終る世界の、廃墟に二人   作:K氏

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第四歌

 

 

―深夜の港区。到達者達の呻き声以外一切聞こえない筈の閑静な街並みは、今現在戦場と化していた。

 

 そしてたった今、ビル群の一つを破壊しながら、黒光りする影が飛んでいく。

 

 エクゾスカル零。正式名称は『強化外骨格・零』。人類の守護者たる、七人の優れたる正義執行者。その一人と、彼が纏う鎧。だが、今の彼を取り巻く状況は、控え目に言っても良くない。

 

(…まずいな、この状況は)

 

 鎧の中で、覚悟は冷や汗をかく。歴戦の勇士たる覚悟ではあるが、今対峙している相手は、これまで戦ってきたどの敵にもない特徴があった。

 放物線を描き飛んでいく覚悟を追う様に、何かが飛翔する。

 

 そこにいたのは、半透明の機械仕掛けの異形だった。頭部には髪の代わりに銃火器らしきものが多数生え、目の辺りにはバイザーが備え付けられている。

 半透明でありながら、その肉体は余すところなく金属的であり、下半身から下は、全て蛇のような尻尾となり、うねりながら宙を泳いでいる。

 どこか朧げなそれは、しかし、物質に対し干渉可能な、質量を持ったヴィジョンである。

 

 

(恐るべし、メデューサ!恐るべし、ペルソナ!)

 

 ペルソナ。心ある生命が生み出す、心の鎧。それは単なる超能力に非ず。また、神降ろしや降霊術の類にも非ず。

 現世に自らの心の鎧を現出させ、ある時はその超能力を振るい、ある時は自ら攻撃を仕掛けてくるという、他にはない特異性があるのだ。

 

 そして、現に今も、メデューサはその腕を毒々しく光らせ、こちらに迫る。しかし、覚悟は空中に放り出されたまま。地面の上ならともかく、これでは自由に動くことすらままならない。

 

「…!」

 

 そして、その腕が、覚悟の元に到達し―

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 

 

「それで、聞かせてもらおうか」

 

 屋上にて、動く鋼鉄の岩山を視認し、それから再びアイギスらの隠れ家に帰還して間もなく、覚悟は問う。元より覚悟には、彼女達の要請を聞き入れ、協力する用意はあるが、それ故に訊かねばならぬ。

 

「あれは、一体何だ」

 

 覚悟の疑問も無理はない。覚悟自身、巨大な敵性存在との戦闘経験は、これまでにも幾らかある。だが、あの岩山に匹敵する程巨大な存在は、流石に滅多に見るものではない。

 それを問われたアイギスは、しばし熟考すると、やがて決心がついたのか、その口を開いた。

 

「私達、対シャドウ特別制圧兵装には、与えられたナンバーというものが存在します」

 

 そこから彼女が語りだした内容は、彼女の生まれにまつわる話。そして、如何にしてラビリスが、そしてアイギスが生まれたかという話。覚悟は、黙してその話に耳を傾ける。

 

「私が七式。そして姉さんは五式。つまり、私達を除けばあと五人、姉妹機が存在していました。…もっとも、私は姉さんと…それから、私の一つ前、六式の姉さん以外がどうなったのか、そこまでは把握できていません」

「ふむ」

 

 覚悟は、把握した事を示すように頷く。

 

「問題は、把握できていない四式以前の姉さん達ですが…桐条に残されていた資料が確かならば、初期に生み出された彼女らは、今の私達とは異なり、どうも戦車の姿で生み出されたようなのです」

 

 当時、桐条は黄昏の羽根、及びパピヨンハートがもたらす恩恵を、正しく理解できなかったのであろう。それが、ただペルソナ能力を付加するだけでなく、人格、即ち与えられた無機物を人間へと変える、言わばピノキオに心を与える妖精のような、そんな夢のような物質であるなどと、そこまで理解が及ばなかったのやもしれない。

 ただし、必要な電子頭脳などが搭載されていなければ、ただ影時間の中でのみ動く事を許される、物言わぬ物体にしかならないのだが。

 

