「……おはよう。気分はどうだい?」
手を引かれるように目を覚ました。
まるで水の上に浮いているような感覚。耳元で雫が落ちる音がして私は目を開く。
目の前に広がった世界は少し焦点を合わせづらくてぼやけていた。頭も少し重く、音もはっきりとは聞こえない。
「耳鳴りがします。ちょっと頭も重いかも……でも」
「どうしたんだい?」
上体を起こす。まだノイズの混じった音が響く鼓膜のその奥で、何か不思議な音がした。
それは波の音に似ていた。引いては寄せる潮の音。まるで私を手招くように。
「呼んでる……」
そうだ。あの青い世界が私を呼んでいる。行かなければならない。
近くのディスプレイに多くの文字が流れていく。その一つも理解できなかったが、妖精はそれを見てにやりと笑った。
「……控えめに言っても完璧だ。君は歴代の艦娘でも最高傑作だよ」
歴代の艦娘の中でも最高傑作。
初期の建造を除いて、艦娘はすべて同じように作られたのではないのだろうか?傑作などあるのだろうか?まあ、今は無理に理解しようとする必要はないだろう。
「ありがとうございます。それより、妖精さん。外はどうなっていますか?」
「まあ、これを見たまえ」
妖精はディスプレイの下にあったコンソール板を操作すると、壁にあった巨大なディスプレイに緑の光が点る。
黒い画面に緑色の文字が流れていき、いくつもの線が形を成していく。
十字に交わった二次元座標に直交する三次元方向に何か人形のようなものが形を成した。
「これは敵の中枢部隊だ。ここから沖に30㎞ほど離れた場所に展開している」
公園で見たあの形から、口から人の腕が飛び出ているような個体、人の形をして両腕に鎧のようなものを持っている個体。
そして、最奥にいる―――巨大な盾のような砲塔を両手に持つ長身の女性のような個体。
「戦艦級1、重巡級2、軽巡級6、駆逐級20。旗艦は戦艦ル級だ。駆逐級は上陸している個体もいるようだが…」
ブリーフィングのようなものだろうか。とりあえず、このぼんやりする頭を醒ましていく。
さて、こちらの戦力は実質私一人だ。多勢に無勢は明らかだ。
ついでに私は戦術や戦略は全く勉強してない。
しかし、私の頭の中には残されている過去の艦娘たちの戦いの記録がある。少数で多数の敵艦隊との戦闘を勝ち抜いた過去の戦いがある。
深海棲艦には一応、艦隊としての性質がある。稀に近海に単艦で現れることもあるらしいがそれは艦隊から逸れてしまった個体らしい。
単体、または複数の指揮系統が存在する。つまり、必ず艦隊には旗艦が存在し、その指示で艦隊は行動を行う。
「一つ質問させてもらいます。深海棲艦の艦隊は旗艦を潰せば撤退する。その性質に変化は?」
「恐らくないだろう。だが、どうする?戦艦に駆逐艦如きの砲は通じない」
「いいえ、駆逐艦には戦艦に匹敵する武器があるはずです。艦娘戦史の中で火力の小さい駆逐艦たちが活躍したのもその功績が大きい」
戦史上でそれは駆逐艦にとって切り札であり、一撃必殺の破壊力と日本の技術を結集したまさに最強の武装であった。
しかし、航空機の時代となっていた戦史ではその射程に至るまでに装甲の薄い駆逐艦は大きな損害を受けることになる。
艦娘史でその存在に再び光が差す。人の身体を持つ艦娘にはその使い方が大幅に応用が利いた上に、相対的な尺度の変更による射程のバランスがかなりあいまいになったためだと言われている。
輸送、護衛、夜戦奇襲、どれにおいても水雷戦隊の火力の中核を担う存在。
「この国の妖精たちの得意分野だったと聞いています……私は『あれ』を積めますか?」
唯一の問題は私がその武装を持てるかどうか。
「あぁ、『あれ』は私も大好きだ。それに私もそのつもりで準備させてもらった。それと…君は通常の艦娘とは違う。建造ではなく『改造』したからね。装備もそれに合わせて作っておいたよ」
改造…よく違いが分からないが、ともかく私は艦娘になり、例の武装も積むことができるのだろう。
だったら、問題ない。ベッドから降り、身体の感覚を一つ一つ確かめていった。
