屋敷での二回目の死に戻りはスバルにとっても、カリオストロにとっても今まで最悪のものだった。
スバルにとっては都度5回目の死……通常なら生涯に一度。稀有な経験の筈の「死」を5回も味わって居る時点で最悪に違いない筈だろうが、今回は「死」の質が違った。
何せ信頼を寄せていたレムとラムに襲われ、信服していたカリオストロが目の前で死んだのだから。
スバルには異世界で少なからず舞い上がっていただけでなく、異世界での生活をいまだ現実的に捉えていない節があった。
訳も分からず飛ばされた世界が、日々懸想していた空想のような世界であって、更に自身を主軸として幻想の物語のような展開が続けていれば――それも無理もない事だろう。
死に戻りは破壊された体は五体満足、傷一つなく戻すが、傷だらけになった心までは戻してはくれない。レムとラムへの恐怖心。自身から沸き立つ無力感は彼の心に醜く深く刻まれたままである。
その結果、スバルには
「……スバル」
一日目夜。
ロズワールとの話の最中にいきなり部屋を飛び出し、ベッドの上で発狂するスバルを宥めたカリオストロ。
エミリアとレム、ラムを部屋から追い出した後もスバルは不安定な状態が続き、カリオストロが少し部屋を外すだけでそれはそれは取り乱す程だった。
あの時刻み込まれた五体への痛みに、焼き付いた敵意と、失意。それらは死に戻りをした後も彼の精神を蝕み続けている。
今まで四度の死を迎え、それでも尚見た目元気に溢れていたスバルだったが、所詮それはただの空元気でしかなかった。
死を迎えるたびに彼の精神は磨り減り続けており、今回の件で無残にも彼の心は擦り切れてしまった。
リセットされた今でも、彼に見えている世界は
絶望の世界で今も彷徨うスバルに付き添い、何度宥め続けても彼の心は癒えること無く、ただただ痛みを強く発し続ける。
そして絶望から逃れんとやがて自傷行為にまで発展しかけた所で、カリオストロに体内のマナを弄られて、強制的に眠らされた。
叫び続け、泣きはらし歪めた顔は気絶により一時の落ち着きを得て、子供そのもののような表情に戻る。
気絶することでようやく休息が取れるスバルを、カリオストロは沈痛な眼差しで眺める他なかった。
「……」
涙の跡が残るスバルの頬を手の甲で撫でたあと、カリオストロは部屋を後にしようとする。
カリオストロにとってスバルとの付き合いは短いが非常に濃いものだ。
これは自分の責任だ。
自分が起こした不始末の結果だ。
何が片手間で見守るだ。何が天才だ。大言壮語したかつての自分は道化にしか思えない。カリオストロの心に後悔が、自身への怒りが。止まる事はなく積もっていくのを感じる。
唯我独尊を貫いていた頃。
他人は他人、自分は自分だと割り切っていた頃はこのように苦しむこともなかった。
だがアイツと出会ってしまった為に。
あの船で皆と過ごすうちに。
人との繋がりを知ってしまったうちに。
守るべきものを得てしまった途端に。
――この体たらくである。
(……オレ様も、弱くなったな)
ふぅ、と蟠りを解すように、深呼吸をしながら部屋の扉を開け、閉める。
すると、閉めた扉の陰に誰かが居た。
「……何やってんだお前」
「……」
そこに居たのは銀髪のハーフエルフ、エミリア。
彼女は一瞬カリオストロを見て喜色が顔に浮かんだが、直後に見咎められたかのようにしゅんとしていた。
「その……二人がすごく心配で……。
……えっと、スバルは大丈夫だったかしら? 傷とか……」
「……心配するこたぁねぇ。傷なら完璧に治癒しているさ。
あいつがあそこまで取り乱したのは外傷的な問題ではなく、精神的な問題だ。
殺されかけた時の記憶が悪いように残っちまってんだろうが……あの状態はあくまで一過性のものだ。
今日明日で直るものじゃあないかもしれねえが、しばらく落ち着くまでは……安静にさせるしかねえな」
「それ、大丈夫って言えるのかしら……」
カリオストロがスバルの症状を話すと、事更に申し訳なさそうな顔をしだすエミリア。
彼女は自らの手で強く握りこぶしを作り、勢い良く目の前の少女へと頭を垂れた。
「ごめんなさいカリオストロ!
