ただ、そこにいるだけで   作:ふぃあー

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 ここはリビング。

 

 

 

 家のなかにいる時間の大半を過ごすことになる部屋。

 

 

 

 そこにいるのは現在三人だけ。

 

 

 

 尤も、何時もより一人多いので、『だけ』という表現は可笑しいかもしれないが。

 

 

 

 一人は翔鶴。

 

 

 

 頬を膨らませ、怒っているのがわかる。

 

 

 

 残りの二人、

 

 

 

 湊と深雪。

 

 

 

 二人とも正座で、目の前の床を凝視している。

 

 

 

 三人の位置関係というと、

 

 

 

 深雪と湊が床で隣り合って正座、

 

 

 

 翔鶴は椅子に座って二人を見下ろす形だ。

 

 

 

「今後、このような誤解を招くようなことは止めてください」

 

 

 

「「了解」」

 

 

 

 誤解を招くようなこと、

 

 

 

 それは、今日の朝に深雪と湊が共に帰ってきたことにある。

 

 

 

 男女で朝帰りと言えば、想像できることは一つだけだろう。

 

 

 

 帰ってきたときの翔鶴の慌てようは凄まじいものがあった。

 

 

 

 一応二人して誤解を解くことには成功したのだが、

 

 

 

 今度はぶすくれてしまった。

 

 

 

 理由は単純、

 

 

 

 翔鶴が慌てたときの、

 

 

 

 「……別に、僕と深雪がそういう関係だったとしても、翔鶴が気にすることは無いんじゃないの?」という湊の発言にある。

 

 

 

 この発言が翔鶴の逆鱗に触れてしまった。

 

 

 

 因みに翔鶴も湊も気付いていなかったのだが、

 

 

 

 このときの深雪は、とてつもない「うわあ……」な顔をしていた。

 

 

 

 翔鶴の怒りはもっともだろう。

 

 

 

 好意を寄せている相手が、例えこちらの気持ちに気づいていなくても、

 

 

 

 「他の(ひと)と“そう”いった関係になったところで気にすることはない」発言をされれば、

 

 

 

 怒るのは当然のことである。

 

 

 

 深雪は理解していた。

 

 

 

 どうして翔鶴が怒っているのか。

 

 

 

 というかどう考えても湊の巻き添えを食らっているのだが。

 

 

 

 面白くないのは湊の方だ。

 

 

 

 翔鶴に気を使っての発言の筈が、

 

 

 

 なぜかこの仕打ちである。

 

 

 

 隣で正座している深雪の脇腹をつつく。

 

 

 

(ねえ、僕、なにか不味いことでも言ったかな……?)

 

 

 

 深雪は大きなため息を吐く。

 

 

 

(自分の心に聞きな)

 

 

 

 それがわからないから訊いているのではないか。

 

 

 

 どうやら深雪もこちら側ではないらしい。

 

 

 

 どうしたものかと考える。

 

 

 

 …………

 

 

 

 皆目見当もつかない。

 

 

 

 一方の深雪は、内心で頭を抱えていた。

 

 

 

 湊の、恋やら愛やらに対する話題への鈍感さは理解していたつもりだったが、

 

 

 

 まさかここまでだったとは。

 

 

 

 航空母艦翔鶴は、その運のなさでも有名だが、

 

 

 

 惚れた男がこんななんて、

 

 

 

 今回の不運さは群を抜いている。

 

 

 

 そう考えながら深雪は、

 

 

 

 そろそろ限界を迎えつつある足の解放を待ち望んでいた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 

 

 半刻後位に二人は解放された。

 

 

 

 深雪は足がしびれてほとんど立つことが出来なかったが、

 

 

 

 湊はさくっと立ち、

 

 

 

 普通に朝食の用意をしていた。

 

 

 

 現在朝の十時少し過ぎ。

 

 

 

 朝食というには少し遅い時間だが、

 

 

 

「お仕置きとして、今日の分の朝ごはんの準備は、湊さん一人でしてください」

 

