『最恐の怪談』の準備が整い、今宵、赤い館を舞台に四ツ谷文太郎が語り始める――。
「一体どう言うつもりなの、四ツ谷文太郎!」
日が沈み、夜となった紅魔館のエントランスにて、館の当主であるレミリア・スカーレットとその妹、フランドールスカーレット。そして、レミリアによってこの館に連れて来られた四ツ谷文太郎の三人が相対していた。
レミリアの非難じみたその叫びにも、四ツ谷は微動だにせず。その不気味な笑みも崩す事無く彼女を見据えた。
「どう言うつもりも何も……俺はただ約束を果たしに来たのですが?」
「ふざけないで!私は、『怪談』の『聞き手』はフランだけって言ったはずよ!
「……???」
とぼけた様に呟く四ツ谷に、レミリアはそうすぐさま噛み付く。
それを見ていたフランドールは未だに状況が掴めず困惑していた。
四ツ谷は眼を僅かに細めると笑みをフッと消すと、レミリアにはっきりと、それでいて静かに言葉を放った。
「……今回の『最恐の怪談』。それは、フランドール・スカーレットの実の姉であるレミリア・スカーレット……貴女にも立ち会って聞いてもらう必要があったからですよ」
「なっ!?馬鹿言わないで!どうして私が――」
「――あなたがこの場にいなければ、この『怪談』は
「な、何を言って――」
四ツ谷のその言葉に、内心動揺しながらも直も食って掛かろうとするレミリア。しかし、四ツ谷はそれよりも早く言葉を重ねた。
「……時に。先程、興味深い話をしていましたね?……
そう言って四ツ谷の視線がフランドールへと向けられ、その視線を受けてフランドールは一瞬、ピクリと反応するも、直ぐに不機嫌に顔を歪めると四ツ谷を睨みつけた。
「何よ……誰だか知らないけどいきなり出てきて……。お姉さまの知り合いみたいだけれど、関係ないでしょアンタには!」
怒気を含ませたフランドールの声がエントランスに響き渡る――。
されど四ツ谷は、どこか涼しげな顔でスカーレット姉妹から背中を向けると、顔を上げてまるで歌うように言葉を紡いだ。
「――冷酷な吸血鬼の男、その男の毒牙にかかり、悲劇の人生を歩んだ一人の女性……」
「えっ……!?」
「なっ!?あ、アンタどこでそれを……!?」
それを聞いたフランドールは絶句し、レミリアは四ツ谷が知らないはずの『その女性』の事を彼が口にした事で動揺し、そう叫ぶ。
されど、四ツ谷はそれに答える事無く、言葉を続ける。
「……自身の意思を蔑ろにされ、無理矢理『
「な、何でそれを知って「――しかし――」……!?」
再び問い詰めようと叫ぶレミリア。しかし、それに四ツ谷の言葉が静かに被される。
レミリアの言葉が途中で消え去り、代わりに四ツ谷の『語り』がその場をジワジワと支配していく――。
「――彼女は死してもまだ、
「――この世に残していく、二人の愛娘たちに送る……最期の言葉」
「……ふ、ふざけるなぁっ!!!!」
怒りが頂点に達したレミリアの叫びがエントランスに木霊した。
その声は周囲をビリビリと震わせるも、四ツ谷は微動だにせず、未だにレミリアたちから背を向けたままであった。
レミリアはそんな四ツ谷の態度が気に入らず、鬼の形相で四ツ谷を睨みつけながら続けて叫ぶ。
「この館に留まり続けてる?……馬鹿を言わないでッ!!お前があの人の何を知っているの言うのよ!?これ以上ふざけた事を言うのなら、八つ裂きにして湖に捨てるわよ!?」
「――いますよ、彼女は。まだ、この紅魔館の中に……」
荒く呼吸を繰り返しながら鬼気迫る形相で自身を睨みつけるレミリアに対して、四ツ谷は静かに視線をレミリアたちに戻すと、まるで二人に言い聞かせるかのように、優しくそう響く。
「……生前。貴女たちに自身の想いと『約束』を送った彼女でしたが、それでも伝え切れなかった『言葉』がまだあったのです。それを伝えるために、彼女は今も……ここに居続けている……」
