あぁ、墜ちてゆく。
あぁ、消えてゆく。
緋色の鳥たちが深い闇の中に。銀翼の鳥たちがまたひとつ星となってゆく。
あぁ、栄光が潰えてゆく。
あぁ、私たちが終わる。
すべてが赤く赤く染まっていく。私を象徴する熱血と鉄血の赤に飲まれて消える。
『いよいよ██████作戦が発動されましたね』
『私達機動部隊主力ならきっと大丈夫、勝ちにいきます』
きっと大丈夫。いつからこんな風に考えるようになったのだろう。
戦場において『きっと』などという願いが喧噪の中に淘汰されていく様を幾度となく見てきたはずなのに、いつの間にこれほどにまで慢心を育ててしまったのだろう。
星たちがこちらに目を向ける。
私たちの終わりに目を向ける。私の足下に広がる闇を見る。
あなたたちの消えゆく栄光を。あなたたちの燃え逝く誇りを。
こんな絶望の中で幾度となく私は考えていた。
いったいどこで何をすれば、この運命を回避できたのだろうかと。私は幾度となく反省を繰り返していた。帰ることも、変えることもできやしない過去に。
あぁ、声が聞こえる。遠くから聞こえる。まだ誰かが戦っている。
最後まで誇りの向かう先を見失うことなく立ち向かっている。数少ない希望の中で儚く燃え尽きようとする命を、目一杯に燃え上がらせて、闇の中を突き進む。
鋼鉄の翼よ。この闇を斬り裂け、と命じる。
雷土が、海震が、獄炎が、衝戟が、この世界を軋ませる。人の想いがこれほどまでに融解した鉄のように重く、熱く、海を沸かせる。
『―――征きなさい、南雲機動部隊。私たちの誇りよ』
積み上げてきた栄光も、向けられてきた畏怖も期待も、冠された名も全て終わる。それでも人は生き続ける。私たちの姿を眼に刻んだ者たちが生き続ける。だからその征先に死が待つとしても、終焉が口が開いているとしても、その翼が折れるまで進め。
この運命に抗い続けろ。
私は終わる。それでももう一度この海に舞い戻ろう。
どれほどの時間がかかろうとも、私の名が世界から忘れ去られたとしても。
この日の空を忘れはしない。この日の想いを忘れはしない。
人よ、海よ、空よ。私を忘れるな。
この燃え逝く身体を波に刻め。沈み逝く鉄の肉体をその潮風に刻め。
この終わりを受け入れよう、いつか訪れる『私』のために。
だから、私を終わらせてくれ。幼き
私たちの誇りは、あなたたちが受け継ぐのだから。失われてはいけないのだから。
『―――雷撃処分を、お願いしますね』
笑みを浮かべて見せた。餞を送る友に向けるものだから。
それでもやはり死は怖い。頬を伝うものは恐怖故か、それとも後悔故か。
衝撃が私を貫いた。煙で空が見えなくなってしまった。音も光も遠のいていく。
*
久し振りに誰かの夢を見た。私の夢なのだが、それは誰かの夢。
私の中に宿っている私ではない誰かの魂の記憶が、私と言う依代を通してその願いを私に見せている。彼女たちを彼女たちたらしめる根幹であるその記憶を私に向けているのだ。
その部屋に窓はなく、光源も天井と壁に1つずつで今は壁の方だけ。薄暗く冷たい部屋の中で夢から覚めたばかりの私は目を擦って辺りを見渡した。
総員起こしの号令もない静かな朝だった。ただ耳の奥で波の音だけが響いている。いつもの海辺の宿で目覚める私が慣れ親しんだ、遠くの海の潮騒。揺り籠の中に居るような心地よさから何とかして這い出して、壁の光源の下にある鏡に映る自分の恰好を見た。
私のものではない寝巻用の浴衣。解いて肩にかかっている髪は跳ねている。顔には昨日の疲れは残っていないらしかった。身体のどこかが痛いと言う訳でもない。寧ろ疲労なんてものは一切残っていない。
どれほど長い間眠っていたのだろう。部屋の中に目を巡らせる。同じ部屋に割り当てられたはずの2人の姿は見えない。ベッドの上は綺麗に整理されていて、誰も使っていないように見えた。几帳面なあの2人の事だ。私みたいに惰眠貪る事も無く、さっさと起きてどこかで身体でも動かしているのかもしれない。
浴衣のまま、髪を結ぶ事も無く部屋を出た。相変わらず窓がない。ここはそこかしこに何かの気配を感じるのにどこまで行っても無機質なのだ。訪れた時から感じていた無機質な生気。
背中がむずむずするような感覚を我慢しながら廊下を独り歩いていく。私の記憶が正しければ私はこちらの方から来たはずだ。来た道を戻るようにして私の足はほんのり温もりを感じる金属の床の上を裸足で進んでいく。
