―人ならば誰しも持つという『火』。
それは、人ならざる者であっても宿しうるモノなのか。
―例えばそう。
生命と呼べぬ、それでいて人と同様の心を持ちうる存在だったのなら。
辺り一面が廃墟だらけの街並み。所謂ゴーストタウン―もっとも、この世界には幽霊すらもう存在しないようなものだが―と化した街を、この世界に目覚めてからはたして何度目にしただろうか。
半ば崩れ落ちた建造物群の間、乗り捨てられ錆びついた乗用車がいくつも存在する荒れた道路を走る一台のアーマーサイクル。それに騎乗するのは、白い軍服に身を包み、左右のこめかみ辺りに大きく「七生」と書かれたヘルメットにゴーグル、汚染地域にて活動する為の防毒マスクを被った一人の少年。
葉隠覚悟。またの名を、エクゾスカル零。
彼は同じエクゾスカル戦士の一人たる『鎧』の着装者、動地憐、またの名をエクゾスカル震電との戦いの後、その時の戦闘の際に激しく損壊した機械化軍用犬『月狼(モーントヴォルフ)』をなんとか修理し、再び空虚な荒野を渡る旅に出た。目的は、まだ見ぬエクゾスカル戦士、霧に会う事。理由は単純明快。呼ばれた。声が聞こえたわけではなく、連絡をもらったわけでもない。だが、そんな気がしたのだ。
あれからどれだけの時が経ったのだろうか。否、それを考えるだけ無駄と言うものだ。今の世界には、既に人にとっての時と言うものが正常に機能していないのだから。
空には暗雲が立ち込め、地上では電磁嵐の影響で無線機の類が一切使えず、あちこちに異形の者共が蠢いている。とても人が生きる為には不自由極まりない、まさに地獄と形容するに相応しい環境を造り上げたのは、他ならぬ人間達自身であった。己を含む『正義を行う者』が守り続けてきた人々の安寧は、人々が生み出した新しいエネルギー、そしてなにより自分達自身の手により滅んだのであった。
今や、人として生きようとしている者がどれほどこの地上にいるのか。否、人としてまともに生きられたとしても、いずれ等しく終焉が訪れる。なぜなら―
「…!」
覚悟の耳に微かながら銃声が聞こえたのと同時に、モーントヴォルフに搭載されたレーダーがいくつかの動体反応を示す。よく耳を澄ますと、それが機関銃の類によるバースト射撃のものだという事が分かる。間違いなく、誰かが戦闘を行っている。
ここで覚悟は、いくつかの可能性を頭に巡らせる。
一つは、『生き残っている軍人、或いはそれに属する人間である可能性』。
二つ目は、『戦闘能力を持った、以前にも遭遇した自動歩哨のようなアンドロイドである可能性』
三つ目は―
(…エクゾスカル霧、か)
『まだ見ぬ七人目、エクゾスカル霧である可能性』。
未だ遭遇した事のない者がいかような武装を持っているのか分からないのは当然の事。もしかすれば己と同様に、その手の銃火器を所持しているのかもしれない。
いずれの可能性にしろ、行ってみない事には始まらない。覚悟は、それまで無音で走っていたモーントヴォルフを急加速させ、反応のあった地域へと走らせる。
反応のあった場所に近づくにつれ、次第に大きく聞こえてくる銃声。時々、肉の爆ぜる音が強く響いてくるのも分かる。
モーントヴォルフを走らせて僅か三分にも満たないが、銃声が聞こえるという事はまだ戦闘は続いている、即ち『敵』の数が多いという事だろう。
そこまで思考して、『敵』という表現を使った自分の頭に疑問を呈する。
―果たして、あれらの存在は『敵』と、そう表現すべきなのか?
