四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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前回のあらすじ。

柚葉の弟、健二郎が災難に会い、柚葉も姿をくらました。
慧音と妹紅が柚葉を捜索し、四ツ谷会館の者たちもいよいよ動き出す。


其ノ十四

日が完全に山の向こうへと隠れ、人里を夜の闇が包み込む。

されどその空には星が瞬き、輝く月が辺りを薄っすらと照らしていた――。

 

博麗神社の居間。そこでそこの神社の巫女である博麗霊夢は、ちゃぶ台に頬杖をついて何も無い虚空をジッと見つめていた。落ち着かないのか、あぐらをかいたその足を細かく揺さぶっている。

夕餉が終り、食器を片付けてしばらくした頃、急に胸の内側から理由の無い胸騒ぎを覚えて落ち着かなくなっていたのである。

そうして何故急にこんなに落ち着かなくなったのか少し考えてみる、すると霊夢の脳裏に一人の不気味な笑みを浮かべる男の顔が浮かんだのだ。

その瞬間、霊夢はその男を監禁している部屋の方へを顔を向ける。

ジッとその方向を見ていた霊夢であったが、直ぐに頭を振った。

 

そんなわけない。あいつは私が封じている。()()()()()()()()

 

そう自分に言い聞かせても、霊夢の中から不安が消えることが無く、それ所か大きくなっているような気さえし始めてきた。

ジッとしていられなくなった霊夢は唐突に立ち上がると、男を閉じ込めている部屋へと向かった。

監禁部屋の前に立った霊夢は中の男に気づかれないように、ゆっくりと引き戸の取っ手に手を掛け、開く。

そうして数センチの隙間を空けて、中の様子を覗き込んだ。

その部屋にいる男――四ツ谷文太郎は、こちらに背を向けたまま右腕を枕代わりに寝転んでいた。

そこ光景を見て霊夢は少し安堵する。そうしてもう少し四ツ谷の様子を見ようと引き戸の隙間を大きくするために取っ手を持つ手に力を入れた。

その瞬間、部屋の中から声が響く。

 

「……意外だな。お前の方からこっちに来るなんて」

「!……気づいてたの?」

 

寝たまま肩越しに四ツ谷と眼が合い、霊夢はゆっくりと戸を開けて中へと入っていった。

同時に四ツ谷も身体を起こし、あぐらをかいて座った姿勢をとる。

霊夢もドンと腰を下ろして四ツ谷と相対する。

数秒の沈黙後、先に口を開いたのは四ツ谷だった。

 

「――で?何か用か?」

「……別に。ただ様子を見に来ただけよ。ま、アンタの顔なんて好きで見に来るようなモンじゃないけどね」

「ひどい言われようだなぁ、オイ」

 

唐突に失礼な事を言われたのにも関わらず、四ツ谷は軽くシッシと笑って見せる。ソレが気に入らなかったのか霊夢は眉根を寄せてムスッとした態度を取る。

 

「……アンタ、私にぶち込まれてから今までずっとこの部屋にいるわよね?」

「ああ」

 

何を今更、とでも言うように小首をかしげながら霊夢の問いに四ツ谷はそう答え返す。

霊夢は続けて口を開く。

 

「なら、言い方を変えるわ。……アンタ、裏で何か動いてない?私の知らない所で」

「さぁてね。仮にそうだったとしても……どうだって言うんだ?」

「何ですって?」

「……俺がここにいる限り、新しい怪異が生まれる事が無いし、()()()()()『最恐の怪談』も語れないし、起こらない。……()()()()()()()()()()?」

「それは……」

 

曰く、その通りであった。

今回の『聞き手』が誰かは知らないが、四ツ谷がここにいる限り、()()()()()()『最恐の怪談』を語る事はできないし、能力が発動する事は決して無い。

霊夢自身、それはよく分かっていた。

だと言うのに、この腑に落ちない気分は一体なんなのだろうか?それも今日に限って、時間がたつにつれ段々と高まってきている、今この瞬間も。

 

――今夜何かが起こる。

 

それは霊夢が生まれ持ち、(つちか)い、そして一番頼りにしている『勘』がそう告げていた。

だからこそ、今一番危険視している四ツ谷(こいつ)を目の前にして睨みつけている状態になっているのである。

 

「……もし、本当に何か企んでいるようなら今すぐ止めなさい。これは博麗の巫女の命令よ」

「そうは言っても……ここから動けない俺に何ができると?それに、何かしているって言う確証も無いんだろ?」

「あくまでも何もしてないって言い張る気?……いいわ。なら、私にも考えがある」

「シッシ……なんだ、拷問でもしようってのか?」

「生憎とそっちの趣味は無いわよ」

 