最初は身体のバランスがおかしくなるかと思ったが、特に変化もなく普通に立つことができた。
「服も……髪型も……結構変わってるんですね。ちょっとだけ身長と体重は……変わってないんですね」
いつもは肩にかかるくらいに伸ばしてる髪も、うちの店の手伝いをしてる時みたいに束ねてあった。
服はセーラー服。うちの学校とは違うデザインのものだった。
「さて、作戦の簡単な整理をしよう。君はここから出撃することになる」
ディスプレイの地図にある海岸線の一部からシグナルが出る。そこが現在地だろう。
「時刻は夜明け前。君は駆逐艦だ。高速力を生かして、敵艦隊を奇襲。日が昇る前に旗艦を叩く」
矢印が伸びていき、敵艦隊にぶつかる。妖精は「こういうことだ」と言ったが…
「私、ついさっき艦娘になったばかりなんですけど…簡単に言いますね…」
「時間もあまりない。海軍も壊滅的被害を受けている。それと、君にはできる。それは君自身が分かっているはずだ。まあ、海の上に立てば分かるだろう。君は今、艦娘なんだ」
ディスプレイが消えて、妖精はデスクから飛び降りた。
「君の中に宿る魂が、戦い方くらい教えてくれる」
*
奥の部屋に進むと、長い廊下が続いて壁には多くの扉が並んでいた。
扉の上に書かれてある文字は掠れていて薄暗さに相まってほとんど読めない。
その廊下を置くまで進んだ突き当りの場所に天井の高い空間が広がっていた。
「一番手前のレーンに、そう、そこだ。動くな」
妖精の言う通りに、私は所定の場所に立たされた。足のマークが描かれており、コンクリートのようにも見えたがよく見たら切れ目が入っている。
その瞬間、ガクンっと足元が沈み込み、小さなロボットアームが大量に現れた。
天井から鎖が音を立てながら降りてきて、一緒に降りてきた鉄の塊が私の身体に固定される。
手に、脚に、装備が取り付けられていき、同時に頭の中に多くのデータが流れ込んできた。
全ての行程が終わると、妙に五感が澄み渡る。鋭く研ぎ澄まされた感覚が微細な変化にさえ捉えてみせる。
「これが私の艤装ですか?すごい……すっーと体に馴染んでくる感じがします」
「もう少し待ってくれ…ここのシステムと同期する…よしっ、では出撃といこう」
「えっ?あっ、はい……何ですか、これは?」
足元が動いて勝手に前に押しやられると、前方にあった壁が開いて細いレールの通った通路から海水が流れ込んでくる。
私の手元に手摺のようなものが現れて、なぜか足の艤装が固定された。
「ここは地下だ。海面より下にある。だから、レーンを伸ばして水面までの道を作る。つまり上り坂だ。登っていくのは手間がかかるし、歩いて港まで行くなんて遠回りにもほどがある」
もはや、どこにいるのかさえ分からない妖精の声が響いていた。
私は徐々に心の中で確信に変わってきた嫌な予感にうっすらと冷や汗を流しながら声に耳を傾ける。
「だから、カタパルト射出する」
そら見ろ。ろくなことじゃない。
「私、海面に叩きつけられて死ぬとかそういうオチにならないですよね?」
妖精は微笑を洩らした。
「武運を祈るよ。準備ができたら教えてくれ」
まあ、やるしかない。ここで止まる訳にはいかない。
何より時間がないのだ。主に私がもたついてしまったせいなのだが、遅れを取り戻すためにも迷っている場合ではないのだ。
……でも、カタパルト射出ってロボットアニメじゃないんだから。一応、こっちは人間体だ。艦娘が人間より頑丈だからと言っても馬鹿げてるだろう。
ここの設計をやったやつの浪漫とやらが窺えるが、今は文句を叩きつけてやりたい気分だ。
茶番はさておき、眼を閉じて深く息を吐いた。
覚悟はできている。後は、臨むのみ。
「準備できました」
みんな、待ってて。私がこの町を守るから。
あんな奴ら、私がやっつけちゃうんだから。
負ける気がしないんだ。だって、私、今―――――――――
「――――抜錨します!!」
「よし!行って来い!!」
みんなに支えられて、とても強く立ててるから――――――っ!!
