ただ、そこにいるだけで   作:ふぃあー

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しばらく寂しいお話が続きます……


十四

 洋は、細かく上下を繰り返している布団を見ていた。

 

 

 

 あの日、翔鶴は湊に関することを全て記憶から消去された。

 

 

 

 それが、湊の決断だった。それが、翔鶴の幸せだろうと。

 

 

 

 布団の中で寝ているその顔を見る。

 

 

 

 元々白い肌をしていたのだが、今の色は違う。

 

 

 

 そんなものは比にならないくらい白い。

 

 

 

 まるで生物の肌ではないような質感をしている。

 

 

 

 ――――深海棲艦の肌。

 

 

 

 三年と三ヶ月前、翔鶴が負った深い深い傷。

 

 

 

 それは、彼女のからだの中に、ある種の“呪い”を形成していた。

 

 

 

 時間が経つに連れて奴等と同類になってしまう類いの。

 

 

 

 それを肩代わりしたのが、今、洋の目の前にいる者――――湊だ。

 

 

 

 彼は自らの力で翔鶴の傷を治し、同時に呪いをその身一つで受け止めていた。

 

 

 

 全ては愛した翔鶴のために。

 

 

 

 それは、一応成功という形には収まった。

 

 

 

 そして、湊はもうひとつのことを決めた。

 

 

 

 共に戦った全ての艦娘たちから忘れ去られること。

 

 

 

 全ては翔鶴を悲しませないために、彼自信が選択したことだ。

 

 

 

 洋には止めることなどできなかった。

 

 

 

 一人で走って行く湊に追い付くことが出来なかった。

 

 

 

 人の体に、深海棲艦の因子が入り込み、体を蝕んで行く。

 

 

 

 人の体は、艦娘の体と違ってそれに耐えうるすべがない。

 

 

 

 湊の目が、ゆっくりと開かれる。

 

 

 

 色素の抜け落ちた髪と肌とは違い、その瞳だけは今も水色の澄んだ輝きを持っている。

 

 

 

「ごめんね……洋ちゃん……本当に……」

 

 

 

「ああ、お前は本当に……」

 

 

 

 大馬鹿者だ。

 

 

 

 その言葉を言う前に、嗚咽が喉に詰まって言葉を繋げない。

 

 

 

 どうしても言えない。そうするには悲しみが強くなりすぎていた。

 

 

 

 洋にすらわからなかった。湊を忘れ、悲しみを背負わずに生きていくことが、本当に幸せなのかということが。

 

 

 

 洋が、翔鶴に湊の思いの事を伝えられなかったのも、この為だ。

 

 

 

 翔鶴が湊の思いを知ったとしても、すぐに壊れてしまうから。

 

 

 

 先日の祭りで、二人の思いは通じ始めたと言う。

 

 

 

 その事が、かえって湊の決意を固める要因となってしまったようだった。

 

 

 

 ――――これ以上、翔鶴の思いを知れば、彼の心は鈍ってしまう

 

 

 

 だから彼は、急ぐように翔鶴の“治療”を施した。

 

 

 

 あまりにもあっけなさ過ぎた。

 

 

 

 あそこまで一途に思いを馳せていた湊の事にすっぱり忘れてしまった翔鶴を、

 

 

 

 洋は直視することが出来なかった。

 

 

 

 嘘偽りなく紡がれた「湊とは誰か」という言葉は、

 

 

 

 洋の心を強く傷つけた。

 

 

 

 あの日、艦娘のみなと別れの挨拶をした翔鶴たちの会話には、

 

 

 

 「湊」の名前が一言も出てこなかった。

 

 

 

 誰もが湊の事を忘れていた。

 

 

 

 湊が、艤装に施した細工によって。

 

 

 

 辛そうな顔で浅い呼吸を繰り返している湊を、

 

 

 

 洋は見ていられなかった。

 

 

 

 彼の体は、深海棲艦の魂の容れ物としては小さすぎる。

 

 

 

 もうすでに湊の体は悲鳴をあげ始めていた。

 

 

 

 訪れる最期の時は、愛する者ではなく幼い頃から共に歩んできた者に看取って貰おうというのだろうか。

 

 

 

 洋は自嘲した。

 

 

 

 何を考えているのか。

 

 

 

 お前はずいぶん前に諦めただろう?

 

 

 

 湊の翔鶴に対する想いに気づいたときに。

 

 

 

 だから二人の幸せを願った。

 

 

 

 それなのに、結末がこれなのか。

 

 

 

 これでいいはずがない。

 

 

 

 洋は両の拳を握り締めた。

 

 

 

 そう思いながらもなにもできない自分が、

 

 

 

 あまりにも情けなく、あまりにも悔しかった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 あの祭りの日から数日が過ぎた。

 

 

 

 あの日の前後は、何故かどきどきしていたのをふと思い出した。

 

 

 

 祭りの前の高揚感とは少しだけ違う感覚を、あのときは覚えていた。

 

 

 

 知らない感覚だと思う。

 

 

 

 でも、あのときには確かに感じていた気持ちなのだろうか、

 

 

 

 今では知るすべはない。

 

 

 

 ひょっとしたら、記憶の中に脚色が入っているのかもしれない。

 

 

 

 そう結論付けて、翔鶴は家の掃除を続行する。

 