そう言って霊夢は立ち上がり、部屋の出入り口へと歩いていく。そうして外に出ると四ツ谷に向かって振り返り、言う。

 

「今夜は寝ずの番よ。恐らく今夜何かが起こる。その時、アンタが何かおかしな動きをしたら、私は問答無用でアンタを退治してやる」

「相変わらず怖い事言う。夜更かしは美容の大敵だぞ?年頃の娘がおいそれとして良いモンかね?」

「心配無用よ。今日の昼間にたっぷり寝たから眼がさえちゃってるの。一晩くらいどうって事無いわ」

 

そうして霊夢は引き戸に手を掛けて続けて口を開く。

 

「見張りはこの部屋の前の廊下でするから。だってこの部屋少し()()んだもの」

「誰のせいだぁ!?」

「あ゛ン!?何か言った?」

「イエ、ナンデモナイデス」

 

睨みを利かす霊夢の気迫に、四ツ谷は直ぐに萎縮する。

それに溜飲が下がったのか霊夢は上機嫌になる。

 

「ま、アンタがここで何もしなければ、今夜は『最恐の怪談』なんて起きはしない。今夜を凌げれば私の勝ちは決まりよ」

 

高をくくったかのように胸を張り、そう最後に言い残すと霊夢は戸を閉めて部屋を出て行った。

部屋に残された四ツ谷はやれやれと頭をかく。

 

「ったく、いつから勝負事になったのかねぇ?……まぁでも――」

 

 

 

 

 

 

「――言質(げんち)は確かに取ったぞ、博麗霊夢……」

 

そう誰にも聞こえないほど小さな声で、四ツ谷は顔を不気味に歪めて笑った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして寺子屋の前――。

その直ぐそばにある民家の角に上白沢慧音の姿があった。

数時間前に寺子屋の隣にある柚派の家を妹紅と訪ねたところ、家には柚葉の母親しかおらず、突然やって来た慧音たちに首をかしげていた。

その様子から柚葉が家に帰ってきていない事を察した慧音と妹紅であったが、健二郎の事も話さなければならず、二人は()()健二郎が今、永遠亭にいる事を母親に伝えた。

それを聞いた母親は大慌てで永遠亭に行く支度をすると、帰ってきた祖父母、夫、長男と共に妹紅の案内で永遠亭へと向かったのであった。

そうして一人残った慧音は、いずれ寺子屋に柚葉がやって来るだろう事を見越して、今まで寺子屋前の民家の物陰で身を潜めていたのだった。

ジッと寺子屋の門前を見つめる慧音。門はしっかりと戸締りがされ、寺子屋の周囲は不気味なほど静まり返っていた。

すると、慧音の背中に聞き慣れた少女の声がかけられた。

 

「よっ!慧音」

「……!妹紅、柚葉の家族たちは?」

「ちゃんと永遠亭に送り届けたよ。でも、あっちに着いたとき柚葉がいない事に首をかしげてたな。向こうさんはてっきり知らせを聞いて彼女が先に来ているもんだとばかり思ってたらしい」

 

少女――妹紅の報告を聞いて慧音は顔を険しくさせる。

しかし、そんな慧音の顔を見て妹紅は続けて口を開いた。

 

「安心しろ。適当に理由をつけて後から来るって事を伝えといたよ。もちろん、健二郎の方にも口止めはしておいた」

「そうか……いや、それなら必ず柚葉を連れて永遠亭に行かなければならないな」

「そういうこった。……あの時、あの場で知らせた事が健二郎の件だけにしといてホント正解だった。柚葉の事まで話してたらそれこそ話がややこしくなってただろうさ」

 

やれやれと首を振る妹紅に慧音は同感とばかりに頷く。

と、そこへ慧音たちが待ち望んでいた人物がようやく通りの向こうの暗闇から現れる――。

 

「柚葉……」

 

小さくそうポツリと響いた慧音の視線の先、そこにいる柚葉は身をちぢ込ませて周囲に誰もいない事を確認するかのように、入念にキョロキョロと見渡すと寺子屋の門前へとやって来た。

そうして門前に立った柚葉は今一度、周囲に誰もいない事を確認すると、ゆっくりと門を叩こうとし――。

 

――ガラッ……!