レミリアを見下ろしながらそう響く四ツ谷に、レミリアは再び怒りに任せて口を開こうとする。
だが、それよりも前に彼女の背後でドゴォッ!!っと何かが破壊される音が響き渡った――。
レミリアと四ツ谷が音のした方へ視線を向けると、そこには両腕を小刻みにブルブルと振るわせて俯くフランドールの姿があった。
そして彼女の足元――右足の下の地面に、できたばかりの小さなクレーターがあり、そこからシュウシュウと小さな煙が上がっていたのだった。
「……何かよく分かんないけど……戯言もここまでくれば立派なモノじゃない……。いきなり出てきたかと思えば、知ったような口を利いてペラペラと……!勝手に言いたい放題ばっか言って……!!」
そう言って顔を上げたフランドールの双眸には涙がたまっており、その瞳で四ツ谷を睨みつけていた。
「約束?最期の言葉?!何よそれ!?何も覚えていない私に対してのあてつけのつもり!?最低よッ!!アンタなんか、八つ裂きにされるまでも無い!今ここで私が粉々に吹っ飛ばしてやるわよッ!!」
叫び散らすフランドールは掌を上に向けて片手を四ツ谷の前に突き出す。
その掌をギュッと握るだけで目の前の四ツ谷と呼ばれた男は跡形も無く消え去る。今までもそうだったように。
しかし、目の前にいる四ツ谷はそれでもフランドールに臆する事無く彼女を見据えていた。
その様子が気に入らないのか、フランドールは四ツ谷に声を荒げる。
「……何よ!?怖がりなさいよ、泣いて命乞いをしなさいよッ!!この手を握れば、アンタなんか一瞬でこの世から消えちゃうんだからッ!!今までだって、ずっとずっと!ずぅーっと、そうやって色んなモノを壊し続けてきたんだから!!怯えられて、怖がられてきた、
「――だから……誰も私の事なんて、愛してくれる訳、ない、じゃない……っ!!」
そう、搾り出すように響かれるフランドールの声と共に、彼女の頭と掲げていた手が力なく垂れた。
痛ましいフランドールのその姿に、レミリアは先ほどまでの怒りが嘘のように消え、胸が締め付けられるような感覚に襲われるも、フランドールにかける言葉が見つからず、沈黙したまま彼女を見つめるしかできなかった。
しかし、その瞬間。カラ……コロ……と、下駄の音を静かに響かせて、四ツ谷はフランドールの前へと歩んできたのだ。
四ツ谷は悲しみに沈むフランドールを見下ろすと、やがてゆっくりと彼女に声をかけた。
「『戯言』、『誰も自分を愛していない』……。それは……
そう言って四ツ谷は、懐から
「……?何よ、この紙切れ……。コレが一体何だって――…………?」
唐突に差し出された紙に、フランドールはいぶかしみながらも、反射的にその紙を受け取り――そして、その紙に書かれている文字に気づく。
「……!!?」
その文字に眼を走らせた瞬間――フランドールの眼が驚愕に大きく見開かれ、身体は雷に打たれたかのように硬直した。
「……?」
ただならない様子で手に持った紙を食い入るように見つめるフランドールに、レミリアも気になり、眉を寄せながらフランドールの横からその紙を覗き込んだ。
「……!!」
そうして、レミリアもフランドール同様、その紙に書かれた文面を見て、驚きに身体を硬直させたのだった――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――拝啓、レミリアとフランドールへ。
二人がこの手紙を見る時、恐らく私は既に、この世にはいないのだと思います。
今私は、小さな自分の部屋でこの手紙を書き、自分の思いを全てここに記す気持ちでペンを走らせています。
不思議なものです。この館に幽閉され、望みもしなかったここでの夫婦生活や子育て。……何度死んで楽になりたいと思っていたのにも拘らず。少し前に病気にかかり、いざ自分の死期を悟ってしまうと、逆に死に切れない気持ちでいっぱいになったのです。
