「やぁやぁ、久し振り。元気?」
新しく淹れてもらった紅茶を口にしながら、鮮明に脳内に残る記憶を1つ1つ整理していたそんな最中、嵐のような人が部屋を訪れた。
「あ、明さん?」
驚いたように彼女の名を呼ぶと、「やっほー」と手を振りながら軽い言葉で返してきた。
軍帽を指でクルクル回しながら、顔を合わせるなり白い歯を見せて笑う無邪気さの裏に、いつも何か企んでいるんじゃないかと変に勘ぐってしまう辺り、私もこの人に毒されてきているのかもしれない。
「ど、どうやってここまで?」
「吹雪ちゃんたちにも渡した羅針盤あったでしょ? あれのでっかいの作っておいたのさ。後は護衛艦でちょちょいのちょいと」
そんな常識破りな……。
私たちだって雪風ちゃんがいなかったら辿り着けなかったかも知れなかったかもしれないのに。
この人に対して世界のルールとかそう言うのは甘すぎるんじゃないんだろうか。
「あなたがここを訪れた艦娘の方々の司令官と見てもよろしいでしょうか? 『天の剣』統括責任者、志童金安と申します。お迎えに上がれなくて申し訳ありません。私たちはあなた方を歓迎いたします」
志童さんは立ち上がると一礼をしながら明さんに挨拶をする。
帽子を回すのを止めて明さんもそれに応じるように自己紹介をする。
「日本国防海軍呉鎮守府の証篠明。志童ってことはあなたも艦娘の子孫ってことかな。世界は案外狭いものだね、南方の海に来ても出会うのは艦娘の子孫って訳だ。そう思わない? 吹雪ちゃん?」
唐突に同意を求められて言い淀む。しどろもどろしている私を、柔らかな笑みに表情を整えた志童さんの言葉が遮った。
「それが私たちの使命と言うものです。戦いは終わってなどいません。ずっと、あの日から私たちの血の中で繰り広げられています」
表情とは裏腹に強い口調だった。ふーん、と明さんはつまらなさそうな声を出すと軍帽を頭に被り直した。
「まあ堅苦しい話も難しい話もゆっくりと付き合ってあげるよ。構わないよね?」
構わないよね?などと言いながら同意以外させない目をしている。まあ、この人の前で首を横に振ったのは見たことが……叢雲ちゃんと漣ちゃんくらいだろうか。少なくとも人間では見たことがない。
何はともあれ、明さんが来てしまった以上、志童さんを私に付き合わせておくのは時間の無駄だろう。
「吹雪ちゃん、うちの夕張がどこにいるか分かる? あの子に頼んでまとめさせておいた報告書貰いたいんだけど」
「お連れの軽巡洋艦の方でしたら恐らく海中の施設の方を見回っておられるかと思います。お呼びいたしましょうか?」
「できるんだったらお願いしようかな?」
「ではそのように。吹雪さん、あなたにお伝えしたいことは粗方お伝えしました。お連れしたい場所がございましたが。後は私は必要ないでしょう。代わりの者をお付け致しますので……忘れていました。叢雲さんともご一緒下さい。そちらの方がきっとよろしいでしょう」
「あっ、吹雪ちゃん。叢雲ちゃんに私が来たってことも伝えておいてくれる。てか、一旦私のところに連れてきて欲しいな。用事はその後でも構わないでしょ? 事はそんなに急ぐことじゃない。寧ろ慎重に一手ずつ進めるべきだ」
「一理ありますね。では、そのように致しましょう。叢雲さんでしたら部屋の方でお休みになられているかと」
「は、はい! 分かりました! 連れてきますね!」
私は明さんと入れ替わるように部屋を飛び出した。その時うっかり人にぶつかりそうになったのだが、明さんの側に私より背の低い人が立っていた。全く気が付かなかった、今の今まで全く目に映らないほど気配がなかった。
幽霊みたいな人だったと思いながら私は叢雲ちゃんの部屋の方へと駆けていった。
*
「それは大変なことよ……すぐに向かうわ」
寝ていたらしい叢雲ちゃんは随分と機嫌が悪そうだった。手櫛で長い髪を整えながら廊下を歩いていく。その後を追いながら、横顔を見て表情を窺う。
「変な夢でも見たの?」
「別に……何でもないわ」
そっけなく答えるのだが、叢雲ちゃんの様子は明らかにおかしい。思えばこの任務に就いてからずっと機嫌が悪いように思える。施設を見て回った時もずっと悪態吐いていたし。
「叢雲ちゃん、悩みや迷いがあるなら言ってよ。独りで抱え込むのはやめて欲しいな」