「本当の意味で黄昏の羽根に対しての知識が無かったが故…いえ、それだけではありません。ペルソナとシャドウ、それらについての研究もまだまだ発展途上だった当時、ペルソナが使えるのなら人以外でも構わないという、そんな考えがあったのかもしれません。しかし、戦車に人の心を与えたところで、その精神が安定する可能性は、かなり低いものだったでしょう。…元より、黄昏の羽根に刻みつけられた人格データは、実在の人間を基にしていましたから。その結果、三式までの姉妹機は、全て戦車型のボディにそのまま心を与えた、不安定極まりないものになりましたし、実際に運用され、成果を挙げたという記録も残っていません」

「…その黄昏の羽根とやらは、人間の霊魂を取り込む性質があるのか?」

「…おっしゃっている意味があまりよく分からないのですが、多分違うかと」

 

 一瞬、覚悟はそれが強化外骨格のように魂を取り込む事で完成する代物なのかと推察したが、どうやら別物のようだ。アイギスによれば、黄昏の羽根は月から落ちてきた物質、というより月に封じられたある存在の一部であり、更に言えばその本質は物質と情報、その中間にある物質だという。

 ある意味、零に宿る英霊に近しいものなのだろうと、覚悟はそう解釈した。

 

「大事なのはここからです。私達対シャドウ特殊兵装の歴史において、人の形をした兵器として生み出されたのは、他ならない五式、つまりラビリス姉さんからなのですが…」

 

 それを聞いたラビリスが、どこか後ろめたいものがあるかのような、暗い表情を見せたが、恐らくは部外者の自分が首を突っ込んでいいものではないのだろうと、覚悟は再び傾聴の姿勢をとる。

 

「厳密に言えば、『完全な』人型兵器としての開発はラビリス姉さんからなのですが、実のところ、四式も試験的に人の形を与えられていたようなのです」

「…つまり、これまでの情報を纏めると、君はこう言いたいのか。あの岩山の如き戦車。あれこそが四式であると」

 

 覚悟の確信を突く問いかけに対し、アイギスからの応えは、ただ首を縦に振るのみ。

 しかし、と、覚悟は疑問を抱く。

 

「対シャドウ、と謳ってはいるが、あれほどのサイズにする必要があるのか?」

「…資料にあった運用目的には、『対シャドウ広域殲滅用』と書かれていました。事実、シャドウの数は際限がありませんからね。それに、あの頃には大型シャドウがいましたから。それに対処する目的もあったのでしょうが…実のところ、他にも目的があったらしいのです」

「他の目的?」

「…人類の支配」

 

 その一言を聞いた瞬間、覚悟が纏わせる空気が、一瞬にして塗り替わる。本人は一切、その表情も何も変えないが、誰の目から見ても分かる。

 

 彼は、激怒していた。

 

「…当時の桐条家当主、桐条鴻悦が、一体如何なる将来を見据えていたのか、それは分かりません」

 

 ですが、とアイギスは続ける。

 

「ある男は、特定の条件を満たす事により、自らが望む新世界が来るだろうと。そして自分が、その世界の王子になるだろうと。そう『妄想』していました。恐らく、将来的には自らが世界そのものの実権を握るつもりだったのでしょう」

「そのような事、許されていい筈などない」

「ええ。しかし、結局その目論見も潰えました。その結果残されたのが…」

「あの、四式なる巨大兵器か」

 

 こくり、とアイギスは頷く。

 

「正式名称は、『対シャドウ特別制圧兵装・四式ゴルゴン』」

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 

 

 ゴルゴン。ギリシャ神話にて語られる、化外の三姉妹。愚かにも女神の怒りを買い、その姿を醜く変えられた者達。その内の一人、メデューサという名前には、覚悟にも馴染みがある。

 

(ペルソナ。事前に説明は聞いてはいたが―)

 

 そしてそのメデューサは、覚悟の眼前に迫るそれ―ペルソナに酷似した姿であったという。無論、機械の肉体ではなかっただろうが。

 

 メデューサが奇声を上げながら、その毒々しい光を纏う腕を振るう。

 

 『ベノンザッパー』。相手に大ダメージを与え、更に毒状態を付加する凶悪な物理攻撃スキル。当然ながらそのようなスキルを知らぬ覚悟ではあるが、見た目からにして毒を意識させる攻撃を、真っ向から受けようなどと考える程、彼は愚かではない。

 故に―

 

「爆芯!」

 

