ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis-   作:Virgil

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航海日誌:副長村野瞳子は眠れない

 陽光というには、視界に入る光源が薄暗い。知名が寝ぼけた頭で首を左右に巡らすと、慣れ親しんだ孤児院の土壁ではなく、無機質な光沢を照り返す剥き身の鋼鉄だと知る。

 

 そうか。私は今、教育艦で航海中なんだっけ。時計を見れば、マルゴー・マルマルを回ろうと言うところ。

 

 起床のラッパには少し早いだろうか……いや、待て。次のラッパ手を誰に任せたか覚えていない。脳内が明滅するように、昨晩までの光景をフラッシュバックさせる。記憶が辿れる限りは、疲労困憊になりながら艦橋で必死に日報のなどを処理していたはずなのだが。

 

 そして、この時間に自分が寝ている方が異常ではないか? 確か本来であれば夜間当直で、朝食を含めたミーティングを済ませた後に仮眠を摂る予定ではなかったろうか。

 

 寝過ごした。寝落ちした。嫌な汗が知名の全身を伝う。現実から逃避しようと、手近なものを掴んだ時に違和感。これはなんだ(・・・・・・)

 

 抱き込んだ腕の中に、自分の身の丈以上の女生徒がいることに気付く。当人は硬直した知名が起きたことに気付くと、するりと抜けだした。固まった筋肉を解す様に一伸びをし、腕を大出に振る。

 

 彼女が知名に向き直ったところで一声。薄明かりに照らされた正体――――武蔵の副長。村野瞳子二士が口を開く。

 

「ようやくお目覚めですか、艦長?」

「……村野副長っ! どうしてここに!?」

「どうしてって……知名艦長。昨晩何があったか覚えておいででしょうか。いや、完全に寝落ちしてましたっけ。説明は後です、早く服装を整えてください」

 

 大きめのワイシャツをクローゼットから放り投げられる。不格好な大きさだが、おそらく村野のものだろう。自分の制服はハンガーにかけられ、着ていたものは洗濯にでも出されたのだろうか。

 

 いや、待って欲しい。改めて自分の様子を見る。ここで悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。何せ昨晩までの記憶がさらさらにないのだから。

 

 さすがに一糸纏わぬと言う姿ではなかったが。自分に丈の合わないような長袖のジャージを羽織らされて、下衣はストッキング姿と言う殿方にとってそそる(・・・)服装だったのには違いない。その葛藤を知ってか知らずか、村野は淡々と事実だけを告げる。

 

「覚えてらっしゃいません? 当直の時間に気を失われたので、こちらも冷や冷やしました。まさか、お姫様抱っこで私の部屋に運んだら、去り際に後ろ抱きで一晩中ホールドされるとは思いませんでしたけど」

「艦長室でも良かったんじゃない!?」

「セキュリティ上、私の権限では原則的に入れませんので。入室記録に副長のIDを残してまで届けるメリットがありません」

 

 さも当然の様に、お持ち帰り宣言。状況を確認するが、内装は艦長室のものではない。知名自身の私物がないのは元より、おそらく村野副長の部屋だろう。

 

「だったら、昨日話をした通りに……例えば、戦術統合システムに村野二士の権限で再起動したらどうなるの? そうすれば、私の部屋に入れたじゃない!」

「我々がその判断を仰ぐ艦長が潰れてたら、どうしようもないでしょうに。それにそうでもしたら、艦長室が私の部屋になりますがよろしいか? 乗組員の長は知名艦長になりますが、武蔵の管理権限は私の扱いになりますので。とはいえ、そんな有事など起こらないのを祈るばかりですが」

 

 下着を履き替え、ソックスを引き上げる。袖に腕を通しスカーフを締める彼女に続き、知名もまた身支度を整える。そんな様子を見て『新婚みたいだな』と言う村野の冗談に、知名は不意討ちを喰らい吹き出す。

 

「まぁ、昨晩はお楽しみでしたね……と言うつもりではありませんけれど、知名艦長は随分と積極的ですね。上と下はどちらがお好みですか?」

「さりげなく情事だと分かってしまう自分が憎い……。それに、私は同性を抱く趣味はないですっ!」

「あら残念。寝落ちしても、決して女の子を手放さないって噂が立ちそうだったのに」

 

 クスクスと嗤う村野には、馬鹿にしているのかと膨れっ面で返す。そんな様子を見て更に笑みを深くするのだが、村野の目覚まし時計がアラームを鳴らした所で空気が断ち切られる。

