艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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天の剣(弐)

    

 エレベーターはかなりゆっくりとした速度で下降していく。それはもう秒速30㎝ほどの速度で。鈍すぎる。だが、お陰で一面ガラス張りの箱の中から辺りの景色をゆっくり観察できた。

 

「これは各階層の状況を確認しながら最深部まで移動するためにこれほどの速度にしてあります。移動用と言うよりは、監査用と言った方が良いでしょう」

 私たちの誰もが思っていた考えに答えるかのように志童さんは語る。

 

「室温、湿度、気圧、それぞれの階層で扱っている分野に合わせて調整してあります。当然、深部に行くほどに気温も下がっていきますので、その環境に見合った分野を割り当てて環境を利用するなどしてもいますが」

 

「ここにいる人たちは何ですか?」

 かなり大雑把な質問をしてしまったと終わってから気付く。だが、そのくらい曖昧な質問しかまずはできなかったというのが正しいだろう。

 

「ここに居る者たちに限らず、この島に居る者たちは全てが科学者です。生まれ来る子どもたちにも一流の科学者となり、代々研究の灯が消えぬような教育を行っております」

 

 ある者は白衣を着ていた。ある者はつなぎを。ある者は防護服を。

 肌の色も様々だ。私は島の方を見回れなかったのだが、人種がかなり多様なようだ。

 

「へえ、全部が科学者・・・・・・あっ、牛がいますね。乳牛も」

 

「こっちには鶏もいます!卵がたくさん!」

 

「不思議なものじゃな。陸地の地下ならまだしも、海上の人工島の地下にこのような景色が広がっておると」

 

「陸地には限りがあります。海は環境こそ厳しいものですが、海底に至るまで陸地をはるかに上回る広さを有します。厳密な管理が必要となりますが、既に80年。得られた経験はありとあらゆるデータとなってこの島にフィードバックされています」

 

「・・・・・・この島そのものが生きている。そう感じた原因はそれだったのかも」

 私は1つの胸に引っかかっていた疑問をようやく解決できた気がした。ここは陸地ほどの長い歴史こそないものの、人間たちが必死で生きるために集めたデータの下に成り立っているのだと。そこに人間としての生を感じるのも頷ける。

 

「1つお聞きしたい。この島では至る所で岩石が発光していた。この島では主にそれが照明となっているようだがあれはなんだ?」

 

「ホタルイカをご存知ですか?青く発光する海の生物ですが我々はその研究も行ってきました。人工的にその成分を合成し、さらにそれを他のものに移植する研究です。特に無機物に」

 

「・・・・・・石に移植したと言うのか?」

 

「えぇ、その通り。組織に濃縮した蛍光物質を注入して島の各所に設置しています。この島の沿岸部にも大量に。刺激を与えることで成分が活性化し、発光するようにやや手を加えた成分ではありますが・・・・・・まだ不安定さが残ります」

 

「なるほど。現時点ではあくまでも島内のみで自己完結させるための技術と言う訳か」

 

「ええ。しかし無機物と有機物の融合など、貴女方からすれば珍し話でもないでしょう?」

 私たち艦娘への皮肉にも聞こえた。雪風ちゃんと夕張さん、利根さんは周囲の景色を見るのに忙しそうで志童さんの言葉の1つ1つにいちいち意識を割いているような感じではなかったが、私含めたその他は少しだけ眉間に皺を寄せていた。

 

「我々が特に恐れているのは感染症です。ここは密閉された場所ですので一気に蔓延する。最悪島民すべてが全滅する可能性もありますからね。その方の対策に関してはかなり綿密に行っております。ですが、その心配は限りなく小さいというのも同時に分かっています」

 志童さんは話を逸らすように別の話題を持ち出した。どうやら自分の言葉が反感を買いかけたのを察したようだ。

 

「島を出入りする人がいない。特に外部からの侵入が極端に無いからですね?」

 すかざず私が答えた。志童さんは小さく頷いた。

 

「ええ、その通り。外部から持ち込まれない限りこの島内では想定の範囲でしか感染症は起こりません。島民全てが全滅するような事態にはなかなか陥りません・・・・・・ちょうど正面に見える八角形状のフロアはこの島の制御を行っている場所です。いわば中枢と言えます」

 