思えば、これと似たような心境になった事が以前にもありました。
それは貴女たちを身篭り、そして出産する時でした。
貴女たちを身篭った当初、私はお腹の中にいる貴女たちに憎しみを抱いていました。好きでもない彼に無理矢理迫られた果てにできた子供です。その様な歪んだ情事でできた子供に、当初の私は愛着など微塵も湧く訳がありませんでした。
でも、いざ出産し、この手で貴女たちを抱きかかえた時、私の心境は一変しました。
何の穢れも知らない無垢な顔でこの世に生の産声を上げた貴女たち。その声を聞いた時、私は自分の中に鬱屈して溜まっていた憎しみが、霞のように消えていくのを感じたのです。
そして同時に、私の中の考えが変わったのです。
例えどんなに忌み嫌う男との間に生まれた子供であろうとも、その子たちには決して罪などないという事に。
その男との間に生まれた決して人ではない子供でも、私にとってその子たちは自分のお腹を痛めて産み落とした、愛しい我が子である事に変わりはないのだという事に。
それに気づいた時、私の中にあった貴女たちへの憎悪は完全に消え去り、代わりに貴女たちの存在がとても尊いものに感じるようになったのです。
貴女たちを生んで初めて抱き上げた時の事も、未だに昨日の事の様に思い出せます。
私のこの腕の中に、貴女たちの温もりを感じ、私に笑いかけるあの無垢な顔は、私の記憶に残る大切な宝物の一つです。
そして……夜に、あの庭園で二人と美鈴と四人で遊んだ日々も……。
この手紙を書いている今この瞬間にも、私の中に潜む病魔が少しずつ私を蝕んでいくのが分かります。
いずれ、それは全身へと回り、やがて私は天へと召されるのでしょう。
もっと貴女たちと一緒に居たかったけれど、それももう、できそうにありません。
本当に、ごめんなさい……。
――レミィ。フランの事、お願いね。
貴女に全て押し付けてしまう形になってしまうけれど、フランと美鈴が一緒なら、貴女はどんな事でも切り抜けられると私は信じています。
フランの姉と言う立場から、何かと我慢し、背負い込みがちになりやすい貴女だけれど、本当はまだまだ誰かに寄りかかっていたい子である事は、よく分かっておりました。
今までは私がその拠り所となって貴女を支えていましたが、その私も、もういなくなります。
ですが、私がいなくなっても、貴女は大丈夫です。
貴女は一人じゃない。血の繋がった妹や今では家族同然の美鈴も一緒にいるのですから。
無理に背伸びをする必要はありません。時には我が侭を言って誰かを困らせたり、甘えたりしても良いのです。
貴女は、貴女の望む、思うがままの道を……フランと美鈴と共に、私の分まで生を謳歌し、歩んでください。
――そして、フラン。お姉さんの事、お願いね。
背伸びしがちで、無理しちゃいやすいお姉さんだけれど、貴女が支えてくれれば、あの子もとても嬉しいから。
例え何もできなくても、ただ傍にいてくれさえすれば、あの子はなんだって頑張れる。
貴女と、美鈴が一緒にいさえしてくれれば、それだけで……。
今の貴女はとても幼い。私はもう直ぐこの世を去るけれど、そうなれば貴女は時と共に私の事を忘れてしまうかもしれませんね。
でも、例え私の事を忘れてしまっても、ただ一つ、この事だけはどうか覚えていてほしい。
貴女の持つ能力は、決して誰かを傷つけるためのものなんかじゃない。
それは貴女の、誰か大切な者を守るための力。
お姉さんや美鈴、そして今はまだ出会っていない、かけがえのない大切な友達を悪いモノから守ってあげるための力であると私は信じています。
本当は、もっと大きくなるまで一緒にいたかった。ですが、これからはずっと、私は空の上からフランを見守っています。いつまでも、ずっと。
お姉さんとはこれから、時に喧嘩をしたり、いがみ合ったりする事もあるのかもしれません。