「余計なお世話よ。吹雪相手でも話せないことは1つや2つあるのよ。私が私自身で解決しなきゃいけないことが」
「それは先代の《叢雲》が関係していることなの? だったら、叢雲ちゃんだけの問題じゃないよ。私だって」
「あなただって、何?」
叢雲ちゃんの足が止まった。私の足も止まって向かい合うと、なぜか私は一歩後退った。
「吹雪、魂を受け継いで記憶を受け継いで、そんな共通点があろうとも、魂にも記憶にも刻み付けられた使命は違っているの。私たちの目的や存在意義が深海棲艦を打ち滅ぼすことであったとしても、私の存在意義がその枠に収まることなんてないの」
「だからって、何もかも背負い込んで潰れちゃ元も子もないでしょ。尋常じゃないものを背負わされてるのは分かるよ。その重さに慣れてしまっちゃってるのも分かってる。それでも、私は話してほしい」
一度、私はこの子の闇を垣間見た。だからこそ、全てを受け入れられる。
冷たい目。私は後退ってしまった分、詰め寄った。絶対に悩みを吐かせてやると言わんばかりに。
そんな覚悟で向き合った私を見て、叢雲ちゃんはフッと笑みを零した。
「……はぁ、アンタには呆れたわ。でも話せない。アンタは真っすぐすぎるから簡単には解決できなくてきっと悩むわ。私も悩んで、吹雪も悩む。悩む人間が増えちゃ、そっちの方が元も子もないでしょ?」
そう言った叢雲ちゃんの表情はいつの間にか柔らかさを取り戻していた。どこか淡白な感じでそっけないけど、そんなことを笑みを浮かべながら言ってしまうようなところが私の知っている叢雲ちゃんらしいのだ。声色が明るくなって不思議と安心した。険しい顔で、低い声で、淡々と話されるよりかはかなりマシになった。
「気持ちだけ受け取っておくわ。吹雪こそ何か悩んでるんだったら言いなさいよ。どうなの?」
あっさりと私の申し出を躱されて、今度は私が詰め寄られてしまった。
じーっと目を覗き込むように見つめられる。意地悪な目をしている。
「わ、私は何も悩んだりしてないよ? こんな性格だからさ」
「いいえ、アンタは間違いなく艦娘になってから人が変わったわ。そして時々ただの人だった頃には見たこともないような顔をするようになった。私に気を配るより自分の心配をしなさい。何を抱え込んでるのかは見当がつかないけれど、いざという時に足が止まってしまうようなことを抱え込まないようにね」
真っすぐに伸びた白い指がコツンと私の額を弾いた。
「いてっ」と間抜けな声を出してしまい、くすくすと叢雲ちゃんが笑った。
「わかってるよぅ……私は叢雲ちゃんほど頑固じゃないしー」
「頑固なのは認めるわ」
そう言いながら叢雲ちゃんは足を進めた。
「……そう言えば、なんで明さんが来た時に大変なことだって言ったの? 確かに嵐のような人だけど」
「あの女の性格からして、この島は宝物庫よ。隅から隅までひっくり返しては自分の手で弄ってみるに決まっているわ。最悪の場合、『アマノハバキリ』をぶっ放ちたいだなんて言い出してもおかしくはないでしょ」
「あー……」
否定できない。やるかやらないかの賭けをするのなら「やる」方に賭ける程度には。
「もしかして悩みってそれだった?」
「違うわよ。もう気にするのは止めなさい」
*
「始めに言っておくわよ。ここに居る間、あなたの実験には一切付き合わないわ」
にんまりとした笑顔を貼り付けたような明さんと顔を合わせるなり叢雲ちゃんはそう言った。
「ちぇー、つれないなぁ」
「あはは……」
2人のやり取りをただ笑ってみていた私はふと志童さんの方に目を向ける。こちらも初めに会った時のように笑みを浮かべて2人のやり取りを眺めていたが、纏っていた雰囲気が先程までの明さんとの間に流れたのであろう、空気の重さを残していた。
一体何を話していたのだろうか。私たちに告げたことでさえ充分驚くに値するものだったのに。
「吹雪さん、少しよろしいでしょうか?」
ぼーっとしていたら志童さんに手招きされた。叢雲ちゃんは少し真剣な顔で話し込んでいるみたいだった。
「はい、なんでしょうか?」
「吹雪さん、恐らく面と向かってお会いできて、かつゆっくり話せる機会はもう残されていないでしょう。最後にあなたにおひとつだけ、警告をさせていただきます」
「警告ですか……?」