「おはようございます、吹雪様。お待ちしておりました」
ちょっとした広間にいた紅色の和服を着た若い女性が私の姿を見ると丁寧に挨拶をした。白いエプロンを和服の上から着けている。若い女性と言ったが、歳は私より2つ3つ上なくらいだろうか。まだ成人はしていないだろう。どうやら私を待っていたようで、私が来るまで何もせずにそこに立っていたように見えた。
「あの……私はどうすれば?みんなは……」
「他の艦娘様方は湯浴みをなされてた後、朝食をお摂りになっております。吹雪様も浴場の方へどうぞ。お召し物の方はそちらに準備しておりますので」
柔らかな声をした人だった。見た目の割りに随分と雰囲気が落ち着いている。
「あっ、はい……」
「では、ご案内しますので私の後に」
女性の後に黙って着いていく。本当に窓がない。まるで地下でも進んでいるかのような光景がずっと続いて、私は浴場らしきところに着いた。
「では、お召し物の準備を致します。どうぞごゆっくり。上がられましたらもう一度先程のところまでお越しください。食堂の方へご案内いたします」
そう言い残すと一礼してそそくさと出ていってしまった。1人取り残されてぐるりと辺りを見渡す。全てが石で造られている。不思議な黒い光沢をもつ石だ。ところによって青や緑に色を変えている。棚に至るまで石造りなのだから異様な光景だ。
はぁ……と長く息を吐き、髪に指を通す。がさりと音を立てて指に髪が絡まった。
昨晩は艤装を下ろした瞬間どっと疲れが押し寄せて何とも感じなく部屋ですぐに寝入ってしまったが、思えば潮水や汗がまだ身体に染み付いて浴衣の下はじっとりとしている。衣服を下着に至るまで預けたのはある意味正解だったのかもしれない。
とりあえず、浴衣を脱ぎ去り簡単に畳んで棚に置き、浴場の方に向かった。
*
すっきりして更衣室の方に戻ると浴衣はなく、代わりに預けたもの全てが綺麗な状態で用意してあった。どうやら洗濯でもしたいただいたらしいが、艦娘の衣服はただの繊維で出来ている訳ではないので、やや特殊な清掃・補修がされるのだが何の問題もなかったようだ。
もう一度、広間の方に向かい女性に会うと、今度は食堂の方に案内するとまた廊下を歩いていった。
「随分と遅いお目覚めね、吹雪。横須賀だったら罰走させてるところだったわ」
食堂に入るなり、彼女らしいやや棘のある口調で言葉を私に向けるセーラー服の少女と顔を合わせる。不思議と安堵した。多分、変な顔をしていたのだろう。少しだけ眉をひそめていた。
「うん、おはよう。叢雲ちゃんと・・・・・・雪風ちゃんに夕張さん」
食堂に居たのは叢雲ちゃんだけではなく、雪風ちゃんと夕張さんもいた。
「おはようございます。あまりにも気持ちよさそうに眠っていたので起こさないでおいちゃいました」
もう1人のルームメイトだった雪風ちゃんは元気そうな笑顔を浮かべてそう言った。頭の電探がないといつもよりずっと幼く見えてしまい、彼女の浮かべる明るい笑顔は一層彼女に馴染む。
「おはよう、吹雪ちゃん。疲れはとれてるみたいね。よかった」
夕張さんもいつもの制服を身に纏って微笑みながらそう言った。今は眼鏡をかけていて机の上にはタブレット型の端末が置いてある。眼鏡は恐らく彼女のものだろうが、端末の方はどうやらあちら側のものらしかった。
三角に抜けた天井。白と黒でシックな雰囲気があり、中央にあるクロスのかかった長机を囲んで私たちは座っていた。用意された大きな白い平皿の上にパンとオムレツとベーコン。スープにサラダにフルーツの盛り合わせ。
「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?他のもご用意しておりますが」
「え、えーっと、コーヒーで。ブラックで大丈夫です」
そこにコーヒーが並べられて随分としっかりしたメニューが並ぶ。恐る恐る手を合わせて口にするが、いたって普通だ。寧ろ美味しい。
「・・・・・・他の2人は?」
「さっさと食事済ませてその辺り散策してるわ。一種の偵察のようなものだけど」
叢雲ちゃんがコーヒー啜りそう答えた。なんとも退屈そうな顔をしている。
とりあえず私はサラダから手を付けることにした。
「偵察ねぇ・・・・・・」
敵地じゃないのにそんな言葉を使うのは違和感がある。危惧すべき何かがあると言っているようなものだ。