私が、私がスバルを巻き込んだばっかりに……!」
半ば予想していた反応。
前回も辿ったエミリアの同じような謝罪に、若干うんざりとした気持ちがカリオストロに浮かんだ。
「……勘違いするんじゃねえよエミリア。
お前が巻き込んだんじゃなくて、あいつが、オレ様達が勝手に巻き込まれていったんだ。責任の一端はオレ様達にもある。
スバルの件はお互いのヘマが呼んだ事故だ、気にしすぎるな」
カリオストロは短くも濃密な付き合いを繰り返す事で、彼女が悩みを抱え込み続けるタイプだと見抜いていた。
エルザに襲われたスバルがあの様に苦しむ姿を見て、心優しくも責任感の強い彼女は心に募りに募った罪悪感に非常に堪えたのだろう。
パンクしそうになったその気持ちの吐き出し先を、無意識に求めていた結果がこれだろうとカリオストロは推測していた。そしてそれは事実だった。
今にも泣き出しそうな雰囲気で、エミリアはカリオストロへと謝意を表し続ける。
「でも、私が……私が徽章を盗まれなければこんな……!」
「……過ぎたことを悔やんでも何も解決はしない。
悔やむ事を否定はしねえが、悔み続ける愚挙だけはするなよエミリア。
――あぁ確かにお前は徽章を盗まれたさ。その結果、何の因果かスバルはケガをした。
ならエミリア、お前はこれからどうするつもりだ?
ただ悔やんで悔やんで、自分が楽になるためにオレ様にごめんなさいと謝り続けるつもりか?」
「そ、そんな事は……しないわ」
「だろうな、それは馬鹿がすることだ。
仮にも王様候補がそんなつまらない事をするとは、オレ様は思ってねえぞ。
なら行動だ、エミリア。お前が考える、最善の行動を起こせ」
「……私が考える、最善の行動」
エミリアの瞳は気付けば潤んでいたが、その目には徐々に決意の色を帯びていく。
「……スバルの外傷はもう?」
「完治済みだ」
「精神的な傷は?」
「重症。正直、発狂しかけていたレベルだな」
「…………」
エミリアはカリオストロの目の前で両の人差し指で自らのこめかみを左右から突き、目を瞑りながらうんうんと唸り出した。
また古臭い考え方だなとその様子を観察するカリオストロは、正直彼女がスバルに出来る事などほとんどないと考えていた。
出来て衣食住の提供、更に話し相手になる程度か。
はたしてエミリアが考える最善の行動は一体なんだろうか。
期待しないで彼女を見ていると……ようやく目を見開いたエミリアはカリオストロへと告げた。
「決めたわ。――私、スバルが完治するまでお世話をするわ」
「……は?」
「スバルは私が責任を持ってお世話するって言ったの。
落ち着くまで私が付きっきりで!
あ、当然だけど王都からとびきりのお医者さんも呼ぶわ、期待は出来ないかもしれないけど、何か分かる事もあるから……」
決意の色で満たされた目で、ふんすとやる気に満ち溢れるエミリアに、カリオストロも流石にストップをかけた。
「待て。待て待て待て!
世話ってお前……それがエミリアが考えた最善の策なのか?」
「えぇ。……私、考えてみたの。
私が出来る事って外傷を治す治療魔法くらい。
衣食住の提供は当然だから考えないとして……あとは話し相手になるくらいしかないなって。だったら、出来る事を……とびっきり凄くしようって思ったの」
「お前、王様候補として勉強とか執務とかあるだろうが。
それに世話ならレムとラムに頼れば……」
「あら。スバルがいる部屋で勉強をすれば済むだけよ。
それにスバルは何でか分からないけど、レムとラムが苦手なんでしょう?
……ごめんね、扉越しにスバルの声が聞こえてきたの。
どこであの二人の事知ったのか分からないけど、怯えるくらいならお世話とかも私がしてあげた方がいいんじゃないかなって」
ここに来てカリオストロは、エミリアがスバルが居る部屋の前でずっと待機していた事を思い出した。そう、カリオストロが狂乱するスバルを宥めていた間も、彼女は部屋の前に居たのだ。
スバルの叫びが扉越しに聞こえていてもなんらおかしくはない。
カリオストロは自らの髪を片手でぐしゃ、と軽く掻き乱すと……ため息を添えてエミリアへ告げた。
「……まあ、そうだ。
……はぁ。元よりお前には時々でいいからスバルの話し相手になってやって欲しいっていうのと、レムやラムをしばらくスバルに近づけるなと伝えるつもりだったし……渡りに船か」
「じゃあ……!」
「ただし、オレ様も出来る限りスバルには付き添うつもりだからな。
お前も流石に四六時中スバルには構う事出来ないだろうから、交代しながら看病だな。
……オレ様が用事か何かで席を外した時とかは、しっかり頼むぞ」
「えぇ、任せてカリオストロ。
私スバルのために、すごーく頑張るんだから!」
§ § §
屋敷に来てから二日目。
当初の予定通りレムとラムを遠ざけ、カリオストロとエミリアは二人でスバルを看病する事になった。
スバルも一日目に比べればまだ落ち着いているようだが、時折見えない何かに怯えるようにして布団に縮こまり、単純な会話は出来ても途中で発作的に泣き出すなど、刻まれた恐怖が根深い事を二人に示していた。
……エミリアが看病すると言った時に、カリオストロが真っ先に危惧したのはスバルが余計な事を口走らないかどうかだった。下手をしたら「あの言葉」を連ねてしまうのではと。
ただ今のところはそれもない。恐らくは、彼に根付いた恐怖がそれをさせないのだろう。
そう思うと尚更、自分が起こした始末の罪深さが浮き彫りになって仕方がなく、カリオストロは後悔の念に囚われそうになったが……それよりも。それよりも彼女には今、気になる事があった。
「はいスバル。あーん」
(……エミリア、お世話張り切りすぎじゃねえか?)
