紅魔館の過去を知るため、美鈴に話を聞きに行く咲夜と四ツ谷一行。
当初は渋っていた美鈴であったが、咲夜の説得に観念し、館の過去を語り始める――。
「美鈴、一体何処へ行こうというの?」
「もう直ぐ着きますよ咲夜さん……」
「一緒に着いて来て欲しい」、そう紅魔館の正門で美鈴からそう言われた咲夜と四ツ谷たちは、美鈴を先頭に再び館の中へと戻った。
だだっ広い真っ赤な廊下を美鈴を前にただひたすらに歩き続ける。
その間、その一行の誰も言葉を発することは無く、ただただ重い空気だけが彼らの周りを支配していた。
と言うのも、先頭を歩く美鈴がその空気を纏っている主な原因で、その空気が四ツ谷たちにも伝染して、結果全員が重く沈黙した状態を続けて歩いているのだった。
いくつかの廊下を通り、階段を登り……やがてたどり着いたのは、三階の西側にある廊下の突き当りの部屋であった。
その部屋が目的の場所だと分かると、咲夜は小首をかしげる。
それもそのはず、その部屋は彼女自身もよく使っている部屋だったからだ。
「美鈴、ここが目的の部屋?でもここって……
「……はい」
咲夜のその指摘に、美鈴は静かに頷くと、そっとその部屋の扉を開けた――。
小さく金属がこすれる音と共に扉が開かれ、その部屋の中が皆の前にさらされる。
赤黒いレンガの壁がむき出しとなった畳三畳分ほどの広さしか無い狭く簡素な部屋であった。
乱雑にモップや箒、バケツに雑巾の類が置かれ、部屋の奥に唯一ある小さな窓には細い網目状の鉄格子がはめられ、その窓から溢れ出る外からの日の光が部屋の中に漂う埃を薄っすらと照らし出していた――。
「……?どう言う事、美鈴?ここに一体何が……?」
同僚がここに連れて来た意図が分からず、咲夜は美鈴に問いかけながら、ふと彼女を見る。
見ると美鈴は、部屋の出入り口の横の壁に背中を預け、暗い顔で俯いていた。
その彼女の口から、信じ難い事実が語られた――。
「――……ここが、かつての……
「……え?」
美鈴が今、何を言ったのか理解できず呆けた声を上げる咲夜。
同時に、咲夜の傍で聞いていた四ツ谷たちも驚きで眼を丸くする。
そして次の瞬間、美鈴以外の全員がもう一度部屋の中を除き見る。
とても、この館のかつての主の妻が使っていたとは思えないほど狭く、飾り気の無い不清潔な空間。ベット一つ入れただけでも大半のスペースが埋まるのではないかとも思える。
まるで独房を思わせるその部屋を見ながら信じられないといった顔で咲夜が美鈴に声をかける。
「嘘でしょ?美鈴……ここが先代奥様の……お嬢様たちのお母様が使っていた部屋だなんて……。だってこんな部屋、明らかに主の妻はおろか、普通の使用人たちだって使いはしないわ。……むしろ、虜囚のような――」
「――先代の主……旦那様にとって
ピシャリとそう言いきった美鈴に咲夜は二の句が告げなくなる。
そんな咲夜の様子など気にする事無く、美鈴は顔を上げて淡々と自分の知るこの紅魔館の歴史、その全てを咲夜と四ツ谷たちに語り始めた――。
――今から五百年以上前。
当時、大陸(今の中国)の出身であり、己の格闘技術を高めようと武者修行をしながら各地を転々としていた美鈴は、放浪の果てに大陸を飛び出し、ヨーロッパへと渡っていた――。
そして、そこのルーマニア中部を放浪していた彼女は、ある時その近隣では有名な
――それがかつての紅魔館であり、その貴族と言うのがレミリアとフランドールの実父であった。
近隣の村々から『暴君』として恐れられていた実父――先代主は、噂に違わないその傍若無人ぷりと悪逆非道ぶりを初めて訪れた美鈴の前でもためらう事無くその場にさらして見せ、部下や使用人たちから隠しようのない恐怖を皆に植えつけていたのだった。
それを見た美鈴も初対面であるにも拘らず、先代主に少なからずの嫌悪を抱いたのは言うまでもない。
だが元々美鈴は、この館に長居するつもりはさらさら無かった。
ここへやって来た理由は一重に、旅の途中で路銀が不足したためにそれを稼ぐために一時、身を寄せに来ただけであったのだ。
馬車馬のようにこき使われるのは目に見えていたが、人外である自分を受け入れ、かつ短期で稼げそうな所は近場ではここぐらいでしかなく、当時の美鈴も少なからずの苦渋の決断であった。
「……ちなみに、当時の紅魔館は真っ赤ではありませんでしたよ?あれは、ご主人様からお嬢様へと主が代わった後、お嬢様が館をこの色へと変えたのです。……私も当時は小柄で貧相な体型をしてまして、今見たいなばいんばいんでは無く、どちらかと言えば咲夜さん見たいな……って、ヒッ!?す、すみません咲夜さん!何でもありません!!話続けますので、そのナイフを仕舞ってください!?」