 

 

 というわけで、湊は少し不満そうな顔をしながらも、

 

 

 

 朝食の準備ということでキッチンへ。

 

 

 

 深雪と翔鶴はリビング……ではなく、襖を挟んだ和室にいた。

 

 

 

 座布団に胡座をかく深雪と、

 

 

 

 流石に正座ではなく、少し足を崩した状態で翔鶴。

 

 

 

 二人は向かい合うような姿勢だ。

 

 

 

「さて」

 

 

 

 深雪が切り出す。

 

 

 

 翔鶴の肩が跳ねる。

 

 

 

 先程までとは完全に攻守が逆転していた。

 

 

 

 何故こんなことになっているのか、翔鶴には何となくわかっている。

 

 

 

「戦争が終わって、湊と翔鶴さんがひとつ屋根の下で暮らすようになってからどれ位だっけ?」

 

 

 

「三年と、二ヶ月……です……」

 

 

 

 もうそんなに経ったのか、と二人して少し驚く。

 

 

 

「ホントにまだなのか?」

 

 

 

「少しずつ、ですけど、距離は縮まったと、思う……かも……」

 

 

 

「湊みたいな口調になってるぜ、全く……」

 

 

 

 今度は本当に頭を抱える。

 

 

 

 湊の鈍感さは呆れるものがあるが、

 

 

 

 翔鶴の奥手さもなかなかだと思う。

 

 

 

 目の前で頬を染めながら、もじもじする翔鶴を見やる。

 

 

 

 下手をすると、同性である深雪ですら『持っていかれそうに』なるが、

 

 

 

 これと毎日顔を会わせながら“そう”いった感情を持たない湊は、

 

 

 

 聖人か何かかと勘違いしそうになる。

 

 

 

 鎮守府にいた頃から二人をくっつけようと皆で画策していたが、

 

 

 

 然り気無いアピールなどで、湊が気づくわけがないため、

 

 

 

 ストレートに行く作戦が何度か考えられたが、

 

 

 

 まずもって翔鶴もまた、そういった勇気が全くなくて、

 

 

 

 告白の一つすらできていない。

 

 

 

 その時の司令官の、「中学生か?翔鶴は」という突っ込みは忘れられそうにない。

 

 

 

 それくらい初心なのだ。この目の前の人は。

 

 

 

「いっそのこと、ガツンと言ってやったら?」

 

 

 

 翔鶴はぶんぶんと首を横に振る。

 

 

 

 首がちぎれるのではないかという勢いで。

 

 

 

 深雪は天井をあおぐ。

 

 

 

 ダメだ、

 

 

 

 鎮守府を去るとき、翔鶴が湊と共に暮らす決意をしたあのとき、

 

 

 

 皆は翔鶴のことを見直した。

 

 

 

 やっと彼女が報われるときが来るのだと。

 

 

 

 しかし、

 

 

 

 蓋を開けてみれば()()だ。

 

 

 

 二人してなにやってんだと思う。

 

 

 

 それならばと、深雪はあきれながらも、

 

 

 

 ここに来たもうひとつの目的を果たすことにする。

 

 

 

「翔鶴さん」

 

 

 

「は、はいっ!」

 

 

 

 びくりとする翔鶴。

 

 

 

「んなに怖がらなくても、とって食うことはしねえよ」

 

 

 

 しかし、本気で怒れば恐いのは圧倒的に翔鶴である。

 

 

 

 まあいい。

 

 

 

 あまり気持ちいい話ではないので、

 

 

 

 とっとと切り込むことにする。

 

 

 

「お腹の傷、見せてくれ」

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 翔鶴が湊と共に暮らすようになった最大の要因、

 

 

 

 深海棲艦との戦いにおいて負った深手。

 

 

 

 翔鶴が少しずつ服を上に捲る。

 

 

 

 最近は深海棲艦の残党も殆ど見つからず、

 

 

 

 翔鶴が鎮守府を訪れる機会も少なくなっているので、

 

 

 

