ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis- 作:Virgil
それでは、どうぞ。
脳味噌がシェイクされるように、跳ね飛ばされる。かろうじて手すりに掴まっていた者は、体勢を崩す位で済んだだろう。残念ながら私は、盛大に背中を壁面に打ちつけたが。ジェットコースター紛いの状態で、村野副長の指示が続く。
「各員、被害報告ッ! さっきの操舵は何だ、工藤航海長。舵輪の故障か!?」
「村野副長、舵が完全にロックされてます。スクリューの制御もおそらく不可能かと」
『………………こちら応急員詰所、無電が使えません。以降報告は伝声菅から行います!』
『隔壁装置が機能していません。左舷区画を手動で閉鎖します。傾斜復元まで時間を下さい!』
伝声菅からの声とともに、艦橋も騒がしくなる。コンソールを叩いていた記録員が、電子式指揮系統の全滅を報告する。
「状況報告。一瞬ですが、武蔵の制御システムに割り込みが入ってます。操舵、火器管制がロックされている模様! 教導艦権限の行使、発生源は……パシフィック・ピンテール号からです!」
『こちら電機管制室。安全のため、自沈処理プラグラムをマニュアルで破棄します!』
「クラッキングかよ……野郎っ! 輸送船だけじゃなく、俺らまでターゲットかよ!?」
タイミング的には、出入り口の前で盛大にバウンドした眉墨砲術長。痛む箇所を抑えながら立ち上がり、怒りの籠った声を吐く。そんな状況でも、まったく動揺しない村野。思考するように顎に手を添えて、暫くしての呟きが響く。
「汚染区画を
『少なくとも拾った発信源は八つです。艦首にそこまで搭載可能な潜水艦は、かなり数が限られます』
「村野副長。それはどういう……」
「……知名艦長。わざわざ八発も撃つ方が異常なんです。本艦に位置を知られていない潜水艦が、その最大火力を不意討ちするには絶好の機会です。しかし、リスクも高い。轟沈できると確信できなければ、隠密性を重視されるべき筈の潜水艦にとって数少ないの情報源になるからです」
意味が分からない。武蔵を撃沈するには、最大のチャンスなのは間違いない。だが、情報になるというのは。考えろ、
「……魚雷の同時発射。そのスペックを、私達に誇示してしまったという事?」
「
『時間がかかってごめんなさい。でも、きっと役立つわ。少なくとも、艦紋照合に反応なし。魚雷を同時に八発が運用可能な潜水艦は、日本ならば巡潜丙型の八隻か伊四〇〇型だけ。ドック入りや退役済みも含めて、この海域に急行可能なのは伊四〇一だけ。それも航海ログは、セイロン島沖合同軍事演習が最後に終わってる。日数を逆算しても、この海域にいるためには二日以上は時間が足りない』
「だとすれば、一体どこの船だと言うの……」
海外の潜水艦は艦尾魚雷発射管の運用まで考慮するから、同時発射に期待していない。そもそも、只でさえスペースの限られた潜水艦に魚雷を積むのだ。虎の子を撃ち出す馬鹿は、そうそういないだろう。だが日本の艦艇ならと思ったが、それ以上に絞れない。
そんな推理ゲームで詰まった時に、口を開いたのは眉墨砲術長だった。御伽噺の様な最強の潜水艦なぞ、話に持ち出すとは艦橋の誰もが思わなかったのだろうが。
「
日本は海軍が解体されたとはいえ、海洋国家の態は衰えていない。むしろ国土の大半が水没した今でこそ、その技術力は造船業に向けられたと言っても過言ではない。そのうちの一社である有沢造船。海軍時代のシェアの大半を占めていた月岡コンツェルンや飯田インダストリーに比べれば小規模であるが、それでも
『んー。ちょっと待っててね。ブルマーのラインに載らないから、探すのは面倒なんだけどっと……あった。
「決まりだな。相手はやとがみか。企業機密の宝庫とガチ殴りですけど、覚悟はあります? 知名艦長」
その目が問うてくる。武蔵の全員と、輸送船の乗員を助けられるのかと。可能なのかじゃない、私が助けたいのだ。
しかし、艦のシステムはどうする? 電子機器がダウン。これでは、先のソノブイ投射も現実的ではない。操舵も不可能。だとすれば、再起動しか手段がない。この場には教官もいない。権限を持ち合わせる人なんて、そう都合よく…………。