*
――――展示ホール「投錨の間」
「―――あの子は行ってしまったよ。どうせ、君たちが発破をかけたんだろう?まったく……」
「随分と静かになったじゃないか…暇なんだから話し相手にでもなってくれよ。誰もいないのか?」
「……みんなあの子に着いていったのか…そうか。そういうことか」
「護ってやってくれ。共に戦ってやってくれ。君たちが選んだ未来と共に」
勢いよく飛び出した私の身体は緩やかな弧を描きながら着水する。
膝を曲げて少し勢いを殺すと、そのまま前へと進んでいった。
頬を撫でる風がとても心地よい。不思議な気分だ。この海に立ったその瞬間、一気に感覚が冴え渡った。
水面を伝って私に届く、すべての景色。月のない暗闇にも拘わらず、私の視界ははっきりとしている。
そして、誰がどこにいるのか。この海の上にいるすべての存在を感じ取れた。
夜戦――――この記憶にあまりいい思い出はない。でも、昂揚するこの体は……強い衝動で私の体を前へと押し出した。
徐々に速度を上げていき、最大戦速で海上を駆ける。機関の唸る音が私の拍動に合わさる。
光のない黒い海の上。闇の中に浮かぶ黒い影を私の目は捉えた。
「――――敵艦、見ゆ…」
小さく呟く。自分にスイッチを入れる。自己催眠をかける言葉のように。
「ガァァァァアアアアア」
駆逐ロ級、私の接近に気付き奇声をあげると、すぐさま砲塔をこちらに向ける。
「――――!」
落ち着いて主砲を掲げる。
12.7㎝連装砲B型改二。妖精さんの用意した主砲は展示の中にはない型だったが、このときはそれほど気になることもなく、私は引き金を引く。
砲撃音、命中、直後爆発音。黒い海を炎が赤く照らす。
「シャァァァァァァアア」
軽巡ホ級。ロ級の爆発音に気付き、真横から接近してきたが、そこにいたのは分かっていた。
「――――っ、――――!!」
焦ることなく照準を合わせて、1発。間を取って2発。
共に命中。砲撃も撃たせることなく、ホ級は爆発、轟沈する。
妖精の言う通りだった。海の上に立った瞬間から迷いは一切なく、艤装も扱えた。
主砲の撃ち方も照準の合わせ方も、身体が勝手に動く。過去の誰かの動きが重なるように。
「……」
声をあげることなく、急速に接近してきたのは重巡リ級。
人の形をしたその型の深海棲艦は冷たい肌に張り付いた憎悪に満ちた表情に思わず戦慄した。
射程もこちらより長い。私が主砲を向けた瞬間には、すでに砲撃を許してしまっていた。
急いで、進路を変えて、更に折り返し、横に大きくジグザグに動いて回避を試みた。
こちらの射程に入るまで、砲撃を許してしまうことになり、2発目で狭叉した。
「――――っ、――――あぅ!!」
3発目、被弾した。体全体を殴られたような鈍い衝撃が走った。
……でも、痛くない。不思議だ。バランスを崩すこともない。
ただ、ちょっとだけびりびりとした感覚が気持ち悪いだけ。
やられてばかりにもいかないので、軽く照準を合わせて砲撃する。
引き金を引き、リ級に飛んで行った砲弾は命中したものの、かなり浅い当たりとなってしまった。
怯む様子は一切ない。先を急いでいる。主砲で相手していれば時間がかかる。
