二回目の二日目も滞りなく終わり、二人の屋敷生活は既に三日目を迎えていた。
一回目では四日目夜にスバルが殺害されたが、先日の仕込みが影響を及ぼし、その瞬間もまた変わるとカリオストロは踏んでいた。
ただし、それが大きな影響になるとは考えていなかった。
故に彼女は今日も余念なく情報収集を続けている。
スバルを死なせない為に、そして元の世界に戻るためにも。
「えーっと、ここじゃなくて……ここだ!」
「ん、ぴったりベアトリスの部屋☆ ありがとうスバル☆」
「どーいたしまして! なんつったってカリオストロは客。俺は使用人だからな。また言ってくれればいつでも案内するぜ」
「使用人なら客人よりも家主を優先してこそかしら! お前たち人のプライバシーを何だと思ってるのよ!?」
今日も今日とてベアトリスの部屋を探り当てて侵入するスバルとカリオストロに部屋の主が声を荒げた。原理こそ分からないがスバルは扉渡りの力を簡単に見破っており、ベアトリスが引きこもる事を許さない。
本人は「これが異世界転生で得たチート能力かよ」と若干自嘲気味に愚痴をこぼしていたが、その御蔭でカリオストロはこの世界の知識に触れられるのだから、割と助かってると言えよう。活躍箇所が限定的過ぎるが。
「ベアトリス~、け・い・や・く☆ でしょ?」
「ぐぬっ……」
既に知識及び本の貸与を受け取る脅迫……ならぬ契約を交わした事を良いことに、カリオストロは勝手知ったる顔で禁書庫に入り、家主の近くの椅子に勝手に腰掛けて余裕の表情でベアトリスへと笑いかける。
契約を交わした手前、それを反故にも出来ずベアトリスの顔はただただ苦渋にまみれていた。
「ま、安心しろってベア子。別にパック相手に『にーちゃの毛並みは素晴らしいかしら~っ』ていって、もふもふしまくってる時に遭遇しなかったし! ……あ。今回は俺そのシーン見てねえな」
「な、ななな……お、お前……お前どうしてそれを! ちょっと待つかしら! 逃げるんじゃないのよソコに直るのよ?! お前っ! 絶対に次会ったらただじゃ置かないのよっ!」
どうやら今回もパックへの愛が溢れすぎ、同様の行為を行っていたようだ。
その秘めたる行為は誰にも見られていないと考えていたようだが、よもや時を超えてその痴態を観測する存在が居るとは夢にも思っていなかっただろう。
痴態の観測者は一目散に部屋から逃げ出していき、家主はその場で地団駄を踏んだ。
「にーちゃの毛並みは素晴らしいかしら~☆ ……こほんこほん」
「お前出禁なのよ」
「冗談だってば~☆ 機嫌直してよベアトリスっ☆ ほらほら今日も私の知識欲を満たさせてっ☆」
ぷにぷにほっぺを突っつけば「やめるかしら鬱陶しい!」と手を払いのけるベアトリス。
精霊という存在なのに本当にそこらの子供そっくりで、肌触りもまさしく人間の彼女。
この世界では精霊という存在は儚げなものではないとカリオストロは認識を改めていた。
そして挨拶代わりのスキンシップも終わって、いよいよ本題に入ろうとカリオストロはテーブルの上で手を組み、その手の上に顎を乗せて問いかけた。
「じゃあ今日の質問だけど~☆ この屋敷付近で人に害意を及ぼすもの、全部教えてっ☆」
「……はぁ? お前……何が聞きたいのよ」
「そのまんまの意・味・☆ 例えば植物、例えば虫。例えば動物。例えば気象地質。兎に角、この地域で人を死に至らしめるであろうものぜーんぶ☆」
「……。変なことを知りたがる奴なのよ、お前は」
やれやれと言わんばかりに椅子から下りたベアトリスは、淀みのない動きで書棚を移動していき、1つ2つ3つ……次々に本をテーブルの上に魔法を使って積み上げていく。
「植物学(上)」「ルグニカ鳥獣図鑑」「気象学Ⅳ」……etcetc...