―背部の爆芯機構の片側から推進剤を噴射。それに身体の捻りを合わせ、この攻撃を回避する。先程まで覚悟が漂っていた宙空を、ペルソナの腕が切り裂く。結果的に直撃どころか掠りすらしなかったが、それでも覚悟の身体よりも一回り大きい巨体であり、実在性を伴ったヴィジョンであるが故か。ベノンザッパーの攻撃の余波たる衝撃波が、鋼鉄の鎧ごと覚悟を吹っ飛ばす。

 

「ぬぅッ」

 

 衝撃波により、覚悟は弓なりに堕ちていく。その間、覚悟の身体が、面白いように空中を踊る。上に。下に。右に。左に。見ているだけで平衡感覚がおかしくなりそうになる図だが、覚悟にとっては何という事も無い。覚悟は脳をヘルメット内部で揺さぶられながらも、冷静に各所の爆芯を点火させ、体勢を立て直していく。

 

 そうして間もなく港区のビルの一つに到達する頃になれば、覚悟は余裕をもって着地する姿勢を取り、幾らか瓦礫と粉塵をまき散らしながらもビル内部に突入し、難なく着地する。

 超鋼を纏っているが故に、その肉体へのダメージはほぼ零だ。

 

(して、奴は何処に…)

 

 自分が飛んできた方向を見てみると、既にあの機械仕掛けの女妖の姿は消え去っていた。そこで、彼は思い出す。

 

(ペルソナは、本体の精神力に依存する存在。故に永続的に召喚を持続させる事は不可能。ならば、奴が次に行う行動は―!)

 

 その時、覚悟は唐突に窓のあった筈の大穴に向かって駆け出した。覚悟にそうするよう訴えかけたのは、他でもない覚悟自身の第六感。数多もの戦場を渡り歩いた経験が鳴らす警鐘は、果たして、覚悟の生命を救った。

 

 ビルに空いた穴から飛び出したと同時に、入れ替わるように高速で飛翔する何かがビルに突入。瞬間、炸裂したそれ―ミサイルにより、ビルから覚悟が突入した時の比ではない大きな瓦礫や粉塵をまき散らし、遂には爆発した。

 

 突入した階層はそれなりの高さにあったが、覚悟には何ら問題はない。覚悟は五点着地の要領で転がるように着地し、衝撃を分散させる。

 だが、そのまま暫しの休息、というわけにはいかない。着地の勢いを保ったままその場から退避すれば、その着地地点は程なくして不細工な蜂の巣のように穴だらけになってしまう。

 

(…予想よりも素早い)

 

 弾丸の嵐を回避した覚悟は、再び構える。その眼前には、背部アームの一本から硝煙をくゆらせ、ゴルゴンの巨躯が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 

 

「…資料によれば、ゴルゴンは三つのユニットから構成されるようですが…私達が知る限り、今のところ二つまでしか確認できていません」

「一つは、あの巨体か」

「ええ。またの名を、『エウリュアレ』。最大時速は目測で30から40キロ程。それに、私達のようにオルギアモード…つまり、リミッター解除機能があるのなら、それ以上の機動性があるかと。加えて、機体後部にある八つのフォールディングアーム、それぞれに備えられた武装も相まって接近は困難です」

「ふむ。如何にして接近するか、それが問題か」

「それともう一つ…あのような姿ではありますが、ゴルゴンもまた、私達と同様に能力…ペルソナを保有しています」

「そも、ペルソナとは如何な能力か」

 

 そう覚悟が問いかけると、アイギスは再び、その瞳を閉じる。それを見たラビリスは、「あかんて!」と言い、彼女を止めようとするが、アイギスは首を横に振り、ラビリスを宥める。

 そして、小さく一言。

 

「…ペルソナ」

 

 瞬間、アイギスの胸元から、ガラスが割れるような音が聞こえ、その身体から青白い炎のようなオーラが立ち昇る。

 

 はたして、彼女の上方に具現したのは、鎧を纏った戦乙女…否、戦の女神。身体の周囲を輪が囲い、その輪には、人の顔らしきものが描かれた巨大な円形の盾が備えられている。

 だが、ほんの数秒具現した後、女神の幻影は、陽炎のように消えてしまう。

 

「アイギス!無茶したら…」

「いえ…これで、いいんです」

 

 どうやら、さっきの幻影がペルソナらしい。

 

「今のは私の…私自身の、ペルソナ。名前はアテナ」

「アテナ…」

 

 確かその名前は、ゴルゴンやメデューサと同じくギリシャ神話にて語られる女神だったか。なるほど、戦の女神、と表現したのは、あながち間違いでもなかったか。覚悟は一人納得する。