 

「起床時間まで余裕がありますが、少し付き合って頂けます?」

 

 壁にかけられた長物を手に取ると、村野は悪戯っ子のように微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 武蔵が教育艦として就役についた際には、大量の余剰スペースをどうするかで設計図を引き直したそうだ。艦艇そのものの技術的な電子化により、操舵や砲管制は半自動化する訳だから実質10人程度で艦が回せるといっても過言ではない。

 

 いま二人が向かっている訓練室も、使い道を考えていた際の副産物らしい。流石にトレーニングジムとまではいかないが、艦が傾斜しても転倒しない程度の備品は備えている。女生徒で筋肉をわざわざ鍛えるかという声も多いが、それはそれこれはこれ。国民を守る矛としての意識が高い子はこぞって、こういう施設には憧れるらしい。だが、知名にとっては勿論なびかないのだが。

 

 仮に目が覚めてしまったとしても、惰眠を貪りたい頃合い。そんな時間だ。誘われた知名はともかく、朝練だと向かうのは村野副長くらいかと思ったがどうやら先客がいたらしい。

 

 一人は外国の血も入っているのだろうか、銀糸のような髪色を持つ少女。翡翠を讃えたような瞳も合わせて、輝く海原のようなイメージを想起させる。

 

 若干のウェーブをかけた様はまさしく波のようではあるが、サイドや後ろ髪も伸ばしている。欧米では髪の長さで美を競うという風潮もあることから、その風貌とのアンバランスさに目を惹かれた。何処から持ち込んだのか、事務机に資料を広げレポートを纏めているようだ。

 

 もう一人は、サンドバッグ相手に拳や蹴りを豪快に決める小柄な少女。ダークブラウンのショートボブに、同色の瞳。鎖骨くらいまでもみあげを伸ばしているが、それすら振り回すような動きを魅せる。

 

 休憩がてら相方にドリンクとタオルを放り投げられて所を、片手と口でそれぞれ器用にキャッチ。もはや犬とも言えなくない。そんな様子を眺めるのを認めたのか、あちらから声をかけてくる。

 

「知名かんちょーに村野ふくちょー。朝から訓練室に来るなんて、精が出るねぇ」

「起床前に自主練してたからって、その発言は誤魔化しにも何にもなってないからね。深井?」

「べっつーに、良いじゃん。昼間業務に支障が出なきゃ問題ないでしょ。工藤もそう思うでしょ?」

「アンタと違って、航海長はこれでも忙しいの。操舵に、気象観測。船務長がいないから、電測や通信もやんなきゃいけないの。第二分隊長を舐めるんじゃないわよ」

「へいへい。仕事熱心な航海長サマサマですよ」

 

 不貞腐れるように、口を窄めるのは深井俊衣副砲長。先程までの打ち込みが嘘の様に、息を整えて屈伸をする。対して溜息をつくのは、工藤計葉航海長だった。意に介せず、持ち込んだ荷物を下ろすと、人目を気にせず運動着に着替える村野。何事もないように、ジャージをチャックを引き上げる。

 

「邪魔をするよ。普段から素振りが日課なんだ」

「どうぞー、ご勝手に。訓練室は、皆で楽しく使いましょー」

 

 子供っぽく、わざとらしいトーンに変えて返す深井。その様子に口の端を結ぶと、村野はロッカーから木刀を取り出して、定期的に振り下ろしを始める。

 

 柔よりも剛を体現するかのような、力強い一振。そこから斬り上げ。薙ぎ、突きと続かせる。腰元に刀身を支え、立ち居合。振り抜かずに寸でに止め、斬り返し。その様子に知名は感嘆するが、人によってはそうは見えないらしい。

 

「見世物のつもりはないけれど、不服そうね深井二士?」

「べっつにー。でも射水派神道無念流ねぇ。見たのは久しぶりだけど、そんな邪道な太刀筋って本家に失礼じゃないかって思ってたんだよね」

「見て射水派まで区別するだけで、十分に貴方は観察眼をお持ちの様だ。力の剣だけじゃ勝てないと、射水派の師範は重々承知だった。だからこそ使える物は使い、止めの一撃が一太刀の流派なのさ」

「へぇ、じゃ私とやってみる? 専門は拳闘術だけどさ。」

 