『だったら、昨日話をした通りに……例えば、戦術統合システムに村野二士の権限で再起動したらどうなるの? そうすれば、私の部屋に入れたじゃない!』
『我々がその判断を仰ぐ艦長が潰れてたら、どうしようもないでしょうに。それにそうでもしたら、艦長室が私の部屋になりますがよろしいか? 乗組員の長は知名艦長になりますが、武蔵の管理権限は私の扱いになりますので。とはいえ、そんな有事など起こらないのを祈るばかりですが』
今こそ、自分の失態に感謝したい。そんな知名の反応を試していたのだろうか。向かい合った村野が嗤う。
「村野副長……出港前のブリーフィングについて確認します。二等航洋士のIDならば、武蔵を復旧させられますか?」
「可能です。しかし。当該戦術リンクからの離脱は、本艦が海洋学校に対して叛旗を翻すことになりますが。そして、相手は民間企業とはいえ、やとがみ型潜水艦だ。現在のブルーマーメイドだけでなく、海運省相手に大きなパイプ持つ有沢造船にすら喧嘩を売るつもりか?」
「私は、人命救助が第一と考えます。武蔵は海域に留まり、所属不明艦の制圧。または撃退します」
まさしく冷笑といった言葉が正しい。目の前の副長は、あくまで法規を元に現実を語る。感情論を押し通すには、まだ手が足りない。どう納得させてくれるのかと、二の句を待っているに違いない。
「武蔵の副長として申し上げる、貴女の判断は正常でない。横須賀女子海洋学校は、いわばブルーマーメイドの登竜門です。将来の展望のために、腕を競う者の集まりです。中でも、ここ武蔵は成績優秀者の集団。我々の経歴に泥を塗り、日本に背けと仰るか。知名艦長。私は副長として、クラスを護る義務がある」
呼吸を一拍。彼女は私を否定していない。ただ訊ねているだけだ。知名もえかという存在が、命を預けるに足りるかどうかを。
「……ではこうしましょう、村野副長。
支給されている拳銃が知名の懐から取り出され、その照準はピタリと村野の眉間へと向けられている。撃ち方は知っている。そして何回も撃っている。殺している。これがパフォーマンスと受け止められるだろうが、今の私にこれ以上の脅す手段は持ち得ていない。
それに対して、村の副長は顔色一つ変えずに苦笑い。
「何をお考えですか? 艦長。本来であれば見習い扱いの准士官である貴女は、公務中においての銃の携帯は認められていない」
「この際どうでもいいでしょう? 武蔵の艦長として命じます。二士のIDを用いて、本艦の全てを貴女が掌握しなさい。これが、武蔵も。そしてピンテール号の全員を助ける最良の手段です」
只のエゴだ。独裁だ。それでも、これが私の執りうる最良の手段だ。銃口から目を逸らさずに、村野は淡々と語る。
「自分が指揮してる船を、部下に奪えってことですか。副長に対する責任転嫁とも取れますが?」
「村野副長こそ自覚してますよね? 武装も操舵も奪われた鉄の棺桶が、敵の魚雷を待つだけの状況だってことは」
「もちろん分かってます。それを回避する為に、手段までシミュレートしています。
全員動くなよ――――そう村野が呟くと、改めて知名に向き直る。生き残るためには、その手段が最善だと言うのも分かっている。誰しもが、現状を打破したいという気概を持ち合わせたいのも分かる。だからこそ、私は演じ続ける。
「なら、私がこの船を乗っ取ったってことでどうでしょう? 海洋学校所属の知名もえかは死亡し、無銘のテロリストからの指示ならば」
「ならば、私も腹を括りましょう……命は惜しいですからね。
振りかぶりながら銃弾が放たれ、知名の艦長帽を吹き飛ばす。艦橋内に悲鳴が響く。当然だ、緊迫した状況下で発砲したのだ。誰かが撃たれたのではないかと錯覚するだろう。
硝煙が、相対していた村野の手に握られた拳銃から立ち上る。腰のホルスターから弾かれるように得物を引き抜いたのは、注視していた知名ですら追えない早さだった。
その様を見て、知名はにこりと笑う。その代わりに村野は溜息を一つ。そして苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を続ける。
「剣術だけでなく、銃の扱いまで得意なんですね」
