ザーザッ……!
ザザザーッ……!
――一面を覆いつくす砂嵐の中……その奥に、古びた井戸があります……。
――その井戸の中から……爪を突き立て、這い上がって来るモノがいます……。
――そのモノが井戸の中から現れた時――。
――
其ノ一
――ザーーーーーーーーーーッ…………。
細かい雨が勢い良く幻想郷の地を瞬く間に濡らしていく――。
四月も後半にさしかかったある日の事であった。
「ったく、いきなり降って来やがって……!」
いつものように、散歩がてらに人里の子供たち相手に怪談を語っていた四ツ谷は、その帰り際に雨に降られ、近くの軒先に慌てて駆け込んだのであった。
四ツ谷は、懐から持っていた手ぬぐいを取り出し、外出時には必ず被る中折れ帽を脱ぐと、手ぬぐいで頭全体を拭き始める。
そうしてひとしきり拭き終えた所で、四ツ谷は軒下から空模様の様子をうかがった。
空は分厚い灰色の
「こりゃしばらく動けねぇか……?」
あーあ、とため息を吐きながら、四ツ谷は手ぬぐいを首にかけ、雨宿りをしている家の壁に背中を預けると、そのままズルズルとしゃがみ込んだ。
ふと、通りを見ると、十歳くらいの子供二人がこんな天気であるにもかかわらず、傘と
「『春雨やものがたりゆく蓑と傘』ってか。こんな雨ン中でも元気だねぇ、子供ってのは」
去っていく子供二人の後姿を見つめながら、四ツ谷はそうポツリとこぼした。
そして、そこでふと閃く。
「……そう言やぁ、後半月たてば五月の節句……『こどもの日』だな。
「――あらそう?私はゴマも最高だと思うのだけれど」
「!?」
唐突に四ツ谷の真横から声が上がり、驚いた四ツ谷は首を横に向けた。
――そこには女がいた。
それもただの女ではない、眼を見張るほどの美女がそこに佇んでいたのだ。
端正な顔立ちに透き通るような肌、長い髪と瞳は東洋離れした金色で、髪は一つに束ねて背中に流していた。
纏っている着物はどこにでもいる人里の年頃の娘がよく着ているようなありふれた物であったが、その使われているオレンジ色の生地には薄っすらと星座の様な刺繡が無数に散りばめられていた。
眼を見張る四ツ谷を前に、その女性はニッコリと微笑むと口を開いた。
「どうも。私もこの雨で動きが取れなくなってしまって。ご一緒させてもらってもよろしいかしら?」
「…………。どうぞ」
女性から視線を雨空に移した四ツ谷は、何故か無愛想にそう答えた。
しかし女性は、それを気にする風でもなく、四ツ谷と同様、空模様をうかがいだす。
「よく振りますね、この雨。しばらく止みそうにないですし。まったく、梅雨にはまだ速い時期なのに……」
「…………」
空を見上げながらも、女性は気安く四ツ谷に声をかけ続けるも、当の四ツ谷は口を開かない。
「さっき甘味の事を呟いてましたけれど、私は団子だとゴマだけじゃなく三色も好きですよ。他にも抹茶に黄な粉に――」
「――
ピシャリと、四ツ谷のその言葉が女性の声を遮る。
女性は雨空から四ツ谷へと視線を移し、そこにあった白々しいと言わんばかりの四ツ谷の流し目と合う。
そんな四ツ谷の様子に、女性は小首をかしげる。
「あら?どう言う意味ですか?」
「とぼけても駄目だ」
民家の壁に背を預けて地面に座り込んだ四ツ谷はそのままあぐらをかくと、その上に頬杖をついて言葉を続ける。
「――お前、雨宿りで偶然を装っているが、明らかに
「…………」
今度は女性が押し黙った。雨音を
やがて――女性が面白いものを見たかのように眼を細め、ニンマリと微笑を浮かべた。
「……どうして、そう思いに?」
「俺の後から雨宿りに来たって言うんなら髪や着物は濡らして来るんだな。
「あらあら」
四ツ谷のその指摘に、女性はおどけた調子で自身の
その様子に構う事無く、四ツ谷は言葉を続ける。