 何せ、アテナは戦いを司る女神だ。ゼウスの頭頂より生まれたとされるアテナは、生まれながらにして武装していたという。だが、同じく戦いを司る軍神、アレスとはその性質を異にする。アレスが示すは、暴力、狂乱、そして破壊。それ即ち、悲惨な戦争そのもの。しかしアテナは戦争―というよりは戦略だが―のみならず、芸術や工芸等も司り、知性に溢れた存在だ。

 

(…そういえば、彼女の名前も…)

 

 ここで、覚悟はアイギスという少女の名前に合点がいった。

 

 アイギス、またはイージスと呼ばれるそれは、アテナが所有する特殊兵装の名前だ。盾にメデューサの頭部をはめ込む、というシンプルなものだが、強力な武装には違いない。メデューサの頭部は、その首が英雄に刎ねられてもなお、その邪眼の威力を発揮したという。そんなメデューサの頭部を備えた盾であれば、対生物戦闘においては無類の強さを誇るだろう。それだけでなく、元より備わっていた魔除けの力も相まって、攻防一体の様相を呈している。

 

 しかし、それならば、今の彼女達の状況は、酷く皮肉めいたもののように思えた。まるで…今まさに神話の真っ最中であるかのような。

 

 覚悟は、脳裏にアテナとゴルゴン、そしてメデューサに纏わる伝承を思い出す。諸説存在するが、よく知られているであろう話といえば、やはりペルセウスがメデューサと戦う切っ掛けになった出来事。アテナとメデューサの確執。

 

 と、そんな時。

 

「くぅッ…」

「あー!もう、ほらこうなった」

 

 アイギスが苦悶の声を上げたかと思えば、彼女の上空に浮かんでいたアテナが、纏わせていた青い炎と共に掻き消えた。

 宿主たるアイギスを見てみれば、苦し気な顔を浮かべたまま、失神してしまったようだ。

 

「これは一体…」

「あー…こっからは私が説明するで。あんな、ペルソナっちゅーんは、要は精神力で生み出す、実体を持ったヴィジョンなんよ。せやから、精神力が続く限りは召喚できる。けど…」

「逆に、精神力が持たなくなれば、ペルソナを維持できなくなる、と」

 

 せや、と、ラビリスは頷く。

 

「私らロボットやけど、でも精神は…心は人間と変わらへん。人間と同じように、心が疲れる事もある。そうやろ?」

 

 何やら同意を求めるようなラビリスの視線だが、当の覚悟も身に覚えがあった。

 

―細胞賦活剤『桜』。10ccの注入で5日間の生命活動を保証するが、代償として魂を摩耗させる薬品。これを使用していた頃は、正しく孤独の旅路を歩んでいた。

 『孤独』。孤高の戦士であるが故に訪れる、悪鬼よりも恐ろしき敵。例え鋼鉄の鎧を纏っていようとも、強力無比な武装を揃えていようとも、葉隠覚悟の心を容赦なく摩耗させる見えない脅威。

 

「同じ、か」

 

 彼女達もまた、自分と同じだったのだろうか。

 聞けば、彼女達は今の今まで、長期間にわたる休眠状態には入っていないらしい。それはつまり、それぞれの時代での役目を終え、長い眠りについていた覚悟達エクゾスカル戦士とは違い、人が、そして文明が滅んでいく様を、その目で見ていたという事だ。

…そう、衛府所属の動地澪を含む、震電挺身隊のように。

 そういう意味では覚悟とは異なるだろうが、覚悟は彼女達の瞳に、震電挺身隊の戦士達とは違う何かを感じていた。

 恐らくその何かが、彼女達の心を摩耗させているだろうと、そんな確信があった。

 

「…でや。私らペルソナ使いは―召喚方法は違うけど―召喚したペルソナを、自分の意志で動かす事ができんねん。でもな…」

「…例外も存在する、か」

 

 確信と共に発した言葉に、ラビリスは同意する。

 

「そ。精神的に不安定やったりとか、まぁ色々理由あるんやけど、とにかくペルソナが勝手に暴れる事があんねん」

「シャドウではなくて、か?」

「うん。…あ、どーゆー原理とか、そういう事は訊かんといてな」

 

 そういうの苦手やねん、と、ラビリスは下をチロリと出す。

 