積み上げられて本の山が一つ出来ると、またすぐ側に本の山が出来ていく。
可愛らしい擬音が聞こえてきそうな足取りで、ベアトリスが椅子に戻ってきた頃には本の山は4つ程出来ており、数えるにぱっと見で30冊は下らなそうである。
ただそれだけの山を用意されてもカリオストロは瞬時に関連しそうなものをノータイムで、躊躇する事なく選べるベアトリスの司書としての力に舌を巻くだけで、決して意欲が萎縮する様子はなかった。
「この近郊で人に害意を及ぼす物が載ってる本はこれぐらいなのよ」
「すごいすごいっ☆ これ全部ここ近辺のものを載せてるものなの?」
「関係ありそうなものは見繕ったけど、一冊丸々この地域の事を書いてるとは思わないほうが良いかしら。あとベティーは研究者ではないから専門的な話は出来ないのよ。詳しい話は自分で探ればいいのよ」
「うーん。なるほどねぇ……」
ただコレだけの書物があっても活かせねば意味はない。
タイムリミットである4日目夜までに全て読破し、その上で対抗策を練り、実行する……それは流石のカリオストロも無理だと考えていた。
故に彼女は一冊一冊、どこが該当するかのピックアップを目の前の書庫の主に交渉を行った。
当然ベアトリスは渋る。しかしカリオストロの巧みな交渉術の前では彼女はか弱い羊でしかなかった。
耳障りのよい言葉を並べ、相手をおだて、餌で釣り、餌が駄目なら若干の脅しにシフトして。
ベアトリスは抵抗止む無くあれよあれよと追い詰められてしまい、悪い狼に言質を取られてしまった。
「……お前本当嫌な奴なのよ」
「え~、そんな事ないよ~☆ その代わりパックと触れ合う機会は増やしてあげるって言ったでしょっ☆」
「当たり前なのよ、メリットがないとこんな事やってられないかしら……ほら、さっさと終わらせるのよ。まずは薬物図鑑。此処近辺、というかルグニカ近辺でよく取れるのは……」
ベアトリスは司書として非常に優秀だった。
どの頁にどの項目があるのか。脳内には長年で蓄積した専用のライブラリが出来ており、スラスラと淀む事なくカリオストロに知識を提供していき、カリオストロは持ち寄ったメモ帳にその項目を真剣な表情で書いていく。
時折質問と回答を交わし、時に冗談交じりに、それでもテンポよく、交錯する事なく教導は進んでいき……。
「……次は魔獣図鑑。正直この近辺での魔獣の分布はよく分かってないから、よく出ると言われる魔獣だけでも教えておくのよ。まずはウルガルム。犬型の魔獣かしら」
「犬……」
「そ。群れて活動して、獲物を襲う。まあ普通の野犬のような奴と言ってもいいのよ。取り立てて強くはないけど噛まれると呪われる、結構厄介な奴ね」
「呪われる……ねぇ。呪われるとどうなるの?」
「呪いをつけた魔獣が死なない限り延々とマナを絞られるかしら。どれだけ離れていても魔獣が好きな時に命の源を吸われて、対象者は衰弱し、やがて死に至るのよ」
ベアトリスが開いた図鑑に書かれた絵柄を見ると、そこには角が生え、何かを威嚇するような牙を携えた大きな成犬の姿が描かれていた。その姿は知る人が見れば、それをドーベルマンのようだと称したかもしれない。
その情報にカリオストロは思わず目を見開く。
犬、噛み傷。そして衰弱死。
そのキーワードはカリオストロが求めていた答えに近いものだった。
――しかし、まだ確証とは言えない。
「……ねぇ、そのウルガルムの子犬もいるのかな?」
「子犬? さぁ。ベティーが知る限りはないかしら。ウルガルムについて書かれるのはその本ともう一冊あるけど……子犬の事については触れられていないと思うのよ。そもそも魔獣全般は突然発生すると言われていて、普通の動物のように番を作って繁殖をしたりする所を見られていないのよ」