「……さらに言うなら、俺はこう見えてもちぃとばかり気配には敏感なモンでな……。さっきお前に声をかけられた時、正直びびったぞ?何せ、何の前触れも無く、いきなり俺の真横から
「――まるで、お前が今立っているその空間から、
「…………」
女性は沈黙し、四ツ谷も押し黙る。
長いような短いような沈黙の間、四ツ谷と女性はお互いの視線を動かさず、互いをジッと見据えていた。
しかし、やがて女性の方がフッと顔の表情を緩めた。
「やれやれ、まさか
先程の口調とは打って変わって、相手を下に見るような尊大で男性的な物言いをする女性。
そんな女性を四ツ谷は眼を細めて見つめる。
「……今、初顔合わせって言ったな?じゃあお前とはこれが初対面なんだな?宴会とかでも俺はお前に会った記憶が無いし」
「そのとおりだ。はじめまして、だな。私の名前は……そうだな、
そう言って軽く会釈する女性に、四ツ谷は見るからに胡散臭そうだと言いたげな顔を浮かべる。
「とりあえずって、思いっきし偽名だろーがそれ」
「ふふっ、いいじゃないか。
フンと鼻を鳴らして両手を腰に当て、不敵に四ツ谷を見下ろすその女性――真奈がそう言った瞬間、四ツ谷の視界がグニャリと大きく歪んだ。
「……ッ!?」
「今回はお前との顔合わせだけだ。近いうちにまた会おう。『百奇の語り手』……四ツ谷文太郎よ」
自分の体を支えるのも難しいほどに大きく歪む視界の中、真奈と名乗ったその女の声がまるで寄せては返す波のように四ツ谷の耳に遠くなったり近くなったりして流れ込んでくる。
それでも必死に踏ん張って体勢を整えようとしながら、四ツ谷は目の前に立つ真奈を睨み上げて、搾り出すように言葉を吐いた。
「お前……一体、何が目的だ?」
「即回答はつまらんと言ったはずだぞ?……んー、でもそうだな。一言だけ言えるとしたら――」
「――見極めだ♪」
「――ッ」
真奈のその言葉と同時に、大きくバランスを崩した四ツ谷は、地面に片手を付いていた。
頭を垂らして肩を大きく上下させながら呼吸を整える。
そうして再び四ツ谷が顔を上げた時、先程まで目の前にいた女性は影も形も見当たらなくなっていた――。
「ハァ……ハァ……」
四ツ谷と謎の女性との接触から数日後、快晴となった人里――その出入り口となる門から、何故か全身をボロボロにし、荒く息を吐きながら愛用の傘を杖代わりに入ってくる小傘の姿があった――。
「うぅ……きょ、今日の“特訓”はきつかった……」
そう声をもらす小傘のその姿にはちゃんとした理由があった。
それは前回、紅魔館の一件で関わる事となった太陽の畑の主、風見幽香である。
前回の一件で、小傘に眼をつけた幽香は、小傘が大妖怪としての力を
『……一目見て分かったわよ。貴女が自身の力を持て余している事が。手加減とかも上手くできていないんじゃない?力に振り回されている今の貴女じゃ、いずれ周囲の者たちにまで危害が及びかねないわよ。そ・こ・で♪この私、優しくて頼もしい貴女の大先輩である風見幽香が特別に手取り足取り協力してあげるわ♪もちろん、手加減も拒否権も無いから、覚悟してなさいね♪』
――と言う事で、紅魔館での一件後、毎日のように小傘は幽香に太陽の畑へと連れて来られては、そこで特訓と称しての『殺し合い』の相手をさせられていたのであった。
「うぅぅ~、わちきの為だなんて絶対嘘だぁ。わちきと相対する幽香さんの顔、完全に面白がってたもん。完全に遊びがいのある玩具を見つけた子供のような顔してたもん」
今だってはっきりと思い出せる。畳んだ傘を片手に自分に向けて浮かべる幽香の仄暗い歪んだ笑みを。
獲物を見つけた爬虫類のような視線を自分の体に舐めまわすように這わせ、三日月形に歪んだ口からチロリと出した舌で舌なめずりをするあの顔を。
(ヒィィィィ……!!)