 そこは中央を通る巨大な柱の途中にあった。八角形をしたフロア。巨大なディスプレイがいくつもあり、目で追えないほどの情報を数十人の研究者たちが処理している。そのフロアの下部に更に何やら巨大な棚のようなものが見えた。棚のような場所に本を納めるかのように、いくつもの箱状の機器が並んでいる。ただ箱であってその内部までは見えなかった。

 

「あれがこの島の頭脳です。ただのコンピューターではありません。世界で唯一の量子コンピューターです」

 

「量子コンピューター!?」

 そう声と息を荒げた夕張さんだった。彼女らしいと言えば彼女らしいが目が輝いている。

 

「えぇ、この島が成り立っている重要な頭脳です。そしてこの島の最高の機密とも言えます。存在が知れれば各国が黙っている訳もありませんので」

 

「もっと近くで見れませんか!?」

 

「申し訳ありません。機密事項ですので」

 

「ぐっ・・・・・・ロマンがあそこにあると言うのに」

 

「あのぉ・・・・・・ずっと気になっていた事なのですが・・・・・・」

 雪風ちゃんはそんな前置きをしてから志童さんの方に目を向ける。

 

「ここは、どの国家に属するのですか?」

 

「どの国家にも属しません。ご存知の通りこの島は存在しない島です。いえ、在ってはならない島なのです」

 

「でしたら、機密事項と言うのはいったい何に対する機密事項なのですか?機密と言うのは外部に漏れればどこかが不利益を得るから存在しているものです。どこの国家が不利益を被るのですか?」

 

「なるほど。ごもっともです。では、過去に艦娘に携わった全ての国家と言葉を改めさせていただきましょう」

 

「日本、アメリカ、欧州海洋連合圏、ユーラシア協定連邦、ですか・・・・・・」

 

「えぇ。特に日本国の息が強いことは言うまでもないでしょう。始まりの国なのですから」

 志童さんはガラスの向こうに目を向ける。

 

「ですが、この島には多くの人種が混在しています。ですが、明確な目的の下に集った者同士。軋轢が生じたことはありません。そうなるように選ばれたと言っても過言ではないでしょう。不安要素は極力排したのです。この島を守るために」

 

「理想郷ね、まるで。日向さんが言っていたわ。世界で最も安全な場所だと」

 ずっと黙っていた叢雲ちゃんが口を開いてそう言った。その表情にはどこか嘲笑めいたものがある。

 

「私たちなんて必要ないんじゃないの?この島だけで人間は永遠に生きていけばいい」

 

「理想郷ですか。確かにこの島は世界でも最も安全な場所かもしれません。ですが」

 志童さんの表情から柔らかさが消えた。笑みを失くし、真っ白な真剣みを帯びる。

 

「迫ってきているのは世界そのものの崩壊です。世界のどこが安全かを問題とする時代ではないのです」

 

「世界の崩壊って何よ。要は人類文明の滅亡の事でしょ?深海棲艦による人類文明の淘汰。人になり替わる地球の新たな支配者として生み出されたのが深海棲艦。違うかしら?」

 叢雲ちゃんの言葉を受けて、志童さんは少し上を見上げる。階層を表す数字のようなものが記されている。

 ちょうど「15」を過ぎた辺りだった。

 

「イヴ計画はご存知ですね?」

 その名はまだ私の中では結構新しいものだった。ハッと志童さんに目を惹きつけられる。耳にしたのは思えばもう随分と前だったのかもしれないが、あの日の事実は今でも私の中で新しいまま残っている。

 

「イヴ計画にはその前身となる仮説と、それを裏付ける理論が存在しました。この世界のあらゆる事象は意識ある大いなる存在により決定され、大いなる存在は大いなる意識の下にあらゆる生命を管理している。ここで言う大いなる存在とは地球(ガイア)です。これは『ガイア理論』と呼ばれ、戦前より存在していました」

 

 途方もない話だ。私たちの生きているこの地球が大きな意思を持っているなど。

 私たちは意思をもった地球の掌の上で転がされるも、握り潰されるも、地球の意思次第と言う訳だ。

 

「それに基づいて打ち立てられた仮説が『アダム説』。それはガイアの意志の下にこの世界に生まれ落ちた、ガイアと意識を共有する生命体の存在を示唆するものでした。我々の祖先はその生命体を―――」

 

