ただ、そこにいるだけで   作:ふぃあー

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 本当に鈍感な――――


十二

 翔鶴には全く分からない。

 

 

 

 湊が何故そんなに悲しい顔をするのか。

 

 

 

 翔鶴は本当に死ぬ気で湊に思いを伝えた。

 

 

 

 それなのに返ってきたのは、湊の心から傷ついた顔だけだ。

 

 

 

 ……やはり湊は翔鶴のことを――――

 

 

 

 頭を激しく振ってその思いを掻き消す。

 

 

 

 そんなことはないと。

 

 

 

 しかし、それでは湊の傷ついた顔の説明がつかない。

 

 

 

 翔鶴は透き通った水色の瞳を見た。

 

 

 

 悲しそうな光で歪んでいる。

 

 

 

 翔鶴は泣きそうになった。

 

 

 

 結局自分はなんとも思われていなかったのかと、

 

 

 

 勝手に舞い上がって本当に馬鹿みたいだと思った。

 

 

 

 不意に、湊がため息を吐いた。

 

 

 

 深く、長いため息だ。

 

 

 

 そしてまた目が合う。

 

 

 

 湊が口を開くのが、翔鶴にはゆっくりと見えた。

 

 

 

 正直なところ、湊には何も言わないでほしかった。

 

 

 

 本当に泣いてしまうから。

 

 

 

「あのさ……」

 

 

 

 ぴくんと翔鶴の体が反応する。

 

 

 

 何を言われるのか考えただけで心が砕けそうだった。

 

 

 

「いくつか……質問、良いかな……?」

 

 

 

「はい……」

 

 

 

 なんとか返事はできた。

 

 

 

 でも、まだ目を合わせることはできない。

 

 

 

「僕と翔鶴はさ……一緒に暮らし始めたの……何時、だっけ……?」

 

 

 

「え?」

 

 

 

 思わず顔をあげた。

 

 

 

 何故今そんな質問をするのか、

 

 

 

 翔鶴には全く理解できない。

 

 

 

 しかし、湊の目は真剣だ。

 

 

 

 

 何か意図でも有るのだろうか。

 

 

 

「さ、三年と二ヶ月……いえ、もうすぐ三ヶ月です」

 

 

 

 取り敢えず正直に答えてみる。

 

 

 

 湊は黙って頷いた。

 

 

 

 様々な感情が入り交じった、複雑な顔をしていた。

 

 

 

 だが、質問の意味がまるでつかめない。

 

 

 

「……じゃあ、二つ目……」

 

 

 

 翔鶴はこくりと頷く。

 

 

 

 今の湊は、今までで一番、何を考えているのか分からなかった。

 

 

 

 表情がありありと外に出ているためなのか、

 

 

 

 かえってわからなくなっていた。

 

 

 

「僕の……性別って、翔鶴は……分かる?」

 

 

 

 まるで意図が掴めない。

 

 

 

 その質問の意味が全く分からない。

 

 

 

 確かに女性みたいな優しい顔立ちをしているが、

 

 

 

 湊は紛れもなく男のはずだ。

 

 

 

 ……そうじゃないと少し嫌だ。

 

 

 

 湊からは、冗談を言っている雰囲気は出ていない。

 

 

 

 だから翔鶴も普通に答えた。

 

 

 

「男性、です」

 

 

 

 こくんと、また頷く。

 

 

 

 どうやら正解のようだ。

 

 

 

「じゃあ、三つ目……」

 

 

 

 翔鶴は、懸命に湊の考えていることを探しだそうとしていた。

 

 

 

 何故、思いの丈をぶつけたのに悲しい顔をしたのか、

 

 

 

 それを早く知りたかった。

 

 

 

 その、何を意図しているのか分からない質問も、

 

 

 

 どのくらい続くのか、見当もつかなかった。

 

 

 

「翔鶴の……性別は、何……?」

 

 

 

 また、当たり前の質問をされた。

 

 

 

 翔鶴の中で、ひとつの疑念が浮かぶ。

 

 

 

 もしかしてごまかすつもりなのではと。

 

 

 

 このまま、なあなあでやり過ごして、また日常に戻るつもりなのではないかと。

 

 

 

 必死にその考えを頭から消去する。

 

