「す、スゴいなこれは!」
食卓に入ってきたときの、深雪の第一声である。
理由は単純。
食卓の上が輝いて見えたからである。
サラダやトーストといった、オーソドックスなメニューではあるものの、
それらすべてが美しいくらいに仕上がっている。
しかし、ひとつだけおかしな点。
深雪の動きがどこかおかしい。
湊はそれを死んだ目で見ているし、
翔鶴は苦笑いで見つめている。
こちらの理由も単純だった。
「いや~、湊にこんな特技があったとはな!」
「……深雪?」
深雪を呼ぶ女性の声。しかし翔鶴のものでも、もちろん深雪のものでもない。
「完璧じゃん。流石湊って所だな!すげえ器用じゃん」
「私を見ないようにしているのか?」
深雪が必死で背を向けている先、
椅子に腰掛け、コーヒーをたしなむ女性。
「だって来るって言ってないじゃん、司令官」
「……それは君もでしょ」
湊がぼそりとこぼすが、深雪には聞こえていないようだ。
深雪の冷や汗がすごい。
「深雪、相当恐がってるよ……一体どれだけ怒ったのさ、洋ちゃん……」
「真っ直ぐな性格なのは分かっているが、こちらの命令無視で進撃はいただけなかったからな。しかし、確かに怒ったが少しだけだぞ?」
彼女の名は
湊と翔鶴が所属していた鎮守府の提督をしていた者だ。
その優れた艦隊運用で、人類を勝利に導いた一人とされている。
翔鶴の説教が終わり、キッチンに向かおうとしたら、いつの間にか居た。
湊はその時、心臓が止まるかと思った。
部下といい上司といい、連絡のひとつも寄越さないのはいかがなものか。
頼りになる人であることは確かなのだが、
どうもどこか抜けているところがあるのだ。
戦艦に気合いで潜水艦と戦わせようとしたときなど、
流石の湊でも苦笑してしまったほどだ。
「朝ごはん、食べたいんだけど……いいかな……?」
深雪の態度を見て、埒が明かないと判断した湊が切り出す。
「む、邪魔だったか」
「そういう訳じゃないけど………」
「も、もう怒ったりしないよな?司令官」
「しないよ」
どれだけ恐がっているんだ等とぶつくさ呟く洋。
湊は知っている。
本気で怒った彼女がどれだけ恐ろしいかを。
そして、無理に進撃した深雪に対して怒ったという。
それほどまでに彼女は仲間思いであることも、湊は知っていた。
「ところで、朝食というには遅い時間だが、何かあったのか?」
湊が、ここまでの経緯を説明した。
間髪入れずに。
恐らく訊かれることは予想済みであったのだろう。
経緯が経緯だけに、翔鶴が制止しようとしたが、
全く間に合わなかった。
「そうか、分かった」
湊から一連の経緯を聞き終えた洋は、
終始翔鶴を見ていた。
その瞳が悪戯な光を灯しているのを見て、
湊は怪訝そうな顔をしていた。
「どうしたの?変な顔してるけど……」
「いや、お前もなかなか罪な男だと思いな」
全員が納得したような素振りを見せるものの、
湊のなかでは解決できなかったようだ。
頭の上に幾つものクエスチョンマークが浮かんでいた。
「…………まあいいや、早く朝ごはんを……」
その時、盛大な腹の音が鳴った。
湊たちが、音の発生源の方へ顔を向ける。
両手で顔を覆い隠してうずくまっている銀髪。
「……し、失礼しました……」
涙目で見上げてくる翔鶴。
電撃を喰らったように仰け反るのは深雪と洋。
「ぐ……なんという威力だ!」
胸の辺りを押さえる洋。
「破壊力が凄まじすぎるっ……!」
肩で息をする深雪。
「……いや、何してるのさ二人とも……」
ひそんな二人に冷ややかな目を向ける湊。
うずくまる翔鶴に歩みより、目線を合わせる。
「お腹、空いたから……朝ごはん、一緒に食べよう?」
柔らかい声色。
頷く翔鶴。
さっきよりも顔が赤く見えるのはきっと気のせい。
「そだな、もう腹ペコペコだよ~!」
同意する深雪。
「そうだな、私にはブラックコーヒーを一杯頼むぞ、湊」
驚いた顔をする湊。
「珍しいね、砂糖とか入れないの……?」
「ああ、甘味ならたった今存分に摂取したからな」
