ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis- 作:Virgil
鼻が利く。その言葉に嘘はなかろう。しかし、不確かなセンスを当てにしていいものか。とはいえ、それ以外に手段がないのだから実行する他はないが。
ドアノブにはロックがかかっていない。そのまま捻り暫く様子を見る。異変に気付いてこちらに首を出す輩はいない。という事は、本当に誰もいないか。それとも待ち構えているかだろうか。
「誰もいないよ。大丈夫」
そう断じる深井副砲長の勘を信じて滑り込む。常夜灯のみ点された廊下はもちろん薄暗い。彼女らが使い慣れているというハンドサインを教えて貰い、先を急ぐ。
気がかりなのは、艦橋か操舵室と思しき所との通信中にあった発砲音。武装している可能性と、話をしていた彼の無事だ。
いや。そもそも、なぜこんな日本近海を航行していたかの方が重要だ。いくら日本が東アジア随一の海洋国家とはいえ、交通の要所を抑える関門である事に変わりはない。
だからこそ、ホワイトドルフィン。ブルーマーメイド。分野の異なる二つの組織によって西太平洋を支配下に置いているのだ。
各国からの反発が強い地域もあるが、少なくともパシフィック・ピンテール号を所有する英国といえば親日国家である。しかしいくら何でも、不可思議だ。使用済核燃料とはいえ報告なしで航行など、滅多に考えられない。そんな危険物を隠密に動かすなど。
であれば、何者かが手引きしておびき出した。原子力輸送船に搭載された何かを狙って? 確かに発電装置やタービンを流用されれば、たちまち兵器に様変わりする。
『上に行くよ、艦長』
思考を断ち切る深井副砲長の指示。そう案内されてはしょうがない。跳躍して天井裏に飛び乗った彼女が伸ばす手に引き寄せられ、残りの面々も埃だらけの隙間に滑り込む。数秒後には誰かの足音。小柄な覆面の人物が通り過ぎる。手に持つ銃器は本物に違いない。ごくりと唾を飲む間に、影が遠ざかる。
一息を吐いた所で、声を潜めて解説が入る。
「このフロアだけ階段が長かった。なのに、廊下から見た天井の高さは同じだった」
「という事は、換気用のダクトがあると。それも人が入っても大丈夫なくらいの」
「そうそう。しばらく潜って様子を見たいんだけど、時間がないんだよねぇ。人質も何処にいるか分からないし」
村野副長が指定したリミットまで余裕はない。何としてでも攻略したいが、攻め手に欠ける。コツコツと蟀谷を叩いていると、思いついたように話を振ってくる。
「ちなみにこういう状況で、一番人質が集められる可能性が高い場所はどこでしょー。はい、知名艦長」
「え……私? 食堂……かなぁ。見渡せるし、最低限の人員で監視できるから」
「この船にどれだけ乗員がいるか分からないけれど、合理性を考えれば妥当だよね」
だから二手に分かれようと思う。そう深井副砲長は指を立てた。
「陽動は艦橋に仕掛けるよ。これは加藤主計長と知名艦長にやって貰うから。私らがソッコーで乗員探してくる」
「陽動……って、私じゃ足手纏いになるだけじゃない?」
そう聞き返すと、何処吹く風の彼女。ちょっかいを出して逃げかえればいいと豪語する。
「こういう場面には、弁が立つ人間が強いよ。それに私や工藤航海長はスクランブルに慣れてる。要人の脱出やらはお茶の子さいさいだって」
そう言って、拳を突き出してくる。合わせるように重ねるとガツンと当たる音。ニカっと相手は笑みを見せる。
「では、ご武運を艦長!」
言うが早いか、ダクトをずらして飛び降りる深井。なぜそのタイミングかと問いただす前に駆け出して、遠くにいたらしい巡回していた武装兵を無効化したようだ。
さぁ行けという手振り。加藤に引き離されないように足音を殺して進む。
遠くの曲がり角の先から発砲音。薄暗い廊下にマズルフラッシュの明滅が目に入る。乗り込む前に遠目で確認したマストの位置だけを頼りに、艦首に向けて駆け抜ける。
影から飛び掛かった加藤が、両腕で持って覆面の首を絞める。銃を取り落として必死に抵抗するも空しく、だらりと両腕を落とした。
制圧戦に手慣れているのだろうか。しかし、只の高校生がそんな事に親しんでいてどうするか。臨検に危険が伴う事も知っている。しかし、今この場でとなると話は別だ。