 

「!?」

 

突然、門の戸が開かれ、そこから出た手が戸を叩こうとしていた柚葉の手を乱暴に掴むと、そのまま柚葉を寺子屋の中に引きずり込んだのである。

 

「――っ!!」

「待て、慧音!」

 

柚葉が寺子屋に連れ込まれ、門の戸が乱暴に閉まるのを見た慧音は慌てて追おうとするも、それを背後から妹紅が肩を掴んで引き止めた。

振り返る慧音に、妹紅が静かに首を振ってみせる。

 

「柚葉が寺子屋に入っちまった以上、ここから先は()()()()に任せるっきゃない」

「だが……!」

「今追って入ったら、かえって邪魔になるだけだ」

「……っ」

 

妹紅のその言葉に、慧音は悔しそうに唇をかんだ。

やがて慧音は柚葉の消えていった寺子屋へとゆっくりと眼を向け――。

 

「柚葉……」

 

――彼女の身を案じるかのように、小さくそう呟いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柚葉を連れ込んだ人物は言わずもがな、周蔵であった。

周蔵は柚葉の腕を乱暴に引っ張りながら、寺子屋の中に入り、職員室へとやって来た。

そこで周蔵は柚葉を職員室の中へと乱暴に放り込むと、職員室の戸を後ろ手で閉めた。

 

「ったく、手間取らせやがって……!あの先公(センコー)(とこ)駆け込めば大丈夫だとでも思ってたのか?あ゛ッ!?」

「……私を先生の家から連れ出すためだけに、健二郎にあんな酷い事したの?」

 

周蔵の怒鳴り声に臆す様子も無く、俯いたまま恨めしげに柚葉は収蔵を睨み上げ、静かながらも怒りを含んだ声色でそう問いかける。

それが気に入らなかったのか、周蔵は柚葉の頬を強かに引っ叩いた。

 

「う゛ッ!」

「何か文句あんのか、あ゛ぁッ!?てめーが分けわかんねぇ事すっから(わり)ぃンだろーがッ!!」

 

逆らうなど許さないとでも言わんばかりに、語気を荒げ、支離滅裂な事を怒鳴り散らしながら、周蔵は柚葉の胸倉を掴み上げ乱暴に揺らした。

それでも柚葉の顔から恐怖の色が現れず、それ所か先ほど殴られた拍子に口内を切ったらしい口の端から血を滲ませて、彼女の顔は憤怒と憎悪に歪んでいた。

それを見て心底面白くなさそうに周蔵は大きく舌打ちをすると、柚葉を思いっきり突き飛ばした。

床に転がった柚葉の前にしゃがみ込むと、何かを寄越せと言わんばかりに周蔵は右手を彼女に差し出す。

 

「ほら、さっさと金寄越せよ。持って来てんだろーが。さっさと渡さねぇとてめーの身内、全員(なぶ)りモンにすっぞゴラァッ!!」

「…………」

 

周蔵の怒声を浴びながら、床に倒れていた柚葉は俯いたままゆっくりと上半身を起こした。

そうして静かに右手を左袖の中へと入れる。

 

「!」

 

その瞬間、何かを察したかのように周蔵は柚葉から飛び退く。

それと同時に、周蔵の目の前を一筋の銀閃が横一文字に走った。

一足遅れて()()を包んでいた手ぬぐいがパサリと床に落ちる。

 

「てめぇ……!」

 

周蔵は忌々しげに柚葉を見る。

よろよろと立ち上がる柚葉のその震える両手には、自宅から持ち出してきた包丁がしっかりと握り締められていた。

 

「オイ……何のつもりだよ、そりゃあよォ?」

「……もう私にも、家族にも一切近づかないで……!こんなのもう耐えられない!私が言いなりになってれば家族にも周りにも手は出さないし、()()()()()って言ってたけど、もう苦しくて仕方ないの!家から黙ってお金を持ち出すのも、あんたの暴力のはけ口になるのも、もう嫌ッ!……この先もずっとあんたの言いなりになったまま生きていくなんて我慢できない!……そんな絶望しかない未来(さき)しか無いのだったら、私は――」

「――俺をあの世に突き落として、自由になろうってか?上等だよオイ、やってみろや。そんなへっぴり腰の(アマ)相手にそうそう殺されてたまっかよ。人殺した事もねぇクセにいきがってんじゃねーぞ(メス)がッ!」

 

心底つまらなそうに周蔵はそう言いながら、気だるげに両腕を広げて柚葉を挑発してみせる。

 

「さぁ、どこ刺すよ?心の蔵?それとも(のど)か?腹は止めといたほうがいいぜ?一撃で仕留めなきゃあ手痛い反撃にあっちまうからよォ」

「……っ」

 

あからさまに小馬鹿にしたような言葉を周蔵から浴びせられ、柚葉は悔しそうに唇を噛んだ。

しかし、もう後には引けない。

例え咎人(とがびと)となろうと、自分の為にも、なによりかけがえの無い家族の身を守るためにも。

目の前の男をこのまま野放しにしておく事は、今の柚葉にはできなかった。

決意を固めた柚葉は、自身の足に力を込める。

包丁を腰の高さの位置で固定し、腰を落として周蔵を睨みつける。

そして静かに息を大きく吸い込むと――。

 

「――ッ!!」

 

床を蹴って周蔵へと体当たりする形で突っ込んでいった。

柚葉の眼には自分が周蔵の胴体、その中央へと吸い込まれるような光景が流れ、そして――。

 

――パシンッ……!

