼の面の女の正体が明かされ、イトハはたった一人でその女との戦いに挑む。


其ノ十一

昼を過ぎたばかりの地霊殿。

そこの応接室にはテレビ通信機越しの四ツ谷、小傘、さとり、燐の四人が集まり、皆落ち着きのない面持ちで沈黙していた。

小傘が四ツ谷へと声をかける。

 

「……師匠、やっぱり今すぐにでも探しに行った方が……」

『手がかりが無ぇ状況で闇雲に探すつもりか?……待つっきゃねぇだろ』

「う~っ、でもぉ……」

 

四ツ谷にそう指摘され、小傘も頭の中では理解してはいたものの、やはりジッとしていろと言われても出来るわけがないのが現状だった。

ごねりながら今にも応接室を飛び出しそうな小傘を四ツ谷が制する傍ら、さとりは応接の窓から心配そうな視線で旧都の街並みを眺め一人呟く。

 

「お空も……あれから一向に音沙汰がない。……一体、どこに行ったの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埃の積もる薄暗い廊下――。

その中を、風のように走り抜ける一人の幼い少女がいた。

茜色の着物の裾と袖をたくし上げたその少女――イトハは今、一陣の疾風の如く屋敷の中を移動していた。

やがて前方に廊下が左右に分かれたT字路が現れ、イトハはその突き当りの壁に背中を預けて、今度は()()()で廊下の左側へと足を向ける。

連なる襖と土壁に背中を預け、壁伝いに廊下を横歩きに移動するイトハ。

すると、何かに気づいたイトハは瞬時に自身の頭部を後方へそらす。

 

「馬鹿が、言っただろ!走り回ってたらどこにいるか丸分かりだって!!」

 

そう声が響いた次の瞬間、今し方までイトハの頭部があった所に、巨大な蜘蛛の脚が生えていた――。

その声にこたえるようにイトハは言い返す。

 

「馬鹿はそちらでしょう?()()()()()()()()()のが分かりませんか?」

「戯言を!!」

 

襖の向こうからそう声が上がった瞬間、イトハが背にしていた襖から突き破るようにして出てきたその脚が、今度は右斜め下へとスライドするように勢いよく移動した。

ビリビリビリと、襖が斜め下に大きく裂ける。

しかし、蜘蛛の脚がスライドするよりも先に、イトハが転がるように移動し、その襖から距離を置いていたことでその脚に触れる事も無く難を逃れていた。

それに気づいた蜘蛛の脚の持ち主は「チィッ!」と襖の奥で大きく舌打ちすると、その襖を突き破ってイトハへと突撃してくる。

蜘蛛の脚を持ったその女の妖怪――赤糸は、イトハを視界に収めると連続で蜘蛛の脚による突きを繰り出す。

その足先には当然のように神経毒が滴っており、一撃でも受けてしまえばどうなるのか日の目を見るよりも明らかであった――。

だがイトハは、その突きの連撃の軌道を読んでひょいひょいとかわして見せる。

そして、ちょっとした隙を突いてイトハは赤糸の懐に潜り込むと怒りで歪む赤糸の眼前に『猫だまし』を食らわせた。

 

「のぁっ!?」

 

パァン!という大きな柏手の音と共に赤糸の顔が一瞬のけ反る。

その隙にイトハは、今度は赤糸の胸ぐらをつかみ上げると、自身の体重を使って『(ともえ)投げ』を行い、赤糸を投げ飛ばした。

 

「あ゛あ゛ぁぁぁぁっ!!?」

 

悲鳴を上げながら投げ飛ばされた赤糸は、そこにあった襖を突き破って複数ある和室の一つ、その中央に転がっていた。

 

「クフゥ……クフゥ……ちく、しょう……!!」

「もう降参ですか?」

 

腹ばいのまま身体を起し、息を整えつつ恨みがましい声を上げる赤糸に、和室に入ってきたイトハは冷ややかにそう声をかける。

それが気に入らなかったのか赤糸はイトハに吠える。

 

「冗談じゃないよっ!!!アンタみたいなチビジャリに舐められたままでいられるわけないだろうがッ!!!『玩具』風情がふざけた口きいてるんじゃないよッ!!!」

「『ふざけた』?……ふざけてるのはどっちですか。何の罪もない子供たちをかどわかした挙句、こんなボロ屋敷の中でくだらない遊びを強要し、果ては捕まれば拷問にかけるという下衆(げす)な真似をしているのは……!!」