「一体何を求めて艦娘という道を進んだのか。それは図りかねますが、それでもあなたが叢雲という艦娘と共に戦い征く覚悟を決めて今その場にいると言うのならば」
「……これから人類は更なる選択を迫られ、あなた方は大きな役割を担うことになります。艦娘という存在そのものを懸けて新たな時代の開拓者となる」
「彼女は旧人類が作り上げた鍵です。そして、あなたこそがその鍵を鍵穴に差し込み捻る者です」
「私が、ですか?」
「あなたは既に巻き込まれています」
「巻き込まれた? どういう意味ですか?」
「私の口からは言わない方が良いでしょう……あなたはこの島に居て欲しいほどに賢い方です。ですが、多大なる好奇心のあまりつい行き過ぎるところがあるのでしょう。ですから私があまりにも言葉を与え過ぎれば、あなたが本当に見るべきものをあなたの好奇心が埋め尽くして見えなくなってしまう」
「それは――――ッ」
「吹雪、こっちは終わったわよ」
振り返ると腰に片手を当ててこっちを見ている叢雲ちゃんがいた。何をしているのよ、と言いたげな顔であからさまに私を急かしていた。
「あっ、ごめん……もうちょっと」
だが、私は志童さんの言葉をまだ充分に理解できていなかった。どうして別れ際になってこんな意味深なことを伝えてきたのかさえ。時間なら充分にあったはずなのに、『私に考える時間を与えない』かのようなタイミングを見計らったとしか思えなくて、私はまだこの場を離れる訳にはいかなかった。
「いえ、もう終わりましたよ。では、御二方にはまだお見せできていなかった場所へ、別の者にご案内させます。大変かと思われますが2度とない機会です、どうか受け止めていただけると幸いです」
だが、話を志童さんの方から断ち切られた。引き留めようとしたが言葉を割り込ませる隙も与えず、別の話題を持ち出して叢雲ちゃんに断らせないような言葉を選んで、私に問いかけの時間を与えない。
「はいはい、どこでも見に行ってあげるわよ」
「えー、私も行きたいなぁー」
「証篠様は先程のお話の続きがまだ残っておりますので申し訳ありませんが……あなたとしか話せないこともございます」
「そうよ。アンタは立場を考えなさい。じゃあ失礼するわ」
叢雲ちゃんに置いていかれないように私はその背を追った。小さく一礼して退室する際に、ちらりと志童さんを見たが、彼は私に意識すら向けないようにしていたのだろう。
言葉を与えず、何も与えない。
私の幼い好奇心を飢えさせるような行いの意味をまだ充分に消化しきれていない。
かえって少しの餌を与えられてしまったがために、狂わんばかりに食欲は湧き上がる。
扉をゆっくりと締めると外で2人の女性が立っていた。志童さんのように神官服―――巫女服と言った方が正しいのだろうか。2人とも腰のあたりまである髪を白い帯を巻くようにして1つにまとめている。背丈も同じくらいと思ったら、顔もほとんど同じだった。
「
「《天の剣》へよくぞお越し下さいました、艦娘の方々。そして《叢雲》の末裔。御二方には私たち姉妹が管理しております『ゆりかご』へとご案内させていただきます」
口調も、声色も、間の取り方も何もかもが一緒で少しぞっとしたのだが、すぐに私の頭は1つの言葉に食らいついてしまう。
「ゆりかご……?」
「まるで誰かが眠っているかのような名前ね」
叢雲ちゃんがそう言うと、比女河さんたちは面白そうにクスクスと笑った。「何よ」と言う感じに叢雲ちゃんがむっとした表情になると、急いで取り繕って2人は説明を続けた。
「ええ、まさにその通りですよ。眠っているのです」
「先代の《叢雲》の意思によってこの世界に残され続けた彼女たちが」
「彼女たち……それって」
不意に私の心が躍り始めてしまったような気がした。私の期待通りならば、それは……。
私が憧れ続けた時代の存在なのだから。
*
「のう、お主らはこの島を出たいと思ったことはないのか?」
島の子どもたちと戯れていた利根はふとそんなことを子どもたちに尋ねた。
無邪気に走り回っている子どもたちのうち数人が足を止めてきょとんと利根を見た。
「えっ? どうして?」
「どうしてと言われると……ほら、霧に包まれている島で一生を終えるなどなかなか不自由なものであろう?」
幼い少年たちは一同に首を傾げた。