 こうやって様子を見に来ることにしたのだ。

 

 

 

 翔鶴が傷を負ったのは左脇腹。

 

 

 

 当時では目も当てられないくらいに酷かったが、

 

 

 

 翔鶴の白い肌が露になる。

 

 

 

 そこにはもうなにもなかった。

 

 

 

「すげえ……」

 

 

 

 あの時にズタズタにされたとは思えないくらいきめ細かな肌だ。

 

 

 

 でも、

 

 

 

 世の中はそこまで簡単ではない。

 

 

 

 翔鶴は左脇腹に手を当て、()()()()()()()()

 

 

 

「人工の皮膚です」

 

 

 

 深雪が訊く前に翔鶴が説明をする。

 

 

 

「傷の上からコーティングして、カモフラージュするためのものです」

 

 

 

「『翔鶴の肌は折角綺麗なんだから、こうしたほうがいいと思う……』って湊さんが」

 

 

 

 深雪は目をぱちくりさせる。

 

 

 

 まさか、いや、いくら湊でもそんな……

 

 

 

「あいつ、結構普通にそういうこと言うの?」

 

 

 

 翔鶴は無言で首を振る。縦に。

 

 

 

 肯定した、ということは、

 

 

 

 そういった思わせぶりな台詞をしょっちゅう吐いているということだ。

 

 

 

 これは傷よりも心臓を心配してやった方がいいかもしれないと、

 

 

 

 わりかし本気で考える。

 

 

 

 翔鶴が人工皮膚を剥がし終える。

 

 

 

 翔鶴の白いすべすべの肌の中で、

 

 

 

 赤黒く変色したそこは、異様に目を引く。

 

 

 

 それでも傷を負った直後に比べたら、かなり良くなっている。

 

 

 

「もう、痛みもあまりありません。まだ、痛み止は手放せそうにありませんけど」

 

 

 

 翔鶴がそっと傷口に触れる。

 

 

 

 深雪が驚いたような顔をするが、

 

 

 

 翔鶴は至って平気そうだ。

 

 

 

「もう八割方は治っているって、湊さんが」

 

 

 

「やっぱりすげえな、あいつは」

 

 

 

「ええ」

 

 

 

 翔鶴が柔らかく微笑む。

 

 

 

 凄く誇らしそうなその表情に、

 

 

 

 深雪の方がむず痒くなってしまう。

 

 

 

「翔鶴さんも、頑張れるといいな」

 

 

 

「善処します……」

 

 

 

 その時、和室の襖が開かれた。

 

 

 

 開いたのは湊だが、

 

 

 

 状況があまりよくない。

 

 

 

 深雪は普通にあぐらをかいているだけ――――女性としては恥じらいをもってほしい――――だが、

 

 

 

 翔鶴は傷を見せるために、上半身は下着姿なのだ。

 

 

 

「…朝ごはん、出来たよ……」

 

 

 

 本気でずっこけそうになる深雪。

 

 

 

 普通この場面なら、慌てるなり狼狽えるなり男性らしい反応をするものだろう?

 

 

 

 何で普通にやり取りをしてるんだこいつは。

 

 

 

 見ろ

 

 

 

 翔鶴さん、ゆでダコみたいになってるぞ。

 

 

 

 無言で近くにおいてあった本を投げつける翔鶴。

 

 

 

 何事もなかったかのようにキャッチする湊。

 

 

 

「早く来てね……」

 

 

 

 なぜ本を投げつけられたのかよくわかっていなさそうな顔で、

 

 

 

 湊はリビングへと向かう。

 

 

 

 あとに残された二人。

 

 

 

 深雪は翔鶴の肩に触れる。

 

 

 

 うわ、すべすべで柔らかい。

 

 

 

 これで邪なことを考えないのが、

 

 

 

 全くわからない。

 

 

 

 つくづく難儀なことだと思う。

 

 

 

「……頑張れ」

 

 

 

 無言で頷く翔鶴。

 

 

 

 まだまだ先は長そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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