確かにおかしいと言われればおかしいと言える点ならばいくらでもあった。
光る石。窓のない廊下。無機質な気配。ここが絶海の孤島だというのに浴場で使用されていた水は全て『淡水』だったこと。そして本土と何ら変わりのない食事。
そして急に訪れた来客である私たちは異常なまでに待遇が良い。いい顔をしている者には必ず裏の顔がある。知らない人や怪しい人には着いていくな、と一緒に教わったような言葉だが、実際にあまりにも扱いが良すぎると違和感が残るものだと今理解することができている。
「ふーん、なるほど……」
端末の液晶に指を走らせながら夕張さんが小さな声で呟いた。いったい、何を見ているのだろう。
「そう言えば、叢雲さん。これからどうするのですか?」
唐突に雪風ちゃんがそう尋ねた。頬杖突いて退屈そうにしていた叢雲ちゃんは上体を起こして、
「さあ。わからないわ」
そう答えた。叢雲ちゃんにしては随分と雑な答えだなと気になりながらパンを頬張る。ほんのりとバターの香りがして美味しい。
「そもそも、私たちが聞かされていたのは『天の剣』という島が存在しており、そこに人類の存亡をかけた『天叢雲剣』という存在に繋がる鍵があると言うこと。それが、こんなに――――」
「―――あぁ、驚いた。こんなに人がいるとはな」
ふと入口の方から声が聞こえてきた、やや低く落ち着きのある女性の声だ。
「生活の水準が本土と遜色がない。寧ろ、高い水準にある。治水、衛生管理、インフラ整備。流石に交通手段こそ限られているが島内を移動する分には困らない。住居の構造もしっかりしたものだ。あらゆる災害を想定した避難経路の確保も十分になされている」
帰ってくるなり、日向さんは慌てているかのように言葉を連ねていく。
その表情は冷静を装っていたが、隠しきれていない驚きの色が覗いていた。とうとう仮面が外れてしまって日向さんはフッと笑いを漏らす。
「霧が担う防壁の役割は大きい。この島は世界で最も安全な場所と言っても過言ではない。深海棲艦が蔓延る現代において、艦娘の手など要らぬほどに」
「そのために、これほどまでに人間が伸び伸びと生活できている。そう言う訳ね。利根さんは?」
「まだ見回っているよ。それと、子どもたちに好かれたらしくやや相手をして忙しそうだ。私たち艦娘はここの島民にとっては神に近い存在らしい」
「神、ですか……大層な言い方ですね」
意外にもそう言葉を挟んだのは雪風ちゃんだった。随分と真面目な顔をしていて、先程までの笑みは消えていた。
「艦娘は神なんかじゃありません。そんな大層な飾り名を付けられたところでこちらは自らの無力さを一層に呪うだけです」
じっと何もないテーブルクロスの上に目を落としていた。彼女の幼い瞳の奥で波が揺れている。荒れ狂う嵐の海のような波が。果てまで暗い海に広がる嵐の海が。
「一通り、この島の全容について把握できました」
眼鏡を外しながら夕張さんがそう言った。タブレット端末の画面は暗い。恐らくもう見るべきものは全て見たので電源を落としているのだろう。これ以上は必要ない、つまい全てを頭に叩き込み終えた。そう言っている。
「アーコロジーですね、ここは」
「アーコロジー?」
雪風ちゃんが首を傾げて問い返す。私はオムレツにナイフを当てる。チーズオムレツらしい。溶けたチーズが流れ出してきて香ばしい匂いが柔らかなスポンジのようなオムレツのアクセントになっている。
「別名を環境完全都市と言います。生産および消費活動が内部で完全に自己完結してしまっている人口密集都市の事を言います。急激な海面上昇と人口増加から海上にこのような都市を建造する計画は、大戦前にありましたが、深海棲艦の襲撃で挫折したと聞いています」
「『天ノ岩戸計画』ね、名前だけなら知っているわ。その名の通り狭っ苦しい場所に閉じこもってその中で生活していくとかいう途方もない計画ね。挫折してよかったわ」
「まあその辺りは視方にも依りますが・・・・・・とにかくこの島は海水を淡水に変える技術は基本として、浄水施設、ゴミの処理施設、更に地下には野菜に限らず家畜まで飼育しているシティファームの設備。それらの為に遺伝子組換等の研究所まで。研究所の分野においては20部門に及び、幅広い分野の研究が日夜行われている模様です」
「面白いな。つまり、ここは巨大な研究施設であるようなものだと言うことだ。エネルギー供給はどうなっているんだ?」