「―――魚雷発射準備」
太ももの辺りに取り付けられた魚雷管がガシャンと音を立てて起き上がる。
61㎝四連装酸素魚雷――――これこそ、駆逐艦の切り札。水雷戦の華。
「お願い……当たってください!!」
少し腰を屈めて四本すべてを発射する。
結構、闇雲に放った気がしたけど、魚雷は吸い込まれるように重巡リ級に飛んで行った。
酸素魚雷――――雷跡を残さないこの国が生み出した魚雷。
炸薬量、雷速、射程が従来の魚雷を遥かに上回り、そして雷跡を残さずに海面下を行く。
敵はどこから来たかも分からず、船底に突き刺さる雷の槍を避けることはできない。
着弾、直後に天から雷が海を撃ったかのような爆破音が響き渡る。
「次発装填……旗艦はどこ?」
放った四発の魚雷を装填し、周囲の状況を目視で観測する。敵影は見当たらない。
敵艦隊とはすでにぶつかっているはずだ。だが、肝心の旗艦が見えない。
夜間の海上の視野は最悪だ。目に頼るのはあまり得策とは言えない。
静かに目を閉じる。感覚が冴え渡り、海に私の目や耳が映ったような感覚に陥る。
水滴が水面に落ちて広がる波紋みたいに。たっだ波に触れたものすべてをリアルに感じる。
巨大な盾のようなものを抱えた巨大な影を感じる。左舷の方向――――
「取り舵、両舷最大戦速――――」
方向転換すると、やや落ちていた速度を戻して、一気に本丸へと飛び込んでいく。
ふと、感覚の波に触れた存在がこちらを見たのが分かった。
「―――――気づいたっ!!」
ズドォォオオン!ズドォォオオン!
まだ距離はあるにも拘わらず、遠くから砲撃音が風に乗って伝わった。
私の後方に着弾し、巨大な水柱が登る。振り返ることなく、まっすぐに突っ込んでいく。
そして、私は両手に携える主砲から煙を吐く、戦艦ル級と対峙する。
「すごい射程距離……えい!」
まず、試しに1発。
しかし、縦のように主砲を動かし、私の主砲が放った弾丸は鈍い金属音を響かせて弾かれてしまった。
「そんなっ、弾かれたっ!!」
呑気に驚く暇など戦艦ル級は与えてはくれなかった。
巨大な盾を開くと、海面に叩きつけるようにして私に照準を合わせる。
「―――――ッ!!」
再び、大気を振るわせて砲撃音が轟いた。
面舵をきり、大きく横に動くと、主砲をル級に向けてただひたすらに撃ちまくった。
「いっけええ!!」
「――――――ッ!!ガァァァァァァァァァァッッ!!!」
だが、弾が装甲を抜くことはない。すべて弾き返されて、さらに直後に反撃まで受ける。
「やっぱり主砲じゃダメかぁ……」
大きく弧を描くように動きながら、砲撃を回避する。前方と後方で巨大な水柱が立った。
大きな波が立ち、身体が大きく左右に揺れる。何より、狭叉した。
全弾命中していることに違和感はなかった。それが当然のように思えた。
問題は装甲を抜けない――――戦艦に駆逐艦の弾は軽すぎる。
逆に戦艦の弾が当たれば、私の体は消し飛ぶ。想像するだけで身震いがする。
まだ人間だった時にイ級と対峙したが、恐怖も圧迫感もそれの比じゃないくらいに強い。
それなのに、昂揚している私はおかしいのだろうか?