生き死にに隣りあわせなどと。その覚悟なくして、私はこの場に流されているだけだというのに。
「まだ若い……というより、どこかの海洋学校。この柄は舞鶴の生徒でしょうか?」
武器を隠し持っていないかジャケットの下を漁りながらだが、私が驚いたのは幼い容姿の顔が覆面から出てきたからだ。年かさは私とさして変わらないだろう。
仰向けにして、気絶した相手の瞳孔を覗き込む。死んではいないようだと、外傷を確認しながらも加藤は汗を拭う。
あまりにすんなり進むものだから、彼女の手腕に感嘆したくらいだ。ここまでの無事は全部片づけてくれているおかげ。全てが用意されたレールの上を走っているみたいだ。
しかし、奇妙な光景に直面する事になる。
私達が何もしていないのに、他にも倒れているテロリストがいくばくか。それも、深井達の向かった先と反対方向のはず。考えればありえない区画にだ。不審に思った加藤が脈を採ろうと動く。
「武装解除された……というよりは、奪われましたね」
そう加藤が口を開く。何事かと言えば、ホルスターがあるのに丸腰だと指を指す。
何が何だか分からない。まるで、私達と同じようにこの船に乗り込んで成すべき事がある人間がいるかのように。
厳重な隔壁のノブを回しながら先に進む。鍵はかかっていない。しかし、所々がショットガンで打ち抜かれたような跡が残っている。
力技で犯行グループは押し通ったのだろうか。その疑問を払拭せんと、丁寧に。そして迅速に歩みを止めない。
鳴り響いた銃声に咄嗟に身を伏せる。同様に壁際へと寄った加藤主計長が
言葉だけでも清く滑らかな英語が、こちらにも聞こえてくる。
『
『
軍用ジャケットで武装した金髪の少女が、左手で大男の首を抱き込みながら後ろへとにじり寄る。目指しているのは艦橋裏の外階段か。
見た事もない制服姿で拳銃を持つ女性と、照星越しに睨み合っている。
気絶している男性が人質か。目で合図する。アレをどうにかできないか? 加藤主計長は首を横に振る。このままではこちらの身も危ない。
『
『
制服姿の女性が発砲。右手の肉を削がれた金髪の少女が拳銃を取り落とす。
『
『
進退窮まった少女が人質の手を離した所だ。悔しそうに後ずさる彼女を見て、満足したように男性の懐に手を伸ばす制服の女性。
主計長のハンドサイン。タイミングはここしかない。舌っ足らずな英語を叩きつける。
『
何事かと目を向いた少女。それが驚愕に変わり、慌てたように腰元からナイフを剥いて切っ先を向ける。その左手を、支持棒代わりに突き出して吠えた。
『
「知名艦長ッ!」
その言葉に虚を突かれた時には遅かった。
数発の銃声。呆けた私の頭部に放たれたであろう凶器を、身を挺して加藤主計長が庇った。三点バースト。ドスという刺さる音が続いて聞こえた後に、押し倒された私に熱を帯びた体温が伝わってくる。
「一体、何が……」
『
加藤主計長を襲った本人は、高らかに英語で続ける。その様が仰々しくて、猶更に神経を逆撫でしてくる。
『
そうして、男性から取り出したキーカードを悠々と手に取って挑発する。鼻歌を鳴らしながら、コンソールに手を伸ばす。
部屋が警告灯で真っ赤に染まった。アナウンスは危険を示す言葉だらけだ。その全てを聞き取る余裕はないが、操舵に関して命令を下したらしい。
『
『
その言葉にギリリと奥歯を鳴らす少女。しかし打つ手がないのを分かっているのか、ふらつきながらも苦し気にナイフを掲げて態勢を整えた。
それすら目もくれずに、制服の女性はこちらを見た……正確に言えば、私を視点に据えた。
「さて、教育艦武蔵の諸君。遠い日本本土からご苦労だ。とはいえ、ここで会う予定ではなかったのだがね」
突然の日本語に、脳が言葉を受け付けなくなる。武蔵。その台詞に硬直した。
いくら外洋でドンパチをするからといって、闇夜で船体を目視できるかは怪しい。という事は、無線に割って入った侵入者は彼女だという事か。
「一体誰なんです!? 貴女は」
私の当然の質問を、首に手を添えて考える姿を見せる。しばし思考するそぶりをして、彼女は口角を上げた。
「ふむ。名乗るに値するかは知らないが、今後の計画の為にも