 

「……え?」

「ばーか」

 

呆ける自身の声と周蔵の声、そして次に頬に再び痛みが走り、気づいた時には柚葉は再び床に転がされていた。

何が起こったのか分からず、柚葉は寝転がったまま周囲をキョロキョロと見渡す。

そして、視界にあるモノが飛び込んできて、それ見て柚葉は驚愕する。

それはたった今まで柚葉がしっかりと握っていた包丁。それがいつの間にか職員室の端、柚葉から離れた遠い所にまで転がっている光景であった。

そして瞬時に柚葉は理解した。

自分が周蔵を刺そうとした瞬間、周蔵は腕を振って柚葉の持つ包丁を軽々と弾き飛ばし、何が起こったのか分からずにいる自分の頬に平手打ちをして張り倒したのだと。

呆然となる柚葉を見下ろしながら、周蔵は嘲笑うように響く。

 

「ハッ!本当にどうしようもねぇぐらいに馬鹿な女だなてめーは!俺は少し前まで半兵衛の旦那の所で用心棒をしていたんだぞ?当時はてめーみてぇに旦那と刺し違えて恨み晴らそうっていう奴らが多くて、そういう馬鹿を返り討ちにしてんのが日常茶飯事だったんだよ。今更、非力な女が包丁持って襲いかかって来たってびびるわけねーだろうが、バーカ!」

 

容赦なく浴びせられる周蔵の嘲笑(ちょうしょう)と否が応でも痛感させられる自身の無力さに、柚葉はその双眸に涙を並々とため、唇をかんで周蔵を睨み上げる事しかできないでいた。

そうして、ひとしきり柚葉を笑った周蔵は一息つくと、真顔で柚葉を睨み下ろし呟く。

 

「さーて、その様子じゃ俺の金は持って来てねぇ見てぇだし、こいつはちょいとお仕置きが必要みてぇだなぁ?」

「……!?」

 

その瞬間、柚葉の背筋に悪寒が走る。先程までとは違い、周蔵の目が獲物を見つけた(ケダモノ)のソレへと変化している事に気づいたのだ。その視線が自身の足の方へと注がれている事も。

慌てて視線を落とすと、そこにはついさっき張り倒されて床に転がされた拍子に着物の裾が乱れてしまったらしく、自身の両脚が太ももの下半分まで大きく露出している光景があった。

それを見てこれから()()されるのか嫌でも理解してしまった柚葉は、直ぐに視線を上げるも時すでに遅く、そこには自身に覆いかぶさろうとしている周蔵の姿が映ってしまった――。

 

「ひっ!?ぎっ、い、いやぁっ!!」

「オラ、大人しくしろよ馬鹿女!痛い目合いたいのかよ?あ゛ぁっ!?」

 

柚葉に覆いかぶさった周蔵は、乱暴に柚葉の着物の帯を解き始める。

それと同時に着物全体が大きく崩れ、周蔵はその着物の隙間に両手を無造作に突っ込むと、柚葉の生の身体――その各部を乱暴にこね回した。

 

「あっ!?う、ぐぅぅ……!いやっ、いやあっ!!」

 

周蔵の下で必死に暴れ抵抗する柚葉。しかし所詮男と女の力の差、どちらが優勢かなど眼に見えていた。

それでもなお抵抗し続ける柚葉に、苛立った周蔵は彼女の頬を再び引っ叩く。

2、3度往復ビンタをされ、柚葉の頬が段々と腫れ上がり、赤みもますます濃くなってゆく。

 

「う、うぅぅ……!」

「ハア、ハア……!今更、抵抗してなんになんだよ?あ゛?()()()()()()()、あんなにやらしくアンアンヒイヒイ鳴いて乱れてたクセによォ……!」

「……!!」

 

周蔵のその言葉に、柚葉は大きく眼を見開いた。

そこには息を荒くし、血走った眼に下卑た笑みを貼り付けた周蔵の顔があった。

その顔を見た瞬間、柚葉の脳裏に封じ込めていたはずのおぞましい記憶がフラッシュバックする――。

 