「ゴルゴンのペルソナが何かは分からぬのか」

「スルーッ!?…あ、いや。一応分かってはおるんやけどな…」

 

 そして彼女の口から出された名前は、メデューサ。覚悟の予想は、的中していた。

 

「外部ユニット『エウリュアレ』。ペルソナ『メデューサ』。ならば、あと一つは…」

「…それは恐らく、エウリュアレの中に内包されている『何か』」

 

 覚悟の疑問に答えたのは、失神から目覚めたらしいアイギス。

 

「資料には、『ゴルゴンには人型ユニットを搭載している』という旨の記述しか見受けられず、しかも資料が幾らか紛失・消失しているようだったので、確証はまだ得られてません。ですが…一度交戦した限りでは、外部にはそれらしい姿はありませんでした」

「遠隔操作の可能性は?」

「…その可能性が無いとは言いきれません。ですが、以前の接触の際、メデューサは間違いなく、ゴルゴンのボディから現出していました」

 

 ペルソナは、人の心から現れるものですからと、アイギスは付け加える。確かに、先のアイギスの召喚の際も、アテナは彼女の身体から現れていた。

 

「…君の言う事が正しいとして、問題はあの巨体のどこに、その人型ユニットを搭載しているか、だ」

「…そこまでは判明していません。…その、情けない話ですが、以前接触した時点で、私のボディはゴルゴンとの戦闘には耐えられそうにありませんでしたので…」

「逃げるので手一杯やったんや…」

 

 すまんなぁ、と頭を下げるラビリスに、覚悟は首を横に振る。

 

「君達の状態を見れば分かる。…そして、君達が私に頼みたいであろう事も」

 

 メンテナンスを長期間行っていないであろう状態のアイギスとラビリスは、お世辞にもあのゴルゴンと戦闘するのには不向きだろうと、覚悟は推測していた。そして、アイギスらの語るゴルゴンのスペックを聞いて、それは確信に変わった。

 現状におけるこの二人の鋼鉄の乙女の武装は、あのような超大型重武装・重装甲の―それこそ、以前に見た自動歩哨や、エクゾスカル震電の補助を担う攻城重鉄騎・八咫烏の比ではない―敵を相手取るには、難しいところだろう。彼女らのペルソナが如何なる性能を誇るのかは分からない。だが、精神的にも摩耗した彼女らが、十全に能力を発揮できるとは到底思えない。今でこそそれなりに明るく振舞っているラビリスですら万全ではあるまいと、覚悟の戦士の目は見抜く。

 実際、ラビリスの顔には精神的疲労が見て取れ、その目はどこか虚ろだ。

 

「故に足止めか」

「…せや。私らは今の状態じゃ長くはもたへんし、足手まといにしかならん。せやから、メンテナンスを行わなあかんのや。見ての通り、この体たらくじゃ自然治癒には期待できへんしな。けど、肝心の機能が生きてるメンテナンス装置は、もうこの辺りにはないんや。…あそこを除いたらな」

「あそこ、とは?」

「…エルゴノミクス研究所。通称エルゴ研。桐条グループが有する研究施設で、私達が生まれた場所でもあります」

 

 エルゴノミクス研究所。名前で察するなら人間工学にまつわる研究所だが、アイギスの言によれば、それとは全く異なる目的を有する研究施設なのであろう。

 

「あそこなら、施設の設備がまだ生きているので、メンテナンス装置も期待できます。…ですが、そこで障害になるのが…」

「ゴルゴンか」

 

 アイギスとラビリスが頷く。

 

「あいつは、ゆーてまえばエルゴ研の番人みたいなもんや。エルゴ研の地下にある倉庫。そこがゴルゴンの寝ぐらや」

「そして、まだ動かせるメンテナンス装置があるのも、その倉庫。…だから、あのゴルゴンが施設の外に出ている瞬間がチャンスなのです」

「ゴルゴンは、休眠しないのか」

「…私達がゴルゴンと初めて遭遇したのは、エクゾスカル霧―ツムグさんと出会う以前です。当時、私達用のメンテナンス装置を探していました」

 

 そこから語られたのは、アイギスとラビリスが、メンテナンス装置を求めて、最後のアテであるエルゴ研を訪れた時の事。曰く、彼女らのような特殊な人型兵器は、通常のメンテナンス装置では規格が合わないらしく、その絶対数は限られているらしい。