 

 

 それにしても広い家だと思う。

 

 

 

 購入したときの事はよく覚えていないが、

 

 

 

 田舎だからここまで広くなってしまったのだろうか。

 

 

 

 掃除をするのにも一苦労だ。

 

 

 

 二人以上で暮らすのにはちょうどいい大きさなのかもしれないと思う。

 

 

 

 二人以上、と言うと瑞鶴だろうか。

 

 

 

 もしくは誰か男の人――――

 

 

 

 そこまで考えて、翔鶴は思いとどまる。

 

 

 

 自分が誰か男の人を想うようになることなど、全くイメージ出来ない。

 

 

 

 このままではあまりよくないことだとは理解できる。

 

 

 

 理解はできるが、どうも納得がいかない。

 

 

 

 男の人が、今までの自分の人生の中に、ほとんど介入していない事も関係しているのだろうか。

 

 

 

 一時間半以上も時間をかけて掃除を終わらせる。

 

 

 

 ここは田舎で、まわりには大したものはなにもない。

 

 

 

 しかし、翔鶴はこの静かな環境が好きだ。

 

 

 

 都会の雑音が入ってこないこの環境が。

 

 

 

 鎮守府の周辺も静かな部類ではあったが、それでもここまで静かではない。

 

 

 

 鳥のさえずりが聴こえてくる。

 

 

 

 木々のさざめきも聞こえてきた。

 

 

 

 窓を開け放っていたが、秋が終わり、冬の始まりのこの季節の風はかなり冷たい。

 

 

 

 それでも、翔鶴は何故か閉める気になれなかった。

 

 

 

 庭先の、小さな猫に気をとられていた。

 

 

 

 綿のようにふわふわの真っ白な毛をした猫だ。

 

 

 

 瞳は、とても綺麗な水色をしていた。

 

 

 

 吸い込まれるようにして、翔鶴はその瞳を見ていた。

 

 

 

 猫は、呆れたようにふんっと鼻を鳴らすと、きびすを返して何処かへ行ってしまった。

 

 

 

綿(わた)ちゃん……?」

 

 

 

 そうだ、いつの間にかよく訪れるようになった野良猫の綿雪だ。

 

 

 

 翔鶴がつけた名前だというのに何故か飛んでしまっていた。

 

 

 

 もう歳なのだろうか。

 

 

 

 まだ若い自信はあったのだが。

 

 

 

 なんとなくスッキリしない気分で窓を閉める。

 

 

 

 最近、そんな気分になることが多い気がする。

 

 

 

 最近。特に祭りから帰ってきた後くらいだろうか。

 

 

 

 大事なことをすっかり忘れてしまう事がかなり多いのだ。

 

 

 

 本当に歳なのだろうか。

 

 

 

 何だか嫌だ。

 

 

 

 深く息を吐く。

 

 

 

 胸の中のもやもやがすっとどこかに行ってしまう感覚がした。

 

 

 

 艦娘の時代に得た特技だ。

 

 

 

 気持ちの切り替えは一瞬で出来る。

 

 

 

 でも、

 

 

 

 それでもずっと心の奥底の辺りでぐずぐずしているものがある。

 

 

 

 何がそうさせているのかは全くわからないが、

 

 

 

 心の中に違和感がある。

 

 

 

 違和感、と言うより痛みだ。

 

 

 

 必死に(わだかま)りの正体を探そうとするたびに、

 

 

 

 頭にもやがかかったようになる。

 

 

 

 まるで正体を暴くことを、心が拒んでいるかのように。

 

 

 

 そうこうしているうちに、晩御飯の準備をしなければならない時間だ。

 

 

 

「あれ……?」

 

 

 

 数十分かけて夕食を作ったとき、翔鶴は一つの事に気がついた。

 

 

 

 何故か二人分を作っている。

 

 

 

 完全に無意識だった。

 

 

 

 しかし、一人暮らしの身で二人分の食事を無意識に作ってしまうものなのだろうか?

 

 

 

 しかし、作ってしまった物はしょうがないので一応保存はしておくことにする。

 

 

 

 明日のお昼ご飯にはなるだろう。

 

 

 

 食卓に料理を並べて、食べ出す。

 

 

 

 よく考えると、この食卓も少し変だ。

 

 

 

 どう見ても二人以上を座らせるための広さがある。

 

 

 

 家具を選んだのは、自分だっただろうか。

 

 

 

 誰かもう一人いた気がするが、どうも思い出すことが出来ない。

 

 

 

 十中八九、洋だとは思うが。

 

 

 

 あまり広い食卓だと、一人であることが強調されるから何だか泣けてくる。

 

 

 

 パートナーがいれば、こういうときに虚しくならないのだろうか。

 

 

 

 なんとなく、そうなる確信がある。

 

 

 

 どうしてかは全くわからないが、確信だけがあった。

 

 

 

 まるで、そのような生活をしたことがあるかのように。

 

 

 

 食べ終わると、正面の椅子を見た。

 

 

 

 何故か、とてつもなく寂しい気がした。

 

 

 

 心臓が高鳴った。

 

 

 

 どうしてだか、よくない予感がした。

 

 

 

 自分が取り返しのつかないことをしてしまったときのような、

 

 

 

 “悪い”予感が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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