「―――深海棲艦と定義した」

 問いかけでもない志童さんの話に私は口を挟んで答えてしまった。彼は小さく首を縦に振る。

 

「正確には深海棲艦に存在しているであろう大元です。それを我々の祖先は『アダム』と呼び、アダムはガイアと何かしらのパスを通じて繋がりを持つ存在と考えていました。そしてアダムはあらゆる深海棲艦とのパスを持つ根源であり、原典である存在だと」

 

 原典。これもまた最近聞いた言葉だ。

 艦娘には全て原典が存在し、その他に同じ艦娘は存在し得ない。

 だが、志童さんの言う『原典』は艦娘のものとはまた違って聞こえた。

 

 諸悪の根源。そこから剥がれ落ちたものが深海棲艦。そういう意味での原典だろう。

 

「進められていた研究はそのパスを探すこと。特にアダムとガイアの間にあるパスを。それを断ち切ることさえできれば、アダムにガイアの意思は伝わらない。深海棲艦の侵攻も食い止められる。そう考えていました。ですが」

 

「そんなもの、どうやって探せばいいのか。それが分からなかったんですね?」

 今度は夕張さんが口を挟む。顎に手を当ててやや視線を落とし興味深そうに聞き入っていた。夕張さんは博識だ。恐らく明さんの影響なのだろうが、艦娘としての枠を越えてあらゆる分野の研究者にも劣らない知識と好奇心を持つ。

 

「結果として私たちはそれを机上の空論として破棄した。根源を断ち切るよりも今世界に在る深海棲艦を打倒する術を模索する方が効率的だと考えました。そして、平賀博士の手により生み出されたのが、深海棲艦に対抗する究極の存在にして、アダムの一部である深海棲艦の組織より作り出されたとされる『イヴ』と言う名の妖精」

 

 アダムとイヴ。

 旧約聖書に登場する人類の始祖とされる存在だ、始めは神が人形のようにしてアダムを生み出し、その肋骨からイヴを作り出した。彼らはエデンの園で生活をしていたが、ある者に唆されて禁断の果実を口にし、意思を得てしまった。故に彼らはエデンの園を追放された。そして人類の始祖となったというお伽噺のようなものだ。

 

 アダムは地球の意思を持つのだろう。

 イヴは―――妖精は海の意思と記憶を持つと言っていた。海は地球の意思の一部なのだとしたら、地球の意思を持つアダムの一部より生まれ落ちた存在。そうなるべくして、それはイヴと言う名を得たのだろう。勝手にそんな推論を頭の中で繰り広げていた。

 

「後はご存知の通り、これが艦娘建造計画『イヴ計画』の始まりです。叢雲さん、貴女とは切っても切れない計画のはずです」

 

「今の私は私よ。先代がどうであろうと今の私には関係のないことよ。それで、それがどうしたって言うのよ?世界が崩壊するのと関係があるの?」

 

「……近年の研究で、アダムとガイアのパスが見つかりました」

 色白の顔に真剣さを保ったままの彼はそう言った。驚きからぽかんと口を開けたままの私たちとは違って。

 

「非常に簡単なものだったのですよ。特に艦娘の技術が確立した後の世ではとても。建造ドックの仕組みをご存知ですね?艤装に艦娘の魂を宿すものです。その逆を辿ったのです。我々は魂の辿る道を見つけ出し、その根源にアダムとガイアの繋がる穴を見つけました。ガイアは全ての魂を管理する存在です。アダムはそれを利用して深海棲艦を生み出し、イヴはそれを利用して艦娘を生み出す建造ドックを作り出しました」

 

 そう言い終えた瞬間、エレベーターが停まる。階層を表す場所には数字ではなく「E」の文字が表示されていた。EndのEだろうか。とにかく着いたようだった。

 扉が開く。開いた扉を最初に潜りながら、志童さんは更に言葉を続けた。

 

「我々は深海棲艦の根源に至る道を発見した。だが、それに気付いたアダムが妨害に動き出そうとしている」

 

「1つ、いいですか?」

 私は再び問いかけた。志童さんはどうぞとは言わずに口をつぐんで私を見た。

 

「アダムとは形あるものなのですか?イヴは……普通の人間には視得ませんが、私たち艦娘にとっては形あるものです」

 

「アダムは我々の妨害の為に今は形を得ています。人にも艦娘にも見える形を。先代の《叢雲》はそれを危惧していた」

 