 そこで、すでに人が絶えた無人のエルゴ研を探索していた時、その存在は動き出した。

 

「どうやら、ゴルゴンに搭載されているセンサーは非常に敏感らしく、休眠状態でも反応を感知したが最後、敵意の有無に関わらず襲ってくるようなのです」

「見境なく襲うのか」

「そのようです。少なくとも、同じ対シャドウ兵装たる姉妹の私達に警告も無く襲い掛かってきました」

 

 そこまで聞き、覚悟は考える。警告も無く攻撃してきたという事は、考えられる可能性は二つ。一つは、アイギス達を認識した上で、彼女らを敵と断定し、確固たる意志を以て襲い掛かったという事。心ある存在であるならば、何らかの理由があって彼女らを、あるいは彼女らのような特定の存在を敵視し、その存在にのみ攻撃するやもしれぬ、という可能性だ。要は、以前遭遇した国境警備用の自動歩哨のようなものだ。

 

…そしてもう一つ。それは―

 

「…心の暴走」

「その可能性が高いかと。現に、以前ゴルゴンの動きを観察した際、到達者や甲殻霊長類を見境なく排除していましたから」

 

 一瞬、到達者になっている可能性の事も考えたが、それならわざわざ、武装面の解説などしないだろう。

 

(…彼女らも、到達者になるのか?)

 

 ふと、そんな疑問が湧き上がってきたが、覚悟はそれを口には出さなかった。というより、できなかった。己の意志がそうさせたのか、あるいは―

 

 そんな覚悟に気付いているのかいないのか、アイギスは続いて、彼女の考えた『作戦』について語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 

 

―作戦開始、二時間前。

 

 

 覚悟は、白い制服の上半身を脱ぎ、シャツとズボン、そして鋼鉄の軍靴姿で、己の装備の点検を行っていた。そんな折。

 

「君は」

 

 覚悟が唐突に、口を開く。

 

「何故、霧に救援を頼まなかった」

 

 無機質さを感じさせるその声に、傍で横たわっているアイギスは一瞬、ピクリと反応し、そして目を伏せた。

 

「…本来なら、私達が解決しなくてはいけない問題ですから」

「明らかに常軌を逸した存在が相手でも、か?」

「ええ。それが私の…いえ、私達にとっての、日常でしたから」

 

 思えば、と、アイギスは埃を被った、古き記憶を掘り起こす。

 

―アイギスが覚えている範囲で最初の任務。その時から、彼女は理不尽そのものと戦わされていた。

 

 ある時は人に。またある時は運命に。

 

 己の意志とは無関係に、常に彼女は戦いを強いられた。当たり前だ。彼女は兵器なのだから。

 

 

『アイギスは機械じゃない』

 

 

 ふと、記憶の中から聞こえてきたのは、彼女の一番大切な人の声。どれだけ時を経ても、決して摩耗する事無く、彼女の中に生き続ける声。

 

 初めて会ったのは、月が見下ろす、あの橋の上。そこから十年ものの時を経て、彼女達は再び巡り合った。

 

 再び巡り合った時、互いに記憶は無く、故に面識も無く。だが、代わりに彼女には、一つの使命があった。

 

 『彼』の傍にいる事。それが、彼女の使命。誰が定めたやも分からぬ、絶対の命。当時の彼女には、それしかなかった。

 

…今にして思えば。当時のアイギスも、そして彼も、人間らしくなかったように思える。

 おかしいものだ。自分はともかく、『彼』は紛れもない人間だというのに。当時の彼女自身は何も思わなかったが、時を経るにつれて、感情を得ていって…そして、記憶を取り戻して、ようやく彼女は分かったのだ。

 

―嗚呼。自分はなんと罪深いのだろう、と。

 

 そう、『彼』から人らしさを奪ったのは、紛れもない彼女自身。

 

 『たまたまそこにいたから』。『そうせざるを得なかったから』。そんな理由で、彼女はある存在を、『彼』の中に封印した。それが『彼』に、どんな影響を与えるのか、考えもせず。

 

「理不尽な存在と対峙する事。それ自体、何も今に始まった事ではありません」

 

 デス。ニュクス。エレボス。

 

 成長する事のない一介の兵器にとって、どうしようもない存在。

 

 デスは、圧倒的な力の差から。ニュクスは、存在としての格の違いから。そしてエレボスは、果ての有無から。

 