「へぇぇ……。ちなみにもしそう言う子犬の魔獣が居るとして~☆ 躾けて飼ったりとか……する事が出来ると思う?」
「出来なくはないのよ。知ってるかもしれないけど、魔獣は大なり小なり角を持っている。魔獣はその角を折られると、折った相手に従うようになるかしら。ただし魔獣は忌むべき存在……角を折ってもすぐに殺してしまううのが常。望んで従えるような奴なんて変わり者か悪人しかいないと思うのよ」
「ふむふむ……」
「……ま。そもそもこの付近、街道やアーラム村には魔獣避けがあるから、村に持ち込む事も侵入することも出来ないかしら」
「……」
スバルを噛む犬がもしもウルガルムの亜種であったとしたら。
その犬を持ち込んだ存在がもし手懐けていたのであるのなら。
たまたま持ち込んだ場所に結界が存在しなかったら。
決定打になりえないが、限りなく答えに近い回答になるだろう。
「……魔獣を飼いたいとか言い出すんじゃないわよ」
「そんな事しません~☆ さ、次々。まだ10冊以上あるよね?」
そうして二人の幼女達の勉強会はスバルが呼びに来る夕飯前まで続くのだった。
§ § §
夕飯も終わればあっという間に夜になり。
いつもの定例報告会も終わった後、カリオストロは月明かりが照らす部屋で本に囲まれた机に向かって、スバルの死因についての推理を書き連ねていた。
机の隅に置かれたシェードランプが手元を明るく照らす中、手の動きとペン先が紙をこする音は部屋内で途切れることはなかった。
(……結局アレ以外で有効な情報はあんまりなかったな。毒物、毒虫は羅患すれば兆候が分かりやすく、その時点で対象から外れるし。特殊な気候による体調不全も考えられにくい。やっぱ一番の収穫は……ウルガルムか)
原因。死因、どれをとっても現状のスバルを死に至らしめた原因に最も近い存在である。
ただ、あの魔獣に子犬の形態があるかどうかが分からず。
そして魔獣だとしても、その魔獣を従える力が存在するかどうかも分からず。
更に魔獣は結界の影響で村に侵入できない、近づけないという事実があり確証には至らない。
ただ、それらの要素が全てありえると仮定した場合でも二点、問題が残る。
『何故そのような人物が村に居るのか』
『何故スバルが噛まれたのか』
(子供の中に偶然魔獣の加護を持っている奴がいて。偶然魔獣の子供を従えていて。偶然結界が綻んでいる部分があって。偶然村に持ち込んだ所で。偶然スバルが噛まれた? ……ありえねえな。偶然がそう何度も重なって堪るものか)
墨壺に羽ペンを一度戻すと、カリオストロはふぁぁと可愛らしい欠伸を一つ。
雲ひとつない夜、月明かりが煌々と彼女のシミひとつない白い肌を更に飾り立てるように照らし、彼女の美貌を引き立てていた。
絶世の美少女は何をするにも絵になる。それが物憂げな表情をしていれば、殊更に。
ただ可愛さを引き立てる事に関して余念のないカリオストロは、意図的にそのような仕草を取ろうとする節もあったが。
(しっかし、本当に謎が尽きねえな……。はぁ……オレ様はいつから探偵になったんだ……こういうのはバロワが専門だってのに)
そこまで思い浮かべて、そもそもバロワでは駄目だと考え直す。あの迷探偵は全部暴力と偶然で解決する存在だった。
一を知って十を知る。
自らを天才と称するだけあって、忌憚なくその力を発揮してきたカリオストロだが、このような奇異な経験は初めてであり、顔には隠しきれぬ疲れが見えていた。
「異世界」
「死に戻りが出来る少年」
「王選」「盗品蔵騒動」「屋敷の異変」
少年の死が自分を過去へと引き戻す。
少年と自分の記憶だけを残し、周りの足跡を全て消していく。
笑いも。怒りも。悲しみも。出会いも。別れも。約束すらも。