「太陽光と波、風力だけで必要な分は全て補っているようです。照明に関しては面白い技術が使用されていますがそれはいいでしょう。何より私が気になるのは20層あるこの島の地下の最深部にある、艦娘部門の研究施設です」
「あって当たり前に思えますね、ここまでくると」
「ええ、この島で生まれているエネルギーの3割ほどがそこで消費されていますね。ここは他分野の研究施設があると言いながらも、その主体は艦娘関連の研究みたいですね」
「そりゃそうでしょうね。じゃなきゃ、私たちをやすやすと招き入れたりしないわよ」
「あー、子どもたちの相手は疲れるのじゃー・・・・・・髪を引っ張るなと言うとるのに。ん?どうした?難しい話でもしておったか?そんな顔しておるぞ?」
話を遮るようにして利根さんが食堂に戻ってきた。疲れた顔をしている。髪もなんだかぼさぼさだ。
私はコーヒーカップを手に取って少し口に含んだ。そして、ようやく彼女たちの話に口を挟む。
「何はともあれ・・・・・・ただの島じゃないってことですよね。夕張さん、地下ばかりに目が行ってますが結局あの塔は何なんですか?」
「それが・・・・・・ここには書いてなかったのよね。ただここの設備からしてエネルギー供給に一枚噛んでいるのは間違いなさそうなんですけど」
夕張さんにある程度の情報を見せておきながらその辺りをはぐらかすのはどう考えても怪しい。
「兵器とかじゃないですか?」
「兵器?あれが?うーん・・・・・・確かに側壁がセルになっていてファランクスのような装備が備わっていてもおかしくない形状ではありますけど。だとしてもあんな巨大なものにしませんよ」
「ですよね。すみません」
「・・・・・・何か知っているの?」
唐突で、かつ少し意味深な問い方をしてしまったせいか、叢雲ちゃんが怪訝な顔をして私に問い詰める。
「うん。まあ。少し明さんに聞いた話なんだけど『天叢雲剣』は―――――」
コンコンと2度のノック。開いた扉をわざわざノックして注意を集める。6人の視線が一気に集まった。
「―――どうやらみなさんお揃いの様でして」
あの男性が立っていた。
神官のような衣服を着た男。髪は短く切り揃えてあり、白い肌にやや下がった眉とどこか安心感を与えられる。目鼻立ちがはっきりしていたため一瞬異国の人かと見紛う。
叢雲ちゃんが立ち上がったのを合図に全員が立ち上がった。ワンテンポ遅れて私も立ち上がる。
「改めて、私は『天の剣』統括責任者、志童金安と申します。ここに貴女方が来られるのを先祖代々お待ちしておりました」
「横須賀鎮守府秘書艦の叢雲よ。並びにその他5名、大本営直下の特務につき、ここにあるありとあらゆる情報の開示を求めるために来たわ」
「存じております。貴女方がここにお越しになる理由はただ1つ。この島に隠された過去の遺物が必要な時代となったと言うことでしょう。ですが、まずはこの島の全容を貴女方の目をもって知っていただきたい。いかがでしょうか?」
要は島内の施設の見物でもどうだと言っているのだろう。あまり疑いを持つのは失礼なことだろうが、時間稼ぎをしているような気がしてならない。
「悪いけど、こっちも急いでるの。それにこんな場所にあまり長居もしたくないってのが本音よ」
「いいえ、急ぐ必要はございません。それほど事態は切迫したものではありませんので」
志童さんは首を横に振る。叢雲ちゃんの感情論は無視して、前半の事態の危急にだけ焦点を置いて。
「なぜそう言えるの?」
「我々は観測者です。世界の観測者。時代の観測者。我々は全てを知っています。故に分かるのですよ」
一瞬、彼の浮かべている柔らかな笑みが酷く不気味なものに思えた。一瞬だけだったのだが。
「私たちは貴女方を存じております。故にまずは我々を知ってもらう。それでこそ理解は得られるものでしょう。信頼は後付けで構いません。それにこの島を貴女方は知らなければならない」
「その理由は?」
「すぐに分かりますよ。特に叢雲さん、貴女は」
どこか気を許せない男だと思いながらも、私たちは食堂を後にして志童さんの後に続いた。
案内されたのはエレベーター。進むのは下だけの様だ。
地下に閉じ込められる。先程から不穏な考えしか過らない頭を振って、私はその箱の中に乗りこんだ。
この題で書きたいことがやけに長くなったので前半と後半で分けさせてもらいました。
すぐに後半の方も上げたいと思います。