あれらが一体どのような存在なのかについては、ヴァールハイト精神城、その地下に存在した震動潜地脈艦の中で動地憐に聞かされている。にも関わらず、覚悟は己に襲い掛かってきたソレを、何の躊躇いもなく斬って捨てた。哀れだと思う事もなし、降りかかる火の粉を払うが如く。だが、その本来の姿は、己の守るべき『牙なき人』であったはずだ。
(…何を今更、悩む必要がある)
それについての答えは、もう既に出ているではないか。目覚めて間もない頃、最初に出会ったエクゾスカル戦士―エクゾスカル霹こと九十九猛との戦い。甲殻霊長類を新たな人類として守護しようとする彼と相対した際、その甲殻霊長類が人を喰らうと聞いた時から。
『零式防衛術は牙なき人の剣』。その理念が揺らぐ事は、決してあってはならない。例え人の姿をしていたとしても、人を喰う鬼だと言うのなら、粛清する他はない。
そうして思考しながらもモーントヴォルフを駆り続け、比較的背の低い建造物群の密集する市街地のとある角を曲がった時だった。
壁に、人の形をした何かが激しく打ち付けられ、爆ぜた。
「!!」
覚悟はモーントヴォルフを停止させ、レーダーを見やる。既に反応は、僅か10m付近にまで接近していた。
「モーントヴォルフ、ここで私の命があるまで待機、周囲を警戒せよ」
その声を聞いたモーントヴォルフは、返事をするように唸り声の如くエンジン音を鳴らす。モーントヴォルフの返事を聞くと、覚悟は懐からレトロな外観の拳銃『曳月』を抜く。見た目こそ第二次大戦前に製造された十四年式拳銃に酷似してはいるが、その内部において多様な薬剤を選択し弾頭に装着するという精密兵器なのだ。とはいえ、覚悟にとってこの兵装は、あくまでも保険としての要素の方が強い。今戦っている何者かの相手―先程吹っ飛ばされてきた者も含めて―が覚悟の想像していた相手なのであれば、素手でも対処は可能である。故に、保険なのだ。
覚悟は曳月に装填する弾丸として鉛弾ではなく
十二分に大きかった銃声が、更に大きく、けたたましく鳴り響く。間違いない。丁度、すぐ目の前の角を曲がったところで戦闘が起きている。
覚悟はまずその角を背にするように立ち、こっそりと陰から覗く。
「あれは…」
彼が目にしたのは、いくつかの人型。
到達者。そう称される、事実上肉体は死しているのにも関わらず、人工臓器のみで生き永らえる存在。『飢え』に支配され、人の持つ心と『火』を失った者達。
そして、それらと対峙するは、8m程上空で宙を舞う人影。
「…ロボット、か?」
彼がそう判断したのも無理はない。彼同様正義に従事する者なら、数mのジャンプは可能であろう。だが、それは問題ではない。問題は、その人影の姿にあった。
全体的なフォルム自体もそうだが、四肢の関節、両腕、脚部、各所に機械と思わしき物が見えているのだ。
(あの手…いや、腕そのものが銃器になっているのか)
灰色の腕部に付いた筒状の物体は、恐らくはマガジン。そのマガジンから腕部を中継して指から弾丸が射出される仕組みなのだろう。葉隠覚悟の一族に伝わる三つの『鎧』のうちの一つ、塹壕鉄人『雹』の尖頭指弾と似た機構だ。
やがて、宙に舞っていたロボットの、その顔面がこちらから見える向きになる。
「あの顔立ち、女性型か」
ややくすみがかった金色の人工毛髪に碧眼。そして所々汚れヒビの入っている人工皮膚は、かなり長い間戦い続けている事を暗に示している。両耳のファンを繋ぐヘッドセットのようなものには、二門の銃口らしきものが付いている。
ひたすらに無表情なその少女型のロボットは、空中で体勢を立て直すと、腰部側面についたブースターから推進剤を噴射させ、更に腕を交差させ到達者の群れに突っ込む。そして体当たりで到達者達を蹴散らしながら着地する。
その少女が着地した瞬間、彼女の元にまだ健在の到達者が殺到するが、少女はすぐさま一人の到達者に接近し衣服を掴むと、別の到達者に向け片手で軽々とほうり投げる。投げられた到達者に直撃し、何人かの到達者が巻き添えになる。
「ずいぶん危ない闘い方をするんだな」
覚悟は鋼鉄の少女の戦いを見て、思わずそう呟いてしまう。何故だろうか。ロボットだというのに、その闘い方はまるで―
瞬間、少女の挙動がおかしな動きを見せる。
「!?」
少女が驚く顔を見せると、唐突にがくりと膝をついてしまう。
「くっ…」
先程までの闘い振りからは想像もできないような弱弱しい呻き声を上げながら、少女の肩や腕がビクビクと震えだす。
「一体何が…ム!」
一方の覚悟も、少女が唐突に動かなくなったのに無表情ながら困惑していたが、少女の周囲に到達者が集まってきたのを見、その表情を変える。それだけではない。その更に向こうから、赤く硬質の皮膚を持った大柄な怪物が数体接近してきている。