全てを忘れ去られる悲哀、あの少年の感じた悲しみを自分も確かに感じ取った。
動揺せずに要られたのはあくまで長年の経験と知識の蓄積があったからに過ぎず、一歩間違えれば自分も同じくふさぎ込んでいただろう。
気付けばカリオストロは羽ペンを手に取っていた。
現状を再確認したかったのだろうか。
疲れていたのだろうか。
ただ、弱みを吐き出したかったのだろうか。
彼女は、初めてスバルの死に戻りの事について書き連ねようとしてしまった。
――しかしそれは余りにも短慮で。致命的な行為であった。
(―――ッ、まさ、か)
彼女が紙にその内容を書き連ねようとした瞬間。世界は活動を停止した。
甘く濃密な腐臭が辺りを覆い始める中、色のなく、動きのない世界の中でただ一つ動く存在があった。
床をすり抜け、ゆっくりとカリオストロに近づく存在。それはあの黒い手。
黒い手は緩慢な動きで彼女の周りを取り囲むようにし。
そのまま、確実に、カリオストロの、胸に――
「ッはぁッ!! ――はぁっ、はぁっ!」
開放された瞬間どっと冷や汗が全身を覆い、カリオストロは咄嗟に自らの薄い胸を手で守るように掴んだ。
(これもアウトだったか……ッ! 畜生、オレ様としたことが……なんて迂闊な真似を……!)
自らを叱り付け、そして反省を後回しにしてカリオストロは急ぎ部屋を出ていく。
制約を破ったペナルティを一身に受けるのはスバル。
前回は心臓を撫でただけで終わったが、今回はそうとは限らない。
ノックを惜しんで隣のスバルの部屋を勢い良く開け放つが――
「スバルッ!! ……くそ、どこ行きやがった!」
スバルの部屋は蛻の空。本人の姿はどこにもなく。
こんな夜更けに他の行く場所があるとすればお手洗いか、エミリアに会いに行ったかのほぼ二択。
心臓が早鐘を打つ中、カリオストロは焦燥を隠さずにスバルの部屋を飛び出し、通路を走り抜ける。
無事であって欲しいと言う切なる懇願を胸に抱きながら走る。奔る。疾走る。
きっと平気だ、大丈夫だ、などと言う根拠のない予想はひとつも出てこず、逆に嫌な予感だけが募っていって仕方がない。
――そしてあと少しでエミリアの部屋に辿り着くところで、それは聞こえてしまった。
「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁッ!!」
カリオストロの願いも虚しく、無情にも予想は斜め上の方向で的中する事になる。
それは絶望。重苦。倒懸。苦艱。ありとあらゆる負の感情を揺さぶる悲鳴。
屋敷の外から聞こえてきたそれは、不運にもこの世界で知り合った聞き慣れた男の声だった。
その人物は意地っ張りで、虚飾を着飾りながらも、信頼を全幅で傾けてくる、どこまでも人に甘く、優しい男。しかして強者である自分が守るべきである明らかな弱者。
今や恥も外面も何も気にせず、美しい髪を振り乱しながらカリオストロは外へと目指していた。
数多の扉を過ぎ去り、階段を飛ばし、余すこと無く自らの力を足に送り、目の前に迫る閉じられた木製の入り口を魔法で吹き飛ばして庭へと踊り出た。
そこでカリオストロが見た光景は――
芝生の上で右腕を肩ごと吹き飛ばされて、止め処ない血を流して仰向けで倒れ伏すスバルと。
頭部に光り輝く一本の角を出し、敵意を表してスバルを追い詰める、血に濡れた鉄球を持つレムの姿だった。
《バロワ》
グラブルのキャラクター。
ドラフという種族で探偵を生業にする男。元軍人。
知恵と恵まれた身体を使って謎を解決していくが、身体を使って解決する方がが遥かに多い。
アビリティとしてハッタリ(ランダムで1~10000倍のダメージ)を持つ。ちなみに奥義の名前は「推理放棄」。