――そんな美鈴に先代が部下として与えた役職は、彼のただ一人の妻――後にレミリアとフランドールの母親となる女性の『付き人』であった。
この館の主の妻を守る護衛であり補佐――。表向きだけなら、それだけの役職と思われるが、実はあれには『監視』の役割も入っていたのではないかと後々になって美鈴はそう思ったのだという。
その主の紹介で彼の妻だという女性と初めて対面した時、美鈴は一瞬我が眼を疑った。
なにせこの
長い金髪を腰にまで垂らし、白いドレスをその身に着こなし、空色の澄んだ瞳で美鈴を見つめるその女性は、この館の主以上の気品さをその身に帯びていたのだ。
そして、その女性の下腹部――ドレスを押し上げるようにして小さく膨らんでいる部分があった。
「……当時、奥様は既に子供を身篭っていました。言わずもがな、お嬢様――レミリア様です。その頃の私は彼女の警護と手伝いをすれば良いだけなのだと楽観的になっていました。ですが……直ぐに、嫌でも目の当たりにする事になったのです……。奥様と旦那様との間にはとても夫婦の関係では収まらない、想像を絶する実態があったのだと――」
――その最初に見せられたのが、現在掃除用具いれとなっているこの部屋であった。
当時は部屋に小さく安っぽいベットと、これまた小さく、今にも壊れそうなボロボロの木の机だけしか置かれていなかった奥様の自室。
それを始めて目の当たりにした美鈴は言葉を失ってしまう。
さらに美鈴を動揺させたのは彼女の容姿にもあった。
最初こそこの館の妻らしい気品ある女性だと思っていたが、よくよく見れば不自然な部分がいくつもあったのだ。
まず、純白のドレスは高価なものではなく、明らかに古着の類で生地の厚みが磨り減り、ヨレヨレとなっており、顔も化粧の類は全くしていない素顔な上、栄養がちゃんと取れていないのか少し痩せこけてもいたのだ。
髪も櫛で整えただけらしく、所々いたみ、ボサボサとなっていた――。
明らかに使用人以下の扱いに困惑と共に怒りを覚えたのは言うまでもない。
さらに美鈴を憤らせたのは彼女の私生活にもあった。
彼女の存在は、主だけでなく部下や使用人にいたるまで館の全員がつまはじき者にしていたのだ。
主の妻という立ち位置であるにも関らず、傍を通るだけで煙たがられ、陰口や嫌味を言われるのは日常茶飯事。
おまけに出される食事はとても貴族の妻が食べるような豪華な物ではなく、簡素なスープにパンと水という素っ気の無いものばかりであったのだ。
それは彼女がこの館のただ一人の人間であった事にも理由があったのかもしれない。今となってはもう分からない事ではあったが。
しかし、まがりなりにもこの館の主の妻であるにも関らず、
直ぐに主に直談判しようと動くも、それは当の奥様によって止められる。
――あの方の怒りに触れてしまえば、あなたは殺されてしまう……!――。
そう、涙ながらに必死に自分を止めて懇願してくる彼女に……なにより、自身の事よりも美鈴の事を案じる彼女に、美鈴はこれ以上何もする事ができなかった。
そして、同時に不思議でならなかった。
こんなに優しい女性が、どうしてこんな館に嫁いで来たのかを――。
それが分かったのはしばらくして、主の配下の者たち数人がとある一室で密かに酒盛りをしている所へたまたま美鈴が通りかかった時であった。
扉一枚隔てた廊下で美鈴が聞き耳を立てている事など気づかずに、配下の者たちは酒によって軽くなった口をベラベラと動かしながら、主と奥様との
それを聞いた時、美鈴は雷に打たれたかのようなショックを覚えた――。
――それは数年前の事であった。
当時から暴君として周辺の村々に恐れられていた主は、とある近隣の村に村一番の美少女がいる事を聞きつけたのだ。
その村の周りに生息する
――その噂を聞きつけた主は数名の配下を連れ、その村へとやってくると、その村に住むうら若き少女と出会ったのであった。
その少女を一目見た瞬間、主の心にどす黒い感情が瞬く間に渦巻き始める。
そうして下卑た笑みを浮かべた主はその少女に近づくと、求婚を申し込んだ――わけでなく、配下の者に命じて無理矢理彼女を館へと連れ帰ると――。
――暴力を持って、彼女を己が毒牙にかけたのであった。
全てが突然な事上、昨日まで異性を知らなかったその身の華を散らされた彼女は、主のベットの上で泣き崩れた。
そんな彼女の心情を知った事かと主は彼女の髪を掴んで頭を無理矢理上げさせると、涙に濡れる彼女の耳元で悪魔の言葉を囁いたのだ。
――いいか?今日からお前は私の妻だ。この館の住人だ。逃げようなどと考えるな。さすれば、お前の両親、兄弟、友人に至るまで全て根絶やしにしてやるから覚悟する事だ――。