甲殻霊長類。飢えを満たす為に石や鉄を喰らった事で独自の進化を遂げた、異形の人類。彼らにかかれば、大抵の金属など容易に噛み砕けるだろう。彼女の皮膚を構成する装甲の材質が何かは分からないが、危険な事は確かだ。
「まずい!」
その瞬間、覚悟はその機械の少女を助けねば、と思った。何故なのかは分からない。機械は機械だ。それが戦闘用だというのなら尚更のこと。だというのに、自分の中の何かが、彼に「助けろ」と命ずる。
もしかすると彼女は何かしらの情報を持っているかもしれない。彼はそう自分で理由付けをすると、すぐさま行動に移る。
「モーントヴォルフ!」
覚悟は一声そう叫ぶと、曳月を構え物陰から飛び出す。到達者も覚悟が叫んだ事で彼に気付いたらしく、一斉に覚悟のいる方へと顔を向ける。その一瞬の不意を突き、覚悟は少女に近い三人の到達者に向け発砲。炸裂弾が的確に到達者達の頭を射抜き、到達者の頭が爆ぜる。その直後、覚悟は少女の近くに素早く駆けつけ、更に接近してきた到達者の腹に掌底を叩き込む。
零式防衛術とは、『鎧』あってのものに非ず。着装者の練度があってこその零式である。あくまでも『鎧』の力に依存するのではなく、生身すらも武器にする。特に覚悟の場合、『鎧』のない状況下においての戦闘では他のエクゾスカル戦士よりも群を抜いていると言っても過言ではない。その理由は彼の戦闘におけるセンスのみならず別の要因も存在するのだが、ここでは割愛する。
防爆服を着た人間のみならず、超鋼を纏っている相手ですら仕留めうる彼の実力をもってすれば、生身、それもほぼ肉体が肉体として機能していない者を相手にした場合はどうなるか。答えは明白だ。
(…そういえば、目覚めて間もない時にも、こうして到達者を仕留めたのだったか)
人工臓器をまき散らしながら吹っ飛ぶ到達者を見ながら、ふと、目覚めた直後に襲い掛かってきた少女の姿の到達者をノーモーションの突きで吹っ飛ばした事を思い出すが、すぐにそれを頭から掻き消すと、既に傍らに来ていたモーントヴォルフを確認する。
そして、車体の後部に搭載されている鞄に手をかざし、たった一言。
「瞬着」
その瞬間、辺り一面に閃光が迸り―
******
その日、彼女はいつも通り、荒れ果てた街を探索していた。彼女にとって大切な場所であるこの街は、遥かな昔、彼女の記憶媒体に記憶されている街並みから酷く様変わりしてしまってはいるが、それでも彼女はまだ、ここを離れるわけにはいかなかった。
無論、彼女はこの世界の行く末を知っている。この世界の人間が自死を始め、そして到達者化が進みだして、かれこれ何年がたっただろうか。しかし、なんとなくではあるものの、この世界の終わりがそう遠い未来ではないとは薄々感じていた。
それでもなお彼女が街から離れることなく徘徊するのは、明確な理由はあるものの、やはり未練の方が強いのかもしれない。
大切な仲間達の最後の一人が死に、かれこれどれ程の時がたったのだろうか。その瞬間ですら、彼女は孤独を感じなかった。彼女の心の中には、いつだって『彼』がいた。『彼』は、確かに肉体的には死んでいる。しかし、あの頃は根拠のない確信だけがあった。
『信じ続ければ、きっといつかまた会える』。あの日、『彼』の死の真相に辿り着いた後知った、彼が帰ってくる可能性。そして、その二年後に再会した『あの部屋の元住人』の目的。非常に、非常に不本意ではあるが、それでも彼女に頼るしかないのは明白だった。自分にはそれができるほどの力はない。だからこそ、自分にできる事をやって『彼』を待とうと、そう決めたのだ。
『人が死を望まなくなれば、あの人は帰ってくる』。その願いが通じたのか、世界はどんどん平和になってゆき、遂には恒久的な平和を手に入れる事すらできた。エクゾスカル戦士と呼ばれる者達の活躍で平和を脅かす者達―即ち、誰かの死を望む者は排除され、争いの種である資源やエネルギーの問題も解決され、「このままの調子でいけば、『彼』が帰ってくる日もそう遠い未来ではない」と、そんな希望に満ち溢れていた。その時の彼女は、見た目はともかく精神的に年相応とは思えない乙女っぷりで、『彼』とのあれやこれやを色々と妄想し、その度に赤面していた。
それが、今ではこのザマだ。
平和となった事で始まった、自死の
恒温動物たる人類が都市の恒温化の為に利用したエネルギーシステムは、核以上の怪物となって人類に牙を剥いた。
これでは、人が死を望もうが望むまいが、どちらにせよ人類は滅亡の一途ではないか。到達者に唯一あるのは、激しい『飢え』のみ。それが生命活動を存続させるためのものであるかどうかまではさておき、到達者が置かれているその状態に似たものを、彼女は知っている。