「……名誉の負傷です、知名艦長。ご希望の通りに、フェードアウトさせましたが」
「本当に期待以上の動きをしてくれて何よりです、村野艦長代理?」
厄介なものを押しつけられた。そう言いたげに不服そうな顔をするが、村野は愉悦に浸るように口角を釣り上げる。電子機器の一切が掌握されているため、伝声菅を使って村野が声を張り上げた。
「各員に通達。艦長が負傷につき、副長である村野が全権を代行する。本艦にテロリストが侵入した。要求は、本艦の船籍を海洋学校から離脱させること。そして、前方を航行中の輸送船の人名救助である。艦長代理として武蔵搭乗員はこの要求を全面的に承服する。また今回の行動は、海上安全整備局特時法第十七条による村野瞳子二士の独断である。他の搭乗員は、その命に従うこととする。各種報告書には、そのように記述するように。以上」
これで十分かと、鼻を鳴らす村野。さすがに頭の回転が早い。中身のない神輿を造った挙句、その音頭まで完全に理解している。
唐突に伝声菅から、猫が伸びをするような声が響く。今朝、訓練室で合った深井副砲長のものだ。イントネーションを聞き分ければ、試すような口調で問うてくる。
『村野艦長代理、ここは私と加藤主計長に任せてくれない?』
「どういうことだ? 深井副砲長」
『私と工藤なら、乗り込んで制圧してきますって話だよー。とはいえ、対潜水艦に腕の良い狙撃手が一人必要ですけどね』
「……それは、俺に対して喧嘩売ってんのか? 深井」
光学航海図を展開し、思う所があるのか海域をマークしていた眉墨砲術長が振り返る。
『やだなー。別に眉墨砲術長なんて一言も言ってないじゃないですか。私は海上公試で、中等部のくせにメンバー入りさせられる腕利きさんに言ってるんです』
「そんな情報、一体どこで仕入れてくるんだか。その程度の挑発なら受けてやらぁ」
海上公試の試験官? 中等部の話で? 知名が頭の中を整理しているうちに、関節を鳴らす様に眉墨砲術長は指を組む。そして引き出し式の椅子に腰掛け、主砲管制用のコンソールを起動する。
「電機管制室、
「えぇ。あとは、貴女が狙撃するために深井が調整してくれるわ」
『こちら電機管制室。VR-Sの為に非常用電源からリソースを割くためには、艦内の照明を落としてギリギリです。艦橋は支障が出ませんか?』
「どの道、潜水艦からは良い的だ。やってくれ」
『了解です。艦長代理』
目まぐるしく変化する状況で、私はアームレストを握りしめる。何も出来ない自分が腹立たしい。神輿の上に立つだけであっても、その先を見据える眼を私は欲していると言うのに。
苛立ちを悟られたのだろうか、渦中の村野副長が知名に向かって振り返る。
「さて。パシフィック・ピンテール号の発信装置を止めない限り、権限の書替はいたちごっこです。IDを管理している私は、武蔵から動けません。艦長は深井副砲長と加藤主計長、それと工藤航海長を連れて臨検を行ってください。この状況なら、前線指揮は貴女が適任だ」
「遊ばせられる人手がないってこと?」
聞き返した知名に対して、肯定の意味で彼女は頷く。
「拳銃の扱い方をまともに知ってるのが、この武蔵に何人いるとお思いです? 少なくとも、貴女を頭数に入れなければなりません。それに駆逐艦と違って、マニュアルへの復旧作業には人手が足りません。危険ですが、貴女にも一仕事して頂かないと」
「言い出しっぺだもの。覚悟はあるから」
「そうですか、ならこの
非情灯以外は落とされ、暗黒に緑色の無気味な光だけが浮く艦橋と化す。そんな緊迫した中で、相変わらず間延びしたような深井副砲長の声が続く。
『あっ、艦長。言い忘れてた。武蔵が結構壊れるかもしれないけど、怒らないでね!』
「待て、深井。貴様、何をするつもりだ!?」
『じゃ、深井はちょっとセッティングで抜けますので。よろしくー』
村野の制止を振り切って、おそらく射撃指揮所を出たのだろう。頭を抱える彼女を一瞥し、知名は闇夜の先に光るパシフィック・ピンテール号を見据える。
「さて。原子力輸送艦を
「銛を撃つのは、砲術長ですからね」
「へいへい。撃ち方始めと行きますか」
不敵に嗤う眉墨砲術長の笑顔は、この暗闇の中でも輝いて見えた。