――数年前。

まだ十代後半で花も恥らう乙女であった柚葉は、ある晩友人宅からの帰りに金貸しの半兵衛の息子――庄三の息のかかった者たちによってかどわかされてしまったのだ。

帰る時、友人から家の者に自宅まで送ってもらう事を進められ、悪いと思いそれを断った事を柚葉は今でも激しく後悔している。

連れ去られた柚葉はそのまま庄三の屋敷に連れ込まれ、そこで筆舌に尽くしがたい屈辱を受ける事となった。

肉体的にのみならず、女性としての尊厳も精神も、何もかもを庄三によって踏みにじられ、最後には柚葉は言われるがまま、されるがままの人形へと成り下がっていった――。

やがて、思うが侭に楽しんだ庄三はようやく柚葉を手放したが、すぐにその身は別の男へと渡り、そこでも耐え難い苦渋を強いられる事となる。

その男こそ当時、庄三の父――半兵衛の用心棒をしていた周蔵であった。

周蔵は柚葉の事を大いに気に入ったのか、庄三よりも長い時間をかけて彼女を弄んだ。

身体の上をヌメヌメとした体液を纏った巨大な芋虫が這い回るかのような、おぞましく耐え難い気持ち悪さと、時折来る暴力的な痛みに、柚葉はいつしか意識を手放していた――。

 

――そうして、次に眼を覚ました時には全てが終わっていた。

 

夜明け前の路地裏で、一糸纏わぬ姿で、着ていた着物を乱雑にかぶせられた状態で冷たい地面の上に転がされていたのだ。

その後――家族や友人にばれないように『処理』を必死に行った。

夜が空け切る前に、誰にも見られないよう近くにあった小川で着物や自信の身体についた『跡』を必死になって洗い落とし、人目に付かない場所で着物を干して、近くの民家の外に置いてあった(むしろ)を身体に巻いて着物が乾くまで茂みの中で(うずくま)り、隠れた。

その間、今し方までの悪夢のような光景が脳裏で鮮明に蘇ってしまい、自然と眼から涙が滂沱のように溢れた。

嗚咽を必死になって押し殺し、その身に受けた屈辱に耐えながらも、柚葉は人知れずその茂みの中で小さくすすり泣き続けたのだった――。

やがて時が経ち、柚葉自身あの時の悪夢のような出来事をただの『夢』だったとして心の奥底へと封じ込めた。

『処理』を終えた当初は家族の皆から何処へ行っていたのかと心配されたが、前もって考えていた言い訳で何とか切り抜け、その場は怪しまれる事は無かった。

柚葉も今までの生活に戻りたい一心で時折蘇るあの時の記憶を必死に頭の外へと追いやり続けた。

それが功を奏し、()()()()今までどおり普通の暮らしができるようになり、平穏な時が流れた――。

 

――半年ぐらい前に、再び周蔵が目の前に現れ、あの時のおぞましい行為をたてに脅迫して来るまでは……。

 

「……あん時のお前、最高に良かったぜぇ……!あそこで手放さずもっと楽しんでおけば良かったと思えるぐらいになぁ……!」

「ぐっ、うぅぅ……!」

 

職員室の中――両手で着物の中の柚葉の身体を弄び、胸元の乱れた着物の上から周蔵は顔面をグリグリと押し付け、深呼吸するかのように彼女の体臭を堪能する。

その時には柚葉は抵抗する事に疲れ果て、周蔵のされるがままになっていた。

 

「ハッ、ようやく大人しくなったか」

 

一度、顔を柚葉から離した周蔵は口元をいやらしく歪める。

蛇のように柚葉の全身に視線を這わせながら、今度はどんな声で鳴かしてやろうかと妄想を膨らませ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

そうして柚葉の両脚を掴むと、それを大きく開かせ自身の腰をその間へと挟みこませる。

 

「ヘヘッ……今度からもう絶対に逆らえないようにたっぷりと『教育』を施してやるよ。寺子屋だけになぁ……!」

 

そう言いながら周蔵は自身の下腹部をまさぐり、『ソレ』を取り出しにかかる。

疲れ果てていた柚葉は周蔵のその行為をぼんやりと眺めていたが、周蔵が『ソレ』を取り出した瞬間、再び彼女の脳裏に過去のおぞましい記憶が断片的に次々と蘇った。

 

――……まただ。また、こんな……。

 

柚葉は災厄が降りかかり続ける自身の境遇を嘆かずにはいられなかった。

いっその事、全てを投げ出して自ら命を絶てればどれほど楽だったか。

だが、その選択は柚葉には選べなかった。

それを考えるとどうしても後に残していく家族や友人の事を想わずにはいられなかったのだ。

皆と一緒にいたい。皆と共に生きていたい。そんな思いが彼女の身体の奥底からふつふつと力を湧き立たせる。

そして、それは今も……。

 