含み笑いを混じらせたその言葉に、彼女が絶望に染まった事は言うまでもない。
その話を聞いた瞬間、視界が真っ赤に染まる感覚に陥りながら、頭に血を上らせて美鈴は主のいる玉座の間へと走ろうとし――直ぐにその脚を止めた。
怒りで沸騰した脳内に、泣きそうになる奥様の顔が浮かび上がったからだ。
それを見た瞬間、美鈴は己が身の内に湧き上がる怒りを必死に押さえ込み、壁に手を当てながら冷静になるように荒くなった呼吸を整えた。
そして、幾分落ち着いた頭で思考する。どうすれば彼女を救えるのか――。
――だが、必死の思考の末に出された結論は、美鈴にとっても無慈悲なものであった――。
まず、主を殺して彼女を解放するという案を思いついたが、それは不可能であった。
と言うのも、彼の周りにいる配下の者たちもそうだが、主自身が当時の美鈴の実力をはるかに凌駕していたのである。
性格や思考能力は三下のそれと変わらない主であったが、彼には格下の者たちを纏め上げ、統率するカリスマ性と吸血鬼たる事を証明する確固たる力を秘めていたのだ。
『強大な力を持った小物』。それが美鈴の出した主の評価であった。
今、彼のもとへ殴りこんでも、彼に拳を届かせる前に配下の者たちによって返り討ちにあい、殺される事は目に見えていた。
なら、彼女を連れてこの館から逃げるというのは?……これも、無理な話であった。
理由は言わずもがな、彼女は今妊娠している。
そんな身重な状態で彼女を連れて逃避行など出来るはずもなかった。
見事なまでの
彼女を救い出す力も知恵も無い自分に、美鈴はどうしようもない無力感にさいなまれた。
生まれて初めて味わう無力の痛み。されど、美鈴は一つだけ決意した事があった。
――それは、武者修行の旅を止めて、この館に留まり続けようと。自身が彼女の唯一の味方であり続けよう、と。
そう決意した美鈴の後の行動は早かった。
正式に彼女の『付き人』となる了承を得に主のもとへ向かう。
了承は思いのほかあっさりと通った。主にとってその程度の事は全く問題とも思っていなかったのだ。
その後、旅道具を全て処分した美鈴は改めて正式な『付き人』となった事を奥様に伝えた。
それを聞いた彼女は喜ぶ反面、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべていた――。
――それから数ヵ月後、奥様は一人の女の子を産む……。
『レミリア』と名づけられた赤ん坊は、母親である奥様の手で大事に育てられた。
しかしその反面、彼女に対する主とその配下たちの風当りは全く変わる事は無く、主に至っては子育てに協力する事も全く無かった。
それ所か、主は奥様の子育てが一段らくするのを見計うと、再び彼女を無理矢理自身の
行為が終り、美鈴とレミリアのもとに戻って来る奥様は日増しに体のあちこちの痣を作りボロボロとなっていた。
以前よりも弱々しくなった彼女を見て美鈴は何度も主に食って掛かろうとしたが、その度に彼女に止められた。
それが、自身よりも美鈴の身を案じるものだと分かるからこそ。美鈴は何も言えず、ただ悔しさに耐えながら彼女の主に与えられた傷を癒すしかなかった。
――そんな日々が数年続き、ついに奥様は第二子をその身に宿し、それから一年もしないうちにその子を産み落とした。
『フランドール』と名づけられた女の子も、奥様はレミリアと一緒に心を込めて育て続けた――しかし、それが唐突に終わりを告げる事となる。
館での悪環境や周囲の仕打ち、そして二人の子を産んで育てた疲れが出たのか、彼女はフランドールを生んで数年後に病に倒れたのだ。
医者に診せるよう美鈴が主に訴えるも、主は聞く耳を持たず、薬すらも彼女に与える事は無かった。
あまりの仕打ちについに堪忍袋の緒が切れる美鈴。しかし、やはり予想通りに返り討ちになってしまい、美鈴はボロボロとなって玉座の間から外へと放り出されてしまった。
痛みと悔しさに顔を涙で滲ませながら美鈴は、這うように
体中傷だらけで帰ってきた美鈴を見て、ベットから上半身を起き上がらせた彼女は泣きながら美鈴に謝罪した。
美鈴は、そんな彼女をボロボロになった両腕で包み込むと、ただ黙って彼女の涙を受け止め続けたのであった――。
「……それから、一年もしない内でした。私やお嬢様、妹様の三人に囲まれて奥様がこの世を去られたのは……」
最新話投稿です。
今日一日で2話分投稿とあいなりました。
自分でも驚きのスピード更新です。
そして今回は、美鈴が語る紅魔館の過去、『その1』です。
この後も、彼女の口からもう少し過去を語ってもらう予定です。