「うーん、そう思ったことはないよ? この島にはご飯もあるし、みんなの仕事もちゃんとあるし」
「友達もたくさんいるし、病気になってもすぐに治っちゃうし」
「それに勉強も面白いよ!毎日新しいことを教えてもらって楽しいんだ!!」
迷いひとつない幼い瞳に利根はそれ以上訊くことはできなかった。
「むむむ……吾輩にはなかなか理解しかねるぞ」
根っから違う。子どものうちからここまで達観しているものがあるとどうも凹む。
子どものうちくらい、もう少し夢を見てもいいのだろうに。
「雪風もあのような体をしておるが、歴戦の駆逐艦。そこいらの大人よりしっかりしておる。流石にいきなり故事を唱え始めた時などには驚いたがの」
思えば、人は容姿や年齢に囚われるべきではないのかもしれないと同じブイン所属の駆逐艦を見て思う。
寧ろ、最も死に近い駆逐艦と言う艦種だからこそ、達観せずにはいられないのだろうと感じることもある。
それでも、この島の子たちと同一視することはできない。
所詮艦娘は在りし日の激闘の記憶を秘めた存在であり、生きてきた年月が違う。
人の子でありながら、この島に殉じ様とする子どもたちは、まるで国家の為に命を捨てて戦う者たちの姿を重ねているかのようだ。
かつて、それは過ちであった。
「……ん?」
子どもたちと地面に指を這わせていた雪風が唐突に顔を上げた。辺りをきょろきょろと見渡して落ち着きがない。
「どうかしたのか? 雪風よ」
「いえ、利根さん……何か聞こえませんでしたか?」
「何かって、何じゃ?」
利根の耳には何も聞こえなかった。元気にはしゃぐ子どもたちの声だけがこの広場には溢れている。
「うーん、ちょっと海の方に行ってみましょう。何か見えるかもしれないです」
「これ、急に走るな。全く、見た目に違わずやんちゃじゃのう……」
先に走り出してしまった唯風を追うようにして利根も駆け出した。
広場から少し離れた場所は切り立った崖のような場所になっていて海が望める。
そのギリギリに立って雪風は首から下げた双眼鏡を覗き込んでいた。遠くには周囲からこの島を隠すように空高くまで広がる霧しか見えないのだが。
「うーん……あっ!!!!!!!」
その中に何かを見つけたように雪風は声をあげた。
「どうしたのじゃ? 吾輩の目からは何も見えぬが」
「利根さん。偵察機って今ありますか?」
「あるわけなかろう。艤装は全て預けておるのじゃから」
艤装は全て《天の剣》に預けている。下手な細工などはされていないだろうが、手元から離れてしまうと言うのは些か不安なところがある。しかし、今はそんな事態ではないのだろう。
「確かさっき呉の司令官が来られましたよね?」
真剣な顔で雪風が利根に尋ねる。
「あの十面相のことか。表情が読めぬから吾輩は苦手じゃ」
「多分指揮権は呉の司令官さんのところにあると思います。行きましょう、利根さん」
「行くってどこにじゃ?」
「敵が来ました。多分敵です」
「敵? 馬鹿な。ここは周囲からは見えぬ魔法の霧で覆われておるのであろう? それに多分とは何じゃ? もっとはっきりと申せ」
「分からないんです。多分敵です。とても大きいんです」
「どれ、双眼鏡を貸してみよ」
雪風の双眼鏡を半ば奪うように手に取って、それを覗き込む。
じっと目を凝らして何もないはずの霧の中を覗き続けた。
「――――――は?」
背筋に悪寒が走るのがはっきりとわかった。すぐに雪風に声を掛けようとしたが既にその姿はなかった。
先に呉の提督のところへと向かったのだろう。賢明な判断だ。あんなものを見て艦娘だけで動くのは到底無理だろう。
そこには確かに何かがいた。ただ、何かまでは分からない。
雪風の言葉通りそれはとても巨大なのだ。そして動いているのだ。こちらの方へ。
分からない。ただその一言だ、艦艇であった時代にもあんなものは見たことがないほどに巨大だった。
いや、一度だけ見たことがあるかもしれない。
あぁ、あれは島だ。
島が、島のように巨大な何かが動いているのだ。
*
私は暗い部屋に連れてこられた。ここは中央の塔のような場所を上に昇った場所。
始めは下ばかり見せられていた。この塔のような、大地に突き刺さる剣には何もないのだと。
違ったのだ。これは確かに役割を持っていた。
剣などではない。これはきっと墓標だったのだ。