今、カリオストロの目の前ではベッドの横に椅子を用意し、座り込んだエミリアが昼食をスバルの口に運んでいる所だった。
どこか虚ろな表情の彼は、受動的にそれを受け入れている。そこには恥ずかしさも嬉しげな様子も内包されていないが……カリオストロにとってはどこか、困惑しているようにも思えた。
「すごーく頑張る」という宣言通り、エミリアは張り切った。
兎にも角にも張り切った。
スバルが泣き喚けば、時に抱擁を交えて慰め、
スバルが不安そうな顔をしているなら、楽しげな会話を振り続け、
スバルが寝ている間は、ただ手を繋ぎ、
少しでもスバルの不安を消そうと、昼夜問わず精力的に動いてくれた。
ただそれだけではなく、食事の世話も。湯浴みも(流石に部屋でタライを用意していた)下手すればお手洗いまで。(狂乱状態のスバルが、果たしてお手洗いを一人で済ませられたかは彼の名誉のためにも告げない事にする。ただ二人がかりで顔を赤らめたり青ざめたりと、非常に悪戦苦闘した事だけは伝えておこう)
兎に角、今のエミリアと来たら新妻……いや母親のような甲斐甲斐しさで、過剰な程尽くし続けていた。それこそカリオストロが何もする必要が無いほどに。
これには傍についていたパックも思わず苦笑いを浮かべる他ない。
パック曰く、「リアはいつもお世話されてばかりだったから、逆に誰かを世話したかったんだろうね」との事だが……。
「うぅ、ぁ……」
「あ。もう、スバルったら駄目よ? ちゃんと食べなきゃ。こぼしちゃったじゃない。
ホラお口拭いてあげるから、じっとして」
「……スバルの世話もいいが、エミリア。お前は大丈夫か?
昨日からずっと看病して、夜なんてほとんど寝れてないだろ?」
「これぐらい、スバルに比べたらへいちゃらよ。
まだ一日目だし、カリオストロだって寝てないのは同じでしょう?
それにね、スバルには申し訳ないけど……お世話するの、ちょっと楽しいかなって。
赤ん坊をあやしてるというか……そう言う気分? ふふ、赤ん坊のあやし方とか本で前読んだ事あったから、活用出来て良かったわ」
「お、おう……そうか、それならいいんだが」
(オレ様としては自由に動ける分助かるからいいんだが……。
エミリアに下の世話までされて正真正銘の赤ん坊扱いか……。
スバルが正気に戻っても、その事実告げたら、またコイツ発狂するんじゃねえのか?)
「まああれだ、程々に休息を入れろよ。オレ様はちょっと席を外す」
「うん。行ってらっしゃいカリオストロ。
……今度はクリームシチューよ、スバル。
レムの特製だからすごーく美味しいわ、保証してあげる」
カリオストロは二人がいる部屋から抜け出すと「ある見極めの判断材料を手に入れる為に」通路の先へと進んでいく。
目的地は、来た当初に無礼を働いてしまった人物の部屋。
他の部屋よりも大きな、厚みのある木製の扉をノックすると、若干間延びした返事が帰ってきた。
「ど~ぅぞ。
――あはぁ、こーれはこれは。カリオストロ君、スバル君の容態はどーぅだい?」
「お陰様☆……って言いたい所だけど、
まだはっきりと良くはなってないかなぁ☆」
ロズワール・L・メイザース。
この領地を収める、道化メイクの掴みどころのない人物。
長身痩躯の彼は、執務机に向かって書類かなにかを書き留めていたところだったようだ。
カリオストロが可愛らしくぺこりと一礼をして部屋に入ると、
ロズワールも机から立ち上がり、目の前のソファーへと手で促し、彼女もそれに従った。
「そーぅかい……それは、残念だねえ。今回の件はこちらの落ち度でもある。
彼にはしーっかりとこの屋敷で、治るまで療養して貰わないとねぇ」
「それは衣食住のみ?