「…初めてデスと対峙した時、思ったんです。『これは、私には止める事は出来ない』と」

 

 人類の英知の結晶であり、人類の敵を倒す事を主眼に置いて生み出された存在でありながら、その存在を討ち果たせない無力さ。

 

「ニュクスを見た時、思ったんです。『もう、おしまいだ』と」

 

 幾らかの成長を遂げれども、存在のスケールがそもそも違い過ぎる相手に対する無力さ。

 

「エレボスの存在を知った時、思ったんです。『どうしようもできない』と」

 

 人に死を望む心ある限り、永久に『彼』を苦しめ、それでいて幾ら倒せども所詮気休めにしかならず、根本的な解決は実際には無理に等しいという事実から来る無力さ。

 

「それでも、どうかしたいと願ったのだろう」

「…はい」

 

 けれど、と彼女は続ける。

 

「私達が向き合ってきたのは、常に限られた人間だけしか対処する事が出来ない事案ばかりでした。だからこそなのか…私は、知らず知らずの内に、責任感のようなものを抱えてしまった」

 

 今とて、そうだ。

 

「これは私達の問題であって…貴方達は部外者。例え貴方がたが、人を守るという意味では同輩、いえ、先輩であっても。そう考えてました」

「だから霧に要請をしなかったと」

「…ホント、馬鹿みたいですよね。変なところで、意地を張って」

 

 彼女は、自嘲するように、乾いた笑みを浮かべる。その目に、機械らしからぬ悲哀を浮かべながら。

 

「ホントに、馬鹿みたい」

 

 覚悟は、そんな彼女をただ、静かに見守っていた。

 

「あの戦いから、あの人がいなくなってから、もう何十、何百と時は経ったというのに…結局この星は、人類の文明は自壊してしまった。…私には、どうする事もできなかった」

 

 それは、この世界の真実、そのの一端を知るが故に、いつしか心が荒んでしまった乙女の吐露。

 

「人から、死を望む心を消し去る?…そんな事、できっこないって、本当はわかってた」

 

 それは、実際に果たされたかどうかという意味ではなく、それによって起こり得る弊害の事を言っているのだろう。

 

 死とは即ち、親愛なる隣人のようなもの。不意に来る狩人に非ず。

 

 太古の時代より、人は死を恐れてきた。死の概念を植え付けられた生命は、如何にして種を存続すべきかを模索した。子を為す事もその一つだ。

…だが、それですら己の死を乗り越えた事にはならない。種の繁栄とは言うが、結局のところ、自分が生き残りたいのだ。死んでしまえば、何もかも終わるのだから。

 

 そうして、人類はこの世から、種に死をもたらす存在を徹底的に排除していった。

 それは、悪の結社然り、シャドウ然り。

 それだけに飽き足らず、人類は自らの有り様すらも変えた。

 肉体の機械化。コールドスリープ。あらゆる手段を用いて、彼らは生き永らえた。

 

 その結果どうなったかは、今の世界が物語っている。大地は荒れ果て、文明は一部を残して崩壊し、人は到達者へと変貌を遂げる。死より遠ざかったつもりが、彼らは知らず知らずのうちに、死に近づいていったのだ。

 かつて不老不死の術を持つ仙人の力を学び、己を斉天大聖と称した石猿が、釈迦如来の手より逃れられなかったように。

 

「人が死への願望から離れる事は、決してない。何故なら、死があるからこそ、人は生命たり得るのだから」

 

 その言葉に、覚悟はただ黙したまま、何も語らない。

 

「…それで思うんです。それが分かっているのに、なんで私は、未だこうして生きているんだろうって。…それだけじゃない。そもそも私は、生きているんだろうかって」

 

 心を与えられた兵器。覚悟はそのような存在を多く知っている。

 

 数千ものの英霊の宿る強化外骨格『零』。意志を持つ装甲軍用犬、モーントヴォルフ。脳を除けば、肉体の全てが機械である神造磁力線機『澪』。

 しかし、彼らはアイギス―と、恐らくはラビリスも―のように悩む事はない。何故なら、彼らは戦士であるから。元は動地憐という男の妹である澪も例外に非ず。彼女もアイギスとラビリス同様、人間の文明が滅ぶ様を見守ってきた。

 

 で、あるならば。

 

(…そうか)

 

 そこで、覚悟は悟った。彼女もラビリスも、エクゾスカル震電・動地憐と同じく、その属性は『牙なき人』であると。

 