「いやぁっ……!!」

「あッ、てめっ!!」

 

全身の力を振り絞り、最後の悪あがきだと言わんばかりに四肢を滅茶苦茶に動かして柚葉は全力で抵抗を再開する。

突然、また柚葉が暴れ始めた事に周蔵は驚くも、すぐに彼女を大人しくさせようと彼女のを押さえつけて拳を振るおうとする――。

 

――だが、それよりも先に……天は最後の最後で柚葉に味方した。

 

恥じらいなど考えず、なりふり構わず滅茶苦茶に動かされ丸見えとなっている柚葉の瑞々しい両脚。

その右脚が偶然にも周蔵の股座――吐き出しとなっている『ソレ』を容赦なく蹴り上げたのだ。

 

「んごぉがぁぁーッッッ!!?」

 

急所を思いっきり蹴られた事により、言葉にできないほどの激痛が周蔵の全身を襲い、口から悲鳴が漏れた。

あまりの痛みに頭の中が真っ白となり、体中から脂汗が吹き出る。

口からは泡が吐き出され、周蔵は下腹部を両手で押さえながら柚葉の上に倒れこんだ。

 

「う、あぁ、うぅぅ……!」

 

その下から必死になって這い出る柚葉。周蔵も真っ白になっていた頭の中が覚醒し、柚葉が逃げようとしている事に気づくと、すぐさま捕まえようとする。

しかし、あまりにも強烈な一撃だったためか、片方の手が下腹部から放す事ができず、もう片方の手だけしか動かせない状態になっていた。

また、今もなお全身に激痛が走っていたため、その痛みのせいで狙いが定まらず、大きく乱れていた柚葉の着物すらロクに掴むことができなかった。

結局、『男の痛み』に耐えられず周蔵の手は空を切り、柚葉は周蔵の魔の手から何とか逃げ出すことに成功する。

乱れ、着崩れした着物を両手で押さえ、必死になって職員室から飛び出した柚葉は、寺子屋の玄関へと向けて走り出した。

一方、周蔵は痛みのせいで柚葉を追いかける事ができず、その場に蹲ったままだった。

されど、少しずつ全身を支配する痛みが引いていくのと同時に反比例して、周蔵の中からマグマのような怒りが湧き出し、顔を憤怒の表情で染め上げる。

 

「ぐっ、かっ、はぁっ!お゛ぉぉっ、う!う゛ぅぅっ……あ、あの(アマ)許さねぇ……!捕まえて(イカ)れるまで滅茶苦茶にして……二度と餓鬼のできねぇ体にしてやる……ッ!!」

 

ようやく動ける程に痛みの引いた周蔵は鬼の形相で涎を垂らしながら、よろよろと職員室を出る。

廊下へと出た瞬間、ふわりと視界の端に白い『何か』がチラつき、無意識に周蔵はその歩みを止めてそちらへと顔を向ける。

するとそこには、()()()()を着た何者かが、廊下の奥の曲がり角へと消えていく姿があった。

 

「待てやぁ!クソ(アマ)がァッ!!」

 

怒りと痛みで麻痺した思考で、それを柚葉だと思った周蔵は、声を荒げながら今だおぼつかない足取りで廊下の奥へと消えた人影を追いかけ始めた――。

 

――柚葉が逃げた方向とは、()()()()の寺子屋の奥深くへと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方柚葉は、寺子屋の玄関を飛び出し、そのまま門の戸を開けて大通りへと出た。

その瞬間、彼女の前に二つの影が立ち塞がる。

 

「ひっ……!?」

 

立ち止まり身体を震わせて怯える柚葉。しかし、その二つの影のうち、片方が見知った相手だと分かるとその恐怖が霧散する。

 

「……け、慧音先生……?」

「柚葉……」

 

影の一つ――慧音の顔は悲しげに歪んでいた。

その視線は、先程の周蔵による暴行でできた柚葉の乱れた髪や完全に聞くずれして両腕で押さえている着物を行き来している。

柚葉のその姿を見た瞬間、慧音はすべてを察してしまった。寺子屋の中で何があったのか、そして連鎖的に柚葉が周蔵に何を脅されていたのかを――。

慧音の視線に気づいた柚葉は気まずそうに俯く。

 

「け、慧音先生……、これは……その……」

 

何とか言い訳しようとするも何と答えて言いか分からず、しどろもどろとなり声も小さくなる柚葉。

だが次の瞬間、柚葉の身体を温かいモノが包み込む。

 

「すまなかった。柚葉……」

「先、生……?」

 