ヘーラクレースの十二の功業の一つ。ヘスペリデスの園に使える姉妹の一人であったか? その名をわざとらしく名乗る彼女は、膠着した状況に一石を投じるようにコンソールを叩いた。
「貴女は随分と頭がきれるそうね。全部分かっている癖に、周りにはひけらかさない。あの人にそっくりよ」
《
余裕の表情から、どこか苦々しげに吐き捨てる女性。私は彼女の示した座標を、脳内で変換する。まさしく横須賀観音崎の南、浦賀水道の要所だ。
「この位置にコントロール喪った核燃料輸送船を向ければどうなるか、聡明な貴女なら分かるわよね?」
今は水没した旧東京都と洋上都市を繋ぐ結び目。そこに制御が利かない暴走船舶を放り込めば、火を見るより明らかだ。
「君らはこのフネに何か勘違いをしているらしい。此処は原子力発電所そのものだ。遠征先で大量に必要とされる電力を一手に引き受けられる。濾過した海水で蒸気を起こして回すタービンもあって、それこそ電磁砲すら搭載している移動要塞だよ。こんなの兵器と何ら変わらないじゃないか。口ばかりが民間船というが、立派な戦争の引き金になるさ」
そうアイグレーと名乗る女性は嗤う。カツカツとリノリウムの床を鳴らしながら、荒い息を整えていた金髪の少女に詰め寄って蹴りを入れる。元々頭を揺すられていたのか、意識が混濁しているらしい。いとも簡単にナイフが滑り転がっていく。
『
『
アイグレーは少女の回答に、英語で何か罵詈雑言をまくし立てた。その後に襟口を掴んで床に叩きつける。組み伏せられて、傷口をヒールで抉る。その様と絶叫に目も当てられなくなって、私はつい顔を逸らした。
「その戦力になりうる兵器を、貴女は日本に向けるんですか?」
居ても立ってもいられなくなった苦し紛れの呟きを、相対する女性は鼻を鳴らして応える。
「公的組織で運用されている筈の船が、日本の港口で事故を起こしたら? 石橋のように堅いと言われる日英同盟にヒビが入りかねないという事よ」
勝ち誇ったように嗤う女性に対して、最後の足掻きのように傷ついた右手を庇う少女。背中から撃たれた加藤主計長は、外傷によるものか未だに目を覚まさない。
改めて金髪の少女に向けて女性は微笑んだ。痛めつけるのが済んだのか、今度は顎を片手でなぞり銃口を眉間に当てた。
『君の立場に肖れば、
『
『
未だに敵意の炎を消さない少女。それに飽きたのか、アイグレーの指がトリガーに触れて引き絞ろうと……。
『
その瞬間だった。何かが弾ける音。反射的に振りかぶったアイグレーは、発信源に音を向けると発砲。目の端で捉えた私は、拳大の球形だと悟った。閃光と共に、鼻を突き刺す臭いが充満する。
催涙薬入りのスタングレネード。俯いていた加藤主計長が、意識を取り戻して放ったらしい。自軍への被害をものともしない賭け。それに免じてなのか、他の理由があるのか。アイグレーは攻撃を辞めて、煙が充満し始めた艦橋で天を仰いだ。
『
『
壁に背を預けて、金髪の少女が苦しそうに咳き込む。それを満足そうに見届けてアイグレーは続ける。腰から下げられた懐中時計が揺れた。
「お喋りはここまでだ、どうやらタイムリミットだ。やとがみを上手く誘導してみたけど、このウイルスは使い勝手が悪いね」
「ウイルス?」
ともすれば艦の機能を全停止させる代物の事か。であれば、村野副長の指揮系統に介入している相手でもある。
「それじゃあ、武蔵のコントロール奪ったのも貴女!?」
「武蔵の管制掌握とは違うよ。あれは横須賀女子海洋学校の教官IDに細工をしただけさ。私が言っているのは、細菌とかの類だね」
RaTtウイルス。それが君達が追うべき
「ちょこっとヒトの神経を狂わせるのに便利な代物だ。電波障害を引き起こすから、この場には持ち込んでいないけれど」
何かのバイオテロを画策しているとでもいうのか。感染症の類? これ以上は一句も吐き出さないと、アイグレーは踵を返した。
「少し喋り過ぎたかな。それでは、諸君。我が蛮行を許せないのならば、ぜひ私を捕まえてみたまえ。裁けるかは別の問題だがね」
悠々とドアに歩み寄り、その先へと続く甲板へと踏み出した。
『
私は威嚇にもならないパラライザーを向けるだけ。去り行く彼女は嘲るように、こちらを横目で流していった。