「うるさい黙れッ!私がここに連れて来たガキ共は全て私の『玩具』だッ!!お前たち『玩具』は人形のように大人しく私の遊び相手になってればそれでいいんだッ!!」

「なっ……!?」

 

あまりにも横暴な赤糸のその発言に流石のイトハも絶句する。

そんな彼女の目の前で赤糸がゆっくりと立ち上がると続けて叫び始める。

 

「大体、生意気なんだよ!こっちは毎晩毎晩、『遊女』仕事で男相手に文字通り体張って穢れながらも苦労して金稼いでんのにさぁ!!あのガキ共はそんな世の苦労なんて少しも知らぬ存ぜぬで奇麗な身の上で毎日毎日遊び惚けやがってッ!!あいつら見てると薄汚れた私との落差見せつけられたみたいで胸糞悪いんだよッ!!!」

「…………。だから、子供たちをあんな目に合わせたと?」

 

怒りを押し殺したかのようなイトハの問いかけに赤糸はあっさりと肯定する。

 

「ああそうさッ!!世間知らずなクソガキ共に、世の厳しさってのを骨の髄まで教え込んでやったんだ!!社会を生きる苦しみがどんなものか分からす為にアイツらの新品同様な玉肌をボロクズ同然に切り刻んでやってね!!お前らが私以下の底辺な存在なんだって事をアイツら自身にそう分からせてやったんだよぉ!!」

 

あまりにも自分勝手なその理由にイトハは怒りで顔が歪みそうになるも、それよりも()()()()()()()()()()()()()()()()()、グッと怒りを抑え、赤糸に問いただす。

 

「……貴女が連れ去った子供たちの中には、見た目に反して百歳以上生きている方たちも何人かいたと聞きました。その子たちも同じ理由だとでも?」

「ハッ!もちろんそうさ!!いい歳こいて未だにガキの気分で遊びまわりやがって!!ある意味、年相応なガキ共よりもよっぽどタチが悪いよ!!……今もこの屋敷のどこかでしぶとく生きている()()()()()がいい例さ!!」

「……!」

 

赤糸からこいしの名が唐突に出され、イトハに内心動揺が走る。

しかし、それをごまかすように険しい顔を作り赤糸を睨みつけながら彼女の言葉の続きに耳を傾けた。

赤糸はこいしの名前を出した瞬間、彼女を拉致した時のことを思い出したのか、聞いてもいないのに自分からその時のことを苛立たしげにベラベラと喋りだした。

 

「……古明地の妹を見つけたのは本当に偶然でね!仕事帰りで家に向かう途中、道端でうたた寝しているのをたまたま見つけたのさ!」

 

恐らく放浪中に休憩がてらに道端で眠りこけてしまったのだろう。その時にいつも発動している無意識の能力もうっかり切ってしまい、そこを赤糸に見つかってしまったのだ。

そう、この毒蜘蛛女の目に留まるという最悪のタイミングで。

 

「こっちは仕事終わりで疲れてるってのに呑気に私の目の前で気持ちよさそうに寝こけやがって!聞けばあの妹は日がな一日、気ままに幻想郷じゅうを歩きまわってるそうじゃないか!!こっちは稼ぐために毎日毎日あくせく男共の相手をしてるってのに……!!」

「…………」

「……だがら!あのガキにも毒を撃ち込んで今もその地獄の苦しみを味わい続けてもらってんのさ!!致死量ぎりっぎりを注入して生かさず殺さずの生殺し状態になってもらってね!!……そうすりゃあ()()()()()()、毒の影響で意識も朦朧となって()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

(!……やはり、そういう事だったのですか……!)

 

赤糸の言葉を聞いてイトハは内心納得する。

前に燐が子供たち死体を調べた時、見た目に反して年を取った子供たちだけが終始、意識がはっきりしていない状態だったと聞いた。

それは、赤糸に大量に毒を注入されたことで今のこいしのように意識が混濁状態になっていたのだ。

――基本、年相応に幼い妖怪の子供たちは、まだ自身の能力に()()()()()()()者のがほとんどなのだ。

子供たちが自分たちの能力に目覚めるのは、ほとんどの場合、第二次成長期が始まってしばらくしてからの事なのである。

したがって、年相応の幼い子供は、能力を覚醒させていないため同い年の人間の幼子とそう大差は無い。

だが、見た目に反した子供は違う。とっくに能力を覚醒させているのはもちろんの事、精神的にも成長しているため知恵もつく。能力を使って反撃をされるリスクも高くなるのだ。