突然、慧音に抱擁され柚葉はその場で固まってしまう。

しかし、それを気にせず慧音は続けて柚葉に囁きかけた。

 

「……実家がここと隣同士だった事もあるが、私は寺子屋を卒業した後もずっとお前を見てきた。会う度に私に向けてくる屈託の無い笑顔を見て、私はお前が日々平穏無事に家族と暮らしているものとばかり思っていたんだ……。あの時、お前の腕にできたあの(あざ)を見るまでは……」

「……っ」

「……直ぐ傍にいたのにも拘らず、今の今まで私はお前の助けを呼ぶ叫びに気づいてやる事もできなかった。何とも不甲斐ない、私は……教師失格だよ」

「せ、ん……せい……」

 

耳元で囁かれる恩師の優しい言葉に、今まで溜め込み、押し殺していた思いが胸の内から氷解していくのを柚葉は感じた。

自然と双眸から再び雫か零れる。

されどそれは、先程のあの忌まわしい男と対峙した時に溢れた、憎悪や憎しみに彩られたモノなどではなかった。

長年の苦しみから解放されたかのような安堵や嬉しさから溢れ出た涙を両目に溜めた柚葉の耳元で、慧音は静かに、されど力強い声で柚葉に言葉をかける。

 

「……今からではもう遅すぎるだろうが、それでも、言わせてほしい。……柚葉、私はお前を助けたい――」

 

 

 

 

 

 

「――私に、お前を守らせてくれ……!」

 

 

 

 

 

 

「せん、せいっ……!うぁ、う゛あぁあぁぁぁぁぁぁ……っ!!!」

 

もう限界だった。

柚葉は、慧音の胸に顔をうずめると子供のように泣きじゃくった。

恥も外部もなく泣き叫び続けると、自然と自分の胸の中にあった『しこり』の様なモノが煙のようにゆったりと消えていくような気分を柚葉は感じていた。

長年の呪縛から開放され、嗚咽を漏らしながら自身の腕の中で鳴き続ける大切な教え子を、慧音もその眼に涙を溜めながら、その背を優しくさすって慰め続ける。

そして、そんな二人をもう一つの影――妹紅が見つめていた。

やがて妹紅は視線を移動させ、寺子屋の方を見据えて一人小さく呟いた。

 

「……後は任せた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てやゴラぁっ!!逃げてんじゃねぇぞ(アマ)がァ!!」

 

廊下の向こう、闇の中に薄っすらと浮かび上がる白い影を追って怒り心頭にわめき散らしながら、周蔵は追いかける。

いくつかの教室の前を通り過ぎ、やがて白い影はとある部屋へと入っていくのを周蔵は目撃する。

そして何の疑いも浮かべる事もなく、周蔵も白い影を追ってその部屋へと飛び込んだ。

 

「ようやく追い詰めたぞ!覚悟はできてんだろうなぁクソあ――」

 

白い影に追いついた周蔵はその影に怒声を浴びせるも、直ぐにそれが収束し、止まる。

真っ暗な部屋のその中央に一本の蝋燭が黒く細い燭台の上でゆらゆらと小さく揺らめいており、その直ぐ傍に先程の白い影の人物が背中を向けて静かに佇んでいた。

それを目の当たりにして、周蔵は先程まで自分の中に湧き立っていた怒りが急速に治まっていくのを感じた。

 

――違う。

 

怒りで曇っていた視界が晴れ、今まで柚葉だと思っていたその白い影が全くの別人であった事に周蔵は気づいたのだ。

背丈が違っていたし、何より纏っている着物が全く違っていた。

()()()()の着物を纏っていた柚葉と違い、この人物は完全な純白の着物の上に頭部には尼僧が使うようなこれまた純白の丈の長い御高祖頭巾(おこそずきん)と呼ばれるモノを纏っていたのだ。

明らかに柚葉とは似ても似つかない全くの別人。

だが周蔵は、寺子屋に自分と柚葉しかいないという思い込みと、柚葉に蹴られた急所の痛み、さらにそれが原因で憤怒し、頭に血が上って正常な判断ができなかった事で目の前の人物を柚葉だと誤認したまま追って来てしまっていたのだ。

 

その上、さらに言うならば。追い詰められたのはその白い着物の人物などではなく、それを言った本人である周蔵の方であった――。

 

「!……ここは……?」

 

そこで周蔵はようやく気づく。今し方飛び込んだこの部屋は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()だという事に――。

 

――ピシャリ……!