でもそれでも、いざ一人ではどうしようもない脅威に出会った時、お互いに協力し合い、助け合って、二人でそれを踏み越えていく事がきっと出来ると、私はそう信じています。
心配は要りません。貴女なら、きっと大丈夫。
お姉さんも、美鈴も、そしてこれから出会うであろうかけがえのない友達。
心から接し、歩み寄れば、貴女の思いにその方たちはきっと答えてくれる。
だから、自分を見失わず、貴女は貴女の思いを胸に、どうかお姉さんたちと末永く幸せに。
……ああ、駄目ですね。書きたい事、思い残したい事は全て書いたはずなのに……それでも二人に対する思いの言葉が胸の内から後から後から湧いてきてしまっています。
でも、それでも、ここでペンを止めなければ、私は永遠にこの手紙を書き続けてしまいそうです。
ですから……もう、ここで終りにします。
この手紙がどういった経緯で貴女たちの元に届くのかは、私にも分かりません。
もしかしたら、誰にも気づかれずに隠した所共々、処分されてしまうのかもしれません。
ですがそれでも、どういった形でもこの手紙を貴女たちに読んでもらえる事を、心から切に願っています。
そして……最後に――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
レミリアとフランドールは手紙の文字に釘付けになったままその場に立ち尽くしていた。
手紙に書き手の名前は書かれていない。
それでもレミリアにはその文面――文字の書き方には、遥か昔にこの世を去った最愛の人の面影を想起させ。
フランドールにはその文章の内容から誰が書いたのか自ずと察しがついたのであった。
しばしの沈黙後、レミリアは動揺を隠し切れない顔を手紙から上げ、視線を四ツ谷へと向けた。
「……あ、あなた。コレを一体、どこで……?」
震える声でそう問いかけるレミリア、しかし四ツ谷はそれには答えず、ゆっくりと二人に背を向けるとそのまま
「……『母親の事を覚えていない』……どうして、そう、言いきれるのですか?――」
その言葉と共にフランドールも呆然としながら四ツ谷へと眼を向けた。
カラコロと下駄の音が静かにエントランスに鳴り響く――。
四ツ谷の『語り』は止まらない――。
「――さァ……今一度、思い出してみましょう。
……彼女の服装はどんな風でしたか……?
――声は?
――
――笑った、顔は?」
やがて、扉の前に立った四ツ谷は、片手をそっと扉に添えると、それをゆっくりと押し開けた――。
「さァ……月夜の散歩に出かけましょう……」
――ふわり……。
扉が開け放たれると同時に、外の空気がエントランスへと流れ込んでくる。
それと同時に、風に乗って
「――!……これ……この香りは……!」
「……紅茶……?それに……焼き立てのクッキーに……アップルパイ……?」
小さな鼻をヒクヒクと動かし、無意識にそう響いたレミリアとフランドール。そして、そしてそれに続くように、また新たな匂いが彼女たちの元へと届く――。
「「……!」」
――それは、花の匂い。しかし、いつも見ている花々の匂いなどではなく――それは、二人にとってとても古く、懐かしい……思い出深い花の匂いであった――。
そして、匂いに続くように、四ツ谷によって開けられた扉の向こうに広がる夜の景色から、はらりひらりと、複数の白い花弁が中へと舞い込み、二人の視界に映りこんだ――。
――そして……二人は
――目の前を白い花弁が舞うその向こう――。
――玄関戸の向こうにある夜の暗闇に、ぼんやりと浮かび上がる、白く儚い人の影を――。
「「!?」」
それを見た瞬間、知らず知らずの内に二人は外へと駆け出していた――。
翼で飛ぶ事を忘れ、扉の脇にいた四ツ谷も置き去りに、レミリアとフランドールは、ひたすらにその白い人影を追った――。
――紅魔館から霧の湖を挟んだ対岸。そこに風見幽香の姿があった。