 辿り着いた『天の剣』の最深部。夕張さん曰く、艦娘関連の研究施設。

 見るからに異様だった。他のフロアにいた者たちと転じて雰囲気が違う。皆が志童さんのような神官じみた、なんというか神に仕える者たちと言うような雰囲気を感じさせる服装をしている。

 中央に巨大な柱があり、それが遥か上にある地上にまで伸びているのだろう。この内部に先程の量子コンピューターがあり、各フロアのあらゆる情報を管理しているのだと推測できる。私たちはそんなフロアの隅の方に降りた。ずっと端の方から内部を眺めていたらしい。

 

 見える景色を見渡すと見覚えのあるものがいくつもある。あれは私の故郷でも見たし、横須賀でも見たものだ。

 

「夕張さん、あれは?」

 確かめるために私は夕張さんに、それを指差しながら尋ねた。

 

「建造ドック・・・・・・みたいですね。いくつも」

 やはり間違いない様だ。至る所に置かれた巨大な装置。建造ドックと呼ばれる艦娘を生み出す母たる装置。それが10を超える数あるのだ。

 

「建造ドックだけではありません」

 そう言いながら、志童さんは歩を進める。私たちは辺りを見ながらそれに続いた。

 

「ここには、戦後不必要となった艦娘関連の装置のほとんどが収容され、また利用・研究されています。一部はまだ残していますが」

 

「ブインに在りましたね。建造ドック」

 そう雪風ちゃんが呟く。彼女はブイン基地生まれだ。そこにある建造ドックで作り出されたのだろう。

 

「先程お伝えした通り、建造ドックは『魂の経路』を辿るために利用しています。膨大なエネルギーを消費するため、乱用はできないのですが。その他にも艤装に魂を定着させる厳密な理論の追究など。我々は未だに平賀博士の組み上げた理論の全容を理解するに至っていません」

 ゆっくりとフロアの中央に向かって広い通路を歩きながら、志童さんは話を続けた。

 

「私は世界の崩壊と言いました。そう、アダムとガイアが起こそうとしている人類史上最悪の滅亡です」

 

「申し訳ないが、私たちはアダムだのガイアだのあなたの言葉で難しい話を展開されても理解できるほど利口ではない。せめてそう言う話は私たちの提督に言ってくれ。私たちが求めているのはもっと簡潔なものだ。何が起こるのか、それだけでいい」

 

「そうですね。全ての魂がこの世界から消え去ります」

 日向さんの申し出に答えるように、極めて簡潔に結論を口にした。

 

「深海棲艦はアダムと、艦娘はイヴと魂の繋がりを持ち、その全てがガイアという大いなる存在に結びついています。人類を含める生命体の全ても魂は死すればガイアの元に戻り、必要に応じて再び肉体を得て生まれ落ちる。そのようなサイクルで我々の魂と言うものは循環しているのです」

 

「し、しかし……分からないな。どのようにしてこの世界の全ての魂を奪うと言うのだ?魔法などという話ではないだろう?そんな話をしている訳じゃないはずだ」

 やや困惑の色が表情に浮かんでいる。予想だにしなかった答えに狼狽えているのか、冷静さを貼り付けたような日向さんが戸惑いを隠しきれないまま問いかけた。

 

「それはまだ分かりません。ですが、まだ時間が残されていると言うのははっきりしています。その前に我々がアダムを止めることができればガイアの意思は」

 

「その、ガイアの意思とやらは私たちを葬り去りたいのですか?」

 私は無理やり話に割り込んだ。少しだけじっと私を見つめると、

 

「……深海棲艦の存在を頷けるものにするためには、そう考えざるを得ません。ですが理由ならばいくらでも考えられるのです」

 

 地球にもし意思があるのならば。途方もない話なのだが、人類を滅ぼそうなどと考えるだろうか。人類以外の全ての生命を滅ぼして、もう一度世界をリセットしようだなどと考えるだろうか。

 

 正直のところ、分からない。でも……少なくとも人類が地球と言う星を滅ぼしかねないと言うのは事実かもしれない。やろうと思えば、この世界の全てを不毛の更地に帰るほどの科学力を手にしてしまったからだ。

 でも、その他の生命まで巻き込む理由が分からない。

 