ただ、それは死者を弔うものではなく、安らぎと眠りを与えるための祈りだったのだろう。
部屋の明かりは無数の機械から発せられる光のみ。
それを比女河ユミに連れられてゆっくりと辿っていく。ずっと暗く長い道。
「あの、私だけなんですか?」
「叢雲さんにはもっと重要な役割があります。吹雪さんのような方が居られて幸いでした。全てを叢雲さん独りに背負わせるのは酷すぎますゆえ」
「はぁ……私でいいんですか?」
「志童様がどのように申したか存じ上げませんが、吹雪さんはとても優れた方ですよ。そして、叢雲さんの隣に立つ者として生まれてきた星がある」
「星?」
「運命……いえ宿命と呼ぶ方が、あなた方艦娘の方々には相応しいでしょうか」
ユミさんが足を止めた。私も足を止めて正面を見る。
思わず大きく息を吸いこんでしまった。そして息が止まった。
巨大なカプセルがあった。不思議な色の光を発している液体で満たされていた。
その中に膝を抱えるようにして浮かんでいる影がひとつ。長い髪は解かれていて、液体の中に広がっている。
「100年前、全ての戦いが終わったと世界に報じられたあの日から、彼女はある人物の願いで姿を晦ませ続けていました。その理由は来るべき戦いに備えるため。そのまま世界に残っていては、解体されて力を失ってしまいます。そのために、彼女はこうして眠りに就くことを選んだのです」
とても美しい女性だった。全ての理想を体現したかのような、美しい女性だった。
100年の眠りに就いたお姫様のような。
恐る恐る息を飲みながら一歩ずつ確実に彼女へと近づいていって、カプセルに手を触れた。
呼吸をしている。本当にこのまま眠り続けていたのか。
私はカプセルに刻印された彼女の名前を見つける。
あらゆる言語で記載された彼女の名前はあまりにも有名過ぎた。そして、その力はあまりにも強大で、その命はあまりにも儚過ぎた。
一夜の夢。あらゆる情熱と夢を抱かせたまま、時代の荒波に揉まれ散っていった至高の戦艦。
「――――戦艦《大和》」
*
私は暗い部屋に辿り着いた。
明らかにこれまで見た全てのものと雰囲気が違う部屋。あったのは2つの椅子だけと言う異質な部屋。
そして、私にだけ渡された―――《叢雲》の艤装。
どうしてこんな場所で私は艤装なんて付けているのだろうか。
その理由を教える事も無しに、比女河エミという女は私だけを部屋の中に入れて扉を閉めた。
「ここから先で起こることを私が見ること聞くことは禁じられています。全てが終わりましたら内側から扉を置開け下さい」
そう言って固く閉じられた扉。
椅子に腰を掛けて周囲を見渡す。椅子は私の艤装を支えるようにした形をしていた。
まるでわたしの為だけの椅子。どうしてこんなものがここに在るのか。私はここに来たことはないのに。
壁には注連縄のようなものが張り巡らされていた。
御札のようなものも至る所に貼られていて何とも気味が悪い。
極めつけは正面に向かい合った誰も座っていない空白の椅子。その背後にある鳥居が本当に気味が悪い。
一体、私に何を見せるつもりなのか。
『――――駆逐艦《叢雲》ね』
突然名を呼ばれて不意に肩が跳ねた。
どこからだ? 正面だ。あの鳥居の奥から誰かが私を呼んだ。
『――――駆逐艦《叢雲》……貴女が叢雲の名を持つことはここに来た時点で分かっているわ』
いや、待て。
この声に聞き覚えがある。
あぁ、よく知っている。誰にでも悪態を吐いて、自分が好きな人だけには優しい言葉をかける卑怯な声。
努力した者は認めても、実力にまで努力が及ばない者は容赦なく貶す。
他人の夢ばかり踏み捩じって、自分の夢ばかりを追い求め続けていた醜い声。
あぁ、私の声だ。
まるで鏡のようだ。鏡に私を映しているんだ。
彼女はゆっくりと歩み寄ると私の対面の椅子に腰を下ろした。
肘掛に肘を置いて頬杖を突く。氷のような視線が私を射抜いて喉を詰まらせた。
『話すべきことがある。貴女に拒否権はない。その名を負った以上、全てを受け止めてもらう』
「望むところよ、《叢雲》」
私であって、私でない。
一目で分かる。どうして私が―――御雲家がこれほどの力を現在まで持つことができたのか。
私の目に映る彼女は、完璧すぎた……。
私が彼女の影であるかのように。