 一伸びをすると、緩衝用マットの上に足を踏み入れる深井。持ち込んでいたポーチから、鈍い色に光る金属を手で掴む。攻撃的な外見ではないが、人を殴る事に特化した武器である事は私にも分かる。

 

「深井二士は沖縄出身でしたっけ。鉄甲の琉球古武道(ナックルダスター)とか、かなりマイナーじゃないですか?」

「メリケンサックって言えば分かるじゃない。第一、体術の延長でいけるから馬鹿な私でもやりやすい」

「天下の横須賀女子海洋学校に、大和型戦艦へ配属された時点で馬鹿で済む訳ないでしょう」

「じゃ、紙一重に天災(・・)の自覚はないから大馬鹿野郎ってことで」

 

 手元で金属の甲をクルクルと器用に回す深井二士。村野もまた、立てかけておいた長物を、藍色の布から取り出す。装飾もないような白鞘の一振り。

 

 腰元に携えると、後方へ一結び。ずり落ちないような微妙な按配で固定される。臨戦態勢の村野に対して、反対側で深井もまた嗤う。

 

「まったく、この子は……。村野副長。一応聞いておきますけど、深井の相手は面倒ですよ。どうやってケリを付けます?」

「副砲長が満足いけば十分だろう?」

「何それ、私だけが餓鬼みたいじゃん!」

「それ、否定できる弁明を私は持ち合わせていないわ。異種格闘戦。それでは、両者位置について………………始めッ!」

 

 工藤航海長が腕を振り下ろしたと同時に、両者は動く。深井は開幕と同時に、姿勢を低く突入してくる。その速攻に対して、村野が鞘から中途半端に抜刀して受け止める。否、むき身には至らず間に合っていない。胴元で鍔競り合い、体勢を崩しきっている村野が無理矢理に右脚を薙ぐ。

 

 さすがに演習で生身に鉄を打ち据えるのを良しとしないのか、深井はわざわざ左上腕で受け一旦は距離をとる。村野が鞘に刀身を戻した際に、鍔が当たる音が響く。

 

「流派で考えれば、やっぱり胴体が手薄なんだね。飛び込んでみて分かった、アンタらどんだけ面が好きなのさ。それに、刀を抜ききらないとかどんな舐めプです?」

「そんな暇を与えるつもりなんかない癖に。怪我させるのが嫌で、わざわざ腕で受けなくても良いでしょうに」

「そっちの小手狙いが染みついてるせいじゃない? それに私闘でアンタが怪我でもして業務に支障がでたら、私にツケが回る可能性を考えただけだよ」

 

 深井が良い終わるが早いか、村野は鞘から剣閃を奔らせる。逆袈裟で切り付けるが、予期していたのか、金属音が鳴るだけに終わる。

 

 模造刀の振り終わりに隙が生じるのを、深井副砲長も見逃さない。逆の手でカウンターを狙うが、予想の範疇なのか村野が左手で掴み取り引く抜く様に放り投げる。深井もまた空中で綺麗に弧を描き、四足獣の様に着地する。

 

「その俊敏性を形容するなら、まるで野生児ですよね」

「せめて、ワンちゃんとか猫ちゃんとか言って欲しいなぁ。そりゃこの髪型だって、クセ毛で耳じゃないけど……さッ!」

 

 地を蹴るように加速。首筋を狙った深井の一撃は、虚を突かれた村野が刀身を盾にしたことで凌がれる。刀の背に左手を添えた瞬間に、空いた深井の左手が武器自体を掴みとる。

 

 もちろん模造刀なのだから、斬れる心配などしなくて良い。しかし己が勝利を確信した深井の表情を変えたのは、村野の反撃に対してだった。刀を掴まれた時には……いや攻撃を耐えた瞬間には、その両手が既に離されている(・・・・・・・・)。少なくとも知名にはそう見えた。

 

 身を低くして、無を取るような構えを見せる。右半身を前に出し、視線は相手から逸らさない。一息に左腰から抜き放った白鞘が、深井の右肘に直撃する。

 

「いったいなぁっ! 鞘で殴るとか、本当に武士の風上にも置けないんじゃない!?」

「不意討ちにプロテクターを合わせる方が、運動神経が狂ってますよ」

「こちとら穏便にやろうとしてんのにさぁ」

 

 とはいえ訓練場に転がったのは、村野の模造刀と深井の鉄甲が片側。ファイティングポーズをとる深井に対して、村野もまた右手で鞘を構える。金属器による強打を恐れずに済むと判断したのか、先程とうって変わり村野が攻勢に出る。