「私の仲間達は、皆とっくの昔に逝ってしまわれました。ゆかりに、風花さんに、順平さん。美鶴さんに、明彦さん。天田さんに、コロマルさん。天寿を全う出来た方もいれば…荒垣さんのように、悪意に殺されてしまった人も、いました」

 

 そうして考えてみると、なるほど、鋼鉄の『乙女』と評したのも、あながち間違いでもない。

 

「私は、『戦う者』として生み出された。そして、自らに『守りし者』としての使命を課した。…だと、いうのに」

 

―かつて、覚悟は言った。人間の『火』が不滅であるのならば、その『火』は本物ではない、と。

 

「私は、何も、守れなかった。あの人との、約束も。あの人への、誓い、も…」

 

 人によっては、アイギスも、ラビリスも、永久不滅の『火』の持ち主のように思えるだろう。だが、それは違うと、覚悟は自信を持って言える。『火』とは、命ではないのだ。

 

「こんな私に、生きている価値なんて…あるわけ、ない…」

 

 『火』とは、人の中に眠る魂であり、心なのだと、覚悟は思う。

 

 時として脆弱であり、時として強靭であるそれは、独りぼっちでは儚い灯火でしかない。限られた時間しか燃えていられない、小さな灯火。

 それ故に、誰かと繋がろうとする。誰かの為に、祈ろうとする。

 

 だから、思うのだ。

 

「生きる価値など、問う必要はない」

 

 儚げな表情を浮かべるアイギスが、ピクリと反応する。

 

「重要なのは、生きる意志だ」

「…生きる、意志」

 

 だから、覚悟は言葉を紡ぐ。牙無き者を守る者の先人として。

 

「アイギス。君は、何故この街にいる」

「そ、れは…」

「何を待っていた」

「…『彼』を、待っていた」

 

 アイギスの瞳に、意志が宿る。ほんの小さな煌きが、彼女の瞳にちらつく。

 

「『彼』がいつ帰ってきてもいいように、待っていた。あの人の、帰ってこれる場所を作りたかったから…」

 

 その瞳は、既に『こたえ』を導いていた。それを曇らせていたのは、明日の我が身の安寧すらも確約できぬこの世界への絶望。

 いくら永劫の身体を持ちえども、完膚なきまでに破壊され、身動きもできなくなってしまえば、途方もない絶望となるだろう。

 

「ならば、その思いを両足に込め、己を支える永久の礎とせよ」

 

 この少女は、とても優しい少女だ。それこそ、兵器と定義するには、あまりにも青すぎると思える程に。

 

「明日への不安があるならば、こう言おう。『人類に明日などない。今日この日があるだけだ』と」

 

 絶望を伴う、不明確な希望を抱くのではない。ただ、内なる己の『生きたい』という、そんな誰でも抱く願いを叶え続けるだけでいい。

 

「涙が枯れ、声さえ尽きたのなら、共に泣く頬と、喉をやろう」

 

 涙を流す事さえ忘れたならば、代わりに自分のそれをやろう。どの道、生粋の戦士たる自分にはもう必要のないものだ。これこそは、優しき者、牙無き者にこそ相応しい。皮肉の意など一切無く。

 

 そうして葉隠覚悟は、選ばれし戦士の一人、エクゾスカル零は宣誓する。

 

 

「君が再び、誰かの戦士となれるその時まで、俺が君を守ろう」

 

 

 それこそが、正義執行者たる葉隠覚悟の使命。

 

 この瞬間、覚悟の胸に、一つの言葉が浮かび上がってきた。

 

 

『 覚 悟 完 了 』

 

 

 それこそは、この明日無き世界に舞い戻った時から、覚悟の口からただの一度も放たれなかった[[rb:言霊 > ことば]]。本来ならば、覚悟を覚悟足らしめる象徴的な言霊。

 しかし、覚悟はそれを口に出さぬ。その言霊は、今の覚悟には心から放つ事はできないだろうから。

 今はただ、その言葉を噛み締めるのみ。今でこそ正義失格者ではあるが、心は今だ、正義執行者のままであった。

 

 そしてアイギスは、その顔を覚悟に見せる事無く、「…ありがとう、ございます」と、肩を震わせながらそう告げる。

 

 それを影から聞いていたラビリスは、不甲斐無き己を嘆くように、目を伏せ、己の身体を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 




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