そしてスバルが完治するまでって事?」
「君達が更なる滞在を望むと言うのであれば、如何用にも。
エミリア様を助けた事は、それでも尽くせないほどの恩だと考えているからねぇ。
我々は彼の治療にも全力を尽くすことを約束しよう」
ロズワールの言葉に、カリオストロはにっこりと天使の微笑みを向けると……次に大きく頭を垂れて、謝罪し始めた。
「温情感謝します☆
――そして前回はお話の途中に飛び出して、大変申し訳ありませんでした」
ロズワールは鷹揚に、片手を振って返した。
「気にする事はない。むーしろ起きた彼がああなるであろうと、予期できなかったこちらのミスだったとこちらは考えて居るよ。
少なくとも、メイドの一人を彼の傍に付けておくべきだった。
たぁだキミが、どうしてスバル君が起き上がる瞬間が分かったかは少し疑問だーけどねぇ……共感能力、でも持ってるのかい?」
「んー☆ 秘密☆」
「謎多き乙女、というものかい。魅力的で、いーぃものだねぇ」
はぐらかすと追求することを直ぐ様諦めたロズワール。
そして会話が一段落すると、狙ったかのように扉をノックする音が部屋に響く。
音の主をロズワールが招き入れると、紅茶のセットを用意したラムが入ってきた。
ラムはてきぱきと、無駄なく二人の元に完璧とも言える所作で紅茶を淹れると……主人の後ろに佇んだ。
カリオストロも、ロズワールも淹れてもらった紅茶に口をつけると、ゆっくりと杯を傾け……ほぅ、と、息が漏れた。
「そーれで? カリオストロ君、キミはここに何しに来たんだい?
顔を見る限り、この私に何か聞きたいことあーるよぅだけど」
「やだっ☆ カリオストロ、そんなに分かりやすかったかなぁ☆」
「失礼ながら、勝手なイメージを言わせて貰うと、キミは無駄を省き効率を重視するタイプのように思ーえてねぇ。
ただ謝罪するだけなら、わーざわざこんな場所にも来ないだろぅ?」
ニッコリと笑いながら、表面上大人しい会話を続ける二人。
カリオストロはもう一度、琥珀色の液体を少量口に含み、カップをソーサーに置くと……切り出し始めた。
「ラムも居るなら丁度いいね☆
……スバルが狂乱状態になっているのは聞いてるだろうけど~☆
どうにも解せない事があるんだよね☆」
「解せない事?」
「うん☆
……スバルは今回の件に全く関わりがなさそうな、
そう言うと、カリオストロの視線はラムへと移る。
ラムはその視線を受けて、どう反応すればいいか分からないようだった。
……これは本来なら無駄な行為だ。なぜなら真相を知っている上であえて尋ねているのだから。が、この質問は自らにとって必要なもの。内面をおくびにも出さずにカリオストロは詰問を始め出す。
「聞くけど、ラムはスバルとどこかで会った事ある?」
「いいえ、ございません」
「本当~? じゃあ何でスバルはレムとラムの名前を出しながら、怯えているのかな?」
「身に覚えがありません……お客様と出会ったのは私もレムも昨日が初めて。
それ以前で彼のような黒髪を持つ少年とは一度も出会った覚えもありません。
彼は私達と同じ名前の存在に怯えているのでは……?」
「ふぅむ。私もレムやラムとは短くない付き合いだーがねぇ……。
彼女達は幼くしてこの屋敷で勤め続けている。
様々なご客人がこの屋敷に来たもーのだが、私も黒髪の少年とはまーったく面識はなーいねぇ」
助け舟を出したロズワール。
だが、カリオストロは間髪入れずに言葉を連ねた。
「魔女教」
空気が凍るとはこの事だろう。
ロズワールは表情も変えることはなかったが、ラムはその言葉に動揺を隠せず、身じろいでしまった。
カリオストロは我が意を得たりとばかりに追撃する。
「……彼が言うんだよね☆ レムとラムっていう名前と同じくらいに魔女教だ。魔女教だって☆
ラムの反応を見る限り、どうやら魔女教に何か関係がありそうだけど?
――申し訳ないけど彼のためにも、知ってることを教えて欲しいな☆
スバルが何に怯えているのか知るためにも☆ スバルの完治の為にも☆
多少言いづらい事だろうとも、私には、私達には知る権利がある☆ ……そうだよね?」
視線の先をロズワールに向けると、彼は瞑目しながら紅茶を傾けている所だった。
ラムは何かを堪えるように、持っていたトレイを強く握りしめる。
ロズワールは「治療に全力を尽くす」と告げた以上、断る権利を持たず、ラムは主人に命令されればNOとは言えないだろう。
カリオストロが求めた判断材料、「レムとラムの過去」。
それはレムとラムが本当に敵なのかを見極めるためのものだった。