幽香は、愛用の傘を畳んで杖代わりにしながら対岸に在る紅魔館をジッと見つめていた――。
館を見つめながら、幽香は誰にかける訳でもなく、一人そっと呟く。
「……全く、とんだ酔狂者ねあの男は。他者の厄介事に首突っ込もうだなんて。……まぁ、それでもあの男は自分の怪談の為だと言い張るのでしょうけどね……」
そう言ってクスリと小さく笑う幽香は、紅魔館での花植えの作業中に小耳に挟んだ、紅魔館とあの吸血鬼姉妹の大まかな過去話を思い出し、眼を細めた。
(……私たち人間や花たちとは違う悠久の時を生きると言っていい者たちは、数百、数千の年月を過ごして行くのは当たり前の存在。……それ故に、古い記憶は風化していき、遥か遠い過去となるのも当然。でもね――)
心の中でそう呟いていた幽香はそこでふと、顔を上げる。紅魔館の方から
こんな遠い所までよく来たものだと、幽香は内心小さく苦笑しながら、頭上から落ちてくる数枚の花弁の内の一枚をそっと掌で受け止めた。
そして、先程の言葉の続きを心の中で響かせる――。
(……あの吸血鬼たちは、一つ勘違いをしている。……『覚えていない』、『忘れてしまった』。それは決して
そうして幽香は改めて視線を紅魔館に向けた。今、あの館で何が起こっているかなど幽香は知る由も無い。
しかし、一つだけ幽香には確信めいた事実があった。
(レミリア・スカーレット……貴女が連れて来たあの変人が、今からそれを証明するわ……!)
はらり。
ひらり。
はら。
ひらり……。
月明かりの下――白い影を追って、幼き吸血鬼の姉妹がひた走る。
視界をいくつも舞う白い花弁を振り切るように、少女たちはただただ、その
――やがて……二人は、『思い出の場所』へとたどり着く。
「「…………」」
そして、
――白。
――一面を覆い尽くす白一色の世界が、そこに存在していたのだ――。
月の光に照らされて、淡く白く輝くそれは、大量の白い花々であった。
少し前まで荒れ果てた庭であったはずのそこは、白く美しい海へと変貌し、風が吹くと共にまるで波紋のように波うち、同時にそこから離れたいくつもの花弁は、さながら波のしぶきのように、白い満月の空へ高く華麗に舞い上がった――。
――そして……。
――そこに……。
――『彼女』がいた……。
月明かりに照らされた、幻想的な白い花畑の中心に――白いドレスと帽子を纏った『彼女』の後ろ姿があったのだ……。
「あ……」
その姿を見つけたフランドールはそう声を漏らし、隣で呆然と立ち尽くすレミリアより数歩、前に出て、その女性を凝視する。
纏ったドレスと共にその長い金色の髪が風に揺れ、両手を後ろ手に組んだその女性は、空に淡く輝く月を見上げているようであった――。
――四ツ谷の言葉が……懐かしい匂いが、光景が……少女たちの記憶のはしっこをつつく……。
そうして次の瞬間、フランドールの中で堰き止められていた何かが外れた。
と同時に、かつて忘れていたと思っていた懐かしい記憶が、一気にフランドールの頭の中を駆け巡ったのだ。
そして――その中に、彼女がずっと捜し求めていた記憶があった――。
――それは、彼女にとってとても古く、そしてとても大切な……『約束』の記憶……。
今と同じくこの白い花畑の海の中で、自身を恐れる事など無く、大切に育て想ってくれた愛しい母と自分の二人だけの『約束』の記憶――。
――……いいフラン?貴女のその能力は、貴女のお姉さんや美鈴、そして貴女の大切なお友達を守るための力。誰かを傷つけ、恐がらせる為のものじゃない。貴女は、貴女の思うように生きて、その能力でお姉さんたちを助けてあげて……。それが、お母さんがフランに望むたった一つのお願いだから……――。
――『約束』、よ……――。
そう言って病で痩せこけた顔で、柔らかく微笑む母の顔と、同じく痩せこけてしまった彼女の小指に、自身の指を絡ませた記憶も、今はっきりと、フランドールは鮮明に思い出すことが出来たのだった。