だからこそ赤糸は先手を打って大量に毒を注入し、意識を混濁させ思考を封じると共に、能力の使用をもまた封じたのだ。

 

「毒の大量注入で思考も鈍って本物の人形同然になっちまうが、『玩具』に手をかまれる事だけは避けたいからねぇ。背に腹は代えられないよ全く……!まぁ、その分、年相応のガキを相手に楽しむだけなんだけどねぇ!」

「…………たった……たったそれだけの理由で、あの子たちにあんな事をしたんですか!?……拷問の果てに殺した子たちも何人も出しておいて……!貴女のせいで家族のもとに帰る事もできず死んでいった子たちがどんなに無念だったか……!」

 

憎悪を含んだイトハのその言葉にも、赤糸は「ハッ!」とせせら笑う。

 

「知ったこっちゃないねそんなの!言っただろう?この屋敷に来たガキ共は全部私の『玩具』だって!それに――」

 

 

 

 

 

「――壊れて遊べなくなった『玩具』は捨てるのが当然だろう?」

 

 

 

 

 

「――――――」

 

それを聞いた瞬間、イトハは胸の内が一気に冷たくなるのを感じた。

言い換えれば、怒りが振り切って一回りし、逆に冷静になったと言ってもいい。

そして一瞬イトハは、自分の目の前にいる赤糸が妖怪や人間などよりももっと下の、それこそ虫けらと同族の存在なのではないかとそう錯覚する。

これ程までに気分が悪くなったのは、美鈴から聞かされた先代主の話以来である。

――今までの考え方を改めなければならない。

最初こそ鬼の面をかぶって現れたたため、悪ふざけが好きな酔狂者だと思っていたが今は違う。

 

目の前にいるこの女は毒蜘蛛の妖怪であるが、間違いなく――『鬼』だ。

 

自分の享楽(きょうらく)の為なら幼子を嬲り殺しにするのも平然と行う反吐の出る『鬼』畜外道。それが目の前に立つこの女だ。

ついこの前、今の主である四ツ谷が『井戸女』を使って人里の子供たちを襲わせた一件があったが、彼が子供たちにやった事と今この女が子供たちにやっている事はその本質がまるで違う。

いや、そもそもそれ以前に比較するのもおこがましいだろう。

それ程までに私利私欲にまみれ、傲慢かつ身勝手なこの目の前の女に、イトハは激しい嫌悪感を抱いた。

 

(この『鬼』をこのまま野放しにはしておけませんね……。しかし――)

 

顔をしかめながらイトハは赤糸の後ろの方へと視線を向ける。

そこには赤糸の背中から生えた四本の蜘蛛の脚が毒液を纏いながらうねうねと蠢いていた。

 

(一番厄介なのはやはりあの神経毒……。連れ去られる時、毒を打たれて直ぐに意識を失った事から即効性であるのは間違いない。ならば(かす)って極微量、体内に入っただけでも即アウト……。その毒を纏った蜘蛛の脚が四本もありますから迂闊に懐に飛び込めない。……まぁ、先程みたいに少しの隙を突いて『猫だまし』で怯ませれば行けるでしょうが、そう何度も通用する相手とも思えません……)

 

イトハがそう思考するのを裏付けるように、目の前の赤糸もより一層険しい顔つきでイトハに警戒心を深めている様子であった。

さっきの動きを見るに赤糸は戦闘に関してはイトハほど慣れている感じではない、むしろ素人に近い。

しかし、赤糸から生える四本の蜘蛛の脚と神経毒がイトハとの戦力を埋める(カバーする)主な要因となっていた。

加えてイトハは様々な戦闘スキルを会得しているとはいえ、その容姿は幼くそこから出る身体能力も限られてきていた。

対して赤糸はその容姿は大人の女性と何ら変わらず身体能力もそれ相応にあった。

成長した大人の身体が持つ丈夫さ。それが(きた)えているとはいえ身体的に幼いがために攻撃力の低いイトハの打撃や投げ技を赤糸が耐え抜いてきた主な理由であった。

体格差と身体的能力。それもイトハが赤糸を倒す決定打が打てない一つの要因となっていたのである。

言うなれば、イトハは紅魔館で磨き上げた戦闘の技術が、赤糸は元から持っていた毒蜘蛛としての能力と大人の身体の持つ頑丈さにそれぞれ利があったのだ。

 