影人間。世間一般では無気力症患者と呼ばれていたが、そうなる原因を生んだ存在にちなんで、彼女や彼女の仲間達等の間ではそう称されていた。文字通り無気力になるというそれは、かつて彼女の存在理由であった打倒すべき人類の敵『シャドウ』に人間が襲われることでなるものだ。この状態になった人間は、体内の器官による生命活動は継続して行われるが、まるで生きた屍のようになるのは到達者と同じだ。
だが、影人間は到達者とは異なる点がある。極限の『飢え』を感じるようになる到達者と違い、シャドウに襲われた人間はそもそも生きる気力すら奪われてしまう。到達者は生者を襲う―昔、まだ『彼』が生きていた頃に見せてもらった映画のゾンビという存在のように―が、影人間は一切何もしない。そう、何もしないのだ。食事どころか、人としてあるべき生活行動というものの一切をしなくなる。肉体は生きていても、精神が死んでいるのだ。その点においては、到達者達には『生への渇望』のようなものを感じる。
しかしながら飢えを満たすという行動とは、何かを犠牲にするという事だ。彼ら到達者が喰らうのは人間がこれまで食してきた食糧ではない。人間だ。到達者は人間を捕食するのだ。その結果、一部の到達者は甲殻霊長類や吸血霊長類といった存在へと進化を遂げ、以前と変わらず生存者を捕食するのだ。今やこの地上を支配する彼ら進化した新人類と打って変わり、淘汰される旧人類の殆どは『到達者になりたくない』。ただこれだけを考えて、この絶望の地獄を生きている。
それはつまり、古き人類は今、『死を求めている』。彼女が、そして彼女の仲間達がずっと恐れてきた事が現実に起きようとしているのだ。
『ニュクス』。この地球の生命に『死』の概念を植え付けた地球外生命の、再度の到来。人が死を求める負の意志の集合体たる『エレボス』がニュクスに接触した瞬間、人類はおろか、全ての生命は影人間のように『精神的死が訪れる』のだ。本来であれば2010年の1月末に到来するはずだったニュクスだったが、それを『彼』が命、魂を賭して封印した、否、死に触れようとするエレボスからニュクスを守った事で、人類の滅亡は免れた。だが、その封印とて永遠のものではない。人間の死を望む意志が強ければ強くなる程、エレボスの力も増す。今の残存人類の数はかつてより大幅に激減してはいるが、その反面、死を望む声はどんどん増えてきている。圧倒的絶望の前に、今の人類は無力だった。
(…そういえば、あの人は失敗したのでしょうか)
彼女の脳裏を掠める、青い服を着た良くも悪くも奇天烈な「元」エレベーターガールの事を思い出すが、考えるだけ無駄というものだろう。彼女の近況など、誰にも分からない。自分がいくら特殊な存在だったとしても、彼女ほど異なる者は、この地球のどこを探してもいないだろう。
今彼女が街を探索している理由は二つある。一つは、数少ない生存者を見つけ出し、生きる希望を与えてやる事。例えどれだけ無駄な足掻きであろうと、それでも抗う。それが、『彼』の為になるのなら。
そしてもう一つの理由は―
「…!センサーに反応!これは…」
彼女に搭載された動体センサーが複数の存在を捉える。
時代が進めば進むほど、彼女の機械の体もどんどん進化していく。その結果の一つが、この動体センサーである。と言っても、彼女のボディのメンテナンスはかれこれ長い間行われていないのだが。
かつてとは比べ物にならないほどの精度を誇る動体センサーは、自分と対象の正確な距離・方角をもはじき出す。
「方位、南南西。距離、734m。…商店街の辺りかな」
かつては『巌戸台駅前商店街』と呼ばれていたその場所は、彼女にとっても思い出のある場所である。今でも思い出そうと思えば、『彼』と歩いたあの光景をすぐに思いだせる。だが、崩壊したこの世界においてはあの商店街も例外ではなく、活気に溢れていたあの頃の面影は、もうどこにもない。
そして到達者と遭遇した後、今に至る。
(油断した…もう、脚部の過負荷が…)
長い間メンテナンスを行っていなかった仇が、今になって帰ってきた。
彼女にはれっきとした『心』がある。故に、ありったけの気力をもって限界以上の活動を行っていたのだが、生物と機械では圧倒的に異なる点がある。生物の肉体ならば、ある程度休息をとれば疲れがとれ、傷が治る。そして機械は、パーツさえ取り換えれば腕を失おうがすぐ元通りである。逆に言えば、パーツが無ければどんどん劣化するし、あったとしても交換しなければ意味がない。
既に長い間酷使していた脚部パーツが、煙を、そして悲鳴を上げる。
頼みの綱の『能力』も、精神の摩耗によりまともに発動させることもできない。
(無理に動かすこともできない…!)
