秋祭りの待ち合わせ場所は、湊の工厰前だった。
翔鶴がすっかり忘れていた、二人分の荷物を洋と湊でホテルまで運び、
日もすっかり暮れてしまった午後六時半に集合ということになった。
翔鶴には何度も謝られたが、気にしないでと彼は返していた。
秋の終わりのこの季節は、もう肌寒い。
ふと、湊は空を見上げる。
秋特有の、高い高い星空が湊の水色の瞳の中に飛び込んできた。
少し、湊は笑った。
常に無表情の彼にしては珍しい行為だ。
そして深く息を吐き出す。
その顔が少し赤らんでいるのは、
誰も見ていなかった。
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午後六時半を過ぎる少し手前、
翔鶴が慌てた様子で走ってきた。
浴衣に草履姿だったので、転びそうになったが、
なんとか持ちこたえたようだ。
湊のそばにつくと、肩で息をしている。
そこまでして急いでいたというわけか。
湊は、翔鶴の息が整うのをずっと待っていた。
祭りはもう始まっているが、
湊は特に気にする様子もない。
「すみません、遅れてしまって……」
「……いや、僕が早かっただけ……だから……別に気にすることはないよ……?」
首をかしげながら湊は言う。
謝る理由がよくわからないといったその仕草に、
翔鶴は思わず脱力してしまう。
息は整った。
心拍数は整うことを知らない。
むしろ回数をあげていくばかりだ。
だからだろうか。
「……浴衣……可愛いと、思うよ」
一瞬、翔鶴には湊が何を言っているのか理解できなかった。
たっぷり三秒くらいは経過した頃だろうか、
湊の言葉をようやく理解することができた翔鶴は、ただ嬉しかった。
「……ありがとうございます」
眩しいくらいの笑顔でそう言うことができた。
「……行こう……?」
「はい」
二人は隣り合ってゆっくりと歩き出した。
湊は至っていつも通りで、
翔鶴は少し――――いや、かなりわくわくしながら、
祭りの会場へと向かっていった。
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「やっぱり……」
「凄い人ですね……」
毎年恒例の鎮守府秋祭りは一般人も参加していいため、
例年とてつもない賑わいを見せる。
人混みの嫌いな湊は嫌な顔をしているが、
実はお祭りのような盛り上がるイベントは好きなことを、翔鶴は知っていた。
其にしても凄い人数だ。
毎年思うことだが、今年はさらに多いように見えた。
戦いが終結してから、時間が経ったおかげだろうか。
どう踏み込もうか悩む翔鶴の手を、
ひんやりとした、柔らかい感触が包み込んだ。
湊の手だ。
弾かれたように翔鶴は湊を見る。
「はぐれたりしたら……イヤだから」
少し目を反らされながら言う。
普段も会話するときはあまり目を合わせないが、
湊に少しの“照れ”が入っていることに翔鶴は気づいた。
何だかとても嬉しくなって、湊の手を優しく握り返した。
ごつごつした男らしい手、等という表現を少女漫画等で見かけたことは多々あるが、
湊の手にその様な要素は皆無だ。
下手したら女の子よりもすべすべの肌に、
鍛えていないからか、もちもちした感触の手だった。
寒くなってきたからか、かなり冷たい。
翔鶴はその手を少しでも暖めてあげたくてちょっとだけ力を入れる。
湊の手の感触を楽しむように。
何だか変態みたいだと翔鶴は思ったが、
それでも湊の手の感触は気持ちよかった。
だが、ふにふにと揉みしだいたのは不味かったかもしれない。
湊が怪訝な顔で翔鶴を見るので、
慌ててやめた。
「……大丈夫?」
「だっ……いじょぶです……!すみません……」
「謝る必要はないよ……ただ、どうしたのかなって……思っただけ……」
翔鶴はほっと胸を撫で下ろした。
変態扱いされるかもしれないと思った。
「うひゃう!?」
変な声が出てしまった。
湊が翔鶴の手をぐにぐにと揉んだからだ。
かろうじて手は離さずに済んだ。