思い出しただけで鳥肌と怖気が走る。無意識に悲鳴まで上げてしまいそうだ。
一体いつまで自分はこんな地獄を味わい続けなければならないのか。
自身の体を抱きしめ、血の気の引いた顔でガタガタと震えながら、小傘は我が家である四ツ谷会館へと足を速めていった。
――と、家路へと急ぐ途中、小傘は道端で見知った顔を見つける。
「……あれ?魔理沙さん?」
「……ん?おお、小傘か――って何だお前、その格好!?ルナティックレベルの弾幕爆撃にでもあったのか!??」
「当たらずも遠からずです」
偶然出会った魔理沙に今現在の自分の現状を問われる小傘であったが、あまりその事には触れてほしくない小傘はその問いに短くそう答えていた。
そして、これ以上深入りされたくない小傘は、無理矢理に話題を変える。
「そ、それよりも魔理沙さんも、どうしたんですかこんな所で?」
「お、おお、私か?ちょっと気になる事があってな。……あれだよ」
そう言って魔理沙は視線をとある場所へと向ける。それを追って小傘もそこへ眼を向けた。
そこには何も無い、広い空き地があるだけであった。人っ子一人いないその空間に風だけが空しく通り過ぎる。
それを見た小傘は首をかしげた。
「……あれ?変ですね。いつもなら、この空き地で人里の子供たちが遊んでいる所をよく見るのに」
「だろ?今日は快晴で寺子屋も終わっている時間帯なのに誰もいやしない」
「どうしたんでしょう?」
「……実はここだけじゃないんだぜ小傘。最近、人里中を歩き回っても、外を出歩いている子供が極端に減ってきてるんだ」
魔理沙のその言葉に、小傘は大いに驚く。最近は幽香の相手で手一杯立った為、人里の様子の変化に気づけずにいたのである。
「気づきませんでした。一体何があったんでしょう?」
「さぁな。私もそれが気になって――ん?何だ?」
唐突にざわざわと人の喧騒が聞こえ出し、魔理沙と小傘は何事かとその騒音の聞こえる方へと眼を向ける。
するとそこには何人もの人里の人間が、血相を変えて通りを横切り、脇にある別の通路の向こうへと消えて行く光景が目に入った。
切羽詰った顔で慌てて駆けて行く人間たちを見て、魔理沙と小傘はお互いに顔見合わせる。
そして、どちらかが何かを言うまでも無く、二人同時に路地の奥へと駆け出していた――。
――路地の奥、その一角にある何処にでもある普通の民家。
その民家の前に、人だかりがごった返していた。
ざわざわと騒ぐ人だかりの最後尾に、魔理沙と小傘が到着する。
魔理沙は人だかりの奥が気になり、その向こうを見ようと背伸びをしたりピョンピョン飛んだりしだす。
それを見た小傘は怪訝な顔で魔理沙に問いかける。
「魔理沙さん。何で空を飛んで見に行かないんですか?」
「馬鹿言うな。そんな事したらこっちに注目が集まって、この騒ぎが何なのか分からなくなってうやむやになっちまうかもしれないだろうが。……ああ、もう面倒だな。オイ、おっさん!一体、何の騒ぎだこりゃ!?」
痺れを切らした魔理沙は、目の前にいる中年男性の肩を掴んでそう叫ぶ。
掴まれた男は一瞬、驚いた顔で振り返り魔理沙を見るも、直ぐにそれに答えた。
「あ、ああ……。何でもこの家でついさっき、
「刃傷沙汰だぁ?」
眉根を寄せてそう呟く魔理沙。その次の瞬間、人だかりの向こうから切羽詰った複数の人間の叫び声が轟きだした。
『手足を押さえろ!!ああ、くそっ!暴れんなッ!!』
『気をつけろ!錯乱している!!』
『縄!縄ッ!!誰か早く縄持って来い!!』
『オイ、舌噛み切ろうとしてるぞ!!