湊は理解できていないようで、首をかしげているが、
翔鶴は両手をわたわたと動かして、気恥ずかしさを紛らせている。
湊がコーヒーを淹れている間、女三人が顔を見合わせた。
「あいつがあの様な鈍感に育ってしまったのは、私の責任でもあるからな、翔鶴には迷惑をかけているようだ」
すまない、と頭を下げる洋に、翔鶴は手を振って否定する。
「そんなことないです。湊さんはあの性格がいいんです」
「翔鶴が湊にぞっこんだというのは知っていたが、悪化していないか?」
「っっ……そんなことは……ない……よ?」
「湊が移っているぞ?」
にやにやと、終始洋は笑っている。
「まあ、分からないでもないな」
深雪からの思わぬ援護に、翔鶴の表情が明るくなる。
「顔は整ってるし、基本的な性格もいいしな」
洋は意外そうな顔をしている。
「惚れたか?」
「いや、深雪さまの好みは、もっと男らしいやつだな」
「まあ、湊もああやって恋愛レベルはゼロだが、馬鹿ではないからな。翔鶴も報われると思うぞ、確実にな」
「そうでしょうか……?」
「三人とも……なんの話をしているの……?」
唐突に、声がする。
三人がそちらを向く。
湊が両手に三つのマグカップを持っており、
キョトンとした表情をしていた。
「なに、翔鶴が湊のことをだな……」
「ス、ストオオオオオオッッッッッッップ!待ってください提督!」
「え……」
湊は悲しそうな顔をして翔鶴を見つめている。
「翔鶴は僕のこと、嫌いなの……?」
激しく首を左右に振る翔鶴。
「違います!違います!」
慌てて弁解に入る。
「私、湊さんのこと…………」
そこまで口にしたところで翔鶴は、はたと気づく。
このままでは、自分の心の内を、
全てさらけ出してしまうのではないかと。
もしそれが可能なら、
私にもう一押しの勇気をくださいと。
深雪が驚きの表情を隠せないでいる。
洋が驚愕に目を見開いている。
「……嫌いじゃありませんから!」
……無理でした。
何処からともなく漏れ出すため息。
深雪はうってかわって落胆の表情をしており、
洋は何処と無く温かな目線を翔鶴に送る。
「……良かった」
普段からあまり表情を表に出すことのない湊の、
心の底から安心したような笑顔。
「嫌われたら、どうしようかと思った……」
第三者から見たら恋人のような会話だが、
あいにく二人はそのような関係ではない。
(これで本当にできていないとはな)
(呆れを通り越して尊敬すらできるぜ)
「聴こえてますよ……!」
ひそひそ話をする二人へ、翔鶴は視線を送る。
思い切り怒気を飛ばして。
湊が全員分の配膳を済ませたとき、
すぐに全員が着席していた。
なんだかんだ言っていても、
皆お腹は空いていたのだろう。
深雪がトーストを一口かじる。
「旨い……!」
感動した様子で深雪は口を手でおおう。
「む、深雪は湊の料理は初めてだったのか?」
旨いだろう?と洋は深雪に訊く。
黙って何度も頷く深雪。
どうやら本気で旨いらしく、
ほとんど言葉を失っているようだ。
「旨い」以外の言葉を。
翔鶴もトーストをかじる。
……流石だ。
元々艤装をいじることができるくらい器用な湊は、
こういったところでも器用さを出してくる。
ちなみに湊は無表情だ。
本人いわく、
「ほぼ毎日食べてたから慣れた……」と言う。
こんなに美味しいなら、ご飯の係りを任せてもいいのだが、
「……僕は翔鶴の料理の方が好きかな?」……らしい。
それを言われたその日は、
料理を作るときにすごく張り切っていた覚えがある。
朝食が終わり、洗い物も済ませた。
その日の昼には、洋が深雪をつれて鎮守府へと帰っていった。
「ほんと、嵐みたいな人だったね……」
こちらに背を向けて、去っていく車を見送っているとき、
死んだ目をしている湊がぼそっと言った。
苦笑いの翔鶴。
今日一日、いや、半日の間にかなり自分の気持ちを知ることができた。
隣で死んだ目の湊を見る。
……私も頑張ろう。
そう思えた昼下がりだった。