翔鶴は非難の表情で湊を見る。
相変わらずの無表情だが、
その瞳にいたずらな光を宿していた。
翔鶴にはしっかりと理解できた。
要するにやり返されたというわけか。
「……行こっか……?」
「………………はい」
湊の手に引かれながら翔鶴も歩いた。
人のたくさんいる、鎮守府秋祭りへと。
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湊と手を繋ぎながら祭りを回る。
それだけで翔鶴の胸はいっぱいだったが、目的はそこではない。
……湊とここまで触れ合うことも無いので、ここで終わりたい気分もなきにしもあらずだが。
そして今は一つの焼き鳥屋の前にいる。
珍しく子供のようにキラキラと目を輝かせている湊。
すると、屋台の男の人が、
「カップルかい?」
そう聞いてきた。
慌ててそうではないと否定しようとした翔鶴を遮って、
湊が口を開いた。
「ああ、うん……そうだよ……」
それを聞いた翔鶴はフリーズ。
屋台の人は満面の笑みだ。
「そんならサービスで二本付けてやるよ!」
「……ありがとう」
四本プラスアルファで六本になった。
翔鶴は思考が固まっているため動けないが、
またぐにぐにされたため、意識が戻ってきた。
何とか声を出さずにすんだ。
どうしてカップルであることを否定しなかったのか問いたかったが、
何となくの理由で訊かなかった。
それよりも美味しそうに焼き鳥を頬張る湊を見て、
翔鶴も思わず頬を緩めてしまう。
「……翔鶴も……食べて……?」
焼き鳥を差し出される。
串を受け取って口に運ぶ。
「……!」
祭りの屋台からは考えられないくらいの美味しさだった。
「黒潮に……聞いてよかった……」
「……?」
あまりにも美味しかったため、焼き鳥を口に入れたまま翔鶴は首をかしげる。
「あの人の店……美味しい……けど、あまり……目立たない……ところにあって、人が並ばないんだって……」
翔鶴は無言で黒潮に感謝した。
いつの間にか二人は、人の流れから少し外れたところにいた。
湊には目的の場所が在るようだ。
しばらく歩くと、湊は立ち止まった。
「ここで……待ってて……」
人の邪魔にならないように脇に避けておいた二人。
そして、目的の場所へと湊は向かっていった。
その背中を翔鶴はじっと見ていた。
「今日、私のことをすべて話します」
決意――――ずっと心にしまっていたもの。
そして、少し悲しそうに微笑む。
「そしたら、貴方の隠していることも、全部教えてくださいね……?」
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賑やかな屋台の間に、ポツンと一人の老婆が座っている。
光もなく、目立たない為に、人が寄り付くことはない。
だが、そこに一人の男が寄ってきた。
さらさらした水色の髪と、それと同じ色をした透き通るような瞳をした男だ。
その男を見た瞬間、老婆は人懐っこい笑みを浮かべた。
「おお、今年は来てくれたかい」
「うん……約束通り……買いに来たよ……」
粗末なシートの上に置かれた竹細工の数々。
湊はその内から二つを取った。
「これ……お願い……」
老婆はそれを見ると、歯の少なくなった口を開いて笑った。
「ああ、毎度ありがとうだよ」
瑞鶴から聞いた小さな店。
質のいい竹細工が置いてあるのに、人から隠れるようにして存在している。
湊は昨年、老婆と出会っていた。
次の年、買いに来ることを約束するために。
「惚れた女は大事にしなよ」
「……分かってる……ありがとう」
湊は後ろを振り返り、翔鶴が待つところへと戻っていった。
「分かってる……翔鶴は……幸せに生きないといけない……!」
決意――――どの様な犠牲を払ってでも。
湊は、静かに右手を、翔鶴と繋いでいた手を見る。
静かに目を閉じ、右の拳を額に。
左手には老婆から買ったものを入れた紙袋をもって。
やがて目を開く。
ひどく透き通った、きれいな瞳をしていた。