 

唐突に今し方、周蔵が入ってきた部屋の戸が()()()()()()()()()

 

「!?……な、何だァ!??」

 

戸が閉まった音に一瞬ビクリとした周蔵だが直ぐに戸に駆け寄って開けようとする。

しかし、どうしたわけか戸はビクとも動かない。

(かんぬき)や押さえ棒で固定されているのではなく、まるで『何かの強い力』ようなモノで押さえつけられているかのように一ミリたりとも動く様子が無かった。

 

「ぐっ!く、そぉがぁ!何なんだよコレ!?」

 

全力で戸をこじ開けようとしているのにも拘らず、全く開く様子が無い事に周蔵は苛立ちと()()が混ざったかのような声を上げる。

すると唐突に、周蔵のその背中に声がかかった。

 

「……もう、出られませんよ」

 

静かだがどこか底冷えするようなその()()()に、周蔵の肩はビクリと震え、そして直ぐに振り向く。

見ると先程まで背中を向けていた白い着物の人物が、いつの間にかこちらに向き直り、顔が見えないほどに(こうべ)を深く下げながら静かに立ち尽くしているのが見えた。

「何を言っているんだ?」そう言いたいのに、周蔵の口はそれを紡ぐ事ができなかった。

明らかに普通じゃない雰囲気を纏うその人物――声からして恐らく女だろう――から発せられる迫力に気圧されてしまっていたのだ。

中々口が思うように動かせない周蔵を前に、その白装束の女は静かに、それでいてはっきりとした声で言葉を続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          『……さァ、語ってあげましょう。あなたのための、怪談を……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!?」

 

薄暗い廊下の上で一人酒盛りをしながら番をしていた霊夢は、突然自分の中でざわついていた胸騒ぎが急激に跳ね上がったのを感じ取った。

酒の入ったお猪口を放り出し、すぐさま立ち上がって眼前にあった四ツ谷を監禁している部屋へと飛び込んだ。

バンッ!という戸が吹っ飛ぶのではないかという音を立てて霊夢が部屋を覗き込むと、そこには敷いた布団の上に座っている四ツ谷の姿があった。

四ツ谷は突然、戸を乱暴に開けて入ってきた霊夢に眼を白黒させる。

 

「な、何だぁ……!?」

「アンタ、一体何やってんの!?」

「え?いや何って寝るために布団敷いたんだが……?」

 

自分の尻の下に敷いてある布団を指差しながら四ツ谷はやや動揺しながらそう言った。

そんな四ツ谷を尻目に、霊夢は部屋の中を見渡す。

布団が敷かれた事意外、別段変化の無い部屋の状況に霊夢は大きく首をかしげた。

おかしい。確かに自分の中の胸騒ぎが一際大きく跳ね上がったというのに、異常が見当たらないというのは一体どう言う事なのだろうか……?

不可解に思いながら霊夢は部屋の中心に鎮座する四ツ谷を睨みつける。

 

「……何だよ怖い顔して。楽園の素敵な(笑)巫女が大の男の寝床に乱入とは、鴉天狗が食いつきそうなネタだな」

「なっ!?馬鹿にしないで!私は『雑食』じゃないのよ!誰がアンタとなんか、清純な巫女である私のイメージが崩れちゃうじゃない!」

「清純~?昼間っから酒喰らって昼寝しての怠惰な生活をしているゴミ箱巫女の間違いじゃねぇのか?」

「ほほぅ?どうやら本気で口に陰陽玉詰め込まれたいらしいわね?なんなら鼻と耳とケツの穴にも一緒にねじ込んでやりましょうか?」

「死ぬわ!窒息死するわッ!!」

 

ったく、と悪態をつきながら四ツ谷は霊夢を背にして布団の上に寝転がる。

 

「用が無いならさっさと出て行ってくれ。俺は眠いんだよ」

「……本当にアンタ、何もやってないでしょうね?」

「この部屋になんら異常は無く、俺もここにいる。なら、何もしてないって事だろ……?」

 

どうでも良さそうに四ツ谷がそう呟くも、霊夢はまだ納得が出来ないとでもいうように顔をしかめ、もう一度部屋の中を見渡した。

しかし、何度見てもやはり異常は見られず、霊夢はやむなく部屋を後にする。

渋々と言った体で霊夢が戸を閉めたと同時に、寝ている四ツ谷の顔が小さく歪んだ。

 

「ま、()()だが、な……」

 

彼の口から囁くようにそう響かれた声は、ついに霊夢の耳に届く事は無かった――。




最新話投稿できました。

前回の感想欄にて、「『最恐の怪談』の前にもう一話分はさむ」という事を書いていましたので、なんとか一話分で纏めようと奮闘した結果、一万字を軽く超える事態とあいなりましたw
ですがそれも遂行できましたので、次はいよいよ『最恐の怪談』を始めていこうと思います。

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