『そこの雨戸、一枚外せ!!それを
明らかに異常事態が起きている事を現している叫び声が、人ごみの向こうから次々に飛び出してくる。
常軌を逸したその喧騒に、魔理沙と小傘は軽く呆然となった。
やがて、人だかりの向こうから聞こえたその喧騒は、民家から魔理沙たちがいる路地とは別の路地へと移動をし始めた。
恐らく、そのまま永遠亭へと向かうのだろう。
しかし結局、魔理沙も小傘も、終始人だかりに視界を阻まれて、その騒ぎの原因を見る事は出来なかった――。
そして――魔理沙も小傘も、この時は全く気づく事ができなかった。
自分たちが遭遇したこの一件が、人里はおろか、この幻想郷全体を
その一件があった夜の事である――。
四ツ谷会館にて、四ツ谷とその従業員である小傘たちは、習慣である閉館時の戸締りチェックをしていた。
見回りには、居候である外来人の梳だけでなく、最近、新に加わった元妖精メイドのイトハも参加している。
梳の店が完成するまで、イトハも梳同様、この会館で居候する事になったのだ。
それぞれが会館の戸締りを確認している中、四ツ谷は会館の正面玄関の戸締りをチェックしていた。
確認中、四ツ谷は一人ブツブツと独り言を呟く。
「ったく……。この間のあの女、一体なんだったんだ?あれから全然、音沙汰がねぇ。かえって不気味だ。それに……人里のガキ共の事も気がかりだ」
四ツ谷も魔理沙同様、ここ最近の子供たちの様子が気になっていた。
彼もまた、日に日に目にする子供たちの数が次第に減少しているのに気づいていたのだ。
寺子屋で授業をする時も、登校して来る子供たちの数が段々と減ってきており、寺子屋側は保護者たちに理由を聞いてまわったが、言葉を濁すばかりで何も分かっていないようであった。
そして、この四ツ谷会館でも、以前は子供たちが十人以上は必ず遊びに来ていたのにも拘らず、今では四ツ谷の怪談の常連である、太一たち仲良し五人組だけが来るだけとなってしまっていた。
四ツ谷は今日の昼間、いつものように怪談を聞き終えて帰ろうとする太一たちを呼び止めると、さりげなく他の子供たちはどうしたのかと問いかけていた。
すると、太一たち五人は全員暗い顔になり、それぞれがポツリポツリと口を開き始めたのだ――。
『……わからない。なんか皆、新しい遊び道具を手に入れて、それに夢中になってるみたいなんだけれど……それ家で遊ぶ道具みたいで、皆自分の家に閉じ篭りっきりになってるみたいなんだ』
『私たちも、一緒にやらないかって誘われたんだけれど、私たち皆、四ツ谷先生の怪談を聞いたり、外で遊んだりする方が好きだから、断っちゃったの』
『それに……その遊びを夢中でしている皆の目……なんか怖かったし……。それはもう、何かに取り付かれてるんじゃないかって思うくらいに……』
『そうそうー』
『こわかった……』
その時の太一たちの話を頭の中で思い返しながら、四ツ谷は戸締りチェックを続ける。
(まったく、幻想郷ってのは退屈だけはしないな。……今度は一体何が起きてるのやら……)
呆れ半分に四ツ谷はそう思いながら、正面玄関のチェックを終わらせて、小傘たちが待っているであろう職員室に向けて踵を返した。
――だがその瞬間、四ツ谷の背中側、つまり正面玄関から強めのノック音が唐突に響き渡った。
――ドンドンドンドン、ドンドンドンドン……!
「……?」
この時間帯に閉館する事は、人里の人間なら誰しもが知っているはず。
怪訝な顔をしながらも、四ツ谷は再び、今閉めたばかりの正面玄関の前に立つと、外にいるであろう人物に向けて声を上げる。
「どちらさんだ?もう、ここは閉館だから、用があるならまた明日に――」
「――私だ四ツ谷」
「……慧音先生?」
聞きなれた女教師の声が玄関戸の向こうから響き、四ツ谷は首をかしげる。
一体全体この教師はこんな夜更けにここに何の用があって来たのだろうか?
疑問に思う四ツ谷の前――玄関戸一枚隔てた向こうにいる慧音は、四ツ谷に声を投げかけ続ける。
その声はどこか余裕が無くやや焦っているかのようにも聞こえた。
「四ツ谷、すまない。閉館時に不躾で悪いが、ここを開けてくれ。……今、人里でとんでもない事が起きていて、一刻を争う事態なんだ。どうもお前の協力も必要になってくるみたいだ。頼む……!」
「……?」
いまいち要領を得ない慧音の言葉に、四ツ谷はさらに困惑する。
何か起こってるのは気づいてはいたが、それで何故自分の協力が必要になるのか?
頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも、四ツ谷はとりあえず慧音を迎え入れるため、鍵をかけたばかりの玄関戸を開けた――。
ガラリと開けた瞬間、そこには見るからに余裕が無いといった感じで、思いつめたような顔を浮かべる慧音の姿があり、そして――。
「――!……こりゃまた、
――彼女の背後に立つ
最新話投稿です。
ネタバレを防ぐため、この章の題名はあえて伏せておきます。
この章が終わり次第、題名を明かす予定となっております。
注:前回のあとがきで報告しましたとおり、この章では『最恐の怪談』は行いません。
それでも良いという方は、次の投稿もお待ちいただけるよう、なにとぞよろしくお願い申しいたします。