そしてレミリアも、フランドールと同じく『彼女』の姿を見つけると、フランドールと同じくあの夜の『約束』を思い出していた――。
――レミィ、フランの事、お願いね。私はもう直ぐいなくなって、貴女たちを残して行っちゃうけれど、姉である貴女がしっかりとフランを導いてあげるのよ?心配しなくても大丈夫。美鈴もいるし、いざとなればフランも必ず助けてくれる。時には我が侭だって言ったって良いの。気負う必要も何も無い。……貴女は貴女らしいやり方で、姉としてフランを引っ張って行ってね……――。
――『約束』、よ……――。
そう言って同じく病で痩せこけた笑みを『彼女』が浮かべていたのを、レミリアはまるで昨日の事のように鮮明に思い出していた。
それぞれが『約束』を思い出した二人を前に、今……目の前に立つ白いドレスの女性が、ゆっくりと彼女たちに向かって振り返る――。
月明かりに照らされたその顔は、病で痩せこけた様子の全く無い健全な姿で、柔和な笑みを携えて二人を見つめていた。
――紛れもない、愛しい母の……笑った顔がそこにあった――。
――レミィ……フラーン……!――。
母が……笑っていた。
何十年、何百年立とうと、想い焦がれる日々が無かった愛しい母の、一点の穢れもない柔らかく優しい笑顔が、そこにあった――。
今、目の前で、自分たちに向け、手を振りながら笑いかけている――。
自分たちが愛し、そして愛してくれた母の笑った姿が、今ここに――。
「……あ、あ゛あぁぁぁあ゛あぁぁぁ……!!」
それを認識した途端、レミリアは滂沱の涙を流していた。
胸が張り裂けそうなほどに、感情が彼女の胸の内を渦巻いていた。
それと同時に、この五百年間、自分に絡み続けていた『しがらみ』が一気に解かれ、身体が軽くなったような気分になった。
言い知れぬ感情の渦巻きに打ち震えるレミリア。そんな彼女の前に立つフランドールが、レミリアの方に振り返る事無く、ポツリと響く――。
「……お母様の笑った顔も、声も……もう、どんなのだったか忘れたと思ってた……。ううん、違う。私は
フランドールは、そう声を震わせながら――先程読んでいた母の手紙の、その最期の文章を思い返していた――。
そして……最後に――
レミィ、フラン……。私の愛しい子供たち――
フランドールはレミリアに顔を向けた――。
涙と鼻水でグシャグシャになり、それでも自分の家族である姉に向けて笑顔を浮かべながら――。
「フラン……」
「お、姉さま……わ、わ゛だじッ……も゛う、大丈夫っ……だいじょうぶだと、思う……ッ」
「フラン……っ!」
涙で震える声でそう響くフランドールを、レミリアは思わず強く抱きしめた。
フランドルもその小さな両手でレミリアを抱きしめ返す。
「ごめ、んなさい……。お姉さま、ごめんなさい……っ!」
「ううん。私の方こそ、ごめんなさいっ……!貴女に酷い事ばかりしてしまった……!私は、貴女のお姉ちゃん、なのにっ……!」
「ううん。いいの……もういいの。私、取り戻せたから……!大事な記憶も『約束』も、取り戻せたから……!だから、もういいのっ……!」
お互いが涙で顔を濡らしながらも、それでも互いを抱きしめ続けていた。
もう二度と放さない。そんな決意を表すかのように。
そうして一陣の強い風が花畑に吹き込んだ――。
花びらが風に乗って天へと舞、逆巻くように月へと登っていく――。
そうして弱まったその風は、今度はその場で抱きしめあう幼き姉妹を優しく包み込んだ――。
はらり。
ひらり。
はら。
ひらり……。
まるで二人を祝福するかのように、周囲に白い花弁を舞い躍らせながら――。
一月ほど遅れましたが、何とか最新話投稿です。
そして今回も、一万字越え投稿と相成りましたw
もう気づいている人もいるかもしれませんが、この話は原作の『花子さん』のちょっとしたオマージュとなっておりますw