 

 

 湊はそんなひどい人ではない。

 

 

 

 それに、覚悟もしていたはずだ。

 

 

 

 もし、駄目だったとしたら、

 

 

 

 それをしっかり受け止めると。

 

 

 

「女性、です」

 

 

 

 だから誤魔化さずに答えた。

 

 

 

 きっと何か意図があると思って。

 

 

 

 湊は、黙って頷いた。

 

 

 

「じゃあ、最後の質問……」

 

 

 

 いよいよ、か。

 

 

 

 これで、ようやく湊の考えていることが何なのかを知ることができる。

 

 

 

 断られるのか、受け入れられるのか。

 

 

 

 怖いが、どうしようもなかった。

 

 

 

 ずっと胸のなかにしまい続けた思いだ。

 

 

 

 断られたら、泣いてしまうかな?

 

 

 

 でも、それで湊を嫌いになるつもりなど無い。

 

 

 

 たとえ湊が誰を選ぼうと、

 

 

 

 それを受け入れる覚悟は有った。

 

 

 

「僕は男で……翔鶴は女の子……なんだよね……?」

 

 

 

 心の中で必死に願う。

 

 

 

 どうか、誤魔化すことだけはやめてほしかった。

 

 

 

「はい」

 

 

 

 少し、口調が強くなってしまった。

 

 

 

 苛立ちを抑えきれなかった。

 

 

 

 自分の中の、嫌な感情が、外に出てしまったことが翔鶴には悔しかった。

 

 

 

 湊が、また口を開いた。

 

 

 

「それで、僕と翔鶴は……三年以上、一緒に……暮らしてるんだよね……?」

 

 

 

 それも、翔鶴が先ほど答えたものだ。

 

 

 

 湊は一体、何を確認しているのか。

 

 

 

 翔鶴には分からなかった。

 

 

 

 黙って頷いた。

 

 

 

 声に出して、また嫌な感情が外に出るのを避けたかった。

 

 

 

 湊が、一瞬目を背けた。

 

 

 

 会話をすること自体が少ない湊だが、

 

 

 

 会話をするときは真っ直ぐに目を見つめるのが彼だ。

 

 

 

 その彼が、会話の途中で目をそらした。

 

 

 

 翔鶴には、その姿が怒っているのか悔しがっているのか分からない。

 

 

 

 もう一度、真っ直ぐに湊は翔鶴を見た。

 

 

 

 翔鶴の好きな、湊の透き通るような水色の瞳を見た。

 

 

 

「ねえ……翔鶴」

 

 

 

 湊は少し、首をかしげる。

 

 

 

「それってどういうことだと思う?」

 

 

 

 どういうことか……?

 

 

 

 それは、あの理由からだろう。

 

 

 

 翔鶴が脇腹に受けた大きな傷の治療のためだろう。

 

 

 

 何をわかりきったことを言っているのか、

 

 

 

 翔鶴は本格的に分からなくなっていた。

 

 

 

 だが、質問にはしっかりと答えることにする。

 

 

 

「私の、傷の治療のためです」

 

 

 

 瞬間、湊の顔が少しだけ動いた。

 

 

 

 それが表したのは、あまりよくない、負の感情に見えた。

 

 

 

 失敗したと、翔鶴は本能的に感じていた。

 

 

 

 何が彼を傷つけたか分からなかったが、

 

 

 

 とにかく傷つけたのは間違いないだろう。

 

 

 

 しかし、翔鶴は間違った事を言ったつもりはない。

 

 

 

 湊は男で、翔鶴は女だ。

 

 

 

 一緒に暮らしている期間は三年と二ヶ月で、

 

 

 

 それは、翔鶴が戦時中に受けた大きな傷の治療のためだ。

 

 

 

 また、泣きそうになった。

 

 

 

 今度は何が良くなかったのか。

 

 

 

 考えても、答えが出る気がしない。

 

 

 

「ごめん、少し……質問を、変えようか……」

 

 

 

 湊が、質問をするために息を吸う音が、翔鶴には鮮明に聞こえた。

 

 

 

「男女が……三年以上も一緒に暮らすって……どういうことだと思う……?」

 

 

 

 男女が、三年以上も一緒に暮らす……?