「さっさと毒食らいやがれクソガキッ!!シャァァッ!!!」

 

そう叫んだ赤糸は再びイトハに襲い掛かった。

背中に生えた四本の蜘蛛の脚が不規則な動きでイトハを刺し貫こうと迫る。

対するイトハも冷静に蜘蛛の脚の軌道をそれぞれ読み、回避や受け流しなどでそれに対処する。

 

(相手の攻撃手段(蜘蛛の脚の数)が多い以上、『拘束技』で組み敷くことは不可能。一本一本順番に脚を潰すのもリスクが高い。体術による打撃技一本でいくとしても、やはり蜘蛛の脚と毒が邪魔して倒しきれる可能性が低い。……となるとやはり、倒すよりも長期戦に持ち込んで()()()()()()()逃げながら出口を探し出す方が最善手かもしれません)

 

毒を纏った蜘蛛の脚をかわしながらイトハはそこまで思案すると、赤糸が二本の蜘蛛の脚を同時に突き出してきたのを見るや否や()()()()()()()()()()

場所は和室。それ故に畳がまんべんなく敷かれているため、イトハの震脚で足元の畳が一部床からはがれ、宙に僅かに浮く。

イトハは素早く屈んでその畳と床板の間に自分の指を滑り込ませると、勢いよく()()()()()()()

立てられた畳に迫っていた赤糸の二本の蜘蛛の脚が貫通し、その動きを止めさせた。所謂、『畳返し』である。

 

「なっ!?チィッ!!」

 

それを見た赤糸は悪態をつくと、畳を貫いた二本の脚を勢いよく左右へ振り、ボロボロになっていた畳をまるで紙切れのように真っ二つに引き裂く。

その流れで赤糸は続けざまに畳の影にいたイトハに向けて蜘蛛の脚を上段から振り下ろすようにお見舞いする。

だがイトハも難なくその攻撃をバク転で回避すると、その勢いに乗って先程はがした畳の隣に敷かれていた別の畳に手をかけ、それを持ちあげて再び畳返しを行う。

 

「同じ事を何度も!!」

 

苛立たし気に赤糸がそう叫び、今度は畳を払いのけようと蜘蛛の脚を横に大きく振るう。

しかし蜘蛛の脚が畳に当たる直前、イトハは立てられた畳の上部の(ふち)に両手をかけると、まるで棒高跳びの選手のように体を大きくしならせて赤糸の頭上を優雅に飛び越えて見せたのだ。

まるで飛び魚のように奇麗な()を描いて赤糸を飛び越えたイトハは、着地すると同時に身体を反転させて赤糸に接近する。

赤糸がイトハが背後に移動したのに気づいたのは、立てられた畳を払いのけた直後であった。

 

「!?」

 

慌てて振り返ろうとする赤糸の背後に接近したイトハは素早く彼女に足払いを食らわせた。

 

「がはぁっ!?」

 

足を払われた赤糸は畳の床に強かに背中を打ち付ける。

 

「があぁぁぁぁっ!!!」

 

それでも追撃はさせるものかと毒のついた蜘蛛の脚や四肢を激しくばたつかせ、振り回す。

それを見たイトハの方も、追撃は不可能と判断し、またもや体を反転するとそのまま和室を飛び出した。

 

「ま、待てぇっ!!」

 

逃げていくイトハを見た赤糸も慌てて立ち上がると彼女を必死に追いかける。

 

(逃がしゃしないよ!!()()()()()私が諦めると思ったら大間違いだッ!!)

 

遠くなったイトハの小さな背中を憎々し気に睨みながら、赤糸は心の中でそう叫んでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イトハと赤糸が戦っていた丁度その頃――。

屋敷の西側にある一室でイトハ以外の子供たち全員が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは万が一、子供たちが赤糸に発見される確率を低くするために、一か所に集めて待機させ安全面をできるだけ強くするというイトハの考えから来るものであった。

互いの体を寄せ合って部屋の外の様子をうかがう子供たち。

その部屋は最初にイトハが目覚め、子供たちが食事をした部屋であった。

そのため、その部屋の押し入れには今もこいしがぐったりと体を壁に預けており、そんな彼女を尾花は隣で心配そうに見つめていた。

やせこけ、虚ろに沈んだ双眸で弱々しく呼吸をするこいし。

尾花はそんなこいしの見てどうしていいか分からず、彼女の枯れ枝のように細くなった手をそっと取って心苦しく見守る事しか出来なかった。

そうしてこいしを見つめながらも、尾花の脳裏には彼女とはまた別の少女の姿が浮かび上がる――。

 

