「うわ……」
湊が自分の作業場につくと始めに物凄く複雑な顔をした。
届いた艤装にかけられた布を取り払った瞬間に出た言葉だ。昨日もこうして布をかけられた状態で届けられたため、中身を見ることはなかったが、
「大分ひどい……」
全体的にズタズタのボロボロの状態だ。よく艦娘自身が生きて帰ってこれたなと、別のところで感心する。
「これ、すごく時間がかかる……」
翔鶴に今日の帰りは遅くなる旨のメールを送り、ため息をつく。どうも彼女は湊の帰りが遅いと不貞腐れてしまうのだ。
何か機嫌を取る方法を考えなければ、と考えが別のところへ飛びかけたが、今は目の前に集中する。
「徹夜コース……憂鬱…………」
元々寝ることこそが至高の時間だという考えを持っている湊にとっては、その事実はこの上なく辛いものだ。
艤装の大まかな修理は、実は湊がやることではない。それをするのは、『妖精さん』と呼ばれる謎の小人たちだ。
湊がするのは、その最終調整だけだ。鎮守府にいた頃は、彼の艤装の調整が好評で、今もこうして艤装の修理が舞い込んで来るのだ。
妖精さんの言葉を、湊は理解することが出来ない。何となく言いたいことはわかるのだが、それだけだ。艦娘のようにお喋りすることなどもってのほかだ。
そもそも、彼自身があまり人と話すことが得意ではないのだが。
それでもやるしかないと、袖を捲り艤装の前に立つ。
まだ、先は長そうだ。
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先ほど湊から連絡が入った。どうやら艤装の状態があまりよくないらしく、今日中に帰るのは難しくなりそうだという。
「今日は一人ですね……」
空を見上げると、雲ひとつない秋口の高い青がある。たまには散歩でもするかと、腰をあげた。
ここにはこれといって何かがあるわけではない。少し車を飛ばせば大型のショッピングモールはあるのだが、今日は近くをただのらくらと歩くだけにした。
少し経つと、前方からも誰かが歩いてくるのが見える。その人物は、こちらに向かって手を振っているようだ。
誰だろうかと思い、目を凝らすと、それはいつもお世話になっている近所の藤野さんという女性だった。
「あれ、今日は翔ちゃん一人なんかね?」
「はい、今日は湊さんがお仕事なので」
「あら、そうなんね」
藤野さんはとても活発な人だ。初めて出会ったときも、持ち前の明るさで湊のことを大いに困惑させていた。
「こんないい女ば一人にさせとるとか、湊くんもまあ罰当たりな男やね」
「でも、湊さんが居ないと皆さんには迷惑がかかりますし……」
それを聞いた藤野さんが、まあいい子!とか、私も見習わなならんね!とか感動している。そして、そう言えば、と翔鶴の方を見る。
それだけなら普通なのだが、その顔がいたずらな笑みを見せているのだから、翔鶴は少し、というかかなり嫌な予感がした。
「翔ちゃんは湊くんのどんなところに惚れたと?」
藤田さんは、翔鶴のことを『翔ちゃん』と呼ぶ。『翔鶴』だと仰々しくて女の子の名前には向かないと言っていたが、『翔ちゃん』だと男の子の名前みたいだという突っ込みはしないようにした。
閑話休題
目の前の事実から目を背けたところで何かが変わるなら一番楽だ。
今、目の前のこの人はなんと言った?そう、「翔鶴は湊のどこに惚れたのか」だ。
質問の内容を意識した瞬間、顔から火が出るのかという勢いで翔鶴の顔が真っ赤に染まる。
「あら、思ったよりずっと初心な反応やね。良いもの見せてもらったばい」
「も、もう!からかわないでください!」
「あはは、実際近所では有名なんよね、『あの二人はいつも一緒だ』って」
「ち、ちがいます、私達は――――」
そんなのじゃありません
そう繋ごうとした言葉は、それ以上先は言葉にしなかった。いや、出来なかったと言うべきか。
所詮は一艦娘と一整備員。
恐らく、というか確実に彼は翔鶴のことを“そう”と認識していない。
仕事の一部なのだ。彼と翔鶴が共に暮らしているのも。
……というかこれだけ一緒に暮らしているのだから、少しは意識してくれても良いのではないだろうか。
「所詮は艦娘と整備員とか思っとるんやない?」
翔鶴の肩がびくりと跳ねる。藤野さんのその言葉は、あまりにも芯を捉えすぎていた。
彼女は翔鶴の反応を見て、図星やね、と言ってから続ける。
「翔ちゃんがまだ現役の頃に何があったかは知らんけど、湊くんに惚れてしまったのは事実やろ?」
翔鶴は黙ってうなずく。その反応を見て、藤野さんは続ける。
「なら、振り向かせるまで頑張りんしゃい。多分近所の人も応援しとるやろうけん」
……近所の人も?
「あの、もしかして知って……」
翔鶴のその言葉に、藤野さんは遠慮せずに思いきり吹き出す。
「気付いとらんとでも思っとったとね?皆知っとるよ、翔ちゃんのアプローチを湊くんは“そう”捉えとらんことくらい、すぐにわかるよ」
まさか気付かれていたとは。
「そ、そんなに分かりやすかったですか?」
大きく頷く藤野さん。
「皆、『翔鶴ちゃんが報われる日は来るとかいな?』って言っとるよ」
翔鶴が彼のことを“そう”思い始めたのは、まだ鎮守府で海の脅威と生死のやり取りをしていた頃だ。その戦いの終盤に受けた大きな傷の治療。という形で翔鶴は湊と暮らしている。
翔鶴自身があまり踏み込むことの出来ない性格をしているが、
そもそも湊が、“そう”いった事に対して全く興味がないのだ。
そのせいで、翔鶴の心臓が爆発するような行動を何度とられたか数えられた物じゃない。
そう言えば、と藤野さんが言う。
ニヤニヤ顔を貼り付けながら。
「質問に答えてもらっとらんかったね。で、翔ちゃんは湊くんのどんなところに惚れたとね?」
……覚えていたのか。
どんなところ、か。改めて考える事など無かったから、
いざどこだ、と問われると難しいものがある。
考えている途中で、
顔が熱くなって来たのはあえて無視する事にする。
「誰にでも平等な所とか、機械を弄るときの楽しそうな顔とか……」
一度言葉にすれば、案外すらすらと出てくるものだ。
「ぱっと見、女の子にしか見えない綺麗な顔とか、機械いじりをしているはずなのに、すべすべで真っ白な手とか……」
「要するにぞっこんって事やね」
翔鶴は黙ってこくりと頷く。
これ以上言葉にすると、本気で傷口が開きかねない。
藤野さんが翔鶴の肩に手をのせる。
「いい?それだけ惚れ込んどるなら、絶対に最後まで諦めちゃいかんよ」
「……はい」
何となく、物凄い気合いが入る。
そんな秋の始まりの一日だった。