私が笑っていたのは、面白いくらいに負ける気がしないから。
夜戦という戦場に駆逐艦と戦艦のパワーバランスは崩壊する。
さあ、ここからが勝負だ―――――
「両舷――――一杯!!魚雷管発射用意!!」
一気に機関を最大まで動かす。身体は一瞬遅れるかのように引っ張られ、徐々に速度に乗っていった。
向かうはル級。真正面から突っ込む。
「―――――ッッ!?!?」
驚いたル級はとにかく撃った。当たってもおかしくはなかったが、照準がずれていた。当たらない。
「魚雷発射!!」
8門の魚雷をすべて発射する。
扇状に広がる多数の見えない魚雷。タイミングをずらして2本の魚雷がル級の船底を打つ。
その身体が浮き上がるほどの爆発がル級の身体を襲った。
「次発装填!!」
隙を見せてはいけない。完全に敵が沈黙するまで徹底的に叩き込む。
「ガァァァァァァァ!!」
揺れるル級の前に周囲を周回していた駆逐イ級とロ級が現れる。私に砲撃を撃ち、1発が肩を掠めた。
「魚雷発射!!」
再び魚雷を放つ。吸い込まれるように3隻に迫る8本の槍は小さな駆逐艦の身体に命中する。
「―――ッ!?」
「―――ッ!?」
ル級は主砲を盾のように海面に突き立て、本体への損傷を防いでいた。
加えて2隻の駆逐艦が壁になるように動いたため、ル級へのダメージはかなり少なく思えた。
深海棲艦にも仲間を庇うなどという感情があるのか…少し意外だ。
「外しちゃった……でも、次は……」
幸いにも魚雷がル級の正面で爆発し水柱が立った。それがちょうど目晦ましになっていた。
両足の主機がおかしな音を出し始める。ちょっと無理しすぎているのかもしれない。そのせいか息が上がる。
「はあ……はあ……次発装填!!」
一気にル級めがけて突っ込んでいった私は、掠っても致命傷になるほどの近距離を一気に駆け抜けた。
すれ違いざまに見えたル級は、片方の主砲がひしゃげて使い物にならなくなっていた。
そのまま、ル級の真後ろに回り込むと、一気に180度、体を反転させる。
一瞬、上半身がねじ切れそうになる。
ふと、目が合った。
暗闇の中でも視線ははっきりと感じるものだ。
黒い感情―――――怨念。遺恨。怨嗟。嫉妬。
私たち命あるものすべてを蝕む黒い感情。ずっと昔から続いてきた負の連鎖。
その連鎖に、私の大切なものが巻き込まれてしまわないように―――――断ち切らなければならない。
黒に呑まれそうになった私は、腹の底に溜まろうとする黒い感情全てを吐き出すために大きく息を吸い込んだ。
「私が……あの町も、みんなの未来も、この海も―――――――――」
装填を終えた魚雷管が私の呼吸に合わさりガシャンと音を立てて動く。
暗闇に光る八本の槍がその先をまっすぐにル級の身体を捉えていた。
荒々しい呼吸を整える暇もなく、吸い込んだ空気全てを、想いを乗せて一気に吐き出す。
「私がみんなを護るんだからぁッッ!!!いっけええええええええええええ!!」
魚雷が静かに着水する。
水中で一気に加速し、吸い込まれるようにル級の下へと飛んで行った。
小さくその弾頭がル級の船底を叩く音が聞こえた。
それがル級の最後の声であるかのように――――――
終わりを告げる轟音が、すべての闇を払っていった。
暖かい光を感じた。そっと水平線から浮かび上がる新たな一日の光。
暁の水平線に刻まれたこの勝利に、私は力強く握った拳を高く掲げた―――――
*
白みを帯びていく空の下、涼しい風を切りながら私の身体は港へと向かう。
「――――あっ、妖精さん!!」
唯一待っていたのは小さな妖精。ヘルメットを傍らに置き、髪を潮風に靡かせていた。
「上手くいったみたいでよかった。申し分のない仕上がりだ」
「妖精さん!私、やりました!!みんなを護れました!この町も!妖精さんのお陰です!!ありがとうございました!!」
戦いに勝利した私は誰かにこの喜びを伝えたかった。
とても疲れた。恐怖と緊張の張り詰めた戦場の空気は重くて、すべてが終わった後にどっと疲れがのしかかった。
そんな疲れさえも吹き飛ばしたのが言葉じゃ表しきれないほどの達成感だった。
「戦ったのは君だ。それに君には元から素質があるといったはずだ。ル級を沈めるに至る実力、すべて君のポテンシャル。私はそれを引き出しただけだよ」