 

 鈍器を使っての撫で斬りとは言葉づかいが可笑しいが、文字通りに深井を掠めるように剣戟が飛ぶ。躱し、身を逸らし。あるいは、残った右手の鉄甲と防具で受け流す。上段からの振り下ろしを軸にした攻撃は、まさに力の剣技とそのものであった。

 

 それでも攻め手が足りないといった村野が距離を置くと、その緩みを深井は見逃さない。左手を軸にしての、回し蹴りを二連。身を引き損ねた村野の鼻先を通過し、あるいは鞘で受け流される。左足が着地した体勢から、今度は立ち蹴り。先程よりも体重が乗った一撃は村野の右腕に直撃する。

 

 鞘を叩き落とした所で、その成果とは裏腹に深井は顔を顰める。交差際には村野もまた、左手で胴へ掌底を放っていた。呼吸のリズムを乱されたのか、深井は肩で息をする。

 

「むぅ。叩いてるはずのこっちばっか痛いのは嫌だなぁ、もう」

「何を言ってるんですか。こちらだって、当てられた所は青痣ですよ。鉄甲の格闘術かと思えば、今度はカポエイラですか。とんだバトルジャンキーだ」

 

 村野もまた蹴られた部分を擦り、鼻頭を拭う。赤い線が、その頬まで大きく伸びる。

 

「前言を撤回したらどうです? 粉うことなく貴方の俊敏性は天才の域だ」

「言ってくれるよねぇ。武器有りじゃ埒が明かないから、徒手でやるってのはどうよ」

「単純な力と力の殴り合いって訳? 雌雄を決するには、乗っても構わないわ」

「………………面倒になったわねぇ」

 

 その様子を見ていた人物が一人で溜息。その攻防に手に汗を握る私との、態度の寒暖差がある工藤航海長。審判係はどこへやら、いつのまにか机に広げていた書類を片付け終わっている。

 

 この御仁は、何を呑気に煙草を吸っているのだろう。ヒートアップして周りが見えてない二人に対しては、割って入ってでも止めたい。それに対して、アレ止めたらこっちが死ぬと言う視線を寄越す工藤二士。ポケットから紙箱を取り出すと、上面を小突く。飛び出した紙筒に火を付け、口に含むと紫煙を吐き出す。

 

「何よ、別に問題ないでしょ。あっ、艦長も吸います?」

「未成年者喫煙禁止法が改訂されたとはいえ、一服するなら喫煙所でお願いします。というか工藤航海長、アレ止めなくて良いんですか!?」

「タイムリミットよ。艦長も時計見なさいよ、それが分からないほど二人は馬鹿じゃないってこと。ほら行くよ、深井」

 

 ワイシャツの内側から、チェーンに吊るされた銀色の懐中時計を見る工藤。その仕草に釣られて、知名もまた腕時計を見ると察する。

 

 静寂を裂く様に、ラッパの音色が艦内を吹き抜ける。マルロク・マルマル。ただちに起床し、ベッドメイキングをせよ。

 

 私は武蔵に於いて、乗員の朝礼や体操は指示していない。しかし各分隊長及び補佐にはブレックファーストミーティングと言っているから、少なくとも取っ組み合う二人は参加する手筈となっているはずなのだが。

 

 そんな二人はしこたま殴り合いを続ける――――と言ってもお互いに避けるのだから、演武の様に見える。そんな一進一退の中でもさすがは海上警察志望者。隊内という集団行動重視の思考には、やはり理解があるらしい。起床ラッパの鳴り終わりに合わせて、双方が腕を下ろす。

 

 タオルで汗を拭いつつ、両者は引き上げの準備を始める。さも満足そうな深井の様子を見るに、ただ単に遊び相手が欲しかっただけらしい。

 

「んじゃ作戦会議と行きますかぁ、副長。お風呂入りたいから、機関長と加藤主計長を説得しに行きません?」

「目下の問題は、それだなぁ。朝のシャワーぐらい許して欲しいものですね」

「まったく……。艦長も、こんな二人を野放しにすると後で苦労しますよ?」

「うん、肝に銘じとこうかな……」

 

 航海三日目にして、既に雲行きが怪しいのは胸に留めておく。この乗員たちは何かが可笑しい。それも頭のネジが数本抜けているくらいにはだ。そう私は固く誓った。


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