これで、これで終わりなのだろうか。到達者の噛む力は、普通の人間の何倍もある。すぐには無理でも、動けなくなった自分を数時間かければ装甲を噛み砕く事だってできるだろう。それに加え、ずん、と響いてくる足音も聞こえてくる。
(この足音は…甲殻タイプの…)
最早万事休す。もう、諦めるしかないのか?
少女の精神が、徐々に重く苦しい物に侵されていく。前にも同じようなものを感じた事がある。あの時の、ムーンライトブリッジにおける、かつて敗れた相手との二度目の戦い。そして、『彼』を失った時の、あの絶望感。
このまま自分は、到達者達により蹂躙されてしまうのだろうか。硬い鉱物ですら噛み砕くその歯をもって噛み砕かれ、見るも無残な姿に豹変してしまうのだろうか。もし、自分が死した後に、『彼』が甦ったのなら、もしかすると真っ先に自分を探してくれるのかもしれない。そして以前の面影すら無くなった自分を、『彼』が見たらどう思うだろうか。
(…嫌だ)
そんな酷い姿を、『彼』の前で晒したくない。
(……怖い…誰か…)
このような感情に襲われたのは、果たして何百年ぶりだろうか。遥かな昔、『彼』の中に封印したはずの『デス』が復活し、それに戦いを挑んであえなく返り討ちにあったあの日からどれだけ経ったのだろう。
今の彼女は、いるのかどうかも分からない神にすらすがりつきたいほどだった。助けを請いたいほどだった。だが、心のどこかで分かっているのかもしれない。
神などと言うものは、とっくの昔に死んだ、と。
それでも彼女は。
(…助けて…!)
生きたかった。
その刹那。
「モーントヴォルフ!」
たった一言。そう叫ぶのが聞こえた。
もう誰だっていい。助けてくれるのなら、それで―
銃声が三回。肉が爆ぜる音が一度。そして―
「瞬着」
その声と共に、それまで暗かった視界が、一気に光に包まれる。
そこから響いてくるのは、殺戮の音。一方的な蹂躙。なぜそう思うのかは分からない。だが、先程聞こえた一言には、少女の記憶の中で生まれついて持っていた『能力』の名前、そしてごく最近聞いた『ある言葉』と、同じ力強さを感じたのだ。その言葉を発した者はいずれも壮絶なまでの力を発揮し、敵を討った。もしや、この人は―
しばらくの後。自分の体がぐらりと傾いたかと思うと、誰かに抱きかかえられる感触を覚える。
「しっか…気を…んだ…」
所々声がよく聞こえない。だが、声が聞こえているという事は、自分は助かったのだろうか。
「君、名前…」
名前を訊かれているのだろうか。少女は、その唇を微かに動かす。
「アイ…ギス…」
はためく白いマフラー、黒い兜に、光る赤い眼光。それが、機械の乙女―アイギスが、気絶する直前に最後に見たものだった。
正義失格者、葉隠覚悟。嘗テ『港区』ト呼称サレテイタ地域ニテ、機械ノ乙女ト遭遇ス。