 

 

 

 それも簡単だ。もうそれは付き合っているか、結婚しているか――――

 

 

 

 がばっと音がしそうな勢いで、翔鶴は顔をあげた。

 

 

 

 まさか――――

 

 

 

 湊は、少し困ったような顔で笑っていた。

 

 

 

()()()()()……思っていたのは、僕だけ……だったの……?」

 

 

 

 そんなことが有るのだろうか。

 

 

 

 今まで翔鶴は、湊の事を鈍感だと思っていた。

 

 

 

 しかし、

 

 

 

「あの、湊さん」

 

 

 

「……何?」

 

 

 

「何時から、ですか?」

 

 

 

「何が……?」

 

 

 

「その、わ、私のこと、す、好きになったのです」

 

 

 

「分からない……はっきりした時期は……よく分からない。でも……翔鶴と暮らし始める……前だとは……思う……よ……」

 

 

 

 そんなに前からだったのか。

 

 

 

 それならば、翔鶴とほぼ同時期なのではないか。

 

 

 

 鈍感なのはどちらだ。

 

 

 

「てっきり……翔鶴も、そのつもりなのかと……」

 

 

 

「こ、言葉にしないと分からないことだって有るんです!」

 

 

 

 洋は気づいていたのだろうか。

 

 

 

 幼なじみの、心境の変化というものを。

 

 

 

 何となく、気づいていそうな気がする。

 

 

 

 そして、ずっとほくそ笑んでいた気がする。

 

 

 

 それで、洋は翔鶴の事をプッシュしていたのか。

 

 

 

 成功すると分かりきっていたから。

 

 

 

 ……洋には一生勝てないかもしれないと翔鶴は思った。

 

 

 

 ふと、頬を何かが伝う感覚がした。

 

 

 

 雨、にしては温かかった。

 

 

 

 涙だ。

 

 

 

 それを自覚したとき、嗚咽が迸った。

 

 

 

 懸命に止めようとした。

 

 

 

 それなのに一向に止まってくれる気配がない。

 

 

 

 むしろ、ひどくなっていく一方だ。

 

 

 

 失敗しても泣かないと決めていた。

 

 

 

 でも、成功したときのことなど考えていなかった。

 

 

 

「そっか……」

 

 

 

 湊の呟きが、翔鶴の耳に飛び込んできた。

 

 

 

 まだ、微かな嗚咽で、湊は気づいていないかもしれない。

 

 

 

「まだ、言ったこと無かったね……」

 

 

 

 収まることを知らない嗚咽の中、

 

 

 

 翔鶴は懸命に湊の声を聞いていた。

 

 

 

 一文字たりとも聞き逃したくなど無かった。

 

 

 

「……好きだよ……翔鶴。これからも……ずっと……」

 

 

 

 止まらなかった。

 

 

 

 翔鶴は湊の胸のなかに飛び込んでいた。

 

 

 

 そこで、声をあげて泣いていた。

 

 

 

 湊の服に、翔鶴の涙が染みを作ってしまう。

 

 

 

 何となく、それでも構わなかった。

 

 

 

 湊に、自分の証を付けられるなら、それならそれで良かった。

 

 

 

 湊のシャツ越しに、心臓の音を聴いた。

 

 

 

 ……普通だ。

 

 

 

 何だか凄くずるい感じがした。

 

 

 

 湊の腕が翔鶴の背に回され、ぎゅっと抱き締められる。

 

 

 

 首や顔に、湊の髪が当たって凄くくすぐったい。

 

 

 

 それでも、その感覚が心地よかった。

 

 

 

 落ち着いたところで、湊が体を放す。

 

 

 

 名残惜しかったが、翔鶴も湊に、もう一度伝えなければならない。

 

 

 

 湊の顔を見た。

 

 

 

 月明かりに照らされた、見たことの無いくらい真っ赤な湊の顔があった。

 

 

 

 恐らく、翔鶴もそうなっているのだろう。

 

 

 

 とてつもなく恥ずかしかった。

 

 

 

 胸一杯に息を吸う。

 

 

 

 そして、真っ直ぐに湊の顔を見た。

 

 

 

 その透き通るような、水色の瞳を見た。

 

 

 

「私も、好きでした。三年以上前からずっと……貴方の事が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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