「で、対策と言うのは?」

 つまらなさそうな顔をした叢雲ちゃんが問い詰める。しかし、彼はうっすらと笑みを浮かべただけで、

 

「先に進みましょう。私から離れないよう」

 そう言って更に足を進めていった。

 広い通路をずっと進んでいくと、金属の巨大なゲートに突き当たった。そこに志童さんは手をかざすとゲートは斜めに割れて開く。静脈認証だろうか。

 

 そこから先の景色は一変した。

 多くのシリンダー状のビーカーがずらりと並んでいる。中には金属のケースで覆われているものも多くあり、ビーカーの中には私たちの艤装のようなものが入っていた。

 

「艤装……?」

 

「えぇ、ここから先はどちらかと言えば倉庫のような場所になります。ここには艤装とその他にも色々と」

 

 それは恐らく艤装なのだろうが・・・・・・何かがおかしい。

 見覚えがない。少なくとも私には艦艇だった頃の記憶が微かに残っている。ついでにまだただの人間だった頃に図鑑で多くの艦の艤装を日本の海外の問わずに頭の中に叩きこんで覚えている。艦娘は無理だとしても、艤装の形状程度なら公開されていた。

 それでも、そこにあるものはほとんどが見覚えがないものなのだ。

 

「これは……『試製シリーズ』ですね?」

 

「その通り」

 私が知らない原因を夕張さんが答えてくれた。同時に私は納得する。

 

 試製シリーズ。

 通常の建造や開発では手に入ることのない、度を超えてしまっている艤装たちの総称であり、その性能はかなり高いものの欠点が多く、使用するには極めて高い練度が必要とされたと言う「常識外れ」たち。それは間違いなく史実の中に存在していたものであるのだが、中には史実の延長に存在してしまういわゆる『if装備』と呼ばれるものも存在し、関わりを持つことができない艦娘たちの力では史実の中から引き出すことのできないとされていたものばかり。

 一説によれば、とある工作艦が艤装を魔改造した結果偶然生まれてしまったものらしい。連装砲を三連装砲にしたら偶然上手くいった感じだ。

 だが、艦娘史でも有名な都市伝説程度の話であって、海軍はその存在を決して肯定しなかった。そのために『恐らく存在している』という確信こそあるもののそれを裏付ける証拠がなく、公式には存在しないものとされてきた。

 

「試製シリーズは理を外れた存在です。いえ、理には適っているのですが、そこに歪みが生じてしまうために、易々と表には出せなかった存在だと私も聞いています。故にその全てがここに集められたと」

 

「……これは、飛行甲板?」

 近くのビーカーを覗き込んでいた雪風ちゃんが偶然それを見つけ出した。

 ビーカーの中には空母の艤装である飛行甲板に似た艤装が固定具に留められて液の中に佇んでいた。じーっと眺めていた雪風ちゃんの側に夕張さんが近寄り、

 

「試製甲板カタパルトですね。これは確か使用された記録があったはず……あぁ、翔鶴型の改二実装の時に計画されていたものですよ。ただ……」

 彼女なりに色々と調べて知っているのだろう。艦娘である身ではそこそこの過去の情報の閲覧が許されている。しかし、夕張さんは途中で言葉を濁す。

 

「改二実装計画を目前にして、日本海軍は《翔鶴》を喪失した」

 夕張さんが説明できなかったその先を、叢雲ちゃんは淡々とした口調で説明する。

 

「用意されていた2つの試製甲板カタパルトのうち、1つはその妹《瑞鶴》に使用され、彼女は終戦まで空母機動部隊の主力として最前線で活躍し続けたわ。これは姉《翔鶴》の分でしょう?」

 ビーカーの表面に指を這わせる。装甲化された飛行甲板の表面をなぞるように。

 

「どれだけ期待された存在でも、死んでしまえば元も子もないのよ」

  

「うむ。だが、翔鶴はおるぞ?これは使えんのか?」

 利根さんの言葉通り、ブイン基地に所属する翔鶴がいる。彼女はその改二実装計画を目前にして失われた《翔鶴》そのものだ。この場にこそいないが、彼女は確かに存在しているのだ。しかし、志童さんは少し目を伏せて

 

「私には判断しかねます。ここにある艤装の研究はできても使用する権限は私にはありません」

 首を横に振りながらそう言った。利根さんが怪訝な顔をする。

 