「そんなことないですよ!もう何から何まで完璧でした!!とても使いやすい装備ばかりで」
「それは作った甲斐があるというものだ」
一通り発散した私は、ふぅ…と一呼吸おいて町の方を見た。
「……護れたんですね」
「ああ……」
まだ煙が昇っているが、深海棲艦の影は一つもない。
少しだけ酷い状態だが、誰かが戦って護らなければ、この町は跡形すら残っていなかったかもしれない。
その誰かに私がなれたことが、嬉しかったのだが、少しだけ複雑な気持ちだった。
「――――それで、どうする?」
町を見る私の横顔から何かを察したのか、妙に真剣味を帯びた声で妖精は尋ねた。
「え?どうするって何をですか?」
「この町は君のお陰で護られた。もうその力も必要ないんじゃないか?必要ないなら解体して、君を普通の女の子に戻すこともできる」
それは…戦後の艦娘たちと同じ道だ。
彼女たちは解体されて、普通の人間としての生活を送ったとされている。
「君の人生を戦いに費やす必要はない。海沿いは危険になるだろう。もっと内地の方で今まで通りとはいかないが普通に生活することもできる……どうする?」
「――――――え?私続けますよ、艦娘」
私の答えは決まっていた。
あの夢から覚めて、走り出したその時から。
「だって、私の夢に深海棲艦は必要ないですもん。戦ってはっきりと分かりました」
希望。その光さえも飲み込もうとする黒い絶望。腕を掴まれれば引き込まれ声は形を持たず届かない。
愛しい者の声が1つ1つ消えていく。果てのない闇の光。
深海棲艦の中にあるのはその光だ。
「あれは、私たちの手で葬らなければならない存在だって」
私たちの中にあるのは―――その逆だ。
熱いくらいに温かく、どんな恐怖にさえ怖気づかず、声を辿り、その手を差し伸べる。
何よりも、船は1人で動かしている者ではないように、艦娘である私たちは1人で戦っているわけではない。
心は鉄の塊であった時から変わらない。愛する者の数だけ力を得る。
「もう、怖くないです」
「……そうか」
「もう一度、この戦いを終わらせてみせます。もっともっと大切なものを増やして、もっともっと強くなって、みんなを護って」
スタートは切った。
多くの支えがあって今ここに立っている。
これから多くのものと出会ってこれから先も強く立って見せるために。
「『この世界に生まれてよかった』って、みんなが笑えるような世界を作りたいから」
いつか私の夢を叶えることができると信じている。
そんな世界になった頃には、きっと私は彼女たちを知ることができるはずだ。
なぜ、彼女たちが存在し、なぜ彼女たちが戦い続けたのか。その理由を完全に知るために。
「大事な人たちと一緒に笑って、日向ぼっこでもしながら、平和にお昼寝でもできるような、そんな世界を作りたいから」
いつか訪れる平和を再び愛しい者たちと分かち合うために。
「私は艦娘を続けます!!続けさせてください!!」
今は、ただ戦い続けてみようと思う。
多くの理不尽にも、悲しい運命にも抗って、1つの「救済」を結んでいくために。
「ふふっ、君は彼女に似ても似つかないね。でも、どこか同じ温もりを感じる……」
妖精は笑う。ちょっと意気込みすぎたかなと照れていたら、その眼は私を暖かく受け入れてくれた。
「いいだろう!だったら、刻め!!その名を、その勝利とともに、あの暁の水平線に――――」
私の身体は鼓舞されて震える。
気迫に満ちた声が、私の中にある芯に直接叩き込むように問いかける。
その眼はしっかりと私と言う存在を受け止めるために瞬きさえ忘れ、この姿を捉えていた。
「……もう一度訊こう。この戦史に刻まれる君の名を」
そして、時代は数奇な運命と共に巡る。
「私は……私は――――――――――」
100年も昔の話。深海棲艦という脅威から人類を救った海の女神たちがいた。
「私は、特一型駆逐艦……吹雪型、一番艦」
深海棲艦に勝利し、人類を勝利に導いた彼女たちは―――艦娘は伝説となった。
「私は吹雪型駆逐艦一番艦――――《吹雪》――――」
そして、100年の年月を超えた今、彼女たちと同じこの青い海の上で
「私っ、がんばります!!」
―――――――私たちは伝説となる。
次話が第一章の終わりとなります。