(イトハちゃん……)

 

すがるような面持ちで尾花は生きてこの屋敷から出るという一縷(いちる)の望みと共にイトハの身を案じずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤糸の気配を察知しながらイトハは入り組んだ廊下を走り続ける――。

朝の時間のうちに尾花に屋敷の中を案内してもらったおかげで、広大ながらもどこに何がありどんな部屋などがあるかなどその間取りを完璧に頭に叩き込んでいたイトハには、もはや屋敷の何処に今自分たちがいるのか手に取るように理解できていたのである。

 

(……東側だけでこの広さ。おかげで逃げる事に関して不便が無いのがいいですね)

 

背後から赤糸が追ってきている事に気配で確認しながらイトハはそう思った。

結構入り組んだ箇所が多いものの、それを利用して逃げ隠れ出来るのがこの屋敷の利点ともいえた。

 

(……しかし、本当にどういう事なのでしょうか。こんな大きな屋敷がこんな周りに壁面しかない大きな穴の底に建っているなんて)

 

イトハは未だにこの場所にこんな屋敷が建っている事に疑問を隠せずにいた。

最初は追ってきているあの女(赤糸)が建てたのかともイトハは思ったが、遊女仕事をしているらしいあの蜘蛛女にこんな大きな屋敷が建てられる資金があるとは到底思えない。

しかもこの屋敷全体がかなり痛んでいてボロボロだ。建ててから相当な年月が経っている事は明らかであった。

そして、何よりも奇妙だったのは――。

 

(……こんな場所に建っているにもかかわらず()()()()()()()()()()()という事……。何か意味があるのでしょうか?)

 

走りながらイトハはチラリと真横へと視線を向ける。

そこには丁度、別の方向へと延びる廊下があり、その廊下の奥にはうっすらとこの屋敷の玄関が小さく見えた。

その玄関が視界から消えるとイトハは再び視線を前に戻す。

 

(……本当に妙ですね。まるでこの屋敷自体を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。移築(いちく)?)

 

『移築』という単語が頭の中に浮かんだ次の瞬間、イトハの目がハッと見開かれる。

と同時にイトハの中にあったこの屋敷に対する謎があっさりと解き明かされた。

 

(……なるほど、そういう事でしたか)

 

なんてことは無い。蓋を開けてみればそう深く考える事も無い真実だったのだ。

半ば確信を持ってイトハは心の中で響く――。

 

 

 

 

 

(……この屋敷は――外界から『幻想入り』してこの場所に流れてきたのですね)

 

 

 

 

 

幻想郷に幻想入りしてくるモノは、何も妖怪や神と言った存在だけではない。『場所』だってそうだ――。

外界の人間たちに知られていない未踏(みとう)の地。秘境。そして廃棄され、長い年月を経て()()()()()()()()()()()()()()()

それらもまた、外界の地から消え去り、ここ幻想郷の地へと流れて来るのだ。

だがそれらの『場所』もまた、『忘れ去られた者たち』同様に幻想郷の何処に現れるのかは完全にランダムであるのだ。

 

(……そして、この屋敷の場合もそうであり、着いた場所が地底世界のこんな大きな穴の底だったというわけですか……。なんとも、これは……)

 

ただの大きな屋敷とは言え、人々から忘れ去られて幻想入りして来た上、流れ着いた場所が地底世界のこんな大きな穴の奥底であり、これからずっとここで朽ち果てるまで存在し続けなければならない事にイトハは屋敷に対して同情を禁じ得られなかった。

 

(……おそらくあの蜘蛛女は幻想入りして来たこの屋敷を偶然見つけて、誰もいない事を理由に勝手にここを自分の住処にしている、といった所でしょうか)

 

イトハがそこまで思考した瞬間だった。

 

(――!?)

 

唐突にイトハの顔に驚愕が浮かび、走っていた足を止めてすぐさま背後へと振り返る。

そこには()()()()()、シンと静まり返った薄暗い廊下が広がっていた――。

その廊下を凝視しながら、イトハは険しい顔つきでポツリと小さく響く――。

 

 

 

 

 

「あの蜘蛛女の気配が――()()()……!?」




最新話、投稿です。

もうしばらく、戦闘シーンが続きます。

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