「では、どこの輩が持っておるのじゃ?その者に聞けばよかろう」

 

「存在しないとしか申せません。今の段階では」

 はあ?と言った表情で利根さんの顔が固まった。ぶっちゃけ私もそんな気分だ。

 

「訳が分からないわね。でも、そうなっているのなら仕方ないわ。古くからの決まりほど面倒なものはないもの」

 

「うーん、これ使えるんだったら便利だろうけどなぁ」

 夕張さんが名残惜しそうに多くのビーカーに目を走らせていた。

 

「1・2・3・4・5・6・・・・・・この魚雷管6つも発射管がある。絶対重いです!」

 雪風ちゃんは雪風ちゃんであちらこちらに駆け回り自分が使えそうな装備を探している。確かに私も使ってみたい気分はあるが、その反面戦闘中に不具合が出そうで怖い。

 

「晴嵐か。これは新しい時代を感じる」

 日向さんは航空戦艦になったせいか、どちらかと言えば艦載機の方に目が行っているようだ。水上機ほどしか今は扱えないが、彼女なりにただの戦艦から逸脱した存在と言う自分に拘りがあるのだろう。晴嵐は元々潜水空母に積むものだが。

 

「利根さんは何か気になるものはあったりしないのですか?」

 近くにいた利根さんに不意に話しかけていた。彼女は特に何か見て回ることもなく、1歩距離を置いて見守ってる。

 

「うーむ、吾輩は改二を得たばかりじゃ。今は今の自分に満足しておる。カタパルトも扱いやすくなった。吾輩の練度もあっての事じゃろうが。お主はないのか?」

 

「訊いておいてなんですが特には……装備は扱いやすいのが第一ですし」

 

「うむ、そうじゃな!あまりごちゃごちゃしておると戦場で手間取ってしまう。命取りじゃ」

 利根さんはそう言うと白い歯を見せて無邪気に笑った。「置いて行かれるぞ」と私の背中を叩いて前へと促す。気付かないうちにみんなと結構離れていた。

 

 小走り気味に皆の後を追う。ふと鋼鉄のケースで覆われた筒状の装置の横を通り過ぎる。モニターとレバーが大量に備え付けられた装置だ。それがなぜか目に留まりながらも私は通り過ぎて、先を行っていた皆に追いついた。

 

「では、皆さん。随分と寄り道をしましたがお求めのものがある場所にようやく着きましたのでご案内します」

 そこは中央に在る巨大な柱の中だった。人ひとりが通れる程度の大きさのゲートがあり、分厚そうな金属のシャッターが下りている。

 

「この先に《天叢雲剣》がございます」

 そう言ってゲートに手を翳し、シャッターが開いた。志童さんが先を進む。狭く暗い通路が続いている。足下と壁の誘導灯のみを頼りにして私たちはゆっくりと前に進んでいく。響く足音が妙に耳に残る。軽く握っただけの拳が汗ばむ。

 

 

 開けたフロアは半球状の天井の広がる薄暗い部屋だった。光源はブラックライトといくつもあるディスプレイのみ。足下の床さえ情報が大量に流れているモニターの一部で半球状の天井には、真っ暗な夜空のような闇が広がっている。

 居る人間はごく少数。恐らく私たちを除いて5名。

 

 私はずっと天井を見上げていた。真っ暗な闇が広がっているが所々に何かが映り込んでいる。どこかのカメラから撮影しているライブ映像の様だった。

 

 ふと視点が移動する。白い塵のような点がいくつも流れ星のように流れていく。

 

「これが……《天叢雲剣》?」

 隣を見ると叢雲ちゃんも天井を見上げていた。彼女の横顔を見て、随分と懐かしいものを見たような気がした。艦娘になるずっと前。まだ互いの境遇もよく知らなかった頃の帰り道。確か冬だった。その夜は町の明かりに負けないほどに星が綺麗だった。

 あの時の星空を見上げていた彼女を思い出した。

 

 叢雲ちゃんの声に釣られて皆が天井を見上げた。

 

 

 そして、天井の中央に青い球体が浮かび上がる。全てではない。何かの影に一部が遮られているが私たちはそれが球体であることを知っている。

 

 

「地球……」

 そこに映る美しい星の名を私は無意識の口にしていた。

 

 

 

 














 随分と引っ張ってきたけど、案外ありきたりなものだったりする。

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